フォートマーシー

和名:フォートマーシー

英名:Fort Marcy

1964年生

鹿毛

父:アメリゴ

母:キーブリッジ

母父:プリンスキロ

北米・欧州・日本・南アフリカ・南米と世界各国から米国に集まった名馬達と戦い続け米年度代表馬・米国顕彰馬にも選ばれた米国芝王者

競走成績:2~7歳時に米で走り通算成績75戦21勝2着18回3着14回

誕生からデビュー前まで

米国の名馬主ポール・メロン氏がヴァージニア州に所有するロークビーファームにおいて生産・所有した馬で、エリオット・バーチ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳5月にアケダクト競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦でデビューしたが、勝ったグレートパワー(後にナショナルスタリオンS・サプリングS・デラウェアヴァレーHを勝ち、ホープフルS・ジムダンディSで2着している)から16馬身差の7着と惨敗。その後は一間隔を空けて、7月にアケダクト競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦に出走した。ここでは、勝ったモニター(後にアーカンソーダービーを勝ち、ブリーダーズフューチュリティで2着している)から4馬身半差の3着と、前走より少しましな競馬になった。その1週間後に出た同コースの未勝利戦では、5馬身差の2着。次走は1か月後の8月末にサラトガ競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦となったが、ここでは勝ったツイストオブタイムから16馬身差の11着と惨敗した。翌9月にアケダクト競馬場で出たダート6ハロンの未勝利戦では、プロヴァイゾ(後にシャンペンS・ピムリコフューチュリティ・ガーデンステートSで3着している)の5馬身3/4差4着。それから2週間後に出た同コースの未勝利戦では、4馬身差で快勝してようやく初勝利を挙げた。

10月にはアケダクト競馬場ダート7ハロンの一般競走に出走して、アイリッシュリベリオン(後にパンアメリカンHを勝っているが、ステークス競走2着11回3着4回と勝ち切れないレースが多かった)の4馬身差2着と好走。しかし1週間後に同コースで出た一般競走では、勝ったメジャーアートから11馬身差の8着に惨敗。11月に出たアケダクト競馬場ダート6ハロンの一般競走も、勝ったフライングタックルから3馬身半差の7着に終わった。そして3週間後に同コースで出た一般競走で、勝ったライトザフューズから15馬身差をつけられた8着に終わったのを最後に2歳戦は終了。殆ど見せ場無く2歳時を終え、2歳時は10戦1勝の成績となってしまった。もっとも、本馬が出たレースの勝ち馬には後の活躍馬が比較的多いから、本馬の地元ニューヨーク州の競馬レベルが高かった面は否定できない。

競走生活(3歳前半)

3歳時は1月に早々とフロリダ州ハイアリアパーク競馬場から始動して、まずはダート6ハロンの一般競走に出るも、勝ったバルーフから9馬身1/4差の4着と大敗。翌月に出たダート7ハロンの一般競走では、2着となった前年のジュヴェナイルS2着馬サンストリームに1馬身差で勝利した。同月には試みに初芝となる距離8.5ハロンの一般競走にも出てみたが、ここでは勝ったハイハット(後のリグスH・ディキシーH・エッジミアH・ボーリンググリーンHの勝ち馬。本邦輸入種牡馬ハイハットとは同名異馬)から13馬身差の9着に終わった。しかし翌3月に出た同コースの一般競走では、後のイリノイダービー勝ち馬ロイヤルマラバーから5馬身半離されながらも2着に入った。

ニューヨーク州に戻ってきた本馬は、すぐにアケダクト競馬場ダート6ハロンの一般競走に出たが、勝ったミスターピッツキッドから5馬身半差の4着。次走のアケダクト競馬場ダート8ハロンの一般競走も2馬身半差3着に終わった。4月にはレースに出ず、次走は5月のアケダクト競馬場ダート9ハロンの一般競走となったが、4馬身半差3着に敗退。

次走は6月にアケダクト競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走となった。ここで2着ロイヤルコメディアン(後にバークレーH・ルテリエ記念Hを勝ちロングアイランドH・ロイヤルポインシアナH・サルヴェイターマイルH2回で2着している)に3馬身差で快勝したのが、本馬の競走馬生活の分岐点となる。

続いて出走したのは、モンマスパーク競馬場で行われた分割競走スプリングH(T8F)だった。しかしここでは、リグスH2回などを勝っていたラッキーターン、後のセンチュリーHの勝ち馬モデルフール(後の本邦輸入種牡馬で、ダイナアクトレスの母である名牝モデルスポートの父となる)などに歯が立たず、勝ったラッキーターンから9馬身差の6着に終わった。しかし同月末に同じくモンマスパーク競馬場で出走した分割競走ロングブランチH(T8F)では、イリノイダービーを勝ちオハイオダービーで3着してきたロイヤルマラバーを2馬身差の2着に、後のローレルターフカップH・ロングフェローHなどの勝ち馬ジャンピエールを3着に退けて勝利を収め、デビュー20戦目にしてステークス競走初勝利を挙げた。これ以降の本馬は、時々ダートにも出走するが、主に芝を主戦場として戦っていく事になる。

競走生活(3歳後半)

翌7月にアーリントンパーク競馬場で出走したナシュアH(T8.5F)では、アーリントンワシントンフューチュリティ・ブルーグラスSを勝ちルイジアナダービー・シェリダンS2着・アーリントンクラシックS3着の実力馬ディプロマットウェイを4馬身半差の2着に、分割競走ロングブランチHのもう一方の勝ち馬ブラスティングチャージを3着に破って完勝した。同月末にアケダクト競馬場で出走したタイダルH(T9F)も、2着ダンダーヘッドに3馬身差で楽勝。翌8月にサラトガ競馬場で出走した分割競走バーナードバルークH(T8.5F)では、マンノウォーS・ユナイテッドネーションズH・ロングブランチS・タイダルH・バーナードバルークH・ラウンドテーブルHの勝ち馬でボーリンググリーンH2着・ワシントンDC国際S3着の前年の米最優秀芝馬アッサガイ、セネカH・ロングアイランドHの勝ち馬でモンマスH2着・サバーバンH3着のパオルチオなどが対戦相手となったが、2着アッサガイに3/4馬身差で勝利を収め、ステークス競走4連勝とした。

翌9月にアーリントンパーク競馬場で出走したベンジャミンFリンドハイマーH(T9.5F)では、この年のサンタアニタHを筆頭にパロスヴェルデスH・サンパスカルH・サンアントニオH・ガルフストリームパークH・イングルウッドH・アメリカンHを勝ちハリウッド金杯で2着していた強豪プリテンスとの顔合わせとなった。しかし結果は共倒れ。グラスランドHを勝ってきたフュージリアーボーイが勝利を収め、プリテンスは4着、本馬はフュージリアーボーイから6馬身1/4差の6着に敗れた。同月にアトランティックシティ競馬場で出走したユナイテッドネーションズH(T9.5F)では、バーナードバルークH2着後にセネカHでも2着してきたアッサガイ、タイダルHで本馬の3着に敗れた後に分割競走バーナードバルークHのもう一方を勝っていたフリットトゥ、ローレンスリアライゼーションS・ギャラントフォックスH・ケリーオリンピックHの勝ち馬マンデンポイントなどとの対戦となった。結果は上記3頭全てに後れを取って4位入線。3位入線のマンデンポイントが降着となったために繰り上がったが、フリットトゥの3着に敗れた。次走のアケダクト競馬場芝8.5ハロンの一般競走では、ミスティックラッドの半馬身差3着に敗れた。マンノウォーS(T13F)では、アッサガイ、ブルックリンH・エイモリーLハスケルH・ホーソーンダイヤモンドジュビリーH・トレントンH・ナッソーカウンティH・ワシントンパークHの勝ち馬ハンサムボーイとの対戦となった。レースでは上記2頭には先着したが、過去にステークス競走の入着歴が無かった単勝オッズ41倍の伏兵ラッフルドフェザーズに足元を掬われて、1馬身1/4差の2着に敗れた(4着に敗れたアッサガイはそのまま引退した)。

次走はワシントンDC国際S(T12F)となった。このレースには、プリークネスS・ベルモントS・トラヴァーズS・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯・レムセンS・ベイショアS・ウッドメモリアルS・レオナルドリチャーズS・ドワイヤーH・アメリカンダービー・アケダクトSを勝っていた当時の米国最強馬ダマスカスが参戦してきた。本馬とダマスカスは同世代だが、この時点でステークス競走12勝を含む19戦15勝2着3回3着1回着外無しのダマスカスと、ステークス競走4勝を含む27戦7勝2着4回3着5回着外11回の本馬とでは、今まで違う世界の存在だった。他の出走馬は、英セントレジャー・愛ダービー・オブザーヴァー金杯の勝ち馬で英ダービー2着・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・凱旋門賞3着の英国調教馬リボッコ、コックスプレート2回・ヴィクトリアダービー・アンダーウッドS・マッキノンS・CFオーアS・オールエイジドS・ドンカスターマイル・コーフィールドC・トゥーラックHと豪州の大競走を勝ちまくっていたトービンブロンズ、日本から遠征してきた天皇賞春・京成杯・アメリカジョッキークラブC・日本経済賞の勝ち馬で菊花賞2着・有馬記念3着のスピードシンボリなどだった。

レースではスピードシンボリなどが先行して、本馬は馬群の中団、ダマスカスは後方からレースを進めた。レース中盤で本馬が仕掛けて上がっていくと、ダマスカスも上がってきた。そして直線に入ると、本馬とダマスカスの一騎打ちとなった。米国競馬の超優等生であるダマスカスと、米国競馬の劣等生だった本馬の叩き合いは、最後に本馬が鼻差で勝利。バックパサーとドクターファーガーの2頭を10馬身ちぎった伝説のウッドワードSを含む6連勝中だったダマスカスに土をつけた本馬の名はこの時点で全米中に轟いた。ダマスカスから2馬身半差の3着にトービンブロンズが入り、スピードシンボリはそれからさらに5馬身半差の5着、リボッコはさらに後方でゴールインした。3歳時は18戦7勝の成績で、この年の米最優秀芝馬のタイトルを獲得した。

競走生活(4歳前半)

4歳時は3月にガルフストリームパーク競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走から始動して、ニューソングの鼻差2着。次走のガルフストリームパーク競馬場芝8ハロンの一般競走も、フィラデルフィアHの勝ち馬クイッティーンアクセントの1馬身1/4差2着だった。しかしニューヨーク州に戻って4月に出たアケダクト競馬場ダート8ハロンの一般競走では、2着ロゴに1馬身3/4差で勝ち、ダート競走では1年2か月ぶりの勝利を挙げた。そのためかしばらくはダート路線を進むことになる。

まずはグレイラグH(D9F)に出走して、ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・サラナクH・ディスカヴァリーHの勝ち馬でトレモントS・サラトガスペシャルS・ガーデンステートS2着のボールドアワー、前年のナシュアHで本馬の2着に敗れた後にローレンスアーマーH・シカゴH・ルイジアナH・ニューオーリンズH・オークローンHを勝っていたディプロマットウェイ、エクセルシオールHを勝ってきたピーターパイパー達と対決。結果はボールドアワーとディプロマットウェイの2頭に後れを取って3位入線だったが、ディプロマットウェイがピーターパイパーに対する進路妨害で4着に降着となったため、本馬が繰り上がって2着となった。6月に出走した次走のナッソーカウンティS(D9F)では超不良馬場が影響したのか、エッジメアH3着馬プリモリチャードの3/4馬身差2着。同月のマサチューセッツH(D10F)では、ジャージーダービーの勝ち馬でプリークネスSではフォワードパスの2着だったアウトオブザウェイの1馬身1/4差4着。対戦相手のレベルも確かに高かったが、どうもダート競走では今ひとつ結果が出なかった。

競走生活(4歳後半)

そこで結局は芝に戻る事になり、まずは7月の分割競走スターズ&ストライプスH(T9F)に出走した。ここでは、メドウランドHを勝ってきた英国からの移籍馬ザナックを1馬身差の2着に抑えて勝利した。初めて米国西海岸に遠征した同月のサンセットH(T12F)では、ボールドウィンSを勝ってきたフィドルアイル、イングルウッドH・ディスプレイH・サンルイレイSを勝ちチャールズHストラブS・サンアントニオH2着のクイッケンツリーという、有力馬2頭との対戦となった。結果は2着クイッケンツリーとの着差は鼻差ながらも、2分26秒4のコースレコードを計時して勝利した。

東海岸に戻ってきた本馬は、8月末のケリーオリンピックH(T9F)に出走。ここではシューティングチャントの首差2着に敗れたが、カウディンS・セミノールH・トボガンH・ウエストチェスターHを勝ちケンタッキーダービー・メトロポリタンH・ウッドメモリアルS2着・ベルモントS・シャンペンS・アメリカンダービー3着のアドヴォケーターは3着に抑えた。

次走はユナイテッドネーションズH(T9.5F)となった。このレースには、アドヴォケーター、前年のワシントンDC国際S3着後にサンルイレイS2着など活躍していたトービンブロンズなどに加えて、ワールズプレイグラウンドS・カウディンS・ゴーサムS・ウィザーズS・アーリントンクラシックS・ロッキンガムスペシャルS・ニューハンプシャースウィープS・ホーソーン金杯・ヴォスバーグH・ローズベンH・カリフォルニアンS・サバーバンH・ホイットニーS・ワシントンパークHなどを勝っていた稀代の快速馬ドクターファーガーも初めての芝競走に挑んできた。この時点で既にドクターファーガーは好敵手ダマスカスに代わって米国最強馬の地位に上り詰めていた。しかし本馬は同じく初芝だったダマスカスをワシントンDC国際Sで破った経歴があり、注目を集める一戦となった。しかし、前走のワシントンパークHで134ポンドを背負いながらも1分32秒2という超絶かつ非常識なタイムで駆け抜けていたドクターファーガーの強さは芝でも変わらず、前走と同じ134ポンドの酷量を背負いながら勝利。本馬は118ポンドの斤量だったが、ドクターファーガー、同じ118ポンドのアドヴォケーターとの直線における三つ巴の勝負に敗れて、2着アドヴォケーターを首差抑えて勝ったドクターファーガーから1馬身半差の3着に敗れた。ドクターファーガーは引退レースとなった次走のヴォスバーグHでも139ポンドを背負いながら圧勝しており、脂が乗り切ったこの時期のドクターファーガーには敵う馬など存在しなかったのだった。

しかし直線で完膚なきまでにドクターファーガーに負かされた本馬は、この後に不調に陥ってしまう。次走の分割競走ロングアイランドH(T11F)では、特にこれといった実績が無かったルースズルーラーから9馬身差の6着と大敗。マンノウォーS(T12F)では、本馬が大敗した前走ロングアイランドHで3着だったツァーアレクサンダー、ユナイテッドネーションズH2着後にサンライズHを勝ってきたアドヴォケーターとの対戦となったが、ツァーアレクサンダーの3馬身半差2着に終わった。

連覇を目指したワシントンDC国際S(T12F)では、ツァーアレクサンダーに加えて、英2000ギニー・英ダービー・英チャンピオンS・仏グランクリテリウム・愛ナショナルSを勝ち愛ダービー・凱旋門賞で2着していた英国最強3歳馬サーアイヴァー、英オークス・コンデ賞・ヴァントー賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞3着のララギューヌ、ダリュー賞・プランスドランジュ賞・アルクール賞の勝ち馬で凱旋門賞3着のカーマーゼン、フォワ賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬でパリ大賞・ローマ賞2着・ガネー賞・アスコット金杯3着のペトローネ、そして菊花賞を捨てて日本から参戦してきた朝日杯三歳S・東京四歳Sの勝ち馬で皐月賞・東京優駿2着の元祖怪物タケシバオーなどが出走してきた。レースではタケシバオーが先頭を走り、本馬は馬群の中団につけた。やがてタケシバオーが失速すると、ツァーアレクサンダーと共に先頭に立ち、叩き合いとなった。しかしここで後方から一気に追い込んできたサーアイヴァーに差されてしまい、ツァーアレクサンダーにも鼻差屈して、サーアイヴァーの3/4馬身差3着に敗れた(レース中に他馬に蹴られるアクシデントがあったタケシバオーは8着最下位だった)。4歳時の成績は13戦3勝だったが、ドクターファーガーと並んで米最優秀芝馬には選ばれた。

競走生活(5歳前半)

5歳時は2月にハイアリアパーク競馬場で行われた芝9ハロンの一般競走から始動して、欧州から移籍してきたサンクルー大賞・フォワ賞の勝ち馬でオイロパ賞3着のタネブを1馬身1/4差の2着に下して快勝。次走のブーゲンヴィリアH(T9.5F)も、2着タネブに頭差ながら勝利した。なお、タネブは翌月のサンルイレイSを勝っている。

しかし本馬陣営はダートの大競走を勝つ夢を捨て切れなかったようで、次走はワイドナーH(D10F)となった。しかし結果は南米でペルージョッキークラブ国際大賞・チリ国際大賞・チリ競馬場大賞2回などを勝った後に北米に移籍してきたユンベル、ローレンスリアライゼーションS・ローマーH・ギャラントフォックスHの勝ち馬でジョッキークラブ金杯2着・モンマス招待H・トラヴァーズS3着のファニーフェロー、ケンタッキージョッキークラブS・トロピカルパークHの勝ち馬ミスターブローガンといった面々に屈して、勝ったユンベルから3馬身1/4差の6着に敗退。続いてガルフストリームパークH(D10F)に出走した。このレースには、サンタアニタH・アーカンソーダービー・ミシガンマイル&ワンエイスH・ホーソーン金杯Hを勝っていたこの年の米最優秀ハンデ牡馬ノーダブルも参戦してきた。結果は単勝オッズ21倍の伏兵コートリセスがノーダブルを鼻差の2着に抑えて勝利を収め、本馬はコートリセスから5馬身差をつけられた4着に敗れた。

その後は2度目の西海岸遠征を決行して、4月のサンフアンカピストラーノH(T14F)に出走した。強敵と目されたのは、同競走を前年まで2連覇していたサンルイレイS・ギャラントフォックスHの勝ち馬でジョッキークラブ金杯2着の亜国出身馬ニアルコス、サンルイレイSで2着してきた前年のワシントンDC国際S6着馬ペトローネだった。結果はペトローネが勝ち、本馬は4着ニアルコスには先着したものの、ペトローネから2馬身3/4差の2着に敗れた。ニューヨーク州に戻って6月に出走したエッジメアH(T11F)では、ジュライC3着など欧州短距離戦で活躍していたマジェッタにこの距離で敗れて、2馬身差の3着だった。再び西海岸に飛んで出走したのは、新設競走ハリウッドパーク招待ターフH(T12F)だった。ここでは、ハリウッドダービー・ウィルロジャーズS・オークランドHを勝っていたポレアックスを鼻差の2着に抑えて勝利した。

ニューヨーク州に戻ってきた本馬の次走はよせばいいのに、ダートの大競走サバーバンH(D10F)となった。レース自体は面白いもので、ウッドワードS・サンタアニタH・ドワイヤーH・ローマーH・トレントンH2回・クイーンズカウンティHを勝っていたミスターライト、ブリーダーズフューチュリティS・ゴーサムS・ウッドメモリアルSを勝ちケンタッキーダービー・ベルモントSで3着してきたダイク、前年のトラヴァーズSの勝ち馬でモンマス招待H2着・ドワイヤーH・ジョッキークラブ金杯3着のチョンピオンの3頭がゴール前で大激戦を演じた末に、ミスターライトがダイクを頭差の2着に、チョンピオンをさらに首差の3着に抑えて勝利した。一方の本馬はミスターライトから11馬身差をつけられた5着最下位に沈んでいた。

競走生活(5歳後半)

芝路線に戻った本馬は、同月末のタイダルH(T9F)に出走。このレースでは南アフリカで数々の大競走を制した後に米国に移籍してきた南アフリカ史上最強馬ハワイとの対戦となった。しかしここでは本馬が格の違いを見せ、2ポンドのハンデを与えたハワイを1馬身半差の3着に下して、2着ベイトマンに半馬身差で勝利した。次走のケリーオリンピックH(T9F)でもハワイとの対戦となった。本馬が今回ハワイに与えたハンデは5ポンドだったが、それでも本馬が2着となったモンマス招待H・レオナルドリチャーズS・フィラデルフィアHの勝ち馬バラストレードに半馬身差で勝ち、ハワイはさらに首差の3着だった。

しかしハワイは本馬との対戦を経て徐々に力をつけており、次走のユナイテッドネーションズ招待H(T9.5F)ではハワイが勝利。本馬は7ポンドのハンデを与えていたとは言え、ハワイから7馬身半差、2着となったロングブランチSの勝ち馬ノースフライトからも7馬身差の3着と完敗を喫した。次走のマンノウォーS(T12F)ではまたもハワイと対決。今回の斤量は2頭とも全く同じ。絶好の良馬場でレースが行われた事もあり、どちらが芝最強馬なのかを決める最高の舞台となった。しかし勝ったのはハワイ。本馬はノースフライトにも1馬身1/4差の後れを取って、ハワイから3馬身半差の3着に敗れた。

本馬の次走は当然ワシントンDC国際Sでハワイと再戦かと思いきや、陣営はワシントンDC国際Sを回避してスタイヴァサントH(D8F)に本馬を向かわせた。これはハワイから逃げたという事なのだろうか。しかし芝競走ではなくダート競走に出走させた意味は筆者にはあまり理解できない。結果は書くまでもなく、サンフォードS・カウディンS・ピムリコローレルフューチュリティ・セレクトH・スポートページHを勝ちアーリントンワシントンフューチュリティで2着していた3歳馬キングエンペラー、サンフェリペSの勝ち馬でハリウッドダービー・ジムダンディS2着・サンタアニタダービー・ジェロームH・ホイットニーS3着のデュワンなどに歯が立たず、勝ったキングエンペラーから5馬身差の6着と大敗。5歳時の成績は13戦5勝で、米最優秀芝馬のタイトルは、ワシントンDC国際Sで2着だったハワイのものとなった。

競走生活(6歳前半)

6歳時は1月にハイアリアパーク競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走から始動したが、エレガントヘアーの4馬身3/4差7着に敗退。次走の分割競走ブーゲンヴィリアH(T9.5F)では、仏国でロシェット賞を勝った後に米国に移籍して加国際CSS・ニッカボッカーH・パームビーチSを勝っていたヴェンデュノル、独2000ギニー・ユジェーヌアダム賞を勝ち独ダービー・バーデン大賞・オイロパ賞3着の成績を挙げた後に米国に移籍してきたヒッチコックなどに屈して、勝ったヴェンデュノルからの3馬身3/4差4着と、調子は戻らなかった。ニューヨーク州に戻った本馬は一間隔を空けて、5月にアケダクト競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走に出走したが、ディスカヴァリーH・エクセルシオールHの勝ち馬でモンマス招待H・ジェロームH3着のハイドロジストの鼻差2着。

その後は4度目の西海岸遠征を実施し、サンフアンカピストラーノH(T14F)に出走。前走2着のヒッチコックに加えて、一昨年のサンセットHで本馬の3着に敗れた後にカールトンFバークH・サンルイレイSを勝ちサンタアニタHで2着していたフィドルアイル、一昨年のサンセットHで本馬の2着に敗れた後にジョッキークラブ金杯・サンタアニタH・デルマーH・マンハッタンH・サンルイオビスポH・ディスプレイHを勝利して米国競馬のトップホースの1頭になっていたクイッケンツリーという、対戦経験がある強豪馬が対戦相手となった。レースでは本馬、フィドルアイル、クイッケンツリーの3頭が殆ど同時にゴールインしたが、本馬は僅かに遅れており鼻差3着に惜敗した(フィドルアイルとクイッケンツリーの同着勝利)。

陣営の考え方もあるだろうが、本馬は芝に専念させた方が良かったのではないだろうか。芝とダートを闇雲に使い回すのは、少なくとも馬のためにはならない事を筆者は確信している(両方をこなす馬も確かに存在するが、本馬は明らかに芝馬なのは既に確定していたはずである。芝馬でも脚部不安を理由にダートを使う場合もあるが、本馬の場合は脚部不安があったような形跡は無い)。

話が少し逸れたので、元に戻す。サンフアンカピストラーノHで惜敗した本馬は、そのまま西海岸に留まってセンチュリーH(T11F)に出走した。チリでエルエンサーヨ賞(智ダービー)を勝った後に米国に移籍してサンルイオビスポH・サンルイレイHを勝っていたクイッチェ、前年の同競走に加えてシネマH・サンバーナーディノHを勝っていたピンジャラなどが主な対戦相手となった。ここではクイッチェが勝ち、本馬は鼻差2着に敗れたが、クイッチェの勝ちタイム2分11秒6は全米レコードだったから、これは止むを得ないだろう。

東海岸に戻ってきた本馬は、5月のディキシーH(T12F)に出走した。ここでは、ケンタッキージョッキークラブS・オハイオダービー・ハイアリアターフカップH・パンアメリカンS・ディキシーH・ロングフェローH・カナディアンターフHを勝っていたウォーセンサーを3馬身半差の2着に破り、2分27秒4のコースレコード勝ちを飾って、連敗を8で止めた。翌6月のボーリンググリーンH(T12F)でも、ニューヨークH・エッジメアHを勝ちハイアリアターフカップH・サンタバーバラH2着の牝馬ドラムトップを半馬身差の2着に、ヒッチコックを3着に破り、2分26秒6のコースレコードで勝利した。

その後は五度西海岸に向かい、ハリウッドパーク招待ターフH(T12F)に出走したが、サンフアンカピストラーノH勝利後にレイクサイドHを勝っていたフィドルアイルに首差敗れて2着となり、しばらく休養に入った。

競走生活(6歳後半)

復帰初戦は8月にサラトガ競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走で、チャーチルダウンズHの勝ち馬でベルモントフューチュリティS2着のトゥルーノースの1馬身半差3着だった。翌9月のケリーオリンピックH(T9F)では、ロングアイランドHの勝ち馬でローレンスリアライゼーションS2着のレッドリアリティの鼻差2着と好走。

そして11日後には、過去3年連続で3着だったユナイテッドネーションズ招待H(T9.5F)に出走。ジェロームH・スターズ&ストライプスH・タイダルHの勝ち馬でブリーダーズフューチュリティ2着のミスターリーダーに加えて、ハリウッドパーク招待ターフH勝利後にアメリカンHを勝ってきたフィドルアイルも参戦してきた。しかし本馬が2着フィドルアイルに5馬身差をつけて圧勝。4度目の同レース挑戦で遂に勝利した。

次走はこれまた過去3年間で2着2回3着1回と勝てていなかったマンノウォーS(T12F)となった。ボーリンググリーンH2着後にマサチューセッツH・メイトロンHでも2着していたドラムトップ、トラヴァーズSの勝ち馬でジムダンディS・ローレンスリアライゼーションS・マンハッタンH2着の3歳馬ラウドなどが対戦相手となった。しかし本馬が2着ラウドに1馬身3/4差をつけて勝ち、このレースも挑戦4度目にして初戴冠となった。

そして本馬はこの年はワシントンDC国際S(T12F)に向かった。ローマ賞2回・伊ジョッキークラブ大賞の勝ち馬でミラノ大賞・伊ジョッキークラブ大賞2着の伊国最強馬バクーコウ、フィユドレール賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞2着・凱旋門賞でササフラの3着(2着ニジンスキーとは2馬身差)していた仏国調教牝馬ミスダンなどが対戦相手となった。結果は本馬が2着ミスダンに1馬身差、3着バクーコウにはさらに5馬身差をつけて3年ぶりの同レース優勝を飾った。6歳時は13戦5勝の成績で、3度目の米最優秀芝馬だけでなく、米年度代表馬(パーソナリティと同時受賞)・米最優秀ハンデ牡馬騙馬(ノーダブルと同時受賞)のタイトルをも獲得した。

競走生活(7歳時)

7歳時も現役を続行。しかしこの年は前年のマンノウォーSで本馬から25馬身差の10着だったチリからの移籍馬クーガー(翌年にエクリプス賞最優秀芝馬に選出される)が徐々に頭角を現し始め、逆に本馬にはやや衰えが目立つようになっていた。シーズン初戦は、2月にハイアリアパーク競馬場で行われた分割競走ブーゲンヴィリアH(T9.5F)となったが、マンハッタンHの勝ち馬シェルターベイの頭差2着に惜敗。次走のハイアリアターフC(T12F)も、前年のマンノウォーS3着後に加国際CSS・パームビーチSを勝っていたドラムトップ、前年のアメリカンダービー・レオナルドリチャーズSの勝ち馬ザプルナーの2頭に屈して、ドラムトップの1馬身3/4差3着に敗れた。

そして6度目の西海岸遠征で出走したサンフアンカピストラーノH(T14F)では、2ポンドのハンデを与えたクーガーから3馬身差をつけられた2位入線。さらには進路妨害により6着に降着となってしまった。本馬はサンフアンカピストラーノHには3度挑んだが結局勝てなかった。悪い事は続くもので、東海岸に戻って出走したディキシーH(T12F)では、本馬が惨敗した一昨年のサバーバンH3着後にブライトンビーチH2回・スタイミーH・セネカH・パンアメリカンHを勝っていたチョンピオンを抑えて1位入線するも、2戦連続の進路妨害で4着に降着となってしまった。ボーリンググリーンH(T12F)では、亜ジョッキークラブ大賞・ナシオナル大賞・カルロスペレグリーニ大賞を勝って亜国から移籍してきたプラクティカント(3着)には先着したが、ドラムトップの1馬身3/4差2着に敗れた。

7度目の西海岸遠征で出走したハリウッド招待ターフH(T12F)では、AJCダービー・ドゥーンベンC・ストラドブロークHを勝って豪州から移籍してきたディヴァイドアンドルール(3着)には先着したが、本馬より斤量が3ポンド重くなっていたクーガーに首差で敗れて2着だった。

そして陣営は何を考えたのか、本馬の次走はサバーバンH(D10F)となった。軽ハンデにでも期待したのだろうか。確かに本馬の斤量は過去3年で出走したステークス競走では最も軽い120ポンドとなったが、ダートの強豪馬が集まるこのレースでこのハンデではあまり軽量とは言えない。結果はモンマス招待Hの勝ち馬トワイスワーシー、メトロポリタンHを勝ってきたチューネックス達に全く歯が立たず、勝ったトワイスワーシーから10馬身差の10着と惨敗。

その後は2か月間の調整を経てケリーオリンピックH(T9F)に出走したが、11ポンドのハンデを与えたランザガントレットから3/4馬身差の3着と惜敗した。なお、ランザガントレットはこのレースの後で急激に出世し、前年の本馬と同様にユナイテッドネーションズH・マンノウォーS・ワシントンDC国際Sを3連勝して、この年のエクリプス賞最優秀芝馬に選出されるのだが、陣営はこの敗戦で本馬の競走能力に見切りをつけたのか現役引退を決定。斤量差から見ても、まだ本馬とランザガントレットとの実力差はそれほどあったとは思えないため、その後の本馬とランザガントレット、そしてクーガーとの再戦が見られなかったのは非常に残念である。7歳時の本馬は結局8戦して未勝利だった。

本馬の現役時代における米国競馬界では明確にダートより芝が格下(今でもその傾向は強いが)であり、本馬陣営がダートに後ろ髪を引かれる思いも分からなくはないが、芝で大活躍し、ダートでは実績ほぼ皆無(ダートのステークス競走には8回出走して結局未勝利)だった本馬を芝路線に専念させなかったのは、しつこいかもしれないが、陣営の判断ミスであったと言わざるを得ない。

馬名は南北戦争の時にポトマック川沿いにあった砦の名前である。

血統

Amerigo Nearco Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Nogara Havresac Rabelais
Hors Concours
Catnip Spearmint
Sibola
Sanlinea Precipitation Hurry On Marcovil
Tout Suite
Double Life Bachelor's Double
Saint Joan
Sun Helmet Hyperion Gainsborough
Selene
Point Duty Grand Parade
Pinprick
Key Bridge Princequillo Prince Rose Rose Prince Prince Palatine
Eglantine
Indolence Gay Crusader
Barrier
Cosquilla Papyrus Tracery
Miss Matty
Quick Thought White Eagle
Mindful
Blue Banner War Admiral Man o'War Fair Play
Mahubah
Brushup Sweep
Annette K.
Risque Blue Blue Larkspur Black Servant
Blossom Time
Risque Stimulus
Risky

父アメリゴはネアルコの直子で、現役成績は46戦14勝。欧米を股にかけて走り、コヴェントリーS・サンフアンカピストラーノH・ハイアリアターフC・ニューヨークH・シティオブマイアミH・マジックシティH・オーシャンシティHなどに勝利した。種牡馬としても成功したが、活躍馬が騙馬や牝馬ばかりだったため、後継種牡馬には恵まれなかった。しかし繁殖牝馬の父としてシルヴァーホーク(グラスワンダーの父)を出している。

母キーブリッジは不出走馬だが、繁殖牝馬としては極めて優秀な成績を残した。1972年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選ばれた本馬の半弟キートゥザミント(父グロースターク)【トラヴァーズS・ウッドワードS・ブルックリンH・ホイットニーH・サバーバンH(米GⅠ)・レムセンS・ウィザーズS・エクセルシオールH(米GⅡ)】、半弟キートゥザキングダム(父ボールドルーラー)【スタイミーH(米GⅢ)】、半弟キートゥコンテント(父フォルリ)【ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・サラナクS(米GⅡ)・フォートマーシーH(米GⅢ)】など活躍馬を続出させ、1980年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選出されている。本馬の半妹グライディングバイ(父トムロルフ)の孫には、シルヴァーペイトリアーク【英セントレジャー(英GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】とパピノー【アスコット金杯(英GⅠ)】の兄弟、曾孫にはウットンバセット【ジャンリュックラガルデール賞(仏GⅠ)】、玄孫には日本で走ったフェイトフルウォー【セントライト記念(GⅡ)・京成杯(GⅢ)】がいる。また、本馬の半姉セブンロックス(父ジャシント)と半妹キーリンク(父ボールドルーラー)の牝系子孫は南米で発展しており、複数の活躍馬が出ている。

キーブリッジの母ブルーバナーは現役成績46戦15勝。テストS・フィレンツェH・ディスタフHを勝った名牝。ブルーバナーの母リスクブルーは不出走馬だが、リスクブルーの母リスクはアーリントンラッシーS・アラバマS・アーリントンメイトロンHを勝つなど40戦14勝の成績を挙げた活躍馬。リスクブルーの半姉リスクレイの孫にはハッピームード【エイコーンS】、牝系子孫には1989年の加国三冠馬ウィズアプルーヴァル、1990年の加国三冠馬イズヴェスティア、タッチゴールド【ベルモントS(米GⅠ)・ハスケル招待H(米GⅠ)】などが出ている。→牝系:F2号族③

母父プリンスキロは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のロークビーファームで余生を過ごし、1991年に27歳で他界した。1998年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第86位。

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