和名:デヒア |
英名:Dehere |
1991年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:デピュティミニスター |
母:シスタードット |
母父:セクレタリアト |
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77年ぶり史上3頭目となる夏のサラトガ開催2歳主要競走3戦完全制覇を達成してエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれた本邦輸入種牡馬 |
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競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績9戦6勝2着1回 |
誕生からデビュー前まで
父デピュティミニスターの共同馬主の一員でもあった米国デュープロセスステーブルにより生産・所有されたケンタッキー州産馬で、父デピュティミニスターも管理したレイナルド・ノーブルス調教師に預けられた。デュープロセスステーブルの会長で公認会計士兼株式仲買人だったロバート・ブレナン氏は本馬の素質を高く評価し、自身の出身大学であるニュージャージー州シートンホール大学のバスケットボールチームで大活躍して当時全米中の注目を集めていたテリー・デヒア選手にちなんで本馬を命名した。
競走生活(2歳前半)
2歳6月にモンマスパーク競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦で、ジョー・ブラボ騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された。2番人気のルッキーペリが単勝オッズ8.8倍だったから、一本かぶりの人気であり、ファンからの評価もかなりのものだったようである。そしてレースでも前評判どおりの走りを見せた。道中は馬群の中団を追走し、四角で少し位置取りを上げて3番手で直線に入ってきた。残り1ハロン地点でも先頭を走る単勝オッズ20.4倍の9番人気馬ジャスティンザファストレーンまでは4馬身もの差があったが、この差を瞬時にひっくり返して逆に4馬身差をつけて勝つという圧巻のパフォーマンスを披露した。なお、本馬が未勝利戦を勝ち上がった同じ日に、名前の由来となったデヒア選手が全米プロバスケットボール協会(NBA)のロサンゼルス・クリッパーズからドラフト1位指名を受けている。
それから1か月後にはサラトガ競馬場に場所を移して、エディ・メイプル騎手を鞍上にサラトガスペシャルS(GⅡ・D6F)に出走。トレモントBCSを勝ってきたディスティンクトリアリティ、未勝利戦を3馬身半差で快勝してきたホイットニータワー、トレモントBCS2着馬ガストズィー、トレモントBCS3着馬スルージンフィズなどの有力馬も参戦しており、前走のような断然人気というわけにはいかなかった。それでも本馬が単勝オッズ3.1倍の1番人気に支持され、他馬より5ポンド重い斤量が敬遠されたディスティンクトリアリティが単勝オッズ4倍の2番人気、ホイットニータワーが単勝オッズ6倍の3番人気、ガストズィーが単勝オッズ7.8倍の4番人気、スルージンフィズが単勝オッズ8倍の5番人気となった。
ここでは逃げるガストズィーを3~4番手で追走。そのまま直線に入ってきたが、内側を突こうとして失敗し、先行馬勢が壁になって出られない状態となってしまった。仕方が無く、鞍上のメイプル騎手は本馬をいったん5番手まで下げて大外に持ち出した。この時点では誰がどう見ても本馬の勝利は絶望的だったのだが、ゴール直前で豪脚一閃。九分九厘勝利を手中に収めていたスルージンフィズを首差でかわして勝利した。このときの本馬の走りを日本における有名なレースに例えると、「ヒシアマゾンが勝ったクリスタルCとエアグルーヴが勝ったいちょうSを足して2で割った」ような感じだろうか。
それから15日後に出走したサンフォードS(GⅢ・D6F)では、主戦となるクリス・マッキャロン騎手と初コンビを組んだ。ここでは本馬が122ポンドのトップハンデでも単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持され、伊共和国大統領賞の勝ち馬マレヴィックの甥に当たる1戦1勝馬グッバイドエニーが単勝オッズ5.7倍の2番人気、ケンタッキーバドワイザーBCS2着馬ディッシュイットアウトが単勝オッズ7.1倍の3番人気、サラトガスペシャルSで4着だったディスティンクトリアリティは単勝オッズ10.2倍の4番人気だった。レースは出走6頭全てが概ね固まって進み、本馬はその馬群の最後方を追走。そして四角で外側を通って上がっていくと、直線で一気に他馬を突き放し、本馬と同じく最後方から追い込んできた単勝オッズ28.7倍の最低人気馬プレナップ(ここでは人気薄だったが、後にジェロームHを制してGⅠ競走勝ち馬となっている)に5馬身差をつけて圧勝した。
さらに16日後にはホープフルS(GⅠ・D6.5F)に参戦。対戦相手は、サラトガスペシャルSから直行してきたスルージンフィズ、同3着から直行してきたホイットニータワー、未勝利戦を4馬身3/4差で勝ち上がってきたプレゼントリー(この当時の米国芝牝馬路線を席巻していた名牝フローレスリーの全弟)、未勝利戦を6馬身差で勝ち上がってきたロイヤルミニスター(伊ダービー馬ヘイルシャムの半弟)、サプリングSで2着してきたメドウフライトなどだった。本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持され、スルージンフィズが単勝オッズ6.3倍の2番人気、プレゼントリーが単勝オッズ7.9倍の3番人気、メドウフライトが単勝オッズ13.1倍の4番人気、ロイヤルミニスターが単勝オッズ14.9倍の5番人気、ホイットニータワーが単勝オッズ17.1倍の6番人気となった。今回の本馬は過去3戦とは異なり、スタートからホイットニータワーやプレゼントリーなどと共に先頭を走るという積極策に出た。その理由はおそらく逃げ馬不在でスローペースになる事をマッキャロン騎手が見越したためである。そのままの態勢で直線を向くと、残り1ハロン地点で悠々と抜け出し、後方から追い上げてきた2着スルージンフィズに2馬身半差をつけて完勝した。
これで本馬は、夏のサラトガ開催で行われる2歳主要競走サラトガスペシャルS・サンフォードS・ホープフルSを総なめにしたことになった。これは1914年のリグレット、1916年のキャンプファイヤー以来、77年ぶり史上3頭目という快挙だった(本馬以降には2000年にシティジップが達成している)。マッキャロン騎手は本馬を自身が騎乗した最高の2歳馬であると評したし、この時点で本馬の母方の祖父セクレタリアトと比較する論調も出始めた。そして早くもBCジュヴェナイルや翌年のケンタッキーダービーの最有力候補であると目された。
競走生活(2歳後半)
その後はベルモントパーク競馬場に移動して、前走から20日後のベルモントフューチュリティS(GⅠ・D7F)に駒を進めた。対戦相手は、やはりホープフルSから直行してきたスルージンフィズ、サプリングS・タイロSなど4戦全勝のセイクリッドオナー、サンフォードSから直行してきたプレナップ、そしてデビューから2戦連続で圧勝してきたホーリーブルなどだった。本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気、ホーリーブルが単勝オッズ4.1倍の2番人気、スルージンフィズが単勝オッズ6.3倍の3番人気、セイクリッドオナーが単勝オッズ13.9倍の4番人気、プレナップが単勝オッズ35.4倍の5番人気となった。
しかしスタートで躓いた本馬は出遅れてしまい、後方から追いかける羽目になった。さらには重馬場の影響なのか、前走のようなスムーズな走りも見られなかった。その一方で、2番人気だったホーリーブルがスタートから快調に先頭を飛ばしていた。それでも本馬は直線入り口3番手から、4馬身ほど前を行くホーリーブルを猛追したものの、半馬身届かずに2着に敗れた。ホーリーブルは後にエクリプス賞年度代表馬及び米国顕彰馬に選ばれるほどの強豪馬であるが、この時点ではまだ駆け出しの馬に過ぎず、そんな馬に本馬が敗れたことにショックを隠せない競馬ファンも多かったという。
次走のシャンペンS(GⅠ・D8F)ではホーリーブルは不在であり、2戦2勝のクレイリー、ベルモントフューチュリティSで4着だったセイクリッドオナーくらいしか目立つ相手はいなかった。そのために本馬が前走よりも低い単勝オッズ1.3倍という断然の1番人気に支持され、クレイリーが単勝オッズ4.4倍の2番人気、セイクリッドオナーが単勝オッズ9.9倍の3番人気となった。スタートが切られるとセイクリッドオナーが先頭に立って単騎逃げに持ち込み、本馬は2~3馬身ほど後方の2番手を進んだ。そのままの態勢で直線に入ると、あっさりとセイクリッドオナーをかわして先頭に立ち、2着クレイリーに4馬身差をつけて完勝した。
その後は米国西海岸に遠征して、サンタアニタパーク競馬場で行われたBCジュヴェナイル(GⅠ・D8.5F)に参戦した。ブリーダーズカップ登録が無いホーリーブルはここでも不在であり、本馬とは初顔合わせの馬ばかりが対戦相手となった。その中でも強敵と目されていたのは、未勝利戦と一般競走を2戦連続圧勝してきたブロッコ、カリフォルニアカップジュヴェナイルSを5馬身差で圧勝してきたフライングセンセーションの2頭だった。しかしブロッコにはグレード競走出走経験は無かったし、フライングセンセーションはバルボアSで3着、デルマーフューチュリティで4着というのがグレード競走の成績だった。他にも、ハリウッドジュヴェナイルCSSの勝ち馬でバッシュフォードマナーS・デルマーフューチュリティ・ノーフォークS2着のランブリンガイ、ノーフォークSを勝ってきたシェパーズフィールド、フォートスプリングSを勝ってきたタバスコキャット、デルマーフューチュリティ・ノーフォークS3着のフェラーラ、デルマーフューチュリティの勝ち馬ウイニングパクトなどもいたが、本馬に敵いそうな馬はいなかった。そのために本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持され、未知の魅力が買われたブロッコが単勝オッズ4倍の2番人気、フライングセンセーションが単勝オッズ7.4倍の3番人気、ランブリンガイが単勝オッズ16.2倍の4番人気、シェパーズフィールドが単勝オッズ16.2倍の5番人気となった。
スタートが切られると単勝オッズ42.4倍の9番人気馬ウイニングパクトが先頭に立ち、ランブリンガイやタバスコキャットがそれに続き、本馬は4番手を追走した。そして三角手前で仕掛けて四角で先頭に並びかけようとした。ところがここから全く伸びずに、ずるずると後退。5番手追走から直線入り口で先頭に立って直線独走で5馬身差の圧勝を飾ったブロッコから12馬身半差をつけられた8着と大敗してしまった。レース後に鼻出血を発症していた事が判明した。
2歳時の出走はこれが最後となり、この年の成績は7戦5勝となった。BCジュヴェナイル惨敗でかなり印象が悪くなった本馬だが、ブロッコが次走ハリウッドフューチュリティで進路を塞がれる不利があったとはいえ2着に敗れた事もあり、この年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞した。BCジュヴェナイルで敗れた馬がエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれたのは1988年のイージーゴア以来5年ぶり史上2頭目だった。
競走生活(3歳時)
3歳時は1月にガルフストリームパーク競馬場で行われるハッチソンSから始動する予定だったが、軽度の疝痛を発症したために回避となった。そして翌2月にガルフストリームパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走がシーズン初戦となった。対戦相手3頭はそれほど実績が無い馬ばかりであり、本馬が単勝オッズ1.1倍という圧倒的な1番人気に支持され、フーリッシュプレジャーBCSの勝ち馬でワットアプレジャーS2着のライドザレイルズが単勝オッズ6.9倍の2番人気となった。今回はマイク・スミス騎手とコンビを組んだ本馬はスタートから先頭をひた走ったが、ライドザレイルズに道中ずっとマークされていた。そして直線に入ると並びかけられて叩き合いに持ち込まれた。3着セニョールコンキスタドールを12馬身半差も引き離す一騎打ちの末に勝利したのはライドザレイルズで、競り負けた本馬は3/4馬身差の2着だった。
これで本馬は過去4戦中3戦で負けてしまった事になり、セクレタリアトにも比肩するのではないかとまで言われたかつての評価は鳴りを潜め、単なる早熟の快速馬ではないかという意見が噴出するようになった。
それから2週間後のファウンテンオブユースS(GⅡ・D8.5F)では、ベルモントフューチュリティS勝利後にインリアリティS・ハッチソンSを勝ってきた5戦無敗のホーリーブル、レムセンSなど4連勝中のゴーフォージン、ライドザレイルズ、スペクタキュラービッドBCSの勝ち馬ヘイローズイメージなどが対戦相手となった。ホーリーブルが単勝オッズ2.3倍の1番人気、ゴーフォージンが単勝オッズ2.6倍の2番人気で、同馬主同厩のウォームウェインとのカップリングでようやく単勝オッズ3.4倍の3番人気となった本馬は、生涯初めて1番人気の座を他馬に譲ることになった。
スタートが切られると例によってホーリーブルが逃げを打ち、ゴーフォージンがさらに4馬身ほど離れた4番手で、クレイグ・ペレット騎手が手綱を取る本馬はゴーフォージンからさらに4馬身ほど離れた後方2番手を追走した。そして三角から四角にかけて一気に位置取りを上げると、失速するホーリーブルを尻目に直線入り口で先頭に立った。いったんは本馬にかわされたゴーフォージンが粘りを見せて食らいついてきたが、それを3/4馬身差抑えて勝利した。ゴーフォージンから1馬身1/4差の3着にはライドザレイルズが入り、道中で舌が喉に詰まって呼吸困難に陥っていたホーリーブルは6着最下位だった。
これで本馬は再びケンタッキーダービーの有力候補として認知されるようになったのだが、その直後の調教中に右後脚の管骨を骨折してしまった。骨折箇所にボルトを埋め込む手術が行われて一命は取り留めたが、ケンタッキーダービーを始めとする米国三冠競走出走は絶望となった。それでもブレナン氏は現役続行に拘り、競走馬登録はしばらくそのままだったが、3歳冬になって遂に現役続行を断念。3歳時2戦1勝の成績で競走馬引退となった。
ファウンテンオブユースSで破ったゴーフォージンがケンタッキーダービーを勝ち、ホーリーブルがエクリプス賞年度代表馬に輝く活躍を見せたが、本馬が無事にこれらの馬達と戦っていたら、果たしてどのような結果になっていただろうか。
ちなみにブレナン氏とデヒア選手は共同で「デヒア基金」という都市犯罪撲滅基金を創設しており、本馬が稼いだ賞金は街頭暴力の被害者に対するチャリティー基金として寄付されていたという。しかし本馬の競走馬引退後はこの両名も振るわなかった。ロサンゼルス・クリッパーズに入団したデヒア選手だが、それほどの活躍は出来ないまま引退して現在は政治家に転身している。また、悪徳商法(マネー・ローンダリング)に手を染めていたらしいブレナン氏は、本馬の競走馬引退直後に詐欺罪で逮捕されて、後に懲役9年2か月の有罪判決を受けて服役することになり、公認会計士の資格も剥奪されて表舞台から姿を消した。
血統
Deputy Minister | Vice Regent | Northern Dancer | Nearctic | Nearco |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
Victoria Regina | Menetrier | Fair Copy | ||
La Melodie | ||||
Victoriana | Windfields | |||
Iribelle | ||||
Mint Copy | Bunty's Flight | Bunty Lawless | Ladder | |
Mintwina | ||||
Broomflight | Deil | |||
Air Post | ||||
Shakney | Jabneh | Bimelech | ||
Bellesoeur | ||||
Grass Shack | Polynesian | |||
Good Example | ||||
Sister Dot | Secretariat | Bold Ruler | Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | ||||
Miss Disco | Discovery | |||
Outdone | ||||
Somethingroyal | Princequillo | Prince Rose | ||
Cosquilla | ||||
Imperatrice | Caruso | |||
Cinquepace | ||||
Sword Game | Damascus | Sword Dancer | Sunglow | |
Highland Fling | ||||
Kerala | My Babu | |||
Blade of Time | ||||
Bill and I | Baybrook | Brookfield | ||
Coralie B. | ||||
Klinchit | War Dog | |||
Whosis |
父デピュティミニスターは当馬の項を参照。
母シスタードットは現役時代に米で走り35戦4勝の成績だった。本馬の半妹デミスーア(父ストームバード)の子にはファストディシジョン【ウィザーズS(米GⅢ)】、孫にはディキシーシティ【デモワゼルS(米GⅡ)】がいる。また、本馬の半妹シスターフロムシアトル(父シアトルスルー)の子にはハンクス【AAMIヴァーズ(豪GⅡ)】がいる。また、本馬の1歳年下の全弟デフレールは現役成績5戦3勝で、ステークス競走ではバハマズS3着がある程度の競走馬だったが、血統が買われて種牡馬入りし、外国産馬として日本で走りエンプレス杯など重賞9勝を挙げたレマーズガールを出した。
シスタードットの母ソードゲームの全兄にはディアボロ【デルマーフューチュリティ(米GⅡ)・サンハシントS(米GⅡ)・カリフォルニアダービー(米GⅡ)】が、ソードゲームの半姉ミスアフェクテーションの孫にはフェイバーシャム【コールタウンBCH(米GⅢ)】、スポートフルスノッブ【レイルバードS(米GⅡ)】が、ソードゲームの半妹スプリンクルダラーズの子にはコストリーシューズ【ブラックアイドスーザンS(米GⅡ)・ポストデブS(米GⅢ)】、曾孫にはラストガンファイター【ホーソーン金杯H(米GⅡ)・エクセルシオールS(米GⅢ)・ピムリコスペシャルS(米GⅢ)・フィリップHアイズリンS(米GⅢ)】が、ソードゲームの全妹エインシャントライトの曾孫にはチャーリーズモーメント【ラサロバレラ記念S(米GⅢ)】がいるなど、近親にはグレード競走勝ち馬の名前が何頭か見られるが、GⅠ競走勝ち馬はいない。ソードゲームの10代母シンデレラは20世紀初頭の名競走馬にして名種牡馬のピーターパンの母であるが、このくらい遡らないと著名馬の名前が出てこない牝系である。→牝系:F2号族③
母父セクレタリアトは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はクールモアグループにより購入され、米国ケンタッキー州アッシュフォードスタッドで種牡馬入りした。また、クールモアグループの他の主要種牡馬と同じく豪州にも毎年シャトルされた。豪州では活躍馬が出たが、米国における産駒成績は期待外れだったため、1999年に日本中央競馬会に購入され、翌2000年から日本軽種牡馬協会静内種馬場で種牡馬供用された。来日した後になって米国に残してきた産駒のグリームホールやテイクチャージレディが活躍したために期待され、初年度は90頭、2年目は94頭、3年目は92頭、4年目は84頭と順調に繁殖牝馬を集めていた。しかし5年目は56頭、6年目の2005年には23頭まで交配数が下落。そしてこの年にクールモアグループに買い戻されてアッシュフォードスタッドに移り、再び米国と豪州を行き来するシャトルサイヤーとなった。
その後の2010年にトルコジョッキークラブに購入されてトルコに移動。2014年5月に心臓発作のために23歳で他界した。産駒のステークスウイナーは世界全体で63頭以上となっている。産駒は自身と同様の仕上がり早いタイプが多かった。全日本種牡馬ランキングでは2005年の42位が最高だった。母父としてはBCスプリントを2連覇したミッドナイトリュートなどを出している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1996 |
Millions |
ローレルフューチュリティ(米GⅢ) |
1997 |
Belle du Jour |
ゴールデンスリッパー(豪GⅠ)・ニューマーケットH(豪GⅠ)・エミレーツクラシック(豪GⅡ) |
1997 |
Defier |
AJCクイーンエリザベスS(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)・ドゥーンベンC(豪GⅠ)・ウォーウィックS(豪GⅡ)・テオマークスS(豪GⅡ)・カンタベリーS(豪GⅡ) |
1997 |
Graeme Hall |
アーカンソーダービー(米GⅡ)・ジムダンディS(米GⅡ)・エクリプスH(加GⅡ)・スタイヴァサントH(米GⅢ) |
1997 |
Here's Zealous |
グレーヴセンドH(米GⅢ) |
1997 |
Millencolin |
ケンタッキーCジュヴェナイルS(米GⅢ) |
1997 |
トーヨーデヘア |
OROカップ(盛岡)・早池峰賞(水沢)・青藍賞(水沢) |
1998 |
Shooter |
サプリングS(米GⅢ) |
1999 |
Bollinger |
クールモアクラシック(豪GⅠ)・サラウンドS(豪GⅡ)・AJCサウスパシフィッククラシック(豪GⅢ) |
1999 |
Finality |
ジャマイカH(米GⅡ) |
1999 |
Natural Blitz |
コーフィールドオータムクラシック(豪GⅡ)・タロックS(豪GⅡ)・ジョンFフィーハンS(豪GⅡ)・ヒルS(豪GⅡ)・PJオシアS(豪GⅡ) |
1999 |
Take Charge Lady |
アッシュランドS(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)2回・アルキビアデスS(米GⅡ)・フェアグラウンズオークス(米GⅡ)・シルヴァービュレットデイS(米GⅢ)・ドッグウッドS(米GⅢ)・アーリントンメイトロンH(米GⅢ) |
2000 |
Belle of Perintown |
シルヴァービュレットデイS(米GⅢ) |
2000 |
Puxa Saco |
デザートストーマーH(米GⅢ) |
2000 |
Soto |
ケンタッキージョッキークラブS(米GⅡ)・ウエストヴァージニアダービー(米GⅢ) |
2001 |
ウエストジーニアス |
不来方賞(盛岡) |
2001 |
ケイアイガード |
ラジオたんぱ賞(GⅢ) |
2003 |
Here de Angels |
DCマッケイS(豪GⅢ)・イアンマキュアンS(豪GⅢ)・ルビトンS(豪GⅢ)・CMAリサイクリングS(豪GⅢ)・ルビトンS(豪GⅢ) |
2003 |
ホウライミサイル |
駿蹄賞(SPⅠ)・東海ダービー(SPⅠ) |
2004 |
ウエスタンダンサー |
京阪杯(GⅢ) |
2004 |
キーポケット |
兵庫牝馬特別(園田)・兵庫クイーンC(園田)・福山牝馬特別(福山)・兵庫サマークイーン賞(園田)・新春賞(園田)・福山牝馬特別(福山)・読売レディス杯(金沢) |
2004 |
スパイナルコード |
黒潮皐月賞(高知)・高知優駿(高知)・トレノ賞(高知)・建依別賞(高知)・珊瑚冠賞(高知) |
2004 |
テイエムゲンキボ |
肥後の国グランプリ(荒尾)・九州記念(KJ3) |
2005 |
エーシンディーエス |
京都ハイジャンプ(JGⅡ)・京都ジャンプS(JGⅢ) |
2005 |
ニックバニヤン |
羽田盃(SⅠ) |
2007 |
Decelerator |
チャーチルダウンズデビュータントS(米GⅢ) |
2008 |
Invest |
SAJCシュウェップスオークス(豪GⅠ)・ザローゼズ(豪GⅢ) |
2008 |
Miss Stellabelle |
シャンペンS(豪GⅢ) |
2008 |
Pear Tart |
QTCウインターS(豪GⅠ)・クイーンズランドギニー(豪GⅡ) |
2009 |
Dear Demi |
VRCクラウンオークス(豪GⅠ)・フューリアスS(豪GⅡ)・サラウンドS(豪GⅡ)・WHストックスS(豪GⅡ)・ザローゼズ(豪GⅢ) |