ウィリアムザサード

和名:ウィリアムザサード

英名:William the Third

1898年生

鹿毛

父:セントサイモン

母:グラヴィティ

母父:ウィズダム

アスコット金杯などを制してセントサイモン産駒としては最後の名馬と言われた20世紀初頭の名長距離馬

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績14戦10勝2着2回

誕生からデビュー前まで

セントサイモンの所有者として知られる第6代ポートランド公爵ウィリアム・キャベンディッシュ・ベンティンク卿が晩年に生産した名長距離馬で、セントサイモン最後の名馬と言われる。誕生したのは英国ウッドハウスホールスタッドで、ベンティンク卿の所有馬として、ジョン・ポーター調教師に預けられた。

体高は16ハンドで、他のセントサイモン産駒の大半より大柄だった。ベンティンク卿のマネージャーをしていたジョン・ハビー氏は、本馬を「美しく知的な顔をした最上級の資質の持ち主。この馬より従順な馬を見つける事は出来ない。さらには勇気で満ち溢れている」と評している。しかしポーター師が本馬を最初に見た時に、完成するまで時間がかかると即座に言い切ったとおり、仕上がりは遅かった。6月に同厩の他馬3頭と走った試走では、4頭中3番目の順位だった。

競走生活(2・3歳時)

2歳10月にニューマーケット競馬場で行われたクリアウェルS(T5F)で公式戦デビューしたが後方のまま着外に終わり、2歳時の出走はこれだけだった。

3歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われたウッドディットンS(T8F)から始動して6馬身差で圧勝。翌週のエッシャーS(T9F)も6馬身差で圧勝した。さらにニューマーケットS(T10F)では、英2000ギニーで2着していたジュライS勝ち馬ドリクレスを短頭差の2着に、英1000ギニー馬アイダを3着に破って勝利を収めた。その後は英ダービー(T12F)に参戦したが、単勝オッズ15.3倍の伏兵だった。モルニ・キャノン騎手に手綱を取られた本馬は、タッテナムコーナーを7番手で回ると、先行馬との差を徐々に縮めていき、残り1ハロン地点から猛然とスパートしたが、単勝オッズ3.5倍の1番人気に推されていたヴォロディオフスキーに届かずに3/4馬身差の2着に敗れた(3着馬ヴェロネーゼは本馬から4馬身後方だった)。

その後の8月に出走したレノックスS(T7F)では、ヴォロディオフスキーとの再戦となった。今回は本馬が3ポンドのハンデを貰っていた影響もあり、ヴォロディオフスキーを頭差2着に抑えて勝利した。登録が無かったようで英セントレジャーには出走せず(ドリクレスがヴォロディオフスキーを2着に破って優勝している)、代わりにセプテンバーSに出走して単走で勝利。その後はケンプトンパークS(T12F)で初めて古馬と対戦したが、エクリプスS勝ち馬エプソムラッドの4着に敗退(アスコット金杯勝ち馬サントイが2着で、ヴォロディオフスキーが3着だった)。3歳時を7戦5勝で終えた。

競走生活(4歳時)

4歳時はいきなりアスコット金杯(T20F)から始動。ヴォロディオフスキー、英オークス馬キャップアンドベルズ、英チャンピオンS・コロネーションC勝ち馬オスボック、前年の覇者サントイ、仏2000ギニー・パリ大賞勝ち馬チェリ、仏1000ギニー・仏オークス・ヴェルメイユ賞・カドラン賞を勝っていた仏国の歴史的名牝ラカマルゴなど非常に強力な対戦相手が揃った。それでも本馬は単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。アレクサンドラ王妃やジョージ皇太子を含む大観衆が見守る中でレースが始まると、キャノン騎手鞍上の本馬は馬群の最後方を進んだ。そして残り3ハロン地点で仕掛けると他馬を一気に抜き去って、2着オスボックに5馬身差をつける圧勝劇を演じた。レース後の本馬は上機嫌に角砂糖を頬張っており、とても気性難で知られるセントサイモン産駒とは思えなかったという。

さらにアスコット金杯の翌日にはアレクサンドラプレート(T24F)に出走。136ポンドのトップハンデが課されたが、馬なりのまま2着オスボックを6馬身ちぎって圧勝した。

夏場は休養に充て、秋は9月のドンカスターC(T18F)に出走。単勝オッズ1.1倍という圧倒的な1番人気に応えて8馬身差で圧勝した。10月にはニューマーケット競馬場に向かい、ロウザーS(T14F)に出たが、対戦相手が現れずに単走で勝利した。さらに続くライムキルンS(T12F)も2馬身差で勝利した。しかしジョッキークラブC(T18F)では、シザレウィッチH勝ち馬ブラックサンドの前に1馬身差2着とまさかの敗戦を喫し、4歳時は6戦5勝の成績となった。

5歳時もアスコット金杯連覇を目指して現役を続けたが、調教中に石に躓いて負傷したため、5歳時はレースに出ることなく引退した。4歳から5歳にかけての冬場に本馬の毛並みが悪くなったのを見たベンティンク卿は、既に全盛期を過ぎたのではないかと推察しており、これも引退の一因だったようである。

馬名はイングランド国王ウィリアムⅢ世(名誉革命により、妻のメアリーⅡ世と共に王位に就いた)にちなんでいる。

血統

St. Simon Galopin Vedette Voltigeur Voltaire
Martha Lynn
Mrs. Ridgway Birdcatcher
Nan Darrell
Flying Duchess The Flying Dutchman Bay Middleton
Barbelle
Merope Voltaire
Juniper Mare
St. Angela King Tom Harkaway Economist
Fanny Dawson
Pocahontas Glencoe
Marpessa
Adeline Ion Cain
Margaret
Little Fairy Hornsea
Lacerta
Gravity Wisdom Blinkhoolie Rataplan The Baron
Pocahontas
Queen Mary Gladiator
Plenipotentiary Mare 
Aline Stockwell The Baron
Pocahontas
Jeu d'Esprit Flatcatcher
Extempore
Enigma The Rake Wild Dayrell Ion
Ellen Middleton
England's Beauty Birdcatcher
The Prairie Bird
The Sphynx Newminster Touchstone
Beeswing
Madame Stodare Sleight of Hand
Hampton Mare

セントサイモンは当馬の項を参照。

母グラヴィティは、4歳年上の全姉フローレンスがケンブリッジシャーHを勝ち独国に遠征してバーデン大賞も制した名牝という事で期待されたが、競走馬としては未勝利に終わった。そのために何人かの所有者の間を転々としていたが、ベンティンク卿の所有馬となってからセントサイモンと交配されて本馬を産み出した。

牝系はフローレンスが登場するまで活躍馬が長年出ておらず、あまり優秀とは言い難かったが、グラヴィティの2歳年上の全姉でやはり競走馬としては未勝利に終わったタクトの子からアミアブル【英1000ギニー・英オークス】が出ると、その後は活躍馬が登場するようになった。

フローレンスの曾孫には米国顕彰馬レイカウント【ケンタッキーダービー・ジョッキークラブ金杯・コロネーションC】がいるし、本馬の1歳年下の全妹グラヴィテーションの牝系子孫からは、米国顕彰馬グランヴィル【ベルモントS・アーリントンクラシックS・トラヴァーズS】、リジェクティド【ウェスターナーS・サンタアニタH・ハリウッド金杯】、カコイーシーズ【ターフクラシックH(米GⅠ)】、フィジー【ゲイムリーS(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】などが出ている。

また、タクトの娘でアミアブルの全姉に当たるチャームの牝系子孫は豪州や南米など南半球で大きく枝葉を広げ、豪州顕彰馬アジャックス【豪シャンペンS・AJCサイアーズプロデュースS・ローズヒルギニー・コーフィールドギニー・ニューマーケットH・豪フューチュリティS3回・オールエイジドS3回・アンダーウッドS3回・コーフィールドS・コックスプレート・マッキノンS】を筆頭とする活躍馬が山のように出ている。日本で種牡馬として活躍し、トウメイ、ヒカルイマイ、アチーブスターなどを出したシプリアニもチャームの牝系子孫出身馬であるし、プルーヴイット【サンタアニタH・ハリウッド金杯】、キャンディスポッツ【プリークネスS・アーリントンワシントンフューチュリティ・フロリダダービー・サンタアニタダービー・アーリントンクラシックS・アメリカンダービー】、ボールドラッド【ミドルパークS】、日本で走ったダイシンフブキ【朝日杯三歳S(GⅠ)】、南アフリカ出身の短距離王ジェイジェイザジェットプレーン【香港スプリント(香GⅠ)・コンピュータフォームスプリント(南GⅠ)・ゴールデンホーススプリント(南GⅠ)2回・マーキュリースプリント(南GⅠ)2回】、日本で走ったダイシンフブキ【朝日杯三歳S(GⅠ)】、ロジック【NHKマイルC(GⅠ)】などもチャームの牝系子孫出身。→牝系:F2号族①

母父ウィズダムはエプソムC・クレイヴンS・ニューSでそれぞれ2着しているが12戦未勝利に終わった。遡るとジムクラックS・クイーンアレクザンドラS・アスコットゴールドヴァーズ勝ち馬ブリンクフーリー、ドンカスターC・アスコットゴールドヴァーズ勝ちなど82戦42勝のラタプランを経てザバロンに行きつく。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はベンティンク卿が所有していたウェルベックアベースタッドで種牡馬入りした。当時はまだ父セントサイモンもウェルベックアベースタッドにおいて健在であり、種牡馬として競合する状況であった。セントサイモンの死後には世に言うセントサイモンの血の氾濫が発生した。それでも本馬は種牡馬として一定の成功を収め、英愛種牡馬ランキングで2度2位になっている。晩年は跛行が見受けられ、牝馬と交配する事が困難になっていたが、交配数を年15頭に制限して種牡馬生活を続けていた。1917年2月に脳内出血のため突然倒れてそのまま19歳で他界したが、その5年後の1922年には英愛母父首位種牡馬となった。遺体はウェルベックアベースタッドに埋葬されたが、頭部の骨だけはサウスケンジントンの自然史博物館に飾られている。母の父としては、アスコット金杯の勝ち馬トリムドン、英2000ギニー馬アダムスアップルなどを出した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1906

Battle-Axe

ジュライS

1906

Ronde de Nuit

仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞・フォレ賞・フロール賞

1906

William the Fourth

アスコットダービー

1907

Willonyx

アスコット金杯・ジョッキークラブC

1907

Winkipop

英1000ギニー・コロネーションS・サセックスS・ナッソーS・ヨークシャーオークス・シザレウィッチH

1908

King William

デューハーストS・アスコットダービー

1908

La Boheme

フロール賞

1909

Rembrandt

伊ダービー・ミラノ大賞

1910

Majestic

ベルリン大賞

1910

Pilliwinkie

アスコットダービー

1910

Roseworthy

セントジェームズパレスS

1911

Trois Temps

ジョッキークラブS

1912

Roseland

ジュライS

1913

Harriet Graham

VRCオーストラリアンC

1913

Nassovian

プリンセスオブウェールズS

1916

Old Bill

アスコットダービー

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