ペイザバトラー

和名:ペイザバトラー

英名:Pay the Butler

1984年生

鹿毛

父:ヴァルドロルヌ

母:プリンセスモルヴィ

母父:グロースターク

4歳時のジャパンCでタマモクロス、オグリキャップ、トニービンを破り翌年のジャパンCでも好走するが早世したため日本の馬場適性を種牡馬としては発揮できず

競走成績:2~6歳時に仏独米加日で走り通算成績40戦5勝2着5回3着5回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州クローベリーファームの生産馬だが、血統的な背景からか、デビューしたのは仏国だった。最初はロビン・スカリー氏の所有馬だったが、しばらくしてクロード・ダーティ氏の所有馬となっている。

競走生活(4歳前半まで)

2歳8月にドーヴィル競馬場で初戦を迎えたが4着に敗退。その後も年内に4戦走ったが3着と4着が2回ずつ。結局2歳時は5戦未勝利に終わった。4か月の調整期間を経て3歳3月に復帰したが、クラマール賞(T1600m)でザンナックスの6着。フライングフォックス賞(T1600m)でソフトカレンシーの8着。ナンテール賞(T2000m)でザスカウトの10着と、着順は悪化する一方だった。

そこで止むを得ず、今まで主戦場としてきた仏国の有名競馬場(ロンシャン、ドーヴィル、サンクルー、メゾンラフィット)を離れて、同じ仏国でもローカルなストラスブール競馬場に向かい、ストラスブール大賞(T2100m)に出走。2着フィフルドゴーに4馬身差をつけてようやく初勝利を挙げた。

勝ち上がった本馬はサンクルー競馬場に戻り、スーヴラン賞(T2000m)に出たが、後にこの年のユジェーヌアダム賞を勝ち暮れのワシントンDC国際Sでルグロリューの3着するモトリーの7着最下位。

そこで試みに独国に向かい、フランクフルト競馬場で行われるヘッセンポカル(独GⅡ・T2000m)に参戦した。しかし結果は厳しく、勝ったヌアスから6馬身以上の差をつけられた9着。

仏国に戻ったが、トルーヴィユ市賞(T2000m)で牝馬フルールドランジェの8着。サンマロ市大賞(T2300m)では4着。ニシアス賞(T1800m)でミルネイティヴ(翌年のアーリントンミリオン勝ち馬)の5着と敗戦続きで、3歳時は9戦1勝の成績に終わった。

4歳時は3月のRTL賞(T2100m)から始動して4着。次走のプレザンス賞(T2400m)では、2着ルカニバルに2馬身差をつけて久々の勝利を挙げた。そこでエドヴィル賞(仏GⅢ・T2400m)に出走してみたが、リス賞の勝ち馬ルースダンサー、後にジャンドショードネイ賞を2連覇するボヤティノ、前年の英チャンピオンS3着馬で次走のガネー賞と翌年のガネー賞も勝つセントアンドリュースなどに屈して、勝ったルースダンサーから3馬身3/4差の5着。

この時点で本馬は米国の馬主エドマンド・ガン氏に購買された。ガン氏は、食品加工業で成功した人物で、1960年代に友人から借金返済の代わりに受け取った馬が偶然活躍したのをきっかけに競馬に夢中になり、馬主になった人物だった。そして彼は当時自分の専属調教師だったロバート・フランケル師に本馬を預ける事にし、本馬は生国の米国に帰ってきた。なお、仏国では、ジョージ・ムーア騎手、イヴ・サンマルタン騎手、ガイ・ギニャール騎手、アルフレッド・ジベール騎手、アンソニー・クルーズ騎手、ドミニク・ブフ騎手などの有力騎手も本馬に騎乗していたが結果には結びつかなかった。

競走生活(4歳後半)

米国に戻った本馬は5月にベルモントパーク競馬場で行われたレッドスミスH(米GⅡ・T10F)に出走。これが仏国と米国芝路線のレベルの違いなのか、余程米国の水が合ったのか、フランケル師の手腕が卓越していたのかは不明だが、サラナクS・レッドスミスH・カナディアンターフH・フォートマーシーHとグレード競走を既に4勝していたエコライズを首差の2着に、ローレルターフカップS・アップルトンH・エルクホーンSと既にグレード競走3勝を挙げていたヤンキーアフェアーを3着に抑えて勝利を収め、米国初戦をグレード競走初勝利で飾ってしまった。なお、エコライズは次走のユナイテッドネーションズHでGⅠ競走初勝利を果たし、そのまた次走のアーリントンミリオンでミルネイティヴの2着と好走しているし、ヤンキーアフェアーは翌年にユナイテッドネーションズH・マンノウォーS・ターフクラシックSとGⅠ競走3勝を挙げている。

次走のボーリンググリーンH(米GⅠ・T11F)では、仏国から移籍してきたばかりのエクスビュリ賞の勝ち馬クールドリオン、レキシントンSの勝ち馬ミレシウス、後にGⅠ競走を4勝するもののこの段階では本格化前だったステークス競走初出走のエルセニョールなどとの対戦となった。比較的メンバーが手薄であり、GⅠ競走制覇の絶好のチャンスだったのだが、クールドリオンの首差2着に惜敗した。

夏場は休養に充て、秋初戦はデルマー招待H(米GⅡ・T11F)となった。ここでは、仏国でエスペランス賞を勝った後に米国に移籍して開花しハリウッド招待ターフH・カールトンFバークH・サンルイレイS・ゴールデンゲートHを勝ちサンフアンカピストラーノ招待H・サンセットHで3着していたリヴリア、サンフアンカピストラーノ招待H・サンルイオビスポH・ゴールデンゲートH・サンマルコスHの勝ち馬でワシントンDC国際S・サンルイレイS2着・ハリウッド招待H3着のグレートコミュニケーター、パリ大賞・サンセットH・デルマー招待Hの勝ち馬でサンルイレイS3着のスウィンク、愛国から移籍してきたソードダンス、同じく愛国から移籍してきたロイヤルホイップSの勝ち馬で愛ナショナルS2着のババカラムなど、前走以上に強力なメンバー構成となった。この中で好走するのは難しかったようで、本馬はソードダンスの5馬身差6着に敗れた。

次走のマンノウォーS(米GⅠ・T11F)では、前走アーリントンミリオンでミルネイティヴの3着してきたレキシントンS・ヒルプリンスSの勝ち馬でソードダンサーH2着のサンシャインフォーエヴァー、ボーリンググリーンH勝利後に出走したタイダルHでは3着だったクールドリオン、ロングブランチS・ランプライターHの勝ち馬ミセレクト、バーナードバルークHを勝ちマンハッタンHで2着してきたマイビッグボーイ、ソードダンサーH・オーキッドH・ニューヨークH・ブラックヘレンHなどの勝ち馬アンカジャーマニアなどとの対戦となった。前走にも引けを取らない強力メンバーとの対戦となったが、ここでは勝ったサンシャインフォーエヴァーに半馬身差まで迫る2着と好走した。

続くターフクラシックS(米GⅠ・T12F)では、サンシャインフォーエヴァー、前走3着のマイビッグボーイ、同4着のアンカジャーマニア、同6着のクールドリオン、それに欧州から遠征してきたセレクトSの勝ち馬で英ダービー・英チャンピオンS2着・サセックスS3着のモストウェルカムなどとの対戦となった。しかし本馬は前走で一杯に仕上げすぎていたのか、勝ったサンシャインフォーエヴァーから7馬身差の5着に敗退した。

加国に向かって参戦したロスマンズ国際S(加GⅠ・T12F)では、サンチャリオットS・ゴードンリチャーズSの勝ち馬でコロネーションC2着のインファミー、前走ルイジアナダウンズHでグレード競走は初勝利を挙げて本格化への階段を昇り始めたエルセニョール、翌月のイエローリボンSを勝ってGⅠ競走の勝ち馬となるデライターといった面々に叩きのめされ、勝ったインファミーから9馬身1/4差をつけられた9着に敗れ去った。

ジャパンC(4歳時)

この後、陣営は本馬をBCターフには向かわせず、ジャパンC(日GⅠ・T2400m)に参戦させる事にした。この年のジャパンCには、天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋・鳴尾記念・京都金杯・阪神大賞典の重賞6連勝を含む破竹の8連勝中だったタマモクロス、前走の天皇賞秋でタマモクロスの2着に敗れるまではペガサスS・毎日杯・京都四歳特別・ニュージーランドトロフィー四歳S・高松宮杯・毎日王冠の重賞6連勝を含む14連勝中だったオグリキャップという、日本の誇る芦毛の両雄に加えて、伊共和国大統領賞2回・ミラノ大賞2回・伊ジョッキークラブ大賞を勝っていた現役伊国最強馬にして前々走の凱旋門賞を勝利して欧州競馬の頂点にも立っていたトニービンが凱旋門賞馬として史上初めて日本のレースに出走していた。他の出走馬は、ターフクラシックS2着から直行してきたマイビッグボーイ、新ダービー・ニュージーランドS2回・タンクレッドS・AJCダービー・アンダーウッドS・コーフィールドS・コックスプレート・オーストラリアンCと新国と豪州でGⅠ競走9勝のボーンクラッシャー、独2000ギニー・ウニオンレネン・アラルポカル・オイロパ賞などを勝ち独ダービー・オイロパ賞で3着していた独国の名馬コンドル、英国際S・ロジャーズ金杯・ダルマイヤー大賞を勝ちデューハーストS・エクリプスS・愛チャンピオンSで2着していたシェイディハイツ、ブーゲンヴィリアH・オーシャンポートH・ロイヤルパームH・ガルフストリームパークBCターフS・前哨戦の富士Sの勝ち馬でハイアリアターフカップH2着・ピーターパンS・パンアメリカンH3着のセーラムドライブ、英セントレジャー・サンクルー大賞・ジェフリーフリアS・ヨークシャーC・カンバーランドロッジSの勝ち馬でバーデン大賞2着・オイロパ賞・コロネーションC3着のムーンマッドネスといった海外馬勢と、前年の宝塚記念を筆頭に中山記念・ラジオたんぱ賞・福島記念・中山金杯・ダービー卿チャレンジトロフィー2回・オールカマーと重賞8勝のスズパレード、菊花賞・有馬記念の勝ち馬で天皇賞春3着のメジロデュレン、阪神三歳Sの勝ち馬で皐月賞・菊花賞2着のゴールドシチー、福島記念の勝ち馬で天皇賞春2着のランニングフリーといった日本馬勢だった(豪シャンペンS・ローズヒルギニー・コーフィールドSの勝ち馬スカイチェイス、仏ダービー馬アワーズアフターの2頭も出走予定だったが直前で出走取り消し)。

この年が創設8年目のジャパンCは、カツラギエース、シンボリルドルフと既に日本馬が2勝していたものの、やはり日本馬よりも海外馬のほうが優勢と見なされる事が多かった。しかし日本競馬史上最強馬候補に挙げられるほどの強さを誇っていたこの時点のタマモクロスであれば、たとえ凱旋門賞馬トニービンが相手でも勝負になると思われており、タマモクロスが単勝オッズ3.2倍の1番人気、トニービンが単勝オッズ3.9倍の2番人気となり、天皇賞秋の雪辱が期待されたオグリキャップが単勝オッズ6.9倍の3番人気と続いた。4番人気から10番人気までは海外馬勢が占めたが、その人気順は、単勝オッズ9.9倍のマイビッグボーイ、単勝オッズ12.3倍のボーンクラッシャー、単勝オッズ12.5倍のコンドル、単勝オッズ12.9倍のシェイディハイツ、単勝オッズ13.5倍のセーラムドライブ、単勝オッズ14.9倍の本馬、単勝オッズ17.9倍のムーンマッドネスであり、初コンビとなったクリス・マッキャロン騎手鞍上の本馬は9番人気だった。

マッキャロン騎手は来日前に、東京競馬場のレースVTRを片端から取り寄せて研究し、タマモクロスとオグリキャップが激戦を演じた天皇賞秋のレースも見ていた。そして彼は「瞬発力と闘争心に優れたタマモクロスが一番の強敵」と見ていた。スタートが切られると、メジロデュレンが他馬の様子を伺いながら先頭に立ち、シェイディハイツ、ランニングフリー、オグリキャップ、マイビッグボーイなどがそれを追走、本馬とトニービンは中団後方、タマモクロスは最後方集団の位置取りとなった。典型的な逃げ馬がいなかった事もあり、メジロデュレンが刻んだペースは最初の1000mが61秒4というゆったりしたペースとなった。オグリキャップは前走天皇賞秋でタマモクロスを捕らえられなかった反省から先行したのだが、逆に折り合いを欠いて道中で後退。代わりに本馬がトニービンより先に動いて外側から上がって行き、後方からはタマモクロスも進出を開始した。直線入口では本馬とタマモクロスが先行集団に取り付き、オグリキャップとトニービンはまだ後方だった。直線に入ると、馬場の真ん中の本馬と、その外側のタマモクロスがほぼ同時に先頭に立った。事前の研究でタマモクロスと競り合うと不利である事を承知していたマッキャロン騎手は、左後方に他馬がいないのを確認した上で本馬に右鞭を入れた。それに反応した本馬は左側に大きく切れ込んでいき、タマモクロスとの間隔が開いた。タマモクロス鞍上の南井克巳騎手は本馬を追って左側に寄せようとしたのだが、後方からトニービンが来たために進路妨害を恐れて十分に寄せる事は出来なかった。最後は本馬が2着タマモクロスに半馬身差をつけて優勝。タマモクロスから1馬身1/4差の3着には何とか盛り返してきたオグリキャップが入り、トニービンは粘ったマイビッグボーイも捕らえられず5着に終わった。無敵のタマモクロスの連勝を止めたのがトニービンでもオグリキャップでもなく無名の本馬だった事は、日本競馬界に大きな衝撃を与えた。

米国に戻った本馬は暮れのハリウッドターフCH(米GⅠ・T12F)に出走した。デルマーH2着後に出走した前走のBCターフをサンシャインフォーエヴァー以下に勝ってきたグレートコミュニケーター、アメリカンHの勝ち馬でジョンヘンリーH2着・ハリウッド招待H3着のスキップアウトフロント、仏国でオカール賞・ラクープドメゾンラフィットを勝った後に米国に移籍してオークツリー招待H・カールトンFバークHを連勝してきたナスルエルアラブなどが対戦相手となった。しかし本馬はさすがに疲労が出たのか、勝ったグレートコミュニケーターから15馬身差の6着と惨敗した。4歳時の成績は11戦3勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時は3月のパンアメリカンH(米GⅠ・T10F)から始動したが、極悪不良馬場が災いしたのか、前年のマンノウォーSで7着に終わっていたミセレクトから11馬身差の2着に敗れた。なお、ミセレクトはこの後にダート路線に転向して、メドウランズCH・ガルフストリームパークHとGⅠ競走2勝を上乗せする事になる。

続くサンルイレイS(米GⅠ・T12F)では、シーズン初戦のサンルイオビスポHを勝ってきたグレートコミュニケーター、仏国でリス賞を勝ちサンクルー大賞で3着した後に渡米してワシントンDC国際S・サンアントニオHで2着していたフランクリーパーフェクトなどとの対戦となった。しかしここでは本馬は大凡走。2着グレートコミュニケーターを1馬身抑えて勝ったフランクリーパーフェクトから26馬身半も離された4着に大敗した。

次走のジョンヘンリーH(米GⅠ・T9F)では、これまた仏国からの移籍馬でイングルウッドH・プレミエールH・バドワイザーBCHを勝ち前年のBCマイル・ジョンヘンリーH・アメリカンH・バーナードバルークHで2着していたステインレン、シネマH・プレミアHの勝ち馬ピースなどとの対戦となった。ここではピースが勝ち、ステインレンが3/4馬身差の2着、本馬はさらに半馬身差の3着だった。

ハリウッドターフH(米GⅠ・T10F)では、前年のレッドスミスH以来の顔合わせとなるエコライズ(アーリントンミリオン2着後にクリスマスデイH・カナディアンターフH・ロイヤルパームH・ETターフクラシックSに勝ち、目下4連勝中だった)、サンルイレイS2着後に出走したサンフアンカピストラーノ招待Hでは6着に終わっていたグレートコミュニケーター、ハリウッドターフC3着後にチャールズHストラブS・サンフアンカピストラーノ招待Hを勝っていたナスルエルアラブ、前走サンフアンカピストラーノ招待Hで2着してきたプレザントヴァラエティ、前年のハリウッドターフCHで9着に終わっていたスキップアウトフロントとの対戦となった。ここではグレートコミュニケーターが巻き返して勝ち、本馬は1馬身3/4差の5着に敗れた。

ボーリンググリーンH(米GⅠ・T11F)では、前年のターフクラシックS4着後にハイアリアターフカップHで3着して前走ディキシーHを勝ってきたクールドリオン、前年のロスマンズ国際S2着後にハイアリアターフカップHでGⅠ競走初勝利を飾っていたエルセニョールとの対戦となった。今回はエルセニョールがクールドリオンを首差の2着に抑えて勝ち、本馬はさらに1馬身半差の3着だった。

夏場は休養し、秋はアーリントンミリオン(米GⅠ・T10F)から始動した。ジョンヘンリーH2着後にバーナードバルークH・イングルウッドH・ダリルズジョイSを勝っていたステインレン、ハリウッドターフH勝利後は2戦着外だったグレートコミュニケーター、ハリウッドターフH2着後に出走したハリウッド金杯で5着だったナスルエルアラブ、ボーリンググリーンHを勝った次走のソードダンサーHでGⅠ競走3勝目を挙げていたエルセニョール、本馬が米国移籍後の初勝利を挙げたレッドスミスH3着後にユナイテッドネーションズH・キングエドワード金杯・オーシャンポートSを勝っていたヤンキーアフェアー、前年のジャパンC14着最下位後は不振だったが前走の英国際Sで3着して復調の兆しを見せたシェイディハイツ、ハリウッドターフH6着後にゴールデンゲートH2着・サンセットH3着だったプレザントヴァラエティ、仏オークスの勝ち馬でサンタラリ賞3着のレディインシルヴァー、仏グランクリテリウム・パリ大賞・ニエル賞の勝ち馬でジャンプラ賞2着のフィジャータンゴ、キングエドワード金杯・スウォーンズサンSの勝ち馬でハイアリアターフカップH・アーリントンH2着のフロスティザスノーマン、前走ユジェーヌアダム賞を勝って米国に移籍してきたリヴァーワーデンなどが対戦相手となった、ここでは勝ったステインレンから27馬身半も離された12着と惨敗してしまった。

次走のルイジアナダウンズH(米GⅢ・T11F)では、ブラウンズボロの3馬身半差2着。続くオークツリー招待H(米GⅠ・T12F)では、ダートのGⅠ競走ノーフォークSの勝ち馬だが米国三冠競走で全て5着などダートでは行き詰まったために芝に転向してデルマーダービー・セクレタリアトSなど3連勝してきたホークスター、やはりノーフォークSの勝ち馬だがダートで行き詰ったために芝に転向してエディリードHを勝っていたサラトガパッセージ、アーリントンミリオンで8着に終わっていたグレートコミュニケーターとの対戦となった。ここでは、2分22秒8の世界レコードで走ったホークスターの4馬身差2着に敗れた。

ジャパンC(5歳時)

この時期に既に日本の早田牧場の代表者である早田光一郎氏に購入されていた本馬は、前年に続いてジャパンC(日GⅠ・T2400m)に参戦した。この年のジャパンCは前年以上にメンバーが揃っていた。タマモクロスとトニービンは既に引退していたが、前年のジャパンC3着後に出走した有馬記念でタマモクロスを破りこの年はマイルCS・毎日王冠・オールカマーを勝ち天皇賞秋で2年連続2着していたオグリキャップ、菊花賞・天皇賞秋・京都大賞典を勝っていたスーパークリーク、大井競馬で東京王冠賞・東京大賞典を勝った後に中央競馬に移籍して天皇賞春・宝塚記念を勝っていたイナリワンのいわゆる平成三強に加えて、前走オークツリー招待Hで本馬を破ったホークスター、凱旋門賞・バーデン大賞・愛チャンピオンS・プリンセスオブウェールズSの勝ち馬で伊ダービー2着のキャロルハウス、イタリア大賞・オイロパ賞・ドーヴィル大賞・モーリスドニュイユ賞・ジェフリーフリアSの勝ち馬で目下4連勝中のイブンベイ、伊ジョッキークラブ大賞・ハードウィックS・セプテンバーS・カンバーランドロッジSの勝ち馬アサティス、TVニュージーランドS・ドラフトクラシック・マッキノンSを勝っていた現役南半球最速馬ホーリックス、ロワイヤルオーク賞・ケルゴルレイ賞・ベルトゥー賞・バルブヴィル賞を勝っていた仏国の名長距離馬トップサンライズ、牡馬を蹴散らして南関東三冠馬に輝いた牝馬ロジータ、目黒記念の勝ち馬キリパワー、前週のマイルCSでオグリキャップと名勝負を演じて2着した安田記念・スワンSの勝ち馬バンブーメモリー、安田記念・日経新春杯・サンケイ大阪杯・シンザン記念・毎日杯の勝ち馬で皐月賞・宝塚記念2着のフレッシュボイス、前年のジャパンC7着後にアメリカジョッキークラブC・日経賞を勝っていたランニングフリーが参戦していた。スーパークリークが単勝オッズ4.6倍の1番人気、マイルCS勝利からの連闘が不安視されたオグリキャップが単勝オッズ5.3倍の2番人気、オークツリー招待Hの勝ちタイムが評価されたホークスターが単勝オッズ5.6倍の3番人気で、マッキャロン騎手鞍上の本馬は前年の覇者ながらその後に1勝もしていない事もあり、単勝オッズ8.6倍の6番人気と微妙な評価だった。

スタートが切られるとイブンベイが猛然と先頭に立ち、逃げると思われていたホークスターが2番手、ホーリックスが3番手、オグリキャップとスーパークリークの2頭が4~5番手、キャロルハウスが6番手と続き、本馬は馬群の中団後方につけた。イブンベイが刻んだラップは、最初の1000mが58秒5という、前年とは打って変わってとんでもないハイペースとなった。直線に入ると3番手追走のホーリックスが抜け出し、4番手のオグリキャップがそれを猛然と追いかけていった。超ハイペースにも関わらず後方待機馬勢の大半は直線でも後方のままだったが、唯一本馬のみが直線で追い上げ、ゴール前でスーパークリークをかわして3着に入った。勝ったホーリックスと首差2着のオグリキャップには3馬身及ばなかったが、ホーリックスの勝ちタイムは言わずと知れた伝説の世界レコード2分22秒2だった事を鑑みると、改めて日本の馬場適性を見せ付ける結果となった。

ちなみに、タマモクロスや平成三強が凌ぎを削ったこの時代は、日本競馬が最も盛り上がった時期と重なるが、この4頭全てに先着経験があるのは本馬のみであり、本馬もある意味この時期における日本競馬界の敵役として忘れてはならない存在である。しかし5歳時の本馬は結局9戦未勝利に終わった。

競走生活(6歳時)

その後は5か月間の休養を取り、6歳5月にハリウッドパーク競馬場で行われた芝9ハロンの一般競走で復帰。このレースには、パース賞・エドモンブラン賞・シュマンドフェルデュノール賞と仏国のGⅢ競走で3勝を挙げ、ジャックルマロワ賞で2着、イスパーン賞で3着していたフレンチストレスが米国移籍初戦として出走してきた。仏国における実績で言えば本馬とフレンチストレスでは比較対象にならないのだが、仏国の実績が米国でそのまま通用するものではなく、本馬がフレンチストレスを半馬身差の2着に破って勝利した(フレンチストレスは結局米国では未勝利に終わっている)。

同月末のハリウッドターフH(米GⅠ・T10F)では、ジャパンC5着後にサンルイレイS2着・チャールズHストラブS・サンハンカピストラーノ招待H3着と好走していたホークスター、前年のアーリントンミリオン勝利後にBCマイルを制してエクリプス賞最優秀芝牡馬に選ばれていたステインレンとの対戦となった。結果はステインレンが勝ち、ホークスターが首差2着で、本馬は12馬身差の6着最下位に敗れた。

次走のゴールデンゲートH(米GⅡ・T11F)は、米国に移籍してきた愛セントレジャーの勝ち馬で愛オークス・ヨークシャーオークス3着のプティットイル、前年のアーリントンミリオン7着後にルイジアナダウンズHを勝ちハリウッドターフカップHで3着していたプレザントヴァラエティ、前走サンフアンカピストラーノ招待Hで2着してきたヴァルダリなどとの対戦となった。ここではプティットイルが勝利を収め、本馬は10馬身1/4差をつけられた10着と惨敗した。

夏場は休養し、秋はオークツリー招待H(米GⅠ・T12F)で復帰した。前年のハリウッドダービーと前走のデルマー招待Hを勝っていたライブザドリーム、前年の同競走で本馬に続く3着後は不振に陥っていたサラトガパッセージ、亜国のGⅠ競走5月25日大賞を勝って米国に移籍してきたリアルなどが対戦相手となった。ここではリアルが勝利を収め、本馬は7馬身1/4差をつけられた8着に終わった。

次走のヘンリーPラッセルH(T10F)では、前年のアーリントンミリオン・オークツリー招待Hと続けて8着に敗れた後に絶不調に陥っていたグレートコミュニケーター、前年のアーリントンミリオン11着後に10戦全敗だったリヴァーワーデンと、本馬と同じく不振続きの馬達が顔を揃えた。連敗街道を脱出したのはグレートコミュニケーターであり、本馬は5馬身1/4差の5着に敗れた。

そしてハリウッドパーク競馬場芝9ハロンの一般競走で、仏国から移籍してきたルーヴィニャックの3馬身差4着に敗れたのを最後に、6歳時6戦1勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Val de l'Orne Val de Loir Vieux Manoir Brantome Blandford
Vitamine
Vieille Maison Finglas
Vieille Canaille
Vali Sunny Boy Jock
Fille de Soleil
Her Slipper Tetratema
Carpet Slipper
Aglae Armistice Worden Wild Risk
Sans Tares
Commemoration Vandale
Anne Comnene
Aglae Grace Mousson Rose Prince
Spring Tide
Agathe Amfortas
Melanie
Princess Morvi Graustark Ribot Tenerani Bellini
Tofanella
Romanella El Greco
Barbara Burrini
Flower Bowl Alibhai Hyperion
Teresina
Flower Bed Beau Pere
Boudoir
Silana Silnet Fastnet Pharos
Tatoule
Silver Jill King Salmon
Jilt
Anabara Arbar Djebel
Astronomie
Flying Carpet Felicitation
L'Esperance

父ヴァルドロルヌは仏国で走り現役成績5戦4勝。仏ダービー(仏GⅠ)・ノアイユ賞(仏GⅡ)・オカール賞(仏GⅡ)を勝ち、唯一の敗戦が仏グランクリテリウム(仏GⅠ)の2着という名馬だった。競走馬引退後は米国メリーランド州のウインズフィールズファーム支場で種牡馬入りしていた。没年は1993年(享年21歳)で、本馬の死より後の話である。ヴァルドロルヌの父ヴァルドロワールは仏国の歴史的名馬ブラントームの直系子孫で、その詳細はシャーガーの項を参照。

母プリンセスモルヴィは現役時代仏国で2勝を挙げている。母としては、クイーンズヴァースを勝ち、英セントレジャー(英GⅠ)で3着した本馬の全弟リヴァーゴッドも産んでいる。しかし近親にはあまり活躍馬がいない。プリンセスモルヴィの4代母レスペランスは凱旋門賞2連覇の名牝コリーダの半姉で、同じ牝系からは多くの活躍馬が出ているが、いずれも本馬の近親と言うには遠い。→牝系:F9号族②

母父グロースタークは当馬の項を参照。

先に筆者は、本馬が米国初戦のレッドスミスHを勝った時に「仏国と米国芝路線のレベルの違いなのか、余程米国の水が合ったのか、フランケル師の手腕が卓越していたのかは不明」と書いたが、改めて本馬の競走成績と対戦相手を見ると、単に馬場が合ったか合わなかったかの問題だったと思われる。つまり仏国の馬場は全然駄目、米国の馬場はそれなり、日本の馬場は得意中の得意といった感じである。血統論者風に言えば、本馬の血統はあまり日本向きではない(ブラントームの直系は過去に何頭かが日本に種牡馬として輸入されたが、成功した馬はいない。本馬の牝系も仏国色が強い。母父グロースタークの血が強く出ているのだとか、こじつければいくらでもこじつけられるが)。つまり血統だけ見ても馬場適性は計れない。筆者が机上の血統論者を信用しないのはこういう理由もある。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、引退翌年の1991年から、馬主早田光一郎氏が経営する早田牧場傘下のCBスタッドで種牡馬入りした。初年度は58頭の繁殖牝馬を集めており、種牡馬としてはまずまずの好スタートを切った。しかし同年7月に不慮の事故で左後脚靱帯を切断し、予後不良と診断されて7歳の若さで安楽死となってしまった。後に優駿メモリアルパークにおいて本馬の墓碑が建立され、現在でも見ることが出来る。残された僅か1世代43頭の産駒の中からパルブライト【新潟記念(GⅢ)・函館記念(GⅢ)・大井記念(大井)・東京3歳優駿牝馬(大井)】が出たが、牡馬の活躍馬は出ず、後継種牡馬はいない。また、繁殖牝馬となったパルブライトの産駒成績はあまり良くない(勝ち上がり馬は何頭か出ているが出世した馬は皆無)。それでもパルブライトは複数の牝駒を出している(2015年までで6頭)ので、何とか牝系は残ってほしいものである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1992

パルブライト

新潟記念(GⅢ)・函館記念(GⅢ)・大井記念(南関GⅡ)

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