アホヌーラ

和名:アホヌーラ

英名:Ahonoora

1975年生

栗毛

父:ローレンザッチョ

母:ヘレンニコルス

母父:マーシャル

競走馬としては一流半だったが種牡馬として活躍し欧州では稀少となったトウルビヨン直系の中興の祖となる

競走成績:2~4歳時に英仏で走り通算成績20戦7勝2着5回3着1回(異説あり)

誕生からデビュー前まで

英国ワイルドコートスタッドの生産馬で、1歳時にバーレーンの王族シェイク・イーサ・アルハリーファ殿下により7600ギニーで購入され、英国ブライアン・スウィフト調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳5月にケンプトンパーク競馬場で行われたレッドファーンS(T5F)でデビューして、後にノーフォークSを勝ちロベールパパン賞で3着するエンボスの1馬身半差2着と好走。翌6月にニューベリー競馬場で出走したケンネットS(T6F)では、2着コマンダーボンドに首差で勝利した。引き続きソールスベリーシャンペンS(T6F)に出走して、ヘヴァーの1馬身差2着。2歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は3戦1勝だった。

3歳当初は短距離のハンデ競走路線を進んだ。まずは5月にニューマーケット競馬場で行われた芝7ハロンのハンデ競走に出走したが、ブライアンズベンチャーの着外に敗れた。翌6月にエプソム競馬場で出走した芝7ハロンのハンデ競走も、サンセットバリューの着外に敗退。翌7月にサンダウンパーク競馬場で出走した芝7ハロンのハンデ競走も、ソレベルの着外に敗退。ところが同月にグッドウッド競馬場で出走したスチュワーズC(T6F)では、単勝オッズ51倍という人気薄だったが、後に好敵手となるジュライC3着馬ダブルフォームを半馬身差の2着に退けて勝利した。

しかしその後は斤量が重くなった影響もあって、再び連敗街道に突入。8月にヨーク競馬場で出走した芝5ハロンのハンデ競走では着外に敗退。翌9月にドンカスター競馬場で出走した芝5ハロン140ヤードのハンデ競走でも、ゴールドヒルズプライドの着外に敗れた。10月にアスコット競馬場で出走した芝5ハロンのハンデ競走では3着だった。同月にニューベリー競馬場で出走した芝5ハロンのハンデ競走では勝利を収めた。しかし翌月にドンカスター競馬場で出走した芝5ハロンのハンデ競走ではゴールドヒルズプライドの着外に敗退。3歳時は9戦2勝の成績に終わった。

競走生活(4歳時)

4歳時にはフランキ・デュール調教師の元に転厩。5月にニューベリー競馬場で行われた芝5ハロンのハンデ競走を勝利してから、グループ競走戦線に参入した。5月にサンダウンパーク競馬場で出走したテンプルS(英GⅢ・T5F)では、ダブルフォームの1馬身差2着。その後はエプソム競馬場で芝5ハロンのハンデ競走を勝利してから、6月のキングズスタンドS(英GⅠ・T5F)に出走。ここでも、ダブルフォームの3/4馬身差2着に入った。8月にグッドウッド競馬場で出走したキングジョージS(英GⅢ・T5F)では単勝オッズ2倍の1番人気に応えて、2着アブドゥに2馬身差をつけて勝利した。

同月にはスプリントCS(英GⅡ・T5F)に出走。1番人気はダブルフォームで、本馬は単勝オッズ4倍の2番人気だったが、アブドゥを2着に、ダブルフォームを3着に破って勝利した。もっとも、このレースは繰り上がり勝利だったらしいが、詳しい内容は資料に載っていなかったので不明である。

9月にはスプリントC(英GⅡ・T5F)に出走して、ダブルフォームを抑えて1番人気に支持されたが、ここではダブルフォームの3馬身差2着に敗退した。その後は仏国に向かい、アベイドロンシャン賞(英GⅠ・T1000m)に出走。しかし、ダブルフォームだけでなく、愛フェニックスSの勝ち馬でチェヴァリーパークS2着のキリジャロ、クイーンメアリーS・モールコームS・コーンウォリスSの勝ち馬でフライングチルダースS2着・ジュライC3着のグリーンランドパークなどにも後れを取り、勝ったダブルフォームから3馬身1/4差の5着に敗退。このレースを最後に、4歳時8戦4勝の成績で競走馬を引退した。

なお、本馬の通算成績に関しては諸説あり、16戦7勝としている資料が実は一番多く、20戦13勝としている資料まである。ステークス競走の出走歴に関しては問題ないのだが、ハンデ競走の出走歴が曖昧になっているようである。なお、20戦13勝としている資料には「(本馬は)ナンソープS・キングジョージS・スプリントCSを勝ちました」と記載されている(スプリントCSはナンソープSの1976~89年までの競走名で、この2つは同一競走であるのに、別の勝ち鞍として数えている)ため、少なくとも20戦13勝説の信憑性は低いようである。海外の基礎資料だけでなく、日本の資料も参考にした結果、本項では20戦7勝説が最も信用できると判断して採用した。

血統

Lorenzaccio Klairon Clarion Djebel Tourbillon
Loika
Columba Colorado
Gay Bird
Kalmia Kantar Alcantara
Karabe
Sweet Lavender Swynford
Marchetta
Phoenissa The Phoenix Chateau Bouscaut Kircubbin
Ramondie
Fille de Poete Firdaussi
Fille d'Amour
Erica Fragrans Big Game Bahram
Myrobella
Jennydang Colombo
Dalmary
Helen Nichols Martial Hill Gail Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Jane Gail Blenheim
Lady Higloss
Discipliner Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Edvina Figaro
Louise
Quaker Girl Whistler Panorama Sir Cosmo
Happy Climax
Farthing Damages Fair Trial
Futility
Mayflower Borealis Brumeux
Aurora
Foliage Portlaw
Silver Larch

父ロレンザッチオは2~5歳時に英仏で走り通算成績24戦7勝2着6回3着4回。英チャンピオンS・フォワ賞・クインシー賞・ジャンプラ賞・ジュライSなどを勝ち、モルニ賞・英シャンペンSなどで2着、ロベールパパン賞・クイーンエリザベスⅡ世S・英チャンピオンSで3着している。特に有名なのは5歳時に勝利した英チャンピオンSで、このレースではニジンスキーを1馬身半差の2着に破っている。競走馬引退後は英国で種牡馬入りして、後に豪州に移動している。遡ると仏2000ギニー・ジャックルマロワ賞勝ちなど17戦6勝のクレイロン、仏グランクリテリウム勝ちなど26戦10勝のクラリオンを経てジェベルへと辿りつく。

母ヘレンニコルスは現役成績12戦5勝。近親にはあまり活躍馬がおらず、ヘレンニコルスの6代母ティップトゥの半兄に20世紀初頭英国の名馬プリンスパラタイン【英セントレジャー・アスコット金杯2回・エクリプスS・コロネーションC】がいるのが目につく程度である。→牝系:F1号族④

母父マーシャルは現役成績7戦3勝、英2000ギニー・コヴェントリーSの勝ち馬で、他にサセックスSで2着がある。その父ヒルゲイルはブルリー産駒で、現役成績は32戦11勝。ケンタッキーダービー・サンタアニタダービー・サンヴィンセントS・アーリントンフューチュリティ・フェニックスHなどを勝っている。ケンタッキーダービー馬ではあるが、基本的にスピードに優れた馬だったようで、6ハロン戦や1マイル戦でレコード勝利を収めている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国ナショナルスタッドで種牡馬入りした。当初の種付け料は2250ポンドと安価で、周囲の期待は低かったようである。しかし本馬はすぐにその低評価を覆す成功を収めた。初年度産駒から、バリーオーガンS・スプリントSを勝ったプリンセストレイシー、フィユドレール賞2連覇のアホハニーという2頭のグループ競走勝ち馬を輩出。さらに2年目産駒からは、チェヴァリーパークS・モイグレアスタッドSを制したパークアピール、プリティポリーSを勝ったヌーラアブなどが出て、一躍注目種牡馬になった。最終的には43頭のステークスウイナーを出し、1987年の愛首位種牡馬になるなど、欧州では非常に希少となったトウルビヨン直系を後世に伝える功労馬となった。1988年にクールモアグループにより購入され、愛国と豪州を行き来するシャトルサイアーになったが、翌1989年9月、繋養先の豪州セジェンホスタッドにおいて放牧中の事故のため後脚を骨折したため14歳で安楽死の措置が執られた。

ドクターデヴィアスのような例外もいるが、産駒は基本的に自身同様の短距離馬が多く、産駒が挙げた勝ち星の平均距離はちょうど1マイルである。繁殖牝馬の父としても優秀で、68頭以上のステークスウイナーを輩出している。

後継種牡馬としてはインディアンリッジが成功を収め、本馬の直系を21世紀に繋いでいる。繁殖牝馬の父としてはケープクロスアゼリニューアプローチなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1981

Ahohoney

フィユドレール賞(仏GⅢ)2回

1981

Princess Tracy

バリーオーガンS(愛GⅢ)・フェニックススプリントS(愛GⅢ)

1982

Noora Abu

プリティポリーS(愛GⅡ)

1982

Park Appeal

モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)

1983

Ginny Binny

メルトン賞(伊GⅡ)

1983

Nashamaa

バリーマコイS(愛GⅢ)

1983

Park Express

愛チャンピオンS(愛GⅠ)・ナッソーS(英GⅡ)・ランカシャーオークス(英GⅢ)

1984

Don't Forget Me

英2000ギニー(英GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・英シャンペンS(英GⅡ)・ヴィンテージS(英GⅢ)

1985

Indian Ridge

キングズスタンドS(英GⅡ)・ジャージーS(英GⅢ)・デュークオブヨークS(英GⅢ)

1985

Princess Athena

クイーンメアリーS(英GⅢ)

1985

Project Manager

ガリニュールS(愛GⅡ)

1986

Statoblest

キングジョージS(英GⅢ)・パレスハウスS(英GⅢ)

1987

Armanasco

レイルウェイS(愛GⅢ)

1987

Negligent

ロックフェルS(英GⅡ)

1987

Ruby Tiger

リディアテシオ賞(伊GⅡ)・EPテイラーS(加GⅡ)・メルセデスベンツ大賞(独GⅡ)・プリティポリーS(愛GⅡ)・ナッソーS(英GⅡ)2回・ドルメロ賞(伊GⅢ)・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)・レニャーノ賞(伊GⅢ)

1987

Topanoora

ブランドフォードS(愛GⅡ)

1988

Additional Risk

香港国際ボウル

1988

Sbarlusc

エマヌエーレフィリベルト賞(伊GⅢ)

1989

A-to-Z

ネルグウィンS(英GⅢ)

1989

Ball Park

ARCイースターH(新GⅠ)・アヴォンデール金杯(新GⅠ)

1989

Dr. Devious

英ダービー(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・ヴィンテージS(英GⅢ)

1989

Park Dream

フェニックススプリントS(愛GⅢ)

1990

Idris

グラッドネスS(愛GⅢ)・バリーコーラスS(愛GⅢ)・メルドS(愛GⅢ)・デズモンドS(愛GⅢ)

1990

Inchinor

グリーナムS(英GⅢ)・クリテリオンS(英GⅢ)・ハンガーフォードS(英GⅢ)

1990

Visto Si Stampi

アンブロシアノ賞(伊GⅢ)

TOP