ライジングフレーム

和名:ライジングフレーム

英名:Rising Flame

1947年生

黒鹿

父:ザフェニックス

母:アドミラブル

母父:ネアルコ

競走馬としてはそれほど成功できなかった愛国の良血馬は、長年に渡り中央競馬の最多勝利記録を有していた昭和30年代日本の名種牡馬となる

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績25戦7勝(入着回数は不明)

誕生からデビュー前まで

P・A・ラヴ氏という人物により生産された愛国産馬で、父は愛2000ギニー・愛ダービーの勝ち馬ザフェニックス、母は愛オークス馬アドミラブルという、愛国内においてはかなりの良血馬だった。

競走生活

2歳時に英国でデビューし、この年はベントンS(T5F)を勝っている。翌3歳時は、クレイヴンS(T8F)で、後のプリンセスオブウェールズSの勝ち馬ダブルエクリプスを破って勝利。さらに英2000ギニー(T8F)に駒を進めたが、コヴェントリーS・リッチモンドS・ナショナルブリーダーズプロデュースS・ジムクラックS・英シャンペンSを勝ちミドルパークSで2着していたパレスタイン、米国ジョッキークラブの会長だったウィリアム・ウッドワード氏が送り込んできた米国産馬プリンスサイモン、ミドルパークSの勝ち馬マスクドライトなど4頭に後れを取り、パレスタインの5着に敗れた。それでも19頭立てだったから、14頭に先着している事になる。その後は英ダービー(T12F)にも参戦したが、ダフニ賞の勝ち馬で仏2000ギニー2着の仏国調教馬ガルカドール、プリンスサイモン、クレイヴンSで3着に破ったダブルエクリプスなどに後れを取り、勝った単勝オッズ12.11倍のガルカドールの着外(5着とする意見もある)に敗れた。その後に出走したセントジェームズパレスS(T8F)では、英ダービーに不参戦だったパレスタインの2着だった。その後は短距離路線に進み、ローズベリーS(T5F)を勝利している。翌4歳時も現役を続け、メルローズS(T8F)を勝っている。4歳限りで競走馬を引退した。競走成績を見る限りでは、基本的にマイラーであったようである。

血統

The Phoenix Chateau Bouscaut Kircubbin Captivation Cyllene
Charm
Avon Hack Hackler
Avonbeg
Ramondie Neil Gow Marco
Chelandry
La Rille Macdonald
Recaldia
Fille de Poete Firdaussi Pharos Phalaris
Scapa Flow
Brownhylda Stedfast
Valkyrie
Fille d'Amour Hurry On Marcovil
Tout Suite
Friar's Daughter Friar Marcus
Garron Lass
Admirable Nearco Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Nogara Havresac Rabelais
Hors Concours
Catnip Spearmint
Sibola
Silvia Craig an Eran Sunstar Sundridge
Doris
Maid of the Mist Cyllene
Sceptre
Angela Lomond Desmond
Lowland Aggie
La Danseuse Ladas
Polka

父ザフェニックスは愛国で走り通算成績6戦5勝。2歳時は136ポンドを背負って勝つなど3戦全勝。3歳時も初戦の愛2000ギニーを勝ち、次走の愛ダービーも優勝。3歳3戦目の愛セントレジャーではソルフェリノの圧勝を許して5馬身差の2着に敗れ、愛国三冠達成は成らなかった。ザフェニックスの父チャトーボスコーは現役成績18戦10勝。2歳時にロベールパパン賞・モルニ賞・フォレ賞を勝利。3歳時に仏ダービー・ノアイユ賞を勝ち、仏2000ギニー・パリ大賞・ロワイヤルオーク賞で2着。4歳時にはカドラン賞を勝利しており、距離万能の名馬だった。チャトーボスコーの父キルキュビンは愛セントレジャー・イスパーン賞・仏共和国大統領賞の勝ち馬で、愛2000ギニー・愛ダービーでは3着だった。キルキュビンの父キャプティヴェイションはサイリーン産駒。

母アドミラブルは前述のとおり愛オークス馬。本馬の全妹ライジングホープの子には、本邦輸入種牡馬ボイズィーボーイ(カツラギエースの父)がいる。アドミラブルの半姉シリストリア(父トリムドン)の子にはドラムビート【サンセットH・シネマH】がいる。アドミラブルの母シルヴィアの半妹ポムダムールの牝系子孫には、クリス【サセックスS(英GⅠ)】、ダイイシス【ミドルパークS(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)】、ロイヤルマウントブラウン【ジョンダーカン記念パンチェスタウンチェイス(愛GⅠ)】、カウントデュボワ【伊グランクリテリウム(伊GⅠ)】、インディアンヘイヴン【愛2000ギニー(愛GⅠ)】などがいる。シルヴィアの曾祖母ポルカの半妹シンデレラは、米国の名馬ピーターパンの母である。→牝系:F2号族③

母父ネアルコは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、いったん英国で種牡馬入りしたが、すぐに日本の農林水産省によって購買され来日した。この1952年に、第二次世界大戦の影響で禁止されていた海外から日本への馬輸入が解禁されており、本馬に限らず多くの馬が日本に輸入されていたのである。来日した本馬は、軽種馬生産農業協同組合静内において種牡馬供用された。

初年度の1953頭の交配数は49頭で、2年目は51頭、3年目は52頭、4年目の1956年は43頭だった。当時はサラブレッドだけでなくアラブ馬も日本で数多く生産されており、本馬もアラブ馬との交配が中心だった。1956年にデビューした日本における初年度産駒から、アラブ馬で唯一中央競馬の殿堂馬に選ばれているセイユウが登場した。それもあってか、5年目の交配数は68頭、6年目の1958年には80頭まで増加した。

サラブレッドとしての最初の活躍馬は2年目産駒のヒシマサルで、1958年の啓衆社賞最良スプリンターを受賞した。その後4年目産駒のトキノキロクが1960年の桜花賞を優勝し、同年には2年目産駒のオーテモンが天皇賞秋を優勝した。この1958年から1960年まで3年連続で全日本首位種牡馬を獲得している。

しかし1961年には、本馬より3年遅れて日本に輸入されてきたヒンドスタンに首位種牡馬の座を奪われた。本馬はその後首位種牡馬を獲得する事は無かったが、ヒンドスタンと首位種牡馬争いを繰り広げ、昭和30年代の名種牡馬として活躍した。ただし交配数自体は抑えられるようになり(アラブ馬との交配が減少したのが理由と思われる)、初の全日本首位種牡馬を獲得した翌年の7年目は48頭、8年目は14頭、9年目は33頭、10年目は34頭、11年目は45頭、12年目は42頭、13年目は28頭、14年目の1966年は10頭の交配数だった。そしてこの1966年9月に19歳で他界した。1973年には全日本母父首位種牡馬になっている。

本馬の産駒は基本的にスピード馬が多く、大レースが長距離戦主体だった当時の日本競馬界においては、ヒンドスタンに後れを取っていた。その分、勝ち上がり馬は非常に多く、「質のヒンドスタン、量のライジングフレーム」と呼ばれた。産駒の中央競馬勝利数は1379勝に及び、これはノーザンテースト(最終的には1757勝)に抜かれるまで中央競馬記録だった。現在では、サンデーサイレンス(2749勝)、ブライアンズタイム(1688勝+α)、フジキセキ(1500勝+α)、サクラバクシンオー(1390勝+α)にも抜かれて6位になっている(2015年12月1日時点。αは現役競走馬がいる事を示す)が、レース数自体が当時と今では異なる事を考慮すると、素晴らしい数字である事には変わりが無い。ちなみに、1000勝以上の記録保持馬は、7位キングカメハメハ(1291勝+α)、8位パーソロン(1272勝)、9位ヒンドスタン(1258勝)、10位トサミドリ(1135勝)、11位ダンスインザダーク(1084勝+α)、12位ネヴァービート(1064勝)、13位トニービン(1054勝)、14位クロフネ(1043勝+α)、15位アフリート(1040勝+α)、16位ディープインパクト(1033勝+α)、17位チャイナロック(1012勝)となっている。また、1958年に記録した産駒の中央競馬年間勝利数176勝は、1999年にサンデーサイレンスに抜かれるまで41年間中央競馬記録だった。現在のように短距離路線が整備されている状況下であれば、おそらく本馬の産駒はもっと活躍していたと思われる。

後世に与えた影響

本馬のサラブレッドとしての直系は、種牡馬入り後3年目に牧場の有刺鉄線に絡まって出血多量で他界したヒシマサルから、安田記念など重賞3勝を挙げ1966年の啓衆社賞最良スプリンターにも選ばれたヒシマサヒデ、重賞3勝の快速馬ヒシスピードと伸びたが、既に途絶えている。また、アラブ馬としての直系は、セイユウ、ハマノオー、ホシヒカリ、ムサシキング、シュンエイ、セントモレナ、ライジングホース、トモカゲオー、フルヒカル、玲景といった直子後継種牡馬を経由して繁栄したが、アラブ競馬の廃止と共に衰退し、アラブ馬の生産がストップした現在では完全に途絶えているはずである。それでも本馬は母父として、キタノカチドキ、リキエイカン、シーエース、ヒデコトブキを、祖母の父としてニホンピロウイナー、リニアクインなどを出し、現在も本馬の血を有する競走馬は残っている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1954

シンセカイイチ

毎日盃

1954

セイユウ

セントライト記念・読売C春・読売C秋

1954

タカシオ

タマツバキ記念春・タマツバキ記念秋

1954

ミスセイハ

クイーンS

1954

ライジングウイナー

京都記念

1955

オーテモン

天皇賞秋・東京記念(中央)・日本経済賞

1955

コンリュウ

キヨフジ記念(川崎)・クイーン賞(船橋)

1955

シュンエイ

タマツバキ記念春・読売C春・タマツバキ記念秋・読売C秋

1955

シュンメ

阪神牝馬特別

1955

タツテル

京都特別

1955

ヒシマサル

毎日王冠・セントライト記念・安田記念・日本経済賞

1955

ホウシュウサクラ

京都盃

1955

ミスイエリュウ

朝日チャレンジC

1956

インターナショナル

阪神三歳S

1956

ウネビヒカリ

朝日杯三歳S・オールカマー・毎日王冠

1956

シゲタカ

タマツバキ記念春

1956

シゲミノル

中山四歳S

1956

ハイナルビー

金杯(浦和)

1956

ハツライ

毎日盃・神戸盃

1956

ミスヒガシオー

クイーンS

1956

ヤマトノハナ

京王杯オータムH

1957

シンコウ

中山アラブ障害特別

1957

タイゴンオー

毎日盃・京都記念

1957

トキノキロク

桜花賞

1957

ミスヒラノ

タマツバキ記念春

1958

チトセホープ

優駿牝馬

1958

ミスケイコ

京都盃・阪急盃

1958

ラウンドC・

東海菊花賞(名古屋)

1958

リュウライト

阪神三歳S・朝日チャレンジC

1959

アサユキ

京王杯オータムH

1959

オヤシオ

NHK杯

1959

タカシゲ

京都四歳特別・京阪盃

1959

タカライジン

京都大障害秋2回・京都大障害春・東京障害特別春

1959

チカラガネ

タマツバキ記念春

1959

ライジングマサル

きさらぎ賞

1960

マリオンフレーム

MRO金賞(金沢)

1960

ミスマサコ

桜花賞

1962

アタックモア

東京障害特別春

1964

メジロフレーム

京成杯三歳S・スプリングS

1964

メリーダンサー

京都大障害秋・東京障害特別春

1965

クリカシワ

函館記念・京阪盃

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