和名:ゴーアンドゴー |
英名:Go and Go |
1987年生 |
牡 |
栗毛 |
父:ビーマイゲスト |
母:アイリッシュエディション |
母父:アレッジド |
||
1990年のベルモントSを優勝して欧州調教馬として史上唯一の米国三冠競走制覇を果たす |
||||
競走成績:2~4歳時に愛米で走り通算成績15戦6勝3着2回 |
米国の大レースに欧州調教馬が参戦するとしたら、それはブリーダーズカップである事が多い。ブリーダーズカップは欧州の主要平地競走が全て終わった後に行われるため、欧州調教馬でも目標に設定しやすいのがその理由の一つであろう。しかし米国三冠競走は欧州の主要3歳競走と時期的に重なる上に、欧州ではほぼ行われないダート競走であるため、欧州調教馬が参戦することは少ない。そのため、欧州調教馬が米国三冠競走を制した例は極めて稀であり、おそらく本馬唯一頭であると思われる。
誕生からデビュー前まで
スイスの実業家ウォルター・ハーフナー氏により、彼が所有する愛国モイグレアスタッドファームにおいて生産・所有され、愛国ダーモット・K・ウェルド調教師に預けられた。
競走生活(2歳時)
2歳7月にカラー競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利戦で、主戦となるマイケル・キネーン騎手を鞍上にデビューを迎えた。単勝オッズ6倍で16頭立ての3番人気の評価を受けたが、単勝オッズ2.25倍の1番人気に応えて勝ったウェディングブーケから12馬身半差をつけられた6着と完敗した。
次走は同月末にゴールウェイ競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利戦となった。ここでは単勝オッズ2倍の1番人気に応えて、2着ウェルシュブレンドに2馬身半差で勝ち上がった。続くリステッド競走タイロスS(T7F)でも単勝オッズ3倍の1番人気に応えて、2着ピクトリカルに3馬身差で勝利を収めた。
さらに愛ナショナルS(愛GⅠ・T7F)に出走した。ジムクラックS2着馬ブックザバンド、後のデューハーストSの勝ち馬ダッシングブレイド、後のガリニュールS・セレクトS・パシフィッククラシックS・カールトンFバークHの勝ち馬ミッショナリーリッジ、ウェディングブーケ、ピクトリカルなどが対戦相手となった。本馬は単勝オッズ5倍で、単勝オッズ7倍のウェディングブーケより上の3番人気に推されたのだが、レースでは残り2ハロン地点から後退して、勝った単勝オッズ4倍の2番人気馬ダッシングブレイドから8馬身1/4差をつけられた7着に敗れた。
その後は米国に遠征し、ローレルフューチュリティ(米GⅡ・D8.5F)に出走。初のダート競走だったうえに鞍上はテン乗りのC・ペレット騎手だったが、ステークス競走3勝を含む7戦5勝のロビンダンサーと後続を10馬身も引き離す一騎打ちを演じた末に、頭差で勝利を収めた。
続いてガルフストリームパーク競馬場で行われたBCジュヴェナイル(米GⅠ・D8.5F)に参戦した。ブリーダーズフューチュリティSを勝ってきたスラヴィック、カウディンS・シャンペンSを連勝してきたアジュディケーティング、シャンペンS2着のリズム、ノーフォークSを勝ってきたグランドキャニオン、ノーフォークS2着のシングルドーン、サニースロープSを勝ってきたプレザントタップなどが出走しており、キネーン騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ15倍の6番人気止まりだった。レースでは2~3番手を追走したが、三角から四角にかけて内側を突いて上がっていったリズムについて行けずに直線で後退して、リズムの7馬身差8着と完敗を喫した。2歳時は6戦3勝の成績だった。
競走生活(3歳時)
3歳時は5月に地元愛国のフェニックスパーク競馬場で行われたリステッド競走ミンストレルS(T8F)から始動。他馬勢よりも6~9ポンド重い132ポンドのトップハンデが課せられたにも関わらず、単勝オッズ1.29倍という圧倒的な1番人気に支持された。そして人気に応えて、2着リングオブライトに半馬身差で勝利した。その僅か10日後には、デリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅡ・T10F)に出走した。単勝オッズ4.5倍の2番人気に推されたが、ゴール前で伸びを欠き、勝った単勝オッズ5.5倍の3番人気馬アンヴァリから4馬身3/4差の4着と完敗を喫した。
その後は翌月の英ダービーには向かわず、再度米国に遠征した。2度目の米国遠征初戦は、いきなり米国三冠競走最終戦のベルモントS(米GⅠ・D12F)となった。プリークネスSの勝ち馬サマースコールは回避しており、ケンタッキーダービー・フロリダダービーの勝ち馬でプリークネスS2着のアンブライドルド、ウッドメモリアルS・ゴーサムSの勝ち馬サーティシックスレッド、前走ジャージーダービーを勝ってきたレムセンSの勝ち馬ヨンダー、ピーターパンSで2着してきたカントリーデイ、サンタアニタダービーとジャージーダービーで2着、ケンタッキーダービーで4着のビデオレンジャー、ブルーグラスS2着馬ランドラッシュ、ウッドローンSなどの勝ち馬バロンドヴォーなどが出走してきた。アンブライドルドが1番人気、サーティシックスレッドが2番人気、ヨンダーが3番人気で、キネーン騎手が騎乗する本馬も単勝オッズ8倍の4番人気とそれなりの人気にはなっていた。レースでは馬群の中団内側を追走。向こう正面で徐々に位置取りを上げて3番手で直線を向き、逃げるサーティシックスレッドをかわして先頭に立つと後は独走。2着サーティシックスレッドに8馬身1/4差、3着バロンドヴォーにはさらに2馬身差、4着アンブライドルドにはさらに2馬身半差をつける圧勝で、米国競馬関係者を驚かせた。
本馬はそのまま米国に滞在し、トラヴァーズS(米GⅠ・D10F)に出走した。ここでは、前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれたリズムと、BCジュヴェナイル以来2度目の対戦となった。リズムは不調のために米国三冠競走には不参戦だったが、コリンSを勝ち、ドワイヤーSで2着、ハスケル招待Hで3着と調子を取り戻しつつあった。1番人気に支持されたのは本馬のほうだったが、しかし結果はリズムが勝ち、本馬は9馬身1/4差の7着と惨敗してしまった。
その後はベルモントパーク競馬場で行われたBCクラシック(米GⅠ・D10F)に直行した。リズム、アンブライドルド、チャールズHストラブS・ジョッキークラブ金杯・サンフェルナンドSの勝ち馬フライングコンチネンタル、この年の加国三冠競走全てとモルソンエクスポートミリオンを含む8連勝を記録していた加国三冠馬イズヴェスティア、スーパーダービー・レキシントンSの勝ち馬ホームアットラスト、ウッドワードS・コーンハスカーH・カンタベリーカップHなど5連勝で臨んできたディスパーザル、ジェロームHの勝ち馬でオークローンH・サバーバンH・ジョッキークラブ金杯2着のドローシュなどが対戦相手となり、本馬は単勝オッズ7.7倍の5番人気だった。レースでは馬群の中団を追走したが、三角手前から徐々に後退し始め、直線入り口で競走中止という結果に終わった(勝ち馬はアンブライドルド)。特に大事には至らなかったため、その後も現役を続行。
その後の本馬はウェルド厩舎から、米国ダレル・ウェイン・ルーカス厩舎に移り、ケント・デザーモ騎手を主戦として米国西海岸を主戦場とすることとなった。12月にはネイティヴダイヴァーH(米GⅢ・D9F)に出走したが、サンタアニタダービー3着馬ウォークラフト、BCジュヴェナイル6着後にケンタッキーダービーで3着していたプレザントタップとの三つ巴の接戦に屈して、ウォークラフトの首差3着に惜敗。3歳時の成績は6戦2勝となった。
競走生活(4歳時)
4歳時は1月のサンフェルナンドS(米GⅡ・D9F)から始動した。ウォークラフト、プレザントタップ、マンノウォーSの勝ち馬ディフェンシヴプレイ、ペガサスH・アーカンソーダービーの勝ち馬シルヴァーエンディング、ヴォランテH・サンガブリエルHの勝ち馬インエクセスなどの有力馬が出走しており、本馬は単勝オッズ6.4倍の4番人気の評価だった。レースでは、先行して抜け出したインエクセスが直線独走で圧勝を収め、ウォークラフトも捕らえられなかった本馬は、インエクセスから6馬身3/4差の3着に敗れた。
その後は半年間の調整期間を経て、8月にデルマー競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走で復帰した。前年のサンタアニタダービー・サンラファエルSの勝ち馬でプリークネスS3着のミスターフリスキーとの対戦となったが、本馬が単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持され、ミスターフリスキーが単勝オッズ2.8倍の2番人気となった。そして逃げるミスターフリスキーを2番手で追いかけると、直線入り口でかわして、そのまま2馬身半差で勝利した。
翌月にはアーリントンパーク競馬場に向かい、ワシントンパークH(米GⅡ・D9F)に出走。このレースは僅か4頭立てだったが、プリークネスS・ホープフルS・サラトガスペシャルS・ジムビームS・ブルーグラスS・ペンシルヴァニアダービーの勝ち馬でケンタッキーダービー2着のサマースコール、スティーヴンフォスターH・ミシガンマイル&ワンエイスH・コーンハスカーH・フィリップHアイズリンHと4連勝中のブラックタイアフェアーの2頭も参戦しており、本馬は単勝オッズ5倍の3番人気だった。レースはブラックタイアフェアーを先頭に出走全馬が一団となって進んだが、徐々に各馬の差が開き始めた。結局はブラックタイアフェアーが2着サマースコールに7馬身半差をつけて圧勝。サマースコールから18馬身半差の3着がアーリントンワシントンフューチュリティーの勝ち馬シークレットハローで、本馬はシークレットハローから25馬身差も離された4着最下位(記録上は競走中止)と惨敗。このレースを最後に、4歳時3戦1勝の成績で現役を引退した。
血統
Be My Guest | Northern Dancer | Nearctic | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Lady Angela | Hyperion | |||
Sister Sarah | ||||
Natalma | Native Dancer | Polynesian | ||
Geisha | ||||
Almahmoud | Mahmoud | |||
Arbitrator | ||||
What a Treat | Tudor Minstrel | Owen Tudor | Hyperion | |
Mary Tudor | ||||
Sansonnet | Sansovino | |||
Lady Juror | ||||
Rare Treat | Stymie | Equestrian | ||
Stop Watch | ||||
Rare Perfume | Eight Thirty | |||
Fragrance | ||||
Irish Edition | Alleged | Hoist the Flag | Tom Rolfe | Ribot |
Pocahontas | ||||
Wavy Navy | War Admiral | |||
Triomphe | ||||
Princess Pout | Prince John | Princequillo | ||
Not Afraid | ||||
Determined Lady | Determine | |||
Tumbling | ||||
Grenzen | Grenfall | Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | ||||
Primonetta | Swaps | |||
Banquet Bell | ||||
My Poly | Cyclotron | Pensive | ||
Little Risk | ||||
Polywich | Polynesian | |||
Wichuraiana |
父ビーマイゲストは当馬の項を参照。
母アイリッシュエディションは現役時代に愛国で走り3戦1勝だったが、その母グレンゼンはサンタスサナS(米GⅡ)・サンタモニカH(米GⅡ)・サンタマリアH(米GⅡ)・サンタイネスS(米GⅢ)・ラスパルマスH(米GⅢ)を制した実力馬。母系には割と活躍馬が多くおり、本馬の半妹レイティストチャプター(父アホヌーラ)の子にはソーシャルハーモニー【マクドナボーランドS(愛GⅢ)】、孫にはカジュアルコンクェスト【タタソールズ金杯(愛GⅠ)・デリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅡ)・ロイヤルホイップS(愛GⅡ)】、アフタヌーンサンライト【デリンズタウンスタッド1000ギニートライアル(愛GⅢ)】が、アイリッシュエディションの半弟にはトワイライトアジェンダ(父デヴィルズバッグ)【メドウランズCH(米GⅠ)・ベルエアH(米GⅡ)・デルマーBCH(米GⅡ)・サンパスカルH(米GⅡ)・カーネルFWケスターH(米GⅡ)・サンディエゴH(米GⅢ)・ネイティヴダイヴァーH(米GⅢ)】が、アイリッシュエディションの半妹グロースレート(父ブラッシンググルーム)の子にはムナージ【ゴールデネパイチェ(独GⅡ)】が、アイリッシュエディションの半妹マーケットスライド(父ガルチ)の子にはメディアパズル【メルボルンC(豪GⅠ)】、リフューズトゥベンド【英2000ギニー(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅠ)・クイーンアンS(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・デズモンドS(愛GⅢ)】、孫にはリッチタペストリー【サンタアニタスプリントCS(米GⅠ)】が、アイリッシュエディションの半妹タッチオブトゥルース(父ストームキャット)の子にはソサエティホステス【モンロヴィアH(米GⅢ)】がいる。→牝系:F10号族①
母父アレッジドは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、ジェリー・ビリンスキー博士(後にニューヨーク州競馬の運営に携わるエクセルシオール競馬協会の構成メンバーの1人)が米国ニューヨーク州に所有するウォルドルフファームで種牡馬となったが、成功を収めることは出来なかった。2000年4月に放牧中の事故により骨盤を骨折し、13歳で安楽死の措置が執られた。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1995 |
Hot Wells |
サウスウエストS(米GⅢ) |