リールンク

和名:リールンク

英名:Lirung

1982年生

栗毛

父:コンノート

母:リランガ

母父:リテラート

現役中に謎の病気でこの世を去った、独国競馬史上最強のマイラーと讃えられる名馬

競走成績:2~4歳時に独仏で走り通算成績17戦12勝2着2回3着3回

誕生からデビュー前まで

西独の名門牧場フェアホフ牧場の生産・所有馬で、独国ハインツ・イエンチ調教師に預けられた。同世代で後に独国の歴史的名馬となるアカテナンゴも本馬と同じくフェアホフ牧場の生産・所有馬で、管理調教師も同じイエンチ師だった。しかし、見映えがする馬体や走るフォームの美しさから、本馬はアカテナンゴ以上に期待されていた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にケルン競馬場で行われたヘングステフェルスフスレネン(T1400m)で、主戦となるジョージ・ボッカイ騎手を鞍上にデビューした。そして期待どおりの高いスピード能力を存分に発揮した本馬は、2着ポンティアックに10馬身以上の大差をつけて圧勝し、鮮烈なデビューを飾った。

その後はしばらく休養し、9月にクレフェルト競馬場で行われたリステッド競走ラティボアレネン(T1400m)で復帰。このレースにはアカテナンゴも出走していたが、単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された本馬が2着ビスマルクに3馬身差をつけて勝ち、アカテナンゴはビスマルクからさらに1馬身1/4差の3着に終わった。

翌10月にケルン競馬場で出走したヴィンターファフォリテン賞(独GⅢ・T1600m)でもアカテナンゴとの対戦となったが、本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。レースではスタート直後の先陣争いを制して先頭に立つと、直線で二の脚を使って後続を引き離し、2着ドラールシュターに5馬身差をつけて圧勝。アカテナンゴは本馬から14馬身後方の5着に終わった。2歳時は3戦全勝の成績で、独最優秀2歳馬に選出された。

競走生活(3歳時)

3歳時は5月の独2000ギニー(独GⅡ・T1600m)から始動した。そして単勝オッズ1.4倍の1番人気に応えて、2着ビスマルクに6馬身差をつけて圧勝した。次走はブレーメン競馬場で行われたコンスルバイエフレネン(独GⅢ・T2200m)となった。前走から一気に距離が伸びたが、単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に支持された。そしてレースでも、GⅢ競走シュタイゲンベルガーホテル大賞を勝ってきたロンタノをまったく問題にせず、2着ロンタノに7馬身差をつけて圧勝した。

デビューから圧勝に次ぐ圧勝で迎えた独ダービー(独GⅠ・T2400m)では、距離不安を指摘する意見もあったが、前年のラグナスに続く兄弟制覇も期待されたため、単勝オッズ3.4倍という独ダービー史上稀に見る1番人気に支持された。距離が伸びても本馬のレースぶりは変わらず、スタートから先頭に立つと、後続を引き離して逃げ続けた。しかし本馬から3馬身ほど離れた2番手を追走していたアカテナンゴに直線入り口で並びかけられると、直線半ばでスタミナが切れた本馬は2番手に落ちた。さらにデビュー戦で大差をつけたポンティアックにゴール前で差されて、勝ったアカテナンゴから3馬身差、2着ポンティアックから首差の3着に敗れてしまい、無敗記録は5で止まった。もっとも、4着馬には9馬身半差をつけていたから、距離不適だった事や、アカテナンゴの後の活躍を考えると恥ずかしい敗戦ではなかった。

次走は古馬相手のダルマイヤー大賞(独GⅡ・T2000m)となった。ウニオンレネンの勝ち馬アナタス、ドルトムント大賞の勝ち馬ギルモアといった有力古馬勢が対戦相手となったが、独ダービーでアカテナンゴに騎乗していたアンジェイ・テュリッヒ騎手とコンビを組んだ本馬が単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に支持された。そしてレースでも、2着ギルモアに4馬身半差をつけて完勝した。

ボッカイ騎手が鞍上に戻ってきた次走のフュルシュテンベルクレネン(独GⅢ・T2200m)では、単勝オッズ1.6倍の1番人気となった。ここでは2kgのハンデを与えた同じ3歳牡馬の愛国産馬マックスリーフにあわやのところまで迫られたが、首差抑えて勝利した。

その後は翌9月にケルン競馬場で行われたエリート賞(独GⅢ・T1600m)に出走した。ここででは、スプリンター賞・ヘッセンポカルとGⅢ競走を2勝してきたディウシュターが対戦相手となった。しかし単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持された本馬が2着ハジェスに1馬身3/4差をつけて無難に勝利を収めた。3歳時の成績は6戦5勝で、独最優秀マイラーに選ばれた。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月にケルン競馬場で行われたリステッド競走オットヴォルフ賞(T1900m)から始動した。独2000ギニーで本馬の3着だったオネストという馬が再び挑んできたが、単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持された本馬が、4kgのハンデを与えたオネストを1馬身3/4差の2着に退けて勝利した。しかし翌月にバーデンバーデン競馬場で出走したバーデナーマイレ(独GⅢ・T1600m)では、1kgのハンデを与えた英国調教馬サラブ(この年の暮れに仏国のGⅠ競走フォレ賞を勝っている)の半馬身差2着に敗れてしまった。

それでも陣営は、本馬は独国外でも通用する器であると判断したようで、次走は翌6月のイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)となった。独国外では、米国出身の名手スティーブ・コーゼン騎手が本馬の手綱を取る事になった。ここでは、前年のジャンプラ賞と前走のガネー賞を勝っていたバイアモンが勝ち、前年のサンタラリ賞・ヴァントー賞・ノネット賞を勝ち仏オークス・ヴェルメイユ賞で2着していたフィトナが短首差の2着。本馬はフィトナから2馬身差の3着に敗れ、ここでは仏国のGⅠ競走勝ち馬2頭の壁に跳ね返されてしまった。

いったん独国に戻った本馬は、7月にフランクフルト競馬場で行われたヘッセンポカル(独GⅢ・T2000m)に出走した。しかし4kgのハンデを与えた5歳牡馬グラウエルヴィヒトの2馬身差2着に敗れた。

それでも再び仏国に向かい、翌8月のジャックルマロワ賞(仏GⅠ・T1600m)に出走した。ここでは、モルニ賞の勝ち馬でサラマンドル賞2着のリーガスステート、伊国のGⅠ競走エミリオトゥラティ賞や英国のGⅢ競走ホーリスヒルS・チャレンジSを勝ちクイーンアンSで2着していたエフィシオなどが対戦相手となった。ここで本馬はその有するスピード能力を存分に発揮して、スタートから内埒沿いを通って快調に先頭を飛ばすと、そのまま2着リーガルステートに1馬身差、3着エフィシオにはさらに1馬身半差をつけて逃げ切り勝利した。

次走のムーランドロンシャン賞(仏GⅠ・T1600m)では、愛1000ギニー・コロネーションS・チャイルドS・サセックスSと4連勝中のソニックレディ、ダフニ賞など3戦無敗のスリルショーなどが対戦相手となった。結果はソニックレディが勝ち、スリルショーが半馬身差の2着、本馬はさらに2馬身半差の3着に敗れた。

地元に戻って出走したエリート賞(独GⅢ・T1600m)では、61kgという厳しい斤量が課せられた。これはオネストより4.5kg重いものだった。しかし単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された本馬が2着シャーカレムに3馬身半差、3着オネストにはさらに1馬身半差をつけて完勝した。直線でボッカイ騎手は幾度も後方を振り返っており、まったくの楽勝だった。4歳時は7戦3勝の成績ながら、安定した活躍が評価されてこの年の欧州最優秀マイラーのタイトルを手にした(2年連続の独最優秀マイラーも受賞)。

競走生活(5歳時)

5歳時は4月にブレーメン競馬場で行われたスシャール賞(T1600m)から始動した。本馬に課せられた斤量は60kgでやはり厳しかったが、単勝オッズ1倍(元返しなのか四捨五入の結果なのかは不明)という究極の1番人気に支持された。そしてレースでも他馬との性能の違いを見せつけ、2着アニモに7馬身差、3着グレゴリーにもさらに7馬身差をつけて圧勝した。

その後は伊国のレースに出走するために遠征に出た(ミラノに向かったとあるから、6月のミラノ大賞が目標だったと推察される)。しかし税関職員がストライキを起こしたために、伊国に入国許可が下りなかった本馬は国境にしばらく滞在していた。そしてその滞在中に本馬は病気になってしまった。遠征は中止となり、独国に戻って診療所に運び込まれたが、4週間後の5月に5歳の若さで他界してしまった。具体的な病名や病状ははっきりしておらず、実は毒殺されたのではないかという噂も出たそうである。筆者が海外の資料を読むと感染症と書かれていたが、具体的な病名は記載されていなかった。

スタートから快速に任せて先頭に立ち、直線で後続をちぎり捨てるというレースぶりを得意とした本馬は、生涯1度も4着以下になったことがないという安定感も持ち合わせており、独国史上最強マイラーと讃えられた。

血統

Connaught St. Paddy Aureole Hyperion Gainsborough
Selene
Angelola Donatello
Feola
Edie Kelly Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Caerlissa Caerleon
Sister Sarah
Nagaika Goyama Goya Tourbillon
Zariba
Devineress Finglas
Devachon
Naim Amfortas Ksar
Persephone
Nacelle Cerfeuil
Neomenie
Liranga Literat Birkhahn Alchimist Herold
Aversion
Bramouse Cappiello
Peregrine
Lis Masetto Olymp
Mimosa
Liebeslied Ticino
Liebesgottin
Love In Crepello Donatello Blenheim
Delleana
Crepuscule Mieuxce
Red Sunset
Tudor Love Owen Tudor Hyperion
Mary Tudor
Amora Arbar
Temora

父コンノートは現役成績15戦7勝。エクリプスS・プリンスオブウェールズ2回・キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールS・ウェストベリーSに勝ち、英ダービーでサーアイヴァーの2着している。コンノートの父セントパディはオリオール産駒で、現役成績は14戦9勝。英ダービー・英セントレジャー・エクリプスS・ロイヤルロッジS・ダンテS・グレートヴォルティジュールS・ハードウィックS・ジョッキークラブSを勝ち、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・英チャンピオンSでも2着した名馬。

母リランガは現役時代5勝を挙げている。繁殖牝馬としても優秀で、本馬の1歳年上の半兄ラグナス(父イルドブルボン)【独ダービー(独GⅠ)・ウインターヴェヴォリテン賞(独GⅢ)】も産んだ。また、本馬の半妹ロヴェリア(父ロスサントス)の子にロードオブイングランド【ダルマイヤー大賞(独GⅠ)・ヴィルトシャフト大賞(独GⅢ)】がいる。リアンガの半弟にはルアヴァンドゥ(父オンユアマーク)【コンスルバイエフレネン(独GⅢ)】が、リランガの半姉ロレナ(父セントパディ)の子にはラコロラダ【ヘルプスト牝馬賞(独GⅢ)】、孫にはロンガ【独オークス(独GⅡ)】が、リランガの半妹ラドラダ(父クロンツォイゲ)の孫には凱旋門賞馬デインドリームの父となったロミタス【ベルリン銀行大賞(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・ゲルリング賞(独GⅡ)・ハンザ賞(独GⅡ)】、ラヴィルコ【独ダービー(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・独2000ギニー(独GⅡ)・ウニオンレネン(独GⅡ)】、ラヴェロン【独セントレジャー(独GⅡ)】、曾孫にはレディマリアン【オペラ賞(仏GⅡ)】がいる。

リランガの母ラヴインの半姉ディクティナの孫にはマイオカード【ローソンS(豪GⅠ)・AJCダービー(豪GⅠ)・タンクレッドS(豪GⅠ)】が、ラヴインの全姉ラヴフォーセールの牝系子孫にはパストリウス【独ダービー(独GⅠ)・ダルマイヤー大賞(独GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】がいる。母系は凱旋門賞を2連覇した仏国の名牝コリーダの半姉レスペランスからの流れである。→牝系:F9号族②

母父リテラートはアカテナンゴの項を参照。

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