バーラム

和名:バーラム

英名:Bahram

1932年生

鹿毛

父:ブランドフォード

母:フライアーズドーター

母父:フライアーマーカス

オーモンドとアイシングラス以来史上3頭目の無敗の英国三冠馬となるも他世代と対戦することなく競馬場を去ったブランドフォードの代表産駒

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績9戦9勝

誕生からデビュー前まで

史上14頭目の英国三冠馬で、名馬産家として知られるアガ・カーンⅢ世殿下が生産・所有した最高傑作の1頭。アガ・カーンⅢ世殿下が愛国カラーに所有する牧場で誕生した本馬は、幼少期は非常に病弱な馬で、風邪をこじらせて肺炎を起こしたこともあったという。しかし、成長すると体高16.2ハンドに達した大柄な馬で、完璧に近いと評されたほどの非常に素晴らしい馬体の持ち主でもあった。アガ・カーンⅢ世殿下は本馬に最初“Bahman(バーマン)”と命名していたが、後に自身の従兄弟でイラン皇太子だったバーラム殿下の名前に変更している。バーラム殿下は1916年に戦艦サセックス号が撃沈された時に戦死しており、アガ・カーンⅢ世殿下は彼に敬意を表したのだという。英国フランク・バタース調教師に預けられた本馬は、脚元の不安なども無く、さらに極めて大人しい気性の持ち主でもあったが、唯一かつ最大の欠点として「怠け者である」という問題があった。調教でも集中力が続かず、真面目に走らないことが多かった。

競走生活(2歳時)

そのためバタース師は調教代わりに、7月にサンダウンパーク競馬場で行われたナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)に本馬を出走させた。当然ファンの評価は低く単勝オッズ21倍の人気薄だったが、R・ペリマン騎手が騎乗したレースでは調教とは別馬のような素晴らしい闘争心を発揮して、ウィンザーキャッスルSを勝っていた僚馬セフト(日本の二冠馬トキノミノルの父)を首差で競り落とし、観衆を唖然とさせた。もっとも、斤量面に目を向けると本馬が122ポンドだったのに対して、セフトは131ポンドであり、これで本馬の評価が急上昇したわけではないようである。

同月末に出走した次走のロウス記念S(T6F)では、主戦となるフレデリック・フォックス騎手と初コンビを組んで、首差で勝利した。次走のジムクラックS(T6F)では、あまり走る気を見せず、鞍上のフォックス騎手が必死に追って、なんとか2着コンシクウェンシャルに1馬身差で勝利した。

秋はニューマーケット競馬場に向かい、ボスコーエンS(T6F)に出走。ここではペリマン騎手とコンビを組み、2着トレードウィンドに3馬身差で勝利した。さらにミドルパークS(T6F)にフォックス騎手と共に出走。確実に勝利を積み重ねていた本馬の評価はいつの間にかかなり高くなっており、ここでは単勝オッズ1.29倍の1番人気に支持された。そしてレースでも期待に応えて、2着ゴドルフィンに2馬身差をつけて、1分11秒2のコースレコードで快勝した。

2歳時を5戦無敗で終えた本馬は、2歳馬フリーハンデではデューハーストS・コヴェントリーSの勝ち馬ハイランやセフトより1ポンド高い133ポンドの同世代最高評価を得た。

競走生活(3歳時)

3歳時は体調不良で仕上がりが遅れて、初戦に予定していたクレイヴンSを回避し、英2000ギニー(T8F)にぶっつけ本番で挑んだ。レースでは休み明けが嫌われたのか単勝オッズ4.5倍の2番人気だったが、2着セフトに1馬身半差、3着シービクエストにはさらに2馬身差をつけて快勝した。

続く英ダービー(T12F)では、セフト、リングフィールドダービートライアルSを勝ってきたフィールドトライアル、ニューSの勝ち馬ロビングッドフェローなどを抑えて、単勝オッズ2.25倍の1番人気となった。レース前日は大雨だったが、当日は晴れ渡り、即位25周年の英国王ジョージⅤ世を含めて、50万人もの大観衆がエプソム競馬場に詰め掛けていた。フォックス騎手鞍上の本馬はレース序盤には後方につけ、馬群の僅かな隙間を縫うようにしてタッテナムコーナーの時点では3番手まで進出。直線に入って早々にあっさりと抜け出すと、最後は2着ロビングッドフェローに2馬身差、3着フィールドトライアルにはさらに半馬身差をつけて快勝した(セフトは4着だった)。

その後はセントジェームズパレスS(T8F)に向かい、単勝オッズ1.125倍という圧倒的な1番人気に応えて、2着ポートフォリオに1馬身差で勝利した。

その後は秋の英セントレジャーを視野に入れて休養に入ったが、8月に英国中の厩舎でインフルエンザが流行したために、調教開始が遅れてしまい、英セントレジャー(T14F132Y)に直行となった。インフルエンザ流行の影響でフェアトライアルなどの有力馬が回避しており、僅か8頭立ての少頭数となったとは言え、本馬も主戦のフォックス騎手が前日の落馬負傷で騎乗できなくなり、チャーリー・スマーク騎手に急遽乗り代わるというアクシデントがあった。しかし結果は単勝オッズ1.36倍という断然の1番人気に支持された本馬が、2着ソーラーレイに5馬身差、3着となったクレイヴンSの勝ち馬バックレイ(後にニューマーケットセントレジャー・ドンカスターC・ジョッキークラブC・マンチェスターCを勝ち、アスコット金杯で短頭差の2着)にはさらに3馬身差をつけて圧勝。鞍上のスマーク騎手は鞭を1度も使うことがなく、文句の付けようのない勝利だった。スマーク騎手がレース後に「168ポンドを背負い、なおかつ、騎手が2人乗っていても勝てた」と豪語したほどの楽勝だった。これで本馬は1918年のゲインズボロー以来17年ぶり史上14頭目の英国三冠馬となった。もっとも、ゲインズボロー、その前のゲイクルセイダーポマーンの3頭は、第一次世界大戦の影響によりニューマーケット競馬場以外の競馬場が使用できず、代替競走における三冠達成だったから、エプソム競馬場の英ダービーとドンカスター競馬場の英セントレジャーという本来のコースで三冠を達成したのは、1903年のロックサンド以来32年ぶりだった(この32年間に、セントアマント、ミノルマンナ、カメロニアンの4頭がドンカスター競馬場の英セントレジャーで三冠に挑んでいたが、全て着外に敗れ去っていた)。また、無敗での英国三冠達成は1886年のオーモンド、1893年のアイシングラス以来42年ぶり史上3頭目の快挙であった。本馬以降に英国三冠馬は長らく登場せず、1970年にニジンスキーが英国三冠馬になるまで35年間に渡って本馬は史上最後の英国三冠馬と言われることになる。

翌年も現役を続行してアスコット金杯を制覇する事が期待されていたが、アガ・カーンⅢ世殿下は「この馬は世紀の名馬であり、もはや走るべきレースは無い」として、英セントレジャーを最後に3歳時4戦4勝の成績で本馬を引退させた。そのために本馬は生涯無敗馬となった。生涯無敗の英国三冠馬はオーモンドと本馬の2頭のみである。

競走馬としての評価

しかし本馬は別の世代の馬と一度も走る機会が無く、レースでも必要以上の着差をつける事はあまり無かったため、その実力については未知数の部分も多い。本馬を管理したバタース師は「この馬の強さはどのくらいだったのか、私は結局分かりませんでした」と語り、主戦のフォックス騎手も「これほど怠け者の馬は私の知る限り後にも先にもこの馬だけでした」と語っている。本馬の同期にはセフトの他にフェアトライアルもいたが、本馬とは一度も戦っていない。本馬の1歳年上には名馬ウインザーラッドがおり、本馬が休養中に行われたエクリプスSでセフトとフェアトライアルの2頭がウインザーラッドに挑んだが、それぞれ2着と3着に負かされている。英タイムズ紙は、本馬はウインザーラッドより劣ると評している。しかし英デイリー・メール紙はアガ・カーンⅢ世殿下の世紀の名馬という評価に同意しているし、1999年に出版された“A Century of Champions”の平地競走馬部門においては、ウインザーラッドと同じ139ポンドという高評価が与えられている。本馬は英国競馬史上有数の名馬なのか、それとも単なる平凡な世代の英国三冠馬なのかは永遠の謎である。

血統

Blandford Swynford John o'Gaunt Isinglass Isonomy
Dead Lock
La Fleche St. Simon
Quiver
Canterbury Pilgrim Tristan Hermit
Thrift
Pilgrimage The Palmer
Lady Audley
Blanche White Eagle Gallinule Isonomy
Moorhen
Merry Gal Galopin
Mary Seaton
Black Cherry Bendigo Ben Battle
Hasty Girl
Black Duchess Galliard
Black Corrie
Friar's Daughter Friar Marcus Cicero Cyllene Bona Vista
Arcadia
Gas Ayrshire
Illuminata
Prim Nun Persimmon St. Simon
Perdita
Nunsuch Nunthorpe
La Morlaye
Garron Lass Roseland William the Third St. Simon
Gravity
Electric Rose Lesterlin
Arc Light
Concertina St. Simon Galopin
St. Angela
Comic Song Petrarch
Frivolity

ブランドフォードは当馬の項を参照。

母フライアーズドーターは現役時代僅か1勝だったが、本馬の半兄ダスター(父ソラリオ)【愛ダービー・コロネーションC・英チャンピオンS・キングエドワードⅦ世S・サセックスS】、半弟サドリ(父ソラリオ)【ダーバンジュライ】など11頭の勝ち上がり馬を産んだ優秀な繁殖牝馬だった。なお、ダスターは本馬が産まれた年である1932年の英国三冠競走3戦で全て2着(勝ち馬は全て異なる)に敗れており、本馬の英国三冠達成は兄の雪辱を果たすものでもあった。

本馬の半姉フィーユダムール(父ハリーオン)の孫には、日本の大種牡馬ライジングフレームの父となったザフェニックス【愛2000ギニー・愛ダービー】、玄孫世代以降には、日本で走ったキョウエイプロミス【天皇賞秋】などがいる。

本馬の半姉フィーユドサル(父サンソヴァーノ)の牝系子孫には、本邦輸入種牡馬ダンディルート、エスプリデュノール【オイロパ賞(独GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)】、日本で走ったサクラチヨノオー【東京優駿(GⅠ)・朝日杯三歳S(GⅠ)】、サクラホクトオー【朝日杯三歳S(GⅠ)】、アロンダイト【ジャパンCダート(GⅠ)】、クリソライト【ジャパンダートダービー(GⅠ)】、マリアライト【エリザベス女王杯(GⅠ)】などがいる。

本馬の半妹ニルーファー(父サンソヴァーノ)の牝系子孫には、アフリカンボーイ【リオデジャネイロ州大賞(伯GⅠ)・伯ジョッキークラブ大賞(伯GⅠ)・クルゼイロドスル大賞(伯GⅠ)】、グリソン【フランシスコエドゥアルドデパウロマチャド大賞(伯GⅠ)・クルゼイロドスル大賞(伯GⅠ)・ブラジル大賞(伯GⅠ)】などがいる。

本馬の半妹アルラビア(父ブレニム)の子にはロベリア【ランカシャーオークス】、牝系子孫には、日本で走ったシャダイカグラ【桜花賞(GⅠ)】、ストレイトガール【ヴィクトリアマイル(GⅠ)2回・スプリンターズS(GⅠ)】などがいる。

フライアーズドーターの母ガロンラスは20世紀世界有数の名繁殖牝馬プラッキーリエージュの半妹であるから、プラッキーリエージュの子であるサーギャラハッド、ブルドッグ、アドミラルドレイク、ボワルセル達とフライアーズドーターは従兄弟同士である。→牝系:F16号族③

母父フライアーマーカスは現役成績14戦9勝。2歳時は非常に強く、ロウス記念S・ミドルパークプレートなど5戦全勝。しかし3歳以降はプリンスオブウェールズSを勝った程度に留まった。種牡馬としても英1000ギニー馬ブラウンベティーを出した程度で成功はしていない。フライアーマーカスの父キケロはサイリーンの代表産駒の一頭で、現役成績9戦7勝。2歳時はコヴェントリーS・ジュライSなど無敗で通し、3歳時はニューマーケットS・英ダービーと連勝した。古馬になっても走ったが、活躍は出来なかった。種牡馬としてもあまり良い成績は残していない。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国ニューマーケットにあるエジャートンスタッドで種牡馬入りした。初年度の種付け料は500ギニーに設定された。初年度産駒のターカンが英セントレジャーと愛ダービーを、クイーンオブシラズが愛オークスを制した1940年には、僅か2世代の産駒だけで英愛種牡馬ランキング2位に入った。また、1941年には3世代目産駒のビッグゲームの活躍により英愛2歳首位種牡馬になった。このビッグゲームが翌年の英2000ギニーを勝つなど、本馬は2頭の英国クラシック競走勝ち馬を含む25頭のステークスウイナーを出して活躍した。

しかし本馬の産駒が走り始めた1939年は、第二次世界大戦が始まった年でもあった。1940年に独国が仏国に攻め込んでくると、アガ・カーンⅢ世殿下はスイスに逃れた。そして米国競馬界の重鎮アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルトⅡ世氏が本馬の購入を打診してくるとそれに応じ、1941年に本馬はヴァンダービルトⅡ世氏が結成した種牡馬シンジケートに4万ポンドで売却されて、大西洋を渡った。既にブレニムマームードを米国に売り飛ばしていた前科があったアガ・カーンⅢ世殿下は、本馬が競走馬を引退した際にこの馬を売るつもりは無いとしていた事もあり、英国の競馬関係者から激しい非難を浴びたが、今回は戦争の影響があったので仕方が無いだろう。

本馬はヴァンダービルト氏がメリーランド州に所有していたサガモアファームに移り住み、後にシンジケート加入者の1人ウォルター・P・クライスラー氏が所有するヴァージニア州ノースウェールズスタッドに移動した。しかし受精率が低かった影響もあり米国での種牡馬成績は期待ほどではなく、1945年に13万ドルで転売され、翌1946年に亜国に移り住んで種牡馬生活を続けた。しかし亜国でも成功する事は出来ず、彼の地で1956年1月に24歳で他界した。ビッグゲームやパーシャンガルフが種牡馬として一定の成功を収め、特にパーシャンガルフの直系は独国でしぶとく生き残り、21世紀に入ってもなお続いている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1937

Queen of Shiraz

愛オークス

1937

Turkhan

愛ダービー・英セントレジャー・コヴェントリーS

1939

Big Game

英2000ギニー・英チャンピオンS・コヴェントリーS・英シャンペンS

1940

Persian Gulf

コロネーションC

1943

Stud Poker

マイアミビーチH・アーリントンH

1946

Sun Bahram

サラナクH

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