エミリウス

和名:エミリウス

英名:Emilius

1820年生

黒鹿

父:オーヴィル

母:エミリー

母父:スタンフォード

非セントサイモン系のキングファーガス直系として後世に大きな影響を保ち続ける英ダービー馬

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績11戦8勝2着2回

誕生からデビュー前まで

英国でジョン・ウドニー大佐の手により、母エミリーの2番子として誕生した。筋肉質で良くまとまった馬体を持ち、脚は短めで首が長く、猟犬のように見えたという。最終的に英国クラシック競走33勝を挙げる大調教師ロバート・ロブソン師の元で鍛えられた。2歳時には公式戦には出走しなかったが、ニューマーケットにおける調教において卓越した動きを披露したために、2歳時の段階で既に英ダービーの有力候補の1頭として認知されていた。

競走生活(英ダービーまで)

3歳4月に競走馬デビュー。最終的に英国クラシック競走27勝を挙げる名手フランク・バックル騎手が主戦を務めた。初戦はニューマーケット競馬場で行われたリドルスワースS(T8F)だった。1815年創設のこのレースは、後の1830年代になるとレース価値が下落して1841年を最後に廃止されてしまったが、本馬の時代は英ダービーを始めとする英国クラシック競走に匹敵するかそれ以上の賞金を誇る大競走だった。デビュー戦にも関わらず単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持された本馬は、タリスマンやトレイといった実力馬を撃破して勝利した。

それから3日後にはディナーSに出走したが、対戦相手が出現せず単走で勝利した。その後の英2000ギニーには出走せず、代わりにニューマーケット競馬場で行われたスウィープSに出走。本馬が出走してくると耳にした他馬陣営の大半は逃げ出してしまい、ファナティックという馬が唯一の対戦相手として残った。本馬の所有者ウドニー大佐は、ファナティックの所有者ロード・エクセターに対して、逃げ出した他馬陣営が支払っていた出走登録料を山分けにするように持ち掛けた。交渉は成立して、レースは本馬とファナティックが両方勝者という事になった。

デビュー4戦目は英ダービー(T12F)となった。対戦相手は、本馬不在の英2000ギニーとニューマーケットSを勝ってきたニコロ、タンクレッド、タリスマンなどの実力馬を含む10頭だった。本馬が単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持され、タンクレッドが単勝オッズ2.625倍の2番人気、ニコロが単勝オッズ11倍の3番人気であり、本馬とタンクレッドの一騎打ちムードだった。スタートが切られると本馬鞍上のバックル騎手はすかさず本馬を加速させて先頭に立たせた。そのまま先頭を維持しながらタッテナムコーナーまで悠々と走ってきた。直線に入ってくると後続馬勢が押し寄せてきた。その先頭にいたのはやはりタンクレッドであり、勝負はこの2頭の叩き合いに持ち込まれた。残り2ハロン地点ではいったんタンクレッドが前に出たのだが、バックル騎手が本馬に鞭を振るうと「投げられたダーツのような」加速を見せてすぐに差し返し、最後は2着タンクレッドに1馬身差をつけて優勝した。他馬勢はあまりにも大差をつけられた後方にいたため、このレースの3着馬はいないという裁定が下された。

競走生活(英ダービー以降)

続いてアスコット競馬場に向かい、500ギニースウィープS(T8F)に出走。例によって本馬が出走してくると耳にした他馬陣営の多くは逃げ出してしまい、当時は名前が付けられていなかったウィスカー産駒の牡馬(後にシェーバーと命名される)のみが対戦相手となった。レースでは単勝オッズ1.17倍の1番人気に支持された本馬が楽勝を収めた。

夏場は休養に充て、秋は9月にニューマーケット競馬場で行われたグランドデュークマイケルSから始動した。ニコロ、英1000ギニー・英オークスの勝ち馬ジンク、本馬と同じオーヴィル産駒で後にアスコット金杯を2連覇するビザーレなど同世代の実力馬達が出走してきたが、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された本馬が2着ジンク以下を撃破して勝利した。続いて10月にニューマーケット競馬場で行われた800ギニー(1000ギニーとする資料もある)のスウィープSに出走し、2着シンダーに3馬身差で楽勝。3歳時の成績は7戦全勝と完璧だった。

4歳時は、まず5月ニューマーケット競馬場で行われた6歳牝馬オーガスタとの300ギニーマッチレースに出走。オーガスタは3年前の英オークス馬であり、世代は違えども英ダービー馬と英オークス馬のマッチレースとなった。しかし斤量は本馬が6ポンド軽かったにも関わらず敗北。デビューからの連勝は7で止まった。その後はしばらくレースに出ず、10月にニューマーケット競馬場で行われた距離1マイルのマッチレースに出走。対戦相手は「ジョックザレアードの弟」と呼ばれていた無名馬だった。ここでは本馬が勝利を収めた。同月には、前年のグランドデュークマイケルSで本馬の着外に敗れた後にアスコット金杯を勝っていたビザーレとのマッチレースに出走。しかし斤量は本馬が7ポンド重かった事もあり、敗れてしまった。その後はオードリーエンドSに出走したが、ゼロットの7着最下位に敗退。このレースを最後に4歳時4戦1勝の成績で競走馬を引退した。4歳時は出走日程からして体調に問題があったのではと言われている。

血統

Orville Beningbrough King Fergus Eclipse Marske
Spilletta
Creeping Polly Portmore's Othello
Fanny
Fenwick's Herod Mare Herod Tartar
Cypron
Pyrrha Matchem
Duchess
Evelina Highflyer Herod Tartar
Cypron
Rachel Blank
Regulus Mare
Termagant Tantrum Cripple
Childers Mare
Cantatrice Sampson
Regulus Mare
Emily Stamford Sir Peter Teazle Highflyer Herod
Rachel
Papillon Snap
Miss Cleveland
Horatia Eclipse Marske
Spilletta
Countess Blank
Rib Mare
Whiskey Mare Whiskey Saltram Eclipse
Virago
Calash Herod
Teresa
Grey Dorimant Dorimant Otho
Babraham Mare
Dizzy Blank
Ancaster Dizzy

オーヴィルは当馬の項を参照。

母エミリーはジョン・チルダース大佐(名馬フライングチルダースや全弟のバトレットチルダースを生産したレオナルド・チルダース氏の曾孫)により生産された馬で、現役時代は主としてニューマーケットで走り、7頭立てのハンデ戦でムーリーに次ぐ2位に入り、ケイパーやフュージティヴといった実力馬に先着したなかなかの活躍馬だった。繁殖牝馬としては死産(生誕直後の子馬の死を含む)がやや多く、本馬以外にこれといった活躍馬を産むことは無かった。しかし本馬の半妹エミリア(父アブジェ)からは細々と牝系が伸び、ザムム【独ダービー(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】、スキャパレリ【独ダービー(独GⅠ)・ドイツ賞(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】、シーザムーン【独ダービー(独GⅠ)】などが登場している。特に今世紀に入ってから独国における活躍馬が続出しており、今日の独国における旬の牝系となっている。エミリーの半妹オレアンダー(父サーデビッド)の子にはウイングス【英オークス】が、ウイングスの子にはキャラバン【アスコット金杯】とフィアメッタ【仏2000ギニー】の兄妹がいる。→牝系:F28号族

母父スタンフォードはサーピーターティーズル産駒で、現役時代はドンカスターCを2連覇している。種牡馬としてはヘロド系の血の氾濫の影響で今ひとつ活躍できなかったが、母父として良績を残している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はトマス・ソーンヒル氏により1800ギニーで購入されて、ソーンヒル氏が所有するノーフォーク州セットフォードのリドルスワーススタッドで種牡馬入りした。種牡馬入り直後はそれほど期待されていなかったらしいが、誕生した産駒の評判は良く、実際に産駒は活躍した。最終的に本馬は種牡馬として大きな成功を収め、8頭の英国クラシック競走の勝ち馬を含む多くの活躍馬を送り出し、1830・31年の英首位種牡馬になった。本馬は種牡馬として英国クラシック5競走全てを制覇している。初年度は20ギニーに設定されていた種付け料もやがて50ギニーまで値上がりした。

1844年にソーンヒル氏が死去すると、本馬は競馬狂として有名だった英国保守党の政治家ジョージ・ベンティンク卿により購入された。この頃の本馬は体調を崩していたため、ベンティンク卿は本馬の種牡馬活動を一時休止させて体調の回復に努めさせた。やがて体調が回復した本馬は、ロバート・ジャック夫人にリースされ、後にバードキャッチャーテディントン、ロングボウなども種牡馬生活を送ることになるイースビーアビースタッドで、種付け料16ギニーで1847年まで供用された。当時27歳だった本馬は、この時期には歯を悪くして食べ物を上手く噛む事が出来なかった。そのためオートミールを与えられていたが、その分量誤りのために喉を詰まらせ、同年の8月(9月とする資料もある)に他界した。遺体はイースビーアビースタッドに埋葬され、現在でも墓石が残っている。

後世に与えた影響

本馬の後継種牡馬としてはプライアムが2度の英首位種牡馬、4度の北米首位種牡馬に輝く成功を収め、プレニポテンシャリーも一定の成功を収めたが、いずれもその後が続かず、やがて本馬の直系は途絶えてしまった。しかし本馬の牝駒であるネームレス(「名無し」の意味なのでおそらく無名馬である)の玄孫には英2000ギニー・英1000ギニーを勝った名牝ピルグリメージュが、ピルグリメージュの子には英オークス馬カンタベリーピルグリムが、カンタベリーピルグリムの子にはチョーサースウィンフォードが登場している。他にも本馬の血を受け継いだ有力種牡馬・有力繁殖牝馬は数多く、現在のサラブレッドの血統表を遡るとほぼ間違いなくどこかで本馬の名前を見かける事が出来る。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1827

Priam

英ダービー・グッドウッドC2回・クレイヴンS

1828

Oxygen

英オークス

1828

Riddlesworth

英2000ギニー

1831

Plenipotentiary

英ダービー・セントジェームズパレスS・クレイヴンS

1832

Coriolanus

英シャンペンS

1832

Preserve

英1000ギニー

1834

Mango

英セントレジャー・アスコットダービー

1835

Barcarolle

英1000ギニー

1836

Euclid

セントジェームズパレスS

1840

Extempore

英1000ギニー・ジュライS

1840

The Caster

モールコームS

1843

Tragical

ロイヤルハントC

1845

Gambetti

仏2000ギニー・仏ダービー

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