和名:ダークロナルド |
英名:Dark Ronald |
1905年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:ベイロナルド |
母:ダーキー |
母父:スリオ |
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競走馬としては屈腱炎のため大成出来なかったが独国で種牡馬として成功し独国土着の血統の祖ともなったサンインローの父 |
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競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績7戦4勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
後にザテトラークの生産者となる愛国の馬産家エドワード・ケネディ氏により、愛国ストラファンスタッドにおいて生産された愛国産馬である。父ベイロナルドは競走馬としては一流半で、種牡馬としても当時は大して期待されていなかった。母ダーキーも未勝利馬だったため、本馬に対する期待もそれほど高いものではなかったと思われる。しかし1歳時のドンカスターセールに出品された本馬は、南アフリカのダイヤモンドの採掘で大富豪となったエイブ・ベイリー卿により1300ギニーという結構な高額で購入された。
競走生活
2歳時にハーストパーク競馬場で行われたハーストパークフォールプレート(T5F)でデビューして、このレースで勝ち上がった。次走のリングフィールドパークフォールプレートでは2着となり、2歳時は2戦1勝の成績だった。しかしその後、両前脚に脚部不安を発症してしまった。最初に跛行を起こし、次に腱が腫れ上がったという症状から、屈腱炎であったと思われる。そのために英国からベイリー卿の地元南アフリカに移され、約2年間の休養生活に入った。
4歳になった本馬は英国に戻り競走に復帰。まずは4月のニューベリースプリングC(T8F)に出走したが、アランモアの着外に敗れた(この3か月後のエクリプスSで本馬と同父の名馬ベイヤードの2着するジムクラックSの勝ち馬ロイヤルリアルムが4馬身差の2着だった)。しかし次走のダルハムプレート(T10F)で、デビュー戦以来久々の勝ち星を挙げた。6月にはロイヤルハントC(T7F166Y)に出走。ニューベリースプリングCで本馬を破ったアランモアや、後にケンブリッジシャーHを2連覇するクリスマスデイジーといった馬達が出走していたが、本馬がアランモアを2着に、クリスマスデイジーを3着に破って勝利した。ベイリー卿はこのレースで本馬の勝利にしこたま賭けており、10万ポンドもの巨利を得たという。翌月に出走したプリンセスオブウェールズS(T12F)では、前年の英セントレジャー・エクリプスS・セントジェームズパレスSを勝っていたユアマジェスティ、前月のハードウィックSを勝ってきた前年の英ダービー2着馬プライマーといった当時の英国を代表する有力馬勢が立ち塞がってきた。しかし本馬がプライマーを2着に、ユアマジェスティを3着に破って勝利を収めた。
次走は9月のドンカスターC(T18F)となった。しかしここでは、ゴールドヴァーズの勝ち馬アマディス、ヴィシー大賞を勝ち仏共和国大統領賞・ロワイヤルオーク賞で2着していたロイヘロドの2頭に後れを取り、アマディスの3着に敗れた。ちなみに本馬の生産者ケネディ氏はこのレースで本馬に先着したロイヘロドに興味を抱いて購入し、そしてザテトラークを生産する事になったのは有名な話である。一方の本馬は、ドンカスターCの直後に脚部不安が再発したため、4歳時5戦3勝の成績を残して競走馬を引退した。
血統
Bay Ronald | Hampton | Lord Clifden | Newminster | Touchstone |
Beeswing | ||||
The Slave | Melbourne | |||
Volley | ||||
Lady Langden | Kettledrum | Rataplan | ||
Hybla | ||||
Haricot | Lanercost | |||
Queen Mary | ||||
Black Duchess | Galliard | Galopin | Vedette | |
Flying Duchess | ||||
Mavis | Macaroni | |||
Merlette | ||||
Black Corrie | Sterling | Oxford | ||
Whisper | ||||
Wild Dayrell Mare | Wild Dayrell | |||
Lady Lurewell | ||||
Darkie | Thurio | Cremorne | Parmesan | Sweetmeat |
Gruyere | ||||
Rigolboche | Rataplan | |||
Gardham Mare | ||||
Verona | Orlando | Touchstone | ||
Vulture | ||||
Iodine | Ion | |||
Sir Hercules Mare | ||||
Insignia | Blair Athol | Stockwell | The Baron | |
Pocahontas | ||||
Blink Bonny | Melbourne | |||
Queen Mary | ||||
Decoration | Knight of the Garter | The Prime Minister | ||
Rosa Bonheur | ||||
Toison d'Or | Buccaneer | |||
Auld Acquaintance |
父ベイロナルドは当馬の項を参照。
母ダーキーは現役時代2戦未勝利。母としては本馬の半姉デジレー(父ヴェラスケス)【ジムクラックS】も産んでいる。デジレーの子にはモンデジール【独オークス】がおり、モンデジールの曾孫にはヴィダーハル【バーデン大賞・独2000ギニー】とヴェールディッヒ【独ダービー・独2000ギニー】の兄弟がいるが、牝系はそれ以上発展しなかった。
ダーキーの4代母オールドアクアインテンスは1852年の英ダービー馬ダニエルオルークの1歳年下の全妹。オールドアクアインテンスの半妹フェアギスマインニヒトの牝系子孫は発展しており、ヒルプリンス【プリークネスS・ウッドメモリアルS・ウィザーズS・アメリカンダービー・ジェロームH・ジョッキークラブ金杯・サンセットH】、シケーダ【スピナウェイS・メイトロンS・フリゼットS・ガーデニアS・エイコーンS・ケンタッキーオークス・マザーグースS・ベルデイムS】、ダークミラージュ【ケンタッキーオークス・エイコーンS・マザーグースS・CCAオークス・モンマスオークス・デラウェアオークス】、インディアンスキマー【サンタラリ賞(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)】、キングズシアター【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)】、メダグリアドーロ【トラヴァーズS(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)・ドンH(米GⅠ)】、ヘンリーザナヴィゲーター【英2000ギニー(英GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)】などこの名馬列伝集で紹介している馬が多く出ている。マンノウォーに唯一の黒星をつけたアップセットもフェアギスマインニヒトの牝系出身馬。→牝系:F9号族③
母父スリオはクレモーン産駒で、パリ大賞・クレイヴンS・クイーンアレクザンドラSなどに勝った実力馬だが、種牡馬としては成功しなかった。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、1910年から英国チックフォードパークスタッドにおいて種付け料98ポンドで種牡馬生活を開始した。初年度産駒からサンインロー、アンバサダーを出し、2年目産駒からはヴォクリューズ、4年目産駒からもダークレジェンド、マグピーといった名馬を輩出したのだが、これらの産駒が競走馬として結果を出す前の1913年、本馬は独国ナショナルスタッドの所有者ブルクハルト・フォン・エッティンゲン氏により2万5千ポンドで購入された。同牧場の経営を任されていたシグムント・レーンドルフ氏とゲオルグ・フォン・レーンドルフ氏の兄弟は、英国を訪れていた際に本馬を見初めていたのである。
独国に移動した本馬は種牡馬として大きな成功を収め、1918年から5年連続で独首位種牡馬に輝いた。代表産駒は独ダービー馬ヘロルド、独セントレジャー馬プルナスである。1928年に繋養先のナショナルスタッドにおいて23歳で他界した。
本馬の直系はサンインロー、プルナス、ヘロルドの3頭の後継種牡馬により発展した。
サンインローは長距離得意の産駒を数多く出し、長距離戦が重視されていた当時の英国競馬に適合して一時期かなりの勢力を誇ったが、時代が距離短縮に向かうと衰退し、現在ではエルバジェを経由する系統がごく僅かに生き残っているのみである。
プルナスは5回の独首位種牡馬に輝く名種牡馬となり、ソビエト連邦など東側社会主義国圏で勢力を伸ばしたが、現在では直系は途絶えている。
本馬の直系で現在でも活躍しているのは、独首位種牡馬に2回輝いたヘロルドの流れである。ヘロルドから、アルヒミスト、ビルクハーン、リテラート、ズルムー、アカテナンゴ、ランド(以上のうちリテラート以外は全て独ダービー優勝馬。リテラートのみ独ダービーのレース中に故障して勝てなかった)と続く独国土着の系統として現在でも繁栄している。
他に本馬の直子で特筆するべき馬にダークレジェンドがいる。ダークレジェンドは当初英国で走り、英ダービーで英国三冠馬ゲイクルセイダーの3着に入るなどの成績を残していたが、第一次世界大戦を避けてインドへ向かい、彼の地ではアガカーンCなど6戦5勝の成績を残してインド最強馬とも呼ばれた。大戦終了後は英国に戻ったが、活躍は出来ずに通算成績19戦8勝で引退。種牡馬としては仏国で供用され、英1000ギニー・英オークス馬ガラティー、仏ダービー馬デュプレックス、ロージーレジェンド(ダンテ、サヤジラオの母)など多くの活躍馬を出した。
あと、本馬の血筋は、主に乗馬や競技用として使役されるホルシュタイン種の改良にも大きく貢献した。独国シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州が原産であるためその名が付いたホルシュタイン種の改良に独国の馬産界は積極的であり、本馬を英国から導入した目的の1つもそれだったらしい。また、それとは別に、馬術競技の歴史的種牡馬となったフリオーソにも母の父サンインローを通じて本馬の血が受け継がれているし、そのフリオーソを母の祖父に持つ20世紀下半期におけるホルシュタイン種界最大の種牡馬コーデラブライヤーにも本馬の血が入っている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1911 |
Ambassador IV |
ジュライS |
1911 |
グッドウッドC・ジョッキークラブC2回・シザレウィッチH |
|
1912 |
Vaucluse |
英1000ギニー |
1913 |
Analogy |
グリーナムS |
1914 |
Brown Prince |
ジョッキークラブC・ケンブリッジシャーH |
1914 |
Ethiopian |
VRCカンタラS |
1914 |
Magpie |
VATCコーフィールドS・VRCマッキノンS |
1915 |
Perle |
ドイツ牝馬賞 |
1915 |
Prunus |
独2000ギニー |
1916 |
Eckstein |
独2000ギニー・ベルリン大賞 |
1916 |
Tulipan |
独1000ギニー・独オークス・ドイツ牝馬賞 |
1917 |
Herold |
独ダービー・ベルリン大賞 |
1917 |
Wallenstein |
ベルリン大賞 |
1918 |
Harfe |
ドイツ牝馬賞 |
1918 |
Traumer |
バーデン大賞 |
1922 |
Aditi |
バーデン大賞 |
1927 |
Stromschnelle |
独1000ギニー・独オークス |