アルカング

和名:アルカング

英名:Arcangues

1988年生

栗毛

父:サガス

母:アルベルティヌ

母父:アイリッシュリヴァー

単勝オッズ134.6倍の最低人気という評価を覆して欧州調教馬として史上初のBCクラシック制覇を達成した本邦輸入種牡馬

競走成績:2~6歳時に仏英米で走り通算成績19戦6勝2着2回3着2回

誕生からデビュー前まで

サガスの所有者だった仏国の画商ダニエル・ウィルデンシュタイン氏の馬産団体アレフランスステーブルにより、米国ケンタッキー州クローバリーファームにおいて生産された。ウィルデンシュタイン氏の所有馬として、仏国アンドレ・ファーブル調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳11月にサンクルー競馬場で行われたアダリス賞(T2000m)で、ドミニク・ブフ騎手を鞍上にデビューしたが、19頭立ての最下位に敗れ(勝ったのは後のギョームドルナノ賞勝ち馬グリティ)、2歳時の出走はこれだけだった。

3歳時は6月にロンシャン競馬場で行われたプレカトラン賞(T1700m)から始動。ブフ騎手を鞍上に、2着ミシェルジョルジュに半馬身差で勝利を掴んだ。3週間後には主戦となるティエリ・ジャルネ騎手と共に、ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ・T2000m)に出走。後にドラール賞・ラクープを勝つ同厩馬ウィオルノとのカップリングではあったが、伊グランクリテリム勝ち馬スティーマーダック、グイドベラルデリ賞勝ち馬でクリテリウムドサンクルー3着のフォーチュンズホイール、本馬が最下位だったアダリス賞の勝ち馬グリティなどを抑えて、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。後方でレースを進めた本馬は、直線入り口5番手から末脚を伸ばし、フォーチュンズホイールとの競り合いを3/4馬身差で制して勝利した。

1か月後のギョームドルナノ賞(仏GⅡ・T2000m)では、本格化後にエクリプス賞年度代表馬に選ばれるフォルス賞勝ち馬コタシャーン、ユジェーヌアダム賞で3着だったグリティとの対戦となった。コタシャーンが単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ2.5倍の2番人気となった。当時は先行するレースが多かったコタシャーンとグリティの2頭は前目でレースを進め、本馬は最後方待機策を採った。そして直線に入ると豪快な末脚を繰り出し、先頭争いを演じるコタシャーンとグリティを急追。コタシャーンは短頭差でかわしたが、グリティはかわせずに短首差2着と惜敗した。

次走のニエル賞(仏GⅡ・T2400m)では、パリ大賞勝ち馬で仏ダービー2着のスボティカ、クリテリウムドサンクルー・ノアイユ賞・オカール賞勝ち馬ピストレブルーという2頭のGⅠ競走勝ち馬との顔合わせとなった。ピストレブルーが先行してスボティカが後方からのレースとなったが、本馬は意外にも今回は先行策を選択した。そして2番手で直線に入り、ピストレブルーと競り合いながらゴールを目指したが、ゴール寸前で競り負けたところにスボティカに差され、勝ったスボティカから3/4馬身差の3着に敗れた。

凱旋門賞は荷が重いと判断されたのか、次走はコンセイユドパリ賞(仏GⅡ・T2400m)となった。これといった対戦相手はいなかったのだが、先行して残り300m地点で先頭に立つも最後に失速して、スリーピングカーの2馬身差3着に敗退。3歳時を5戦2勝で終えた。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月のアルクール賞(仏GⅡ・T2000m)から始動した。今回は後方待機策を採ったのだが、直線で末脚が不発に終わり、フォーチュンズホイール、ピストレブルー、グリティなどに後れを取り、フォーチュンズホイールの5馬身差6着に敗れた。

次走のイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)では、前年のクイーンエリザベスⅡ世S勝ち馬セルカーク、エドモンブラン賞・ミュゲ賞を連勝してきた後のジャックルマロワ賞勝ち馬イグジットトゥノーウェア、仏オークス馬カーリーナ、前年のヴェルメイユ賞勝ち馬で凱旋門賞とジャパンCでも2着したマジックナイト、英チャンピオンS勝ち馬テルクウェル、愛国際S・ロンポワン賞・ロジャーズ金杯などの勝ち馬ゾーマンといった、かなり強力なメンバー構成となり、本馬は単勝オッズ13.6倍で8番人気の低評価だった。ここでは先行して3番手で直線に入り、前を行くゾーマンを追撃したが、首差届かずに2着に惜敗した。それでもこのメンバー構成の中でこの結果であれば、十分な出来だった。

続いて英国遠征して、エクリプスS(英GⅠ・T10F7Y)に出走。このレースも前走イスパーン賞に引けを取らない強力な対戦相手が揃っており、愛1000ギニー・コロネーションSの勝ち馬クーヨンガ、ゾーマン、タタソールズ金杯・ブリガディアジェラードSの勝ち馬オペラハウス、チェスターヴァーズの勝ち馬ツイストアンドターン、ジョッキークラブS・ハードウィック2回・プリンセスオブウェールズS・ヨークシャーCとGⅡ競走5勝のロックホッパー、英国際Sの勝ち馬テリモンなどが出走していた。クーヨンガが単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持される一方で、前走の好走が評価された本馬も単勝オッズ6倍の2番人気となり、単勝オッズ6.5倍のゾーマンや単勝オッズ9倍のオペラハウスより評価された。前走でゾーマンを捕らえ切れなかった反省からか、今回はペースメーカー役の馬を見るように2番手を走るという、より積極的な作戦に打って出た。しかしこの作戦は裏目に出て、直線に入ると失速。同競走史上2頭目の牝馬制覇を果たしたクーヨンガから5馬身3/4差の8着に終わった。

秋はプランスドランジュ賞(仏GⅢ・T2000m)に出走。このレースには、前年のBCジュヴェナイル・仏グランクリテリウム・サラマンドル賞・モルニ賞・ロベールパパン賞を制して2歳にしてカルティエ賞年度代表馬に選ばれたアラジも出走していた。3歳時はケンタッキーダービー8着・セントジェームズパレスS5着と不振に陥っていたアラジだったが、さすがに今春まで欧米の競馬界の話題を独占していたワンダーホースだけに、ここでも単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持されていた。本馬は対抗格として単勝オッズ3.3倍の2番人気となった。スタートから本馬は最後方に陣取り、すぐ前を走るアラジを見ながらレースを進めた。直線に入るとアラジがスパートしたが、全盛期の切れが無いアラジを瞬く間に抜き去った本馬が、そのまま後続に6馬身差をつけて圧勝。ゴール前で伏兵プリンスポリーノにも頭差かわされたアラジは3着に終わった。

アラジ相手に圧勝したのが陣営の期待を高めたのか、次走は前年不参加だった凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)となった。しかしこのレースには、英オークス・愛オークス・ヨークシャーオークス・英セントレジャーなど6戦無敗の名牝ユーザーフレンドリー、愛ダービーとキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを圧勝していたセントジョヴァイト、英ダービー・愛チャンピオンS・デューハーストSの勝ち馬ドクターデヴィアス、イスパーン賞7着後にポモーヌ賞・フォワ賞を勝っていたマジックナイト、仏オークス・ヴェルメイユ賞の勝ち馬ジョリファ、この年のガネー賞でGⅠ競走2勝目を挙げていたスボティカ、アーリントンミリオンの勝ち馬ディアドクター、コロネーションCの勝ち馬サドラーズホール、仏ダービー馬ポリテン、ミラノ大賞・バーデン大賞・愛セントレジャーの勝ち馬マシャーラーといった、錚々たる面子が出走していた。本馬は今回も後方待機策を選択し、直線入り口14番手から追い込んできたが、重馬場で切れ味を殺された面もあったのか、スボティカの6馬身3/4差7着に終わった。結局4歳時は5戦1勝の成績だった。

競走生活(5歳時)

5歳時は5月のガネー賞(仏GⅠ・T2100m)から始動した。前年のエクリプスS2着後にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで3着していたオペラハウス、前年の凱旋門賞10着後にジャパンCで3着していたディアドクター、前年の凱旋門賞で3着と健闘していたモーリスドニュイユ賞勝ち馬ヴェールタマンド、伊2000ギニー・ローマ賞の勝ち馬ミシルといった実力馬達が対戦相手となったとはいえ、直線に入っても後方のままヴェールタマンドの13馬身半差7着という結果はさすがに不甲斐なかった。

そのために次走のイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)では、前年に好走したにもかかわらず、単勝オッズ7.6倍の5番人気に留まった。対戦相手の層もそれなりに厚く、英1000ギニー・オペラ賞・EPテイラーSなどの勝ち馬ハトゥーフ、仏2000ギニー馬シャンハイ、ガネー賞で3着だったミシルなどが出走してきた。しかし結果は本馬が2着ミシルに1馬身半差で勝利し、GⅠ競走初勝利を挙げた。

その後は前年と同じく英国に向かい、エクリプスS(英GⅠ・T10F7Y)に出走した。敵はかなり手強く、愛2000ギニー馬バラシア、アクシデントのため英ダービーを惨敗するまでは仏グランクリテリウム・ダンテSなど5戦無敗だったテンビー、ガネー賞2着後にコロネーションCを勝ってきたオペラハウス、2年前の同競走勝ち馬エンヴァイロンメントフレンド、ミシルなどが相手となった。人気はかなり割れており、本馬は4番人気ながら単勝オッズ6.5倍だった。前年に先行して失速した反省からか、今回は最後方を追走して直線勝負に出た。ところが直線で伸びを欠いてしまい、オペラハウスの5馬身3/4差6着と振るわず、前走で負かしたミシル(2着)にも先着を許した。

秋はドラール賞(仏GⅡ・T1800m)から始動した。132ポンドのトップハンデが嫌われたのか、実績的には最上位でありながらも単勝オッズ3倍の2番人気に留まった。単勝オッズ2.4倍の1番人気は、ラクープドメゾンラフィット・ローズオブランカスターS・セレクトSとGⅢ競走3連勝中のナイフボックスだった。そしてその評価は正しかったようで、ナイフボックスが勝利を収め、本馬は10馬身差の4着と大敗してしまった。

BCクラシック

その後は何故か米国に向かい、サンタアニタパーク競馬場で行われたBCクラシック(米GⅠ・D10F)に参戦した。この参戦理由は詳らかではないが、かつて所有馬アレフランスをサンタアニタHに参戦させようと考えて前哨戦として無名の米国ダート競走を選択したウィルデンシュタイン氏にとっては、ダート競走に対する何らかのこだわりがあったのかもしれない(また、彼はブリーダーズカップ委員会のメンバーだった時期もあった)。

このレースでは、パシフィッククラシックSとウッドワードSを連勝してきたこの年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬バートランド(単勝オッズ2.2倍)、ハリウッド金杯・エディリードH・サンアントニオH・マーヴィンルロイH・ベルエアH・メドウランズCHなどの勝ち馬マーケトリー(単勝オッズ2.2倍)、ノーフォークS・ハリウッドフューチュリティ・チャールズHストラブS・サンタアニタH・オークローンH・ハリウッド金杯とGⅠ競走6勝の米国西海岸の雄ベストパル(単勝オッズ2.8倍)、ハスケル招待H勝ち馬でベルモントS・トラヴァーズS2着のキッシンクリス(単勝オッズ7.3倍)、ベルモントS勝ち馬でジョッキークラブ金杯2着のコロニアルアッフェアー(単勝オッズ16.5倍)、最低人気の評価を覆してジョッキークラブ金杯を勝ってきたマイナーズマーク(単勝オッズ20.4倍)、ガルフストリームパークH・ピムリコスペシャルH・サバーバンHなどこの年GⅠ競走3勝のデヴィルヒズデュー(単勝オッズ21.7倍)、ペガサスH勝ち馬ディアゾ(単勝オッズ23.8倍)、ペンシルヴァニアダービー・スーパーダービーを連勝してきたワレンダー(単勝オッズ33.9倍)など、米国ダート路線の実力馬が上位人気を占めていた。欧州調教馬は、前走の英チャンピオンSでハトゥーフの2着してきた英国際S勝ち馬エズードと本馬の2頭が参戦していたが、2頭ともに単勝オッズ100倍以上とまったく評価されていなかった。特に本馬は、初のダート競走、前走の大敗、外枠発走など不安材料が山積しており、最低人気の評価だった。

さらに主戦のジャルネ騎手が渡米できなかったため、本馬陣営は1991年のBCクラシックを初騎乗のブラックタイアフェアーで制したジェリー・ベイリー騎手に急遽本馬の騎乗を依頼した。騎乗依頼を承諾したベイリー騎手だったが、彼は仏語が分からなかったため、ファーブル師や本馬担当の厩務員の話が理解できなかったという。それどころか、スターティングゲートに向かう途中で、騎手仲間のゲイリー・スティーヴンス騎手に「私はこの馬に関する事は何も知りません。馬の名前をどのように発音するのかも分かりません」と語ったという。

スタートが切られると1番人気のバートランドが即座に先頭に立って逃げ、本馬は馬群の中団後方につけた。外枠発走ではあったが、最初のコーナーに入る頃には既にインコースにつけており、ロス無くレースを進めることが出来た。そのまま最終コーナーを回って直線を向くまでインコースで我慢した本馬は、直線に入ると一頭分だけ空いた馬群の隙間から抜け出し、前を行くバートランドを一気にかわすと、そのまま2着バートランドに2馬身差をつけて優勝。欧州調教馬として史上初のBCクラシック勝ち馬という栄冠を手にした。

教科書に載せたくなるようなベイリー騎手の好騎乗だったが、好騎乗に応えるだけの能力を本馬が有していた事もまた事実である。実況がレース終了直後にブリーダーズカップ史上最大の番狂わせですと言ったとおり、本馬の単勝オッズ134.6倍は現在においてもブリーダーズカップ史上最高配当記録である(ちなみに、2着複勝オッズは27.2倍、3着複勝オッズは9.1倍だった)。また、ベイリー騎手は翌1994年にコンサーン、1995年にシガーでBCクラシックを制して同競走3連覇を果たし、2005年にセイントリアムで勝利した事で、クリス・マッキャロン騎手と並ぶBCクラシック最多タイの5勝を挙げる事になる。

BCクラシックの後に本馬は仏国バフ牧場で種牡馬入りする予定だったが、急遽予定を変更し、ファーブル厩舎から米国リチャード・E・マンデラ厩舎に転厩し、カリフォルニア州で競走生活を続ける事になった。5歳時の成績は5戦2勝だった。

競走生活(6歳時)

6歳時は再び芝のレースに戻り、まずは5月のジョンヘンリーH(米GⅡ・T9F)に、エディ・デラフーセイ騎手とコンビを組んで出走。このレースではやはり米国に移籍していたミシルと相見えた。結果は単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された本馬が、好位から直線入り口で先頭に立って押し切り、2着ミシルに半馬身差で勝利した。

次走のハリウッドターフH(米GⅠ・T10F)では、前年のBCターフでコタシャーンの2着した後に、サンルイレイS・サンフアンカピストラーノ招待Hを勝ってきたビエンビエン、ミシル、サンフアンカピストラーノ招待H2着馬グランドフロティラなどとの対戦となった。ビエンビエンが単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、デラフーセイ騎手騎乗の本馬は単勝オッズ3.7倍の2番人気となった。ここではスタート直後に先頭に立ち、道中は2番手に下げてレースを進めた。しかし四角で後続馬勢に飲み込まれ、グランドフロティラの9馬身1/4差5着に敗れた。

その後は再びダート競走に矛先を向け、ハリウッド金杯(米GⅠ・D10F)に、ベイリー騎手と2度目のコンビを組んで出走。オークローンH・カリフォルニアンSを連勝してきたこの年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬ザウィキッドノース(単勝オッズ1.6倍)に次ぐ2番人気(単勝オッズ3.4倍)に推された。しかしスタートからゴールまで1度も最後方を脱する事が出来ずに、スルーオブダマスカスの10馬身3/4差5着最下位と惨敗。前年のBCクラシックの再現は成らず、これを最後に6歳時3戦未勝利で引退した。

馬名は仏国南西部のアキテーヌ地域圏ピレネー・アトランティック県にあるアルカング村に由来する。

血統

Sagace Luthier Klairon Clarion Djebel
Columba
Kalmia Kantar
Sweet Lavender
Flute Enchantee Cranach Coronach
Reine Isaure
Montagnana Brantome
Mauretania
Seneca Chaparral Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Niccolina Niccolo Dell'Arca
Light Sentence
Schönbrunn Pantheon Borealis
Palazzo
Scheherezade Ticino
Schwarzblaurot
Albertine Irish River Riverman Never Bend Nasrullah
Lalun
River Lady Prince John
Nile Lily
Irish Star Klairon Clarion
Kalmia
Botany Bay East Side
Black Brook
Almyre Wild Risk Rialto Rabelais
La Grelee
Wild Violet Blandford
Wood Violet
Ad Gloriam Alizier Teleferique
Alizarine
Ad Altiora Labrador
Ultima Ratio

サガスは当馬の項を参照。

母アルベルティヌは現役成績7戦2勝、オペラ賞(仏GⅡ)で2着している。繁殖牝馬としては17頭の子を産み、うち15頭が競走馬となり、うち10頭が勝ち上がるという優秀な成績を収めた。3番子である本馬以外の主な産駒には、本馬の半妹アガセ(父マニラ)【プシシェ賞(仏GⅢ)・2着仏1000ギニー(仏GⅠ)】がいる。アルベルティヌの孫には、本馬の全姉アフリクブルーアズールの子であるケープヴェルディ【英1000ギニー(英GⅠ)・ロウザーS(英GⅡ)】、アガセの子であるアクワレリスト【仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)・フォワ賞(仏GⅡ)・エクスビュリ賞(仏GⅢ)】とアルティストロワイヤル【クレメントLハーシュ記念ターフCSS(米GⅠ)・チャールズウィッテンガム記念H(米GⅠ)・サンマルコスS(米GⅡ)】の姉弟、本馬の半妹アニエール(父スペンドアバック)の子であるオーストラリー【フロール賞(仏GⅢ)】、本馬の半妹アンジュブルー(父アレッジド)の子であるアクトリス【コリーダ賞(仏GⅡ)】とアンガラ【ビヴァリーDS(米GⅠ)・ダイアナH(米GⅠ)・ビウィッチS(米GⅢ)】の姉妹、本馬の半妹アルタナ(父マウンテンキャット)の子であるガラテ【ブルーウインドS(愛GⅢ)】と、活躍馬が多数いる。このように優れた名牝系を構築したアルベルティヌは2006年に繁殖牝馬を引退した後も米国ケンタッキー州スリーチムニーズファームで悠々自適の余生を送り、2013年2月に32歳の高齢で大往生している。→牝系:F8号族①

母父アイリッシュリヴァーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は仏国で種牡馬入りする予定だったが、有限会社中村畜産の中村和夫氏により購入されたため、日本に輸入されて中村畜産で種牡馬入りした。初年度は79頭、2年目も76頭の繁殖牝馬を集めた。3年目は54頭、4年目は58頭と交配数が減少したが、初年度産駒の1頭ハイテンションパルが地方競馬で活躍したため、5年目の1999年は82頭と自身最多の繁殖牝馬を集めた。しかし6年目は24頭、7年目は7頭まで交配数が下落。それでも種牡馬生活8年目の2002年に代表産駒アルアランが活躍したため、同年は47頭、翌年は27頭と交配数はやや回復した。しかし10年目の2004年は9頭まで交配数が減少。この年の繁殖シーズン終了後に青森県に移動して種牡馬生活を続けたが、11年目は7頭、12年目の2006年は4頭と交配数は回復しなかった。そしてこの2006年の春に蹄葉炎を発症したために種牡馬を引退。同年10月に蹄葉炎に伴う合併症のために18歳で安楽死の措置が執られた。しかしこの事実を日本中央競馬会が明らかにしたのが2009年3月だったこともあり、本当は屠殺されたのではないかという噂が囁かれた。日本では264頭の産駒を出したが、そのうち競走馬としてデビューしたのは94頭で、勝ち星を挙げたのは23頭だった。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1996

アルアラン

オグリキャップ記念(GⅡ)・ブリーダーズゴールドC(GⅡ)

1996

ハイテンションパル

新潟ジュニアC(新潟)・東北サラブレッド三歳チャンピオン(水沢)・新潟皐月賞(新潟)・新潟ダービー(新潟)・若草賞(新潟)・新世紀盃(南関GⅢ)

1996

マルチドラゴン

高知優駿(高知)

1999

キーホーク

園田チャレンジC(園田)

2000

エンシェント

東海金杯(SPⅠ)・ジュニアクラウン(SPⅡ)

2002

モエレエトワール

赤レンガ記念(H2)

2004

モエロアルカング

福山ダービー(福山)

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