アレフランス

和名:アレフランス

英名:Allez France

1970年生

鹿毛

父:シーバード

母:プライスレスジェム

母父:ヘイルトゥリーズン

凱旋門賞など仏国の大レースを次々に制覇し「ロンシャンの女王」と呼ばれた20世紀欧州競馬界を代表する名牝中の名牝

競走成績:2~5歳時に仏英米で走り通算成績21戦13勝2着3回3着1回

同世代のダリアと共に20世紀欧州競馬を代表する名牝中の名牝である。

誕生からデビュー前まで

米国の名調教師として知られるハーシュ・ジェイコブス氏とイジドール・ビーバー氏の共同馬産団体ビーバージェイコブスステーブルの生産馬である。1歳時のセリにおいて、仏国の画商ダニエル・ウィルデンシュタイン氏の代理人だったモーリス・ジルベール調教師により16万ドルで購入され、ウィルデンシュタイン氏の所有馬となった。

ジルベール師は後になって1歳時の本馬の印象を「醜かった」と語っているが、この言葉をそのまま信用する事は難しい。何故なら、ジルベール師は本馬がデビューする前にネルソン・バンカー・ハント氏の招きを受けてウィルデンシュタイン氏の元を離れ、本馬の宿敵ダリアを管理することになったからである。結局、本馬は仏国アルベルト・クリムシャ調教師に預けられた。主戦はイヴ・サンマルタン騎手で、本馬の全レースに騎乗した。

競走生活(3歳前半まで)

2歳9月にロンシャン競馬場で行われたトゥートヴォワ賞(T1600m)でデビューして勝利。1か月後に出走したクリテリウムデプーリッシュ(仏GⅠ・T1600m)では16頭立ての15番手で直線を向いて、直線入り口では14馬身前方を走っていたケルランドを瞬く間に抜き去ると最後は2馬身差をつけて勝利した。2歳時はこの2戦のみだったが、仏最優秀2歳牝馬に選ばれた。

3歳時は休養明けでいきなり仏1000ギニー(仏GⅠ・T1600m)に出走。このレースでは前走グロット賞を勝ってきたダリアと初めて顔を合わせた。11頭立ての最後方からレースを進めた本馬は、ここでも豪快な追い込みを決めて、2着プリンセスアルジュマンドに2馬身半差、3着ダリアにさらに首差をつけて勝利した。

このレースの後、本馬が英ダービーに出走するという噂が流れ、実際に英国のブックメーカーは本馬を英ダービーの前売り1番人気とした。本馬陣営もその気はあったようで、次走は牡馬との対戦となるリュパン賞(仏GⅠ・T2100m)となった。仏2000ギニーを勝ってきたカラムーンを抑えて1番人気に支持されたものの、結果はカラムーンの5馬身差7着に敗退。

英ダービーには結局出走せず、次走は仏オークス(仏GⅠ・T2100m)となった。ここでは前走サンタラリ賞を勝ってきたダリアと2度目の対戦となったが、ダリアを2馬身半差の2着に、サンタラリ賞でダリアの3/4馬身差2着だったヴィルンガをさらに4馬身差の3着に破って勝利した。勝ちタイムの2分07秒5は前年にルスクースが計時した2分10秒3を2秒8も更新する素晴らしいレースレコードだった。

競走生活(3歳後半)

夏場は休養に充て、秋はロンシャン競馬場で行われたノネット賞(仏GⅢ・T2100m)から始動。しかし牝馬限定戦だったにも関わらず、グロット賞でダリアの3/4馬身差2着だったゲイスタイルなど3頭に屈して、勝ったゲイスタイルから4馬身3/4差の4着に終わった。そのために次走のヴェルメイユ賞(仏GⅠ・T2400m)では、愛オークス・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ニエル賞と3連勝してきたダリアに1番人気の座を譲る事になった。しかし結果は本馬が2着となった愛国調教馬ハリーハリエット(プリティポリーSの勝ち馬で、愛オークスではダリアの7馬身差3着だった)に2馬身差をつけて完勝し、ダリアは本馬から6馬身半差の5着に敗れた。

続いて出走した凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)では、ダリア、パリ大賞の勝ち馬で仏ダービー・ニエル賞2着のテニソン、サンクルー大賞2回・ガネー賞・ハードウィックSなどの勝ち馬で英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・デューハーストS2着のラインゴールド、ロワイヤルオーク賞・ポモーヌ賞を勝ってきたレディベリー、前年の仏ダービーを筆頭にリュパン賞・仏グランクリテリウムなどを勝っていたハードツービート、ジャンドショードネイ賞・フォワ賞の勝ち馬でサンクルー大賞2着のダイレクトフライト、ヨークシャーオークス・パークヒルS・ジェフリーフリアSなどの勝ち馬でコロネーションC2着のアッティカメリ、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞で2着していたオーシ(ハードツービートの半弟)、前年の凱旋門賞とヴェルメイユ賞の勝ち馬サンサン、愛セントレジャー・ジャンプラ賞2回・クイーンズヴァーズの勝ち馬で伊ジョッキークラブ大賞・カドラン賞・ワシントンDC国際S2着のパーネル、グレートヴォルティジュールSの勝ち馬で英セントレジャー2着・愛ダービー3着のブイ、ドーヴィル大賞の勝ち馬でミラノ大賞・イタリア大賞2着のカードキング、ハリーハリエット、カドラン賞・アスコット金杯・エスペランス賞・ベルトゥー賞の勝ち馬ラッサール、イスパーン賞・エクスビュリ賞2回・プランスドランジュ賞の勝ち馬ミスターシックトップなどが対戦相手となった。

本馬が単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持され、テニソンが単勝オッズ6.75倍の2番人気、ラインゴールドが単勝オッズ8.7倍の3番人気、ダリアが単勝オッズ9倍の4番人気、レディベリーが単勝オッズ9.75倍の5番人気となった。レースはダイレクトフライトやオーシなどが先頭を引っ張り、本馬とダリアはいずれも後方を進んだ。そして直線に入ると、ダリアを置き去りにして、先に抜け出したラインゴールドを追撃した。しかし2馬身半届かずに2着に敗れた。本馬から4馬身差の3着にハードツービートが入り、ダリアは本馬から16馬身半差の16着と惨敗した。続いて初めて英国に向かい、英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)に出走。やはり1番人気に支持されたが、過去2戦で破ったはずのハリーハリエットに脚を掬われて3/4馬身差の2着に敗れた(それでも3着となった愛2000ギニー・ジャンプラ賞の勝ち馬シャープエッジには4馬身差をつけた)。

3歳時の成績は7戦3勝となったが、それでもこの年10戦6勝のダリアを抑えて仏最優秀3歳牝馬に選出された。この年限りでクリムシャ師が引退したため、本馬はサー・エンジェル・ペンナ厩舎に転厩した。

競走生活(4歳前半)

4歳時は4月のアルクール賞(仏GⅡ・T2000m)から始動し、ここでダリアと5度目の対戦となった。ダリアは前年の凱旋門賞大敗後にワシントンDC国際Sを勝っていた。それ以外にも前年の凱旋門賞で着外に終わっていたミスターシックトップなども姿もあったが、本馬が2着クサールに3馬身差、3着ミスターシックトップにはさらに1馬身半差をつけて完勝。ダリアはミスターシックトップからさらに2馬身差の4着に敗退した。

次走のガネー賞(仏GⅠ・T2100m)では、ダリアと6度目の対戦となった。しかし直線でダリアを並ぶ間もなくかわした本馬が2着テニソンに5馬身差をつけて圧勝し、ダリアは本馬から15馬身差の5着に沈んだ。

続くイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)には、コロネーションCに向かったダリアは不在であり、オカール賞・コンデ賞の勝ち馬マルグイヤ、ジャンプラ賞2着馬ミスターディップなどが対戦相手となった。このレースで本馬は、直線入り口でもまだ先頭から15馬身も離れた位置取りだったが、まるで「トルネードを引き裂くような」豪快な追い込みを見せて、2着マルグイヤに1馬身差で勝利した。

競走生活(4歳後半)

夏場は休養し、秋はフォア賞(仏GⅢ・T2200m)から始動。ガネー賞2着後にコロネーションCでも2着していたテニソンを1馬身差の2着、伊ジョッキークラブ大賞・ローマ賞の勝ち馬サンブルーをさらに4馬身差の3着に退けて順当に勝利した。

そして前年の雪辱を期して凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かった。ダリアは米国に遠征したため不在であり、対戦相手は、ノネット賞を8馬身差・ヴェルメイユ賞を4馬身差で圧勝してきた同馬主同厩馬パウリスタ、仏グランクリテリウム・ニエル賞の勝ち馬でオブザーヴァー金杯・仏2000ギニー・リュパン賞2着のミシシッピアン、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたブシリス、パリ大賞の勝ち馬サガロ、ロワイヤルオーク賞2着・仏ダービー・パリ大賞3着のカマラーン、テニソン、サンブルー、英1000ギニー・仏オークスの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSでダリアの2馬身半差2着だったハイクレア、サンクルー大賞でダリアの首差2着だったオンマイウェイ、カドラン賞・アンリデラマール賞・コンセイユミュニシパル賞・ジャンプラ賞などを勝っていたレキュペール、サンタラリ賞の勝ち馬でクリテリウムデプーリッシュ・仏オークス・ヴェルメイユ賞2着のコンテスドロワール、前年の凱旋門賞で4着だったカードキング、エクリプスSの勝ち馬クードフー、グッドウッドC2回・ドンカスターCなどの勝ち馬でアスコット金杯2着のプロヴァーブ、イスパーン賞で本馬の2着だったマルグイヤ、フォルス賞の勝ち馬アンコペックなど19頭だった。

本馬とパウリスタのカップリングが単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、ミシシッピアンとブシリスのカップリングが単勝オッズ7.5倍の2番人気、サガロが単勝オッズ10.25倍の3番人気となった。鞍上のサンマルタン騎手はレース10日前に腰の骨を折る怪我をしていたが、本馬に騎乗するために壮絶なリハビリを行って当日の午前中に復帰してきていた。

スタートが切られるとサガロ陣営が用意したペースメーカー役のヴァルドが先頭に立ち、ブシリス、クードフー、マルグイヤ、サガロ、テニソンなどがそれに続いた。一方の本馬は例によって後方待機策を採り、道中は20頭立ての15番手辺りを追走した。フォルスストレートに入ったところでブシリスやテニソンが進出を開始したが、そこへ外側から本馬が一気に上がってきて、瞬く間に他馬をかわして先頭に踊り出てしまった。そして四角先頭からロンシャン競馬場の長い直線を押し切ろうという、今までの本馬とは全く異なるレースぶりとなった。その正確な理由は不明だが、骨折のため直線で満足に追えないと考えたサンマルタン騎手が意図的に採った作戦ではないかと推測できる。さすがにゴール前では脚が鈍り、コンテスドロワールとマルグイヤの2頭が猛然と迫ってきた。しかし本馬が凌ぎきり、2着コンテスドロワールに頭差、3着マルグイヤにさらに3/4馬身差をつけて優勝した。レースを終えて装鞍所に戻った本馬に対して、仏国競馬史上最強馬シーバードの娘が仏国競馬の頂点に立ったことを祝福する大喝采が観衆から送られた。

4歳時は5戦全勝の成績となり、10戦5勝のダリアを抑えてこの年の仏年度代表馬・仏最優秀古馬牝馬に選出された。

競走生活(5歳時)

5歳時はガネー賞(仏GⅠ・T2100m)から始動した。ここではダリアと前年の同競走以来となる7度目の対戦となった。ダリアは前年のガネー賞5着後に出走したコロネーションCこそ3着だったが、その後はサンクルー大賞・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ベンソン&ヘッジズ金杯・マンノウォーS・加国際CSSに勝っていた。しかし結果は本馬が2着カードキングに4馬身差、3着コンテスドロワールにさらに1馬身半差をつけて圧勝し、ダリアは本馬から8馬身半差の6着最下位に沈んだ。

続くドラ-ル賞(仏GⅡ・T1950m)では、2着サンオブシルバーに2馬身半差で快勝した。しかし次走のイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)では、特にこれといった実績が無かった4歳牡馬ラミレス、リュパン賞で2着してきた仏グランクリテリウム・グレフュール賞の勝ち馬マリアッチの2頭に屈して、勝ったラミレスから2馬身差の3着に敗れてしまい、同競走の2連覇は成らなかった。

例によって夏場は休養し、秋はフォワ賞(仏GⅢ・T2200m)から始動して、2着デュークオブマーマレードに1馬身半差で勝利。

そして連覇を目指して凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。対戦相手は、ベンソン&ヘッジズ金杯でGⅠ競走9勝目を挙げてきた8度目の対戦となるダリア、仏2000ギニー・リュパン賞・オブザーヴァー金杯の勝ち馬グリーンダンサー、仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞・ノネット賞の勝ち馬イヴァンジカ(翌年の凱旋門賞優勝馬)、英セントレジャーを10馬身差で圧勝してきたブルーニ、サンタラリ賞の勝ち馬で英ダービー・仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞2着のノビリアリー、デュークオブマーマレード、前年の凱旋門賞4着後にコンセイユドパリ賞を勝っていたカマラーン、コンテスドロワール、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞で2着だったシトワイヤン、米国から遠征してきたハリウッドダービー・セクレタリアトSの勝ち馬イントレピッドヒーロー、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたヘンリルバラフル、この年のドラール賞で本馬から2馬身半差の3着した後に出走したサンクルー大賞でダリアを5着に破って勝っていたアンコペック、そのサンクルー大賞で3着だったオンマイウェイ、エクリプスS・ミラノ大賞の勝ち馬スターアピールなどだった。

本馬が単勝オッズ2.75倍で3年連続の1番人気に支持され、グリーンダンサーとイヴァンジカのカップリングが単勝オッズ4.25倍の2番人気、ブルーニが単勝オッズ5.5倍の3番人気、ダリアとノビリアリーのカップリングが単勝オッズ9.75倍の4番人気と続いた。レースはシトワイヤンが先頭を引っ張り、末脚勝負が得意だったはずの本馬とダリアはいずれも馬群の好位につけた。しかし馬群がごちゃついてしまい、本馬は他馬と接触して左後脚を落鉄。そのために直線で伸びを欠いて、勝ち馬から8馬身半差の5着に敗退。勝ったのは単勝オッズ120.7倍の最低人気馬スターアピールだった。なお、本馬と最後の対戦となったダリアは15着に終わっており、本馬とダリアの対戦成績は本馬の8戦全勝となった。

その後は2年ぶりに英国に遠征して、英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)に出走。ここでスターアピールとのリターンマッチとなった。しかしスターアピール(4着)には先着したものの、クイーンエリザベスⅡ世Sを勝ってきた牝馬ローズボウルに屈して、1馬身半差の2着に敗れた。

続いて生国の米国に移動し、サンタアニタパーク競馬場で行われたナショナルサラブレットCS国際(D10F)に出走した。ウィルデンシュタイン氏は本馬を6歳時も走らせてサンタアニタHを目指す腹積もりだったらしく、これはその試金石としての出走だったようである。しかし結果はダルシアの11着最下位と惨敗してしまい、これが現役最後のレースとなった。

それでも5歳時7戦3勝の成績で、この年の仏最優秀古馬牝馬に選出されている。獲得賞金総額はドル換算で138万6146ドルであり、世界競馬史上初めて100万ドル以上の賞金を得た牝馬となった(2頭目がダリア)。

本馬は仏国内では17戦したが、そのうち仏オークス以外の16戦がロンシャン競馬場における出走だった。その成績は16戦12勝2着1回と非常に優秀だったため、“La reine de Longchamp(ロンシャンの女王)”の異名をとった。

本馬は神経質で寂しがり屋な性格だったようで、それを宥めるために、レースに出る時以外はいつもコンパニオンアニマル役の羊が付き添っていた。レースが終わって戻ってきた本馬はまず羊の元へ駆け寄っていたという。馬名を直訳すると「行け、フランス」という意味となる。

血統

Sea-Bird Dan Cupid Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Vixenette Sickle Phalaris
Selene
Lady Reynard Gallant Fox
Nerva
Sicalade Sicambre Prince Bio Prince Rose
Biologie
Sif Rialto
Suavita
Marmelade Maurepas Aethelstan
Broceliande
Couleur Biribi
Colour Bar
Priceless Gem Hail to Reason Turn-to Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Drake
Lavendula 
Nothirdchance Blue Swords Blue Larkspur
Flaming Swords 
Galla Colors Sir Gallahad
Rouge et Noir
Searching War Admiral Man o'War Fair Play
Mahubah
Brushup Sweep
Annette K.
Big Hurry Black Toney Peter Pan
Belgravia
La Troienne Teddy
Helene de Troie

シーバードは当馬の項を参照。

母プライスレスジェムは米国屈指の名門牝系ラトロワンヌ系の出で、母のサーチングと半姉のアフェクショネイトリーがいずれも米国顕彰馬に選出されているという超良血馬。プライスレスジェム自身も米国で走り15戦7勝、ベルモントフューチュリティS・フリゼットSを勝った実力馬であり、特にベルモントフューチュリティSでバックパサーを破った事で知られている。本馬を産んだ年に39万5千ドルという当時の繁殖牝馬世界最高額で取引されている。本馬以外に特筆できる競走成績を挙げた産駒はいないが、本馬の1歳下の半弟ノーブルビジュー(父ヴェイグリーノーブル)は新国で種牡馬入りして1992/93シーズンの新首位種牡馬になる活躍を見せた。また、本馬の半妹レディウィンボーン(父セクレタリアト)は繁殖牝馬として成功しており、子にアルマムーン【ジョンヘンリーH(米GⅠ)・アメリカンH(米GⅡ)・エディリードH(米GⅡ)・イングルウッドH(米GⅢ)・サイテーションH(米GⅢ)】、ラグリエール【クイーンエリザベスⅡ世CSS(米GⅠ)・ビウィッチS(米GⅢ)】、ロストソルジャー【ルイジアナダウンズH(米GⅢ)】が、孫にアイコンプロジェクト【パーソナルエンスンS(米GⅠ)】が、曾孫にオナーインウォー【ターフクラシックS(米GⅠ)】がいる。また、本馬の半妹プライスレスカウンテス(父ヴェイグリーノーブル)の子にオードウェイ【シャンペンS(米GⅠ)】が、半妹サンプリ(父ヴェイグリーノーブル)の子にスペシャルプライス【ゴールデンゲートH(米GⅡ)】がいる。なお、本馬の半姉ナショナルオナーは日本に繁殖牝馬として輸入されているが、あまり成功できなかった。母系はラトロワンヌ系なので近親には活躍馬が多数いるが、とてもここには書ききれないので、その辺りはサーチングやラトロワンヌの項を参照してほしい。→牝系:F1号族②

母父ヘイルトゥリーズンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州レーンズエンドファームで繁殖入りした。母としては、現役成績2戦1勝ながら血統が評価されて豪州で種牡馬入りして一定の成功を収めたエールドフランス(父シアトルスルー)、アクションフランセーズ(父ヌレイエフ)【サンドランガン賞(仏GⅢ)】などを産んだ。しかし繁殖牝馬として大きな成功を収めたダリアとの比較において、本馬は繁殖牝馬としては失敗だったと評価されがちである。1989年に他馬に脚を蹴られて骨折したために19歳で安楽死の措置が執られた。遺体はマンノウォーなど数々の名馬が眠っているケンタッキーホースパークに埋葬された。アクションフランセーズが母として、アンドロイド【ジョンシェール賞(仏GⅢ)】、アーティクルレア【レゼルヴォワ賞(仏GⅢ)】などを産み、本馬の牝系子孫は現在も残っている。

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