ブラックヘレン

和名:ブラックヘレン

英名:Black Helen

1932年生

鹿毛

父:ブラックトニー

母:ラトロワンヌ

母父:テディ

大繁殖牝馬ラトロワンヌの最初の大物産駒で米国競馬の殿堂入りを果たすほどの活躍を見せる

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績22戦15勝3着2回

20世紀米国競馬最高の根幹繁殖牝馬として大活躍し、その血を受け継いでいる馬よりも受け継いでいない馬のほうが少数派になっていると思われる大繁殖牝馬ラトロワンヌ。このラトロワンヌの繁殖牝馬としての活躍は、本馬という牡馬顔負けの名牝を産んだところが出発点となっている。

誕生からデビュー前まで

ラトロワンヌを仏国から輸入したエドワード・ライリー・ブラッドリー大佐により、彼が所有するケンタッキー州アイドルアワーストックファームにおいて生産・所有された。両親ともにブラッドリー氏の馬産を支えた名繁殖馬であるが、父ブラックトニーが産駒数こそ少ないながらも既に名種牡馬として名を馳せていたのに対して、本馬が事実上の初子であった母ラトロワンヌの繁殖成績は未知数であった(本馬にはラトロワンヌが米国にやってきた時に身籠っていたゲインズボロー牝駒という半姉がいたのだが、この半姉は体質が弱かったために名前も付けられないまま処分されていた)。その上、本馬は非常に小柄な馬だった。成長しても体高15ハンドあるかないかで、体重は最高でも900ポンド(約409kg)にしかならなかった。

競走生活(3歳前半まで)

アイドルアワーストックファームにおける2番手調教師だったビル・ハーレー師の管理馬となった本馬は、その小さすぎる体格から当初は期待馬ではなく、2歳時にはステークス競走に出走する事は無かった。それでも2歳時はいきなりデビュー7連勝した。最後の2戦は着外に敗れたが、それでもこの年9戦7勝の好成績を残し、3歳になった頃には既に素質を認められていたようである。

3歳初戦は2月にハイアリアパーク競馬場で行われた一般競走となった。ここで本馬は鮮烈な勝ち方をしたため、初の牡馬相手のレースとなった次走のフロリダダービー(D9F・現フロリダダービーではなく現フラミンゴSに相当するレースである)では牡馬に混じって1番人気に支持された。レースでは後続馬に1~2馬身ほどの差をつけて先頭で直線に入ってくると、直線で後続との差をさらに広げ、ゴール前では馬なりで走り、2着マンターニャに5馬身差をつけて圧勝した。このレースには後のケンタッキーダービー2着馬ローマンソルジャーも出走していたのだが、マンターニャからさらに1馬身差の3着に敗れている。

もしかしたらケンタッキーダービーを始めとする米国三冠競走に向かっていても好勝負になっていたかもしれないが、本馬は出走せず、CCAオークス(D11F)に向かった。このCCAオークスには、エイコーンSを勝ってきたグッドギャンブル、後のアディロンダックSの勝ち馬バードフラワーの他に、ブラッドリー大佐の所有馬が本馬以外に2頭出走していたが、ブラッドリー大佐は本馬が勝つと宣言していた。ところがレースでは同厩馬ブラッドルート(1946年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬。名種牡馬ネヴァーベンドの曾祖母でもある)が直線で先頭に立ち、前が塞がる不利があった本馬は絶体絶命だった。しかし馬群の間をすり抜けると、ブラッドルートを鼻差かわして優勝した。

競走生活(3歳後半)

その後はアーリントンパーク競馬場に赴き、アメリカンダービー(D10F)に出走した。このレースには、マンハッタンHの勝ち馬で後にジョッキークラブ金杯・サラトガC2回なども勝つカウントアーサー、ラトニアダービーの勝ち馬ティアーアウトといった牡馬勢に加えて、プリークネスSを制した名牝ネリーモスの娘でセリマS・メイトロンS・ケンタッキージョッキークラブSを勝って前年の米最優秀2歳牝馬に選ばれたネリーフラッグ(ベガの6代母)も出走してきた。ネリーフラッグはケンタッキーダービーにも出走して1番人気4着と健闘しており、同世代の牝馬では本馬と互角かそれ以上の評価を受けていた。しかし結果は本馬が2着カウントアーサー以下に勝利を収めて、1884年の第1回競走を制したモデスティ以来51年ぶりの牝馬によるアメリカンダービー制覇を果たした。ネリーフラッグは着外に終わっており、これで本馬が文句なしに同世代最強牝馬の座を手に入れた。

次走のアーリントンクラシックS(D10F)では、ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS・ドワイヤーSを勝っていたこの年の米国三冠馬オマハも参戦してきて、性別の壁を超えた同世代最強馬決定戦となった。しかし結果はコースレコードで走ったオマハが勝利を収め、バッシュフォードマナーSの勝ち馬でアーリントンフューチュリティ2着のセントバーナードが2着で、同厩の牝馬ブラッドルートにも先着された本馬は4着に敗退してしまった。

その後に出走したのは、これまた牡馬倍手となるメリーランドH(D10F)だった。アーリントンクラシックSの後に休養入りしたオマハは不在だったが、プリークネスS・ベルモントSでいずれもオマハの2着だったファイアソーンという強敵が出走していた。しかし本馬が同厩のブラッドルートを1馬身差の2着に従えて勝利を収めた。ここで3着に敗れたファイアソーンは後にこの年のローレンスリアライゼーションS・ジョッキークラブ金杯を勝利し、翌年以降もサバーバンH・ジョッキークラブ金杯(2回目)を勝つほどの強豪馬だった。3歳時は13戦8勝の成績を残し、この年の米最優秀3歳牝馬に選ばれた。そして3歳限りで競走馬を引退した。

血統

Black Toney Peter Pan Commando Domino Himyar
Mannie Gray
Emma C. Darebin
Guenn
Cinderella Hermit Newminster
Seclusion
Mazurka See Saw
Mabille
Belgravia Ben Brush Bramble Bonnie Scotland
Ivy Leaf
Roseville Reform
Albia
Bonnie Gal Galopin Vedette
Flying Duchess
Bonnie Doon Rapid Rhone
Queen Mary
La Troienne Teddy Ajax Flying Fox Orme
Vampire
Amie Clamart
Alice
Rondeau Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Doremi Bend Or
Lady Emily 
Helene de Troie Helicon Cyllene Bona Vista
Arcadia
Vain Duchess Isinglass
Sweet Duchess
Lady of Pedigree St. Denis St. Simon
Brooch
Doxa Melton
Paradoxical

ブラックトニーは当馬の項を参照。

ラトロワンヌは当馬の項を参照。→牝系:F1号族②

母父テディは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のアイドルアワーストックファームで繁殖入りした。1946年にブラッドリー大佐が死去すると、オグデン・フィップス氏の所有馬となり、クレイボーンファームに移動した。母や妹達が繁殖牝馬として大きな成功を収めたため、本馬に対する期待も大きかったはずである。本馬は繁殖牝馬としては12頭の子を産んだ。しかしその中からステークスウイナーは登場しなかった。1957年8月にクレイボーンファームにおいて25歳で他界した。

後世に与えた影響

母としては期待に応えられなかった本馬だが、孫世代以降からは活躍馬が続出しており、ラトロワンヌの牝系発展に一役買っている。

2戦未勝利に終わった初子の牝駒ビーライクマム(父シックル)の子には、1947年の米最優秀3歳牝馬と米最優秀ハンデ牝馬をダブル受賞したバットホワイノット【エイコーンS・ピムリコオークス・アーリントンクラシックS・アラバマS・アーリントンメイトロンH・ベルデイムH・トップフライトH・フィレンツェH・ワシントンバースデイH】、3度の米最優秀障害競走馬に選ばれ米国競馬の殿堂入りも果たした名障害競走馬オイディプス【米グランドナショナル】、リニュー【フィレンツェH・トップフライトH】、曾孫にはバッフル【サバーバンH】、玄孫世代以降には、1984年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬プリンセスルーニー【BCディスタフ(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・ヴァニティ招待H(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】、バイキングフラッグシップ【クイーンマザーチャンピオンチェイス(英GⅠ)2回・ティングルクリークチェイス(英GⅠ)・メリングチェイス(英GⅠ)2回】とフラッグシップユベラルズ【クイーンマザーチャンピオンチェイス(英GⅠ)・ティングルクリークチェイス(英GⅠ)3回・パンチェスタウンチャンピオンチェイス(愛GⅠ)】の兄弟などが出ている。

17戦1勝だった4番子の牝駒インザパープル(父バーグーキング)の牝系子孫には、日本で走ったカネショウスーパー【川崎記念】などが出ている。

2戦1勝だった8番子の牝駒リソースフル(父シャットアウト)の孫にはデストロ【レディーズH】、玄孫世代以降には、ラヴィングニュー【ピラシカーバ男爵大賞(伯GⅠ)・ジアナ大賞(伯GⅠ)】などが出ている。

50戦4勝だった11番子の牝駒フーラフーラ(父ポリネシアン)の孫にはフーラドラム【ジョージライダーS(豪GⅠ)】、フーラチーフ【ドンカスターマイル(豪GⅠ)】、曾孫にはプレザントタップ【サバーバンH(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)】とゴーフォージン【ケンタッキーダービー(米GⅠ)】の兄弟、フーラストライク【新2000ギニー(新GⅠ)】、ラヴダンス【アヴォンデール金杯(新GⅠ)・ケルトキャピトルS(新GⅠ)】、玄孫世代以降には、レーシングトゥウィン【ジョージライダーS(豪GⅠ)・ドンカスターマイル(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)・エプソムH(豪GⅠ)・オールエイジドS(豪GⅠ)】、サイレントアチーバー【新ダービー(新GⅠ)・ニュージーランドS(新GⅠ)・ランヴェットS(豪GⅠ)・ザBMW(豪GⅠ)】、日本で走った2005年の中央競馬最優秀2歳牝馬テイエムプリキュア【阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)】などが出ている。

12戦2勝だった12番子の牝駒チュージー(父マイリクエスト)の曾孫にはヴィヴィッドエンジェル【オークリーフS(米GⅠ)】がいる。

本馬は1991年に子孫のプリンセスルーニーと一緒に米国競馬の殿堂入りを果たした。

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