ベッドオローゼズ

和名:ベッドオローゼズ

英名:Bed o'Roses

1947年生

鹿毛

父:ローズモント

母:グッドシング

母父:ディスカヴァリー

酷使に耐えながら米最優秀2歳牝馬・最優秀ハンデ牝馬に選ばれるも繁殖入り1年足らずで他界した薄幸の名牝

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績46戦18勝2着8回3着6回

誕生からデビュー前まで

米国競馬界の重鎮アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルトⅡ世氏がメリーランド州に所有するサガモアファームで生産された。サガモアファームの名義で競走馬となり、ウィリアム・C・ウィンフリー調教師に預けられた。主戦はエリック・ゲリン騎手が務めた。この生産者・馬主・調教師・主戦騎手の組み合わせは、本馬より3歳年下のネイティヴダンサーと全く同じである。

競走生活(2歳時)

2歳時の早い段階で競走馬デビュー。5月にベルモントパーク競馬場で出走したファッションS(D4.5F)では、後にベルモントS・トラヴァーズS・ホープフルS・カウディンSなどを勝つ名馬ジャイプールの母、英ダービー馬ゴールデンフリースや名種牡馬ビーマイゲストの曾祖母となるレアパフュームの2着に敗れた。それから18日後に出走したナショナルスタリオンS(D5F)でステークス競走の初勝利を挙げた。それから僅か3日後にはガーデンステート競馬場でランコーカスS(D5F)に出走して、59秒4のレースレコードを計時して勝利した。さらにそれから7日後にはデラウェアパーク競馬場でポリードルモンドS(D5F)に出走。分割競走となったため対戦相手の層は薄くなったはずだが、前走ランコーカスSで3着だったブライダルシャワーの2着に敗れてしまった。それから14日後にはアケダクト競馬場でアストリアS(D5.5F)に出走したが、ベイビーコメットの2着に敗退。それから16日後にモンマスパーク競馬場で出走した7月のコリーンS(D5.5F)も分割競走となり、ここでは勝利を収めた。その僅か5日後にはアーリントンパーク競馬場に出向いてアーリントンラッシーS(D6F)に出走したが、ダッチェスペグの3着に敗れた。9月にはベルモントパーク競馬場でメイトロンS(D6F)に出走。このレースには大繁殖牝馬ラトロワンヌの孫で歴史的名牝ブッシャーの全妹に当たるストライキングという期待馬も出走していたが、本馬が勝利を収めた。

翌10月にローレルパーク競馬場で出走したセリマS(D8.5F)には、メイトロンSで3着だったストライキングに加えて、そのストライキングの従姉妹に当たるブサンダ(バックパサーの母)も出走してきて、本馬とラトロワンヌの孫2頭の対決となった。結果は本馬がストライキングを2着に、ブサンダを3着に破って勝利を収めた。その7日後にピムリコ競馬場で出走したマーガレットS(D8.5F)でも、ストライキングを2着に破って勝利した。それから10日後にジャマイカ競馬場で出走したデモワゼルS(D8.5F)では、ネクストムーヴを2着に、レアパフュームを3着に破って勝利。

資料不足のためここには11戦しか挙げられなかったが、実際にはその2倍近い21戦という、現在ではまず考えられないほど過酷な過密日程を2歳時に消化している。陣営の酷使には違いないが、時代が米国競馬の全盛期だった事や、馬主のヴァンダービルトⅡ世が第二次世界大戦の従軍から無事帰還して趣味の競馬に一層没頭するようになっていた事も影響しているかもしれない。2歳時の成績は21戦9勝で、この年の2歳牝馬フリーハンデでは2位に4ポンド差をつけてトップにランクされ、米最優秀2歳牝馬に選ばれた。

競走生活(3歳時)

3歳時も休まずに出走を続けたと思われるが、シーズン序盤は不調だったのか、ステークス競走入着歴は皆無であり、エイコーンSやCCAオークスなどにも出走したかどうかは分からない。本馬の名前が再び表舞台に現れてきたのは3歳7月以降である。

アケダクト競馬場で出走したガセルS(D8.5F)では、プライオレスS・CCAオークス・デラウェアオークスを勝ちエイコーンSで2着してきた前年のデモワゼルS2着馬ネクストムーヴと戦ったが、2着に敗れた。それから12日後には牡馬相手のアーリントンクラシックS(D10F)に出走。ここではドワイヤーSを勝ってきたジャージーS2着馬グリークソングの2着に敗れたが、米国西海岸から遠征してきたデルマーフューチュリティ・カリフォルニアブリーダーズチャンピオンS・サンフェリペS・サンタアニタダービー・ケントSなどの勝ち馬ユアホストには先着する健闘を見せた。翌8月にはこれまた牡馬相手のトラヴァーズS(D10F)に出走。ここではレムセンS・ピーターパンSの勝ち馬でベルモントS2着のライツアップが勝利を収め、本馬は惜しくも2着に敗れた。

翌9月に出走したローレンスリアライゼーションS(D13F)では、3歳にしてメトロポリタンHを勝った他にフラッシュS・メイフラワーS・ルイジアナダービー・モンマスHを勝ちジェロームHで2着してきたグリークシップ、シャンペンS・バハマズSの勝ち馬でベルモントフューチュリティS・エヴァーグレーズS2着のセオリーといった同世代の有力牡馬が参戦してきたが、本馬がグリークシップを2着に、セオリーを3着に破って優勝。牡馬相手のステークス競走を初めて勝利した。同競走を牝馬が勝ったのは、1919年のヴェクサティウス、1927年のニンバ以来23年ぶり史上3頭目だった。暮れには米国西海岸に遠征して、ダート7ハロンの一般競走に出走。1分21秒6のコースレコードを計時して勝利した。しかし3歳時の成績は12戦5勝に留まり、19戦11勝の成績を挙げたネクストムーヴに米最優秀3歳牝馬の座は譲ることになった。

競走生活(4歳時)

4歳時は引き続きサンタアニタパーク競馬場から始動。まずはサンタマルガリータ招待H(D9F)に出走して、アーリントンラッシーS・ワシントンフューチュリティ・アッシュランドS・アッシュランドS・ヴァインランドH・ブラックヘレンHを勝っていた2歳年上の名牝ビウィッチと対決。しかしここではサンタスサナSを勝っていたスペシャルタッチが勝利を収め、ビウィッチは2着、本馬は3着に敗れた。その後は牡馬相手のサンタアニタマチュリティS(D10F)に出走。ここではシネマH・デルマーダービーの勝ち馬でサンフェリペS・ゴールデンゲートダービー2着・サンタアニタダービー3着のグレートサークルが勝利を収め、グレイラグHの勝ち馬でフラミンゴS2着のロトホワイトが2着で、本馬は3着だった。しかし2歳時からの酷使の影響なのかこのレース後に本馬は故障してしまい、長期休養入りした。

7か月の休養を経て9月に復帰すると、ベルデイムH(D9F)で、エイコーンS・デラウェアオークス・アラバマS・ガゼルHを勝ちCCAオークスで2着していた3歳牝馬キスミーケイトと対決。ここでは伏兵のテルマバーガー(エクリプス賞年度代表馬ブラックタイアフェアーの4代母)が勝利を収め、本馬は2着に敗れたが、3着キスミーケイトには先着した。翌10月にベルモントパーク競馬場で出走したレディーズH(D12F)でも、キスミーケイトとの対戦となった。ここではモリーピッチャーHを勝っていたマータが勝ち、本馬が2着、キスミーケイトは3着だった。それから僅か10日後にはガーデンステート競馬場でヴァインランドH(D8.5F)に出走して、トップハンデを克服して勝利を収め、前年のローレンスリアライゼーションS以来1年以上ぶりのステークス競走勝利を挙げた。それから僅か7日後にはジャマイカ競馬場でウエストチェスターH(D9F)に出走して再度牡馬に挑んだ。しかしこの年のピムリコスペシャルの勝ち馬ブライアンジー、ディキシーH・マンハッタンHの勝ち馬でピムリコスペシャル2着・ブルックリンH・サバーバンH3着のカウンティディライトの2頭に敗れて3着に終わった。それからさらに10日後にはカムリーH(D8.5F)に出走。ここでもトップハンデを課されたが、この年のエイコーンSの勝ち馬ノーサードチャンス(大種牡馬ヘイルトゥリーズンの母)を2着に破って勝利した。

4歳時の成績は10戦3勝だったが、牡馬相手のサバーバンH・サラトガCとデラウェアH・トップフライトHなどを勝って23戦5勝の成績を挙げたブサンダ、ベルデイムH3着後にジョッキークラブ金杯で3着するなど13戦5勝の成績を挙げたキスミーケイト、ベンアリH・クラークH・ワーラウェイS・ビヴァリーHを勝つなど14戦4勝の成績を挙げた一昨年のケンタッキーオークス・ピムリコオークス・CCAオークスの勝ち馬ウィストフル、ヴァニティHを勝ちハリウッド金杯でサイテーションの2着して北米賞金女王に輝いた15戦2勝のビウィッチといった錚々たるメンバーを抑えて、この年の米最優秀ハンデ牝馬に単独で選ばれた。

競走生活(5歳時)

5歳時も現役を続け、前年と同じく米国西海岸から始動。1月のサンタマルガリータH(D9F)では、前年は不調だったがこの年にベルデイムHを勝つなど復活して米最優秀ハンデ牝馬に選ばれるネクストムーヴを2着に従えて勝利した。さらに翌月のアンアントニオH(D9F)で牡馬に挑戦。しかし前年のサンフェリペSの勝ち馬でブルーグラスS2着のフィルディー、サンタアニタマチュリティSを勝ってきたインテントの2頭の牡馬に敗れて3着だった。次走のサンタアニタH(D10F)では、インテントがイングルウッドHの勝ち馬ミッシュを抑えてトップゴールしたが進路妨害で2着に降着。ミッシュが繰り上がって勝利馬となり、サンフアンカピストラーノ招待H・ワシントンバースデイH・アーゴノートH・サンパスカルHの勝ち馬ビーフリートが3着で、本馬は4着だった。5歳時の現役続行は繁殖入り前の最後の走りであり、サンタアニタHを最後に3戦1勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Rosemont The Porter Sweep Ben Brush Bramble
Roseville
Pink Domino Domino
Belle Rose
Ballet Girl St. Leonards St. Blaise
Belladonna
Cerito Lowland Chief
Merry Dance
Garden Rose Colin Commando Domino
Emma C.
Pastorella Springfield
Griselda
Garden of Allah Star Shoot Isinglass
Astrology
Frances Hindoo Hindoo
Francesca
Good Thing Discovery Display Fair Play Hastings
Fairy Gold
Cicuta Nassovian
Hemlock
Ariadne Light Brigade Picton
Bridge of Sighs
Adrienne His Majesty I
Adriana
Little Sleeper Challenger Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Sword Play Great Sport
Flash of Steel
Laura Gal Sir Gallahad Teddy
Plucky Liege
Laura Dianti Wrack
Lady Errant

父ローズモントは現役成績23戦7勝、主な勝ち鞍はサンタアニタH・イースタンショアH・ウィザーズS・ナラガンセットスペシャル・サンアントニオH。サンタアニタHではシービスケットとの接戦を制して勝利している。ローズモントの父ザポーターはスウィープ産駒で、アーヴルドグレイスH・インオーギュラルH・ハーフォードカウンティH・ローレルH・アナポリスH・ブルーアンドグレイハイウェイトHなどを制した中堅ハンデキャップホース。

母グッドシングは名馬シャルドン【プリークネスS・ピムリコフューチュリティ・アーリントンクラシックS・ホーソーン金杯H・ピムリコスペシャル2回・ハリウッド金杯・ホイットニーS】の2歳年上の全姉リトルスリーパーの娘で、現役成績30戦7勝、ガゼルSで2着している。シャルドン以外に近親にはあまり活躍馬は見当たらない。28歳まで長生きしたグッドシングは本馬を含めて9頭の牝駒を産んだ。その牝系子孫はそれほど発展していないが今世紀にも残っている。本馬の全妹ラップオラグジュアリーの牝系子孫には日本で走ったエイシンクリバーン【北國王冠・スプリングC】が、全妹ロージープロスペクトの牝系子孫には同じく日本で走ったディスコホール【桜花賞トライアル四歳牝馬特別(GⅡ)・テレビ東京賞三歳牝馬S(GⅢ)】がいる。→牝系:F12号族①

母父ディスカヴァリーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

5歳時に競走馬を引退した本馬は、すぐに繁殖入りし、初年度はカウントフリートと交配されて受胎した。ところが翌年の1月、本馬は器質性疾患により急死してしまった。遺体はサガモアファームに埋葬された。器質性疾患の具体的な内容が資料に記載されていないため、身体のどの部分にどのような異常が発生して死に至ったのかは分からない。感傷的な記者ならば、「現役時代の酷使が原因ではないか」などと書きたてるところであるが、酷使が原因であるという証拠は何も無い(逆に言えば、酷使が原因ではないという証拠も何も無い)ので、書かないでおく。確実なのは、本馬は1頭の子を産む事も無く、僅か6年という短い生涯を終えた事だけである。ネイティヴダンサーがケンタッキーダービーで敗れたのは本馬の死から4か月後の事だった。1976年に米国競馬の殿堂入りを果たしたのが唯一の慰めであろうか。

TOP