キャメロット

和名:キャメロット

英名:Camelot

2009年生

鹿毛

父:モンジュー

母:ターファー

母父:キングマンボ

英2000ギニー・英ダービーを制した後に英セントレジャーに参戦してニジンスキー以来42年ぶりの英国三冠馬を目指した挑戦者

競走成績:2~4歳時に愛英仏で走り通算成績10戦6勝2着2回

日本や米国では三冠競走の価値は相変わらず高く、三冠競走の最初の2戦を両方勝った馬は故障等の理由が無い限りは間違いなく三冠競走最終戦に向かう。

しかし英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャーから成る英国三冠競走の価値は、第二次世界大戦後における長距離競走の権威失墜と、競走馬の距離適性なるものの一般化に伴い、徐々に低下していった。1970年にニジンスキーが35年ぶりの英国三冠馬に輝いたが、その直後の凱旋門賞で負けてしまった事が致命傷となり、英2000ギニーを勝った馬が英ダービーを目指す事例はあっても、英2000ギニー・英ダービーを両方勝った馬が英セントレジャーを目指す事例は皆無となり、1989年のナシュワンも2009年のシーザスターズも英セントレジャーは全く眼中に無かった。

しかし1995年のケルティックスウィング陣営のように、英国三冠馬を目指しますと予め宣言する事例は稀に見受けられた。愛国の世界的馬産団体クールモアグループの専属調教師エイダン・パトリック・オブライエン師も、2002年に管理馬ホークウイングで英国三冠馬を目指す旨を語っていた。英2000ギニーも英ダービーも負けてしまったホークウイングは英セントレジャーに不参加だったが、それから10年後、オブライエン師は本当に英2000ギニー・英ダービー勝ち馬を英セントレジャーに出走させて英国三冠馬を獲りにいった。ニジンスキー以来42年ぶりに英国三冠馬に挑んだ馬、これが本項の主人公キャメロットである。

誕生からデビュー前まで

母ターファーの所有者だったバーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ビン・イサ・アル・カリファ王子により、英国ハイクレアスタッドにおいて生産された。1歳10月のニューマーケットタタソールズセールに出品され、クールモアグループの代理人ダーモット・“デミ”・オバイアン氏により52万5千ギニーで購入され、クールモアの専属調教師オブライエン師の管理馬となった。

ありふれた鹿毛馬であり、額の流星もそれほど目立つ大きさではなかったが、あごに白い毛が生えており、それがトレードマークだった。本馬に初期調教を施したオブライエン師は「彼は天才です。私が何も教えなくても動きは完璧でした」と語った。

競走生活(2歳時)

2歳7月にレパーズタウン競馬場で行われた芝8ハロンの未勝利戦でデビュー。鞍上は、オブライエン師の息子で主戦となるジョセフ・オブライエン騎手で、本格的に騎手デビューしてまだ日が浅い当時18歳の若者だった。単勝オッズ1.33倍という断然の1番人気に支持された本馬は、道中は後方を進むと、直線に入って外側から追い上げ、残り1ハロン地点で先頭に立ち、2着オールアプルーヴドに2馬身差で楽勝した。着差だけ見ればそれほどでもないが、レース直後に翌年の英ダービーの前売りオッズで1番人気に推されたという事実が、この勝ち方の印象度を物語っている。

その後はしばらくレースに出ず、3か月後のレーシングポストトロフィー(英GⅠ・T8F)で復帰した。出走馬の中でグループ競走勝ち馬は愛ナショナルSで最下位だったソラリオS勝ち馬タルウォーのみであり、本馬が単勝オッズ1.91倍の1番人気に支持され、仏オークス馬ラティスの息子フェンシングが単勝オッズ3.25倍の2番人気となった。レースでは本馬とフェンシングが共に後方を進み、直線に入ると外側に持ち出した本馬が残り1ハロン地点で一気にスパート。一瞬にして先頭に立つと、2着ジップトップに2馬身1/4差をつけて勝利した。

これまた着差だけ見れば驚くほどではないが、レーシングポスト紙のレース評には筆者も滅多に見ない“very impressive”の文字が登場した(1994年の同競走を12馬身差で勝ったケルティックスウィングも同じ表現だった)。オブライエン師は「信じられないゴール前の脚でした」と語った上で、翌年の目標は英ダービーだが、その前に英2000ギニーも使う旨を明らかにした。2歳時は2戦2勝で終えた。

競走生活(3歳前半)

3歳時はいきなり英2000ギニー(英GⅠ・T8F)から始動した。愛ナショナルS・コヴェントリーSの勝ち馬でデューハーストS・愛フェニックスSで2着のパワー、トーマブリョン賞勝ち馬でジェベル賞2着のアブタール、英シャンペンS・クレイヴンSを勝ってきたトランペットメジャー、大繁殖牝馬となった凱旋門賞馬アーバンシーが自らの命と引き換えに産み落としたキラヴーランS2着馬ボーントゥシー、クリテリウム国際・ジェベル賞の勝ち馬フレンチフィフティーン、ジムクラックS・ミルリーフS・グリーナムSを勝ってきたカスパーネッチャー、レーシングポストトロフィー3着から直行してきたフェンシング、同最下位だったタルウォーなどが出走してきた。本馬が単勝オッズ2.875倍の1番人気に支持され、パワーと、名牝セレナズソングの従姉妹の子であるアブタールが並んで単勝オッズ8倍の2番人気となった。

レースは馬群が3つに分かれて進み、前年のBCターフをセントニコラスアビーで勝利して史上最年少ブリーダーズカップ勝利騎手となっていたオブライエン騎手鞍上の本馬はスタンド側馬群の最後方辺りにつけた。残り2ハロン辺りで馬群の隙間を突いてスパートを開始。残り1ハロン地点で先頭に立ったところに、本馬と同じ馬群の後方で待機していたフレンチフィフティーンが並びかけてきた。しかし本馬が競り勝って首差で優勝。まずは英国三冠競走第1戦を手中に収めた。

次走は予定どおり英ダービー(英GⅠ・T12F10Y)となった。出走頭数は本馬を含めて9頭であり、英ダービーの出走頭数が一桁となったのは、オービーが勝った1907年(この年も9頭立て)以来105年ぶりだった。対戦相手は、ダンテSを勝ってきたクリテリウム国際3着馬ボンファイア、ディーSを11馬身差で勝ってきたアストロロジー、リングフィールドダービートライアルSなど4戦無敗のメインシークエンス、サンダウンクラシックトライアルS2着馬ソートワーシー、チェスターヴァーズを勝ってきたUAE2000ギニー2着馬ミックダーム、リングフィールドダービートライアルS3着馬カヴァレイロなどだったが、その中に英2000ギニーに出走していた馬はいなかった。本馬が1947年に単勝オッズ1.57倍となったテューダーミンストレル以降では同競走最少となる単勝オッズ1.62倍の1番人気、本馬と同じくハイクレアスタッドで誕生した馬で、幼少期は本馬の遊び仲間だったボンファイアが単勝オッズ5.5倍の2番人気、本馬と同じくオブライエン師の管理馬だったアストロロジーが単勝オッズ7.5倍の3番人気、メインシークエンスが単勝オッズ10倍の4番人気となった。

この年の英ダービーは、英国エリザベスⅡ世女王陛下の即位60年記念式典ダイヤモンドジュビリーの初日に施行されており、エリザベスⅡ世を含む13万人の大観衆がエプソム競馬場に詰め掛けていた。スタートが切られるとアストロロジーが先頭に立ち、オブライエン騎手騎乗の本馬は例によって後方につけた。直線入り口でも位置取りはほぼ変わらず、9頭立ての7番手だった。しかし残り3ハロン地点でスパートすると外側からぐいぐいと伸び、前方で先頭に立っていたアストロロジーを残り1ハロン地点で抜き去ると後は独走。ゴール直前で2着に上がったメインシークエンスに5馬身差をつけて圧勝した。鞍上のオブライエン騎手は米国テネシー州で正式に騎手デビューして1年ほどだったにも関わらず19歳の若さで英ダービー騎手となった。また、父の管理馬に子が乗って英ダービーを勝ったのは史上初の快挙となった。

また、オブライエン師はこの年の英1000ギニーをホームカミングクイーンで、前日の英オークスをワズで勝っており、これで同年の英国クラシック競走5競走中4競走を制した事になった。それもあって、秋の英セントレジャーに本馬が出走して勝てば、ニジンスキー以来42年ぶりの英国三冠馬誕生と、同一調教師による同一年英国クラシック競走完全制覇(年間4勝が最多で、前例無し。筆者が調べると、英セントレジャー以外の4競走を同一年で全て勝った調教師自体前例が無かった)が見られるとして、それを期待する声が高まった。しかしオブライエン師は慎重に「レースは終わったばかりです。彼にとっては複数の選択肢があり、セントレジャーはそのうちの1つに過ぎません」とレース後に語った。

次走は無難に地元愛国の愛ダービー(愛GⅠ・T12F)となった。対戦相手は、前走3着のアストロロジー、英2000ギニー12着後に愛2000ギニーでパワーの5着、セントジェームズパレスSで4着と苦闘していたボーントゥシー、バリサックスS・デリンズタウンスタッドダービートライアルSなど3連勝中のライトヘビー、ベレスフォードS2着馬アキードモフィードの4頭だけであり、本馬が単勝オッズ1.2倍の断然人気に支持された。

非常に馬場状態が悪い中でスタートが切られると今回はほぼペースメーカー役としてだけの出走だったアストロロジーが先頭に立ち、本馬は4番手を進んだ。加速しながら直線に入ると、そのまま残り2ハロン地点で一気に先頭に立った。ここで左側によれてしまい、追い上げてきたボーントゥシーの進路を一瞬塞ぐ場面があったが、すぐに体勢を立て直して追撃してきた2着ボーントゥシーに2馬身差、3着ライトヘビーにはさらに9馬身差をつけて勝利した(ボーントゥシーに対する進路妨害は着順に影響を与えるものではなかった)。これで本馬は2002年のハイシャパラル以来10年ぶり史上16頭目の英ダービー・愛ダービー両競走優勝馬となった。また、オブライエン師は愛ダービー7年連続制覇を達成した(翌年にルーラーオブザワールドで8連覇を狙ったが、これは失敗している)。

レース後にオブライエン師は「馬場状態が悪かったので心配していましたが、実に素晴らしい馬です。今後は秋まで休養させます。(英国)三冠競走ですか?それは途方も無い夢の話です」と語った。クールモアの総裁ジョン・マグナー氏は「(英国)三冠馬は誰もが目指したいと思うものでもないでしょう」と、本馬の共同所有者の1人デリック・スミス氏も「三冠を議題に乗せなければならないものでしょうか?周囲が私達に圧力をかけてくるかもしれませんが、まあ、ジョン(マグナー氏)や(共同所有者の)マイケル・テイバー氏と相談して決めますよ」と語り、共にあまり乗り気でない雰囲気を漂わせた。

競走生活(3歳後半)

しかし結局陣営は、本馬を英セントレジャー(英GⅠ・T14F132Y)に向かわせた。その理由について筆者は色々調べたが結局正確なところは分からなかった。結局周囲の圧力に負けたのかも知れないし、本馬がおそらく最も得意としていたマイル~10ハロン路線にフランケルという怪物がいた事もあったかも知れないし、権威が落ちている英国三冠馬であっても、あのニジンスキー以来となればかなりの箔が付くという現実的な目算もあったのかも知れないが、筆者個人としては、英国の競馬関係者やファン達の希望に陣営が応えたのだと思いたい(長距離戦の権威が失墜しているのは、それを勝っても繁殖としての価値を上げられないという点が大きく影響しており、英国内における長距離戦のファン人気自体はそれほど下がっていなかった)。

対戦相手は、グレートヴォルティジュールSで2着してきた英ダービー2着馬メインシークエンス、グレートヴォルティジュールSを勝ってきた英ダービー4着馬ソートワーシー、キングエドワードⅦ世S勝ち馬トーマスチッペンデール、愛セントレジャートライアルSを勝ってきたアーサメジャー、ゴードンS2着・グレートヴォルティジュールS3着のエンキー、ゴードンS3着馬ミケランジェロなど8頭だった。本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気で、メインシークエンス、ソートワーシー、アーサメジャー、ミケランジェロの4頭が並んで単勝オッズ11倍の2番人気となった。

スタートが切られると未勝利の最低人気馬ダートフォードが先頭に立ち、本馬は得意の後方待機策を採った。こう書くとダートフォードは本馬のペースメーカー役としての出走だったように感じるかも知れないが、ダートフォードは別馬主で別厩舎所属であり、本馬陣営とは直接無関係だった。オブライエン師はこのレースにペースメーカー役の馬を出走させていなかったのである(しかし実況はダートフォードをペースメーカーだと言っており、その辺りの事情は筆者にはよく分からない)。そのままレースが淡々と進み、そして直線に入ると本馬は残り3ハロン地点で内側を突いて仕掛けた。しかし進路が開かず、結局残り2ハロン地点で外側に持ち出す羽目になった。前方では本馬の少し前を走っていたエンキーが馬群から抜け出して先頭に立っていたが、エンキーの脚色は少しずつ衰え、残り1ハロン地点で3馬身ほどあった本馬との差はだんだん縮まってきた。しかし最後まで本馬はエンキーをかわす事は出来ず、3/4馬身差の2着に敗れた本馬とオブライエン師の英国三冠馬の夢は消えた。

オブライエン騎手の騎乗内容を非難する意見は多かったが、オブライエン師はペースメーカーを用意しなかった自分の責任ですと息子を庇った。勝ったエンキーは単勝オッズ26倍の8番人気馬で、しかもクールモアの宿敵ゴドルフィンの所有馬だった。

気を取り直したオブライエン師は急遽、本馬を凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)へと向かわせた。対戦相手は、仏ダービー・ニエル賞を勝ってきたサオノア、ランカシャーオークス・愛オークスなど4連勝中のグレートヘヴンズ、ヨークシャーオークス・ヴェルメイユ賞を連勝してきた前年の凱旋門賞2着馬シャレータ、BCターフ・コロネーションC2回・レーシングポストトロフィーなどの勝ち馬である同厩馬セントニコラスアビー、パリ大賞・サンクルー大賞・ベルリン大賞の勝ち馬メオンドル、ドーヴィル大賞を勝ってきたマスターストローク、グレートヴォルティジュールS・ハードウィックS勝ち馬でBCターフ2着のシームーン、マルレ賞勝ち馬イエローアンドグリーン、セクレタリアトS・ユジェーヌアダム賞勝ち馬ベイリル、コリーダ賞勝ち馬ソレミア、そして日本から遠征してきた皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念・宝塚記念の五冠馬オルフェーヴルなどだった。地元仏国で販売された馬券ではオルフェーヴルが単勝オッズ4.5倍の1番人気で本馬が単勝オッズ4.75倍の2番人気だったが、英国ブックメーカーのオッズでは本馬が単勝オッズ3倍の1番人気でオルフェーヴルは単勝オッズ6倍の2番人気だった。

凱旋門賞における3歳牡馬の斤量は56kgだが、オブライエン騎手がこの斤量をクリアするには無理な減量が必要だったので、ここで本馬に騎乗したのは意外にもクールモアの宿敵ゴドルフィンの専属騎手ランフランコ・デットーリ騎手だった(ちなみに彼は英セントレジャーでは3着馬ミケランジェロに乗っていたから、本馬の英国三冠馬の夢を打ち砕いたのは彼ではない)。

スタートが切られるとマスターストロークが先頭に立ち、オブライエン師が用意したペースメーカー役のロビンフッドは極端な不良馬場の影響か先手を取れずに2番手を追走。本馬は馬群の中団内側に付け、オルフェーヴルはいつもどおり後方待機策を採った。直線に入ってすぐに本馬は仕掛けたが伸びは無く、その外側を通ってオルフェーヴルが突き抜けていった。レースはいったん独走態勢に入ったオルフェーヴルをゴール直前でソレミアが差し返して、筆者を含む日本の競馬ファン達に悲鳴を上げさせ、本馬は勝ったソレミアから12馬身半差の7着に終わった。

42年ぶりの英国三冠馬誕生に続いて、日本馬による凱旋門賞制覇も見られなかった筆者は大きく失望したが、勝負事だから仕方が無いだろう(これはオブライエン師自身が英セントレジャー敗戦直後に語った言葉でもある)。そのオブライエン師は凱旋門賞の敗因を、愛ダービー以上の極悪不良馬場だった事に求めた。

悪い事は続くもので、レース4日後に本馬は疝痛を発症して、動物病院に担ぎ込まれて緊急手術が行われた。手術はひとまず無事に成功し、翌年も現役を続行する事になった。

3歳時の成績は5戦3勝で、この年のカルティエ賞最優秀3歳牡馬及び愛年度代表馬のタイトルを受賞した。

競走生活(4歳時)

4歳時は5月に地元カラー競馬場で行われたムーアズブリッジS(愛GⅢ・T10F)から始動した。本馬が単勝オッズ1.33倍の1番人気で、3歳時は全休していたものの復帰戦を勝利で飾っていた同世代のデューハーストS勝ち馬パリッシュホールが単勝オッズ3.5倍の2番人気となった。オブライエン騎手が騎乗する本馬は5頭立ての4番手を進み、直線に入ってから仕掛けてすぐに先頭に立つと、2着トライアムファントに1馬身3/4差をつけて楽勝した。

次走のタタソールズ金杯(愛GⅠ・T10F110Y)は本馬を含めて4頭立てだったが、事実上は本馬とジョッキークラブS・ゴードンリチャーズS勝ち馬アルカジームのマッチレースだった。本馬が単勝オッズ1.36倍の1番人気で、アルカジームが単勝オッズ3.25倍の2番人気だった。

スタートが切られると単勝オッズ101倍の最低人気馬ネゴティエイトと、本馬のペースメーカー役ウィンザーパレスの2頭が交互に先頭に立ち、本馬は3番手、アルカジームは最後方の4番手につけた。直線に入って残り2ハロン地点でスパートして一旦は先頭に立ったが、残り1ハロン地点で後方から来たアルカジームに外側から並びかけられた。そして競り負けて、1馬身半差の2着に敗退した。

次走のプリンスオブウェールズS(英GⅠ・T10F)では、アルカジームに加えて、前年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬に選ばれていたナッソーS勝ち馬ザフューグ、イスパーン賞を勝ってきたマキシオス、香港ヴァーズ勝ち馬でメルボルンC・ドバイワールドC2着のレッドカドー、ギョームドルナノ賞・ギシュ賞勝ち馬で仏ダービー2着のセントボードリノ、ブリガディアジェラードSを勝ってきたムカドラムなどが参戦してきた。本馬が単勝オッズ3.5倍の1番人気、アルカジームが単勝オッズ3.75倍の2番人気、ザフューグが単勝オッズ7.5倍の3番人気となった。

オブライエン師はこのレースにもペースメーカー役としてウィンザーパレスを出走させていたのだが、そのウィンザーパレスはスタートで出遅れてしまい、役目を果たせなかった。レースはムカドラムが先頭に立ち、アルカジームが先行、本馬は馬群の中団につけた。直線に6番手で入ってきた本馬は残り2ハロン地点で仕掛けたが、マイペースで逃げていたムカドラムやそれを追うアルカジームとの差はなかなか縮まらず、残り1ハロン地点で右側によれて失速したところでザフューグに差されてしまい、ゴール直前でムカドラムを捕らえて勝利したアルカジームから4馬身差の4着に敗れた。

その後は休養入りして、フォワ賞を経て凱旋門賞に向かう予定だったが、フォワ賞は馬場状態悪化を理由に出走取り消し。目標を凱旋門賞からBCターフに切り替えた矢先の調教中に脚を痛めたため、10月になって現役引退が発表された。4歳時の成績は3戦1勝だった。

オブライエン師は「彼は完璧な競走馬です。美しいだけでなく、素晴らしい動きの持ち主でした。速いだけでなく、とても知性的な優等生でした。彼は競走馬が持つべき全てのものを持っていました」と絶賛した上で、前年の疝痛発症以降に完全な状態に戻らなかった無念の弁も述べた。

血統

Montjeu Sadler's Wells Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fairy Bridge Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong
Floripedes Top Ville High Top Derring-Do
Camenae
Sega Ville Charlottesville
La Sega
Toute Cy Tennyson Val de Loir
Tidra
Adele Toumignon ゼダーン
Alvorada
Tarfah Kingmambo Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
Miesque Nureyev Northern Dancer
Special
Pasadoble Prove Out
Santa Quilla
Fickle デインヒル Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Razyana His Majesty
Spring Adieu
Fade ペルセポリ Kalamoun
Perlita
One Over Parr Reform
Seventh Bride

モンジューは当馬の項を参照。

母ターファーは現役成績8戦5勝。ダリアS(英GⅢ)の他に、ローズマリーS・スノードロップフィリーズSなどを勝っている。ターファーの母フィックルは現役成績5戦2勝、ヴァージニアHを勝っている。フィックルの母フェイドは不出走馬。フェイドの母ワンオーバーパーはチェシャーオークス(英GⅢ)・ランカシャーオークス(英GⅢ)の勝ち馬。ワンオーバーパーの1歳年上の全姉ポリガミーは1974年の英オークス馬。ポリガミーやワンオーバーパーの13代母(つまり本馬の17代母)は、54戦無敗の成績を誇ったハンガリーの伝説的名牝キンチェムである。→牝系:F4号族①

母父キングマンボは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国クールモアスタッドで種牡馬入りした。当然クールモア・オーストラリアにもシャトルされている。

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