シアンモア

和名:シアンモア

英名:Shian Mor

1924年生

鹿毛

父:バッカン

母:オーラス

母父:オービー

小岩井農場のエース種牡馬として昭和初期の日本競馬界をリードし、重賞シアンモア記念にその名を残す大種牡馬

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績14戦4勝2着2回3着2回

誕生からデビュー前まで

英国産馬で、J・S・コートールド氏の所有馬となり、英国バジル・ジャーヴィス調教師に預けられた。

競走生活

2歳時にハーストパーク競馬場で行われたトロイS(T5F)でデビューしたが、20頭立ての4着に敗れた。6月にアスコット競馬場で出た19頭立てのニューS(T5F)では、後の英シャンペンSの勝ち馬デイモン、後のミドルパークS2着馬シックル、アダムズアップルといった面々に屈して、デイモンの5着に敗れた。同月にエプソム競馬場で出た13頭立てのウッドコートS(T6F)では、バースライトの2馬身差2着に敗れたが、後の愛2000ギニー馬フォースハンド(3着)などに先着した。7月にサンダウンパーク競馬場で出た13頭立てのナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)では、英2000ギニー馬エランゴワンの半妹プリシラの首差2着と、善戦はすれども勝ち切るまでに至らないレースが続いた。7月下旬にグッドウッド競馬場で出たモールコームS(T5F)は6頭立てのレースだったが、後の英オークス馬ビームの姿もあり、決してレベルは低くなかった。しかし本馬が2着ゲイベイビーに3馬身差で勝利を収め、ようやく初勝利を挙げた。ニューマーケット競馬場で出たプレンダーガストS(T5F)では、愛ダービー馬ナイトオブザグレイル、フォースハンドなど6頭が対戦相手となったが、本馬が2着ナイトオブザグレイルに短頭差で勝利した。2歳時の出走はこれが最後で、この年の成績は6戦2勝だった。

3歳時はいきなり英2000ギニー(T8F)に出走した。結果はニューSで3着だったアダムズアップルが、ミドルパークSの勝ち馬コールボーイを短頭差の2着に、シックルをさらに半馬身差の3着に抑えて勝利を収め、本馬は23頭立ての6着だった。次走のチェスターヴァーズ(T12.5F)では、ローンナイトの着外に敗退した。しかしヨーク競馬場でランズボローS(T8F)を勝ち、英ダービー(T12F)に駒を進めた。かなりの悪天候の中で施行されたレースでは、スタートから逃げたコールボーイが2着ホットナイトに2馬身差で勝利を収めた。本馬はホットナイトから8馬身差をつけられながらも3着に入り、20頭の馬に先着した。

その後はプリンスオブウェールズS(T13F)に出走したが、愛ダービー2着馬チャントレーの着外に敗れた。7月にヨーク競馬場で出たデュークオブヨークS(T10F)では勝利した。秋は9月の英セントレジャー(T14F132Y)に参戦したが、コロネーションS・ナッソーSの勝ち馬で英1000ギニー・英オークス2着だった同父の牝馬ブックローが2着ホットナイトに3馬身差をつけて快勝し、本馬はホットナイトからさらに5馬身以上離されて、16頭立ての4着に敗退。英国クラシック競走の戴冠には手が届かなかった。同月にはニューマーケット競馬場でグレートフォールS(T10F)に出走したが、カレドンの3着に敗退。3歳時8戦2勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Buchan Sunstar Sundridge Amphion Rosebery
Suicide
Sierra Springfield
Sanda
Doris Loved One See Saw
Pilgrimage
Lauretta Petrarch
Ambuscade
Hamoaze Torpoint Trenton Musket
Frailty
Doncaster Beauty Sheen
Doncaster Belle
Maid of the Mist Cyllene Bona Vista
Arcadia
Sceptre Persimmon
Ornament
Orlass Orby Orme Ormonde Bend Or
Lily Agnes
Angelica Galopin
St. Angela
Rhoda B. Hanover Hindoo
Bourbon Belle
Margerine Algerine
Sweet Songstress
Simon Lass Simontault St. Simon Galopin
St. Angela
Datura Trumpeter
Poinsettia
Kilkenny Lass Lesterlin Gallinule
Millora
Standon Girl The Lambkin
Standon

父バッカンは現役成績17戦11勝。エクリプスS2連覇・英チャンピオンS・ドンカスターC・ジュライS・クレイヴンS・プリンセスオブウェールズS・チェスターヴァーズなどを制した一流競走馬だった。しかし、英2000ギニーではザパンサーの首差2着、英ダービーではグランドパレードの半馬身差2着、英セントレジャーではキーソーの8馬身差3着、アスコット金杯では1位入線も進路妨害で失格になるという、不運なイメージが強い馬でもあった。種牡馬としては本馬が出走した英セントレジャーの勝ち馬ブックロー、英オークス馬ショートストーリー、ヨークシャーオークスの勝ち馬フリットメア、ヨークシャーオークスの勝ち馬ライウォーター、チェヴァリーパークSの勝ち馬ニピスィクィットなどを輩出。活躍馬の大半が牝馬というのが特徴的だった。バッカンの父サンスターは現役成績9戦6勝、英2000ギニーと英ダービーの勝ち馬で、種牡馬としてもその父サンドリッジの後継として大活躍した。

母オーラスは現役成績12戦5勝。本馬の半姉オリソン(父フライアーマーカス)の子には、オレステス【コヴェントリーS・ミドルパークS】、牝系子孫にはクードフー【エクリプスS(英GⅠ)】、タイダルライト【新ダービー(新GⅠ)・ニュージーランドS(新GⅠ)・カンタベリーギニー(豪GⅠ)】、デザートストーマー【BCスプリント(米GⅠ)】、ドラベラ【新1000ギニー(新GⅠ)・キャプテンクックS(新GⅠ)】、ベターラッキー【メイトリアークS(米GⅠ)・ファーストレディS(米GⅠ)】、日本で走ったウィナーズサークル【東京優駿(GⅠ)】、アローキャリー【桜花賞(GⅠ)】などがいる。

また、本馬の半妹ロストソウル(父ソラリオ)の孫には、ニーシャムベル【英オークス】、ナレーター【英チャンピオンS・コロネーションC】、ノンナイサー【ヨークシャーオークス】、牝系子孫には、ヘザーセット【英セントレジャー】、全日本首位種牡馬3度のネヴァービート、デリングドゥー【クイーンエリザベスⅡ世S】、サラカ【クリテリウムドサンクルー・サンタラリ賞・ヴェルメイユ賞】、テュデナム【ミドルパークS(英GⅠ)】、ヒッタイトグローリー【フライングチルダースS(英GⅠ)・ミドルパークS(英GⅠ)】、ドユーン【英2000ギニー(英GⅠ)】、アンズム【ワールドハードル(英GⅠ)・ワールドシリーズハードル(愛GⅠ)・ロングウォークハードル(英GⅠ)】、インディアンロッジ【ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】、アレクサンドローヴァ【英オークス(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)】、ヴィーナーヴァルツァー【独ダービー(独GⅠ)・ラインラントポカル(独GⅠ)】、トレジャービーチ【愛ダービー(愛GⅠ)・セクレタリアトS(米GⅠ)】、ストリーマ【フライトS(豪GⅠ)・AJCオークス(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)・ドゥーンベンC(豪GⅠ)】、日本で走ったモンテプリンス【天皇賞春・宝塚記念】、モンテファスト【天皇賞春】、アドマイヤボサツ【東京大賞典】、タイキヘラクレス【ダービーグランプリ(GⅠ)】、チアズグレイス【桜花賞(GⅠ)】、ダンツフレーム【宝塚記念(GⅠ)】などがいる。

また、本馬の半妹ヴェンチャーサム(父ソラリオ)の孫には、日本で種牡馬として活躍したゲイタイム【リッチモンドS・ソラリオS・ゴードンS・2着英ダービー・2着キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS】、牝系子孫には、ハンブルデューティー【英1000ギニー・チェヴァリーパークS・コロネーションS・サセックスS】、キャロティーン【イエローリボンS(米GⅠ)・パンアメリカンH(米GⅠ)】、ダンスーズデュスワール【仏1000ギニー(仏GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】、キングストンヒル【英セントレジャー(英GⅠ)・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)】などがいる。このように、オーラスの牝系子孫はかなりの広がりを見せている。

オーラスの半妹スモークラス(父ブラックジェスター)の子にはスモークレス【愛1000ギニー・愛オークス】がいる。また、1993年のカルティエ賞年度代表馬に選ばれた短距離女王ロックソングの母父ロックナージェは、ロストソウルの息子ダンバーニーの産駒である。→牝系:F21号族①

母父オービーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、その年のうちに日本に輸入され、岩手県雫石の小岩井農場で種牡馬となった。本馬の初年度産駒がデビューした1932年は、小岩井農場のライバル下総御料牧場が輸入したトウルヌソルの初年度産駒のデビュー年でもあり、以降この2頭はライバル種牡馬として昭和初期の日本競馬界をリードしていった。1932年の第1回東京優駿はトウルヌソル産駒ワカタカが勝ち、本馬産駒オオツカヤマが2着だった。翌1933年からはカブトヤマ、フレーモア、ガヴァナーと本馬の産駒が東京優駿を3連覇した。1934年には全日本首位種牡馬を獲得した。学習院高等科在学時に馬術部の主将を務められた今上天皇は、若い頃に小岩井農場を訪問された事があり、そこで本馬をご覧になられたそうである。

第二次世界大戦の終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により、小岩井農場を所有していた三菱財閥が解体され、小岩井農場も競走馬生産を禁止された。そのため本馬は、小岩井農場で種牡馬生活を送っていた史上初の三冠馬セントライトと一緒に、岩手県畜産試験場に移動した。しかし既に高齢だった影響もあり、この頃には本馬の産駒成績は下がっていた。1953年に老衰のため29歳(旧表記30歳)という当時としてはかなりの高齢で他界した。その後の1975年に本馬の功績を記念して岩手県水沢競馬場で重賞シアンモア記念が創設され、現在まで続いている。現在、本馬の剥製標本が東京競馬場に、骨格標本は東京大学農学部に、本馬の心臓標本は岩手大学に存在している。本馬の心臓の重さは5.3kgで通常の馬の2倍ほどあるという。直系は既に残っていないが、本馬の血を引く馬は数多い。例えば戦後初の三冠馬シンザンの曾祖母の父は本馬である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1929

スターリングモア

帝室御賞典(札幌)・農林省賞典競走(阪神)

1929

タイホウ

帝室御賞典(横浜)・目黒記念

1929

チャレンジャー

帝室御賞典(横浜)・農林省賞典(中山)

1929

ハクセツ

帝室御賞典(横浜)・農林省賞典競走(阪神)・横浜特別・目黒記念・五歳馬特別(東京)・中山四千米

1930

エツフォード

帝室御賞典(阪神)・阪神四歳牝馬2回・牝馬連合競走

1930

カブトヤマ

東京優駿・帝室御賞典(福島)・農林省賞典競走(阪神)・目黒記念・五歳馬特別(東京)・中山秋季五歳馬特別

1930

スターC・

帝室御賞典(小倉)・農林省賞典競走(阪神)

1931

デンコウ

帝室御賞典(阪神)・呼馬(四歳馬)競走・農林省賞典競走(東京)・中山四千米・目黒記念

1931

ブラオンジャック

東京優駿・帝室御賞典(東京)・中山四歳馬特別

1932

アカイシダケ

帝室御賞典(横浜)・目黒記念・農林省賞典競走(東京)・中山四千米

1932

ガヴァナー

東京優駿

1932

プレジュア

帝室御賞典(福島)・四歳馬特別(東京)

1933

キンテキ

農林省賞典障碍

1933

マリーユートピア

牝馬特別(横浜)

1934

ガルモア

阪神四歳牝馬

1934

ゼネラル

帝室御賞典(阪神)・農林省賞典競走(阪神)

1934

ファインモア

五歳古呼馬特別・中山記念

1934

フェアモア

中山四歳馬特別・四五歳牝馬特別(横浜)・目黒記念

1935

アステリモア

優駿牝馬

1935

シャインモア

中山農林省賞典障碍

1935

テイト

五歳古呼馬特別・中山記念

1936

ロッキーモアー

横浜農林省賞典四五歳呼馬・帝室御賞典秋

1938

ミナミモア

帝室御賞典春

1938

ライオンC・

横浜特別・中山記念

1939

クリヒカリ

横浜農林省賞典四歳呼馬(皐月賞)・帝室御賞典秋・横浜記念

1939

シマハヤ

中山記念

1941

ヤマイワイ

中山四歳牝馬特別(桜花賞)

1943

フクレイ

農林省賞典障碍

1944

サチトミ

中山記念

1945

タビト

目黒記念

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