ブラックトニー

和名:ブラックトニー

英名:Black Toney

1911年生

青鹿

父:ピーターパン

母:ベルグレービア

母父:ベンブラッシュ

競走馬としては振るわなかったが種牡馬として成功し所有者エドワード・ブラッドリー大佐を名馬産家たらしめたヒムヤー直系の名種牡馬

競走成績:2~6歳時に米加で走り通算成績40戦13勝2着11回3着7回

誕生からデビュー前まで

本馬の曽祖父ドミノや名馬サイソンビーの所有者で、名種牡馬ベンブラッシュを繋養し、本馬の祖父コマンド、父ピーターパン、名馬コリンなど数々の名馬を生産した20世紀初頭の馬産家ジェームズ・ロバート・キーン氏の最後の傑作。キーン氏が所有するケンタッキー州キャッスルトンスタッドで誕生した。体高は15.3ハンドと背はあまり高くなかった。全身に白い部分は一点も無く、黒っぽい青鹿毛で覆われていた。デイリーレーシングフォーム紙の競馬記者チャールズ・ハットン氏は本馬を「小さくて黒い馬」と評している。それでも祖父ベンブラッシュに似て胴長で、下半身と脚の強さには見るべきものがあったという。

父ピーターパン、母父ベンブラッシュという、キーン氏の馬産人生の集大成と言える血統の持ち主だったが、本馬が1歳時の1912年に、健康を害したキーン氏は自身の寿命がもう長く無い事を悟った(翌年の1月3日に74歳で死去)。そのために彼はキャッスルトンスタッドにいた本馬を含む18頭の子馬全てを、ウィリアム・A・プライム氏に売却しようとした。しかしプライム氏の財力だけでは全馬を購入する事が出来なかったので、プライム氏は自分の友人で、キーン氏からプライム氏への売却の仲介役を任されていたケンタッキー州アイドルアワーストックファームの経営者エドワード・ライリー・ブラッドリー大佐に援助を依頼した。そこでブラッドリー大佐は本馬を1600ドルで購入して自分の所有馬とした。もっとも、この辺りの経緯には不明な部分が多く、ブラッドリー大佐がいったん全馬を購入して、本馬を除く馬をプライム氏に転売したという流れで説明されている場合もある。

競走生活

本馬は2歳時に競走馬デビュー。2歳時はラトニア競馬場で出走したヴァリュエーションセリングS(D5.5F)を勝ち、加国のハミルトン競馬場で出走したナーサリープレート(D6F)で3着するなど、19戦7勝の成績を挙げた。

3歳時はラトニア競馬場で出走したインディペンデンスH(D9.5F)を勝つなど8戦5勝の成績を挙げたが、大レースには縁が無かった。

4歳時はさらに成績が下がり、ラトニアオータムイノーギュラルH(D8.5F)で2着した程度で、10戦2勝の成績。ステークス競走の勝ちは無かった。

5歳時は故障のため1戦もできなかったため、この年から種牡馬生活を開始。5・6歳時に数頭の繁殖牝馬と交配を行った。

しかし6歳後半に故障が癒えたとして競走馬に復帰。しかし3戦1勝の成績に終わり、これをもって完全に競走馬生活にピリオドを打った。

本馬は決して競走馬として駄馬ではなかったが優れた馬でも無かったと評されている。同時代の米国におけるトップホースと比較すると15~20ポンド程度のハンデ差が無いと勝負にならないと目されていたという。それでもレースに出ると騎手に指示に素直に従い、いつでも一生懸命に走るという真面目な馬だったそうである。

血統

Peter Pan Commando Domino Himyar Alarm
Hira
Mannie Gray Enquirer
Lizzie G
Emma C. Darebin The Peer
Lurline
Guenn Flood
Glendew
Cinderella Hermit Newminster Touchstone
Beeswing
Seclusion Tadmor
Miss Sellon
Mazurka See Saw Buccaneer
Margery Daw
Mabille Parmesan
Rigolboche
Belgravia Ben Brush Bramble Bonnie Scotland Iago
Queen Mary
Ivy Leaf Australian
Bay Flower
Roseville Reform Leamington
Stolen Kisses
Albia Alarm
Elastic
Bonnie Gal Galopin Vedette Voltigeur
Mrs. Ridgway
Flying Duchess The Flying Dutchman
Merope
Bonnie Doon Rapid Rhone Young Melbourne
Lanercost Mare
Queen Mary Gladiator
Plenipotentiary Mare 

ピーターパンは当馬の項を参照。

母ベルグレービアの競走馬としての経歴は不明。母としては本馬の半妹ボニーメアリー(父アルティムス)【ファッションS・グレートアメリカンS・ジュヴェナイルS】も産んでいる。ボニーメアリーの娘にはボニーマギン【ジュニアチャンピオンS】がいる。ボニーマギンの牝系子孫は21世紀も残っており、主な出身馬には、ボニーベリル【フリゼットS・デラウェアオークス】、バグブラッシュ【ケンタッキーオークス・サンアントニオH・サンタマルガリータ招待H】、ハイエストオナー【イスパーン賞(仏GⅠ)】、スパージェム【サンタマリアH(米GⅠ)】、エヴァーアフレンド【フランクEキルローマイルH(米GⅠ)】がいる。

ベルグレービアの半兄にはドミノの後継種牡馬の一頭ディスガイズ【ジョッキークラブS】がいる。

ベルグレービアの母ボニーギャルの半姉ワーフェデールの牝系子孫には、名種牡馬プリンスローズ【仏共和国大統領賞】、エアボーン【英ダービー・英セントレジャー】、ラインゴールド【凱旋門賞(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)2回・ガネー賞(仏GⅠ)】、チロル【英2000ギニー(英GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)】、エリシオ【凱旋門賞(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)2回・ガネー賞(仏GⅠ)】などがいる。

ボニーギャルの半姉ベラドンナの子には、ベルデイム【サバーバンH・アラバマS・ガゼルH・カーターH】、牝系子孫には、ヴィクトリアパーク【クイーンズプレート・カップ&ソーサーS】、ヴァイスリーガル【コロネーションフューチュリティ・カップ&ソーサーS】、加首位種牡馬ヴァイスリージェント、サラヴァ【ベルモントS(米GⅠ)】、ライオンハート【ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・ハスケル招待H(米GⅠ)】などがいる。

ボニーギャルの半姉ブバルディアの牝系子孫には、アークティックプリンス【英ダービー】、ホーリング【エクリプスS(英GⅠ)2回・英国際S(英GⅠ)2回・イスパーン賞(仏GⅠ)】、チェロキーローズ【モーリスドギース賞(仏GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、アルカセット【ジャパンC(日GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、ピアレス【サンチャリオットS(英GⅠ)・ロッキンジS(英GⅠ)】、リップヴァンウィンクル【サセックスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)】、アフリカンストーリー【ドバイワールドC(首GⅠ)・マクトゥームチャレンジR3(首GⅠ)】などがいる。

ボニーギャルの母ボニードゥーンは19世紀英国の根幹繁殖牝馬クイーンメアリーの最後の子で、同じ牝系からはここには挙げ切れないほどの活躍馬が出ている。→牝系:F10号族②

母父ベンブラッシュは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はブラッドリー大佐が所有するアイドルアワーストックファームで種牡馬入りした。競走馬としては冴えなかった本馬だが、種牡馬としては大きな成功を収めた。21年間の種牡馬生活で送り出した産駒は221頭だが、そのうち72.9%に当たる161頭が勝ち上がり、18.1%に当たる40頭がステークスウイナーとなった。また、勝ち上がった馬のうち約70%が2歳戦で勝利を挙げている。このように、産駒数は少ないがその質は高く、早熟及びスピード色が強いというのは、他のヒムヤー直系の種牡馬に多く見られる傾向と同様である。本馬がまだ現役中だった5歳時に出した初年度産駒4頭からは、1919年の米最優秀2歳牝馬ミスジャマイマが出ており、6歳時に出した2年目産駒3頭からは、本馬の後継種牡馬の一頭ブラックサーヴァントが出ている。

産駒数が少ないために北米首位種牡馬には縁が無く、北米種牡馬ランキングでは1933年の2位が最高だったが、それを含めて北米種牡馬ランキング10位以内に4回、20位以内に10回入っている。死後の1939年には代表産駒バイムレックの活躍で北米2歳首位種牡馬になっている。

本馬の種牡馬としての活躍を受けて、ブラッドリー大佐は本馬の生存中に、アイドルアワーストックファームに本馬の銅像を建てさせた。アイドルアワーストックファームは後の1949年にジョン・W・ガルブレイス氏により購入されてダービーダンファームと改名されたが、その後も本馬の銅像は同じ位置に残り、現在もそれを見ることが出来る。

実際、ブラッドリー大佐が馬産家として成功したのは、本馬の活躍によるところが大きい。ブラッドリー大佐は自身が生産・所有した馬の大半に頭文字がBで始まる名前を付けた。それはブラッドリー(Bradley)大佐自身がBで始まる名前だったからだけでなく、本馬の名前がBで始まっていたからでもあったと言われている。

本馬は1936年の繁殖シーズンを最後に、種牡馬を引退した(バイムレックは最終世代である)。その後はアイドルアワーストックファームで余生を送ったが、1938年9月にパドック内で倒れて他界しているのが発見された。死因は高齢による心不全と推測されている。享年27歳だった。遺体は自身の銅像の近くに埋葬された。

本馬の後継種牡馬としては、ブラックサーヴァント、バラディア、バイムレックの3頭が成功した。自身は早熟快速傾向が強かったが、代を経ると晩成化したり、中長距離に適性を示したりした。ブラックサーヴァントはブルーラークスパーを出し、バラディアはスパイソングとダブルジェイを出し、バイムレックはベターセルフを出して、それぞれサイアーラインを延ばしたが、1980年頃には本馬の直系はほぼ滅亡した(クォーターホースとしては残っているらしい)。ただし、牝駒の代表産駒であったブラックヘレンやビッグハリー(いずれも母は根幹繁殖牝馬ラトロワンヌ)から牝系が伸びており、本馬の血を後世に伝えている。また、本馬の直系種牡馬を母父に持つ活躍馬も多い。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1921

Beau Butler

ピムリコフューチュリティ

1921

Befuddle

スカイラヴィルS

1921

Black Gold

ケンタッキーダービー・オハイオダービー

1922

Captain Hal

ゴールデンロッドS

1923

Black Maria

ケンタッキーオークス・メトロポリタンH・ホイットニーS

1924

Black Panther

ブルックリンH

1925

Arcturus

ヨークタウンH

1930

Brokers Tip

ケンタッキーダービー

1932

Black Helen

フロリダダービー・CCAオークス・アメリカンダービー

1933

Beanie M.

メイトロンS

1936

Big Hurry

セリマS

1937

Bimelech

プリークネスS・ベルモントS・サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS・ピムリコフューチュリティ・ブルーグラスS

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