ダハール

和名:ダハール

英名:Dahar

1981年生

鹿毛

父:リファール

母:ダリア

母父:ヴェイグリーノーブル

七冠馬シンボリルドルフが出走した米国GⅠ競走サンルイレイSの勝ち馬として知られる良血馬だが日本では種牡馬として実力を発揮できず

競走成績:2~5歳時に仏愛英米で走り通算成績29戦7勝2着5回3着5回

誕生からデビュー前まで

米国ブルーグラスファームの生産馬で、父が名種牡馬リファール、母が世界的女傑ダリアという良血馬だった。母ダリアの所有者だったネルソン・バンカー・ハント氏の友人ブルース・マクナル氏の所有馬となり、母ダリアも手掛けた仏国モーリス・ジルベール調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳10月にロンシャン競馬場で行われたマイル戦で、英国の名手レスター・ピゴット騎手を鞍上にデビューしたが、5着に敗れてこの年の出走はこれだけだった。

3歳時は5月にサンクルー競馬場で行われたルパシャ賞(T2400m)から始動した。距離が伸びたのが良かったのか、ピゴット騎手を鞍上にこのレースで勝ち上がった。その12日後にはアラン・ルクー騎手と共にリュパン賞(仏GⅠ・T2100m)に出走。ノアイユ賞・ロシェット賞の勝ち馬カリエロールを1馬身差の2着に、シェーヌ賞・フォンテーヌブロー賞の勝ち馬でウィリアムヒルフューチュリティS2着・仏グランクリテリウム・仏2000ギニー3着のメンデスをさらに半馬身差の3着に下して、グループ競走初出走の身でGⅠ競走タイトルを手にした。

続いて仏ダービー(仏GⅠ・T2400m)に出走して、クリテリウムドサンクルー・グレフュール賞・オカール賞など4連勝中のダルシャーン、愛2000ギニー・ベレスフォードS・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬サドラーズウェルズ、デューハーストS2着馬レインボークエスト達と対戦した。しかしここでは後に名種牡馬として活躍する上記3頭の争いを後方から眺める事しかできず、勝ったダルシャーンから大差をつけられた10着と惨敗を喫した。

その後は愛ダービー(愛GⅠ・T12F)に出走した。しかしこのレースでは超大物の誉れ高かった英2000ギニー・デューハーストS・愛ナショナルS・レイルウェイSの勝ち馬で英ダービー2着のエルグランセニョールが、仏ダービーで3着だったレインボークエストを1馬身差の2着に抑えて勝利を収め、本馬はレインボークエストからさらに5馬身差をつけられた3着と完敗した。

引き続きキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)に出走した。仏ダービーから直行してきたダルシャーン、仏ダービー2着後にエクリプスSを勝っていたサドラーズウェルズ、前年の同競走を筆頭に英オークス・英チャンピオンS・コロネーションC・サンチャリオットS・フォワ賞を勝ち英1000ギニー・エクリプスSで2着していた5歳牝馬タイムチャーター、前年の英ダービーを筆頭にサンクルー大賞・リングフィールドダービートライアルS・オーモンドSを勝っていたティーノソ、英オークス・ヨークシャーオークス・英セントレジャーを勝ち凱旋門賞・コロネーションCで2着していたサンプリンセス、前年のアーリントンミリオンを勝っていた英2000ギニー・サセックスS2着のトロメオといった強敵がずらりと顔を連ねた。レースは先行したティーノソが2着サドラーズウェルズ以下に勝利を収め、本馬はティーノソから8馬身以上の差をつけられた7着に敗れた(10着ダルシャーンには一応は先着した)。

その後は米国に向かい、アーリントンミリオン(米GⅠ・T10F)に出走。しかし3年前の同競走を筆頭にサンタアニタH2回・サンルイレイS2回・サンフアンカピストラーノH・ハリウッド招待H3回・オークツリー招待H3回・ジョッキークラブ金杯・ハリウッドターフC・サンセットHなどを勝っていた当時の米国最強芝馬ジョンヘンリー、ハリウッドダービー・オペラ賞・ビヴァリーヒルズHなどを勝っていた後の第1回BCマイル覇者ロイヤルヒロイン、一昨年のケンタッキーダービー馬ガトデルソルといった強豪馬勢に歯が立たず、勝ったジョンヘンリーから10馬身1/4差の9着に敗れた。

本馬はそのまま米国に留まり、チャールズ・ウィッティンガム厩舎に転厩した。米国西海岸に腰を落ち着けた本馬は、10月にサンタアニタパーク競馬場で行われた芝9ハロンの一般競走に、名手ウィリアム・シューメーカー騎手を鞍上に出走。しかし英国でダイオメドSを勝った後に米国に移籍していたロフティの2馬身1/4差3着に敗れた。翌月にはハリウッドダービー(米GⅠ・T9F)に、ラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手を鞍上に出走した。このレースは毎年のように出走馬が多くて分割競走になっており、この年もそうだった。結果は、クリテリウムドメゾンラフィット・フォレ賞を勝ち愛2000ギニーで2着していた仏国からの遠征馬プロシーダ、米国に移籍してきたロジャーズ金杯2着馬エグゼクティヴプライド、マルレ賞・オペラ賞を勝って米国に移籍してEPテイラーSを勝っていたレーヌマチルドの3頭に屈して、勝ったプロシーダから1馬身差の4着に敗れた。次走のハリウッドターフC招待S(米GⅠ・T11F)でもピンカイ・ジュニア騎手とコンビを組んだが、ウィリアムヒルフューチュリティS・サンダウンクラシックトライアルS・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬で英セントレジャー3着のアルファベイティム、オークツリー招待H・タンフォランHなど3連勝で臨んできたボスエンズバーニング、ベルギーでGⅠ競走を2勝した後に米国に移籍してベイメドウズHを勝っていたスクループルズなど4頭に屈して、勝ったアルファベイティムから5馬身差の5着に敗退。3歳時の成績は9戦2勝に終わった。

競走生活(4歳時)

4歳時は1月から休み無く走り、まずはサンガブリエルH(米GⅢ・T9F)に出走。F・トロ騎手を鞍上に、カリフォルニアダービー馬パリスプリンスを鼻差の2着に抑えて勝ち、移籍後の初勝利を挙げた。同月に出走したサンマルコスH(米GⅢ・T10F)では、前年のハリウッドターフC招待Sで3着同着だったスクループルズを3/4馬身差の2着に、アルファベイティムを3着に破り、前年のハリウッドターフC招待Sの借りを返した。翌月に出走したシエラネヴァダS(米GⅢ・T10F)では、カリフォルニアダービー2着・スワップスS3着のマジェスティックショア、デルマーダービー・ウィルロジャーズSを勝っていたツナミスルーの2頭に敗れて、勝ったマジェスティックショアから2馬身差の3着だった。翌3月に出走したサンルイレイS(米GⅠ・T12F)では、シネマHの勝ち馬でスワップスS2着のプリンストゥルー、サンマルコスH・サンルイオビスポHの勝ち馬ウエスタンの2頭に屈して、勝ったプリンストゥルーから1馬身1/4差、2着ウエスタンから首差の3着と敗退。

4月にはレースに出ず、次走はこの年限りで廃止される5月のセンチュリーH(米GⅠ・T9F)となった。鞍上はトロ騎手からクリス・マッキャロン騎手に代わっていた。対戦相手は、マジェスティックショア、パリスプリンス、前年のハリウッドターフC招待Sで3着同着だったボスエンズバーニング、シエラネヴァダH2着後にサンハシントHを勝っていたツナミスルーなどだった。ここでは2着ボスエンズバーニングに2馬身半差をつける完勝で、移籍後のGⅠ競走初勝利を挙げた。

この年の米国芝路線は、前年まで中核を担っていたジョンヘンリーが引退して主役が不在となっており、良血である本馬が新たな主役になる事が期待された。ところが世の中は期待どおりにはいかないもので、以降の本馬は下降線を辿る。同月に出走したハリウッド招待ターフH(米GⅠ・T12F)こそ、勝ったボスエンズバーニングから3/4馬身差の2着と好走した。しかし7月のアメリカンH(米GⅡ・T9F)では、センチュリーHで5着に終わっていたツナミスルーから5馬身1/4差、イングルウッドHを勝ってきたサンアントニオH2着馬アルマムーンから3馬身半差をつけられた3着に敗退。8月に出走したエディリードH(米GⅡ・T9F)では、ツナミスルー、アルマムーン、ボスエンズバーニングなどに叩きのめされ、勝ったツナミスルーから8馬身差の6着と大敗した。

その2週間後に出走したアーリントンミリオン(米GⅠ・T10F)では、欧州でクイーンエリザベスⅡ世S・愛国際S2回・デズモンドS・クインシー賞を勝って遠征してきたテレプロンプター、この年のカリフォルニアンS・ハリウッド金杯・サンバーナーディノHを勝ちサンフェルナンドS・チャールズHストラブS・サンタアニタHで2着していたグレイントン、WLマックナイトH・ブーゲンヴィリアHを勝ちハイアリアターフカップH・ボーリンググリーンHで2着していたフライングピジョン、アルマムーンといった面々に打ちのめされ、勝ったテレプロンプターから10馬身1/4差をつけられた9着に終わった。そして翌月にベルモントパーク競馬場で出走したターフクラシックS(米GⅠ・T12F)では、マンハッタンH・ラトガーズH・タイダルH・バーナードバルークH2回の勝ち馬ウイン、AJCダービー・ローズヒルギニー・クイーンズランドダービー・コックスプレート・バーデン大賞・サンクルー大賞などを勝っていた豪州出身のストロベリーロード、アーリントンミリオンで3着だったフライングピジョン達を引き連れて勝利した単勝オッズ56倍の伏兵ノーブルファイターから20馬身近くも離された11着に沈み、ここで休養入りした。結局4歳時の成績は10戦3勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時は2月にサンタアニタパーク競馬場で行われた芝9ハロンの一般競走から始動した。ここでは、前年のサンマルコスHで本馬の3着に敗れた後に長期休養入りしてこれが復帰初戦だったアルファベイティムに敗れて、半馬身差の2着だった。続いて初ダートとなるサンタアニタH(米GⅠ・D10F)に出走した。主な対戦相手は、BCスプリント・スワップスS・サンフェルナンドS・チャールズHストラブS・サンラファエルS・デルマーH・マリブS・マーヴィンルロイH・サンパスカルHを勝っていた前年のエクリプス賞最優秀短距離馬プレシジョニスト、前年のサバーバンH・ジョッキークラブ金杯・ワシントンDC国際Sを勝ってエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれていたヴァンランディンガム、サンアントニオHを勝ってきたハティム、前年のアーリントンミリオン2着後は不調だったグレイントン、アルファベイティムなどだった。本馬の斤量は118ポンドで、125ポンドのプレシジョニスト、124ポンドのヴァンランディンガム、122ポンドのグレイントンなどより斤量的には恵まれていた。しかし本馬にはダート適性が無かったらしく、勝ったグレイントンに14馬身半差をつけられた11着と惨敗した。

ダート路線は断念し、次走はサンタアニタHから27日後のサンルイレイS(米GⅠ・T12F)となった。対戦相手は、前年のターフクラシックS3着後にBCターフで2着して前走アーケイディアHを勝ってきたストロベリーロード、サンタアニタHで4着だったアルファベイティム、一昨年に本馬が出走しなかった方の分割競走ハリウッドダービーを勝っていたロジャーズ金杯の勝ち馬フォスカリーニ、そして、皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念2回・天皇賞春・ジャパンCなどを勝って日本から遠征してきた史上4頭目の中央競馬三冠馬シンボリルドルフだった。前走からコンビを組むアレックス・ソリス騎手騎乗の本馬は、近走の不振にも関わらず1番人気の評価を受けた。ストロベリーロードが2番人気で、シンボリルドルフは3番人気だった。地元では3番人気止まりであったが、日本競馬史上最強馬の誉れ高い皇帝の海外初参戦という事で、日本の競馬関係者やサンタアニタパーク競馬場に詰め掛けた日本人応援団は大きな期待を抱いて発走を待った。

レースはストロベリーロードが先頭を奪い、それを他馬が追う展開で始まった。サンタアニタパーク競馬場の芝コースの特徴として、スタートして間もなくダートコースを横切る箇所がある事が挙げられる(競馬場はアルファベットのQの字に近い形態をしており、芝のスタート地点はQの字のヒゲ部分にあり、そこから円部分に入るところでダートコースを横切る)が、その場所を何事も無く全馬が過ぎていった、ように見えた。しかしシンボリルドルフはこの場所で外側に膨らむようにして走り、この頃からシンボリルドルフ鞍上の岡部幸雄騎手は愛馬の脚元を気にする仕草が見られた。それでもレースはそのまま進み、シンボリルドルフも馬群の中団後方で普通に走っていた。そのまま最終コーナーを過ぎて直線に入る。先頭は相変わらずストロベリーロードだったが、それにインコースから本馬が並びかけた。シンボリルドルフも最終コーナーで先団馬群に取り付いたが、ここから直線伸びない。レースは結局本馬が直線半ばでストロベリーロードを競り落とし、最後は1馬身3/4差をつけて優勝した。

本馬から10馬身遅れて6着でゴールしたシンボリルドルフは直後に岡部騎手が下馬。診断の結果は左前脚繋靭帯炎。ダートコースを横切った際に発症したと推察され、シンボリルドルフはそのまま現役引退となってしまった。レース中の故障が原因(それに遠征前にシンボリルドルフの陣営内では色々な不協和音が起きていたのは有名である)とはいえ、日本最強馬が惨敗した事実に、日本の競馬関係者は落胆の色を隠せず、その後しばらく日本馬の海外遠征は冬の時代を迎える事になる。そしてその原因となったレースの勝ち馬たる本馬の名は日本でも知れ渡ることとなった。

本馬は続いて、シンボリルドルフが次走として予定していたサンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ・T14F)に出走。主な対戦相手は、ストロベリーロード、サンタバーバラH・サンゴルゴーニオHなど3連勝で臨んできた牝馬マウンテンベア、ハードウィックS・コンセイユドパリ賞・セントサイモンS・ジョンポーターSの勝ち馬で前年のワシントンDC国際S3着の英国調教馬ジュピターアイランドなどだった。ここでもソリス騎手とコンビを組んだ本馬は、2着マウンテンベアに半馬身差をつけて勝利を収めた。

次走のハリウッド招待ターフH(米GⅠ・T12F)では、前年のターフクラシックS6着後にWLマックナイトH・ブーゲンヴィリアHをいずれも2連覇していたフライングピジョン、前年のアーリントンミリオン8着後にタンフォランHを勝ちオークツリー招待Sで2着していたボスエンズバーニングなどが対戦相手となった。ここではフライングピジョンが勝利を収め、本馬は首差2着だった。次走のサンセットH(米GⅠ・T12F)では、ハリウッドターフカップS・サイテーションH・イングルウッドHを勝っていたゾファニーの3/4馬身差2着に敗れたが、3着フライングピジョンには先着(このレースには仏国でエスペランス賞を勝って米国に移籍してきた本馬の半弟リヴリアも出走していたが7着に終わっている)するなど、好走を続けた。

秋はこの年サンタアニタパーク競馬場で行われるブリーダーズカップが最大目標だった。本馬は既にサンタアニタHで惨敗してダート適性が無い事が立証されていたのだが、それでも諦めきれない陣営は本馬をBCクラシックに出したかったようで、前哨戦として本番18日前にサンタアニタパーク競馬場で行われるヤンキーヴァローS(D9F)を選んだ。サンタアニタH6着後にカリフォルニアンS・ウッドワードS・サンバーナーディノHを勝っていたプレシジョニスト、メトロポリタンH・スタイヴァサントH・ホーソーン金杯H・ウエストチェスターH・エクセルシオールHと5連勝中のガーソーン、BCジュヴェナイル・デルマーフューチュリティ・ブリーダーズフューチュリティを勝っていた前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬タッソーなどが出走しており、ここで好走できればBCクラシックでも勝負になる可能性があった。しかし結果は勝ったプレシジョニストから8馬身差をつけられた4着に大敗。

この結果を受けてBCクラシックは断念して、BCターフ(米GⅠ・T12F)に出走した。しかしこの年のBCターフは稀に見るハイレベルなメンバー構成になっていた。その筆頭格は、英2000ギニー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・凱旋門賞を勝って欧州競馬史上有数の名馬の称号を獲得していたダンシングブレーヴであり、他にも、アーリントンミリオン・サンタアナH・ゲイムリーH・ラスパルマスH・イエローリボン招待S・オークツリー招待SとGⅠ競走6勝の名牝エストラペイド、ユナイテッドネーションズH・ターフクラシックS・シネマH・レキシントンS・スコッチクラシックSと5連勝中のマニラ、ヴェルメイユ賞・プシシェ賞の勝ち馬ダララ、デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬で愛ダービー・オークツリー招待S2着のシアトリカル、ダイアナH・ボーゲイHの勝ち馬でマンノウォーS2着のデューティーダンス、伊オークス・EPテイラーSの勝ち馬アイバーズイメージ、レムセンS・ラトガーズHなどの勝ち馬でマンノウォーS3着のピラスターが出走していた。このメンバー構成の中に混ざって前走ダート競走という臨戦過程では、好走しろと言うほうが無茶であり、勝ったマニラから10馬身1/4差をつけられた5着と完敗した。なお、このレースではダンシングブレーヴが4着に敗れているが、その原因として、やはりダートコースを横切った際のアクシデント(目に砂が入った)が挙げられている。

次走のハリウッドターフC招待H(米GⅠ・T12F)では、前走2着のシアトリカル、同3着のエストラペイド、それに前走BCクラシックを勝ってきたサンタアニタダービー・マーヴィンルロイH・ロングエーカーズマイルH・サンディエゴHの勝ち馬スカイウォーカーが強敵と思われた。しかし勝ったのは、この年のサンルイレイSで本馬の3着に敗れた後にハリウッド金杯2着・BCクラシック5着などダート路線を進んでいたアルファベイティムで、本馬は頭差の2着に惜敗した。シアトリカルは本馬からさらに首差の3着で、スカイウォーカーは5着、エストラペイドは6着だった。5歳時の成績は9戦2勝だった。

6歳時も、かつてスルーオゴールドを管理したシドニー・J・ウォッターズ・ジュニア厩舎に転厩して現役を続行しようとした。しかし6歳時はレースに出ることは無く、そのまま競走馬引退となった。

血統

Lyphard Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Goofed Court Martial Fair Trial Fairway
Lady Juror
Instantaneous Hurry On
Picture
Barra Formor Ksar
Formose
La Favorite Biribi
La Pompadour
Dahlia Vaguely Noble ヴィエナ Aureole Hyperion
Angelola
Turkish Blood Turkhan
Rusk
Noble Lassie Nearco Pharos
Nogara
Belle Sauvage Big Game
Tropical Sun
Charming Alibi Honeys Alibi Alibhai Hyperion
Teresina
Honeymoon Beau Pere
Panoramic
Adorada Hierocles Abjer
Loika
Gilded Wave Gallant Fox
Ondulation

リファールは当馬の項を参照。

ダリアは当馬の項を参照。→牝系:F13号族②

母父ヴェイグリーノーブルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は6歳時から米国で種牡馬入りした。9歳時からは新国にもシャトルされた。さらに13歳時の1994年には日本に輸入され、早田牧場傘下のCBスタッドで供用された。この前年の1993年に、本馬に先んじて日本に輸入されて早田牧場で種牡馬生活を送っていた半弟リヴリアが、その初年度産駒が活躍する最中に急逝しており、本馬にリヴリアの代替として白羽の矢が立ったのではと思われる。もっとも、日本に輸入できたのは海外における本馬の種牡馬成績が今ひとつだったのも理由の1つである。日本では初年度に118頭、2年目は48頭、3年目は67頭、4年目の1997年は53頭と、当初は交配数が確保されていた。しかし1997年にデビューした日本における初年度産駒の成績が振るわず、5年目は7頭、6年目は20頭、7年目は6頭、8年目は7頭、9年目の2002年も7頭と、交配数に恵まれなくなり、徐々に忘れられていった。2003年に22歳で他界した。海外における種牡馬成績が今ひとつだったとは言っても複数のGⅠ競走の勝ち馬を輩出しているが、日本では1頭の重賞勝ち馬も出せず、全日本種牡馬ランキングでは2000年の99位が最高と、惨憺たる結果に終わった。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1988

Buckhar

ワシントンDC国際マイルS(米GⅠ)・カナディアンターフH(米GⅡ)

1989

Daacha

AJCシドニーC(豪GⅠ)

1990

Corby

サンフェリペS(米GⅡ)

1990

Siebe

アスコットH(米GⅢ)

1991

Stony Bay

ザBMW(豪GⅠ)・STCランヴェットS(豪GⅠ)

1992

Des's Dream

AJCオールエイジドS(豪GⅠ)

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