和名:ゲイムリー |
英名:Gamely |
1964年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:ボールドルーラー |
母:ガンベッタ |
母父:マイバブー |
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ベルデイムS2連覇など牝馬限定戦で実力を大いに発揮し3年連続の米国牝馬チャンピオンに選ばれるも僅か2頭の産駒を残して夭折する |
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競走成績:3~5歳時に米で走り通算成績41戦16勝2着9回3着6回 |
誕生からデビュー前まで
米国競馬史に名を残す大種牡馬ボールドルーラーの牡馬の代表産駒がセクレタリアトなら、牝馬の代表産駒は本馬で決まりだろう。米国ケンタッキー州クレイボーンファームの生産馬で、1960年からクレイボーンファームの代表者アーサー・ハンコックⅡ世氏と協力関係を結んでいたウィリアム・ハギン・ペリー氏(名馬サルヴェイターが誕生したカリフォルニア州ランチョデルパソやヴァージニア州ウォーターフォードファームで馬産を行っていた)の所有馬となり、米国の名伯楽ジェームズ・W・マロニー調教師に預けられた。馬名はペリー氏の馬産団体である「ザ・ゲイムリー・コーポレーション」に由来する。
幼少期から鼻梁の高さが印象的な馬だったが、鼻だけでなく身長も高く、体高は牝馬としてはかなり大柄な16.2ハンドに達した。マロニー師は、本馬は体格が大きすぎるので、ロングフェロー(2歳時は不出走)やローズベン(2歳時は1戦未勝利)といった巨漢馬として知られた古の名馬などと同様に、脚の骨が固まるまでは無闇にレースに出すべきではないと判断し、デビューは3歳になってからだった。本馬が毎年のように米国西海岸と東海岸を行き来しながら休み無くレースに出走し続けたにも関わらず、故障とは無縁の競走生活を送ることが出来たのは、おそらくマロニー師のこの判断のおかげである。
競走生活(3歳時)
3歳2月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦で、名手ウィリアム・シューメーカー騎手を鞍上にデビュー。ここでは勝ち馬ポーンキャリーから3馬身半差の2着だった。2週間後のサンタアニタパーク競馬場ダート8.5ハロンの未勝利戦を、2着スクープタイムに首差で勝ち上がった。その後はしばらくレースに出ず、5月にハリウッドパーク競馬場で行われたグースガールS(D6F)に出走したが、後のデルマーオークス勝ち馬フォーギヴィングの1馬身3/4差5着に敗退。続くレイルバードS(D7F)もフォーギヴィングの1馬身半差2着に敗れた。6月のハネムーンS(D8F)では、スピニングアラウンドの2馬身3/4差5着に敗退。ハリウッドパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走では、前走ハネムーンSで2着だったアメリゴレディの2馬身半差4着と、敗戦が続いた。
しかし7月のプリンセスS(D8.5F)では、2着フォーギヴィングに2馬身1/4差をつけて、ステークス競走初勝利を挙げた。次走のハリウッドオークス(D9F)では、アメリゴレディの半馬身差2着だったが、3着だった後の好敵手プリンセスネシアン(シアトルスルーの祖父ボールドネシアンの半妹)には先着した。
この後は米国東海岸に移動。まずは分割競走となったテストS(D7F)に出走。2着ワゲコを6馬身ちぎって、1分21秒8のコースレコード勝ちを収めた。続くアラバマS(D10F)では、分割競走テストSのもう一方の勝ち馬トレチャラスとの対戦となったが、トレチャラスを2馬身差の2着に退けて勝利した。しかし続くガゼルH(D9F)ではスイートフォリーの3馬身1/4差4着に終わり、トレチャラス(2着)にも先着を許した。次走のベルデイムS(D9F)では、5歳牝馬マックススパークラーの2馬身3/4差3着に敗退。新設競走マッチメイカーS(D9.5F)では、モリーピッチャーH・マスケットHを勝っていた4歳牝馬ポライトリー(本邦輸入種牡馬ノーザリーの母)、ハリウッドオークス・レディーズH・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・ベッドオローゼズH2回・シープスヘッドベイH・フィレンツェH・オーキッドH・トップフライトH・デラウェアHを勝っていた5歳牝馬ストレートディール(この年の米最優秀ハンデ牝馬)との接戦に敗れて、ポライトリーの3/4馬身差3着だった。ヴァインランドH(D9F)でもストレートディールとポライトリーの2頭に屈して、ストレートディールの3馬身1/4差3着に敗退。3戦連続して古馬相手に敗れて3歳シーズンを終えた。
3歳時は14戦4勝の成績だったが、この年の3歳牝馬路線は中核馬が不在であり、カゼルH・レディーズHの勝ち馬スイートフォリーを抑えて、エイコーンS・マザーグースSの勝ち馬ファールセイルと共に米最優秀3歳牝馬に選出された。
競走生活(4歳時)
4歳時は米国西海岸に戻り、1月にサンタアニタパーク競馬場で行われたサンタモニカH(D7F)から始動。このレースでは、アメリゴレディ、アメリゴズファンシーのアメリゴ牝駒2頭に屈して、アメリゴレディの3馬身差3着だった。続くサンタマリアH(D8.5F)では、2着プリンセスネシアンに3/4馬身差で勝利。次走のサンタマルガリータH(D9F)では、プリンセスネシアンを鼻差の2着に、アメリゴレディを3着に抑えて勝利した。分割競走となったサンタバーバラH(T10F)では、初芝と128ポンドの斤量が堪えたのか、アメリゴズファンシーの1馬身半差2着に敗退(ただし、マザーグースS・CCAオークスを勝っていた1歳年上の米最優秀3歳牝馬レディピットには先着した)。次走のサンバーナーディノH(T9F)は牡馬相手の競走であり、ティルテーブル、モデルフール(ダイナアクトレスの母父)の2頭の牡馬に敗れて、ティルテーブルの3馬身1/4差3着に終わった(ただし同競走で牝馬が入着したのは1959年に3着したケンタッキーオークス馬バグブラッシュ以来史上2度目で、本馬以降には1例も無い)。
その後はハリウッドパーク競馬場に向かい、主戦となるW・ハリス騎手と初コンビを組んでウィルシャーH(D7F)に出走。前年の同競走を勝っていたロマンチシズム(本馬と同じくクレイボーンファームの生産馬で所有者も同じペリー氏だった)を3馬身半差の2着に破って快勝した。
次走は牡馬相手のカリフォルニアンS(D8.5F)となった。サンフェリペS・パロスヴェルデスH・サンアントニオH・ロサンゼルスHを勝っていた西海岸トップクラスの牡馬ライジングマーケットの姿もあったが、もう1頭、米国東海岸から遠征してきた超強豪牡馬の姿があった。カウディンS・ゴーサムS・ウィザーズS・アーリントンクラシックS・ホーソーン金杯H・ヴォスバーグSなどを勝っていたその馬の名前はドクターファーガーだった。レースは全盛期を迎えつつあったドクターファーガーが130ポンドを背負いながらも勝利を収め、本馬は14ポンドの斤量差を利して食い下がったが、相手が悪すぎて3馬身差の2着に敗れた。ドクターファーガーがいなければ、本馬は同競走史上初の牝馬制覇を果たせていたわけだが、それでもカリフォルニアンSにおいて牝馬が2着以内に入った例は2015年現在でもこの1回限りであるから、負けてもなお賞賛されるべきであろう。
次走のイングルウッドH(D9F)には、東海岸に戻ったドクターファーガーの姿は無く、前走3着のライジングマーケットが強敵だった。しかし本馬がライジングマーケットとの接戦を制して鼻差で勝利した。次走は牝馬限定競走のヴァニティH(D9F)となったが、牡馬相手の競走で活躍していた本馬には131ポンドという厳しい斤量が課せられた。しかし1分47秒6のレースレコードを計時した本馬が、サンタバーバラH・ミレイディHなどを勝ってきたプリンセスネシアンを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。プリンセスネシアンだけでなく3着馬デザートロウもペリー氏の所有馬であり、上位3頭をペリー氏の所有馬が制圧した。
次走のハリウッド金杯(D10F)では、1952年のトゥーリー以来16年ぶり史上3頭目の牝馬制覇が期待された。しかし、イングルウッドH・サンルイレイSなどの勝ち馬クイックンツリー以下を撃破して同競走3頭目の牝馬制覇を果たしたのはプリンセスネシアンであり、本馬は2馬身3/4差の7着に終わった。
その後は米国東海岸に向かい、サラトガ競馬場ダート8ハロンのハンデ競走に出走。132ポンドを背負わされながらも、2着グリーングレイドに半馬身差で勝利した。次走のダイアナH(D9F)も130ポンドの斤量ながら、2位入線のグリーングレイドに首差をつけてトップゴールしたが、グリーングレイドの進路を妨害した咎で2着に降着となった。
次走のベルデイムS(D9F)では定量戦となった事もあって積極的に先行し、そのまま後続の追撃を封じて、2着ポライトリーと3着アメリゴレディとの大接戦を鼻差で制して勝利した。その後に出走したガーデンステート競馬場ダート8.5ハロンの一般競走では、ビッグロックキャンディの3馬身差4着に敗退。これが4歳時最後のレースになったが、この年14戦7勝の成績で、ハリウッド金杯の勝ち馬プリンセスネシアンや、モリーピッチャーH・デラウェアH・マッチメイカーS・レディーズHなどを制したポライトリーを抑えて米最優秀ハンデ牝馬に選出された。
競走生活(5歳時)
翌5歳時はやはり米国西海岸のサンタアニタパーク競馬場から始動。初戦のサンタモニカH(D7F)では127ポンドを背負いながらも、2着タイムトゥリーブに3/4馬身差で勝利した。続くサンパスカルH(D8.5F)では、前年の同競走勝ち馬だった牡馬キングスフェイヴァーの7馬身半差6着に敗退。次走のサンタアニタH(D10F)では、前年のハリウッド金杯3着後に、名馬ダマスカスの最後のレースとなったジョッキークラブ金杯や、デルマーH・マンハッタンH・サンルイオビスポHを勝っていたクイックンツリー、アーカンソーダービー・ミシガンマイル&ワンエイスH・ホーソーン金杯Hを勝っていたノーダブルなどが対戦相手となった。結果はこの年の米最優秀ハンデ牡馬に選ばれるノーダブルが勝利を収め、本馬は1馬身半差の2着に敗れた。しかしノーダブルと本馬の斤量は同じであり、もう少し適正な斤量設定であれば本馬が勝っていたかもしれない。ちなみにサンタアニタHで牝馬が2着した例は、他に1951年のネクストムーヴ、2004年のアイランドファッションの2例があるのみである(牝馬が勝った事例は無い)。
次走はサンタバーバラH(T10F)となったが、129ポンドの酷量に加えて、やはり芝は不得手だったのか、アメリカンH・ビヴァリーヒルズHを勝っていたピンクピジョン、デザートロウの2頭に屈して、ピンクピジョンの9馬身半差3着に敗れた。次走のウィルシャーH(D7F)では128ポンドを背負いながらも、2着タイムトゥリーブに3/4馬身差で勝利を収めて2連覇を達成。しかし前年2着の雪辱を期して出走したカリフォルニアンS(D8.5F)では、ノーダブル、ライジングマーケットなどに屈して、ノーダブルの7馬身1/4差8着と大敗した。連覇を狙って出走したイングルウッドH(D9F)では、ライジングマーケットの4馬身差4着に敗退。同じく連覇を狙って出走したヴァニティH(D9F)では128ポンドを課せられ、デザートロウの1馬身半差2着に敗れた(アメリゴレディが3着だった)。
しかし3年連続で東海岸に向かうと調子を取り戻し、サラトガ競馬場ダート8ハロンの一般競走を2着プリヴェイリングに2馬身半差で勝利。次走のダイアナH(D9F)では127ポンドを背負っての出走だったが、後に悲劇の名牝ゴーフォーワンドの母となるオベアを2馬身半差の2着に、アメリゴレディを3着に破って勝利した。
次走のベルデイムS(D9F)では、エイコーンS・マザーグースS・CCAオークス・アラバマS・フリゼットS・セリマSを勝っていた同年のニューヨーク牝馬三冠馬シュヴィーが本馬に挑戦状を叩きつけてきた。しかしレースでは本馬が2歳年下の歴史的名牝に世の中の厳しさを教えるかのごとき走りを見せ、2着アメリゴレディに3馬身差、3着シュヴィーにさらに3馬身半差をつけて完勝を収め、1941年のフェアリーチャント以来28年ぶり史上2頭目となる同競走の2連覇を果たした(1950・52年にネクストムーヴが勝っているから、同競走2勝馬は史上3頭目になる)。
次走のマッチメイカーS(D9.5F)では、シュヴィーに代わって、メイトロンS・モンマスオークス・デラウェアオークス・ガゼルHなどを勝っていたギャラントブルームというやはり2歳年下の歴史的名牝が挑んできた。しかし当時8連勝中と絶好調だったギャラントブルームがその勢いそのままに圧勝を収め、本馬は7馬身差をつけられて2着に敗れた。それでも、ブラックアイドスーザンS・モリーピッチャーH・マスケットHを勝っていたシンギングレイン(3着)には先着した。
次走のヴォスバーグH(D7F)では、ベルデイムSから直行してきたシュヴィーに加えて、シュヴィー、ギャラントブルームに続く3頭目となる2歳年下の歴史的名牝が本馬に挑んできた。プライオレスS・カムリーS・テストS・フォールハイウェイトHを勝っていたその馬の名前はタウィーといい、ドクターファーガーの2歳年下の半妹だった。結果は同年の米最優秀短距離馬に選ばれるタウィーが、2着同着だったプラッキーラッキーとライジングマーケットとの大接戦を頭差で制して勝利を収め、シュヴィーは1馬身3/4差の6着、本馬はシュヴィーからさらに3/4馬身差の8着に敗れた。これが現役最後のレースとなった。シーズン最後は世代交代を印象付ける結果とはなったが、この年13戦5勝の成績で、ギャラントブルームと共に米最優秀ハンデ牝馬に選出された。
血統
Bold Ruler | Nasrullah | Nearco | Pharos | Phalaris |
Scapa Flow | ||||
Nogara | Havresac | |||
Catnip | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | Blandford | ||
Malva | ||||
Mumtaz Mahal | The Tetrarch | |||
Lady Josephine | ||||
Miss Disco | Discovery | Display | Fair Play | |
Cicuta | ||||
Ariadne | Light Brigade | |||
Adrienne | ||||
Outdone | Pompey | Sun Briar | ||
Cleopatra | ||||
Sweep Out | Sweep On | |||
Dugout | ||||
Gambetta | My Babu | Djebel | Tourbillon | Ksar |
Durban | ||||
Loika | Gay Crusader | |||
Coeur a Coeur | ||||
Perfume | Badruddin | Blandford | ||
Mumtaz Mahal | ||||
Lavendula | Pharos | |||
Sweet Lavender | ||||
Rough Shod | Gold Bridge | Golden Boss | The Boss | |
Golden Hen | ||||
Flying Diadem | Diadumenos | |||
Flying Bridge | ||||
Dalmary | Blandford | Swynford | ||
Blanche | ||||
Simons Shoes | Simon Square | |||
Goody Two-Shoes |
父ボールドルーラーは当馬の項を参照。
母ガンベッタは米で走り現役成績12戦6勝、デビュータントS・スーザンSの勝ち馬。繁殖牝馬としては一大牝系を形成しており、本馬の半姉スタレッタ(父ダークスター)【ミスウッドフォードS】の孫にアステロイドフィールド【メイトリアーク招待S(米GⅠ)・チャレンジS(英GⅡ)】、牝系子孫にスイートリーズン【スピナウェイS(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)・テストS(米GⅠ)】が、半姉ゾナー(父ナスルーラ)の子にドラムトップ【ニューヨークH・エッジミアH2回・加国際CSS・パームビーチS・ハイアリアターフカップH・ボーリンググリーンH】、テイクユアプレイス【オブザーヴァー金杯(英GⅠ)】、孫に種牡馬トップサイダー、ヴィクトリーゾーン【ハリウッドダービー(米GⅠ)】、曾孫に日本で走ったエリモターン【京都大障害春】が、半姉アフォニア(父ダンス)の子に種牡馬カットラス、曾孫に日本で走ったテレグノシス【NHKマイルC(GⅠ)・京王杯スプリングC(GⅡ)・毎日王冠(GⅡ)】がいる。
ガンベッタの母ラフショッドは世界有数の名牝系の祖として知られる。ラフショッドの直子にも、ガンベッタの半弟ライダン(父ナンタラー)【フロリダダービー・ブルーグラスS・アーリントンクラシックS・パームビーチS】、半弟ルーテナントスティーヴンス(父ナンタラー)【サラナクH・パームビーチS・ジョンBキャンベルH】、1965年に2歳牝馬として米国競馬史上唯一の米年度代表馬に選ばれた半妹モカシン(父ナンタラー)【スピナウェイS・メイトロンS・アルキビアデスS・セリマS・テストS】などの活躍馬がおり、モカシンの牝系子孫にもアパラチー【オブザーヴァー金杯(英GⅠ)】、ヘイルアトランティス【サンタアニタオークス(米GⅠ)】、バンディニ【ブルーグラスS(米GⅠ)】などの活躍馬がいるのだが、何と言ってもガンベッタやモカシン達の妹ソング(父ナンタラー)の牝系子孫の発展ぶりが凄まじい。主だった馬を挙げると、サッチ【ジュライC(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅡ)】、世界的大種牡馬ヌレイエフ、欧州に君臨した大種牡馬サドラーズウェルズ【愛2000ギニー(愛GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、仏首位種牡馬フェアリーキング、日本で種牡馬として活躍したジェイドロバリー【仏グランクリテリウム(仏GⅠ)】、日本の星エルコンドルパサー【NHKマイルC(GⅠ)・ジャパンC(GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・2着凱旋門賞(仏GⅠ)】、エイジアンウインズ【ヴィクトリアマイル(GⅠ)】、ブレイム【BCクラシック(米GⅠ)・スティーヴンフォスターH(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)】といったあたりである。→牝系:F5号族①
母父マイバブーは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のクレイボーンファームで繁殖入りした。7歳時に産んだ初子の牡駒セリーニ(父ラウンドテーブル)が1973年のデューハーストS(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅡ)を勝利する活躍を見せた。しかし1975年、2番子の牝駒ギャンブリング(父ラウンドテーブル)を出産した5日後に本馬は胃破裂のため11歳の若さで急死し、遺体はクレイボーンファームに埋葬された。翌1976年、ハリウッドパーク競馬場で開催されていたロングビーチHが「ゲイムリーH」に改称された(現在の名称はゲイムリーSで、GⅠ競走として施行されている)。1980年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第87位。
本馬の牝系子孫は、何しろ牝駒がギャンブリングの1頭だけなので、あまり発展していないが、ギャンブリングの玄孫フォーインワンが福山ダービー・福山王冠勝ちなど広島県福山競馬のトップホースとして活躍するなど、今世紀も何とか牝系を維持している。