ウィッシングウェル

和名:ウィッシングウェル

英名:Wishing Well

1975年生

鹿毛

父:アンダースタンディング

母:マウンテンフラワー

母父:モンパルナス

貧弱な血統の持ち主ながら競走馬としてグレード競走をを2勝したサンデーサイレンスの母

競走成績:3~6歳時に米で走り通算成績38戦12勝2着6回3着8回

誕生からデビュー前まで

米国カリフォルニア州において、ジョージ・A・ポープ・ジュニア氏により生産・所有され、C・B・ヒクソン調教師に預けられた。

競走生活(3歳時)

3歳5月にゴールデンゲートフィールズ競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビューして、ベクズの6馬身3/4差3着。次走は8月にベイメドウズフェア競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦となったが、ウィーシンガーの17馬身半差10着に敗れた。ベクズにしろウィーシンガーにしろ、これが生涯唯一の勝利という平凡な馬であり、この時点における本馬の競走能力はこの程度であった。

9月にベイメドウズ競馬場で出走したダート6ハロンの未勝利戦では、2着ジプシーゴールド(この馬は最終的に6勝を挙げている)に半馬身差で勝利を収めた。しかしポープ・ジュニア氏は既に本馬を半ば見限っており、10月に出走したデビュー4戦目は前走と同コースで行われたクレーミング競走だった。しかし後のアイダホジュヴェナイルCSSの勝ち馬ビービークレームの4馬身半差3着に終わり、買い手もつかなかった。その後は11月にベイメドウズ競馬場でダート8ハロンの一般競走に出て、ビアヴァの6馬身半差3着。同月に出たベイメドウズ競馬場ダート8.5ハロンの一般競走では、2着ガンビアベイに5馬身差をつけて圧勝した。12月に出た前走と同コースの一般競走では、エリザベスティーの11馬身差4着に敗退し、2歳時の成績は7戦2勝の成績となった。

競走生活(4歳時)

4歳時は1月にゴールデンゲートフィールズ競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動して、6歳牝馬ライトアローの5馬身差2着。2月に出たゴールデンゲートフィールズ競馬場ダート8ハロンの一般競走でも、6歳牝馬アーマリーの8馬身差2着だった。3月に前走と同コースで出た一般競走では、ガンビアベイの18馬身1/4差10着に惨敗し、ここでポープ・ジュニア氏は再び本馬に見切りをつけた。

そして5月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート7ハロンのクレーミング競走に出走。ここでは後にステークス競走を3勝するグランジャスエルテの鼻差2着と好走したが、買い手は付かなかった。6月にハリウッドパーク競馬場で出た芝8.5ハロンのクレーミング競走では、2着アローズに9馬身差をつける圧勝。このレースで本馬は譲渡要求されており、マイケル・リマ夫妻により購入された。

ゲイリー・F・ジョーンズ調教師の管理馬となった本馬は、同月に前走と同コースで行われた一般競走にも出て、2着モアソーに3馬身半差をつけて勝利した。このモアソーという馬は、実は1年前の愛1000ギニー優勝馬であり、その後はデスモンドSを勝ってから米国に移籍していた馬だった。

欧州クラシック競走の勝ち馬を一蹴した本馬の次走は7月にハリウッドパーク競馬場で行われたコンヴィニエンスS(T9F)だった。そして既にマーケットバスケットS・サンクレメントSとステークス競走を2勝していたジョースビーを1馬身差の2着に抑えて勝ち、ステークス競走初勝利を挙げた。

8月に出たデルマー競馬場芝8.5ハロンの一般競走では、2着ディアマに2馬身半差をつけて快勝。同月にデルマー競馬場で出走したパロマーH(T8F)では、モアソーに借りを返されて1馬身3/4差の3着に敗れたが、ハネムーンH・デルマーオークス・ウィルシャーHとグレード競走3勝を挙げて前走のGⅠ競走ヴァニティHで2着していたカントリークイーン(5着)には先着した。

9月には初のグレード競走となるラモナH(GⅢ・T9F)に出走したが、カントリークイーン、モアソー、ハリウッドオーク・プリンセスSの勝ち馬でケンタッキーオークス3着のプライズスポットといったGⅠ競走級の馬達にここでは屈して、勝ったカントリークイーンから5馬身1/4差の7着に敗れた。10月にサンタアニタパーク競馬場で出走した分割競走オータムデイズH(D6.5F)では、ラブレアSの勝ち馬グレートレディーエムを1馬身3/4差の2着に破って勝利した。続いてラスパルマスH(GⅢ・D9F)に駒を進めたが、7着カントリークイーンには先着したものの、オークリーフS3着馬ハイフェザント、プライズスポットなどに屈して、ハイフェザントの7馬身差4着に敗れた。

11月には最初で最後のGⅠ競走出走となるイエローリボン招待S(GⅠ・T10F)に出たが、前走の惨敗から巻き返したカントリークイーン、プライズスポット達に屈して、カントリークイーンの5馬身半差7着に敗れた。

12月に出走したラスフローレスH(D6F)には、ハリウッドラッシーS・ハリウッドジュヴェナイルCSS・デルマーデビュータントS・サンタイネスSを勝っていた3歳牝馬テルリングァ、これがステークス競走初出走となるイメージオブリアリティが参戦してきた。テルリングァは後に大種牡馬ストームキャットの母となる馬であり、イメージオブリアリティは後に名繁殖牝馬トゥソードの母となる馬だった。いずれも後世に大きな影響力を与える牝馬3頭の対決はテルリングァが勝利を収め、本馬は5馬身3/4差の4着、イメージオブリアリティは6着だった。テルリングァと本馬の対戦はこの一度きりだった。本馬の4歳時の成績は14戦5勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時も休まず1月から走り、サンタアニタパーク競馬場のダート8.5ハロンの一般競走から始動。しかしマリアラインの6馬身半差5着に敗れた。同月に同コースで出た一般競走では、1着同着だったフリックユアビックとカンカムの2頭から1馬身1/4差の3着に敗れた。次走は3月にサンタアニタパーク競馬場で行われた芝6.5ハロンの一般競走だった。ここでは2着ビリーベッツに3/4馬身差をつけて勝利した。ちなみに、本馬がこの一般競走を勝った前日に同じサンタアニタパーク競馬場で行われた一般競走では、翌年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれるリラクシングが勝利している。本馬とリラクシングはこのようにニアミスこそしたがレースで直接対決する機会は無かった。しかしこの9年後、リラクシングの息子イージーゴアと本馬の息子サンデーサイレンスが大激闘を繰り広げることになるのである。

本馬は引き続き前走と同コースのラスシエネガスH(T6.5F)に出走した。イエローリボン招待S以来の実戦となるカントリークイーンの姿もあったが、本馬がグレートレディーエムの鼻差2着と好走したのに対して、カントリークイーンは8着に沈んだ。4月のコンヴィニエンスH(T8F)では2着プリンセストビーに4馬身差をつけて圧勝し、同競走の2連覇を達成。

そして5月にゲイムリーH(GⅡ・T9F)に出走した。ここには、6戦連続で本馬がいるレースに出てきたカントリークイーンに加えて、翌年の第1回ジャパンCを優勝することになるアラバマS3着馬メアジードーツ、ラスシエネガスH5着後にサンタルシアHを勝ってきたイメージオブリアリティ、前年のゲイムリーHと前走のサンタバーバラHを勝っていたシスターフッドなどの姿もあった。しかし本馬がカントリークイーンを1馬身差の2着に破り、グレード競走初勝利を挙げた。イメージオブリアリティは3着、シスターフッドは4着、メアジードーツは5着だった。

次走のホーソーンH(T8.5F)では、カントリークイーン、2歳時にフライングチルダースS・チェヴァリーパークS・チェリーヒントンS・ロウザーSを勝つも3歳時に今ひとつだったために米国に移籍してきたデヴォンディッティの2頭に屈して、カントリークイーンの1馬身3/4差3着に敗れた。

6月に出走したウィルシャーH(GⅢ・T8.5F)では、ゲイムリーH4着後にイエルバブエナHで2着してきたシスターフッドを首差の2着に、カントリークイーンを4着に、翌年の第1回ジャパンCで1番人気に支持されることになるディキシーH・クリサンセマムH・サンタアナHの勝ち馬ザベリワンを8着に破り、グレード競走2勝目を挙げた。

続いて出走したビヴァリーヒルズH(GⅢ・T9F)では、これでなんと9戦連続で本馬がいるレースに出てきたストーカーもどきのカントリークイーンに鼻差で屈して2着に敗れた(3着ザベリワンや5着シスターフッドには先着した)。8月に出たパロマーH(T8F)では、アサウザンドスターズの鼻差2着に敗れたが、3着デヴォンディッティ、4着カントリークイーン(前走は本馬不在のヴァニティH5着であり、10戦連続ではない)、7着シスターフッドには先着した。カントリークイーンはこのレースを最後に競馬場を去ったため、これが本馬とカントリークイーンの最後の対戦となり、対戦成績は本馬の6勝4敗だった。

同月のラモナH(GⅡ・T9F)では、米国に移籍してきた前年の愛オークス3着馬クイーントゥコンカー、アサウザンドスターズの2頭に屈して、クイーントゥコンカーの2馬身半差3着に敗れた。このレースに出走して5着に敗れたシスターフッドと本馬の対戦はこれが最後で、対戦成績は本馬の5戦全勝だった。また、このレースで6着に敗れたデヴォンディッティはこれを限りに競馬場を去っており、この対戦成績は本馬の2勝1敗だった。この年の本馬はこれが最後のレースとなり、5歳時の成績は11戦4勝となった。

競走生活(6歳時)

6歳時は2月にサンタアニタパーク競馬場で行われた芝6.5ハロンの一般競走から始動したが、シャインハイの5馬身半差3着に敗れた。同月に同コースで出たラスシエネガスH(T6.5F)では、2着バックアットトゥーに首差で勝利した。4月に出走したモンローヴィアH(T6.5F)では、欧州でムーランドロンシャン賞・愛フェニックスS・モートリー賞・クインシー賞・セーネワーズ賞を勝ち、チェヴァリーパークS・アベイドロンシャン賞・フォレ賞2着などの成績を残した後に米国に移籍して前年のイエローリボンSを勝っていたキリジャロという強敵が嫌がらせのように出走してきた。結果はキリジャロがレースレコードで勝利を収め、本馬は1馬身半差の4着に敗れた。

連覇を狙った次走のゲイムリーH(GⅡ・T9F)には、キリジャロ、前年のラモナHで本馬を破った後にイエローリボン招待Sで3着してサンタアナHを勝っていたクイーントゥコンカー、本馬がいずれも2着した前年のビヴァリーヒルズH・パロマーHで共に着外に終わるもこの年になってサンタマリアH・サンタアナHで2着するなど伸びてきたトラックロバリー(BCクラシックの勝ち馬キャットシーフの祖母)、前走サンタマルガリータ招待Hを勝ってきた前年のハリウッドオークス馬プリンセスカレンダなどが出走してきた。結果は、キリジャロとプリンセスカレンダの2頭に屈して、勝ったキリジャロから5馬身差の3着に敗れた。

その後はしばらくレースに出ず、8月にデルマー競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走で復帰した。しかし5歳1月以来久々となるダート競走に対応できなかったのか、勝ったペピーズラッキーガールから12馬身半差をつけられた9着と惨敗した。同月にはラモナH(GⅡ・T9F)に出たが、ゲイムリーH6着から直行してきたクイーントゥコンカー、ハネムーンHの勝ち馬でデルマーオークス2着のアンバーエヴァー、ゲイムリーH4着後にウィルシャーH・ビヴァリーヒルズH・ヴァニティ招待Hを3連勝していたトラックロバリー、ゲイムリーH2着後にミレイディH・ヴァニティHなど6戦連続2着中だったプリンセスカレンダの4頭に屈して、勝ったクイーントゥコンカーから3馬身1/4差の5着に敗退。このレースを最後に、6歳時6戦1勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Understanding Promised Land Palestinian Sun Again Sun Teddy
Hug Again
Dolly Whisk Whiskaway
Dolly Seth
Mahmoudess Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Forever Yours Toro
Winsome Way
Pretty Ways Stymie Equestrian Equipoise
Frilette
Stop Watch On Watch
Sunset Gun
Pretty Jo Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Fib Westy Hogan
Hyperbole
Mountain Flower Montparnasse Gulf Stream Hyperion Gainsborough
Selene
Tide-Way Fairway
Drift
Mignon Fox Cub Foxhunter
Dorina
Mi Condesa Barranquero
Pethy
Edelweiss Hillary Khaled Hyperion
Eclair
Snow Bunny Boswell
La Rose
Dowager Free France Man o'War
La France
Marcellina Figaro
Belle Mere

父アンダースタンディングは2~6歳時に米で走り、スタイヴァザントHに勝ち、ジェロームH・ローマーH・マサチューセッツH・スタイヴァザントHで2着、ワイドナーH・セミノールHで3着するなど、87戦7勝2着16回3着12回の成績を残した頑健な馬だった。種牡馬としては本馬が代表産駒という程度の実績だった。

アンダースタンディングの父プロミストランドも息子と同じく頑健な馬で、2~6歳時に米で走り77戦21勝2着10回3着16回の成績を残した。競走能力の点では息子より一枚以上は上であり、ピムリコスペシャル・サンフアンカピストラーノ招待H・ローレンスリアライゼーションS・ローマーH・ジョンBキャンベルH・マサチューセッツH・ベイメドウズHを勝ち、ゴーサムS・クイーンズカウンティH・ピーターパンH・ワシントンバースデイHで2着、ウッドメモリアルS・サンアントニオH・サンタアニタマチュリティ・サンマルコスH・リンカーンスペシャルHで3着している。スペクタキュラービッドやスキップトライアル(スキップアウェイの父)の母父としても知られる。

プロミストランドの父パレスチニアンは現役成績45戦14勝、ブルックリンH・ジャージーS・ウエストチェスターH・ゴールデンゲートH・エンパイアシティH・エンデュランスHに勝ち、プリークネスS・ウッドメモリアルS・ハリウッド金杯で2着、ケンタッキーダービー・ベルモントS・アーリントンクラシックSで3着している。パレスチニアンの父サンアゲインはテディの孫で、ソードダンサーの父方の祖父である。

母マウンテンフラワーは現役時代7戦したが未勝利。マウンテンフラワーの母エーデルワイスは不出走馬。エーデルワイスの母ダワジャーは2戦して未勝利。ダワジャーの母マルセリーナは不出走馬。マルセリーナの母ベルメール(本馬から見れば5代母に当たる)に至ってようやく活躍するようになり、ベルメールはモールコームS・レスターシャーオークスの勝ち馬。ベルメールの母シナは1920年の英1000ギニー・コロネーションSの勝ち馬。シナの母バロネスラフレッチェはエイコーンS(英国の競走であり、米国の現GⅠ競走とは全く別物)の勝ち馬。バロネスラフレッチェの母ラフレッチェは英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー・アスコット金杯・英チャンピオンS・モールコームS・英シャンペンS・ナッソーSなどを勝った19世紀英国屈指の名牝。しかし本馬から見ればラフレッチェは8代前であり、本馬から見て4代前までが全て不出走馬か未勝利馬というのは、折り紙付きの貧弱な牝系と言うべきであろう。ラフレッチェの牝系子孫からは、名種牡馬インディアンリッジ、豪州の名馬マミファイ、日本で走った天皇賞馬オーライト、天皇賞馬メジロムサシ、秋華賞馬ファビラスラフインなどが出ているが、いずれも本馬からは遠く離れている。→牝系:F3号族③

母父モンパルナスは亜国産馬で、競走馬としてはブラジルで走り、通算成績18戦5勝。主な勝ち鞍はベニトヴィラヌーヴァ賞で、他にブラジル大賞2着などの実績がある。種牡馬としてはブラジルで一定の活躍を示している。モンパルナスの父ガルフストリームはハイペリオンの直子で、エクリプスS・チェスターフィールドS・ジムクラックS・クレイヴンSを勝ち、英ダービーで2着している。種牡馬として亜国に輸入され、1955/56、58/59、59/60シーズンと3度の亜首位種牡馬になるなど活躍した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、石油業者のトム・テイサム氏により購入され、メリーランド州ウインドフィールズファームで繁殖入りした。しかし生まれて間もない初子が落雷に遭って死亡するなど、当初は血統登録される子を出すことが出来なかった。

テイサム氏は10歳になった本馬を米国ケンタッキー州ストーンファームに連れていき、同牧場に繋養されていた種牡馬ヘイローと交配させた。そして翌1986年3月25日に本馬は事実上の初子となる青鹿毛の牡駒を出産した。サンデーサイレンスと命名されたこの牡駒は血統の悪さに加えて、脚の湾曲、気性の激しさ、幼少期の数々のアクシデントなど競走馬としてのあらゆるハンデを有していたが、それらの欠点を乗り越えて、ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)・BCクラシック(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)・スーパーダービー(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)・サンフェリペS(米GⅡ)に勝つなど14戦9勝2着5回の成績を挙げ、1989年のエクリプス賞年度代表馬に輝く大活躍を見せた。

一方の本馬は13歳時に2番子の牡駒レベルアライアンス(父スカイウォーカー)を産んだ。レベルアライアンスが競走年齢に達した時には既にサンデーサイレンスが大活躍していたため、レベルアライアンスにも期待がかけられたと思われるが、3~6歳時に米で走り32戦3勝、ステークス競走の勝ちは無しという成績のまま7歳時に他界した。

15歳時に3番子の牝駒サンデーズシス(父ヘイロー)を産んだ。サンデーサイレンスの全妹であるから期待されたはずだが、13戦1勝の成績に終わった。

16歳時に4番子の牝駒ペニーアップ(父ヘイロー)を産んだ。しかしペニーアップは不出走に終わった。

17歳時に5番子の牝駒ジスイスマイライフスタイル(父ヘイロー)を産んだ。ジスイスマイライフスタイルが2歳になった1994年は、日本に種牡馬として輸入されていたサンデーサイレンスの初年度産駒がデビューした年であり、翌年から13年連続で全日本首位種牡馬に輝くサンデーサイレンス旋風が吹き始めた年だった。そのために全妹であるジスイスマイライフスタイルは注目されて日本に競走馬として輸入された。そしてマイライフスタイルと改名されて日本で走ったが、デビュー戦を勝ったのみの5戦1勝に終わった。

ジスイスマイライフスタイルを産んだ後に本馬はクールモアグループに購入されて愛国に移動した。そして21歳時に6番子の牝駒サンデーウィッシュ(父サドラーズウェルズ)を産んだ。しかしサンデーウィッシュは不出走に終わった。そして1999年に腸捻転のためクールモアスタッドにおいて24歳で他界した。結局本馬はサンデーサイレンス以外に活躍馬を産むことは無かった。

サンデーサイレンスの妹4頭は全て日本に競走馬又は繁殖牝馬として輸入され、日本で繁殖生活を送った。そのうちペニーアップの孫にトーセンクラウン【中山記念(GⅡ)】が出ており、他にもオープンまで出世した子孫は何頭かいるが、あまり活躍馬は出ていない。サンデーサイレンスの血を引く種牡馬が溢れかえっている現在の日本において、サンデーサイレンスの妹やその子孫たちが繁殖牝馬として成功するのはなかなか難しい一面があるのかもしれない。

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