ハンセル

和名:ハンセル

英名:Hansel

1988年生

鹿毛

父:ウッドマン

母:カウントオンボニー

母父:ダンシングカウント

父ウッドマンの初年度産駒として父の種牡馬としての名声を高めたプリークネスS・ベルモントSの優勝馬

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績14戦7勝2着2回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国の馬産家マーヴィン・リトル・ジュニア氏により米国ヴァージニア州において生産された。1歳9月のキーンランドセールに出品され、米国の銀行家ジョー・ルイス・オールブリトン氏により15万ドルで購入された。オールブリトン氏はかつてイザベル・ドッジ・スローン女史(カヴァルケイドソードダンサーボウルオブフラワーズなどの所有者)が所有していたヴァージニア州ブルックミードスタッドを彼女の死後に購入してレイジーレーンファームと改名していた。本馬はレイジーレーンファーム名義で競走馬となり、米国フランク・L・ブラザーズ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にアーリントンパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦で、ランディ・ロメロ騎手を鞍上にデビューして、2着バンディートバーニーに3馬身半差をつけて勝ち上がった。翌7月にベルモントパーク競馬場で出走したトレモントBCS(GⅢ・D5.5F)でもロメロ騎手とコンビを組み、2着バーモントに3馬身差をつけて楽勝した(後のベイショアSの勝ち馬ステートリーウェイジャーが3着だった)。

翌8月にモンマスパーク競馬場で出走したサプリングS(GⅡ・D6F)では、主戦となるパット・デイ騎手を鞍上に迎えて、ハリウッドジュヴェナイルCSSを勝ってきたデポジットチケットを抑えて1番人気に支持された。しかし重馬場に脚を取られて伸びを欠き、デポジットチケット、タイロSの勝ち馬アラスカンフロストの2頭に後れを取り、勝ったデポジットチケットから5馬身1/4差をつけられた3着に敗退した。次走のホープフルS(GⅠ・D6.5F)でも生憎の重馬場となり、デポジットチケットの4馬身半差2着に終わった。

9月に出走したアーリントンワシントンフューチュリティ(GⅡ・D8F)では、直線で進路を失いながらも何とか抜け出して、2着ワレサに首差で勝利した。しかしその後の調教中に負傷したために2歳戦の出走はこれで終了となり、その後の2歳主要競走には参戦しなかった。なお、トレモントBCSで本馬の4着に敗れたフライソーフリーが、その後のBCジュヴェナイル・シャンペンSを勝利している。本馬の2歳時の成績は5戦3勝だった。

競走生活(3歳初期)

3歳時はフロリダ州ガルフストリームパーク競馬場から始動し、まずは2月のファウンテンオブユースS(GⅡ・D8.5F)に出走した。ここでは、前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれていたフライソーフリーと2度目の顔合わせとなった。前走ハッチソンSを勝ってきたフライソーフリーが122ポンドのトップハンデでも単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、レムセンS2着・シャンペンS・ヤングアメリカS3着のザボーディネィテッドデブが113ポンドの軽量を買われて単勝オッズ5.7倍の2番人気、119ポンドの本馬は単勝オッズ7.1倍の3番人気だった。レースでは好位を先行したフライソーフリーが直線独走で6馬身差の圧勝劇を演じた一方で、馬群の中団後方につけていた本馬は鼻出血を発症したために直線で伸びずに、フライソーフリーから11馬身1/4差の5着に敗れた。

次走のフロリダダービー(GⅠ・D9F)では、フライソーフリーが単勝オッズ1.4倍の1番人気、トロピカルパークダービー・シティオブマイアミS・クリプトクリアランスSなど4連勝中のジャッキーワッキーが単勝オッズ4倍の2番人気、本馬が単勝オッズ8.4倍の3番人気となった。レースではやはりフライソーフリーが好位を進み、本馬はそれを見るように5番手につけた。そしてフライソーフリーが上がっていくと、本馬も追撃を開始したが、フライソーフリーに迫ったのは本馬ではなく、最後方から追い込んできた単勝オッズ11倍の4番人気馬ストライクザゴールドだった。レースはフライソーフリーが勝ち、ストライクザゴールドが1馬身差の2着、本馬はストライクザゴールドから4馬身後方の3着に敗れた。

フロリダ州では振るわなかった本馬だが、それでも陣営は本馬のケンタッキーダービー出走を諦めず、フロリダダービーから2週間後にケンタッキー州ターフウェイパーク競馬場で行われたジムビームS(GⅡ・D9F)に本馬を向かわせた。イロコイS・ケンタッキージョッキークラブS・ルイジアナダービーの勝ち馬リッチマン、サンラファエルSで2着してきたサンミゲルS・カリフォルニアブリーダーズチャンピオンSの勝ち馬アポロ、ケンタッキージョッキークラブS2着馬ディスカヴァー、ファウンテンオブユースSで3着だったザボーディネィテッドデブ、BCジュヴェナイル3着馬ロストマウンテンなどが出走してきた。リッチマンが単勝オッズ2.5倍の1番人気、アポロが単勝オッズ4.2倍の2番人気、ディスカヴァーが単勝オッズ5.4倍の3番人気で、本馬は単勝オッズ5.6倍の4番人気だった。

デイ騎手がリッチマンを選択したため、本馬にはジェリー・ベイリー騎手が騎乗した。今までは後方からレースを進めることが多かった本馬だが、ベイリー騎手は本馬を3番手で先行させた。この新戦法が決まり、リッチマンに直線入り口で並びかけると突き放し、最後は2馬身半差をつけて完勝。勝ちタイム1分46秒6はコースレコードだった。これ以降、本馬の鞍上は全てベイリー騎手が務める事になった。

次走のレキシントンS(GⅡ・D8.5F)では、タンパベイダービーを勝ってきたスピーディーキュアくらいしか目立つ対戦相手がおらず、本馬が他馬勢よりも3~9ポンド重い斤量ながらも単勝オッズ1.3倍という圧倒的な1番人気に支持され、118ポンドのスピーディーキュアが単勝オッズ4.5倍の2番人気となった。レースでは2番手につけて四角で先頭に立ち、そのまま後続を引き離すという走りを披露。最後は2着となった単勝オッズ8.1倍の3番人気馬ショットガンハリージェイに9馬身差をつけて圧勝した。この勝ち方により本馬はケンタッキーダービーの最有力候補に躍り出た。

競走生活(米国三冠競走)

そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、フロリダダービーを勝った後に出走したブルーグラスSで2着だったフライソーフリー、そのブルーグラスSを勝ってきたストライクザゴールド、ハリウッドフューチュリティ・ノーフォークS・デルマーフューチュリティ・バルボアSの勝ち馬でサンタアニタダービー2着のベストパル、レベルS・アーカンソーダービーで連続2着してきた上がり馬コーポレートリポート、サンフェリペS・エルカミノリアルダービーの勝ち馬でサンタアニタダービー3着のシーカデット(翌年にドンH・ガルフストリームパークH・メドウランズCHとGⅠ競走を3勝)、ダービートライアルSを勝ってきたアリダヴィド、レベルSの勝ち馬クインタナ、ジムビームSで本馬の5着に敗れた後にウッドメモリアルSで2着してきたロストマウンテン、サンタカタリナSの勝ち馬でサンタアニタダービー4着のメインミニスター、シャンペンS2着・ウッドメモリアルS3着・BCジュヴェナイル4着のハッピージャズバンド、カリフォルニアダービーを勝ってきたグリーンアリゲーターなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持され、フライソーフリーが単勝オッズ4.3倍の2番人気、ストライクザゴールドが単勝オッズ5.8倍の3番人気、ベストパルが単勝オッズ6.2倍の4番人気、コーポレートリポートが単勝オッズ9.7倍の5番人気と続いた。

スタートが切られると、シーカデット、コーポレートリポートなどが先頭争いを演じ、フライソーフリーがそれらを見るように4番手、本馬はその直後6番手の好位につけた。そして向こう正面から位置取りを上げて四角で先頭に並びかけていった。ところが終始外側を走らされた影響なのか、直線に入ると全く伸びずに、次々と後続馬に追い抜かれてしまった。結局は後方から追い込んできたストライクザゴールドが2着ベストパルに1馬身3/4差で勝利を収め、本馬はストライクザゴールドから11馬身3/4差をつけられた10着と惨敗。上位4頭は後方からレースを進めた馬が占め、先行勢ではフライソーフリーの5着が最高と、どうも前の馬には厳しいレースとなったようである。

この結果を受けて、ブラザーズ師はプリークネスSの回避を検討したが、調教中の動きが良かった事と、調教の手助けをしていたジャック・ヴァン・バーグ調教師(名馬アリシーバの管理調教師として知られており、既に米国競馬の殿堂入りも果たしていた)に勧められたこともあって、出走する事になった。

しかしプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では当然評価を落として、単勝オッズ10.1倍の4番人気。単勝オッズ2.8倍の1番人気はストライクザゴールドで、単勝オッズ3.4倍の2番人気はケンタッキーダービーに不出走だったアーカンソーダービー・ハリウッドプレビューBCS・サンヴィンセントBCSの勝ち馬オリンピオ、単勝オッズ3.7倍の3番人気がベストパルで、概ねこの3頭による争いと目されていた。他の出走馬は、前走で3着に健闘していたメインミニスター、前走で9着だったコーポレートリポート、ダービートライアルS2着のオナーグレイズ(サマースコールの1歳年下の半弟で、エーピーインディの1歳年上の半兄)などだった。

スタートが切られると単勝オッズ12.2倍の5番人気馬コーポレートリポートが先頭に立ち、オリンピオが2番手、本馬が3番手につけ、ベストパルは馬群の中団後方、ストライクザゴールドはやはり最後方待機策を採った。やがて三角に入ると本馬がコーポレートリポートに並びかけ、後方からベストパルやストライクザゴールドも進出を開始した。しかし四角で先頭に立った本馬が直線で後続馬をどんどん引き離し、2着に粘ったコーポレートリポートに7馬身差をつけて圧勝。前走の大敗は何だったのかと思わせるほどの勝ち方だった。コーポレートリポートから2馬身3/4差の3着にメインミニスターが入り、オリンピオは4着、ベストパルは5着、ストライクザゴールドは6着と、上位人気3頭はいずれも完敗した。

次走のベルモントS(GⅠ・D12F)では、ストライクザゴールド、コーポレートリポート、メインミニスター、ケンタッキーダービー12着後にピーターパンSを勝ってきたロストマウンテン、ウィザーズSを勝ちジャージーダービーで2着してきたザボーディネィテッドデブ、ケンタッキーダービー4着から直行してきたグリーンアリゲーター、カウディンS・レムセンSの勝ち馬でウィザーズS2着・ピーターパンS3着のスキャンなどが対戦相手となった。ストライクザゴールドが単勝オッズ3.2倍の1番人気となる一方で、ファウンテンオブユースSで発症した鼻出血の再発を防止するために鼻出血防止剤のラシックスを使用していた本馬にとっては、ラシックスが禁止されているニューヨーク州にあるベルモントパーク競馬場のレースは不利という事で、グリーンアリゲーターと並んで単勝オッズ5.1倍の2番人気に留まった。

スタートが切られると単勝オッズ100.1倍の最低人気馬アナザーレビューが先頭に立ち、コーポレートリポートが2番手、メインミニスターが3番手、本馬が4番手で、ストライクザゴールドとグリーンアリゲーターは最後方につけた。向こう正面でアナザーレビューが後退していくと、入れ代わりに本馬が進出して三角で先頭に立った。そしてそのまま先頭で直線に入って押し切りを図った本馬を目掛けて、四角で一気に位置取りを上げてきたストライクザゴールドが外側から猛然と襲い掛かってきた。しかし最後は本馬がストライクザゴールドを頭差抑えて勝利した。ちなみにストライクザゴールドから3馬身差の3着だったメインミニスターは、米国三冠競走で全て3着という、誇れるような、誇れないような珍記録を樹立している。

競走生活(3歳後半)

次走のハスケル招待H(GⅠ・D9F)では、ベルモントS4着後にスワップスSでベストパルの2着してきたコーポレートリポート、ベルモントS7着後にドワイヤーSを勝ってきたロストマウンテン、オハイオダービーを勝ってきたプライヴェートマン、ロングブランチSを勝ってきたサルトリーソング(翌年にハリウッド金杯・ホイットニーH・ウッドワードSを勝利)の4頭が対戦相手となった。126ポンドのトップハンデを課された本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気、120ポンドのコーポレートリポートが単勝オッズ4.5倍の2番人気、118ポンドのロストマウンテンが単勝オッズ6.8倍の3番人気、118ポンドのプライヴェートマンが単勝オッズ6.9倍の4番人気となった。レースではやはりコーポレートリポートが先手を取り、本馬はサルトリーソングと共に2番手を追走した。しかし斤量差が響いたのか、三角に入ると徐々にコーポレートリポートに引き離されていき、さらに最後方から来たロストマウンテンにも瞬く間にかわされてしまった。最後はロストマウンテンが2着コーポレートリポートを頭差抑えて勝ち、本馬はコーポレートリポートから実に13馬身も離された3着に敗れてしまった。

続くトラヴァーズS(GⅠ・D10F)は僅か6頭立てのレースながら、本馬、ベルモントS2着後に出走したジムダンディSで3着だったストライクザゴールド、ケンタッキーダービー5着後にリヴァリッジS・ジムダンディSを勝っていたフライソーフリー、ロストマウンテン、コーポレートリポートという同世代の中核馬5頭が一堂に会するハイレベルな戦いとなった。ストライクザゴールドが単勝オッズ2.7倍の1番人気、トラヴァーズSがニューヨーク州サラトガ競馬場で行われるためラシックス使用不可の本馬が単勝オッズ2.9倍の2番人気、フライソーフリーが単勝オッズ5.1倍の3番人気、ロストマウンテンが単勝オッズ7.3倍の4番人気、コーポレートリポートが単勝オッズ8.3倍の5番人気となった。

スタートが切られるとコーポレートリポートが逃げを打ち、本馬が2番手、フライソーフリーが3番手、ロストマウンテンが後方2番手、ストライクザゴールドが最後方と、各馬共に得意の位置取りでレースを進めた。有力5頭の中では最も人気薄のコーポレートリポートだったが、このレースにおける逃げは非常に快調であり、手応えも良かった。そのために各馬の差は徐々に広がり始めた。このままコーポレートリポートを逃がしてはまずいと本馬が三角で仕掛けてコーポレートリポートに並びかけ、2頭が並んで直線に入ってきた。そして直線ではこの2頭による叩き合いとなり、いったんは本馬が前に出る場面もあったが、最後にコーポレートリポートが差し返して勝利を収め、本馬は首差の2着に敗れた。本馬から2馬身半差の3着にフライソーフリー、さらに3馬身差の4着にストライクザゴールド、さらに1馬身半差の5着にロストマウンテンという結果となった。

そしてゴール直後に本馬鞍上のベイリー騎手が下馬。左前脚の靭帯損傷と診断された本馬は、そのまま現役引退となってしまった。それでも3歳時9戦4勝の成績を収め、この年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬を受賞した。

血統

Woodman Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Gold Digger Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
プレイメイト Buckpasser Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
Intriguing Swaps Khaled
Iron Reward
Glamour Nasrullah
Striking
Count on Bonnie Dancing Count Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Snow Court キングスベンチ Court Martial
King's Cross
Snow Cloud Torbido
Snowbird
Buena Notte Victoria Park Chop Chop Flares
Sceptical
Victoriana Windfields
Iribelle
Midinette Tantieme Deux-Pour-Cent
Terka
Milonga Arco
Michela

ウッドマンは当馬の項を参照。本馬は父の初年度産駒で、同世代の欧州2歳王者ヘクタープロテクターとともに当初無名だった父の名を一気に高める功労馬となった。

母カウントオンボニーは不出走馬だが、本馬の全弟ラヒント【コノートC(加GⅢ)】も産んでいる。カウントオンボニーの半姉カムニアー(父ニアークティック)の孫にはクリプトクローザー【加プリンスオブウェールズS】がいる。母系は加国の土着血統ではなく、伊国から加国に輸入されたものである。カウントオンボニーの4代母ミケーラは伊オークス馬で、ミケーラの半妹ミカの牝系子孫にはモンドリアン【独ダービー(独GⅠ)・ベルリン銀行大賞(独GⅠ)・アラルポカル(独GⅠ)2回・バーデン大賞(独GⅠ)2回・オイロパ賞(独GⅠ)】がいる。ミケーラの母ミケロッツァの半兄にはメソニエ【伊ダービー】、ミケランジェロ【伊ダービー・イタリア大賞】、メロッツォダフォルリ【伊グランクリテリウム・伊ダービー】の伊ダービー3兄弟がいる。ミケロッツァの母ファウスタは伊ダービー3兄弟を産んだ名繁殖牝馬であるだけでなく、自身も伊グランクリテリウム・伊ダービー・伊オークスを勝った名競走馬だった。他にも近親には伊国の大競走の勝ち馬が何頭もいるなど、20世紀前半の伊国競馬における最高級の名門牝系だった。本馬の牝系出身馬で日本に馴染みがある馬としては、カウントオンボニーの祖母ミディネットの半妹マラガの子孫である、白毛馬ユキチャン【関東オークス(GⅡ)・クイーン賞(GⅢ)・TCK女王盃(GⅢ)】が筆頭格か。→牝系:F2号族①

母父ダンシングカウントは1戦1勝と凡庸な競走馬だったが、その父は大種牡馬ノーザンダンサー、母スノーカウントも英セントレジャートライアルなどの勝ち馬という血統を買われて種牡馬入りを果たしている。産駒には21頭のステークスウイナーがいるが、大物競走馬は出ていない。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はドバイのシェイク・マクトゥーム殿下に購入され、米国ケンタッキー州ゲインズボロースタッドで種牡馬入りした(オールブリトン氏も権利の一部は手元に残していた)。何頭かの活躍馬こそ出したが、全体的には期待を下回る成績だった。1998年にニューヨーク州のクエストロイヤルスタッドに移動して2年間供用された後、日本に輸入されて2000年から日高スタリオンステーションで種牡馬生活を開始した。同じウッドマン産駒のヘクタープロテクターが日本で実績を上げていたためか、割と種牡馬人気は高く、初年度は67頭、2年目は59頭、3年目は47頭、4年目は88頭、5年目は69頭の繁殖牝馬を集めた。しかし産駒成績は不振であり、6年目の2005年は24頭の交配数に留まった。翌2006年に米国に戻り、現役時代の所有者オールブリトン氏が所有するレイジーレーンファームで余生を過ごすことになった。2012年にオールブリトン氏が87歳で死去した後もレイジーレーンファームに残っている。また、同年9月に1983年のプリークネスS勝ち馬デピュティッドテスタモニーが32歳で他界した後は、存命する最年長の米国三冠競走勝ち馬となっている。2015年現在で27歳だが、まだ元気にレイジーレーンファームで暮らしているようである。母父としてはコンゴウリキシオーを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1993

Magellan

アメリカンH(米GⅡ)

1995

Fruits of Love

プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)・ハードウィックS(英GⅡ)2回・ドバイシーマクラシック

1995

Loving Claim

マルセルブサック賞(仏GⅠ)

1996

Guided Tour

サンアントニオH(米GⅡ)・スティーヴンフォスターH(米GⅡ)・ワシントンパークH(米GⅡ)・ケンタッキーCクラシックH(米GⅡ)

1999

Quantum Merit

ファイアクラッカーBCH(米GⅡ)

2001

エイエムボーイ

ロータスクラウン賞(KG2)

2005

コトブキムーン

九州ジュニアグランプリ(KJ2)

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