和名:サンシャインフォーエヴァー |
英名:Sunshine Forever |
1985年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ロベルト |
母:アウトワードサンシャイン |
母父:グロースターク |
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ダートでは芽が出なかったが芝で素質を開花させて従兄弟ブライアンズタイム以上の評価を得たが種牡馬としては従兄弟の足元にも及ばなかった |
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競走成績:2~4歳時に米加で走り通算成績23戦8勝2着6回3着3回 |
誕生からデビュー前まで
父ロベルトや母アウトワードサンシャインの所有者でもあったジョン・W・ガルブレイス氏が所有するケンタッキー州ダービーダンファームで誕生した。ダービーダンファームの名義で競走馬となり、ジョン・M・ヴィーチ調教師に預けられた。
競走生活(3歳前半まで)
2歳時8月にサラトガ競馬場で行われたダート7ハロンの未勝利戦でジェリー・ベイリー騎手を鞍上にデビューしたが、勝ち馬から16馬身差の8着と惨敗した。それから9日後に出走したサラトガ競馬場ダート6ハロンの未勝利戦も、後のトロピカルパークダービーの勝ち馬ディグレスから9馬身差の7着に敗退。さらに19日後に出走したサラトガ競馬場ダート7ハロンの未勝利戦も、翌10月にヤングアメリカSを勝つファイアリーエンスンから12馬身差の5着に敗れた。10月になり、ベルモントパーク競馬場で行われた8.5ハロンの未勝利戦で初めて芝のレースに出走したところ、スマートラッドの頭差2着と好走した。2歳最後のレースとなった12月のハイアリアパーク競馬場ダート9ハロンの未勝利戦では、勝ったファンシーフーファーから11馬身差の3着に終わった。そこで陣営は本馬をダート戦で走らせることを断念。以降の本馬は芝レースのみに出走することになる。2歳時の成績は5戦未勝利だった。
3歳4月にアケダクト競馬場で行われた芝8.5ハロンの未勝利戦で、主戦となるアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手を鞍上に復帰すると、2着プロフィットバイエントリーに3馬身差で快勝してようやく初勝利を挙げた。翌5月に出たアケダクト競馬場芝9ハロンの一般競走は古馬相手のレースだったが、2着サルトリーシーズンに1馬身3/4差で勝利した。それから13日後に出たサラナクS(米GⅡ・T8F)では、前走フォアランナーSを勝ってきたポーセンの3/4馬身差2着だった。6月にはベルモントパーク競馬場芝8.5ハロンの一般競走に出て、3馬身1/4差で完勝。
引き続き出走したヒルプリンスS(米GⅢ・T8.5F)では、サラナクSから直行してきたポーセンを6馬身差の2着に下して圧勝した。7月にはレキシントンS(米GⅡ・T10F)に出て、2着ホッジズベイに1馬身3/4差で勝利した。
そして同月末のソードダンサーH(米GⅠ・T12F)でGⅠタイトル獲りに挑んだ。しかしオーキッドH・ニューヨークH・ブラックヘレンH・コロンビアナH・ニュージャージーターフクラシック・スワニーリヴァーHとグレード競走6勝を挙げていた牝馬アンカジャーマニアに敗れて、1馬身半差の2着だった。それでも、イエローリボンS・パンアメリカンH・マッチメイカーSなどの勝ち馬キャロティーン、マンハッタンH・レキシントンSなどの勝ち馬ミレシアスといった面々には先着した。
次走は、アーリントンパーク競馬場が改装中だったため加国のウッドバイン競馬場で行われたアーリントンミリオン(加GⅠ・T10F)となった。アンカジャーマニア、前走3着のキャロティーンに加えて、マルセルブサック賞・愛2000ギニー・英チャンピオンS2回・ガネー賞・コロネーションC2回・マッチメイカー国際S・愛チャンピオンSとGⅠ競走を9勝していたトリプティク、サンフアンカピストラーノ招待H・サンルイオビスポH・ゴールデンゲートHなどの勝ち馬でハリウッド招待ターフH・ワシントンDC国際S・サンルイレイS2着のグレートコミュニケーター、ジョンヘンリーH・エディリードH・デルマーダービーの勝ち馬デピュティガヴァナー、ユナイテッドネーションズH・サラナクS・レッドスミスH・カナディアンターフHなどの勝ち馬エクワライズ、サンセットHを勝ってきたロワノルマン、前年の英ダービーでリファレンスポイントの2着だったセレクトSの勝ち馬モストウェルカム、ローレルターフカップS・アップルトンH・エルクホーンSなどの勝ち馬ヤンキーアフェアー、エヴリ大賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞3着のサムシングトゥルー、シュマンドフェルデュノール賞・メシドール賞を連勝してきたミルネイティヴ、加国三冠競走の第2戦プリンスオブウェールズSを勝ってきたリーガルクラシックなどが参戦してきた。レースはリーガルクラシックが先頭を引っ張り、本馬は4~5番手の好位につけた。三角に入ったところで本馬が仕掛けて外側から先頭のエクワライズに迫っていった。そして2番手で直線に入ってきたが、本馬と一緒に好位を走っていたミルネイティヴが外側から本馬を抜き去っていった。結局エクワライズも捕まえられなかった本馬は、勝ったミルネイティヴから1馬身1/4差の3着に敗れた。
なお、コルデロ・ジュニア騎手は別の競馬場に行っていたためにこのレースには不参加だった(本馬には代わりにジョン・ヴェラスケス騎手が騎乗した)。そのためにヴィーチ師は怒ってコルデロ・ジュニア騎手を本馬の主戦から降ろそうとしたらしいが、結局はこれ以降もコルデロ・ジュニア騎手が本馬に乗ることになった。
競走生活(3歳後半)
こうした経緯があったためか、次走のマンノウォーS(米GⅠ・T11F)ではコルデロ・ジュニア騎手が渾身の騎乗を見せた。バーナードバルークHの勝ち馬マイビッグボーイ、レッドスミスHの勝ち馬ペイザバトラー、ロングブランチS・ランプライターHの勝ち馬ミセレクトといった実力馬達が相手となったが、四角先頭から直線で押し切り、大外から追ってきたペイザバトラーを半馬身差の2着に抑えて勝利した。
次走のターフクラシックS(米GⅠ・T12F)では、ペイザバトラー、前走3着のマイビッグボーイ、アーリントンミリオンSで6着だったモストウェルカムなどが対戦相手となった。ここでは本馬の経歴の中では初めてとなる逃げを打ち、直線で後続との差を広げて、2着マイビッグボーイに4馬身3/4差をつけて圧勝した。
次走のバドワイザー国際S(米GⅠ・T10F)は、後に本馬の余生を見守ることになるオールドフレンズの代表者マイケル・ブロウエン氏をして、今まで見た中で最も素晴らしいレースだったと言わしめたもので、本馬のベストレースであるとされている。本馬は直線で先頭に立ったものの、内側から来たサンルイレイS・ゴールデンゲートHの勝ち馬フランクリーパーフェクトと、外側から来たドラール賞の勝ち馬スクイルにかわされて3番手に後退。直線で後続馬に差された時点で優勝争いからは完全に脱落するのが常識なのだが、ここから本馬は猛然と盛り返したのである。そしてフランクリーパーフェクトをゴール寸前で差し返して首差で勝ち、GⅠ競走3連勝とした。
シーズン最後のレースはチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)となった。対戦相手は、サンタラリ賞・仏オークス・愛チャンピオンS・英チャンピオンS・サンチャリオットSを勝っていた英国の名牝インディアンスキマー、ロスマンズ国際S・サンチャリオットS・ゴードンリチャーズSの勝ち馬でコロネーションC2着のインファミー、ガネー賞2連覇に加えてイスパーン賞・サンクルー大賞2着・凱旋門賞3着などの実績があったセントアンドリュース、ユジェーヌアダム賞の勝ち馬サーフーブ、ルイジアナダウンズHの勝ち馬で前走ロスマンズ国際S2着のエルセニョール、フランクリーパーフェクト、ソードダンサーHで6着だったミレシアス、アーリントンミリオンSで7着だったグレートコミュニケーター、同10着だったトリプティクの計9頭だった。本馬とインディアンスキマーが人気を分け合い、最終的にはインディアンスキマーが単勝オッズ2.2倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.1倍の2番人気となった。
スタートが切られると最内枠から発走した単勝オッズ13.4倍の6番人気馬グレートコミュニケーターが先頭に立ち、内側2番枠発走の本馬は2番手を追走、インディアンスキマーはその後方につけた。レースはスローペースで進行し、後半になってトリプティクが仕掛けると同時に他馬も一気に加速する上がりの競馬となった。そしてグレートコミュニケーター、本馬、トリプティク、インディアンスキマーの4頭が横一線となって直線に入ってきたが、グレートコミュニケーターが二の脚を使ってゴールまで粘り切って勝利し、本馬は半馬身差の2着に惜敗してしまった。それでもこの年12戦8勝2着3回の好成績で、エクリプス賞最優秀芝牡馬のタイトルを手にした。
競走生活(4歳時)
4歳時は2月にガルフストリームパーク競馬場で行われたカナディアンターフH(米GⅡ・T8.5F)から始動した。前年のアーリントンミリオンS2着後にしばらく休養して復帰後はクリスマスデイH・ガルフストリームパークBCターフSを勝つなど好調を維持していたエクワライズ、前年のマンノウォーSで7着だったミセレクトなどが対戦相手となった。ここではイコライズが勝利を収め、本馬は3馬身差の2着に敗れた。一間隔を空けて出走した5月のフォートマーシーH(米GⅢ・T8.5F)では、ブーゲンビリアHで3着してきたアーリーンズヴァレインタイン、セントポールダービーの勝ち馬フォースターデイヴの2頭に後れを取り、アーリーンズヴァレインタインの1馬身半差3着に敗退。
その後はしばらく休養して、9月にベルモントパーク競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走で復帰したが、勝ったメイシオから7馬身3/4差の5着とまさかの大敗。翌月にベルモントパーク競馬場で出た芝10ハロンのハンデ競走では、レキシントンSの勝ち馬クーサラッガから3馬身差の2着に終わった。
前年勝利したバドワイザー国際S(米GⅠ・T10F)では、ローレンスリアライゼーションSなど3連勝中のカルテック、前年のアーリントンミリオンSで12着に終わるもこの年はユナイテッドネーションズH・マンノウォーS・ターフクラシックを勝ちアーリントンミリオンSで3着していたヤンキーアフェアー、アメリカンHの勝ち馬ミスターワンダフルなどに歯が立たず、勝ったカルテックから8馬身差の6着に終わった。
その後はガルフストリームパーク競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に向かった。カルテック、前年のBCターフでは6着に終わるもこの年はハイアリアターフカップH・ボーリンググリーンH・ソードダンサーHとGⅠ競走3勝を挙げていたエルセニョール、サンタラリ賞の勝ち馬で凱旋門賞2着のベヘーラ、仏オークス馬でアーリントンミリオンS2着のレディインシルヴァー、英国際S・ロジャーズ金杯の勝ち馬イルドシプル、スワップスSで同年のエクリプス賞年度代表馬サンデーサイレンスを2着に破っていたプライズド、前年のレキシントンSで本馬の2着に入った後に地道に実績を積み重ねて前走ロスマンズ国際SでGⅠ競走勝ち馬となっていたホッジズベイ、ノネット賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞2着のシエラロベルタ、デューハーストSの勝ち馬シーニック、前年のBCターフでは5着だったが前々走のマンハッタンHで2連覇を達成してきたミレシアス、ロワイヤルオーク賞・アルクール賞・エヴリ大賞・フォワ賞の勝ち馬スターリフトなどが対戦相手となった。本馬は単勝オッズ19.2倍の7番人気まで評価を下げていた。そしてレースでは何の見せ場もなく、勝った単勝オッズ9.8倍の6番人気馬プライズドから14馬身差をつけられ、14頭立ての最下位と惨敗。このレースを最後に、4歳時6戦未勝利の成績で競走馬を引退した。
血統
Roberto | Hail to Reason | Turn-to | Royal Charger | Nearco |
Sun Princess | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | |||
Lavendula | ||||
Nothirdchance | Blue Swords | Blue Larkspur | ||
Flaming Swords | ||||
Galla Colors | Sir Gallahad | |||
Rouge et Noir | ||||
Bramalea | Nashua | Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Segula | Johnstown | |||
Sekhmet | ||||
Rarelea | Bull Lea | Bull Dog | ||
Rose Leaves | ||||
Bleebok | Blue Larkspur | |||
Forteresse | ||||
Outward Sunshine | Graustark | Ribot | Tenerani | Bellini |
Tofanella | ||||
Romanella | El Greco | |||
Barbara Burrini | ||||
Flower Bowl | Alibhai | Hyperion | ||
Teresina | ||||
Flower Bed | Beau Pere | |||
Boudoir | ||||
Golden Trail | Hasty Road | Roman | Sir Gallahad | |
Buckup | ||||
Traffic Court | Discovery | |||
Traffic | ||||
Sunny Vale | Eight Thirty | Pilate | ||
Dinner Time | ||||
Sun Mixa | Sun Briar | |||
Comixa |
父ロベルトは当馬の項を参照。
母アウトワードサンシャインは現役成績28戦6勝。本馬以外に特筆できる競走成績を残した子はいないが、本馬の全妹アワーディアスーの孫にはヴィーイーデイ【トラヴァーズS(米GⅠ)】が、半妹ハッピーサンシャイン(父セクレト)の曾孫にはノートン【ドスミルギネアス大賞(亜GⅠ)】が、半妹サンシャインアバヴ(父ターコマン)の子にはアーヴェロード【ギャラントフォックスH(米GⅢ)】がいるなど、牝系子孫からは活躍馬が複数出ている。
アウトワードサンシャインの母ゴールデントレイルは現役成績11戦2勝。その子には、アウトワードサンシャインの半兄グリーミングライト(父ネヴァーベンド)【ドワイヤーH】や、全姉ジャワムーン【カムリーS(米GⅢ)】がいる。ゴールデントレイルはかなり優秀な牝系を構築しており、その牝系子孫には日本に馴染みがある馬も少なくない。アウトワードサンシャインの半姉メドウストリーム(父ネイティヴダンサー)の曾孫には日本で走ったシルクブラボー【デイリー杯2歳S(GⅡ)】、玄孫には日本で走ったシルクフォーチュン【プロキオンS(GⅢ)・根岸S(GⅢ)・カペラS(GⅢ)】が、半姉オンザトレイル(父オリンピア)の子にはダービークリークロード【サラトガスペシャルS(米GⅡ)】とアンドーヴァーウェイ【トップフライトH(米GⅠ)・ネクストムーヴH(米GⅢ)】の兄妹、孫には悲運のケンタッキーダービー馬バーバロの父であるダイナフォーマー【ジャージーダービー(米GⅡ)・ディスカヴァリーH(米GⅡ)】、曾孫にはオフリーワイルド【サバーバンH(米GⅠ)】、玄孫にはモナーコス【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)】、ニューリアルディール【クリアドレス大賞(亜GⅠ)・イグナシオコレアス大賞(亜GⅠ)】、エネルギアダボス【リネアヂパウラマシャド大賞(伯GⅠ)】、日本で走ったエアデジャヴー【クイーンS(GⅢ)】とエアシャカール【皐月賞(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)】の姉弟、牝系子孫にはエアデジャヴーの子であるエアシェイディ【アメリカジョッキークラブC(GⅡ)】とエアメサイア【秋華賞(GⅠ)・ローズS(GⅡ)】の兄妹、エアソミュール【毎日王冠(GⅡ)・鳴尾記念(GⅢ)】、ケラ【ビングクロスビーBCH(米GⅠ)】が、ジャワムーンの孫にはメモリーズオブシルヴァー【クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ)・ビヴァリーDS(米GⅠ)】、曾孫にはウィンターメモリーズ【ガーデンシティS(米GⅠ)・ダイアナS(米GⅠ)】、玄孫にはトゥオナーアンドサーヴ【シガーマイルH(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】が、全妹ケリーズディーの子にはブライアンズタイム【フロリダダービー(米GⅠ)・ペガサスH(米GⅠ)・ジムダンディS(米GⅡ)】、曾孫にはオーシャンクエスト【ミルギネアス賞(智GⅠ)】、日本で走ったヒラボクキング【平安S(GⅢ)】が、全妹オータムグローリーの孫にはライアファン【マルセルブサック賞(仏GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)】がいる。
上記に挙げた本馬の近親の中でも特筆すべきは、本馬の従兄弟である日本の大種牡馬ブライアンズタイムであろう。ブライアンズタイムと本馬は父も生年も同じ(本馬のほうが2か月半早く産まれている)で、血統表で違うのは母の名前と生年のみ(アウトワードサンシャインとケリーズディーは3歳違い)である。ちなみにブライアンズタイムと本馬は生産者も調教師も同じだが、馬主名義は異なり、ブライアンズタイムはガルブレイス氏の娘夫婦ジェームズ・W・フィリップ夫妻の名義で走っていた。→牝系:F4号族⑤
母父グロースタークは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のダービーダンファームで種牡馬入りした。なお、以下のような有名な逸話が存在する。本馬が競走馬を引退した直後に、日本の早田牧場からダービーダンファームに対して、本馬を種牡馬として購入したいという申し出があった。しかしダービーダンファームが提示した金額が高額だったために交渉は決裂した。しかしダービーダンファームは、ちょうど本馬と同じ年に競走馬を引退していたブライアンズタイムならもっと安い値段で売却できると提案した。これは世代も血統も似通った種牡馬を2頭所有していてもあまり意味が無く、ブライアンズタイム(GⅠ競走2勝)より本馬(GⅠ競走3勝)の方が競走実績は上位で、能力も本馬の方が上だとダービーダンファームが判断したためだという。早田牧場はこの提案を受け、ブライアンズタイムを日本に連れて行き、本馬は米国に留まったのだった。
ところが、ブライアンズタイムが日本で種牡馬として大ブレイクしたのとは対照的に、本馬の米国における種牡馬成績は不振だった。そのために1995年に本馬も日本に種牡馬として輸入され、翌年からCBスタッドで繋養された。ブライアンズタイムとほぼ同じ血統の持ち主で競走成績は上位という事で種牡馬として人気を集め、供用1年目は105頭、2年目は112頭、3年目は87頭、4年目の1999年は68頭の繁殖牝馬を集めた。しかしこの1999年にデビューした日本における初年度産駒の成績は不振であり、5年目の交配数は30頭まで減少。その後も産駒成績が上昇する兆しは無かったため、6年目は6頭、7年目は1頭、8年目は4頭、9年目の2004年は4頭と、交配数は毎年一桁となった。
この2004年に種牡馬を引退。その後、功労馬保護団体オールドフレンズの代表者マイケル・ブロウエン氏に買い戻され(2003年に発覚したエクリプス賞年度代表馬ファーディナンド屠殺事件が影響している)、2004年11月以降は米国ケンタッキー州にあるオールドフレンズ所有の牧場で余生を過ごした。ブロウエン氏は、オールドフレンズに最初にやって来た馬の1頭である本馬の事をとても可愛がっており、本馬もブロウエン氏にはとてもよく懐いていた。従兄弟のブライアンズタイムが他界した9か月後の2014年1月、本馬はオールドフレンズにおいて心臓発作のため29歳で他界した。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1993 |
Gastronomical |
イートンタウンS(米GⅢ) |
1995 |
Sunshine Street |
サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ) |
1998 |
シングルトラック |
クラウンC(南関GⅢ) |