マークオブエスティーム

和名:マークオブエスティーム

英名:Mark of Esteem

1993年生

鹿毛

父:ダルシャーン

母:ホミッジ

母父:アジャダル

英2000ギニーやクイーンエリザベスⅡ世Sを勝った欧州マイル王者はシェイク・モハメド殿下とヘンリー・セシル調教師の決裂のきっかけとしても知られる

競走成績:2・3歳時に英加で走り通算成績7戦4勝2着1回

誕生からデビュー前まで

ドバイのシェイク・モハメド殿下が所有するダルハムホールスタッドの愛国支場と言えるキルダンガンスタッドにおいて誕生した愛国産馬で、モハメド殿下の所有馬として、英国のサー・ヘンリー・セシル調教師に預けられた。気性は穏やかで親切な馬だったと後に評されている。

競走生活(2歳時)

2歳7月にニューマーケット競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利ステークスで、マイケル・キネーン騎手を鞍上にデビューした。このレースは、モハメド殿下の兄であるシェイク・ハムダン殿下が所有していた期待馬アルハースのデビュー戦でもあり、アルハースが単勝オッズ4.5倍の1番人気、本馬が単勝オッズ5倍の2番人気となった。レースでは本馬とアルハースの2頭が揃って先行。先に仕掛けたのは本馬鞍上のキネーン騎手で、残り2ハロン地点で先頭に立った。するとアルハース鞍上のウィリー・カーソン騎手も仕掛けて本馬に並びかけてきた。残り1ハロン地点で2頭が横並びとなって一騎打ちとなったが、アルハースが勝利を収め、本馬は首差の2着に敗れた(3着馬シルヴァープレイは4馬身後方だった)。

それから17日後にはグッドウッド競馬場で芝7ハロンの未勝利ステークスに出走。この2日前に同じグッドウッド競馬場で行われたヴィンテージSでアルハースが単勝オッズ1.83倍の1番人気に応えて勝った事も影響したのか、ウィリー・ライアン騎手騎乗の本馬が単勝オッズ1.53倍という断然の1番人気に支持された。レースでは逃げる単勝オッズ6.5倍の2番人気馬ナイトウォッチを見るように先行して3番手で直線に入ると、残り2ハロン地点ですんなりと抜け出し、追い上げて2着に入った単勝オッズ8倍の3番人気馬タウキルに3馬身差をつけて完勝した。

その後は9月のロイヤルロッジSを目標として調整されていたが、調教中に膝を負傷して関節炎を発症してしまった。さらには本馬の負傷を巡ってセシル師とモハメド殿下の間に決定的な亀裂が入った。最終的に、モハメド殿下がセシル厩舎に預けていた40頭の馬を全て引き揚げるという事件が発生する事態となった。デビュー前から評判馬だったらしい本馬だが、本馬の知名度を一躍高めたのはその競走実績ではなく、セシル師とモハメド殿下の決裂の引き金となったという理由である。

セシル師とモハメド殿下の決裂について

セシル師とモハメド殿下の決裂は後に、モハメド殿下達マクトゥームファミリーの所有馬が、デビュー当初は欧州の調教師に預けられながらも途中でサイード・ビン・スルール調教師を筆頭とするゴドルフィンの専属厩舎に転厩するという事例が多発するきっかけとなったと言われており、欧州競馬史における重大な事件であるため、本馬の話からは少し逸れるが、ここで詳しく経過を述べてみようと思う(内容は英国人記者のリチャード・エドモンドソン氏が1996年3月26日に発表したモハメド殿下のインタビュー記事、及び2012年5月24日付けレーシンポストトロフィー誌に掲載されたピーター・トーマス氏の記事に基づく)。

セシル師はかつてオーソーシャープインディアンスキマーディミニュエンド、フォレ賞勝ち馬サルス、愛オークス馬アリダレス、オールドヴィックベルメッツキングズシアターといったモハメド殿下所有の名馬を手掛けており、外見上は2人の関係は良好に見えた。

しかし馬主と調教師の関係についての2人の考え方には大きな隔たりがあった。モハメド殿下は自分の事を単なる馬主ではなく、1人の競馬人として認識しており、所有馬の調教方針や目標競走についても積極的に関与しようとした。しかしセシル師は、競走馬の育成に関しては馬主から調教師が全責任を委ねられるべきだと思っていたようである(どちらが正しいとは一概に言い切れない)。モハメド殿下はセシル師の調教技術自体は高く評価していた(殿下本人がそう言っている)が、考え方の違いからセシル師と意見が対立する事がしばしばあった。表向きは良好な関係であっても実際には“a friendly fight”が日常茶飯事であり、2人の仲は本馬の負傷以前から上手くいっていなかったという。

そんな2人を完全に引き裂く引き金となったのが、本馬が負傷した一件だった。本馬はロイヤルロッジSを目標として調整されている途中で負傷したわけだが、モハメド殿下はそもそもロイヤルロッジSを目標とする事自体をセシル師から聞かされていなかった上に、本馬が膝を負傷した事についても当初は聞かされていなかった。実は本馬が負傷している事をロイヤルロッジSの少し前になってようやく知らされたモハメド殿下は、即座に出走取消を決定した。

この件から去ること3年前の1992年12月に、モハメド殿下は兄のハムダン殿下達と一緒に、所有馬を冬場は温暖なドバイで調教する事を1つの目的として、共同馬主団体ゴドルフィンを創設していた(当初はドバイ国内だけの活動であり、国際的な活動が開始されたのは1994年)。そして本馬より2歳年上のバランシーンや、1歳年上のラムタラ、英オークス馬ムーンシェル、仏2000ギニー馬ヴェットーリ、英セントレジャー馬クラシッククリシェが既にその所属馬として活躍しており、ゴドルフィンの活動は軌道に乗り始めたところだった。しかしモハメド殿下はゴドルフィンを強化するために、英国各地の厩舎から有力馬を引き抜くようになっており(上記のムーンシェル、ヴェットーリ、クラシッククリシェの3頭はいずれも2歳時にはセシル師の管理馬だったし、バランシーンも最初は英国ピーター・チャップルハイアム調教師の管理馬だった)、それに対してもセシル師は嫌悪感を抱いていたという。

そんな状況下で発生した本馬の一件で、セシル師との信頼関係が完全に崩壊したと感じたモハメド殿下は、それを契機としてゴドルフィンのさらなる強化に乗り出すことを決断し、セシル師に預けていた馬を全てゴドルフィンに移籍させてしまった。

モハメド殿下はこの一件以降も欧州を拠点とする調教師に所有馬を預ける事自体が無くなったわけではないが、自らが全てを決めたいと思うような有力馬に関しては、自分の意見が全て通るゴドルフィンに移籍させてしまうようになった。それは「欧州の調教師達をまるでトレーニングシューズのように扱っている」とエドモンドソン氏が記事の中で評したほど情け容赦無いやり方だが、ゴドルフィンの勢力が絶大になったために誰も文句を言えないようである。むしろ「トレーニングシューズになる事」を自ら受け入れることによりゴドルフィン陣営の好感度を上げた調教師のほうが幅を利かす(所有馬が増えすぎたゴドルフィンが、手放した馬を親交がある調教師に任せるようになったため)ようになり、それに逆らったセシル師はしばらく低迷することになった。

日本でも、やたらと馬の事に口を出す馬主(タニノムーティエの馬主だった谷水信夫氏や、シンボリルドルフの実質的馬主だった和田共弘氏のようなタイプ)と、それを嫌がる調教師との間で諍いが生じる事は昔から珍しくなかったが、それは海外でも同じであり、そしてその規模と影響力は日本とは比較にならないほど大きい。欧州競馬ファンの間ではゴドルフィンに対する好悪はかなりはっきり分かれているようで、明確に嫌悪の念を示す人も多い(その中にはおそらくイスラム圏に対する偏見を抱く人間もいるだろう)が、専門サイトの中で所属馬情報をしっかりと流したり、有力馬を3歳限りで引退させる傾向が強い欧州競馬界の中にあって古馬になっても現役を続行させる事が多かったり、近年は価値が低下傾向にあった長距離戦も蔑ろにしない事などから、評価している人も少なからずいる(筆者もこれらの点においては評価している)ようである。それはちょうど日本における社台グループと似たような感じである(筆者はゴドルフィンも社台グループも共に、評価できる部分と懸念材料となる部分を併せ持っており、功罪相半ばすると思っている)。

それはさておき、セシル厩舎からゴドルフィンに移籍した40頭の中には当然本馬も含まれており、本馬はゴドルフィンの専属調教師サイード・ビン・スルール厩舎に転厩した。本馬の膝の負傷の度合は結構重かったようで、2歳時はその後地元ドバイにおいてもレースに出る事が出来なかった。

競走生活(3歳前半)

ドバイで冬場を過ごした本馬は、3歳時は前哨戦無しのぶっつけ本番で英2000ギニー(英GⅠ・T8F)に出走した(英国に到着したのはレース5日前)。対戦相手は、デビュー戦で本馬を破った後にヴィンテージS・ソラリオS・英シャンペンS・デューハーストSと2歳時5戦全勝の成績を残してカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選ばれたアルハース、そのアルハースを前走クレイヴンSで首差2着に破ってきたレーシングポストトロフィーの勝ち馬ボーシャンキング、セシル師が送り込んできたフェイルデンSの勝ち馬ストームトルーパー、ミドルパークS・ジムクラックS・コヴェントリーSなど4戦全勝のロイヤルアプローズ(後の4歳時にスプリントCなどを勝ってカルティエ賞最優秀短距離馬に選出)、愛フェニックスS・愛ナショナルS・グリーナムSの勝ち馬でデューハーストS2着のデインヒルダンサー、愛フューチュリティSの勝ち馬ビジューダンド、タタソールSの勝ち馬でレーシングポストトロフィー2着のイーヴントップなどだった。アルハースが単勝オッズ3倍の1番人気、ボーシャンキングが単勝オッズ5.5倍の2番人気、ストームトルーパーが単勝オッズ6倍の3番人気、ロイヤルアプローズが単勝オッズ8.5倍の4番人気で、F・デットーリ騎手が騎乗した本馬は単勝オッズ9倍の5番人気だった。

スタートが切られると、出走13頭が2つのグループに分かれてレースが進行した。直線コースで実施される英2000ギニーでは、馬群が2~3つに分かれて進むことが多いのである(人間のトラック競技のように全部が一直線に走るような事はまず無い)。本馬やボーシャンキングはスタンド寄りの内側馬群の好位につけており、アルハース、ストームトルーパー、ロイヤルアプローズは外側の馬群にいた。ペースはロイヤルアプローズが先頭を引っ張る外側馬群のほうが速く、人気薄のワールドプレミアが先頭を引っ張る内側馬群はゆったりとしたペースで走っていた。外側馬群のペースは速すぎたようで、勝負どころで内側馬群の馬達が残り2ハロン地点で仕掛けると、外側馬群にいた馬達は付いていけずに置き去りにされてしまった。スローペースに引っ掛かって折り合いを欠いていたボーシャンキングも伸びは無く、内側馬群から抜け出したのは本馬、イーヴントップ、ビジューダンドの3頭だった。残り1ハロン地点ではこの3頭が横一線となり、ゴール直前まで三つ巴の勝負が続いた。最後は3頭がほぼ同時にゴールインした。ビジューダンドが僅かに遅れたのは素人目にも分かったが、本馬とイーヴントップの差はかなり微妙だった。写真判定の結果、本馬が短頭差で勝利を収めていた(ビジューダンドはさらに首差の3着、アルハースはさらに6馬身差の4着だった)。

その後は英ダービーに出走する計画もあったようだが、熱発したために回避し、そのままマイル路線に専念することになった。そして次走はセントジェームズパレスS(英GⅠ・T8F)となった。このレースには、仏2000ギニー・トーマブリョン賞・フォンテーヌブロー賞など4戦全勝のアシュカラニ、愛2000ギニー・サンロマン賞の勝ち馬で仏2000ギニー2着のスピニングワールド、英2000ギニー3着後に出走した愛2000ギニーで4着だったビジューダンド、フライングチルダースSの勝ち馬ケイマンカイ、英2000ギニー5着後に出走した愛2000ギニーで3着だったボーシャンキング、女傑ダリアの孫でミスタープロスペクターを父に持つ良血馬ウォールストリートなどが出走してきた。各国の2000ギニー勝ち馬が3頭出走してきたわけで、人気もこの3頭に集中。アシュカラニが単勝オッズ2.625倍の1番人気、スピニングワールドが単勝オッズ4.33倍の2番人気、オリビエ・ペリエ騎手騎乗の本馬が単勝オッズ6.5倍の3番人気となった。

スタートが切られると単勝オッズ10倍の4番人気だったビジューダンドが先頭に立ち、アシュカラニとスピニングワールドは好位、本馬は中団につけた。そして本馬鞍上のペリエ騎手が残り2ハロン地点で仕掛けたのだが、本馬は全く反応せず、ずるずると後退していった。スピニングワールドにも伸びが無く、3頭の2000ギニー馬の中で唯一まともな末脚を発揮したアシュカラニも、レースを支配しきったビジューダンドを捕まえるのに失敗。ビジューダンドが逃げ切って勝ってしまい、アシュカラニが頭差の2着、スピニングワールドはさらに5馬身1/4差の6着、本馬はさらに6馬身半差の8着と惨敗してしまった。英2000ギニーで首差の接戦を演じたビジューダンドに12馬身差をつけられたわけで、誰の目にも本馬が能力を出し切れていなかったのは明らかだったが、その原因はどうやら体調が戻りきっていなかったためだったようである。

競走生活(3歳後半)

2か月ほどの調整期間を経て8月に実戦に復帰。復帰初戦はセレブレーションマイル(英GⅡ・T8F)となった。対戦相手は、英2000ギニー4着後に出走した英ダービーで5着に敗れるなど3歳時不振続きのアルハース、セントジェームズパレスS4着後に出走したエクリプスSで7着最下位に沈んでいたボーシャンキング、クリテリウムドメゾンラフィット・キヴトンパークSを勝っていた4歳馬ビショップオブカッシェル、クイーンアンSで2着していたミンストレスSの勝ち馬リストラクチャー、セシル師が送り込んできた愛1000ギニー4着馬ディスタントオアシス、テトラークS・愛国際Sの勝ち馬ガゼンバーグの合計6頭であり、実績上位馬はどれも順調さを欠いている状態だった。また、古馬混合戦であっても、GⅠ競走勝ち馬である本馬の斤量は古馬勢と全く同じに設定されていた(同じGⅠ競走勝ち馬であっても、勝ったのが2歳GⅠ競走であるアルハースの斤量は本馬より6ポンド軽かった)。

人気は非常に割れており、デットーリ騎手騎乗の本馬が単勝オッズ3.75倍の1番人気、前走のサセックスSで3着と復調の兆しが見えたアルハースが単勝オッズ4.5倍の2番人気、ビショップオブカッシェルが単勝オッズ6倍の3番人気、ボーシャンキング、リストラクチャー、ディスタントオアシスの3頭が並んで単勝オッズ7倍の4番人気だった。スタートが切られるとアルハースが先頭に立ち、本馬は馬群の中団につけた。道中は少しもたつく場面もあったのだが、直線で進路が開くと一気に突き抜けて、残り1ハロン地点で先頭に立った。後は悠々と先頭を走り続けて、2着ビショップオブカッシェルに3馬身半差をつけて快勝した。

続いて出走したクイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ・T8F)では、セントジェームズパレスS2着後に出走したムーランドロンシャン賞を勝ってきたアシュカラニ、サセックスS・プリンスオブウェールズSの勝ち馬で前走英国際S2着の4歳馬ファーストアイランド、セントジェームズパレスS勝利後にエクリプスSで2着・英国際Sで3着してきたビジューダンド、クイーンアンSの勝ち馬でセントジェームズパレスS・ロッキンジS・サセックスS2着の同厩の4歳馬チャーンウッドフォレスト、ロッキンジS2回・キヴトンパークS・スプリームS・香港国際ボウルを勝ち前年のクイーンエリザベスⅡ世Sで3着していた6歳馬ソヴィエトライン、そしてセシル師が意地でも本馬を倒すために送り込んできた英1000ギニー・フィリーズマイル・フレッドダーリンSなど4戦全勝の3歳牝馬ボスラシャムの合計6頭が対戦相手となった。アシュカラニが単勝オッズ3.25倍の1番人気、本馬とボスラシャムというかつての同厩馬2頭が並んで単勝オッズ4.33倍の2番人気、ファーストアイランドが単勝オッズ6.5倍の4番人気、ビジューダンドが単勝オッズ11倍の5番人気となった。

スタートが切られるとセントジェームズパレスSの再現を狙うビジューダンドが先頭を引っ張り、ボスラシャムが先行、アシュカラニが好位、デットーリ騎手騎乗の本馬が中団につけた。そしてボスラシャムがビジューダンドをかわして残り1ハロン地点で先頭に立ったところに、後方から本馬の末脚が炸裂した。ボスラシャムを瞬く間にかわすと、最後は1馬身1/4差をつけてゴールへと突き刺さっていた。

かなりレベルが高いと評されていたこのレースを完勝した事により、本馬は現役欧州最強マイラーの称号をアシュカラニから奪取したばかりか、欧州競馬史上においても有数の名マイラーという評価まで獲得した。特に次走の英チャンピオンSを完勝して牝馬としては1990年代屈指の高評価を得るボスラシャム相手に勝利した事が大きかったようである。英タイムフォーム社のレーティングでは137ポンドで、この年の凱旋門賞を圧勝したエリシオより1ポンド高い数値だったし、国際クラシフィケーションにおいても133ポンドで、エリシオより1ポンド低いだけの高数値(ただしいずれもこの年世界最高では無い。この年の世界最高評価はいずれも米国調教馬シガーだった)であり、マイル部門では1989年のジルザル以来となる高評価だった。マイル部門で本馬より高い評価が出るのは、セシル師が手掛けた最後にして最大の大物フランケルの出現を待たなければならなかった。

もっとも、この日の主役は本馬ではなく鞍上のデットーリ騎手だった。彼は同日にアスコット競馬場で行われた7競走全てに勝利した(本馬が3勝目)のである。

もはや欧州マイル路線に敵がいなくなった本馬は北米大陸に渡り、この年は加国のウッドバイン競馬場で行われたBCマイル(加GⅠ・T8F)に参戦した。セントジェームズパレスS6着後にジャックルマロワ賞を勝ちムーランドロンシャン賞で2着していたスピニングワールド、ジャージーダービー・デルマー招待ダービー・ベストターンS・フォースターデイヴSの勝ち馬でハリウッドダービー3着のダホス、クイーンエリザベスⅡ世S4着後にチャレンジSを勝っていたチャーンウッドフォレスト、クイーンエリザベスⅡ世CCS・ニジャナSなど4連勝中の3歳牝馬メモリーズオブシルヴァー、前年に加国三冠競走第2戦プリンスオブウェールズSを勝っていたキングエドワードBCHの勝ち馬キリダシ、ポーカーHの勝ち馬でエディリードH2着のスムースランナー、サンタアニタH・サンマルコスH・オークツリーBCマイルH・ローズオブランカスターSの勝ち馬アージェントリクエスト、ストラブS・サンフェルナンドS・ヴォランテHの勝ち馬でハリウッドダービー・カリフォルニアンS2着・ハリウッド金杯3着のヘルムズマン、テストS・バレリーナH・フォワードギャルBCS・メドウランズBCH・ヴァージニアH・ファーストレディHなどの勝ち馬でトップフライトH2着のチャポサスプリングズ、ケルソHを勝ってきたセイムオールドウィッシュ、バーナードバルークHの勝ち馬でロスマンズ国際S3着のヴォロシンなどが対戦相手となった。

本馬とチャーンウッドフォレストのカップリングが単勝オッズ2.25倍の1番人気、スピニングワールドが単勝オッズ8.95倍の2番人気、ダホスが単勝オッズ9.45倍の3番人気、メモリーズオブシルヴァーが単勝オッズ9.6倍の4番人気、キリダシが単勝オッズ11.9倍の5番人気で、構図としては本馬とその他大勢の対決だった。

スタートが切られるとキリダシが先頭を飛ばし、本馬は馬群の中団につけた。キリダシが刻むペースは最初の2ハロン通過が23秒6、半マイル通過は47秒2であり、これ自体はBCマイルとしては普通のものだった(欧州調教馬バラシアが勝った2年前のBCマイルでは23秒25、46秒2で通過しており、それに比べると遅いし、3年前と4年前に米国調教馬ルアーが勝った時のハイペースとは比較にならない)。しかし本馬は何故か追走するのが精一杯といった雰囲気だった。そして直線に入っても伸びが無く、後方からの向こう正面まくりで勝利したダホスから8馬身3/4差の7着と完敗。1馬身半差の2着に入ったスピニングワールドにも先着されてしまった。

敗因は一般的にハイペースに付いていけなかったためと言われているが、上述のとおりこのレースのペースはBCマイルとしては特に速い部類ではなかった。そのため敗因は馬場が合わなかったか、体調が万全では無かったかのいずれかであると考えるのが妥当であろう(ウッドバイン競馬場は米国よりも欧州の競馬場に近い構造をしていると言われており、コース形態云々はあまり関係無さそうである)。これが現役最後のレースとなり、3歳時の成績は5戦3勝となった。

馬名を直訳すると英語で「尊敬(尊重)の印」という意味で、「敬意・尊敬・忠誠の宣誓・臣従の礼」を意味する母ホミッジの名前にちなんで命名されたと思われる。

血統

Darshaan Shirley Heights Mill Reef Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
Hardiemma ハーディカヌート ハードリドン
Harvest Maid
Grand Cross Grandmaster
Blue Cross
Delsy Abdos Arbar Djebel
Astronomie
Pretty Lady Umidwar
La Moqueuse
Kelty ヴェンチア Relic
Rose O'Lynn
マリラ Marsyas
Albanilla
Homage Ajdal Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Native Partner Raise a Native Native Dancer
Raise You
Dinner Partner Tom Fool
Bluehaze
Home Love Vaguely Noble ヴィエナ Aureole
Turkish Blood
Noble Lassie Nearco
Belle Sauvage
Homespun Round Table Princequillo
Knight's Daughter
Gal I Love Nasrullah
Gallita

ダルシャーンは当馬の項を参照。

母ホミッジは不出走馬で、本馬以外に活躍した産駒はおらず、牝系子孫も発展していない。それでも優れた牝系の出身ではあり、ホミッジの半兄にはローカルスーター(父ブラッシンググルーム)【ミルリーフS(英GⅡ)】とローカルタレント(父ノーザンダンサー)【ジャンプラ賞(仏GⅠ)・ロシェット賞(仏GⅢ)】が、半姉シエロズラヴ(父コンキスタドールシエロ)の子にはテューズデイズスペシャル【エクスビュリ賞(仏GⅢ)】が、半妹ケレンツァ(父シアトルダンサー)の子にはジョマナ【エクスビュリ賞(仏GⅢ)・コリーダ賞(仏GⅢ)】がいる。ホミッジの母ホームラヴの半妹にはフォークアート【オークリーフS(米GⅠ)】、半弟にはマシャーラー【ミラノ大賞(伊GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)・愛セントレジャー(愛GⅠ)】がいる他、ホームラヴの半妹で日本に繁殖牝馬として輸入されたコニーノーズの曾孫にはキョウワロアリング【北九州記念(GⅢ)】が、ホームラヴの半妹エクシジェンスの曾孫には日本で走ったモモカプリンセス【サラ系クイーンC・福山三歳牝馬特別・鞆の浦賞】が、ホームラヴの半妹で日本に競走馬として輸入されたエイシンミシガンの子には2002年の中央競馬最優秀2歳牡馬エイシンチャンプ【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)・弥生賞(GⅡ)・大井記念】がいる。ホームラヴの曾祖母ギャリタは米国の歴史的名牝ギャロレットの全妹に当たる。→牝系:F17号族

母父アジャダルはノーザンダンサーの直子で、2・3歳時に英で走り通算成績11戦7勝。2歳時から類稀なスピード能力を発揮し、デューハーストS(英GⅠ)を制覇。3歳時には、クレイヴンS(英GⅢ)を勝って英2000ギニー(英GⅠ)に挑むも4着に敗れ、以降は短距離戦線に的を絞って活躍。ジュライC(英GⅠ)・スプリントCS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅡ)に勝利した。アジャダルの母ネイティヴパートナーは繁殖牝馬として素晴らしい成績を収めており、ミドルパークSの勝ち馬フォーミダブル、ファンタジーSの勝ち馬フライングパートナーの他、豪州の名馬ノーザリーの父セリード、日本の大繁殖牝馬ダンシングキイの母キーパートナーなどを産んだ。アジャダルは早世したが、数少ない産駒から、セザンヌ【愛チャンピオンS(愛GⅠ)】などを出した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、英国ダルハムホールスタッドで種牡馬入りした。初年度の種付け料は2万ポンドで、その競走実績からすると安価に設定された。しかし初年度産駒から2001年の英1000ギニー馬アミーラット、4年目産駒から2006年のカルティエ賞最優秀短距離馬リヴェレンス、6年目産駒から2006年の英ダービー馬サーパーシー、及び2009年のメトロポリタンHの勝ち馬ブリボンを出しており、種牡馬としては成功したと評価されている。もっともGⅠ競走勝ち馬は上記4頭のみであり、時々思い出したように大物を出すタイプである(本馬の訃報を報じる米ブラッドホース誌の記事には「種牡馬として最高レベルの成功」と評されていたが、さすがにそれは持ち上げすぎだと思われる)。それでもステークスウイナーは36頭出しているから、最高レベルは言い過ぎとしても、種牡馬として成功したという評価には異論の余地が無い。

自身はマイル戦を主に走り、産駒もマイル以下の活躍馬が多いが、父ダルシャーンの重厚な血統の影響なのか、英ダービー馬も輩出している。

2005年にブラジルにシャトルされたが、この際に疝痛を発症して手術を受けた。手術自体は成功して一命を取り留めたが、疝痛の原因の1つとなっていたらしい片方の睾丸を摘出したためか、受精率が著しく低下。受精率向上の治療が実施されたが実を結ばず、2007年に10世代の産駒を残して種牡馬を引退した。前年にサーパーシーやリヴェレンスが活躍したために、この年は多くの優れた繁殖牝馬が交配相手として予約されていたのだが、本馬は不運にもそれらの機会を逸してしまった。その後は繋養先のダルハムホールスタッドで余生を送っていたが、2014年5月に病気(具体的な病名は報道されていないため不明)のため21歳で安楽死の措置が執られた。

全体的に牝馬や騙馬の活躍馬が多く、後継種牡馬は少ない。目立つ後継種牡馬はサーパーシーとレッドバックくらいであり、前者はあまり成功しておらず、後者はEPテイラーSを勝ったラハリーブを出しているが牡馬の活躍馬を輩出していない。そのために直系が残るかどうかはかなり微妙なところだが、繁殖牝馬の父としては、英セントレジャー馬マスクドマーヴェル、愛ダービー馬トレジャービーチ、ミドルパークSの勝ち馬アマデウスウルフ、NHKマイルCの勝ち馬ダノンシャンティ、仏1000ギニー・仏オークスの勝ち馬アヴニールセルタンなど多くの活躍馬を出しており、母系ではその血が残りそうである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1998

Ameerat

英1000ギニー(英GⅠ)

1998

Spring Oak

クレオパトル賞(仏GⅢ)

1999

Chivalry

ケンブリッジシャーH

1999

Millennium Dragon

アップルトンH(米GⅢ)

1999

Redback

スーパーレイティヴS(英GⅢ)・ソラリオS(英GⅢ)・グリーナムS(英GⅢ)

2000

High Accolade

キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)2回

2000

Uraib

ブエナビスタH(米GⅡ)

2001

African Dream

サンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ)・ディーS(英GⅢ)

2001

Reverence

ナンソープS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)・テンプルS(英GⅡ)・フライングファイブ(愛GⅢ)

2002

Embossed

ケンタッキーCターフS(米GⅢ)・ダラスターフCH(米GⅢ)

2002

Needlecraft

クロエ賞(仏GⅢ)・セルジオクマニ賞(伊GⅢ)

2003

Barney McGrew

チップチェイスS(英GⅢ)

2003

Bribon

メトロポリタンH(米GⅠ)・トゥルーノースH(米GⅡ)・ウエストチェスターH(米GⅢ)・ボールドルーラーH(米GⅢ)

2003

Ordnance Row

ソヴリンS(英GⅢ)・スプリームS(英GⅢ)

2003

Sir Percy

英ダービー(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・ヴィンテージS(英GⅡ)

2006

Ilsanpietro

ジェットステイヤーズ(南GⅡ)・デフィレーシングアソシエイションH(南GⅢ)

2007

Sir Oscar

アウディツェントルムスハノーファー大賞(独GⅡ)

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