ラインゴールド

和名:ラインゴールド

英名:Rheingold

1969年生

黒鹿

父:ファバージ

母:アテネ

母父:シュプリームコート

地味な血統から飛び出した凱旋門賞馬は英国調教馬ながらGⅠ競走4勝全てを仏国で挙げる

競走成績:2~4歳時に英仏で走り通算成績17戦9勝2着4回3着1回

誕生からデビュー前まで

愛国ティペラリー州バンシャキャッスルにおいてジェームズ・ラッセル博士という人物により生産され、ヘンリー・ザイゼル氏という人物の所有馬となり、本馬が誕生した年に厩舎を開業したばかりの英国バリー・ヒルズ調教師に預けられた。当初の主戦はE・ジョンソン騎手が務めた。

競走生活(2・3歳時)

2歳時にニューカッスル競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスでデビューして勝利。その後はドンカスター競馬場で英シャンペンS(英GⅡ・T7F)に出走して、後に日本で種牡馬入りするクラウンドプリンスの1馬身差2着。翌10月にニューマーケット競馬場で出走したデューハーストS(英GⅠ・T7F)では、勝ったクラウンドプリンスに5馬身差をつけられながらも2着を確保した。2歳時には上記3戦以外にも1戦している様子だが、これは着外だったようで、2歳時の成績は4戦1勝だった。

3歳時はローズベリーS(T8F)から始動して、3/4馬身差で勝利。次走のブルーリバンドトライアルS(英GⅢ・T8F110Y)では、バラゴイ、スコティッシュライフル、タラモスとのゴール前の大接戦に後れを取り、勝ったバラゴイから僅か3/4馬身差の4着に敗れた。しかし単勝オッズ5倍で出走した翌5月のダンテS(英GⅢ・T10F110Y)では、ホワイトローズSの勝ち馬モールトンを半馬身差の2着に、後のベンソン&ヘッジズ金杯の勝ち馬クードフーをさらに5馬身差の3着に破って勝利した。

そして英ダービー(英GⅠ・T12F)に参戦した。愛ナショナルS・アングルシーS・ヴォクスホールトライアルSの勝ち馬で英2000ギニー2着のロベルト、ダリュー賞の勝ち馬リファール、ロイヤルロッジSの勝ち馬ヤロスラヴ、クリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬で仏グランクリテリウム・オブサーヴァー金杯2着のスティールパルス、チェスターヴァーズを勝ってきたオーミンド、リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬チャリング、サンダウンクラシックトライアルSの勝ち馬でオブザーヴァー金杯3着のペントランドファース、ブルーリバンドトライアルSで半馬身差2着だったスコティッシュライフル、モールトンなどが対戦相手となった。ロベルトが単勝オッズ4倍の1番人気に支持される一方で、本馬は6番人気の評価だった。しかしレースでは中団からロベルトと叩き合いながら抜け出し、ゴール前では壮絶な一騎打ちとなった。しかし最後は惜しくも短頭差屈して2着に敗れた(3着馬ペントランドファースは本馬から3馬身後方だった)。

この激走で名を上げた本馬の次走は、渡仏してのサンクルー大賞(仏GⅠ・T2500m)となった。本馬の鞍上はジョンソン騎手から仏国の名手イヴ・サンマルタン騎手に代わっていた。このレースには、仏グランクリテリウム・リュパン賞・仏ダービー・フォンテーヌブロー賞を勝っていた現役仏国最強3歳馬ハードツービートも出走していた。しかし結果は本馬が2着となったシャンティ賞・バルブヴィル賞の勝ち馬アルレッキーノに3馬身差、3着ハードツービートにさらに半馬身差をつけて快勝。最終的に欧州各国でGⅠ競走50勝以上を挙げるヒルズ師に、嬉しいGⅠ競走の初勝利をプレゼントした。

本馬は続いて英国に戻り、新設競走ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ・T10F110Y)に出走した。このレースでは、英ダービーでロベルトに騎乗して本馬を下したレスター・ピゴット騎手が本馬に騎乗した。同じレースにはロベルトも出走していたのだが、長身で減量に苦しみ、この時期から騎乗数を制限するようになったため、より勝てる可能性が高い馬を選ぶ必要があったピゴット騎手は、前走の愛ダービーでスティールパルスの前に惨敗したロベルトよりも本馬の方を評価したようである。しかしこのレースの目玉は何と言っても、英2000ギニー・ミドルパークS・セントジェームスパレスS・サセックスS・グッドウッドマイルS・クイーンエリザベスⅡ世S・英チャンピオンS・ロッキンジS・プリンスオブウェールズS・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなど15戦無敗のブリガディアジェラードの参戦だった。しかし結果はロベルトが鮮やかに逃げ切って勝利し、3馬身差の2着に終わったブリガディアジェラードは生涯唯一の敗戦を喫した。ブリガディアジェラードからさらに10馬身差の3着には、ムーランドロンシャン賞・グリーナムS・コートノルマンディ賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬でサセックスS・ムーランドロンシャン賞・エクリプスS2着のゴールドロッドが入り、本馬はゴールドロッドからさらに2馬身差、勝ったロベルトからは15馬身も後方の4着に敗退。この年の出走はこれが最後で、3歳時の成績は6戦3勝だった。

競走生活(4歳前半)

4歳時は4月にニューベリー競馬場で行われたジョンポーターS(英GⅢ・T12F)から始動。鞍上はサンマルタン騎手に戻っていた。レースでは単勝オッズ1.91倍の1番人気に応えて、カンバーランドロッジS2回・ジョッキークラブS・ヨークシャーC・セントサイモンSの勝ち馬ノックローを5馬身差の2着に、クードフーをさらに半馬身差の3着に破って圧勝し、格の違いを見せつけた。

続いて仏国に向かい、前走から2週間後のガネー賞(仏GⅠ・T2100m)に出走。ガリニュールSの勝ち馬ボグロードを1馬身半差の2着に、ユジェーヌアダム賞の勝ち馬シテロンを3着に破って勝利を収めた。

英国に戻った本馬は、6月のハードウィックS(英GⅡ・T12F)に向かった。ヨークシャーオークス・パークヒルS・プリンセスロイヤルSの勝ち馬で前走コロネーションC2着のアッティカメリ、前年のブルーリバンドトライアルSで本馬を破って勝ったが英ダービーには不参戦だった前走コロネーションC3着のバラゴイなどが対戦相手となった。この2頭が出走したコロネーションCはロベルトが5馬身差で圧勝しており、本馬にとってはロベルトとの差を縮めるためにも強い勝ち方をする必要があった。そして単勝オッズ1.2倍の1番人気に応えて、2着アッティカメリに6馬身差をつけて圧勝した。

その後は再び渡仏して、サンクルー大賞(仏GⅠ・T2500m)に出走。ジャンドショードネイ賞の勝ち馬ダイレクトフライトを3/4馬身差の2着に抑えて勝利を収め、1927年のニノ、1958年のタネルコ以来15年ぶり史上3頭目の同競走2連覇を果たした。

次走はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)となった。この年はここまで英国と仏国で交互にレースに出走しているのだが、その意図はよく分からない。このレースには、前年のサンクルー大賞で本馬の3着に敗れた後にニエル賞を勝って凱旋門賞に1番人気で挑むも8着に終わっていたハードツービート、サラマンドル賞・グレートヴォルティジュールS・プリンセスオブウェールズS・ジョッキークラブSなどの勝ち馬で英セントレジャー・愛セントレジャー2着のアワーミラージュ、サンタラリ賞・愛オークス・グロット賞の勝ち馬で仏オークス2着のダリア、愛ダービーを勝ってきたウィーヴァーズホールなどに加えて、コロネーションCから直行してきたロベルトも参戦しており、過去2戦2敗のロベルトに雪辱を果たす機会となった。レースでは馬群の後方を進み、直線入り口で12頭立ての9番手から末脚を伸ばした。しかし本馬と同じく後方を進んでいたダリアが直線で先に抜け出して、そのまま独走して完勝。6馬身差をつけられて2着に敗れた本馬は、11着に沈んだロベルト(このレースを最後に引退)には初めて先着したものの、ロベルトを破ってレースを勝つ事は出来なかった。

競走生活(4歳後半)

続いてベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ・T10F110Y)に出走。前年と同様にピゴット騎手を鞍上に迎えた本馬は断然の1番人気に支持された。ところが、前年の英ダービー着外後に伊共和国大統領賞・アンリデラマール賞を勝ちエクリプスSで2着していたモールトン、同じく前年の英ダービー着外後に愛ダービーで2着してゴードンS・アールオブセフトンS・ウェストベリーS、そしてエクリプスSを勝っていたスコティッシュライフルの2頭に敗れて、勝ったモールトンから6馬身半差、2着スコティッシュライフルから4馬身差の3着と完敗を喫した。

その後は再び渡仏して、凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。対戦相手は、クリテリウムデプーリッシュ・仏1000ギニー・仏オークス・ヴェルメイユ賞の勝ち馬アレフランス、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで本馬を破った後にニエル賞を勝っていたダリア、パリ大賞の勝ち馬で仏ダービー・ニエル賞2着のテニソン、ロワイヤルオーク賞・ポモーヌ賞の勝ち馬レディベリー、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでは着外に終わっていたハードツービート、サンクルー大賞2着後にフォワ賞を勝っていたダイレクトフライト、ハードウィックS2着後にジェフリーフリアS・ドンカスターCを勝っていたアッティカメリ、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞で2着していたオーシ(ハードツービートの半弟)、ロワイヤルオーク賞3着馬バロンピエ、前年の凱旋門賞とヴェルメイユ賞を勝っていたサンサン、エボアHを勝ってきたボンヌノエル、愛セントレジャー・ジャンプラ賞2回・クイーンズヴァーズの勝ち馬で伊ジョッキークラブ大賞・カドラン賞・ワシントンDC国際S2着のパーネル、グレートヴォルティジュールSの勝ち馬で英セントレジャー2着・愛ダービー3着のブイ、ドーヴィル大賞の勝ち馬でミラノ大賞・イタリア大賞2着のカードキング、プリティポリーSの勝ち馬でヴェルメイユ賞2着のハリーハリエット、カドラン賞・アスコット金杯・エスペランス賞・ベルトゥー賞の勝ち馬ラッサール、イスパーン賞・エクスビュリ賞2回・プランスドランジュ賞の勝ち馬ミスターシックトップ、ドーヴィル大賞の勝ち馬でロワイヤルオーク賞2着のノヴィウス、ラクープの勝ち馬サンブルー、愛ダービー2着馬ラガパン、愛セントレジャー3着馬スターアピールなど26頭だった。

アレフランスが単勝オッズ2.75倍の1番人気、テニソンが単勝オッズ6.75倍の2番人気、本馬が単勝オッズ8.7倍の3番人気、前走のヴェルメイユ賞で惨敗していたダリアが単勝オッズ9倍の4番人気、レディベリーが単勝オッズ9.75倍の5番人気となった。サンマルタン騎手がアレフランスに騎乗したため、本馬には引き続きピゴット騎手が騎乗した。ピゴット騎手にとっては本馬に過去2回騎乗して結果を出せなかったため、名誉挽回の気持ちが強かったと思われる。

スタートが切られると、ダイレクトフライト、オーシなどが先頭を引っ張り、アレフランスやダリアはいずれも後方待機策を採った。本馬も今までは後方からレースを進めることが多かったのだが、アレフランスやダリアとの末脚勝負では分が悪いとピゴット騎手は判断したようで、今回はハードツービートなどと共に先行集団につけた。直線に入るとピゴット騎手はすぐに仕掛けて本馬を早めに先頭に立たせた。そしてロンシャン競馬場の長い直線を見事に押し切り、2着アレフランスに2馬身半差、3着ハードツービートにはさらに4馬身差をつけて完勝。ヒルズ師にとっても凱旋門賞初勝利だったが、ピゴット騎手にとっても凱旋門賞初勝利だった。このレースを最後に、4歳時7戦5勝の成績で競走馬を引退した。英タイムフォーム社のレーティングでは137ポンドというこの年の最高評価を得ている。

本馬は英国調教馬だが、仏国では4戦全勝、GⅠ競走4勝も全て仏国のレースという成績だった。同時代のダリアも仏国調教馬ながら仏国内より国外の活躍が目立っており、国内より海外の方が合っている競走馬というのは確かに存在するようにも思える。

馬名はおそらく、リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」の序幕“Das Rheingold(ラインの黄金)”に由来する。

血統

ファバージ Princely Gift Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Blue Gem Blue Peter Fairway
Fancy Free
Sparkle Blandford
Gleam
Spring Offensive Legend of France Dark Legend Dark Ronald
Golden Legend
Francille Battersea
Farine Lactee
Batika Blenheim Blandford
Malva
Brise Bise Buchan
Panne
Athene Supreme Court Precipitation Hurry On Marcovil
Tout Suite
Double Life Bachelor's Double
Saint Joan
Forecourt Fair Trial Fairway
Lady Juror
Overture Dastur
Overmantle
Necelia Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Cecily Cecil Foxlaw
Star of Blyth
Matanilla Friar Marcus
Reef

父ファバージはプリンスリーギフト産駒で、現役成績は11戦3勝。英2000ギニーでボールドリックの2着という成績があるが、主な勝ち鞍はエロルSというマイナーなステークス競走のみという地味な競走馬だった。いったんは英国で種牡馬入りしたが、後に日本に輸入された。日本で種牡馬生活を開始したのは本馬がデビューした1971年(プリンスリーギフト系種牡馬の代表格テスコボーイの日本における初年度産駒がデビューした年でもある)だが、皮肉にもこの年以降、欧州に残してきた産駒が次々と活躍した。日本でも多くの重賞勝ち馬を出し、1978年の全日本2歳首位種牡馬に輝くなど、日本に輸入されたプリンスリーギフト系種牡馬の中ではテスコボーイに次ぐ成功を収めた。1987年に他界したが、その2年後の1989年には桜花賞馬シャダイカグラなどの活躍により全日本母父首位種牡馬にもなっている。

母アテネは現役成績8戦未勝利で、本馬以外に特筆できる産駒はおらず、近親に活躍馬も見当たらない。最も近い著名馬は、アテネの4代母リーフの半妹インドレンスの子である名種牡馬プリンスローズである。凱旋門賞馬エリシオも同じ牝系だが、本馬からは遥かに離れている。本馬の血統は当時の欧州においては全く見るべきものが無いものであり、そこからチャンピオンクラスの馬が出てくるのだから、サラブレッドは本来全て良血であるという意見にも頷かされるものがある。→牝系:F10号族②

母父シュプリームコートはプリシピテイション産駒で、現役成績は7戦5勝。大英博覧会100周年記念行事として「キングジョージⅥ世&クイーンエリザベス英国博覧会S」の名称で実施された1951年の第1回キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを勝利した他に、ホーリスヒルS・チェスターヴァーズ・キングエドワードⅦ世Sを勝っている。英国クラシック登録が無かったために英国クラシック競走には不参加だったが、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSでは当時の欧州最強馬タンティエーム、同年の英ダービーを勝ってきたアークティックプリンス、同じく英2000ギニーを勝ってきたキミング、英1000ギニー・チェヴァリーパークS・コロネーションSを勝ってきたベルオブオール、前年の仏ダービー・英セントレジャー馬スクラッチを破っており、英国クラシック競走に出ていれば勝ち負けできたはずである。種牡馬としての成績は可もなく不可もなくといったところだった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国で種牡馬入りした。1980年に日本中央競馬会に購入されて、同年から日本で種牡馬生活を開始した。欧州ではGⅠ競走の勝ち馬2頭を含む25頭のステークスウイナーを出し、日本における父ファバージの活躍やプリンスリーギフト系種牡馬ブームの影響もあって期待され、初年度は59頭、2年目は62頭、3年目は65頭、4年目は66頭、5年目は65頭、6年目は49頭、7年目は52頭の繁殖牝馬を集めた。しかし日本における産駒からは殆ど活躍馬が出なかったため、8年目は20頭、9年目の1988年は17頭まで交配数が減少。1989年に種牡馬を引退し、翌1990年に21歳で他界した。全日本種牡馬ランキングでは1989年の84位が最高であり、日本における種牡馬生活は完全な失敗に終わった。母の父としてはBCターフの勝ち馬ノーザンスパーを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1975

Noir Et Or

コンセイユドパリ賞(仏GⅡ)・エヴリ大賞(仏GⅡ)・サンロマン賞(仏GⅢ)・エドヴィル賞(仏GⅢ)

1976

Armistice Day

ゴントービロン賞(仏GⅢ)・エクスビュリ賞(仏GⅢ)

1977

Ghazwan

WLマックナイトH(米GⅡ)・ニッカボッカーH(米GⅢ)

1977

Goldiko

ルイジアナダウンズH(米GⅢ)

1977

Mot d'Or

オカール賞(仏GⅡ)

1978

Karadar

ドンカスターC(英GⅢ)・ジョッキークラブC(英GⅢ)

1978

My Franky

エマヌエーレフィリベルト賞(伊GⅡ)

1978

Rhein Bridge

ランカシャーオークス(英GⅢ)

1979

Bater

伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・プリンチペアメデオ賞(伊GⅡ)・アプリーレ賞(伊GⅢ)

1980

Gildoran

アスコット金杯(英GⅠ)2回・グッドウッドC(英GⅡ)・サガロS(英GⅢ)

1980

Rutheford

エスペランス賞(仏GⅢ)

1980

Wagoner

ドンカスターC(英GⅢ)

1987

スクオールワン

佐賀菊花賞(佐賀)

1987

テッセンスーパー

北海道三歳優駿(帯広)

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