リリーアグネス

和名:リリーアグネス

英名:Lily Agnes

1871年生

鹿毛

父:マカロニ

母:ポリーアグネス

母父:ザキュア

生涯無敗の英国三冠馬オーモンドの母、英国クラシック競走4勝馬セプターの祖母となった名繁殖牝馬は後世に与えた影響力も絶大

競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績32戦21勝(異説あり。入着回数は不明)

誕生からデビュー前まで

ジェームズ・スナリー氏により生産・所有された英国産馬である。スナリー氏はタットン・サイクス卿が所有していた英国ヨークシャー州の名門牧場スレッドメアスタッド(後年にムムタズマハルが生を受ける牧場)の厩務員であり、サイクス卿からポリーアグネスという繁殖牝馬を譲り受けると、マカロニを交配させて本馬を生産したのである。本馬は「肉付きは薄く、腰はぼろぼろで、耳は垂れている」と評された見栄えがしない馬であり、デビュー前の期待は低かったようである。

競走生活

しかし競走馬としてデビューすると予想外の活躍を見せ、2歳時は6戦全勝の成績を挙げた。3歳時は10戦して、ノーサンバーランドプレート(T16F)・ドンカスターC(T18F)など7勝を挙げた。4・5歳時は16戦してエボアH(T14F)など8勝を上積みして、通算21勝(19勝とする資料もある)を挙げて競走馬を引退した。4歳時に勝ったエボアHでは、2着となった同世代の牡馬ディスティンクションに14ポンドのハンデを与えながらの勝利だった。

いつごろからなのかは不明だが、現役中に本馬は喘鳴症を患っていたようである。しかしそれは本馬の競走能力に致命的な影響を与えなかったようであり、古馬になっても勝ち星を重ねていった。また、勝ったレースの距離は5ハロンから3マイルまでと幅広く、距離不問だった。

血統

Macaroni Sweetmeat Gladiator Partisan Walton
Parasol
Pauline Moses
Quadrille
Lollypop Voltaire Blacklock
Phantom Mare
Belinda Blacklock
Wagtail
Jocose Pantaloon Castrel Buzzard
Alexander Mare
Idalia Peruvian
Musidora
Banter Master Henry Orville
Miss Sophia
Boadicea Alexander
Brunette
Polly Agnes The Cure Physician Brutandorf Blacklock
Mandane
Primette Prime Minister
Miss Paul
Morsel Mulatto Catton
Desdemona
Linda Waterloo
Cressida
Miss Agnes Birdcatcher Sir Hercules Whalebone
Peri
Guiccioli Bob Booty
Flight
Agnes Clarion  Sultan
Clara 
Annette Priam
Don Juan Mare

マカロニは当馬の項を参照。

母ポリーアグネスはサイクス卿によりスレッドメアスタッドにおいて生産・所有された馬で、競走馬としてはおそらく不出走のまま、前述のとおりスナリー氏に譲渡されている。サイクス卿がポリーアグネスを手放した理由は、ポリーアグネスが痩せたみすぼらしい馬だったため、自身の牧場に残す事を嫌がったためであるとされている。

しかしポリーアグネスは世界的な一大牝系を形成した根幹繁殖牝馬となった。

まず、本馬の全妹タイガーリリーの子にマータゴン【グッドウッドC・ゴールドヴァーズ】、曾孫にプラムツリー【グッドウッドC】、牝系子孫にメドウスター【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・スピナウェイS(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)】、アシャド【BCディスタフ(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・スピナウェイS(米GⅠ)・オグデンフィップスH(米GⅠ)・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)】、日本で走ったサンテミリオン【優駿牝馬(GⅠ)】などがいる。

次に、本馬の全妹ジェシーアグネスの玄孫にアトマー【英1000ギニー】、牝系子孫に日本で走ったハッピープログレス【安田記念(GⅠ)】がいる。

次に、本馬の全妹リジーアグネスの孫にオクタゴン【トボガンH2回・ウィザーズS・ブルックリンダービー】、曾孫にオルラ【独オークス】、牝系子孫にシャットアウト【ケンタッキーダービー・ベルモントS・ブルーグラスS・アーリントンクラシックS・トラヴァーズS・ピムリコスペシャル】、ターゴワイス(オールアロングやレッツゴーターキンの父)、ミスワキ【サラマンドル賞(仏GⅠ)】、南米の名種牡馬サザンヘイローマニラ【BCターフ(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)2回・ターフクラシック(米GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)】、ホワイトマズル【伊ダービー(伊GⅠ)】、ホーリーブル【ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・メトロポリタンH(米GⅠ)・ハスケル招待H(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】、アルムタワケル【ドバイワールドC(首GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅠ)】、ジェネラルチャレンジ【サンタアニタH(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)・パシフィッククラシックS(米GⅠ)】、オリエンテート【BCスプリント(米GⅠ)・フォアゴーH(米GⅠ)】、トゥブーグ【サラマンドル賞(仏GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)】、ミッドシップマン【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・デルマーフューチュリティ(米GⅠ)】、セントニコラスアビー【BCターフ(米GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)3回・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)】、ジミーシュー【新2000ギニー(新GⅠ)・新ダービー(新GⅠ)・ローズヒルギニー(豪GⅠ)・ウィンザーパークプレート(新GⅠ)・スプリングクラシック(新GⅠ)】、シークレットサークル【BCスプリント(米GⅠ)・ドバイゴールデンシャヒーン(首GⅠ)】、エイシンヒカリ【香港C(香GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)】などがいる。

次に、本馬の半妹ベイアグネス(父スペキュラム)の牝系子孫は南アフリカで繁栄し、多くの活躍馬が出ている。

次に、本馬の半妹オーファンアグネス(父スペキュラム)の曾孫に英国三冠馬ポマーン【英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャー・コロネーションC】、牝系子孫に、バブルス【リュパン賞・仏共和国大統領賞】、ジャヴロ【エクリプスS・ガネー賞・イスパーン賞】、ナイトオフ【英1000ギニー・チェヴァリーパークS】、パーシャンハイツ【セントジェームズパレスS(英GⅠ)】、フライングコンチネンタル【チャールズHストラブS(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)】、ブッシュレンジャー【モルニ賞(仏GⅠ)・ミドルパークS(英GⅠ)】、日本で走ったヤマイワイ【中山四歳牝馬特別(桜花賞)】、オペックホース【東京優駿】、1995年の中央競馬最優秀障害競走馬リターンエース、ゼンノエルシド【マイルCS(GⅠ)】などがいる。

ポリーアグネスの母ミスアグネスも世界的な一大牝系の祖となっており、膨大な数の活躍馬がその子孫から出ているが、多すぎるので別ページの牝系図に任せて本項では省略する。→牝系:F16号族①

母父ザキュアは英シャンペンS・ディーSの勝ち馬で、英セントレジャーではフォーアバラーの2着だった。遡るとフィジシアン、チェスターC勝ち馬ブルタンドルフを経てブラックロックに辿りつく血統。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はスナリー氏所有のもとで繁殖入りした。

7歳時に産んだ初子の牡駒ナルシサス(父スペキュラム)、9歳時に産んだ2番子の牝駒イースタンリリー(父スペキュラム)は競走馬として活躍できなかった。

本馬を繁殖牝馬としても成功させると決心していたスナリー氏はその後、初代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナー卿が所有していた英ダービー馬ドンカスターを本馬に交配させることにした。ドンカスターとの交配のためにイートンスタッドに来た本馬を目にしたイートンスタッドの運営者リチャード・チャップマン氏は、本馬を気に入り、本馬を購入するようにグローヴナー卿に薦めた。グローヴナー卿から本馬の購入を打診されたスナリー氏は悩んだ末に、取引額を公表しないという条件で本馬をグローヴナー卿に売却した(後に公表された取引額は2500ポンドだった)。なお、スナリー氏は1877年に本馬が6歳の時に死去しており、グローヴナー卿が本馬を購入したのはその後であるとする資料もあり、いずれが正しいのかは定かではない。

10歳時に産んだ3番子の牡駒ロシントン(父ドンカスター)は不出走に終わったが、11歳時に産んだ4番子の牝駒フェアウェル(父ドンカスター)が英1000ギニーを優勝する活躍を見せた。

そして12歳時に産んだ5番子の牡駒オーモンド(父ベンドア)が史上4頭目の英国三冠馬になるなど通算16戦無敗の成績を残し、本馬の繁殖牝馬としての名声は不動のものとなった(詳細はオーモンドの項を参照)。

13歳時に産んだ6番子の牝駒ウェルフェア(父ドンカスター)は活躍できなかったが、14歳時に産んだ7番子のオソリー(父ベンドア)がセントジェームズパレスS・プリンスオブウェールズSを勝つ活躍を見せた。

その後も毎年のようにベンドアを交配され、15歳時には8番子の牡駒フルールドリスを、16歳時には9番子の牝駒オナーメントを、18歳時には10番子の牡駒アークロウを、23歳時には12番子の牡駒オレリオをいずれもベンドアとの間にもうけたが、4頭とも競走馬としては活躍できなかった。19歳時には11番子の牡駒オーモンドリバイスド(父タドカスター)も産んでいるが、やはり競走馬としては活躍できなかった。

なお、オーモンドは現役中に喘鳴症を発症しており、これはおそらく本馬から遺伝したものであるとされている。オーモンドの他にどの産駒が喘鳴症を発症していたかどうかは具体的には定かではないが、一般的に本馬は子孫の多くに喘鳴症を遺伝させたと言われているようである。オレリオが本馬にとって最後の産駒となり、1899年6月に28歳で老衰のため他界した。同年には本馬と一緒にイートンスタッドで供用されていた名牝ショットオーヴァーとアンジェリカ(オーモンドの後継種牡馬オームの母)に加えて、グローヴナー卿自身も死去しており、一つの時代の終焉だったとされている。

後世に与えた影響

種牡馬としては不遇を囲ったオーモンドだったが、数少ない産駒の中からオームを出して後世に血を伝えた。また、ロシントンは米国で種牡馬入りして一定の成績を残した。

さらに、本馬自身の牝系子孫も発展しており、祖母ミスアグネスや母ポリーアグネスの牝系発展に大きな貢献を果たしている。

フェアウェルは母としてリグレット【サセックスS】、グッドラック【トライアルS(現クイーンアンS)】を産んだが、牝系子孫は伸びなかった。

イースタンリリーの牝系子孫は南米で細々と伸びたが、現在はほぼ残っていないようである。

本馬の後継繁殖牝馬として唯一無二の成功を収めたのは、現役時代は1戦未勝利に終わったオナーメントだった。オナーメントは母としてラブラドール【英チャンピオンS・ジュライS】、カラー【ハードウィックS・トライアルS(現クイーンアンS)】、そして英国クラシック競走4勝の歴史的名牝セプター【英2000ギニー・英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー・英チャンピオンS・ジュライS・セントジェームズパレスS・ナッソーS・ハードウィックS・ジョッキークラブS・デュークオブヨークS】を産んだだけでなく、シャトーゲイ【ケンタッキーダービー・ベルモントS・ブルーグラスS・ジェロームH】、リトルカレント【プリークネスS(米GⅠ)・ベルモントS(米GⅠ)】、カムローディローリー【デラウェアオークス(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】、センセーショナル【フリゼットS(米GⅠ)・セリマS(米GⅠ)・レディーズH(米GⅠ)】、デザートワイン【チャールズHストラブS(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)】、メニフィー【ブルーグラスS(米GⅠ)・ハスケル招待H(米GⅠ)】、ファスリエフ【愛フェニックスS(愛GⅠ)・モルニ賞(仏GⅠ)】、コンガリー【スワップスS(米GⅠ)・シガーマイルH(米GⅠ)2回・カーターH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)】、レザルク【ゴールデンジュビリーS(英GⅠ)・ジュライC(英GⅠ)】、バーバロ【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)】、ミスティフォーミー【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・愛1000ギニー(愛GⅠ)・プリティポリーS(愛GⅠ)】、日本で走ったクレオパトラトマス【帝室御賞典(東京)】、名種牡馬クモハタ【東京優駿】、ハマカゼ【桜花賞】、タカクラヤマ【天皇賞春】、ハクチカラ【東京優駿・天皇賞秋・有馬記念・ワシントンバースデイH】、ニホンピロムーテー【菊花賞】、パンフレット【中山大障害春】、ゴールドシップ【皐月賞(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)2回・天皇賞春(GⅠ)】などの牝系先祖ともなった。また、ここには載せなかったがセプターの牝系子孫にも数々の活躍馬がおり、そちらはセプターの項を参照してほしい。こういった数々の功績を記念して、チェスター競馬場において本馬の名を冠したリリーアグネスSが施行されている。

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