ストームバード

和名:ストームバード

英名:Storm Bird

1978年生

鹿毛

父:ノーザンダンサー

母:サウスオーシャン

母父:ニュープロヴィデンス

英愛両国で最優秀2歳牡馬に選出された仕上がり早い快速を産駒によく伝えたノーザンダンサーの後継種牡馬の1頭

競走成績:2・3歳時に英愛仏で走り通算成績6戦5勝

誕生からデビュー前まで

ノーザンダンサーを世に送り出した加国の名馬産家エドワード・P・テイラー氏により、加国オンタリオ州ウインドフィールズファームにおいて生産された。1歳7月のキーンランドセールに出品され、名馬主ロバート・サングスター氏の代理だった英ブラッドストックエージェンシー社の愛国支社により100万ドルで購入され、愛国ヴィンセント・オブライエン調教師に預けられた。体高は16.1ハンドと並だったが、その良血からかなりの期待馬だった。

競走生活(2歳時)

2歳7月にカラー競馬場で行われた芝8ハロンの未勝利戦でデビュー。出走19頭中、単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持された。スタート直後に他馬にぶつけられるアクシデントがあったが、そんな事はお構いなく6馬身差で圧勝して勝ち上がった。次走のアングルシーS(愛GⅢ・T6F63Y)では、残り2ハロン地点で先頭に立ったが、ここで気を抜く仕草を見せて失速し、2着プリンスエコーに半馬身差まで詰め寄られる辛勝だった。もっとも、プリンスエコーが後に英シャンペンSで2着し、さらにグラッドネスSを勝ち、愛2000ギニーで3着するなどの活躍を示したため、本馬の評価を押し上げる事には繋がった。

さらに2週間後の愛ナショナルS(愛GⅡ・T7F)ではトミー・マーフィー騎手とコンビを組み、単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持された。そして残り2ハロン地点で先頭に立つと、今度は最後まで気を抜かずに走りきり、2着マスターサッチに4馬身差、3着シルヴァークリークにもさらに4馬身差をつけて圧勝。

カラー競馬場の2歳戦を制圧した本馬は、英国に移動してもその強さは変わらなかった。まずはスティーブ・コーゼン騎手を鞍上に迎えてラークスパーS(英GⅢ・T7F)に出走。ゴール前ではコーゼン騎手が手綱を抑える余裕を見せながら、2着となった愛フェニックスS2着馬バンドプラクティスに4馬身差をつけて圧勝した。

次走のデューハーストS(英GⅠ・T7F)では、サラマンドル賞の勝ち馬でモルニ賞2着のミスワキ、チェシャムSの勝ち馬で後のイタリア大賞の勝ち馬カートリング、ソラリオSの勝ち馬で翌年に英2000ギニー・セントジェームズパレスS・クリスタルマイル・クイーンエリザベスⅡ世Sと英国のマイル路線を制圧する強豪馬トゥアゴリムーなどが対戦相手となった。しかし、パット・エデリー騎手を鞍上に迎えた本馬が単勝オッズ1.91倍の1番人気に支持された。当日は雨天で風が強く非常に寒い悪天候となったが、いつもどおり残り2ハロン地点でスパート。唯一本馬に食い下がってきたトゥアゴリムーを半馬身差の2着に抑えて優勝した(3着馬ミスワキはさらに8馬身後方だった)。

2歳時は5戦無敗の成績で、英愛両国で最優秀2歳牡馬に選出され、英タイムフォーム社のレーティングでも2歳馬としてはかなり高い134という数値を獲得した。ニジンスキーザミンストレル級の超大物との評判が高く、英2000ギニーや英ダービー制覇が大いに期待された。

競走生活(3歳時)

しかし3歳になるとアクシデント続きで、関係者や本馬のファンにとって悪夢のような状況となった。春先には元厩務員の少年に厩舎で鬣や尻尾を刈り取られるという事件が勃発(動機や経緯は不明)。精神的にはともかく身体的には無事だったが、その後には後脚を負傷。さらには風邪を引いてしまい、英2000ギニーや英ダービーなどの英国クラシック路線には出走さえできなかった。

3歳時は一度もレースに使えない状況が続いていたが、夏場には本馬の権利の75%がウィリアム・ロックリッジ博士やロバート・ヘフナー氏達によって2100万ドルで購入され、総額2800万ドルという巨額の種牡馬シンジケートが組まれた。そして目標は凱旋門賞とする旨が公式に発表された。その後の調教において、愛2000ギニー・サセックスSでトゥアゴリムーを2着に破って勝利していたキングスレイクを易々と撃破したことから、大いに期待された。

ところが、前哨戦として9月に出走したプランスドランジュ賞(仏GⅢ・T2000m)で、ジャンドショードネイ賞の勝ち馬でパリ大賞3着のヴァイラン(後の英チャンピオンS勝ち馬。父は英国最強馬ブリガディアジェラード、祖母は仏国の名牝ポーラベラで、曾祖母が仏国の伝説的名牝ベラパオラという、英仏混合の名血馬)の7着(9頭立て)と大敗を喫してしまった。既に高額の種牡馬シンジケートが組まれていたため、凱旋門賞には出ずにそのまま3歳時1戦未勝利で競走馬引退となった。

血統

Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Lady Angela Hyperion Gainsborough
Selene
Sister Sarah Abbots Trace
Sarita
Natalma Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose 
South Ocean New Providence Bull Page Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Our Page Blue Larkspur
Occult
Fair Colleen Preciptic Precipitation
Artistic
Fairvale Fairford
Vallema
Shining Sun Chop Chop Flares Gallant Fox
Flambino
Sceptical Buchan
Clodagh
Solar Display Sun Again Sun Teddy
Hug Again
Dark Display Display
Dark Loveliness

ノーザンダンサーは当馬の項を参照。

母サウスオーシャンは現役成績22戦4勝。加オークス・イヤリングセールズSを勝ち、プリンセスエリザベスSで2着、ナタルマS・マザリーンS・マイディアSで各3着している。繁殖牝馬としても優秀で、ソヴリン賞最優秀2歳牝馬・最優秀3歳牝馬・加国顕彰馬にも選ばれている本馬の全姉ノーザネット【加オークス・トップフライトH(米GⅠ)・アップルブロッサムH(米GⅡ)・クリサンセマムH(米GⅢ)・マザリーンS・セリーンS】、半姉オーシャンズアンサー(父ノーザンアンサー)【ナタルマS】なども産んでいる。サウスオーシャンの牝系子孫はかなりの発展を示しており、ノーザネットの子にはゴールドクレスト【ベレスフォードS(愛GⅡ)】、スクート【フラワーボウルH(米GⅠ)】、孫には日本で走ったトウショウナイト【アルゼンチン共和国杯(GⅡ)】、玄孫にはディディモ【マティアスマシュリネ大賞(伯GⅠ)・ブラジル大賞(伯GⅠ)】が、オーシャンズアンサーの孫にはディダイム【ロベールパパン賞(仏GⅡ)】、グリーンチューン【仏2000ギニー(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・ミュゲ賞(仏GⅡ)】、パドレポンス【チェヴァリーパークS(英GⅠ)】、玄孫にはドクタージック【ヴァイネリーマディソンS(米GⅠ)】が、本馬の全妹サウスシーダンサーの子にはシグナルタップ【ブーゲンヴィリアH(米GⅢ)・ハイアリアターフカップH(米GⅢ)】、孫にはクールコールマン【ファウンテンオブユースS(米GⅡ)】が、日本に繁殖牝馬として輸入された本馬の全妹オシアナの子にはビワシンセイキ【かきつばた記念(GⅢ)・とちぎマロニエC(GⅢ)・2着東京大賞典(GⅠ)・2着フェブラリーS(GⅠ)・2着帝王賞(GⅠ)】が、本馬の半妹ストーメット(父アサート)の子にはマリレット【メイヒルS(英GⅢ)・ムシドラS(英GⅢ)】、ストームトルーパー【ハリウッドパークターフH(米GⅠ)】がいる。

サウスオーシャンの母シャイニングサンの半妹ソロメテオの曾孫にはオブザーヴァトリー【クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)】が、シャイニングサンの母ソーラーディスプレイの半兄には1950年の米最優秀2歳牡馬バトルフィールド【サラトガスペシャルS・サプリングS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS・ドワイヤーS・トラヴァーズS】がいる。→牝系:F4号族②

母父ニュープロヴィデンスは現役成績41戦10勝。2歳時にカップ&ソーサーSなどを勝って加最優秀2歳牡馬に選ばれ、3歳時にはクイーンズプレート・プリンスオブウェールズS・ブリーダーズSを制して、この1959年に加国三冠路線が正式に整備されて以降では初(整備前も含めると6頭目)となる加国三冠馬に輝いた名馬。普通であれば加国の年度代表馬に選ばれて当然の成績だったが、ステークス競走で8勝を挙げた名牝ワンダーウェアに投票で敗れて逃している。他の勝ち鞍はシーグラムカップH・インフェルノH・アルティマスHなどで、加国顕彰馬には選ばれている。ニュープロヴィデンスの父ブルページはニジンスキーの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ロックリッジ博士やヘフナー氏が所有していた米国ケンタッキー州アッシュフォードスタッドで種牡馬入りした。その後の1984年にジョン・マグナー氏がアッシュフォードスタッドを購入してその経営を引き継いでいる。種牡馬としては63頭のステークスウイナーを出し、父ノーザンダンサーの後継種牡馬の1頭として活躍した。繁殖牝馬の父としても優秀で、100頭以上のステークスウイナーを出している。1999年に受精率低下を理由に種牡馬を引退した後もアッシュフォードスタッドで健康に過ごしていたが、2004年12月に疝痛を発症したために26歳で安楽死の措置が執られた。産駒は一部の大物を除くと基本的に早熟のスピードタイプが多かった。

ストームキャットが後継種牡馬として父を凌ぐ大活躍を示し、サイアーラインを伸ばしている。サマースコールやブルーバードなども種牡馬として活躍した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1983

Acushla

フェニックススプリントS(愛GⅢ)2回

1983

Conquering Hero

サンガブリエルH(米GⅢ)

1983

Give a Toast

ボーゲイH(米GⅢ)

1983

Magical Wonder

ジャンプラ賞(仏GⅠ)・ジョンシェール賞(仏GⅢ)・ロンポワン賞(仏GⅢ)

1983

Splendid Moment

シェーヌ賞(仏GⅢ)

1983

Storm Cat

ヤングアメリカS(米GⅠ)

1983

Storm Star

チェリーヒントンS(英GⅢ)

1984

Bluebird

キングズスタンドS(英GⅠ)・バリーオーガンS(愛GⅢ)

1984

David's Bird

ピリグリムS(米GⅢ)

1984

Indian Skimmer

サンタラリ賞(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・サンチャリオットS(英GⅡ)・ムシドラS(英GⅢ)・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)

1984

Spur Wing

カラセルH(米GⅢ)

1985

Lonely Bird

伊1000ギニー(伊GⅡ)

1985

Prince of Birds

愛2000ギニー(愛GⅠ)・テトラークS(愛GⅢ)

1985

Savannah's Honor

カルヴァドス賞(仏GⅢ)

1987

Summer Squall

プリークネスS(米GⅠ)・ホープフルS(米GⅠ)・サラトガスペシャルS(米GⅡ)・ジムビームS(米GⅡ)・ブルーグラスS(米GⅡ)・フェイエットH(米GⅡ)・ペンシルヴァニアダービー(米GⅢ)

1988

Mujadil

ジョエルS(英GⅢ)

1988

Mukaddamah

愛国際S(愛GⅡ)・ヴィンテージS(英GⅢ)

1989

Pacific Squall

ハリウッドオークス(米GⅠ)・エルエンシノS(米GⅡ)・ハネムーンH(米GⅢ)

1990

Classy Mirage

バレリーナH(米GⅠ)・プライオレスS(米GⅡ)・ディスタフH(米GⅡ)・ベッドオローゼズH(米GⅡ)・ジェニュインリスクH(米GⅡ)

1990

Personal Hope

サンタアニタダービー(米GⅠ)

1990

Wharf

ジュライS(英GⅢ)

1991

Balanchine

英オークス(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)

1991

Islefaxyou

米国競馬名誉の殿堂博物館S(米GⅡ)

1991

Keraka

アングルシーS(愛GⅢ)

1991

Ocean Crest

デルマー招待ダービー(米GⅡ)

1991

Stonehatch

コヴェントリーS(英GⅢ)

1992

Mystery Storm

サウスウエストS(米GⅢ)・レベルS(米GⅢ)

1992

スキーキャプテン

きさらぎ賞(GⅢ)

1993

Prophet's Warning

レディーズH(米GⅡ)・レアトリートH(米GⅢ)

1994

Ocean Ridge

ロベールパパン賞(仏GⅡ)

1994

Trafalger

ラファイエットS(米GⅢ)

1996

Grazalema

シェーヌ賞(仏GⅢ)・ジョンシェール賞(仏GⅢ)

1999

Love Regardless

ジャガーマイレ(独GⅢ)・デュッセルドルフ大賞(独GⅢ)

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