和名:リライアンス |
英名:Reliance |
1962年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:タンティエーム |
母:リランス |
母父:レリック |
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先着を許したのはシーバードのみ、類稀なる実力を持ちながら最強にはなれなかった仏ダービー馬 |
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競走成績:3歳時に仏で走り通算成績6戦5勝2着1回 |
誕生からデビュー前まで
父タンティエームと母リランスの生産・所有者だった仏国のホテル王フランソワ・デュプレ氏により生産・所有された仏国産馬で、仏国フランソワ・マテ調教師に預けられた。本馬のデビュー前には、共にマテ調教師の管理馬だった本馬の4歳年上の全兄マッチと2歳年上の半兄レルコが競走馬として大活躍しており、本馬にかかる期待も大きかったと思われる。「信頼、信用」を意味する馬名を付けられたのは、そのためだったのだろうか。実際、本馬は2頭の兄に勝るとも劣らない大物だった。主戦は2頭の兄と同じくイヴ・サンマルタン騎手が務めた。
競走生活(3歳前半)
2歳時にはレースに出ず、3歳4月にロンシャン競馬場で行われたマロニエ賞(T2400m)でデビューし、2馬身半差で難なく勝ち上がった。翌5月に行われた仏ダービーの前哨戦オカール賞(T2400m)では、クリテリウムドサンクルーの勝ち馬でモルニ賞2着のカルヴァンに5馬身差をつけて圧勝し、仏ダービーの有力候補に躍り出た。
本馬と同世代の仏国調教馬には大物の誉れ高いシーバードがいたのだが、シーバードは仏ダービーではなく英ダービーに向かった。そのため、仏ダービー(T2400m)で本馬は単勝オッズ1.5倍という断然の1番人気を背負う事になった。レースでは先行して直線で先頭に立つと、ノアイユ賞の勝ち馬でリュパン賞2着のダイアトムを3/4馬身差の2着に、カルヴァンをさらに2馬身差の3着に破って優勝した。着差こそそれほどではなかったが、鞍上のサンマルタン騎手は鞭を使う事も無かったほどの楽勝だった。馬主のデュプレ氏は、英ダービーは本馬の兄レルコで既に勝っていたけれども、仏ダービーでは過去に2着が3回、3着が3回となかなか勝つことが出来ないでおり、本馬のおかげで念願の仏ダービーを制覇した。
次走は3週間後のパリ大賞(T3100m)となった。ここでも単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された本馬だったが、今度は直線でダイアトムに並びかけられた。しかしサンマルタン騎手が鞭を使うと反応した本馬が、ダイアトムを1馬身差の2着に下して勝利を収めた。
競走生活(3歳後半)
夏場は休養に当て、秋はロワイヤルオーク賞(T3100m)から始動した。そして、グレートヴォルティジュールSの勝ち馬ラガッツォを3/4馬身差の2着に、ヴィシー大賞を勝ってきたカルヴァンをさらに3馬身差の3着に破って勝利。
こうして最大目標の凱旋門賞に向かうことになった。しかし凱旋門賞の数週間前に行われたヴェルメイユ賞で、サンマルタン騎手が仏オークス馬ブラブラの落馬競走中止に巻き込まれて落馬負傷するアクシデントがあった。何としても凱旋門賞に騎乗したい彼はスペインで療養し、本番には何とか間に合わせてきた。
この凱旋門賞(T2400m)では、英ダービー・リュパン賞・サンクルー大賞・クリテリウムドメゾンラフィット・グレフュール賞を勝っていたシーバードとの最初で最後の対決となった。本馬やシーバードの他にも、この2頭さえいなければ仏国最強馬になれたであろう前哨戦プランスドランジュ賞の勝ち馬ダイアトム、ガネー賞・グレフュール賞・オカール賞・ボイアール賞の勝ち馬フリーライド、仏オークス馬ブラブラ、カルヴァン、愛国からは愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬で英ダービー・英セントレジャー2着のメドウコート、ラガッツォ、英国からはコロネーションC・ジョッキークラブC・サンダウンクラシックトライアルS・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着のオンシデュウム、米国からはプリークネスS・カウディンS・アーリントンクラシックS・アメリカンダービーの勝ち馬でベルモントS2着・ケンタッキーダービー3着のトムロルフ、ソ連からはソ連史上最強馬と言われるアニリン、伊国からはミラノ大賞2着・伊ダービー3着ながら実力的には同国最強と言われていたマルコヴィスコンティなど国際色豊かな強力メンバーが参戦。凱旋門賞史上最高のメンバーが揃ったと言われた。シーバードが単勝オッズ2.2倍の1番人気、本馬が単勝オッズ5.5倍の2番人気、ダイアトムとフリーライドのカップリングが単勝オッズ8.5倍の3番人気となった。
スタートが切られるとマルコヴィスコンティが先頭に立ち、アニリンやブラブラが先行、本馬やシーバードを含む有力勢が先行馬を見る形で好位を追走した。そしてフォルスストレートで本馬とシーバードが前との差を詰めていった。直線に入っていったんアニリンが先頭に立ったが、シーバードがまずそれをかわし、続いて本馬も楽にそれをかわした。しかしここからシーバードが本馬を瞬く間に引き離してしまった。結局、本馬は3着ダイアトムに5馬身差をつけたものの、勝ったシーバードからは6馬身差をつけられて2着に敗れた。
3歳時の出走はこれが最後で、この年の成績は6戦5勝だった。本馬に3度挑んでいずれも敵わなかったダイアトム、同じく4度挑んでやはり敵わなかったカルヴァンの2頭が直後のワシントンDC国際Sで米国の有力馬勢を蹴散らしてワンツーフィニッシュを決めるなど、本馬の前に屈した馬達がこの後に活躍したため、間接的に本馬の評価を押し上げる事となった。
競走生活(4歳時)
シーバードは3歳限りで競走馬を引退したが、本馬は4歳時も現役を続行した。シーバードがいなければ欧州競馬界は本馬の天下になるとも思われた。しかし故障のために4歳時は1度もレースに出ることなく競走馬引退となってしまった。
英タイムフォーム社のレーティングでは、20世紀最高値であるシーバードの145ポンドには及ばないものの、137ポンドの高評価を得ている。
血統
Tantieme | Deux-Pour-Cent | Deiri | Aethelstan | Teddy |
Dedicace | ||||
Desra | Corcyra | |||
Desna | ||||
Dix Pour Cent | Feridoon | Hurry On | ||
Ecurie | ||||
La Chansonnerie | Mesilim | |||
La Francaise | ||||
Terka | Indus | Alcantara | Perth | |
Toison d'or | ||||
Himalaya | Sardanapale | |||
Mountain Lass | ||||
La Furka | Blandford | Swynford | ||
Blanche | ||||
Brenta | Sans Souci | |||
Beaute de Neige | ||||
Relance | Relic | War Relic | Man o'War | Fair Play |
Mahubah | ||||
Friar's Carse | Friar Rock | |||
Problem | ||||
Bridal Colors | Black Toney | Peter Pan | ||
Belgravia | ||||
Vaila | Fariman | |||
Padilla | ||||
Polaire | Le Volcan | Tourbillon | Ksar | |
Durban | ||||
Eroica | Banstar | |||
Macedonienne | ||||
Stella Polaris | Papyrus | Tracery | ||
Miss Matty | ||||
Crepuscule | Galloper Light | |||
Terra Dombra |
父タンティエームは当馬の項を参照。
母リランスは現役成績11戦6勝、カマルゴ賞の勝ち馬。繁殖牝馬としての成績は素晴らしく、本馬の全兄マッチ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ワシントンDC国際S・サンクルー大賞・ロワイヤルオーク賞・ノアイユ賞・ボイアール賞】、半兄レルコ(父タネルコ)【仏2000ギニー・英ダービー・ロワイヤルオーク賞・ガネー賞・コロネーションC・サンクルー大賞・ギシュ賞】と、本馬も含めてチャンピオン級の馬を3頭も産んでいる。他にも、本邦輸入種牡馬であるレベルコ(父タネルコ)も本馬の半弟である。本馬の半妹マリスカ(父タネルコ)の子にはムダヒム【クリーブハードル(英GⅠ)・愛グランドナショナル(愛GA)】が、本馬の全妹ロジカの子にはゴルディコ【ルイジアナダウンズH(米GⅢ)】がいる。リランスの全弟には本邦輸入種牡馬ポリック【アランベール賞・ダフニ賞・サンジョルジュ賞】、半弟には1959年の凱旋門賞でセントクレスピンと1位同位入線ながら進路妨害で2着に降着となったミッドナイトサン(父サニーボーイ)【リュパン賞】、エスキモー(父フィルドレイク)【モーリスドニュイユ賞】がいる。リランスの母ポレールはフロール賞・ロワイヤリュー賞の勝ち馬で、その半弟にはノーザンライト【パリ大賞】がいる。また、ポレールの5代母は英国クラシック競走4勝の歴史的名牝セプターである。→牝系:F16号族②
母父レリックは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は英国ニューベリー州バークシャーのハーウッドスタッドで種牡馬入りした。種牡馬としては優秀な長距離馬を複数出したが、それほど大きな成功を収めなかった。しかし、繁殖牝馬の父としてはかなりの成功を収め、クリスとダイイシスの名種牡馬兄弟、1980年代初頭の欧州短距離王ムーアスタイル、アスコット金杯の勝ち馬ロングボート、セントジェームズパレスSの勝ち馬パーシャンハイツ(パーシャンパンチの父)、独ダービー馬ズルムー(アカテナンゴの父)などを送り出している。1976年8月、副鼻腔炎が慢性化して呼吸困難となり、14歳で安楽死の措置が執られた。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1968 |
Flamboyante |
ヴァントー賞(仏GⅢ) |
1969 |
Realistic |
ジェフリーフリアS(英GⅡ) |
1969 |
Relpin |
コンデ賞(仏GⅢ) |
1970 |
El Mina |
ミネルヴ賞(仏GⅢ) |
1970 |
Proverb |
チェスターヴァーズ(英GⅢ)・グッドウッドC(英GⅢ)2回・ドンカスターC(英GⅢ) |
1970 |
Rasgavor |
エスペランス賞(仏GⅢ) |
1970 |
Recupere |
カドラン賞(仏GⅠ)・アンリデラマール賞(仏GⅡ)・コンセイユミュニシパル賞(仏GⅡ)・ジャンプラ賞(仏GⅡ)・ベルトゥー賞(仏GⅢ)・バルブヴィル賞(仏GⅢ)3回 |
1972 |
Consol |
ジェフリーフリアS(英GⅡ)・サンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ)・ロイヤルホイップS(愛GⅢ) |
1973 |
Assured |
シザレウィッチH |
1973 |
Tug of War |
グッドウッドC(英GⅡ) |
1978 |
Snow Day |
ロワイヨモン賞(仏GⅢ)・フィユドレール賞(仏GⅢ) |
1979 |
Bajan Sunshine |
シザレウィッチH |