ベーリング

和名:ベーリング

英名:Bering

1983年生

栗毛

父:アークティックターン

母:ボーン

母父:リファール

見事な末脚を繰り出して仏ダービーを驚異的レコードで優勝し、凱旋門賞でダンシングブレーヴと対決するが自身を上回る相手の豪脚に屈する

競走成績:2・3歳時に仏で走り通算成績7戦5勝2着1回3着1回

誕生からデビュー前まで

調教師として本馬の母父リファールなどを手掛けたアレック・ヘッド氏が馬産家として生産した代表産駒で、ヘッド氏の所有する仏国ノルマンディーのケスネー牧場で誕生した(実際に産まれたのは英国であるとする資料もある。ヘッド氏は仏国外でも馬産活動を行っていたから、その可能性も確かにある)。ヘッド氏の妻ギュレーヌ夫人の名義として、世界で最も成功した女性調教師である娘のクリスティアーヌ・“クリケット”・ヘッド・マーレク師の管理馬となった。

競走生活(3歳前半まで)

2歳10月にロンシャン競馬場で行われたカンビス賞(T1600m)で、ヘッド氏の息子でマーレク師の兄であるフレデリック・ヘッド騎手を鞍上にデビューしたが、シャープチョイスの3着に敗退。その1か月後にメゾンラフィット競馬場で出走したミューセ賞(T1700m)で、2着エンガルフ以下を抑えて勝ち上がったが、2歳時は2戦1勝の成績に終わった。

3歳時はヘッド騎手に代わってゲイリー・ムーア騎手を主戦に迎えた。まずは4月のノアイユ賞(仏GⅡ・T2200m)に出走すると、2着となったヴェルダン賞の勝ち馬ポインダルトワに8馬身差をつけて圧勝した。翌月のオカール賞(仏GⅡ・T2400m)も、2着ポインダルトワに2馬身差で勝利した。

次走は6月の仏ダービー(仏GⅠ・T2400m)となった。仏ダービーの重要な前哨戦を続けて完勝した事に加えて、仏2000ギニー・リュパン賞・クリテリウムドサンクルー・フォンテーヌブロー賞を無敗で制した強敵ファストトパーズが故障で回避した影響もあって、本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。主な対戦相手は、ウィリアムヒルフューチュリティS・チェシャムSの勝ち馬でデューハーストS2着のバカロフ、仏2000ギニー・ジャンプラ賞3着馬アールフランセなどで、バカロフが対抗馬として単勝オッズ4.5倍の2番人気となっていた。スタートが切られると、アールフランセがハイペースで先頭を飛ばし、一時は後続に10馬身ほどの差をつける大逃げを打った。本馬は4番手辺りを楽に追走していた。直線に入ると失速したアールフランセをかわしてプラディエが先頭に立ったが、3番手で直線に入ってきた本馬が残り400m地点で悠々とプラディエを抜き去った。そして最後は2着アルタヤン(後にこの年のモーリスドニュイユ賞・コンセイユドパリ賞を勝っている)に1馬身半差、3着バカロフにはさらに3馬身差をつけて完勝。

勝ちタイム2分24秒1は、1979年にトップヴィルが計時した仏ダービーのレースレコード2分25秒3を1秒2更新したばかりか、60年間も破られていなかったコースレコードをも更新(本馬の訃報を伝える2011年12月20日付け米ブラッドホース誌の記事による。ただし以前のレコードタイムの詳細については触れられていない)する素晴らしいものだった。

このレースで本馬が繰り出した豪脚は、ニュー・サンデー・タイムズ紙で“a storming run”と評されたほど素晴らしいものだった。この衝撃的な走りにより、この時点で本馬は凱旋門賞の前売りオッズで単勝5倍の1番人気となった。なお、この仏ダービーレコードは、仏ダービーの距離が2005年に2100mに短縮されるまで、遂に破られる事は無かった。2着に敗れたアルタヤンの所有者アガ・カーンⅣ世殿下は、この年の英ダービーをシャーラスタニ(後に愛ダービーも勝利)で勝っており、この仏ダービーを勝っていれば1982年のロバート・サングスター氏(英ダービーをゴールデンフリースで、仏ダービーと愛ダービーをアサートで勝利)に次ぐ史上2人目の“Derby hat-trick”を達成できたのだが、本馬の強さの前に阻止された。

競走生活(3歳後半)

仏ダービー後は愛ダービーへ向かうという意見と、凱旋門賞を目指して休養するという意見の両方が出たが、マーレク師は後者を選択。次走は凱旋門賞の前哨戦ニエル賞(仏GⅡ・T2400m)となった。このレースを2着マラキムに2馬身半差で難なく制した本馬は、本番の凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かった。しかし本番の時点で本馬は1番人気ではなくなっていた。単勝オッズ2.1倍の1番人気となっていたのは、英ダービーこそ2着に敗れるも英2000ギニー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・クレイヴンS・セレクトSを勝利して欧州最強の座に上り詰めていたダンシングブレーヴだった。ダンシングブレーヴの他にも、独ダービー・アラルポカル2回・サンクルー大賞・ベルリン大賞・バーデン大賞・ヘルティー国際大賞・ウニオンレネン・メルセデスベンツ大賞など12連勝中だった独国最強馬アカテナンゴ、英ダービーでダンシングブレーヴを破って勝ち、さらに愛ダービーを8馬身差で圧勝していたシャーラスタニ、英国際S・プリンセスオブウェールズS・カンバーランドロッジS・セントサイモンSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のシャーダリ、ヴェルメイユ賞を5馬身差で勝ってきたプシシェ賞の勝ち馬ダララ、ハードウィックS・セプテンバーSの勝ち馬ディヒスタン、コロネーションC・モーリスドニュイユ賞・アルクール賞の勝ち馬でサンクルー大賞2着のサンテステフ、ロワイヤルオーク賞・ロワイヤリュー賞・フォワ賞の勝ち馬でガネー賞2着のマージー、愛2000ギニー・マルセルブサック賞・ラクープの勝ち馬で英オークス・コロネーションC・エクリプスS・英国際S2着のトリプティク、ドラール賞・リス賞の勝ち馬イアデス、ドーヴィル大賞・エドヴィル賞の勝ち馬でオイロパ賞2着のベイビーターク、ブランドフォードS2連覇のネメイン、南米のチリから挑戦してきたラスオークスの勝ち馬マリアフマタ、欧州に遠征してきてこれが10戦目だった東京優駿の勝ち馬シリウスシンボリなども参戦しており、国際色豊かでハイレベルなメンバー構成となった。

レースではダララやベイビータークが先頭を引っ張り、本馬は馬群の中団後方、ダンシングブレーヴはさらに本馬の後方につけた。そのまま直線に入ると、シャーダリ、ダララ、シャーラスタニ、トリプティクなどが馬群の中から抜け出してきたが、外側から追い込んできた本馬がそれらをまとめてかわそうとした。しかし次の瞬間、本馬のさらに外側からダンシングブレーヴが突っ込んできて、残り100m地点で本馬を抜き去っていった。本馬は内側の馬達を全て差し切ったものの、コースレコードで勝利したダンシングブレーヴの1馬身半差2着に敗退した(本馬から半馬身差の3着にトリプティクが入り、さらに短頭差の4着がシャーラスタニだった)。ダンシングブレーヴの豪脚は、“a storming run”と評された本馬の豪脚が霞んでしまうほどのものであり、同じ年に生まれたのが不運だったと言わざるを得ない。このレースを最後に3歳時5戦4勝の成績で引退した。

最後の大一番で敗れてしまった本馬だが、勝ったダンシングブレーヴの評価が非常に高いだけに、その2着に入った本馬の評価もかなり高いものとなっており、英タイムフォーム社のレーティングでは136ポンドの数値がつき、135ポンドのシャーラスタニより高かった(国際クラシフィケーションではシャーラスタニと同じ134ポンド)。なお、本馬を管理したマーレク師は、この年の仏首位調教師となっている。

血統

Arctic Tern Sea-Bird Dan Cupid Native Dancer Polynesian
Geisha
Vixenette Sickle
Lady Reynard
Sicalade Sicambre Prince Bio
Sif
Marmelade Maurepas
Couleur
Bubbling Beauty Hasty Road Roman Sir Gallahad
Buckup
Traffic Court Discovery
Traffic
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose 
Beaune Lyphard Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Goofed Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Barra Formor
La Favorite
Barbra Le Fabuleux Wild Risk Rialto
Wild Violet
Anguar Verso
La Rochelle
Biobelle Cernobbio Prince Bio
Ceruleine
La Beloli Domenico Ghirlandaio
Alibranda

父アークティックターンは20世紀欧州最強馬と言われたシーバードの産駒で、現役成績は20戦4勝。ガネー賞(仏GⅠ)・トーマブリョン賞(仏GⅢ)・フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)を勝ち、リュパン賞(仏GⅠ)・ニエル賞(仏GⅢ)・フォワ賞(仏GⅢ)でユースの2着、エクリプスS(英GⅠ)で3着などがある。アークティックターンの祖母はアルマームードなので、ノーザンダンサーヘイローとは従兄弟になる。種牡馬としては本馬の活躍により、1986年の仏首位種牡馬となっている。

母ボーンは現役成績12戦4勝、仏1000ギニー(仏GⅠ)・サンタラリ賞(仏GⅠ)・オペラ賞(仏GⅡ)で2着している。ボーンの産駒には本馬以外に目立つ馬はいない。ボーンの半弟にバリントン(父シキオス)【ヴィシー大賞(仏GⅢ)】が、ボーンの半妹ビブリア(父グリーンダンサー)の孫にサンクチュエール【セレブレーションチェイス(英GⅠ)】が、ボーンの半妹バナナピール(父グリーンダンサー)の孫にバラケリ【キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)】、曾孫にバイエル【セクレタリアトS(米GⅠ)】が、ボーンの半妹ベストチョイス(父レインボークエスト)の子にバルタザール【バルブヴィル賞(仏GⅢ)】が、ボーンの半妹で日本に繁殖牝馬として輸入されたシャラニヤ(父レインボークエスト)の孫にアルドラ【北日本新聞杯・サラブレッド大賞典】がいる。ボーンの母バルブラの半兄にはボージャンシー【ミラノ大賞・トーマブリョン賞・オカール賞】、全兄にはブルボン【ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・オカール賞(仏GⅡ)】がおり、牝系としてはまずまずである。→牝系:F7号族①

母父リファールは当馬の項を参照。本馬の好敵手ダンシングブレーヴや、そのダンシングブレーヴをBCターフで下した米国芝王者マニラの父でもあり、本馬を含む3頭が活躍した1986年はリファールの当たり年だった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国に渡り、ケンタッキー州のウォルマック国際ファームで種牡馬入りした(所有者のヘッド氏は欧州だけでなく米国でも馬産活動を行っていた)。初年度の種付け料は7万5千ドルで、かなりの高額だった。1992年に仏国に戻り、生まれ故郷のケスネー牧場で種牡馬生活を続けた。本馬は種牡馬としても77頭のステークスウイナーを出して活躍し、20世紀欧州最強馬と言われた祖父シーバードの直系を後世に伝える事に成功した。2009年に種牡馬を引退した後も、ケスネー牧場で余生を送っていたが、2011年11月にリンパ管の炎症のため28歳で安楽死の措置が執られた。母の父としての代表産駒はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを大差勝ちして歴史的名馬の称号を得たハービンジャーである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1988

Beau Sultan

ロシェット賞(仏GⅢ)

1988

Peter Davies

レーシングポストトロフィー(英GⅠ)

1988

Serrant

エヴリ大賞(仏GⅡ)・モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ)

1988

Steamer Duck

伊グランクリテリウム(伊GⅠ)

1989

Break Bread

フォルス賞(仏GⅢ)

1989

Special Price

ゴールデンゲートH(米GⅡ)

1991

Signe Divin

クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ)・ダフニ賞(仏GⅢ)

1992

Matiara

仏1000ギニー(仏GⅠ)・ラモナH(米GⅠ)・ブエナビスタH(米GⅡ)・グロット賞(仏GⅢ)・ノネット賞(仏GⅢ)

1992

Pennekamp

英2000ギニー(英GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)

1992

Salmon Ladder

セントサイモンS(英GⅢ)

1994

Vertical Speed

ショードネイ賞(仏GⅡ)・リス賞(仏GⅢ)

1995

Glorosia

フィリーズマイル(英GⅠ)

1995

Miss Berbere

アスタルテ賞(仏GⅡ)

1995

ケープリズバーン

TCK女王盃(GⅢ)

1996

Moiava

クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ)

1996

Neptune's Bride

フィユドレール賞(仏GⅢ)

1996

Stella Berine

エクリプス賞(仏GⅢ)

1996

Urban Ocean

ガリニュールS(愛GⅢ)

1997

Three Points

モートリー賞(仏GⅢ)

1998

Art Contemporain

フォルス賞(仏GⅢ)

1998

Ing Ing

クインシー賞(仏GⅢ)

2000

Lady Catherine

ドルメロ賞(伊GⅢ)

2001

American Post

仏2000ギニー(仏GⅠ)・ジャンリュックラガルデール賞(仏GⅠ)・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)

2002

Strawberry Dale

ミドルトンS(英GⅢ)

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