シルバーチャーム

和名:シルバーチャーム

英名:Silver Charm

1994年生

芦毛

父:シルヴァーバック

母:ボニーズポーカー

母父:ポーカー

溢れる闘志でケンタッキーダービー・プリークネスS・ドバイワールドCを制して米国内で絶大な人気を博した芦毛の名馬

競走成績:2~5歳時に米首で走り通算成績24戦12勝2着7回3着2回

最終直線でライバル馬と壮絶な叩き合いを演じ、まるでゴールラインの位置を分かっているかのようにゴール寸前に競り落とす闘争心満点の走りで人気を博した、1990年代の米国を代表する芦毛の名馬。

誕生からデビュー前まで

米国フロリダ州においてメアリー・ルー・ウートン女史により生産された。1歳時のセリに出品されたが、流行血統からかけ離れた血脈と見栄えのしない馬体が影響して、あまり高値がつかず、1万6500ドルという安値で競走馬育成業者に購入された。翌2歳時に、ティンバーカントリーの馬主だったロバート・ボブ・ルイス氏と妻のビバリー夫人によって私的に購入されたが、このときの取引価格は8万5千ドルだった。ボブ・バファート調教師に預けられると、とても素直に調教に取り組み、順調に成長していった。

競走生活(2歳時)

2歳8月にデルマー競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦で、デヴィッド・フローレス騎手を鞍上にデビュー。ここでは、同馬主だったコンスタントディマンドという馬とのカップリングで、単勝オッズ3.8倍の2番人気となった。スタートから積極的に飛ばして先頭を走ったが、直線に入ると、シアトルスルーの甥という良血だったにも関わらず単勝オッズ7倍の4番人気止まりだったディーズノットワーズに一気に差されてしまい、4馬身差の2着に敗れた。

2週間後に出走したデルマー競馬場ダート5.5ハロンの未勝利戦でもフローレス騎手とコンビを組み、同馬主のゴールドトリビュートという馬とのカップリングで単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された。ここでもスタートから先頭をひた走ると、直線で唯一追い上げてきたゴールドトリビュートを完封して、1馬身1/4差で勝ち上がった。

翌9月には、デルマーフューチュリティ(米GⅡ・D7F)に出走。ハリウッドジュヴェナイルCSS・ベストパルSなど5戦全勝で臨んできたスイスヨーデラーが単勝オッズ2.2倍の1番人気で、未勝利のまま出走してきたゴールドトリビュートと本馬のカップリングが単勝オッズ2.6倍の2番人気となった。ここではスイスヨーデラーが先頭に立ったため、本馬はゴールドトリビュートと共に2~3番手に控えた。先に仕掛けたのはゴールドトリビュートであり、四角で先頭に立った。そして直線に入るとゴールドトリビュートに本馬が並びかけて叩き合いとなった。最後は本馬がゴールドトリビュートの戦意を挫いて頭差で勝利を収めた(スイスヨーデラーは3馬身半差の3着だった)。このレースは本馬の競走馬キャリアの中で最初に闘争心を発揮したレースであると言える。2歳時は3戦2勝の成績で休養入りした。

ちなみにゴールドトリビュートは、デルマーフューチュリティの次走シャンペンSで3着、BCジュヴェナイルで6着したが、結局5戦未勝利のまま競走馬を引退して種牡馬入りしている。

競走生活(3歳初期)

3歳時は2月にサンタアニタパーク競馬場で行われたサンヴィンセントS(米GⅢ・D7F)から始動した。このレースは、後に本馬の好敵手となるノーフォークSの勝ち馬フリーハウスとの初対戦となった。フリーハウスも芦毛馬だったが、本馬は黒っぽい芦毛、フリーハウスは白っぽい芦毛であり、対照的な毛色だった。もっとも、1番人気は2頭のいずれでもなく、未勝利戦を11馬身差で勝ち上がってきたばかりのファンオンザラン(単勝オッズ3.4倍)だった。フローレス騎手からクリス・マッキャロン騎手に鞍上がバトンタッチされていた本馬は、同馬主のエスティームドフレンドとのカップリングで単勝オッズ3.6倍の2番人気、ハリウッドフューチュリティ2着馬ストールンゴールドが単勝オッズ4.5倍の3番人気で、フリーハウスは単勝オッズ14.7倍の6番人気だった。レースではファンオンザランが逃げて、本馬がその直後3番手、フリーハウスが5番手を進んだ。四角で本馬が仕掛けて先頭に立つと、そのまま直線を押し切ろうとする本馬を、後方からフリーハウスが追いかける展開となった。しかし本馬はフリーハウスを寄せ付けず、1馬身3/4差をつけて勝利した。

次走のサンフェリペS(米GⅡ・D8.5F)でも、フリーハウスとの顔合わせとなった。他の出走馬は、スウィンフォードS・ホーソーンジュヴェナイルSを連勝してきたホルツマイスター、前走で5着だったストールンゴールドなどだった。本馬が同馬主のコンスタントディマンドとのカップリングで単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持される一方で、本馬から3ポンドのハンデを貰ったフリーハウスは単勝オッズ11.7倍の6番人気だった。今回はフリーハウスが2番手、本馬が5番手という、前走とは逆の位置取りでレースが進んだ。そして直線入り口で先頭に立ったフリーハウスを、後方から本馬が追いかけるという、これまた前走とは逆の展開となった。そして結果も前走とは逆となり、フリーハウスが勝ち、本馬は3/4馬身届かずに2着だった。

次走のサンタアニタダービー(米GⅠ・D9F)でも、フリーハウスとの顔合わせとなった。他の出走馬は、メイトロンS・ハリウッドスターレットS・ラスヴァージネスS・サンタアニタオークスなどを勝って挑んできた牝馬シャープキャット、伊グランクリテリウムを勝った後に米国に移籍してジェネラスS・サンタカタリナSに勝ちサンラファエルSで3着してきたハロー、デルマーフューチュリティ3着後にハリウッドフューチュリティを勝っていたスイスヨーデラーなどだった。シャープキャットが単勝オッズ3倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.1倍の2番人気、ハローが単勝オッズ4.7倍の3番人気で、フリーハウスは同馬主同厩馬バグショットとのカップリングでようやく単勝オッズ8.3倍の4番人気だった。スタートが切られると、まずはシャープキャットが先頭に立ち、本馬が2番手、フリーハウスが少し離れた3番手につけた。そして四角で本馬とフリーハウスの2頭がほぼ同時に仕掛けて、この2頭が直線入り口で先頭に立った。しかしシャープキャットが刻んだペースは、最初の2ハロン通過が22秒19というかなり速いものであり、直線における手応えでは、シャープキャットを追いかけた本馬よりも、少し控えたフリーハウスのほうが上だった。最後は本馬の闘争心よりも、フリーハウスの余力のほうが勝り、本馬は頭差の2着に敗れてしまった。

競走生活(3歳中期と後期)

フリーハウスに2連敗した結果を重く見た陣営は、本馬の鞍上にゲイリー・スティーヴンス騎手を迎えることとし、本馬はスティーヴンス騎手と共にケンタッキーダービー(米GⅠ・D10F)に参戦した。BCジュヴェナイルを勝ったエクリプス賞最優秀2歳牡馬ボストンハーバーは骨折で引退していたため不在だったが、フリーハウスに加えて、フロリダダービー・ウッドメモリアルSを連勝してきたキャプテンボジット、ルイジアナダービー・アーカンソーダービーの勝ち馬クリプトスター、ブルーグラスS・ファウンテンオブユースSの勝ち馬でフロリダダービー2着のプルピット、サンタアニタダービーで3着だったハロー、ケンタッキージョッキークラブS・ジムビームS・フェデリコテシオSなど5連勝中のコンチェルト、レベルSの勝ち馬でアーカンソーダービー2着のファントムオンツアー、ジムビームSで2着してきたジャックフラッシュなどが対戦相手となった。キャプテンボジットが単勝オッズ4.1倍の1番人気、本馬が単勝オッズ5倍の2番人気、クリプトスターが単勝オッズ5.8倍の3番人気、プルピットが単勝オッズ6.7倍の4番人気、ハローが単勝オッズ10.6倍の5番人気で、フリーハウスは単勝オッズ11.6倍の6番人気と今ひとつ信頼されていなかった。

スタートが切られると、プルピットとフリーハウスが先頭を争い、本馬はその直後3~4番手辺りにつけた。そして四角で前を走るフリーハウスに外側から並びかけていった。直線では2頭の芦毛馬の叩き合いになったが、本馬が直線半ばで前に出た。そこへ後方外側から1番人気のキャプテンボジットが追い込んできた。勢いからしてキャプテンボジットが差し切るかと思われたが、キャプテンボジットに並ばれかけた本馬は最後まで抜かさせず、頭差で優勝した(フリーハウスはさらに3馬身半差の3着だった)。なお、キャプテンボジットが追い上げてきた際に本馬と接触して少し体勢を崩す場面があったが、これは本馬が斜行したというよりも、キャプテンボジットが内側によれて自分から本馬に接触したものであった。前年の同競走にサンタアニタダービー馬キャヴォニアを出走させて、史上稀に見る大接戦の末にグラインドストーンの鼻差2着に敗れていたバファート師にとっては、悲願のケンタッキーダービー初制覇となった。この勝利により、本馬の鞍上はスティーヴンス騎手に固定される事になった。

次走のプリークネスS(米GⅠ・D9.5F)では、キャプテンボジット、フリーハウス、前走9着のコンチェルトに加えて、ケンタッキーダービーには不参戦だったレキシントンSの勝ち馬タッチゴールド、やはりケンタッキーダービーには不参戦だったハッチソンS・フラミンゴSの勝ち馬フリスクミーナウ、ウィザーズSで2着してきたクリプトゥーなどが対戦相手となった。なぜか本馬は単勝オッズ4.1倍の3番人気止まりであり、単勝オッズ3.1倍の1番人気はキャプテンボジット、単勝オッズ3.4倍の2番人気は初めて本馬より上位人気となったフリーハウスだった。

スタートが切られるとフリーハウスが先頭に立とうとしたが、それを強引にかわして単勝オッズ69.1倍の最低人気馬ジャックアットザバンクが逃げを打った。キャプテンボジットは前走同様に後方待機策を採り、本馬は今回もフリーハウスを見るように3~4番手を追走した。向こう正面で早くもジャックアットザバンクが失速し、フリーハウスが先頭、本馬が2番手となった。そこへ内側からスタートで躓いて出遅れた単勝オッズ5.6倍の4番人気馬タッチゴールドが上がってきて、直線入り口ではこの3頭が先頭集団となった。そして3頭の叩き合いとなり、タッチゴールドが遅れてフリーハウスが抜け出した。しかし本馬がフリーハウスに外側から並びかけて、馬体を接近させての競り合いとなった。そこへ後方外側からようやくキャプテンボジットが追い込んできて、ゴール前では三つ巴の大接戦になった。この接戦を制したのは本馬で、頭差の2着にフリーハウス、さらに頭差の3着がキャプテンボジットだった。

次走のベルモントS(米GⅠ・D12F)では、1978年のアファームド以来19年ぶり史上12頭目の米国三冠馬誕生に王手をかけた本馬が単勝オッズ2.05倍の1番人気に支持され、前走4着のタッチゴールドとイリノイダービーの勝ち馬ワイルドラッシュのカップリングが単勝オッズ3.65倍の2番人気、ケンタッキーダービー5着後にプリークネスSを回避して臨んできたクリプトスターが単勝オッズ5.2倍の3番人気、フリーハウスが単勝オッズ5.4倍の4番人気となった(キャプテンボジットは不参戦)。

スタートから本馬とフリーハウスが先頭を伺ったが、ワイルドラッシュがそれをかわして先頭を奪い、さらに最初のコーナーで内枠を利してタッチゴールドが先頭に立った。そして本馬が3番手、フリーハウスが本馬を見るように4番手を追走した。向こう正面でワイルドラッシュが加速して先頭を奪還し、それにつられるかのように本馬も2番手に上がった。そして三角から四角にかけてワイルドラッシュに外側から並びかけていくと、ほぼ同時に後方のフリーハウスも仕掛けて外側から本馬に並びかけてきた。先頭からいったん4番手まで下がったタッチゴールドはフリーハウスの後方を通ってさらに大外に持ち出していった。そして本馬とフリーハウスの2頭が並んで直線を向き、叩き合いとなった。直線半ばで本馬が前に出て勝負あったと思われた次の瞬間、大外からタッチゴールドが強襲してきた。本馬とタッチゴールドの間ではまだフリーハウスが粘っていたため、本馬はタッチゴールドとの叩き合いに持ち込む事はできず、ゴール前で差されて3/4馬身差の2着に敗れ、惜しくも三冠達成の大記録は逃した。

その後は半年間休養に充て、12月のマリブS(米GⅠ・D7F)で復帰した。今まではこれといった実績が無かったがこの年のクイーンエリザベスⅡ世S・伊2000ギニー・独2000ギニーを勝ったエアエクスプレスの従兄弟という血統も手伝って素質が評価されていたマッドルート、亜国のGⅠ競走エストレージャス大賞ジュヴェナイルを勝った後に米国に移籍してきたロードグリージョ、ベルモントS4着から直行してきたクリプトスター、サンタアニタダービー9着後は迷走していたスイスヨーデラー、ラファイエットSの勝ち馬トラファルガーなどが対戦相手となった。本馬が同馬主のトラファルガーとのカップリングで単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持され、マッドルートが単勝オッズ8.7倍の2番人気、ロードグリージョが単勝オッズ10.3倍の3番人気となった。ここでは本馬は馬群の中団好位5番手を追走したのだが、道中で馬群に包まれてしまい、抜け出すのに一苦労した。ようやく直線で馬群を抜け出して追い上げてきたが、4ポンドのハンデを与えたロードグリージョに半馬身届かず2着に敗退した。

3歳時の成績は7戦3勝だったが、ハスケル招待Hも勝ったタッチゴールド、三冠競走終了後に急上昇してトラヴァーズS・スーパーダービーを勝ちBCクラシックでも2着に入ったデピュティコマンダーを抑えて、この年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得した。

競走生活(4歳前半)

4歳時はまず1月のサンフェルナンドBCS(米GⅡ・D8.5F)に出走した。ロードグリージョ、マリブS4着のマッドルートなど3頭だけが対戦相手となった。122ポンドの本馬が単勝オッズ1.2倍の1番人気、120ポンドのロードグリージョが単勝オッズ5.2倍の2番人気、116ポンドのマッドルートが単勝オッズ8.4倍の3番人気となった。レースでは、マッドルートが最初の2ハロンを24秒38というスローペースで逃げを打ち、本馬が1~2馬身ほど離れた2番手、ロードグリージョがかなり離れた3番手につけた。マイペースで逃げた上に本馬より6ポンド斤量が軽かったマッドルートの手応えは良く、本馬鞍上のスティーヴンス騎手は早い段階から敵はロードグリージョではなくマッドルートと見定めて追撃を開始した。そして直線入り口でマッドルートに並びかけると、競り落として1馬身差で勝利した。

次走のストラブS(米GⅡ・D9F)では、マッドルートとの2強ムードとなり、123ポンドの本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気、117ポンドのマッドルートが単勝オッズ3.7倍の2番人気となった。レースではやはりマッドルートが逃げを打ち、本馬は少し離れた2~3番手を追走した。そして四角でマッドルートに並びかけると、直線に入って突き放し、本馬が勝ったレースでは2着馬との最大着差となる4馬身差をつけて完勝した。

その後はサンタアニタHに出走予定だったが、直前に右前脚挫石を発症したために回避した。しかし症状は軽度であり、数日後には調教に復帰した。

ところで、この頃の米国ダート古馬牡馬路線の状況について簡単に整理しておく。この1998年初頭の時点でこの路線のトップホースとして君臨していたのは、前年暮れのBCクラシックを筆頭に、ハスケル招待H・ウッドバインミリオンS・ジョッキークラブ金杯2回・ドンH・ガルフストリームパークHなどを勝っていた5歳馬スキップアウェイだった。しかしスキップアウェイが誰もが認めるこの路線の最強馬として評価されていたかと言うと、実はそうではなく、前年の国際クラシフィケーションにおいてスキップアウェイを上回る評価を得ていた1頭の馬がいた。それは、前年のピムリコスペシャルHでスキップアウェイを一蹴し、さらにハリウッド金杯・パシフィッククラシックSなども勝っていた亜国出身馬ジェントルメンだった。そのため、この年から国際GⅠ競走に格上げされたドバイワールドCの目玉として招待されていたのはスキップアウェイではなく、ジェントルメンのほうだった。ところがジェントルメンは本馬が回避したサンタアニタHのレース中に鼻出血を起こして惨敗し、ドバイ遠征は白紙となってしまった。

ドバイワールドCの主催側は、ジェントルメンの代わりに本馬陣営に出走を打診。陣営がこれを承諾したため、本馬はドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)に参戦することになった。前年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを筆頭にコロネーションC・ドーヴィル大賞・フォワ賞などを勝っていた地元ドバイのスウェイン、独ダービー・バーデン大賞を勝ち凱旋門賞3着・BCターフ2着と好走していた独国の名牝ボルジア、仏2000ギニーと英チャンピオンSで2着したルウソヴァージュ、ジェントルメンの同厩馬でジェントルメンが惨敗したサンタアニタHを勝っていたチリの最優秀3歳牡馬マレク、ドワイヤーS・ペガサスHの勝ち馬で同競走3連覇を狙うジェリー・ベイリー騎手騎乗のベーレンズ、香港国際ヴァーズの勝ち馬ルソー、ハードウィックSでピルサドスキーを破って勝利した地元ドバイのプレダピオ、東京大賞典などを勝っていた日本馬キョウトシチーなどが参戦していた。

前年の同競走が大雨で順延された経験を踏まえて、この年は水はけが良い砂がナドアルシバ競馬場に敷き詰められていた。この砂はチャーチルダウンズ競馬場で使用されるのと同じものであり、チャーチルダウンズ競馬場でケンタッキーダービーを勝っていた本馬にとっては有難い状態だった。それもあって、英国ブックメーカーのオッズで本馬は1番人気に支持された。

スタートが切られるとベーレンズが先頭に立ち、本馬はプレダピオ、ルソーと共に2番手集団を形成した。そして直線に入ると本馬は前を行くベーレンズに外側から並びかけ、簡単に競り落とした。しかしそこへ本馬とベーレンズの間を突くようにルウソヴァージュが伸びてきた。さらに外側からはマレクとスウェインの2頭が叩き合いながら伸びてきた。まず本馬は内側のルウソヴァージュとの叩き合いとなった。するとルウソヴァージュは本馬にスタミナを吸い取られたように伸びが悪くなった。そこで本馬は外側に移動して今度はマレクに並びかけた。本馬に接近してきたマレクもやはり伸びが悪くなった。そして本馬が単独先頭に立ったところに、大外からスウェインが強襲してきた。そして2頭がほとんど並んでゴールインした。ゴールの瞬間、体勢はスウェイン有利に見えたが、首の上げ下げで短頭差だけ本馬が先にゴールしていた(キョウトシチーは6着だった)。鞍上のスティーヴンス騎手はレース後のインタビューで「いったんはスウェインに抜かれましたが、彼は頭を下げて前に出ようと頑張りました。本当に素晴らしい馬です」と愛馬の奮闘を讃えた。

競走生活(4歳後半)

帰国した本馬は短期休養を取り、6月のスティーヴンフォスターH(米GⅡ・D9F)で復帰した。オークローンHの勝ち馬でスーパーダービー・ピムルコスペシャルH2着のプレコシティー、前年のクイーンズプレートとジムダンディSの勝ち馬オーサムアゲイン、コーンハスカーH・ケンタッキーカップクラシックHの勝ち馬セモランなどが対戦相手となった。他馬勢より12~18ポンドも重い127ポンドを課せられた本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持され、115ポンドのプレコシティーが単勝オッズ5倍の2番人気、113ポンドのオーサムアゲインが単勝オッズ6.9倍の3番人気となった。レースではオーサムアゲインと共に3~4番手を追走し、直線に入るとオーサムアゲインと一緒に抜け出した。しかしオーサムアゲインの斤量は本馬より14ポンドも軽く、これから半年もしないうちに米国トップクラスの実力馬に上り詰めるオーサムアゲイン相手にこの斤量差は厳しかった。結果はコースレコードで走破したオーサムアゲインの1馬身差2着だった。3着馬セモランには5馬身1/4差をつけていたし、斤量差を考慮すると実力負けというわけではなかったが、スティーヴンス騎手は「かなり疲れているように感じました」と、ドバイの遠征疲れが取りきれていなかった事を示唆した。

次走のサンディエゴH(米GⅢ・D8.5F)では、カリフォルニアンSを勝っていたマッドルート、サンバーナーディノH・デルマーBCH・グッドウッドBCHの勝ち馬ベンチマークなどが対戦相手となった。本馬には125ポンドが課せられたが、他馬勢との斤量差は前走より少しましで、8~12ポンド差だった。それでも厳しい斤量差ではあったが、半年前は敵ではなかったマッドルートなどが相手であり、本馬の実力を持ってすれば問題ないと思われた。そのため本馬が前走を下回る単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持され、117ポンドのマッドルートが単勝オッズ4.2倍の2番人気、同じく117ポンドのベンチマークが単勝オッズ5.7倍の3番人気となった。しかしレースでは、逃げるマッドルートを2番手で追走するも直線で大きく失速。勝ったマッドルートから27馬身差をつけられて5着最下位に終わった。敗因は軽度の鼻出血であり、療養のために再び短期休養を取った。

そして9月のケンタッキーCクラシックH(米GⅢ・D9F)で復帰した。前年のベルモントSでは6着だったがこの年になってカーターH・メトロポリタンHを連勝していたワイルドラッシュ、ケンタッキーカップクラシックプレヴューHの勝ち馬でBCジュヴェナイル・ブルーグラスS2着のアクセプテーブルの2頭が強敵だった。123ポンドの本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気、117ポンドのワイルドラッシュが単勝オッズ3.4倍の2番人気、同じく117ポンドのアクセプテーブルが単勝オッズ3.9倍の3番人気となった。レースではワイルドラッシュが逃げを打ち、アクセプテーブルが直後の2番手、本馬が1~2馬身ほど後方の3番手につけた。三角に入る頃にアクセプテーブルが失速し、ワイルドラッシュと本馬がほぼ並んで直線に入ってきた。そして直線では得意の叩き合いに持ち込んだが、ワイルドラッシュもGⅠ競走2勝馬の能力と6ポンドの斤量差を活かして本馬に食らいついてきた。そして3着アクセプテーブルを17馬身引き離して、2頭が同時にゴールイン。写真判定でも2頭の着差は確定できず、同着勝利となった。

次走のグッドウッドBCH(米GⅡ・D9F)では、ベルモントS以来久々となる好敵手フリーハウスとの顔合わせとなった。フリーハウスもベルモントS3着後に、スワップスS・ベルエアHを勝ち、パシフィッククラシックSでは2着ジェントルメンを4馬身切り捨てるなど、米国古馬ダート路線のトップホースとして活躍を続けていた。このレースはハンデ競走ではあったが、ハンデキャッパーも2頭もガチンコ対決を見たかったらしく、本馬とフリーハウスが124ポンドのトップハンデで並んだ。本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気、フリーハウスが単勝オッズ2.6倍の2番人気で、3番人気馬スコアクイック(トリプルベンドBCHの勝ち馬で前年の同競走2着馬でもあった)は単勝オッズ12.4倍だった。レースでは2頭から9ポンドのハンデを貰ったスコアクイックがハイペースで逃げを打ち、フリーハウスが2番手、本馬が直後の3番手につけた。そして直線に入るとすぐ、スコアクイック、フリーハウス、本馬の3頭が横並びとなった。ここから抜け出したのは本馬であり、2着フリーハウスに2馬身半差、3着スコアクイックにもさらに2馬身半差をつけて完勝した。

続いてチャーチルダウンズ競馬場に向かい、BCクラシック(米GⅠ・D10F)に参戦した。ここでは、本馬とは初対戦となる前年の覇者スキップアウェイとの米国最強馬の座を賭けた争いとなった。他にも、スティーヴンフォスターHで本馬を負かした後にホイットニーH・サラトガBCH・ホーソーン金杯など5連勝で挑んできたオーサムアゲイン、ドバイワールドCで本馬に惜しくも敗れた後にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの2連覇を果たして愛チャンピオンSも勝って再度ダート路線に向かってきたスウェイン、やはり本馬とは初対戦となるジェントルメン、米国三冠競走には不参戦だったがウッドメモリアルS・リヴァリッジS・ドワイヤーS・ハスケル招待H・トラヴァーズSの5連勝を飾っていた3歳トップクラスのコロナドズクエスト、この年のベルモントSで本馬と同厩のリアルクワイエットの米国三冠達成を阻止したヴィクトリーギャロップ、前年のベルモントSで本馬の米国三冠達成を阻止したタッチゴールド、スーパーダービーの勝ち馬アーチ、ゴントービロン賞の勝ち馬でウッドワードS3着のランニングスタッグといった有力馬が集結し、同競走史上最高のメンバー構成となった。この年にドンH・ガルフストリームパークH・ピムリコスペシャルH・ハリウッド金杯・フィリップHアイズリンHとGⅠ競走5勝を挙げていたスキップアウェイが単勝オッズ2.9倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.5倍の2番人気、オーサムアゲイン、コロナドズクエスト、タッチゴールドの3頭カップリングが単勝オッズ5.7倍の3番人気、スウェインが単勝オッズ7.8倍の4番人気、ヴィクトリーギャロップが単勝オッズ8.5倍の5番人気となった。

スタートからコロナドズクエストが先頭に立ち、アーチとスキップアウェイがそれを追走。本馬はスウェインと共に好位を追走した。そして三角から四角にかけて外側を通って進出し、コロナドズクエストに次ぐ2番手で直線を向いた。そしてコロナドズクエストとの叩き合いに持ち込んだが、外側から来たスウェインの脚色が良く、それに気付いたスティーヴンス騎手はスウェインの方へ馬体を寄せようとした。しかし本馬に並ばれるのを鞍上のランフランコ・デットーリ騎手が嫌ったのか、スウェインは外側へ大斜行していった。そのため本馬はスウェインと馬体を併せることが出来ず、仕方なく単騎でゴールを目指したが、そこへコロナドズクエストと本馬の間にできた隙間からオーサムアゲインとヴィクトリーギャロップが伸びてきた。そしてオーサムアゲインに差されて3/4馬身差2着に終わった。3着スウェインを首差、4着ヴィクトリーギャロップを頭差抑え込んだのは、本馬の意地だっただろうか。

このままではカリフォルニア州に帰れないと陣営が考えたのか、次走はこの20日後に同じチャーチルダウンズ競馬場で行われたクラークH(米GⅡ・D9F)となった。有力な対戦相手は、ワイルドラッシュ、前走のBCクラシックで7着だったランニングスタッグの2頭だった。前走のBCスプリントで最下位に終わっていたワイルドラッシュは評価を少々下げていた。そのため、124ポンドの本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気、117ポンドのワイルドラッシュが単勝オッズ4.4倍の2番人気、116ポンドのランニングスタッグが単勝オッズ14.2倍の3番人気となった。今回の本馬は久々にスタートから逃げの手を打った。向こう正面でワイルドラッシュに並びかけられていったんは2番手に下がったが、直線に入ると先頭を奪還。ワイルドラッシュ、本馬より11ポンド斤量が軽かった単勝オッズ38.8倍の6番人気馬リトルビットライヴリーとの三つ巴の勝負となった。しかし競り合いになれば本馬のものであり、2着リトルビットライヴリーに頭差、3着ワイルドラッシュにはさらに1馬身差をつけて勝利を収め、4歳時を9戦6勝の成績で締めくくった。

競走生活(5歳時)

ケンタッキーダービー馬としては珍しく5歳時も現役を続行した(1970年以降の優勝馬としてはガトデルソル、ファーディナンド、ストライクザゴールドに次ぐ4頭目)。

まずは年明けすぐのサンパスカルH(米GⅡ・D8.5F)に出走した。ドバイワールドC4着以来のレースとなるマレク、ベルエアHの勝ち馬クラフティフレンド、メドウランズCH・モルソンエクスポートミリオン・デルマーBCHの勝ち馬ドラマティックゴールドといった、なかなかのメンバーが相手となった。他馬勢より6~11ポンド重いトップハンデとなる125ポンドの本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気、119ポンドのマレクが単勝オッズ5.7倍の2番人気、118ポンドのクラフティフレンドが単勝オッズ8倍の3番人気、同じく118ポンドのドラマティックゴールドが単勝オッズ9.3倍の4番人気となった。レースではドラマティックゴールドとクラフティフレンドの2頭が後続を大きく引き離して先頭争いを演じ、本馬は3番手、マレクが少し離れた4番手につけた。前2頭の先頭争いは直線入り口まで続いたが、ここで本馬がまとめてかわすと2頭とも失速。そのまま直線を先頭でひた走った本馬が、2着マレクに1馬身1/4差をつけて快勝した。

その後はフロリダ州に移動してドンH(米GⅠ・D9F)に出走した。チリでタンテオデポトリリョス賞・ドスミルギニー(智2000ギニー)・チリグランクリテリウムとGⅠ競走を3勝した後に米国に移籍してネイティヴダイヴァーHを勝ちハリウッド金杯で2着などの成績を残していたプエルトマデロ、シガーマイルH・ブラワードHを連勝してきたサーベア、ドバイワールドCでは5着に終わっていたベーレンズ、リトルビットライヴリーなどが対戦相手となった。本馬が他馬勢より6~16ポンド重い126ポンドのトップハンデながらも単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、120ポンドのプエルトマデロが単勝オッズ5.2倍の2番人気、同じく120ポンドのサーベアが単勝オッズ5.9倍の3番人気、113ポンドのベーレンズが単勝オッズ10.6倍の4番人気となった。スタートが切られると、単勝オッズ30.6倍の6番人気馬リトルビットライヴリーが逃げを打ち、サーベアが2番手、プエルトマデロは5番手の好位につけた。一方の本馬はと言うと、スタートで後手を踏んでおり、道中は馬群の中団後方を追走する羽目になっていた。そして直線入り口6番手から追い上げたが、直線の末脚勝負は本馬の得意とするところではなく、プエルトマデロとベーレンズの2頭に届かず、勝ったプエルトマデロから5馬身1/4差の3着と完敗した。

地元に戻って出走したサンタアニタH(米GⅠ・D10F)では、前走サンアントニオHを勝ってきた好敵手フリーハウス、プエルトマデロ、ジムビームS・ストラブSなどを勝ってきたイベントオブザイヤー、欧州から来たセントジェームズパレスS・ユジェーヌアダム賞の勝ち馬でクイーンエリザベスⅡ世S・オークツリーダービー・ストラブS2着のドクターフォング、チリでアルベルトヴィアルインファンテ賞・ポリャデポトリリョス賞とGⅠ競走を2勝した後に米国に移籍してきたシドンの5頭が対戦相手となった。124ポンドの本馬が単勝オッズ2倍の1番人気、122ポンドのプエルトマデロが単勝オッズ3.8倍の2番人気、123ポンドのフリーハウスが単勝オッズ5.1倍の3番人気、119ポンドのイベントオブザイヤーが単勝オッズ5.3倍の4番人気となった。本馬はトップハンデではあったが、フリーハウスとは1ポンド差、プエルトマデロとは2ポンド差であり、実力を発揮しさえすれば勝てる状況だった。

レースでは相変わらず白っぽいフリーハウスと、以前よりかなり白くなった本馬が並んで先頭を伺った。そのうちフリーハウスが前に出て、さらにドクターフォングが外側から本馬をかわしていき、本馬はイベントオブザイヤーと並んで3番手となった。そのままイベントオブザイヤーと一緒に前の2頭を見るように走っていたが、三角で先にイベントオブザイヤーが仕掛けて前の2頭に並びかけ、少し遅れて仕掛けた本馬は4番手で直線を向くことになった。そして直線では前の3頭が横一線となって叩き合い、その中からフリーハウスが抜け出した。本馬も追い上げてきたが、最後まで叩き合いに持ち込む事はできず、勝ったフリーハウスから1馬身差、2着イベントオブザイヤーから半馬身差の3着に敗れた。フリーハウスと本馬の対戦はこれが最後で、対戦成績は本馬の5勝3敗だった。

その後は再度ドバイに遠征し、2連覇を目指してドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)に参戦。このレースには、サンパスカルH2着後にサンアントニオHでも2着していたマレク、前年のBCクラシックで4着だったヴィクトリーギャロップ、仏2000ギニー・エクリプスS・マンノウォーSの勝ち馬でこの年のカルティエ賞年度代表馬に選ばれることになるデイラミ、伊ダービー馬セントラルパーク、ジャンプラ賞の勝ち馬アルムタワケル、クラークH4着以来の実戦となるランニングスタッグといった馬達の他に、前年の英ダービー馬ハイライズも出走していた。ケンタッキーダービー馬と英ダービー馬の対戦は、1923年に米国ベルモントパーク競馬場で行われたゼヴとパパイラスのマッチレース以来76年ぶり史上2回目だった。しかし現在も語り継がれるゼヴとパパイラスのマッチレースのような名勝負にはならなかった。3番手の好位を追走した本馬は直線に入ると後退して14馬身差の6着、後方待機策を採ったハイライズも直線でまったく伸びずに本馬からさらに大差をつけられた8着最下位に終わったのである。好位から抜け出して勝ったのは伏兵アルムタワケル。本馬の敗因は再度の鼻出血であった。

本国に戻った本馬の復帰戦は前年と同様にスティーヴンフォスターH(米GⅡ・D9F)となった。このレースではケンタッキーダービーから一貫して本馬の鞍上を務めていたスティーヴンス騎手に代わって、クリス・アントリー騎手が騎乗した。対戦相手は、ドバイワールドCでアルムタワケルから1馬身半差の3着だったヴィクトリーギャロップ、ドンH8着後にテキサスマイルSを勝ちオークローンHで2着していたリトルビットライヴリー、前年のスティーヴンフォスターH4着後にニューオーリンズHを勝ちオークローンHで3着していたプレコシティーなどだった。120ポンドのヴィクトリーギャロップが単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持され、123ポンドの本馬が単勝オッズ2.4倍の2番人気、115ポンドのリトルビットライヴリーと118ポンドのプレコシティーのカップリングが単勝オッズ4.3倍の3番人気となった。レースではリトルビットライヴリーが先頭を引っ張り、本馬は馬群の中団4番手を追走した。しかし本馬が伸びを欠いている間に、最後方にいたヴィクトリーギャロップが瞬く間に駆け上がって先頭を奪取した。結局はヴィクトリーギャロップが圧勝し、本馬はヴィクトリーギャロップから8馬身半差の4着と完敗。

この直後に競走馬引退が発表された。5歳時の成績は5戦1勝だった。

競走馬としての特徴と評価

振り返ってみれば本馬のGⅠ競走勝ちは3勝であり、数だけで言えば目立たない。3勝の内訳はケンタッキーダービー・プリークネスS・ドバイワールドCだから、質的にはかなり優れているが、米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選にランクインしている馬のうち、米国でグレード制が施行された1973年以降に3歳を迎えた馬28頭の中では、ルアー(BCマイル2回・シーザーズ国際H)と並んで、ジェニュインリスク(ケンタッキーダービー・ラフィアンH)に次いで2番目に少ないGⅠ競走勝利数である。

しかし芦毛の馬体にトレードマークである青いシャドーロールを装着して披露する闘争心溢れる走りは見る者を魅了し、非常に大きな人気を博した。本馬の人気の一端には、所有者であるルイス夫妻や管理したバファート師が大衆から好かれる人物だったこともある。2007年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第63位。

もっとも、勝利が接戦ばかりという事は、着差を重視するレーティングにおいては高評価が出にくいという事でもある。3歳時における国際クラシフィケーションは、トップの凱旋門賞馬パントレセレブルより12ポンドも低い125ポンド。4歳時における国際クラシフィケーションは128ポンドで、スキップアウェイ(131ポンド)、オーサムアゲイン(130ポンド)、スウェイン(129ポンド)よりも低かった。

血統

Silver Buck Buckpasser Tom Fool Menow Pharamond
Alcibiades
Gaga Bull Dog
Alpoise
Busanda War Admiral Man o'War
Brushup
Businesslike Blue Larkspur
La Troienne
Silver True Hail to Reason Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Silver Fog Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Equilette Equipoise
Frilette
Bonnie's Poker Poker Round Table Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Knight's Daughter Sir Cosmo
Feola
Glamour Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Striking War Admiral
Baby League
What a Surprise Wise Margin Market Wise Brokers Tip
On Hand
One Ripple Isolater
Ripples
Militant Miss Faultless Bull Lea
Unerring
Miss Militant Zacaweista
Periscope

父シルヴァーバックは米国で走り16戦7勝。サバーバンH(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)を勝ち、メトロポリタンH(米GⅠ)でコンキスタドールシエロの2着、ウッドワードS(米GⅠ)でアイランドワールの2着している。その父バックパサーは米国の歴史的名馬で、繁殖牝馬の父として大活躍したが、その直系はあまり繁栄しておらず、本馬へと繋がる血統は非常に貴重な血筋である。フロリダ州で種牡馬入りしたシルヴァーバックは本馬を含めて39頭のステークスウイナーを出し、2007年に29歳で他界している。

母ボニーズポーカーはステークス競走の勝ちこそないが、頑健に走り続けて63戦11勝の競走成績を残した。牝系からは活躍馬がまったくと言っても過言ではないほど出ておらず、本馬の半妹エルローズ(父デピュティミニスター)の子にスーパーフリーキー【プロヴィデンシアS(米GⅢ)】がいる程度である。米国三冠馬サイテーションなどは同じ牝系であるが、本馬とサイテーションの牝系先祖が合致するのは19世紀まで遡らないといけない。ボニーズポーカーは繁殖牝馬引退後に米国の功労馬保護団体オールドフレンズに引き取られ、2010年に28歳で他界している。→牝系:F3号族④

母父ポーカーはシアトルスルーの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州スリーチムニーズファームで種牡馬入りした。種付け料は2万5千ドルに設定された。2004年に日本中央競馬会によって9億9000万円で購入され、日本で種牡馬生活を送る事になった。この前年2003年に、日本で種牡馬生活を送っていたファーディナンドが屠殺されたらしいという報道がされていた。そのために本馬を日本に送るに際しては、サラブレッド馬主・生産者協会が結成した、“Ferdinand Fee(ファーディナンド会費)”という基金に基づき、本馬が日本における種牡馬生活を終えたときには米国が買い戻すという協定が締結された。

来日した本馬は、2005年から日本軽種馬協会静内種馬場で繋養されていたが、2008年には七戸種馬場、2009年には胆振種馬場と国内各地を転々とした。2012年からは再び静内種馬場に戻った。

米国では4年間種牡馬生活を送り、502頭の産駒を送り出した。勝ち上がり率は58.6%と優秀だったが、大物が出なかった。日本でも2008年の新種牡馬ランキングで6位に入っているが、やはり大物は出ていない。全日本種牡馬ランキングでは2010年の82位が最高である。もっとも、日本における種牡馬成績が振るわないのは、繁殖牝馬の質量ともに恵まれていないためでもある。日本における種牡馬入り1年目の2005年は102頭の繁殖牝馬を集めたのだが、2年目は28頭、3年目は26頭、七戸種馬場に移動した4年目は44頭、胆振種馬場に移動した5年目は8頭、6年目は13頭、7年目も13頭、静内種馬場に戻った8年目も13頭、9年目は10頭、10年目は9頭の交配数だった。

本馬は現在も米国において人気馬であり、はるばる米国から本馬を訪問してくるファンもいるほどである。本馬は日本で種牡馬入りした馬としては、サンデーサイレンスガンボウに次いで史上3頭目の米国顕彰馬(本馬より先に日本に一時的に輸入されていたハウスバスターも米国顕彰馬だが、選出年は2013年である)であり、日本でこのまま飼い殺しにするよりは、買い戻し協定に基づいて早く米国のファンの元に返してあければよいと思うのだが。

そう思っていた矢先の2014年10月29日、本馬の母ボニーズポーカーの最後を看取ったオールドフレンズが、スリーチムニーズファームの協力を得たビバリー夫人と息子のスティーヴ氏(ルイス氏は2006年に81歳で死去していた)により本馬が買い戻されて米国に帰還することが決まった旨を発表した。これはもちろん前述の“Ferdinand Fee”に基づく買い戻し協定によるものである。スリーチムニーズファームの代表者ケース・クレイ氏は、10年間に渡って本馬を大切に取り扱ってくれた日本軽種馬協会に対する感謝の言葉を述べた。そして同年11月に日本を旅立った本馬は、オールドフレンズがケンタッキー州に所有する牧場に無事に到着し、現在もファンに囲まれながら余生を送っている。

ところで、競馬評論家の合田直弘氏は自身が書いた記事の中で、本馬の買い戻し協定が締結されたのは、人気が高かった本馬が日本に種牡馬として輸出されるのを惜しんだ米国の競馬ファンが多かったためとしか述べていない。確かにそれもあるだろうが、実際にはファーディナンド屠殺事件の影響のほうが大きいのは明白である(本馬ほどファンが多かったとは言えないロージズインメイが日本に輸入される際にも全く同じ協定が締結されている)。合田氏ほど海外競馬に詳しい人物がその事を知らないわけはない(知らなかったとしたら、海外競馬に詳しいと言われる資格は無い)ので、意図的に触れていないものと思われる。ファーディナンド屠殺事件は米国競馬関係者の日本に対する好感度を大きく損なった大事件であり、確かに日本の競馬関係者や競馬ファンには耳が痛い話であるが、その事実をありのままに伝えるのは海外競馬に詳しい競馬評論家の責務であると筆者は考えるのだが。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2001

Preachinatthebar

サンフェリペS(米GⅡ)・東京シティC(米GⅢ)・テキサスマイルS(米GⅢ)

2003

Spring Waltz

ランパートH(米GⅡ)

2005

Miss Isella

フォールズシティH(米GⅡ)・ルイビルディスタフS(米GⅡ)・フルールドリスH(米GⅡ)

2006

シルバーカテリーナ

日高賞(水沢)

2006

マコトバンクウ

尾張名古屋杯(SPⅡ)

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