ダビルシム

和名:ダビルシム

英名:Dabirsim

2009年生

鹿毛

父:ハットトリック

母:ルーマード

母父:ロイヤルアカデミー

日本や香港で活躍したハットトリックの初年度産駒で、カルティエ賞最優秀2歳牡馬と仏年度代表馬をダブル受賞する

競走成績:2・3歳時に仏で走り通算成績7戦5勝2着1回

誕生からデビュー前まで

仏国の馬産家リリアン・モンフォート夫人により生産された仏国産馬である。米国で種牡馬生活を開始した2005年の中央競馬最優秀短距離馬ハットトリックの初年度産駒で、母ルーマードの胎内にいる状態で米国から仏国に輸入された、日本で言うところの持ち込み馬である。

1歳10月のドーヴィルセールに出品され、独国人馬主シモン・シュプリンガー氏の目に留まった。シュプリンガー氏は背が高い本馬の事を気に入り、3万ユーロで購入した。

馬名はシュプリンガー氏の息子ダーヴィト(David)の“Da”、シュプリンガー氏の妻ブリギッテ(Birgitte)の“Bir”、シュプリンガー氏自身の名前シモン(Simon)の“Sim”を合成したものである。当時30代半ばだった仏国の若手調教師クリストフ・フェルラン師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳6月に仏国ラテストドビュシュ競馬場で行われたバルードヌール賞(T1200m)で、フィリップ・ソゴルブ騎手を鞍上にデビューした。レースではスタートで後手を踏んだものの、すぐに馬群に取り付いて抜け出し、2着エバレットに10馬身差をつけて圧勝した。ラテストドビュシュ競馬場というのは筆者も本項を書くまで知らなかったマイナー競馬場で、少なくとも一線級の馬が頻繁に姿を見せるような競馬場ではないようだが、勝ち方が鮮やかだったために評判馬となった。

次走は7月に同じくラテストドビュシュ競馬場で行われたエレニカ賞(T1200m)だった。ここでは先行すると残り200m地点で馬群を突破して一瞬にして抜け出し、2着スカダーレイクに3/4馬身差をつけて勝利した。着差は小さかったが、内容的には楽勝と評された。

その後はドーヴィル競馬場に向かい、7月末のカブール賞(GⅢ・T1200m)に出走した。ここでは同じドーヴィル競馬場で行われたヴューポン賞を勝ってきたポンテヴェスプッチが単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持されており、ソゴルブ騎手騎乗の本馬は単勝オッズ5.5倍の2番人気だった。レースではスタートから抑え気味に後方を進み、残り500m地点で仕掛けた。そして2番手から抜け出して先頭に立っていたビーフィフティトゥーという馬に残り200m地点で並びかけると楽々と抜き去り、1馬身差をつけて勝利した。

次走は3週間後に同コースで行われたモルニ賞(GⅠ・T1200m)となった。ここではジュライS勝ち馬フレデリックエンジェルスが単勝オッズ3倍の1番人気で、ソゴルブ騎手からF・デットーリ騎手に乗り代わった本馬が単勝オッズ3.5倍の2番人気、ロベールパパン賞・ボワ賞を勝っていた5戦4勝2着1回のファミリーワンが単勝オッズ4倍の3番人気となった。

スタートが切られると真っ先にゲートを飛び出したフレデリックエンジェルスをかわしてファミリーワンが先頭に立ち、フレデリックエンジェルスが2番手、本馬は4番手の好位につけた。残り500m地点でフレデリックエンジェルスがスパートしたが、手応えが無くやがて失速。代わりに馬群の外側に持ち出した本馬が残り400m地点でスパート。残り200m地点で瞬く間にファミリーワンを抜き去ると、最後は3馬身差をつけて完勝した。

このレース後にシュプリンガー氏のところには本馬を売って欲しいという高額の申し出が複数あったそうだが、シュプリンガー氏は自分達家族の名前を組み合わせて命名した本馬は既に家族の一員であるとして、売ることはしなかった。

その後は一間隔を空けて、6週間後のジャンリュックラガルデール賞(GⅠ・T1400m)に向かった。前走に続いてデットーリ騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持され、ロシェット賞を勝ってきたソーファストが単勝オッズ5.5倍の2番人気となった。

スタートが切られると単勝オッズ41倍の6番人気馬サルアが後続に10馬身近い差をつける大逃げを打ち、ソーファストは馬群の中団、スタートで後手を踏んだ本馬は最後方からレースを進めた。サルアの逃げは快調で、残り300m地点でもまだ5馬身ほどのリードを保っていた。残り200m地点でソーファストを含む後続馬勢がサルアに迫っていったが、この段階でも本馬はまだ最後方。しかし残り150m地点から爆発的な脚を繰り出して一気に全馬をごぼう抜きにして、2着ソーファストに3/4馬身差で勝利した。モルニ賞とジャンリュックラガルデール賞を両方制したのは、ジャンリュックラガルデール賞が仏グランクリテリウムの名称だった1991年のアラジ以来20年ぶりだった。

2歳時の成績は5戦全勝で、この年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬を受賞しただけでなく、仏年度代表馬にも選出された。2歳で仏年度代表馬に選ばれたのもアラジ以来20年ぶりの快挙だった。

競走生活(3歳時以降)

3歳時は仏2000ギニーを目標として、4月のフォンテーヌブロー賞(GⅢ・T1600m)から始動した。このレースからクリストフ・スミヨン騎手に乗り代わった本馬が単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持され、ソーファストが単勝オッズ5倍の2番人気、愛フューチュリティS勝ち馬で愛ナショナルS2着のドラゴンパルスが単勝オッズ5.5倍の3番人気となった。

スタートが切られると本馬の末脚を警戒したのか、すぐに先頭に立ったのはソーファストだった。一方の本馬は馬群の中団につけていたが、明らかに折り合いを欠いていた。やがてスミヨン騎手の静止を振りほどくかのように本馬が加速して残り200m地点で先頭に立ち、そのまま後続をいったんは引き離した。これで勝ったと思ったのかスミヨン騎手は本馬を減速させたのだが、そこへ後方から追い上げてきたドラゴンパルスが襲い掛かってきた。そして2頭が殆ど並んでゴールインしたが、僅かにドラゴンパルスが先着しており、本馬は短頭差の2着に敗れてしまった。

初黒星を喫した本馬だが、次走は予定どおり仏2000ギニー(GⅠ・T1600m)となった。前走の大失態にも関わらず鞍上は主戦契約を結んでいたスミヨン騎手のままだった。ドラゴンパルス、レパーズタウン2000ギニートライアルSを勝ってきたファーナーズグリーン、タタソールズミリオンズ2歳トロフィーの勝ち馬クープドヴィルくらいしか目立つ対戦相手はおらず、本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、ドラゴンパルスが単勝オッズ4倍の2番人気となった。

レースでは馬群の中団内側を走り、直線に入ると残り300m地点で馬群を捌いて伸びてこようとした。しかしゴール前では出走12頭中10頭が2馬身半以内にひしめき合う大混戦となっており、交通渋滞に巻き込まれた本馬は勝ち馬から僅か半馬身差の6着に敗退。勝ったのは単勝オッズ34倍の伏兵ルカヤンだった。

その後は短距離路線に進む予定だったが、脚部不安を発症したために復帰できず、4歳4月になって競走馬引退が発表された。

血統

ハットトリック JPN サンデーサイレンス Halo Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
トリッキーコード Lost Code Codex Arts and Letters
Roundup Rose
Loss or Gain Ack Ack
Gain or Loss
Dam Clever Damascus Sword Dancer
Kerala
Clever Bird Swoon's Son
Sally Catbird
Rumored ロイヤルアカデミー Nijinsky Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Crimson Saint Crimson Satan Spy Song
Papila
Bolero Rose Bolero
First Rose
Bright Generation Rainbow Quest Blushing Groom Red God
Runaway Bride
I Will Follow Herbager
Where You Lead
New Generation Young Generation Balidar
Brig O'Doon
Madina ボウプリンス
Granada

父ハットトリックについては筆者より詳しい読者も多いだろうが、競走馬引退後の話もあるので改めて記載する。サンデーサイレンス産駒の日本産馬で、現役成績は21戦8勝。3歳デビューで同年の秋に本格化し、京都金杯(GⅢ)・東京新聞杯(GⅢ)など4連勝した。その後は4戦続けて大敗したが、4歳暮れにマイルCS(GⅠ)・香港マイル(香GⅠ)を連勝して中央競馬最優秀短距離馬に選出された。しかし5歳以降はまったく精彩を欠き、8戦して1度も5着以内に入る事無く引退。競走馬引退後は米国ケンタッキー州ウォルマック国際ファームで種牡馬入りし、南半球にもシャトルされた。2011年には本馬1頭の活躍で仏国の2歳首位種牡馬及び新種牡馬ランキング1位を獲得した。それを受けて翌2012年には同じケンタッキー州の有力牧場ゲインズウェイファームに購入されている。

母ルーマードは、伊オークス(伊GⅠ)を勝ったブライトジェネレーションの娘であるが、自身は6戦して未勝利に終わった。当初は米国で繁殖生活を送っていたが、ハットトリックと交配されて本馬を受胎した状態で2008年11月のキーンランド繁殖牝馬セールに出品され、仏国に輸入された。ルーマードの半弟にはファザヤー(父ヴォルポニ)【グイドベラルデリ賞(伊GⅢ)】が、ルーマードの従姉妹ホーリームーンの子には、2012~14年まで伊オークス3年連続姉妹制覇を果たした、チェリーコレクト【伊オークス(伊GⅡ)・レジーナエレナ賞(伊GⅢ)】、チャリティーライン【リディアテシオ賞(伊GⅠ)・伊オークス(伊GⅡ)】、ファイナルスコア【リディアテシオ賞(伊GⅠ)・伊オークス(伊GⅡ)】がいる。ブライトジェネレーションの従兄弟にはグレートナヴィゲーター【ホープフルS(米GⅠ)】がいる。ブライトジェネレーションの祖母マディナはモルニ賞の勝ち馬で、母系を延々と遡ると1882年の英オークス馬ゲハイムニスに行きつく。→牝系:F14号族①

母父ロイヤルアカデミーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は独国カルツォフ牧場で種牡馬入りした。初年度の種付け料は9千ユーロに設定されたが、産駒が活躍した場合には当該産駒の生産者にボーナスを支給するという特典が付けられた。具体的には、最初の勝ち上がり馬の生産者には2万ユーロ、最初のグループ競走勝ち馬の生産者には5万ユーロ、最初のGⅠ競走勝ち馬の生産者には10万ユーロが支給されるという内容だった。それを受けて、初年度は独国競馬史上最多となる134頭もの繁殖牝馬が集まった。

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