和名:アクアク |
英名:Ack Ack |
1966年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:バトルジョインド |
母:ファストターン |
母父:ターントゥ |
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短距離路線から10ハロン路線に活躍の場を広げた記念すべき第1回エクリプス賞年度代表馬は貴重なドミノ直系の中興の祖となる |
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競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績27戦19勝2着6回 |
誕生からデビュー前まで
ダークスター、ターントゥ、ボールドイーグル、ネヴァーベンドなどの所有者だったハリー・フランク・グッゲンハイム大尉により生産され、彼の設立したカイン・ホイ・ステーブルの所有馬として、ウッディ・スティーブンス調教師に預けられた。
競走生活(2・3歳時)
2歳10月にベルモントパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビュー。この初戦は3/4馬身差2着だったが、翌週に同コースで行われた未勝利戦を鼻差で勝ち上がった。続いてベルモントパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走に出走したが、頭差2着に惜敗。2歳時は3戦1勝の成績に終わった。その後、スティーブンス厩舎からフランク・A・ボンサル厩舎に転厩している。
3歳時は1月にフロリダ州ハイアリアパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動して、2着ネクストビューティーに6馬身差で圧勝。翌週に出走したハイアリアパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走では、この年の米年度代表馬になるアーツアンドレターズ以下を圧倒し、2着ディスティンクティヴに3馬身差をつけて勝利した。さらに分割競走となったバハマズS(D7F)を2着アルハタブに頭差で勝利して、ステークス競走初勝利を挙げた。しかし次走のエヴァーグレーズS(D9F)では、アーツアンドレターズの5馬身半差4着と完敗した。
その後はケンタッキー州に向かい、キーンランド競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出走したが、ウォーキングスティックの3/4馬身差2着に敗退。しかし次走となったキーンランド競馬場ダート7ハロンの一般競走では、2着トリップスヴィルに12馬身差で圧勝した。さらにダービートライアルS(D8F)に出走して、2着インディアンエメラルドに7馬身差をつけ、1分34秒4のコースレコードで圧勝した。
しかし距離不安もあってケンタッキーダービーには出走せず、ニューヨーク州に向かってウィザーズS(D8F)に出走。後のドワイヤーH勝ち馬グリーミングライトに後れを取って2位入線だったが、グリーミングライトが本馬の進路を妨害した咎で2着に降着となったために本馬が勝利馬となった。続いてガーデンステート競馬場ダート8.5ハロンの一般競走に出走したが、勝ったナイトインベーダーから半馬身差の2着。次走のジャージーダービー(D9F)では、エヴァーグレーズS3着後にハッチソンS・ファウンテンオブユースSを勝っていたアルハタブの2馬身半差2着に敗れた。6月のアーリントンクラシックS(D8F)は、イリノイダービー勝ち馬キングオブザキャッスルを4馬身半差の2着に切り捨てて完勝した。
この時期にグッゲンハイム大尉の健康状態が悪化したため、カイン・ホイ・ステーブルの所有馬は売却に出された。しかし最低競売価格が100万ドルに設定された本馬には買い手が付かず、その代わり米国西海岸を本拠地としていたチャールズ・ウィッティンガム調教師に委ねられた。3歳時はアーリントンクラシックS以降レースに出ず、この年の成績は11戦7勝となった。
競走生活(4歳時)
4歳時は4月のプレミエールH(D6F・現シューメーカーマイルS)から始動。このレースからウィリアム・シューメーカー騎手とコンビを組む事になったが、久々が影響したのか、ファーストメイトの3馬身1/4差4着に敗れた。次走のハリウッドパーク競馬場ダート6ハロンのハンデ競走では、ファーストメイトを2馬身差の2着に破って勝利。続くロサンゼルスH(D7F)では、プレミエールHで3着だったデルマーフューチュリティ・ラホヤマイルH・サンフランシスコH勝ち馬バッフルとの対戦となったが、本馬が繰り上がりながらも勝利を収めた。
夏場は休養に充て、9月にデルマー競馬場で行われたダート5.5ハロンの一般競走に出走すると、2着フリートサプライズ以下に5馬身差で圧勝。勝ちタイム1分02秒2はコースレコードであり、高いスピード能力を改めて示した。さらに芝のオータムデイズH(T6.5F)も2着フリートサプライズに1馬身半差で勝ち、4歳時5戦4勝の成績を残した。
競走生活(5歳前半)
5歳時は1月のパロスヴェルデスH(D6F)から始動。前年のパロスヴェルデスH勝ち馬でマリブSを勝ってきたキングオブクリケットが強敵だったが、勝ったのはジャングルサヴェージで、本馬は3馬身半差の2着、キングオブクリケットは3着に敗れた。2週間後のサンカルロスH(D7F)では、6ポンドのハンデを与えたジャングルサヴェージを1馬身3/4差の2着、キングオブクリケットを3着に下して、1分21秒0のコースレコードタイで勝利。これは鞍上シューメーカー騎手にとって、サンタアニタパーク競馬場における主要ステークス競走完全制覇となる記念の勝利ともなった(彼は過去にサンカルロスHに17回参戦していたが一度も勝てていなかった)。
しかしこの僅か6日後にグッゲンハイム大尉が80歳で死去したため、本馬は米国の石油業者兼弁護士だったエリヤー・E・フォーゲルソン陸軍大佐に50万ドルで購入された。フォーゲルソン氏は、1942年に「ミニヴァー夫人」でアカデミー賞主演女優賞も獲得した女優グリア・ガースン女史の夫であり、それ故にハリウッドに近いロサンゼルスに住居があった。そのため本馬は引き続き米国西海岸を本拠地とする事になり、管理調教師もウィッティンガム師のまま変更されなかった。
馬主変更後の初戦は、サンパスカルH(D8.5F)となった。過去に1マイルを超える距離では勝った事が無い本馬であり、斤量も129ポンドと厳しいものだった。さらに対戦相手の中には亜国の大競走サンイシドロ大賞を勝った後に米国に移籍してハリウッド金杯・アメリカンH・デルマーHなどを勝っていたフィゴネロという実力馬がおり、距離適性の面ではフィゴネロに分があった。しかも本馬はスタートで後手を踏んでしまった。しかしすぐに盛り返して道中は後続を6馬身引き離す逃げを打ち、そのまま粘り切って2着デラウェアチーフに3/4馬身差で勝利した(フィゴネロは3着だった)。
次走のサンアントニオH(D9F)ではさらに距離が伸び、ハリウッドダービー馬ハナレイベイという強敵の姿もあったが、ここではトップハンデながら斤量が123ポンドとやや下がった影響もあり、2着グッドマナーズに3馬身1/4差で勝利した。
次走は本馬にとって未知の距離となるサンタアニタH(D10F)となった。このレースでは南米のチリから米国に移籍してきた同厩のサンガブリエルH・サンマルコスH勝ち馬クーガーが最大の強敵だった。斤量は本馬が130ポンドで、クーガーが124ポンドだった。レースは逃げる本馬をクーガーが追い詰める展開となったが、怒涛の追い込み戦法を武器に2年後のサンタアニタHなど数々のステークス競走を勝利する後の米国顕彰馬クーガーの末脚をもってしても本馬を捕らえきる事は出来ず、本馬がクーガーの追撃を1馬身半差で完封して勝利。10ハロンという厳しい距離と厳しい斤量を克服して1番人気に見事応えた。
競走生活(5歳後半)
その後は3か月間休養し、6月にハリウッドエクスプレスH(D5.5F)に出走。前走から距離が半分近く短くなった上に、130ポンドの斤量が課せられたが、短距離得意でこの斤量も克服済みの本馬にとっては何の問題も無く、2着ピッチングウェッジに3馬身差で楽勝した。
次走は芝のアメリカンH(T9F)となった。やはり斤量は130ポンドで、経験が少ない芝(前年のオータムデイズHの1回のみ)であり、距離も決して本馬の適距離とは言えなかったが、蓋を開けてみれば1分47秒2のコースレコードを計時した本馬が、豪州から移籍してきたAJCダービー馬ディヴァイドアンドルールを4馬身差の2着に、フィゴネロを3着に退ける圧勝劇を演じた。
次走のハリウッド金杯(D10F)では、134ポンドが課せられた。2年前に既にこのレースを勝っていたフィゴネロや、サンタモニカH・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・ロングビーチH・ビヴァリーヒルズHとこの年だけで既にステークス競走5勝を挙げていた名牝マンタも出走しており、両馬とも117ポンドの斤量で、本馬とは17ポンドものハンデ差があった。しかしレースではこれらの悪条件をものともせずに、道中で後続を6馬身引き離す逃げを打ち、そのまま2着コムタルに3馬身3/4差をつけて圧勝。ハリウッド金杯を133ポンドで勝った馬は過去にシービスケットとシャルドンの2頭がいたが、134ポンド以上で勝った馬は過去におらず、本馬が初となった。また、サンタアニタHとハリウッド金杯を同一年に勝利したのは1939年のカヤック、1950年のヌーアに次いで史上3頭目だった(本馬以降にはクリスタルウォーター、アファームド、ラヴァマン(2年連続)の3頭が達成している)。
この後に疝痛を発症した本馬は、以降レースに出る事なく引退となったが、5歳時8戦7勝2着1回の好成績で、この年に創設されたエクリプス賞においては、年度代表馬、最優秀古馬牡馬、最優秀短距離馬のタイトルを総なめにした(最優秀芝牡馬はランザガントレットが受賞したため、ドクターファーガーに次ぐ4部門完全制覇は逃した)。
馬名のアクアク(“アックアック”とも発音する)は第二次世界大戦時の「高射砲」という意味である。
血統
Battle Joined | Armageddon | Alsab | Good Goods | Neddie |
Brocatelle | ||||
Winds Chant | Wildair | |||
Eulogy | ||||
Fighting Lady | Sir Gallahad | Teddy | ||
Plucky Liege | ||||
Lady Nicotine | Sun Briar | |||
Comixa | ||||
Ethel Walker | Revoked | Blue Larkspur | Black Servant | |
Blossom Time | ||||
Gala Belle | Sir Gallahad | |||
Bel Tempo | ||||
Ethel Terry | Reaping Reward | Sickle | ||
Dustwhirl | ||||
Mary Terry | Terry | |||
Milfoil | ||||
Fast Turn | Turn-to | Royal Charger | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Sun Princess | Solario | |||
Mumtaz Begum | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | Craig an Eran | ||
Plucky Liege | ||||
Lavendula | Pharos | |||
Sweet Lavender | ||||
Cherokee Rose | Princequillo | Prince Rose | Rose Prince | |
Indolence | ||||
Cosquilla | Papyrus | |||
Quick Thought | ||||
The Squaw | Sickle | Phalaris | ||
Selene | ||||
Minnewaska | Blandford | |||
Nipisiquit |
父バトルジョインドは本馬と同じくグッゲンハイム大尉の生産・所有馬で、現役成績は10戦7勝。サラトガスペシャルS・ローレンスリアライゼーションSを勝ち、サプリングSで2着しているが、それほど目立つ競走馬ではなかった。本馬が産まれた時期にはケンタッキー州スペンドスリフトファームで繋養されていたが、種付け料は無事生誕保障付きで500ドルという安価だった。バトルジョインドの父アルマゲドンはアルサブ直子で、現役成績51戦9勝。シャンペンS・ウィザーズS・ベンジャミンフランクリンH・ピーターパンH・ヴェントナーHを勝ち、ベルモントSで3着、トラヴァーズSで2着している。シャンペンSでは小石が目に入って片目が見えない状況下で勝利したという逸話がある。やはり本馬が産まれた時期にはスペンドスリフトファームで繋養されていたが、種付け料はバトルジョインドと同じく無事生誕保障付きで500ドルに過ぎなかった。本馬が競走馬を引退した翌年1972年に23歳で他界している。
母ファストターンは不出走馬だが、ファストターンの母チェロキーローズはCCAオークス馬。本馬の半妹スピードライター(父セクレタリアト)の孫にはブラジルのGⅠ競走リオデジャネイロ州大賞の勝ち馬オニバスエスペシャルがいる。ファストターンの全妹レイアフトの子にディレイ【ジョンBキャンベルH(米GⅡ)】が、ファストターンの半妹ショシャーナ(父ネヴァーベンド)の子にジャストザタイム【ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)】、孫にリラクタントゲスト【ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)・ウィルシャーH(米GⅡ)】がおり、リラクタントゲストの孫は御存知ゴールドアリュール【ジャパンダートダービー(GⅠ)・ダービーグランプリ(GⅠ)・東京大賞典(GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)】である。ショシャーナの牝系子孫にはファーゼストランド【BCダートマイル(米GⅠ)】もいる。
ファストターンの半妹ハーディクライマー(父ネヴァーベンド)の玄孫にはスクワートルスクワート【BCスプリント(米GⅠ)・キングズビショップS(米GⅠ)】がいる。チェロキーローズの全姉ハウはケンタッキーオークス・CCAオークスを勝った名牝で、ハウの孫にはトムロルフ【プリークネスS・アメリカンダービー・アーリントンクラシックS】がいる。チェロキーローズの全妹セコイアの子にはシャム【サンタアニタダービー】がいる。こうしてみると全体的に母系はスピードに勝った傾向が強いようである。→牝系:F9号族①
母父ターントゥは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、米国ケンタッキー州クレイボーンファームで種牡馬入りした。本馬は種牡馬としても54頭のステークスウイナーを出して成功し、ヒムヤーからドミノ、コマンド、コリン、アルサブを経由する米国独自の血統の中興の祖となった。また、母の父としては95頭のステークスウイナーを出している。1986年に米国競馬の殿堂入りを果たした。その後の1990年12月に24歳で他界し、遺体はクレイボーンファームに埋葬された。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第44位。
ブロードブラッシュが後継種牡馬として活躍した。また、牝駒のラスカルラスカルは英ダービー馬ベニーザディップの母、サイレンススズカとラスカルスズカ兄弟の祖母となっている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1973 |
Thermal Energy |
サニースロープS(米GⅢ)・サンヴィンセントS(米GⅢ) |
1973 |
仏ダービー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・加国際CSS(加GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)・グレフュール賞(仏GⅡ)・ダリュー賞(仏GⅡ)・ニエル賞(仏GⅢ) |
|
1974 |
Suede Shoe |
コティリオンH(米GⅡ) |
1975 |
Flack Flack |
サンタモニカH(米GⅡ) |
1975 |
High Pheasant |
ラスパルマスH(米GⅢ) |
1975 |
Sten |
ボーリンググリーンH(米GⅡ)・フォートマーシーH(米GⅢ) |
1976 |
Ack's Secret |
サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・サンタバーバラH(米GⅠ)・ゲイムリーH(米GⅡ)・ラスパルマスH(米GⅢ)2回 |
1976 |
Caline |
サンタスサナS(米GⅠ)・アノアキアS(米GⅢ) |
1977 |
Flying Target |
アーリントンH(米GⅠ) |
1977 |
Joanie's Chief |
シャンペンS(米GⅠ)・ドンH(米GⅡ) |
1978 |
A Sure Hit |
ドナルドPロスH(米GⅢ) |
1978 |
Truce Maker |
タンフォランH(米GⅢ) |
1978 |
Western |
サンルイオビスポH(米GⅡ)・サンマルコスH(米GⅢ) |
1980 |
To Tipperary |
キングエドワード金杯(加GⅢ) |
1982 |
Epidaurus |
サンパスカルH(米GⅡ)・サンカルロスH(米GⅡ)・ネイティヴダイヴァーH(米GⅢ) |
1982 |
Rascal Lass |
ファンタジーS(米GⅠ) |
1982 |
Violado |
ルイジアナダービー(米GⅢ) |
1983 |
サンタアニタH(米GⅠ)・ウッドメモリアルS(米GⅠ)・メドウランズCH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)・オハイオダービー(米GⅡ)・ペンシルヴァニアダービー(米GⅡ)・ジムビームS(米GⅢ)・ジョンBキャンベルH(米GⅢ)・トレントンH(米GⅢ) |
|
1985 |
Clean Lines |
プリンセスS(米GⅡ) |
1987 |
Warcraft |
ネイティヴダイヴァーH(米GⅢ) |