和名:コールタウン |
英名:Coaltown |
1945年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ブルリー |
母:イージーラス |
母父:ブレニム |
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同世代同厩の米国三冠馬サイテーションの陰に隠されてしまったが3つの異なる距離で世界レコード又は世界レコードタイをマークして米年度代表馬にも輝く |
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競走成績:3~6歳時に米で走り通算成績39戦23勝2着6回3着3回 |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州の名門牧場カルメットファームの生産・所有馬。本馬の同世代のカルメットファーム産馬には、同じくブルリーを父に持つサイテーション、ビウィッチがおり、3頭全て後に米国競馬の殿堂入りを果たす活躍を見せた。サイテーションやビウィッチと同じくカルメットファームの専属調教師ベン・A・ジョーンズ師と息子のホーレス・A・ジョーンズ師の管理馬となったが、幼少期の評価は3頭の中で本馬が最も高かった。本馬は首が細い馬で、しかも走るときに首が長く伸びたことから、牧場スタッフから“The Goose(ガチョウ)”というニックネームを付けられていた。
競走生活(3歳時)
呼吸器疾患と脚首の怪我のために2歳時は棒に振ったが、3歳デビュー戦となったハイアリアパーク競馬場ダート6ハロンの一般競走を1分09秒6のコースレコードタイで12馬身差の圧勝。ケンタッキー州に移動して出走した古馬相手のフェニックスH(D6F)では、前年の同競走勝ち馬ジョージゲインズ以下を圧倒して勝利した。ここまでは短距離戦の出走が主だったが、2週間後に出走したブルーグラスS(D9F)では、ブリーダーズフューチュリティの勝ち馬シャイガイなどを一蹴。2着ビリングスに4馬身半差をつけ、1分49秒2というコースレコードを計時して圧勝した。
そして4戦全勝でケンタッキーダービー(D10F)に出走した。このレースには、ベルモントフューチュリティS・ピムリコフューチュリティ・セミノールH・エヴァーグレイズH・フラミンゴS・チェサピークS・ダービートライアル勝ちなど16戦14勝2着2回のサイテーションも出走してきた。本馬とサイテーションの2頭に恐れをなした他馬陣営の回避が相次ぎ、立ち向かってきたのは、ジュヴェナイルS・グランドユニオンホテルS・ユナイテッドステーツホテルS・ナショナルスタリオンS・カウディンS・ウッドメモリアルSの勝ち馬マイリクエスト、ダービートライアルS2着馬エスカドル、ブルーグラスSで本馬の2着だったビリングス、オークランドS・ホームブレッドSなどの勝ち馬グランペルの4頭だけだった。本馬とサイテーションの2頭がカップリングされて1番人気に支持されており、レースは事実上この2頭による一騎打ちという前評判だった。しかし下馬評ではサイテーションより本馬が上と言われていた。本馬はスタートから快調に先頭を飛ばして向こう正面では後続に6馬身差をつけたが、直線でサイテーションに並ぶ間もなく差し切られて、3馬身半差の2着に完敗してしまった。
その後はサイテーションのみが米国三冠路線を進み、本馬は短距離路線に方向転換することになった。まずはスウィフトS(D7F)に出走。ケンタッキーダービーで本馬から3馬身差の3着だったマイリクエスト、サンタアニタダービー・サンヴィンセントSの勝ち馬サルマガンディなども出走してきたが、1分23秒4のレースレコードで走破した本馬が、マイリクエストを6馬身差の2着に破って勝利した。次走のウィザーズS(D8F)では、サラトガスペシャルS・イーストビューSの勝ち馬ベターセルフ、プリークネスSで勝ったサイテーションから5馬身半差の2着だったシャンペンSの勝ち馬ヴァルカンズフォージなどが出走してきた。ここではヴァルカンズフォージが勝利を収め、本馬は2馬身差の2着に敗れた。アーリントンパーク競馬場に遠征して出走したスコーキーH(D6F)では、アーリントンフューチュリティの勝ち馬ピエトの3着に敗退。しかしワシントンパーク競馬場で出たドレクセルH(D8F)では、2着シャイガイに1馬身差で勝利を収めた。その僅か6日後にはグレートウェスタンH(D6F)に出走したが、牝馬トレヴィに屈して2着だった。しかしジェロームH(D8F)では、サラナクHの勝ち馬マウントマーシーを5馬身差の2着に破って圧勝した。
次走のサイソンビーマイルS(D8F)には、米国三冠を達成してきたサイテーションも参戦してきた。距離適性的には本馬に分があるかとも思われたが、結果は9連勝中のサイテーションが勢いそのままに完勝し、ベルモントフューチュリティS・メイトロンS・モンマスオークスを勝っていた一昨年の米最優秀2歳牝馬ファーストフライトにも後れを取った本馬は、サイテーションから3馬身1/4差の3着に敗れた。3歳時は13戦8勝の成績で、この年の米最優秀短距離馬に選出された。
競走生活(4歳時)
3歳時は裏路線を進まされていた本馬だが、4歳になるとサイテーションが故障で戦線離脱したため、代わりに表舞台に立つ事になった。まずはフロリダ州ハイアリアパーク競馬場から始動。ダート6ハロンの一般競走に出走して、2着フリーアメリカに2馬身半差で軽く勝利した。次走のダート9ハロンの一般競走では、1分47秒6のコースレコード(世界レコードタイでもあった)を計時して、2着スリーリングスに10馬身差で圧勝した。マクレナンH(D9F)では、1歳年上のプリークネスS・フラミンゴS・ブルーグラスS・ウィザーズSの勝ち馬でケンタッキーダービー3着のフォールトレスを4馬身差の2着に破って圧勝。ワイドナーH(D10F)でも、シャイガイやフォールトレスを蹴散らして、2着シャイガイに2馬身差で勝利した。
ハイアリアパーク競馬場で4連勝した本馬は続いてガルフストリームパーク競馬場に移動して、ガルフストリームパークH(D10F)に出走。このレースには、ピムリコスペシャル・ワイドナーH2回・サバーバンH・ワシントンパークH2回・ガルフストリームパークH・アーリントンHを勝っていた4歳年上の同馬主同厩馬アームドも出走していた。もしアームドが全盛期であれば好勝負になったのだろうが、既に衰えが隠せなかったアームドは本馬の敵ではなかった。128ポンドを背負っていた本馬が2着スリーリングスに7馬身差をつけて、1分59秒8のコースレコード(これも世界レコードタイだった)で圧勝。116ポンドの斤量だったアームドはスリーリングスから半馬身遅れて3着だった。
その後はメリーランド州ハヴァードグレイス競馬場に向かい、エドワードバークH(D8.5F)に出走した。本馬には130ポンドが課せられることが事前に公表されていたが、それでも本馬に立ち向かおうとする馬は1頭たりとも現れず、本馬が単走で勝利した。次走のギャラントフォックスH(D9.5F)でも斤量は130ポンドだったが、今回は前月のサンタアニタHを勝利したヴァルカンズフォージやスリーリングスなど5頭が立ち向かってきた。しかし本馬が2着ヴァルカンズフォージに7馬身差をつけて圧勝した。勝ちタイムは公式には1分56秒2とされたが、実際には1分55秒8だったという。ロジャーウィリアムズH(D9.5F)でも130ポンドを課せられたが、2着グランドエントリーに12馬身差をつけて大圧勝した。
その後は前年に続いてアーリントンパーク競馬場に向かい、エクワポイズマイルH(D8F)に出走。ここでは本馬には132ポンドが課せられ、16ポンドのハンデを与えた前年のクラークHの勝ち馬スターリワードに3馬身差をつけられて2着に敗れた。次走のスターズ&ストライプスH(D9F)では、スターリワード、アームド、パームビーチS・セミノールHの勝ち馬デレゲートなどが対戦相手となった。しかし130ポンドを背負っていた本馬が、20ポンドのハンデを与えたアームドを1馬身1/4差の2着に破って、1分48秒4のコースレコードを計時して勝利した。次走のアーリントンH(D10F)でも、アームドやスターリワードとの対戦となった。本馬の斤量は相変わらず130ポンドだったが、2着スターリワードに3馬身差で快勝した。
ワシントンパーク競馬場に場所を移して出走したワーラウェイS(D8F)では、スターリワードに加えて、この年のケンタッキーダービー・ピーターパンS・アーリントンクラシックSを勝ちベルモントSでは2着だった同馬主同厩のポンダーが参戦してきた。しかし130ポンドを背負っていた本馬が、2着ポンダーに2馬身1/4差をつけて完勝。勝ちタイム1分34秒0は当時の世界レコードだった。次走のワシントンパークH(D10F)では、130ポンドを背負っていた本馬と110ポンドのアームドの接戦となったが、本馬が3/4馬身差で勝利した。
10月に出走したサイソンビーマイルS(D8F)では、プリークネスS・ベルモントS・ピムリコフューチュリティ・シャンペンS・ジェロームHを勝ちケンタッキーダービー2着だった3歳最強のカポットが挑んできた。馬齢定量戦だったために、斤量は本馬が126ポンドで、カポットが120ポンドに設定された。しかし結果はカポットが勝利を収め、本馬は1馬身半差の2着に敗れた。それから23日後、ピムリコスペシャルS(D9.5F)で本馬とカポットのマッチレースが組まれた。斤量設定は前走サイソンビーマイルSと全く同じだった。そのため好勝負が期待されたが、カポットが本馬を12馬身ちぎって圧勝してしまった。4歳時はこれが最後のレースとなり、この年の成績は15戦12勝2着3回だった。同年の米最優秀ハンデ牡馬のタイトルを受賞しただけでなく、カポットと並んで米年度代表馬にも選ばれた(正確には、全米競馬記者協会の投票においては有効得票数203票中102票を集めた本馬が71票のカポットを抑えて受賞し、デイリーレーシングフォーム紙はカポットを選出した)。
競走生活(5歳時)
5歳時も現役を続け、まずは2月のマクレナンH(D9F)から始動した。しかし本馬には132ポンドが課せられてしまい、117ポンドのスリーリングスと116ポンドのロイヤルガヴァナーの2頭に屈して、スリーリングスの2馬身差3着に敗れた。次走のワイドナーH(D10F)でも132ポンドを課せられた上に、スタミナを余計に消耗する不良馬場となった影響もあって、勝ったロイヤルガヴァナーに10馬身差をつけられた5着に終わり、生涯初の着外を喫した。次走のフェニックスH(D6F)でも130ポンドを課せられ、マウントマーシーの着外に終わった。
その後はしばらくレースに出ず、次に競馬場に姿を現したのは前走から8か月後の12月だった。場所は今まで主戦場としていた米国東部ではなく、米国西海岸カリフォルニア州のハリウッドパーク競馬場だった。ダート6ハロンの一般競走に出走した本馬は、2着となったデルマーフューチュリティの勝ち馬スターフィドルに2馬身半差をつけて、1分09秒2のコースレコードタイで勝利を収めた。5歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は4戦1勝だった。
競走生活(6歳時)
6歳時もカリフォルニア州に留まり、2月のサンアントニオH(D9F)から始動した。このレースには、前年のCCAオークス・ガゼルH・ベルデイムH・レディーズH・ヴァニティHなどを制して米最優秀3歳牝馬に選ばれていたネクストムーヴも出走していた。しかし勝ったのは本馬と同父同馬主同厩のオールブルーで、ネクストムーヴは3着、そして本馬はオールブルーから14馬身3/4差をつけられた14着と惨敗した。翌月のアラメダH(D6F)では、サンタマルガリータ招待Hを勝ってきた牝馬スペシャルタッチの5馬身3/4差9着に敗退。しかし4月に出走したアートスパークスH(D6F)では、2着スペシャルタッチに鼻差で勝利を収めた。翌月に出た新設競走チルドレンズホスピタルH(D6F)でも、2着スペシャルタッチに2馬身差で勝利した。
5月に出たハリウッドパーク競馬場ダート7ハロンのハンデ競走では、やはりこの時期に米国西海岸を主戦場としていたビウィッチとの対戦となった。結果はビウィッチが勝ち、本馬は4馬身半差の6着に敗退した。それから4日後のアーゴノートH(D8.5F)には、ビウィッチに加えて、これまた西海岸を主戦場としていたサイテーションも出走してきた。しかし勝ったのはワシントンバースデイH・サンフアンカピストラーノ招待Hの勝ち馬ビーフリートで、サイテーションは3馬身差の2着、ビウィッチはさらに3/4馬身差の4着、本馬はさらに11馬身1/4差をつけられた9着と惨敗した。本馬とサイテーションの対戦はこれが最後で、対戦成績は本馬の3戦全敗となってしまった。
この後もサイテーションやビウィッチは西海岸に留まったが、本馬は西海岸を去り、ワシントンパーク競馬場に移動してドレクセルH(D6F)に出走した。しかし結果はジョンズジョイの9馬身1/4差7着最下位に敗退。ドレクセルHはこの年を最後に68年間の歴史に幕を下ろしたが、本馬もまたこのレースを最後に競走馬を引退。5歳時の成績は7戦2勝だった。
競走馬としての評価
本馬はダート1マイル・ダート9ハロン・ダート10ハロンと3つの異なる距離で世界レコード又は世界レコードタイを記録しており、快速を活かして馬群の先頭を引っ張るレースを得意としていた。本馬を管理したベン・A・ジョーンズ師は、「私の知る限り最も速い馬でした」と語っている。しかし本馬は同期にサイテーションがいた影響もあり、その優れた競走成績に反して後世の評価がやや低く、ニューヨーク・タイムズ紙は「おそらく20世紀における最も過小評価された馬でしょう」と本馬を評している。
血統
Bull Lea | Bull Dog | Teddy | Ajax | Flying Fox |
Amie | ||||
Rondeau | Bay Ronald | |||
Doremi | ||||
Plucky Liege | Spearmint | Carbine | ||
Maid of the Mint | ||||
Concertina | St. Simon | |||
Comic Song | ||||
Rose Leaves | Ballot | Voter | Friar's Balsam | |
Mavourneen | ||||
Cerito | Lowland Chief | |||
Merry Dance | ||||
Colonial | Trenton | Musket | ||
Frailty | ||||
Thankful Blossom | Paradox | |||
The Apple | ||||
Easy Lass | Blenheim | Blandford | Swynford | John o'Gaunt |
Canterbury Pilgrim | ||||
Blanche | White Eagle | |||
Black Cherry | ||||
Malva | Charles O'Malley | Desmond | ||
Goody Two-Shoes | ||||
Wild Arum | Robert le Diable | |||
Marliacea | ||||
Slow and Easy | Colin | Commando | Domino | |
Emma C. | ||||
Pastorella | Springfield | |||
Griselda | ||||
Shyness | His Majesty | Melton | ||
Silver Sea | ||||
Mrs. K | Americus | |||
Wise Letter |
父ブルリーは当馬の項を参照。
母イージーラスは現役成績6戦3勝。繁殖牝馬としてはかなり優秀で、本馬の1歳年下の半妹で1949年の米最優秀3歳牝馬に選ばれたウィストフル(父サンアゲイン)【CCAオークス・ピムリコオークス・ケンタッキーオークス・ベンアリH・クラーク】、全妹ローズウッド【スワニーリヴァーH・ブラックヘレンH】も産んでおり、1949年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれた。ウィストフルの子には、ボールドルーラー、ギャラントマン、ラウンドテーブルと同世代でケンタッキーダービーの前売り1番人気に推されながら怪我のため直前で回避したゲンデューク【エヴァーグレイズS・ファウンテンオブユースS・フロリダダービー】がいる。また、本馬の全妹リッピングリズムの孫にはリボフィリオ【デューハーストS】、曾孫にはアップザクリーク【SAフィリーズギニー(南GⅠ)・ガーデンプロヴィンスS(南GⅠ)2回・パドックS(南GⅠ)】、玄孫にはラヴィニアフォンタナ【スプリントC(英GⅠ)】が、本馬の全妹ローズウッドの孫にはティムザタイガー【サプリングS(米GⅠ)】がいる。
イージーラスの半兄にはクロスボウ(父クルセイダー)【サンフォードS】、ゴッサム(父ホットウィード)【サンパスカルH】、イージーモン(父ファラモンド)【ジェロームH】がおり、イージーラスの半妹オールウェイズ (父サンテディ)の子にはビヨンド【エイコーンS】がいる。→牝系:F7号族②
母父ブレニムは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のカルメットファームでサイテーションと共に種牡馬入りした。しかしカルメットファームの期待はやはりサイテーションの方が高かったようで、本馬は1955年に仏国の名馬産家マルセル・ブサックに51万4千ドルで購入されて仏国に渡り、シャルディー牧場で種牡馬生活を続けた。しかし本馬は米国と仏国のいずれにおいても種牡馬としては成功しなかった。サイテーションもそれほど種牡馬として成功した方ではなかったが、それでも本馬に比べれば成功していると言われている。1965年に仏国において20歳で他界した。1983年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第47位。