ザフォニック

和名:ザフォニック

英名:Zafonic

1990年生

鹿毛

父:ゴーンウエスト

母:ザイザフォン

母父:ザミンストレル

断然の1番人気に支持された英2000ギニーをコースレコードで圧勝した1992年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬

競走成績:2・3歳時に仏英で走り通算成績7戦5勝2着1回

誕生からデビュー前まで

サウジアラビアの王族ハーリド・ビン・アブドゥッラー殿下により米国ケンタッキー州ジュドモントファームにおいて生産・所有され、仏国の名伯楽アンドレ・ファーブル調教師に預けられた。主戦はパット・エデリー騎手で、本馬の全競走に騎乗した。背が高くて堂々とした体格の持ち主であり、将来を嘱望されていたという。

競走生活(2歳時)

2歳8月にドーヴィル競馬場で行われたタンカルヴィユ賞(T1300m)でデビューして、2着ウィスパーラーに2馬身半差で勝利した。その僅か10日後にはモルニ賞(仏GⅠ・T1200m)に挑戦した。対戦相手は、ロベールパパン賞を勝ってきたディダイム、ロベールパパン賞2着馬クリーキングボード(この年の暮れに米国GⅠ競走ハリウッドスターレットSを勝利する)、伊国のGⅢ競走クリテリウムディローマを勝ってきたフューチャーストーム、名牝ミエスクの初子で前走カブール賞2着のキングマンボ、そのカブール賞でキングマンボを破って勝利したセクラージュなどだった。ディダイムが単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ3.7倍の2番人気となった。レースは本馬にとってあまり得意とは言えない重馬場で行われた。レースは単勝オッズ57倍の最低人気馬ポートルカヤ(ただし、後に伊国のGⅠ競走ヴィットリオディカプア賞に勝利している)が先頭を引っ張り、本馬は馬群の中団につけた。そして残り500m地点から加速すると、残り400m地点で先頭に並びかけた。そして残り300m地点では、セクラージュ以下をかわして早くも先頭に立った。後続馬も粘ったが本馬を差し返すことは出来ず、最後は本馬が2着セクラージュに3/4馬身差をつけて勝利した。

続くサラマンドル賞(仏GⅠ・T1400m)では、ジムクラックSを勝ってきたスプレンデント、ジュライS・リッチモンドSで2着してきたカナスカスター、前走5着のディダイム、同6着のキングマンボなどを抑えて、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された。今回はキングマンボが先頭に立って馬群を牽引。一方の本馬は馬群の後方を追走していたが、直線に入ってからエデリー騎手が満を持して仕掛けると、残り200m地点で悠々と他馬を抜き去って先頭に立った。最後はエデリー騎手が後方を振り返る余裕を見せながら、2着キングマンボに3馬身差をつけて楽勝した。

さらに英国に移動して、デューハーストS(英GⅠ・T7F)に出走した。愛フューチュリティS・愛ナショナルSなど4戦全勝のファザーランド(ヌレイエフの従兄弟)、コヴェントリーS・英シャンペンSの勝ち馬ペターディア、グラデュエーションSなど2戦2勝のインチナーなどが対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ1.91倍の1番人気に支持された。レースでは例によって道中は馬群の後方につけた。そして残り3ハロン地点で仕掛けると、するすると馬群の中から抜け出して残り2ハロン地点で先頭を奪取。そのまま馬なりで走り続けて2着インチナーに4馬身差をつけて圧勝するという、レーシングポスト紙をして“very impressive(非常に印象的)”と評された走りを披露した。レーシングポスト紙が“impressive”と評するレースは時折あるが、“very impressive”はかなり稀である。

2歳時は4戦全勝の成績で、この年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬のタイトルを受賞した。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にメゾンラフィット競馬場で行われたリステッド競走ジェベル賞(T1400m)から始動した。単勝オッズ1.1倍という圧倒的な1番人気に支持されたが、重馬場に脚を取られて、キングマンボの短頭差2着と初黒星を喫した。前哨戦に過ぎないレースだけに、エデリー騎手が重い馬場を無理に走らせることを避けたと言われている。

次走の英2000ギニー(英GⅠ・T8F)では、クレイヴンSで2着してきたジュライSの勝ち馬ワーフ、グリーナムSを勝ってきたインチナー、クレイヴンSを勝ってきたエンペラージョーンズ、クレイヴンS4着のバラシアなどが対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ1.83倍という圧倒的な1番人気に支持された(1947年の同競走を史上最大の8馬身差で勝ったテューダーミンストレルでも単勝オッズ2.375倍だった。もっとも、テューダーミンストレルのときはペティションという有力な対抗馬がいたけれども)。

あまりにも人気を集めたために、「過剰評価だ」とか「3歳になって失速したアラジを思い出せ」などと揶揄する向きも現れたほどだったが、蓋を開けてみれば事前評価どおりの強さを発揮した。レースは出走馬が一団となって進み、本馬は馬群の中団外側好位を追走した。そして残り3ハロン地点でエデリー騎手が合図を送ると、馬なりのまま先頭に立ってしまった。そしてエデリー騎手が追い始めると、爆発的な末脚を繰り出して後続を一気に引き離していった。最後は2着バラシアに3馬身半差をつけて優勝。筆者の目には5馬身くらいの着差に見えたほどであり、英2000ギニーでは滅多に見られない圧勝劇だった。バラシアも3着ビンアジワードには3馬身差をつけていたが、本馬の強さの前には霞んで見えるほどだった。仏国調教馬が英2000ギニーを勝ったのは1982年のジノ以来11年ぶりだった。そして勝ちタイムの1分35秒32は、名馬マイバブーが1948年の同競走で計時したコースレコード1分35秒8を実に45年ぶりに更新する素晴らしいものだった。

次走に予定されていたセントジェームスパレスSは馬場状態が悪化したために回避。その後はジュライCなどの短距離路線に向かうという計画もあったが、次走は結局マイル戦のサセックスS(英GⅠ・T8F)となった。英2000ギニーより対戦相手はかなり強化されており、英1000ギニー・モイグレアスタッドS・チェヴァリーパークSなどの勝ち馬サイエダティ、ジャージーSを勝ってきたアードキングラス、ジャンプラ賞とパリ大賞で2着してきたビッグストーン、クイーンアンSの勝ち馬アルフローラ、クイーンアンS2着のインナーシティ、仏1000ギニー・フィリーズマイル・マルセルブサック賞などGⅠ競走3勝のカルチャーヴァルチャーといった実力馬達が相手となった。他にも英2000ギニー6着後にクリテリオンSを勝ってきたインチナーも出走してきた。

それでも本馬は英2000ギニーと同じ単勝オッズ1.83倍の圧倒的1番人気に支持された。スタートが切られると、単勝オッズ67倍の最低人気馬ティナーズウェイが先頭に立ち、本馬は例によって馬群の中団後方につけた。そして8番手で直線に入り、残り2ハロン地点でエデリー騎手が仕掛けたが、ここから本馬はまったく反応しなかった。異常を感じたエデリー騎手は無理に追うのを止め、そのままゴールまで流して走らせた。そして勝ったビッグストーンから8馬身1/4差の7着でゴールインした。レース後の検査で鼻出血を発症していた事が判明。そのまま3歳時3戦1勝の成績で現役引退となってしまった。

この年の国際クラシフィケーションにおいては130ポンドの評価を得て、同世代は勿論のこと、単純比較は出来ないが他世代を含めても単独トップにランクされた(英タイムフォーム社のレーティングでも130ポンドの評価で、オペラハウスの131ポンドに次ぐ2位)。それもあって、本馬は近年では最も強い英2000ギニー馬であると評されることもあった(その後のフランケルの登場によってその評価は奪われたようであるが)。

血統

Gone West Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Gold Digger Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
Secrettame Secretariat Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
Tamerett Tim Tam Tom Fool
Two Lea
Mixed Marriage Tudor Minstrel
Persian Maid
Zaizafon The Minstrel Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fleur Victoria Park Chop Chop
Victoriana
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Mofida Right Tack Hard Tack Hard Sauce
Cowes
Polly Macaw Polly's Jet
Listowel
Wold Lass Vilmorin Gold Bridge
Queen of the Meadows
Cheb Denturius
Bray View

ゴーンウエストは当馬の項を参照。

母ザイザフォンは現役成績14戦2勝、シートンデラヴァルS(英GⅢ)の勝ち馬。母としては、凱旋門賞馬ザルカヴァの父として知られる本馬の全弟ザミンダール【カブール賞(仏GⅢ)】も産んでいる。また、本馬の半妹チョイススピリット(父ダンチヒ)の孫にはアナウンス【ジャンロマネ賞(仏GⅠ)】がいる。近親には活躍馬が多く、ザイザフォンの全姉マリアコヴァの曾孫にプロヒビット【キングズスタンドS(英GⅠ)】が、ザイザフォンの半妹モデナ(父ロベルト)の子にエルマームル【エクリプスS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、リームズオブヴァース【英オークス(英GⅠ)・フィリーズマイル(英GⅠ)】、孫にミッデイ【BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)・ナッソーS(英GⅠ)3回・ヨークシャーオークス(英GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】が、ザイザフォンの半妹モデルブライド(父ブラッシンググルーム)の孫にリーガルパレード【スプリントC(英GⅠ)・モーリスドギース賞(仏GⅠ)】がいる。ザイザフォンの10代母ヴァージニアショアの半妹アルカディアの子には大種牡馬サイリーン【アスコット金杯】がいる。→牝系:F9号族②

母父ザミンストレルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、アブドゥッラー殿下が所有する英国バンステッドマナースタッドで種牡馬入りした。初年度産駒から父子2代でカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選ばれたザールを出して好調なスタートを切ったが、その後の種牡馬成績は可も無く不可も無くといったところだった。産駒のステークスウイナーは24頭以上である。もっとも、種牡馬人気は下がることは無く、種付け料が2万ポンドだった2001年時点においても139頭もの繁殖牝馬を集めた。

その後、アブドゥッラー殿下はバンステッドマナースタッド繋養種牡馬として初めてとなる豪州へのシャトルサイヤーとして本馬を指名し、2002年8月に本馬は豪州ニューサウスウェールズ州アローフィールドスタッドに移動した。そして4頭の繁殖牝馬と交配した矢先の2002年9月7日、放牧中に躓いて転倒して首を強打。頸部骨折と動脈損傷により12歳の若さでこの世を去った。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1995

Xaar

サラマンドル賞(仏GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・カブール賞(仏GⅢ)・クレイヴンS(英GⅢ)

1996

Alrassaam

愛国際S(愛GⅡ)・ダフニ賞(仏GⅢ)

1996

Kareymah

カルヴァドス賞(仏GⅢ)

1996

Shenck

伊1000ギニー(伊GⅡ)

1996

ザカリヤ

ニュージーランドトロフィー四歳S(GⅡ)

1997

Pacino

独2000ギニー(独GⅡ)

1998

Clearing

ホーリスヒルS(英GⅢ)

1998

Count Dubois

伊グランクリテリウム(伊GⅠ)

1998

Ozone Layer

ボワ賞(仏GⅢ)

1998

Spanish Don

ケンブリッジシャーH

1998

ルゼル

青葉賞(GⅡ)

1999

Dupont

伊2000ギニー(伊GⅡ)・独2000ギニー(独GⅡ)

1999

Ibn Al Haitham

サラナクH(米GⅢ)

1999

Maybe Forever

サンジョルジュ賞(仏GⅢ)

1999

Zee Zee Top

オペラ賞(仏GⅠ)・ミドルトンS(英GⅢ)

1999

Zipping

ロベールパパン賞(仏GⅡ)・リゾランジ賞(仏GⅢ)

2000

Aynthia

マリオインチーサ賞(伊GⅢ)

2000

Trade Fair

クリテリオンS(英GⅢ)・ミンストレスS(愛GⅢ)

2000

Zafeen

セントジェームズパレスS(英GⅠ)・ミルリーフS(英GⅡ)

2001

Iffraaj

キヴトンパークS(英GⅡ)2回・レノックスS(英GⅡ)

2002

Banknote

バーデナーマイレ(独GⅢ)

2002

Kavafi

クインシー賞(仏GⅢ)

2003

Attima

ハネムーンBCH(米GⅡ)・サンクレメンテH(米GⅡ)

2003

Flashy Wings

クイーンメアリーS(英GⅡ)・ロウザーS(英GⅡ)

2003

Guest Connections

プリミパッシ賞(伊GⅢ)

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