ラグーザ

和名:ラグーザ

英名:Ragusa

1960年生

鹿毛

父:リボー

母:ファンタン

母父:アンビオリクス

遅生まれで小柄のため幼少期の評価は低かったが愛ダービー完勝後に頭角を現し、英セントレジャー・エクリプスSなどを制して英国最強馬の座に君臨

競走成績:2~4歳時に愛英仏で走り通算成績12戦7勝2着1回3着2回

誕生からデビュー前まで

宇宙航空学の研究で世界的な功績を残したハリー・フランク・グッゲンハイム大尉(その詳細な経歴はボールドイーグルの項に記載)により生産された愛国産馬である。グッゲンハイム大尉は自身が所有する繁殖牝馬ファンタンを、当時はまだ伊国で種牡馬生活を送っていた名馬リボーの元に送って本馬を誕生させた。しかし本馬の誕生日は6月15日と、かなりの遅生まれだった。その影響なのか、それとも幼少期は小柄だった父リボーに似たのか(おそらくその両方)、生誕直後の本馬は非常に小柄で弱々しい馬だった。地力で母ファンタンの母乳を飲むことさえも出来なかったため、人間の手で育てられた。その際に、ミルクだけでなく鶏卵も与えられたという。

グッゲンハイム大尉はこの貧相な馬を自分で所有する気は無く、1歳9月のボールズブリッジセールに出品。本馬は愛国キルデア郡アーデンオードスタッドの所有者ジェームズ・R・マリオン氏とメグ・マリオン夫人によって3800ギニーで購入され、このセリにおいてマリオン夫妻の代理人として本馬を購入したパトリック・J・プレンダーガスト調教師に預けられた。

プレンダーガスト師は1950年から1953年まで4年連続で愛国平地首位調教師を獲得していた名伯楽だった。しかし1953年10月に英国ジョッキークラブから八百長の濡れ衣を着せられて英国競馬から締め出されてしまった。愛国ターフクラブにも英国ジョッキークラブからプレンダーガスト師の管理馬に対して出走禁止措置を取るように依頼が来たが、プレンダーガスト師の無実を確信していた愛国ターフクラブは史上初めて英国ジョッキークラブの決定に逆らい、プレンダーガスト師を締め出すことをしなかった。それでもプレンダーガスト師の評判は落ち、しばらく彼は雌伏の日々を過ごすことになった。1960年になってようやく英国内における処分が解除されると、それまでの鬱憤を晴らすかのように英国内に管理馬を送り込み、同じ1960年にはマーシャルで英2000ギニーを制して、愛国調教馬による史上初の同競走制覇を成し遂げていた。過去の管理馬を見る限りでは、仕上がり早い短距離馬の育成に長けていたと思われるプレンダーガスト師だが、本馬に関しては焦らずにじっくりと育成する方針を採った。主戦は豪州出身のガーネット・ブーグール騎手が務めた。

競走生活(2・3歳時)

2歳10月にカラー競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利戦でデビューした。プレンダーガスト師はこの段階では本馬が勝つと思っていなかったらしいが、予想以上の鋭い末脚を繰り出して1馬身半差で勝利。2歳時はこの1戦で終え、3歳時は4月にフェニックスパーク競馬場で行われたトライアルS(T8F)から始動した。しかしここではロックハードの着外に敗退した。英国に移動して出走したディーS(T10F)では1番人気に支持されたが、マイミオソティスの3/4馬身差2着に敗れた。

それでもプレンダーガスト師は幼少期と比べると見違えるほどに成長していた本馬を果敢に英ダービー(T12F)に挑戦させることとした。単勝オッズ26倍の人気薄だったが、仏2000ギニー・ギシュ賞の勝ち馬レルコ、ダンテSの勝ち馬マーチャントヴェンチャラーに次ぐ3着(26頭立て)と健闘した。もっとも、勝ったレルコからは9馬身差、2着マーチャントヴェンチャラーからも3馬身差をつけられていた。

次走の愛ダービー(T12F)にもレルコが出走予定であり、圧倒的な1番人気に支持されていた。ところがレース直前にレルコが歩様を乱して出走取消となり、たちまち大混戦となった。それでも本馬は単勝オッズ15.29倍の伏兵扱いだった。スタートが切られるとグラッドネスS・チェスターヴァーズの勝ち馬で後に愛セントレジャーを勝つクリスマスアイランドが先頭に立った。本馬は中団に位置取りし、徐々に前方に進出。直線に入ると後に日本の大種牡馬となる愛ナショナルSの勝ち馬パーソロンがいったんは先頭に立ち、それをガリニュールSの勝ち馬ヴィクモシュロワが一気にかわした。しかし次の瞬間にスパートした本馬が、ヴィクモシュロワを残り1ハロン地点で並ぶ間もなくかわすと、そのまま2着ヴィクモシュロワや3着となった後の本邦輸入種牡馬タイガー以下に2馬身半差をつけて完勝を収めた。しかも本馬はレース中に蹄鉄が1つ外れており、裸足で走っていたことが判明。着差以上の強さを感じさせる内容であった。しかし世間は本馬の勝利を「レルコが回避したから勝てた」という見方をしていた。

この評価を覆したのが、次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(T12F)だった。アスコット金杯を勝ってきたトワイライトアリー、英2000ギニー・キングエドワードⅦ世Sを連勝してきたオンリーフォアライフ、タイムフォーム金杯・ウェストベリーS・ハードウィックSの勝ち馬でエクリプスS2着・英セントレジャー3着のミラルゴなどが対戦相手となった。トワイライトアリーに1番人気を譲って単勝オッズ5倍の2番人気での出走となった本馬だが、レースではたいして本気を出す場面も無く、2着ミラルゴに4馬身差、3着タークォガンにはさらに5馬身差をつけて快勝した。

次走のグレートヴォルティジュールS(T12F)では、前走8着のオンリーフォアライフに加えて、英ダービーで本馬に先着したマーチャントヴェンチャラーが対戦相手となった。しかし単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された本馬が、オンリーフォアライフを頭差の2着に、マーチャントヴェンチャラーをさらに6馬身差の3着に抑えて勝利した。

そして迎えた英セントレジャー(T14F132Y)では、オンリーフォアライフ、ロイヤルロッジSの勝ち馬でタイムフォーム金杯3着のスターモス、グリーナムSの勝ち馬でキングエドワードⅦ世S3着のファイティングシップなどが対戦相手であり、地元仏国のロワイヤルオーク賞に向かったレルコの姿は無かった。レルコが不在なら本馬に敵う馬はおらず、単勝オッズ1.4倍の1番人気に応えて、馬なりのまま走り、2着スターモスに6馬身差をつけて圧勝した。

3歳時の成績は7戦4勝だった。英タイムフォーム社のレーティングでは137ポンドという高評価が与えられ、これは同年に136ポンドだったレルコより高かった。また、管理するプレンダーガスト師は同年の英オークスをノーブレス(名繁殖牝馬スライトリーデンジャラスの祖母)で勝つなど活躍し、愛国の調教師として史上初の英国平地首位調教師に輝くという快挙も達成(1965年まで3年連続で獲得)。また、この年は10年ぶりの愛国平地首位調教師も獲得した。

競走生活(4歳時)

4歳時も現役を続行し、まずは愛国ナース競馬場で行われたアーデンオードS(T12F)から始動して4馬身差で楽勝。しかし5月のロイヤルホイップS(T12F)では、不良馬場に脚を取られた上に道中で負傷してしまい、後の本邦輸入種牡馬カシム、カンバーランドロッジSの勝ち馬ウィリートラウトの2頭に後れを取って、勝ったカシムから5馬身3/4差の3着とまさかの敗北を喫した。

少し休養して怪我を癒した本馬は、エクリプスS(T10F)に出走した。ここでは、この年の英2000ギニー馬で、同年の英チャンピオンSも勝つボールドリック(後に日本に種牡馬として輸入され、天皇賞秋を勝ちジャパンCで日本馬として初めて連対したキョウエイプロミスなどを出している)が強敵だった。しかし本馬が2着ボールドリックに1馬身半差、2年連続3着となったタークォガン(翌年のケンブリッジシャーHを129ポンドという同競走の勝ち馬としては滅多に見られない重い斤量で勝利している)にはさらに6馬身差をつけて勝利した。

その後は秋の凱旋門賞(T2400m)に直行した。仏ダービー・リュパン賞・クリテリウムドサンクルーの勝ち馬ルファビュリュー、愛2000ギニー・英ダービー・愛ダービーの勝ち馬サンタクロース、この年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬ナスラム、ジャックルマロワ賞の勝ち馬ラバンバ、パリ大賞の勝ち馬ホワイトラベル、ロワイヤルオーク賞の勝ち馬バルビエリ、ヴェルメイユ賞の勝ち馬アスタリア、イスパーン賞の勝ち馬ジュールエニュイ、サンタラリ賞・仏オークスの勝ち馬ベルシカンブル、ミラノ大賞の勝ち馬プリンスロイヤルなどが対戦相手となり、この年の欧州競馬の総決算に相応しい豪華メンバーとなった。この中で本馬はルファビュリューに次ぐ2番人気に推された。しかし道中で馬場の窪みに脚を取られて体勢を崩してしまい、そのまま挽回できずに、プリンスロイヤルの着外に敗退。このレースを最後に4歳時4戦2勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Ribot Tenerani Bellini Cavaliere d'Arpino Havresac
Chuette
Bella Minna Bachelor's Double
Santa Minna
Tofanella Apelle Sardanapale
Angelina
Try Try Again Cylgad
Perseverance
Romanella El Greco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Gay Gamp Gay Crusader
Parasol
Barbara Burrini Papyrus Tracery
Miss Matty
Bucolic Buchan
Volcanic
Fantan Ambiorix Tourbillon Ksar Bruleur
Kizil Kourgan
Durban Durbar
Banshee
Lavendula Pharos Phalaris
Scapa Flow
Sweet Lavender Swynford
Marchetta
Red Eye Petee-Wrack Wrack Robert le Diable
Samphire
Marguerite Celt
Fairy Ray
Charred Keg Stimulus Ultimus
Hurakan
Jug of Wine Omar Khayyam
Tea Biscuit

リボーは当馬の項を参照。

母ファンタンは現役成績6戦2勝。ファンタンの祖母レッドアイはガゼルHの勝ち馬。本馬の半妹エラマリータ(父レッドゴッド)【フレッドダーリンS・ムシドラS】の子にはマリエル【プリティポリーS(愛GⅡ)】、マリエルの子にはサラシドンス【愛1000ギニー(愛GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)】、サラシドンスの子にはセイムアヒックス【グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)】、プリンセスパティ【愛オークス(愛GⅠ)・プリティポリーS(愛GⅡ)】がいる。サラシドンスの曾孫にはレッジェーラ【ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、エクセレブレーション【ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】もいる。本馬の全妹オーファは5歳時に南アフリカに輸出され、彼の地における大競走を勝ちまくったポリティシャン【ケープギニー(南GⅠ)・ケープダービー(南GⅠ)・ホースチェスナットS(南GⅠ)・ダーバンジュライ(南GⅠ)・J&Bメトロポリタン(南GⅠ)2回・SAクイーンズプレート(南GⅠ)2回・グレイヴィルチャンピオンS(南GⅠ)・ターフフォンテンチャンピオンS(南GⅠ)】を産んだ。オーファの牝系子孫は現在も南アフリカに残っており、トップセラー【ケープダービー(南GⅠ)】などが出ている。→牝系:F9号族②

母父アンビオリクスはトウルビヨンの直子で、仏グランクリテリウム・リュパン賞を制した名競走馬で、1961年の北米首位種牡馬にも輝いた名種牡馬でもあった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国で種牡馬入りした。かなり優秀な種牡馬成績を挙げたが、惜しくも1973年に13歳という若さで他界した。母父としては日本の名種牡馬ミルジョージを輩出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1966

Caliban

コロネーションC

1967

Amphora

ランカシャーオークス(英GⅢ)

1968

Frascati

セントサイモンS(英GⅢ)

1968

Homeric

モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ)・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)・リングフィールドダービートライアルS(英GⅢ)

1968

Juggernaut

ホワイトローズS(英GⅢ)

1968

Lombardo

プレイヤーウイルズS(愛GⅡ)

1969

Ballymore

愛2000ギニー(愛GⅠ)・ニジンスキーS(愛GⅡ)

1970

Duke of Ragusa

ゴードンS(英GⅢ)

1970

Morston

英ダービー(英GⅠ)

1970

Ragstone

アスコット金杯(英GⅠ)・ヘンリーⅡ世S(英GⅢ)

1972

Zimbalon

オーモンドS(英GⅢ)

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