インティカブ

和名:インティカブ

英名:Intikhab

1994年生

鹿毛

父:レッドランサム

母:クラフティイグザンプル

母父:クラフティプロスペクター

GⅠ競走未勝利にも関わらずクイーンアンSで披露した圧倒的なパフォーマンスで1998年欧州最強マイラーという評価を受ける

競走成績:2~5歳時に英首で走り通算成績14戦8勝2着5回

誕生からデビュー前まで

JIレーシング社とマーヴィン・リトル・ジュニア氏により生産された米国産馬で、1歳時にドバイのシェイク・モハメド殿下の代理人アンガス・ゴールド氏により購入され、英国デビッド・モーリー調教師に預けられた。モーリー師は障害競走馬の育成で定評があった人物だが、この時期から平地競走馬の育成に力を注ぐようになり、本馬の他にもミドルパークS勝ち馬ファードや後のアスコット金杯勝ち馬セレリックなどを手掛けていた。

競走生活(2歳時)

2歳8月にリパン競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスで、リチャード・ヒルズ騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ9倍で3番人気の評価だった。スタートで後手を踏んで後方からの競馬となるも、残り3ハロン地点から進出を開始して、馬群を右に左にかきわけながら猛然と追い込み、単勝オッズ4.33倍の2番人気馬セレニティーと殆ど同時にゴールインした。写真判定の結果は本馬の頭差負けだった。

次走はポンテクラフト競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスとなった。前走の内容が評価されたようで、ここでは単勝オッズ1.5倍という圧倒的な1番人気(2番人気馬が単勝オッズ11倍)に支持された。今回もヒルズ騎手とコンビを組んだ本馬は、普通にスタートを切ると道中は逃げ馬を見るように先行。そして残り1ハロン地点で楽々と抜け出すと、2着ポーラーフライトに2馬身半差をつけて勝ち上がった。

続いてヤーマウス競馬場で行われたモートビー条件S(T6F3Y)に出走。ヒルズ騎手を鞍上に、単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。このレースは僅か3頭立てであり、道中は無難に2番手を追走。残り1ハロン地点で先頭に立つと、2着レストレススピリットに3馬身差をつけて快勝した。2歳時の成績は3戦2勝となった。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にサースク競馬場で行われたサースククラシックトライアル条件S(T8F)から始動した。これまた僅か3頭立てのレースだったが、ここにはゴドルフィンの所属馬で、後にジャンプラ賞・セントジェームズパレスSを勝つスターボローという有力馬の姿があった。スターボローが単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、ゲイリー・カーター騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ2.75倍の2番人気だったが、これは斤量差(本馬が131ポンドだったのに対して、スターボローは126ポンド)が影響した評価でもあった。スタートからスターボローが先頭に立ち、本馬が2番手でそれを追撃。残り2ハロン地点で仕掛けてスターボローに迫ったが、最後は脚色が同じになってしまい、2馬身差をつけられて2着に敗れた。

次走は5月にニューマーケット競馬場で行われたBTレースページャー条件S(T7F)となった。ここでは132ポンドが課せられたが、それでも単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された。今回はヒルズ騎手とコンビを組んだ本馬はスタートから単勝オッズ4.5倍の2番人気馬スイスロウと一緒に先頭を引っ張った。そしてそのままこの2頭の争いとなったが、8ポンドの斤量差が響いたようで、最後に後れを取って半馬身差の2着に敗れた。

同月にサースク競馬場で出たディッシュフォース条件S(T8F)でも132ポンドを課せられ、単勝オッズ4.5倍で4頭立ての3番人気となった。カーター騎手騎乗の本馬はここでも2番手を追走して残り2ハロン地点で仕掛けたが、最後に伸びを欠いて、同じ132ポンドのトップハンデだった単勝オッズ4倍の2番人気馬カティーナス(後に米国に移籍してサバーバンHで2着している)から1馬身3/4差の2着に終わった。

7月にドンカスター競馬場で出走したハリファックス自動車保険条件S(T8F)では斤量が122ポンドまで下がり、単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持された。そしてカーター騎手を鞍上にスタートから先行して粘り込み、126ポンドの斤量だった単勝オッズ4倍の2番人気馬イリュージョンを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。

その後は9月にエプソム競馬場で行われたリステッド競走フォーチュンS(T8F114Y)に向かった。対戦相手はワンランク上がっており、後のデュッセルドルフ大賞・リボー賞・セプテンバーS勝ち馬クリムゾンタイド、前走セレブレーションマイルで2着してきたポーラープリンス、この6日後にパークSを勝つアルムシュタラクなどが出走していた。カーター騎手騎乗の本馬、クリムゾンタイド、ポーラープリンスの3頭が並んで単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持された。ここでもスタートから先行して残り1ハロン地点で先頭に立つと、2着アルムシュタラクに1馬身3/4差で勝利した。

次走のリステッド競走ジョエルS(T8F)では、ハンガーフォードSの勝ち馬ビンロージーが単勝オッズ2倍の1番人気に支持されており、ヒルズ騎手騎乗の本馬は単勝オッズ3.75倍の2番人気となった。ここでも先行すると、残り2ハロン地点で先頭に立ち、2着スイスロウに2馬身差で勝利した。3歳時はグループ競走に出走しなかったとはいえ、6戦3勝2着3回の好成績をマークした。

競走生活(4歳時)

翌年1月にモーリー師が癌のため若くして死去したため、本馬はドバイのサイード・ビン・スルール厩舎に移籍して、ゴドルフィン名義となった。そのため、4歳初戦はナドアルシバ競馬場で行われたアルタジールグラスレース(D1800m)となった。ここではウインターヒルS2連覇や日本の毎日王冠勝ちなどの実績があった同馬主同厩馬アヌスミラビリスとの対戦となった。アヌスミラビリスはダート競走3戦目だったが、本馬は初ダートだった。本馬の鞍上にはランフランコ・デットーリ騎手の姿があった。レースでは逃げるアヌスミラビリスを3番手で追いかけると、残り500m地点で仕掛けてじわじわと追い詰め、残り200m地点でかわし、2着アヌスミラビリスに1馬身1/4差をつけて勝利した。

次走のドバイデューティーフリー(D2000m)でも、アヌスミラビリスとの顔合わせとなった。ここでも本馬はデットーリ騎手とコンビを組んだ。スタートからアヌスミラビリスが逃げを打ち、本馬は3番手を追走。そして残り400m地点で仕掛けたが、アヌスミラビリスには全く追いつけず、6馬身差をつけられて2着に敗れた(本馬も3着フライトゥザスターズには6馬身差をつけていた)。

ドバイを後にして英国に戻った本馬の次走は、6月にエプソム競馬場で行われたダイオメドS(英GⅢ・T8F114Y)となった。クリテリオンS・ミンストレスSの勝ち馬ラムーズ、サンダウンマイルを勝っていたアルムシュタラク、パレロワイヤル賞を勝ってきたヒドゥンメドウなどを抑えて単勝オッズ3倍の1番人気に支持された本馬は、デットーリ騎手を鞍上に先行。残り1ハロン地点手前で先頭に立つと、ここから後続を瞬く間に引き離し、2着ヒドゥンメドウに5馬身差をつけて圧勝した。

スルール師は競馬場に向かう途中で渋滞に巻き込まれてこのレースを見ることが出来なかったが、前日にエプソム競馬場で行われた3つのGⅠ競走で管理馬がことごとく2着に敗れていた(コロネーションCのスウェイン、英オークスのバール、英ダービーのシティオナーズ)鬱憤を少しは晴らす事ができた。

また、モハメド殿下は本馬をマイル路線に専念させる事を表明し、次走として10日後のクイーンアンS(英GⅡ・T8F)を挙げた。クイーンアンSは当時まだGⅡ競走だった(2003年にGⅠ競走に昇格)が、1840年創設で、英国の古馬主要マイル競走では最も歴史がある格が高い競走だった。前走ロッキンジSで2着してきたポティーン、後の愛国際S勝ち馬グレートデイン、ダイオメドSでヒドゥンメドウから1馬身1/4差の3着だったアルムシュタラク、ジャージーS・セレブレーションマイル勝ち馬で後にサセックスSを勝つアマングメン、ロッキンジS勝ち馬ケープクロスといった実力馬が対戦相手となったが、デットーリ騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。スタートから好位につけた本馬は、残り2ハロン地点過ぎで先頭に立つと、残り1ハロン地点過ぎから後続との差をどんどん広げ、最後は2着アマングメンに8馬身差をつけて圧勝した。

その後は仏国のジャックルマロワ賞に向かう予定だったが負傷のため回避して、そのまま休養入りとなった。ちなみにこの年のジャックルマロワ賞は日本から参戦したタイキシャトルが制しており、本馬は事前にタイキシャトルの最大の強敵と目されていた。もし本馬がジャックルマロワ賞に出ていたらどのような結果になっていただろうか。

4歳時は4戦3勝、GⅠ競走勝ちどころかGⅠ競走出走さえも無かった本馬だが、クイーンアンSの勝ち方はこの年における英国の競馬場で見られた最も強い内容であるとして、各方面から非常に高く評価された。国際クラシフィケーションではスキップアウェイの131ポンドに次ぐ世界第2位の130ポンド(BCクラシック勝ち馬オーサムアゲインと同値。タイキシャトルは122ポンド)の評価を受けた。英タイムフォーム社は本馬に対してこの年の最高値となる135ポンドのレーティングを与えた(スキップアウェイは134ポンド、オーサムアゲインは133ポンド、タイキシャトルは125ポンド)。

本馬とタイキシャトルの評価の差については、日本国内では賛否両論あるようであり、タイキシャトルの実力は所詮その程度とするものから、だからレーティングなどは当てにならないとするものまで色々な意見が見受けられる。レーティング自体が着差を重視するものであるため、ジャックルマロワ賞を2着アマングメンに半馬身差で勝ったタイキシャトルより、クイーンアンSを2着アマングメンに8馬身差で勝った本馬の方が、数値が高くなる事自体は止むを得ないと筆者は思う。しかしレーティングはあくまでも一つの指標に過ぎず、それだけで本馬はタイキシャトルより強いと決め付けるのも早計だろう。競走馬の実力差というものはそう簡単に図る事は出来ないものである(簡単に分かるなら、誰でも馬券は当たり放題のはずであろう)。

競走生活(5歳時)

本馬が復帰したのは5歳5月のロッキンジS(英GⅠ・T8F)だった。これがGⅠ競走初参戦だったが、デビューから3着以下無しの本馬は、香港国際ボウル・クイーンエリザベスⅡ世C勝ち馬ジムアンドトニックや、クイーンアンS4着後にサセックスSやセレブレーションマイルで2着するなど活躍を続けていたアルムシュタラクなどを抑えて、単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された。本馬と同厩のメシドール賞・ロンポワン賞勝ち馬フライトゥザスターズがペースメーカー役となってレースを引っ張り、久々にヒルズ騎手とコンビを組んだ本馬は、フライトゥザスターズを見るように好位を追走。そして残り1ハロン地点で満を持して仕掛けようとしたが、ここで突如として手応えが悪くなった。レースはフライトゥザスターズがそのまま逃げ切って勝ってしまい(同競走は前年のケープクロスに続いて2年連続でペースメーカー役が勝利した事になった)、ゴール前で伸びを欠いた本馬は、ジムアンドトニックやアルムシュタラクにも後れを取り、フライトゥザスターズから2馬身1/4差の4着に敗れた。

レース後に骨盤を骨折している事が判明し、そのまま現役引退となった。

血統

Red Ransom Roberto Hail to Reason Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Bramalea Nashua Nasrullah
Segula
Rarelea Bull Lea
Bleebok
アラビ Damascus Sword Dancer Sunglow
Highland Fling
Kerala My Babu
Blade of Time
Christmas Wind Nearctic Nearco
Lady Angela
Bally Free Ballymoss
Fair Freedom
Crafty Example Crafty Prospector Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
Real Crafty Lady In Reality Intentionally
My Dear Girl
Princess Roycraft Royal Note
Crafty Princess
Zienelle Danzig Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
Past Example Buckpasser Tom Fool
Busanda
Bold Example ボールドラッド
Lady Be Good

レッドランサムは当馬の項を参照。

母クラフティイグザンプルは米で走り1戦未勝利。クラフティイグザンプルの母ジエネルの全弟にはポリッシュプレシデント【ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】がおり、ジルザル【サセックスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】、オウインスパイアリング【フラミンゴS(米GⅠ)・アメリカンダービー(米GⅠ)】、カルチャーヴァルチャー【仏1000ギニー(仏GⅠ)・フィリーズマイル(英GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)】なども近親。近親と呼ぶには少し遠いが、グッバイヘイロー【デモワゼルS(米GⅠ)・ハリウッドスターレットS(米GⅠ)・ラスヴァージネスS(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・ラカナダS(米GⅠ)】とキングヘイロー【高松宮記念(GⅠ)】の母子、モティヴェイター【英ダービー(英GⅠ)・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)】なども同じ牝系。→牝系:F8号族③

母父クラフティプロスペクターはミスタープロスペクターの直子で、2~4歳時に米で走り通算成績10戦7勝2着2回。2歳時は3戦2勝2着1回。3歳時は脚部不安に悩まされ、3戦しかできなかったが、一般競走で2勝をマーク。4歳になると一般競走に3回出走していずれも勝利、生涯唯一のグレード競走出走となったガルフストリームパークH(米GⅠ)でクリスマスパストの首差2着に頑張ったが、結局グレード競走勝ちを果たせないまま脚部不安のため引退に追い込まれた。勝ち鞍は全て短距離の一般競走だが、2着馬を20馬身ちぎって勝ったことがあるなど短距離の強さはずば抜けていた。また、距離10ハロンのガルフストリームパークHで2着したように中距離戦までは守備範囲であった。種牡馬としては現役時代同様の堅実さを発揮し、高い勝ちあがり率を武器に1987年の北米新種牡馬ランキング首位、1996・97年のステークス競走勝ち数第1位を獲得。北米種牡馬ランキングは1997年の4位が最高だった。米国では超大物は出ていないが、日本ではアグネスデジタルの登場で一躍注目される存在となった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国デリンズタウンスタッドで種牡馬入りした。当初の種付け料は1万2千ギニー、2015年現在は6千ユーロである。種牡馬としての成績はまずまずと言ったところで、本馬が成し得なかったGⅠ競走制覇を果たした産駒も複数出ている。海外馬としてエリザベス女王杯を2連覇したスノーフェアリーの強さは記憶に新しい。牡駒よりも牝駒の活躍が目立つのが特徴である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2001

Ascertain

エルクホーンS(米GⅢ)

2001

Leg Spinner

シザレウィッチH

2001

Moon Unit

グリーンランズS(愛GⅢ)

2001

Mudawin

エボアH

2002

Paita

クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)・アレフランス賞(仏GⅢ)

2002

Toupie

アランベール賞(仏GⅢ)

2003

Red Evie

愛メイトロンS(愛GⅠ)・ロッキンジS(英GⅠ)・ハンガーフォードS(英GⅡ)・オークツリーS(英GⅢ)

2004

Hoh Mike

スプリントS(英GⅢ)

2007

Snow Fairy

エリザベス女王杯(日GⅠ)2回・英オークス(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)・香港C(香GⅠ)・ジャンロマネ賞(仏GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)

2008

Glen's Diamond

ヨークシャーC(英GⅡ)・ディーS(英GⅢ)

2009

Tell Dad

ホーリスヒルS(英GⅢ)

2012

Circus Couture

ジウビレオ賞(伊GⅢ)

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