ラストタイクーン

和名:ラストタイクーン

英名:Last Tycoon

1983年生

黒鹿

父:トライマイベスト

母:ミルプリンセス

母父:ミルリーフ

欧州短距離路線のトップホースだったが突如BCマイルに参戦して人気薄ながら見事に優勝したシャトルサイアーの先駆け

競走成績:2・3歳時に仏英米で走り通算成績13戦8勝

誕生からデビュー前まで

愛国の馬産団体キルフラッシュスタッド社により生産された愛国産馬で、米国・英国・仏国で馬主活動も行っていた米国テキサス州の不動産業者リチャード・C・ストラウス氏に購入され、仏国ロベール・コレ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にシャンティ競馬場で行われたドルジュモン賞(T1100m)で、主戦となるイヴ・サンマルタン騎手を鞍上にデビューして勝利した。翌月にメゾンラフィット競馬場で出走したファレル賞(T1100m)ではキャッシュ・アスムッセン騎手に乗り代わったが、これも勝利した。

続いてロベールパパン賞(仏GⅠ・T1100m)に、サンマルタン騎手鞍上で出走した。しかしボワ賞の勝ち馬ケンマリー(後にBCスプリントの勝ち馬リドジャスティスやレーシングポストトロフィーの勝ち馬コマンダーコリンズの母となる)や、後に仏1000ギニー・サラマンドル賞を勝つベゼヴォレといった牝馬勢に屈して、ベゼヴォレの7着に完敗した。

続いてモルニ賞(仏GⅠ・T1200m)に向かった。しかしここでも、ベゼヴォレ、ヤコウレフ賞の勝ち馬リヴァーダンサー(後に愛2000ギニー・英チャンピオンSの勝ち馬スペクトラムの母となる)、リーガルステート(後にサラマンドル賞・ジャックルマロワ賞で2着。繁殖入り後にBCクラシック・ドバイワールドCの勝ち馬プレザントリーパーフェクトを産んでいる)といった牝馬勢に屈して、リーガルステートの7着に敗れた。ロベールパパン賞もモルニ賞も上位3頭は牝馬が独占しており、牡馬と牝馬の仕上がりの違いが影響したと思われるが、この時点における本馬にとっては1100mでも距離が長いと判断されたようである。

そのために次走は距離を縮めてアランベール賞(仏GⅢ・T1000m)となった。ロベールパパン賞で2着だったロイヤルインファチュエーションの姿もあったが、本馬が2着ナシアに半馬身差、3着ロイヤルインファチュエーションにはさらに1馬身差で勝利を収めた。

その後は距離1100m未満の適当なレースが無かったようで、次走は古馬相手の仏国最強短距離馬決定戦アベイドロンシャン賞(仏GⅠ・T1000m)となった。この競走は1957年の創設から今日まで一貫して2歳馬も出走可能で、創設当初の10年間で2歳馬が6勝していたが、1967年以降に2歳馬の勝利は1978年のシジーのみであり、2歳馬と3歳以上の馬のハンデ差8kgをもってしても2歳馬は苦戦するようになっていた。ここ数年間に高レベルな戦いが展開されていたこのレースは、この年もまた高レベルだった。前年のモーリスドギース賞・ポルトマイヨ賞・ダイアデムSに加えてこの年のキングズスタンドS・ジュライC・スプリントCS・テンプルSを勝っていた現役欧州短距離最強馬ネヴァーソーボールド、前年のスプリントCS・アベイドロンシャン賞やコーク&オラリーS・バリーオーガンSを勝ちジュライC・モーリスドギース賞2着の欧州短距離女王コミッティド、プティクヴェール賞・サンジョルジュ賞・グロシェーヌ賞・セーネワーズ賞と地元仏国の短距離競走を勝ちまくっていたパリオリ、ポルトマイヨ賞の勝ち馬で愛1000ギニー2着のヴィリカイアなどが出走していたのである。結果は前年の同競走で稀代の快速牝馬ハビブティから短距離女王の称号を奪い取っていたコミッティドが勝利を収め、本馬は5着に敗れた。しかしコミッティドと本馬の着差は2馬身だったから、健闘したとは言える。

2歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は6戦3勝だった。ちなみに本馬がこの年に出走したグループ競走4戦で入着した延べ12頭のうち牡馬は本馬のみであり、この時期の仏国2歳戦や短距離戦は牝馬の活躍が目立っていた。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にメゾンラフィット競馬場で行われたリステッド競走ジェベル賞(T1400m)から始動した。2歳時は本馬に短距離路線を進ませた陣営だったが、このレースの結果如何によっては仏2000ギニーを目指す腹積もりだったと思われる。しかし不良馬場の中で施行されたこのレースを勝ったのは、後のイスパーン賞の勝ち馬にして仏首位種牡馬にも3度輝くハイエストオナー。後のドラール賞の勝ち馬タクファヤームドが4馬身差の2着、後にモーリスドギース賞を勝ちモートリー賞を4連覇するクリケットボールがさらに3馬身差の3着に入り、本馬はハイエストオナーから13馬身半差をつけられた6着と惨敗を喫した。

馬場状態も悪かったし、後から見れば対戦相手も強力だったが、この結果では仏2000ギニーに向かっても通用しないと判断されたのは無理もないところであり、陣営は本馬を短距離路線に向かわせることにした。というわけで、次走は5月にロンシャン競馬場で行われたサンジョルジュ賞(仏GⅢ・T1000m)となった。このレースでは、本馬が2着となった牝馬バタヴに頭差で勝利した。ここで本馬とバタヴが顔を合わせたのは何かの縁があったのかも知れない。本馬とバタヴの間には後にGⅠ競走4勝の名馬ビッグストーンが産まれる事になるのである。

次走は6月にシャンティ競馬場で行われたグロシェンヌ賞(仏GⅢ・T1000m)となり、2着プルミエールキュヴェに半馬身差で勝利した。サンジョルジュ賞もグロシェンヌ賞も2・3着馬は牝馬であり、本馬の出るレースは牝馬が目立つ状況だった。

英国に遠征して出走したキングズスタンドS(英GⅠ・T5F)でも、クイーンメアリーSを勝っていたグウィディオンという一流牝馬の姿があった。しかしこのレースにおける最大の強敵は牝馬ではなく、パレスハウスS・テンプルSと英国短距離グループ競走を連勝してきた牡馬ダブルシュワルツだった。ダブルシュワルツが単勝オッズ3.25倍の1番人気で、本馬は単勝オッズ5.5倍の3番人気だった。ここではサンマルタン騎手ではなくアスムッセン騎手が本馬に騎乗した。レースでは、残り1ハロン地点で先頭に立った本馬に、後ろからダブルシュワルツが一気に襲い掛かり、並びかけようとしてきた。しかし本馬は前2戦でいずれも僅差の勝利を手にした粘りをここで存分に発揮。2着ダブルシュワルツに短頭差で勝利を収めた。

続いてジュライC(英GⅠ・T6F)にサンマルタン騎手鞍上で出走した。前走で2馬身半差の3着だったグウィディオン、デュークオブヨークSの勝ち馬グレイディザイア、ジュライS・フライングチルダースSの勝ち馬で英2000ギニー2着のグリーンデザートなどが対戦相手となった。しかしここではグリーンデザートが勝ち、本馬は1馬身半差の4着に敗れた。

次走のスプリントCS(英GⅠ・T5F)では、グリーンデザート、キングジョージSを勝ってきたダブルシュワルツの2頭と再び顔を合わせた。グリーンデザートが単勝オッズ3.25倍の1番人気、ダブルシュワルツが単勝オッズ3.5倍の2番人気、本馬が単勝オッズ4.5倍の3番人気となった。事実上の欧州短距離界頂上決戦となったこのレースで、本馬はインコースを一気に突いて伸び、ダブルシュワルツを3/4馬身差の2着に、グリーンデザートをさらに1馬身半差の3着に退けて勝利した。

本馬の次走になりそうなのは、9月初旬のスプリントCか、前年に5着だった10月初旬のアベイドロンシャン賞だった。ところが本馬はいずれにも出走しなかった。スプリントCはグリーンデザートが、アベイドロンシャン賞はダブルシュワルツが勝利した。

BCマイル

一方の本馬が次に公の場に姿を現したのは11月1日の事だった。場所は米国カリフォルニア州のサンタアニタパーク競馬場。目的はブリーダーズカップ参戦、それもBCスプリントではなくBCマイル(米GⅠ・T8F)だった。実はグリーンデザートとダブルシュワルツの2頭もブリーダーズカップ参戦のために同日のサンタアニタパーク競馬場にいたのだが、この2頭が出走したのはBCスプリントのほうだった。

本馬がBCスプリントではなくBCマイルに参戦した理由は正直よく分からない。本馬が過去に勝ってきたグループ競走は全て距離1000m(又は5ハロン)であり、1200m(又は6ハロン)以上の距離では4戦全て着外だった。それがいきなり世界最高峰のマイル戦に出走してきたわけである。ただ、はるばる米国まで遠征させてきた以上は陣営にある程度の自信があった事は間違いないだろうし、BCスプリントでダートに挑むよりも、BCマイルで距離延長に挑むほうが勝算はあると判断した部分もあったかもしれない(ちなみにダブルシュワルツとグリーンデザートはBCスプリントで8着・9着最下位と揃って惨敗している)。

対戦相手の実績最上位は、英1000ギニーで3着に負けた以外は、愛1000ギニー・サセックスS・ムーランドロンシャン賞・コロネーションS・チャイルドS・ネルグウィンSなど全て勝っていた、目下5連勝中の3歳牝馬ソニックレディだった。他にも、アメリカンH・エディリードH・イングルウッドHの勝ち馬で前年のBCマイル2着(正確には3位入線繰り上がり)のアルマムーン、前年のBCマイルで2位入線しながらも進路妨害で9着に降着となっていた英チャンピオンS・ジョンヘンリーH・ダフニ賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬でジャックルマロワ賞2着・英チャンピオンS3着のパレスミュージック、前走ムーランドロンシャン賞でソニックレディに半馬身差の2着まで迫っていたダフニ賞の勝ち馬スリルショー、この年のジャンプラ賞でハイエストオナーを首差2着に破って勝っていたジョンシェール賞・ロンポワン賞の勝ち馬マジカルワンダー、前走メリーランドターフSを圧勝してきたサラナクSの勝ち馬でアーリントンクラシックS・セクレタリアトS2着のグロウ、サンアントニオHの勝ち馬でサンタアニタH3着のハティム、前走ヴォランテHを勝ってきたエアディスプレイ、ベイメドウズダービーの勝ち馬マンガッキー、前走タンフォランHを勝ってきたトゥルースメーカー、前走のマンノウォーSで4着に敗れるまでは着外が無かったラドガーズHの勝ち馬フレッドアステア、次走のワシントンDC国際Sを勝つことになるユナイテッドネーションズH3着馬ルーテナンツラーク、ヒルプリンスSの勝ち馬ダブルフェイントが参戦しており、本馬を含めて合計14頭による戦いとなった。ソニックレディが単勝オッズ3.3倍の1番人気、アルマムーンが単勝オッズ3.4倍の2番人気、パレスミュージックとスリルショーのカップリングが単勝オッズ4.5倍の3番人気、グロウが単勝オッズ11.1倍の4番人気であり、上位人気2頭+1組による戦いと目されていた。その一方で、距離不適とファンから判断された本馬は単勝オッズ36.9倍の9番人気という低評価だった。

スタートが切られると単勝オッズ27.6倍の7番人気馬マンガッキーが先頭に立ち、本馬がそれを追って先行。最初のコーナーに入るところで本馬を外側からソニックレディとトゥルースメーカーの2頭がかわしていき、マンガッキー、ソニックレディ、トゥルースメーカー、本馬の順番で走る事になった。本馬鞍上のサンマルタン騎手は内埒沿いに本馬を走らせており、コースロスは無かった。マンガッキーが刻んだペースは最初の2ハロン通過が22秒4、半マイル通過は45秒2というかなりのハイラップではあったが、スピード能力に優れた本馬は楽にそれを追走していった。四角に入るとソニックレディが仕掛けて先頭を奪い、続いて本馬を含む後続馬も一斉に押し寄せてきて、直線入り口では大混戦となった。しかし残り1ハロン地点でこの混戦の中から抜け出してきたのは本馬だった。本馬にかわされたソニックレディはそのまま失速し、代わりに外側から差してきたパレスミュージックが本馬を追い詰めてきた。しかし最後は本馬が自慢の粘りを見せて、パレスミュージックの追撃を凌ぎきって頭差で優勝した。

この年のブリーダーズカップは欧州調教馬の成績が不振であり、BCスプリントに出走した前述の2頭や、BCクラシックに出走したトリプティク(6着)は初ダートだった事を考えれば止むを得ない一面もあったが、BCマイルに出走した本馬以外の欧州調教馬勢はソニックレディの7着など全体的に振るわず(パレスミュージックはこの時点では米国調教馬だった)、BCターフに出走して勝利確実と言われていたダンシングブレーヴまでも4着に敗れてしまったから、本馬が欧州調教馬の名誉を守った格好になった。このレースを最後に3歳時7戦5勝の成績で競走馬を引退した。

血統

トライマイベスト Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Sex Appeal Buckpasser Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
Best in Show Traffic Judge Alibhai
Traffic Court
Stolen Hour Mr. Busher
Late Date
Mill Princess Mill Reef Never Bend Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
Milan Mill Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Virginia Water Count Fleet
Red Ray
Irish Lass Sayajirao Nearco Pharos
Nogara
Rosy Legend Dark Legend
Rosy Cheeks
Scollata Niccolo Dell'Arca Coronach
Nogara
Cutaway Fairway
Schiaparelli

父トライマイベストはノーザンダンサーの直子で、全弟には名馬エルグランセニョールがいる良血馬。現役成績は5戦4勝で、デューハーストS(英GⅠ)・ラークスパーS(愛GⅢ)・ボクスホールトライアルS(愛GⅢ)などを制して1977年の英愛最優秀2歳牡馬に選ばれた。競走馬引退後はしばらく欧州で供用されていたが、17歳時の1992年に日本に輸入された。しかし日本での種牡馬生活は短く、1993年に他界してしまった。

母ミルプリンセスは仏国で走り5戦1勝。繁殖牝馬としては本馬の他に、本馬の半弟アストロネフ(父ビーマイゲスト)【メルトン賞(伊GⅡ)・ゴールデネパイチェ(独GⅢ)2回】、全妹ザパーフェクトライフ【ボワ賞(仏GⅢ)】も産んでいる。また、本馬の半妹セイヴミーザワルツ(父キングスレイク)の子にはヴァレンタインワルツ【仏1000ギニー(仏GⅠ)・ネルグウィンS(英GⅢ)】、センスオブスタイル【スピナウェイS(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)】が、ザパーフェクトライフの子にはラバー【ゴードンS(英GⅢ)】が、本馬の半妹ゼルダ(父カーリアン)の子にはゼルディング【ボワ賞(仏GⅢ)】、ジッピング【ロベールパパン賞(仏GⅡ)・リゾランジ賞(仏GⅢ)】、ニッピング【プティクヴェール賞(仏GⅢ)】が、本馬の半妹テンダーイズザナイト(父バラシア)の子にはタイブラック【仏1000ギニー(仏GⅠ)】が、本馬の半妹サイドオブパラダイス(父サドラーズウェルズ)の子にはイモータルヴァース【コロネーションS(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・サンドランガン賞(仏GⅡ)】がいる。

ミルプリンセスの母アイリッシュラスはミネルヴ賞の勝ち馬。アイリッシュラスもやはり優れた繁殖牝馬であり、ミルプリンセスの半兄アイリッシュボール(父ボールドリック)【愛ダービー(愛GⅠ)・ダリュー賞(仏GⅡ)】の母となった他、ミルプリンセスの半姉アイリッシュバード(父シーバード)の子にビカラ【仏ダービー(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】、アサート【仏ダービー(仏GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)・ジョーマクグラス記念S(愛GⅠ)・ベレスフォードS(愛GⅡ)・ガリニュールS(愛GⅡ)】、ユーロバード【愛セントレジャー(愛GⅠ)・ブランドフォードS(愛GⅡ)】の3兄妹がいる。アイリッシュラスの全姉にはリンクリス【愛オークス・ヨークシャーオークス・愛セントレジャー・ベレスフォードS】が、アイリッシュラスの祖母カットアウェイの半姉にはヘリングボーン【英1000ギニー・英セントレジャー】がいる。同じ牝系には、ササフラムーンマッドネスシェリフズスターケルティックスウィング、メジロティターン、メジロライアンなどの名前も見られ、中には例外もいるが全体的にスタミナ色が強い牝系である。→牝系:F8号族②

母父ミルリーフは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国クールモアスタッドで種牡馬入りしたが、後にシャトルサイヤーの先駆け的存在として豪州のクールモア・オーストラリア、日本のイーストスタッド、新国のハウヌイファーム、日本のアロースタッド、豪州のブルーガムファーム、日本の諏訪牧場など各地を周った。各国で合計48頭のステークスウイナーを送り出し、そのうちチャンピオンクラスの馬が9頭と、かなりの活躍を見せた。1993/94シーズンには豪首位種牡馬に輝いている。産駒は基本的にマイル~2000mを得意とするが、2400mまで対応できる産駒も多い。ダート競走で名を馳せた馬は殆どおらず、完全な芝向き種牡馬だった。

日本では1995年、1997~2001年、2003年から種牡馬引退の2005年まで供用された。1995年は107頭、97年は113頭、98年は141頭、99年は100頭の繁殖牝馬を集める人気種牡馬だったが、2000年以降は年齢の影響もあって交配数が下がり、2000年は56頭、01年は60頭、03年は22頭、04年は18頭、05年は3頭の交配数に留まった。2005年に種牡馬を引退した後は日本のアロースタッドで余生を送っていたが、2006年5月27日にアロースタッドにおいて23歳で他界した旨が、6月14日になってクールモアスタッド側から発表された。なお、海外の競馬掲示板“thoroughbredinternet-news”には、本馬は独国で他界したと書かれているが、この情報は誤りである。全日本種牡馬ランキングでは、アローキャリーが桜花賞を勝った2002年の19位が最高だった。

繁殖牝馬の父としては、サンタアニタダービー馬ザデピュティと東京優駿・NHKマイルCの勝ち馬キングカメハメハの兄弟、愛オークス馬ヴィンテージティップル、ロッキンジSの勝ち馬ケルトス、ソードダンサー招待Hの勝ち馬キングスドラマなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1988

Marju

セントジェームズパレスS(英GⅠ)・クレイヴンS(英GⅢ)

1988

Monde Bleu

グロシェーヌ賞(仏GⅡ)・パレスハウスS(英GⅢ)・モートリー賞(仏GⅢ)

1988

Tiangar

ポルトマイヨ賞(仏GⅢ)

1988

Tycoon's Drama

セリマS(米GⅡ)

1989

Ezzoud

英国際S(英GⅠ)2回・エクリプスS(英GⅠ)・アールオブセフトンS(英GⅢ)

1989

Lasting Lass

ドルメロ賞(伊GⅢ)

1990

Bigstone

サセックスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)

1990

Lady Jakeo

MRCブルーダイヤモンドS(豪GⅠ)・MVRCウィリアムレイドS(豪GⅠ)

1990

Magic of Money

ザギャラクシー(豪GⅠ)

1990

Mahogany

AJCダービー(豪GⅠ)・QTCキャッスルメインS(豪GⅠ)・MRCコーフィールドギニー(豪GⅠ)・ヴィクトリアダービー(豪GⅠ)・オーストラリアンギニー(豪GⅠ)・VRCライトニングS(豪GⅠ)2回

1990

Tychonic

アーケイディアH(米GⅡ)・エルリンコンH(米GⅡ)

1990

ケイウーマン

京都四歳特別(GⅢ)

1991

Lost World

仏グランクリテリウム(仏GⅠ)

1991

Poliuto

伊2000ギニー(伊GⅠ)

1991

オースミタイクーン

マイラーズC(GⅡ)・セントウルS(GⅢ)

1992

Taipan

オイロパ賞(独GⅠ)2回・ローマ賞(伊GⅠ)2回・ドーヴィル大賞(仏GⅡ)

1993

O'Reilly

ベイヤークラシック(新GⅠ)・WRCテレグラフH(新GⅠ)

1994

Knowledge

ブルーダイヤモンドS(豪GⅠ)

1994

Tycoon Lil

新1000ギニー(新GⅠ)・新オークス(新GⅠ)・カンタベリーギニー(豪GⅠ)

1995

Le Zagaletta

豪クリスタルマイル(豪GⅡ)・JJリストンS(豪GⅡ)・メムジーS(豪GⅡ)・ゲートウェイスーツクオリティ(豪GⅢ)・ブレッチングリーS(豪GⅢ)

1995

Moteck

フロール賞(仏GⅢ)

1996

Shy Hero

TJスミスS(豪GⅢ)

1996

オースミブライト

神戸新聞杯(GⅡ)・京成杯(GⅢ)

1997

Lady of Chad

マルセルブサック賞(仏GⅠ)・アスタルテ賞(仏GⅡ)・グロット賞(仏GⅢ)

1999

アローキャリー

桜花賞(GⅠ)

1999

サダムブルースカイ

函館2歳S(GⅢ)

1999

マイネルイースター

阪神スプリングジャンプ(JGⅢ)

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