和名:パッパフォーウェイ |
英名:Pappa Fourway |
1952年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:パパジェノ |
母:オーラヒルズ |
母父:デンテュリアス |
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かなりのマイナー血統の持ち主ながらも圧倒的強さで3歳時8戦全勝の成績を残し20世紀英国屈指の短距離馬との評価を得る |
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競走成績:2・3歳時に英愛で走り通算成績15戦12勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
愛国バリーキスティーンスタッドにおいて誕生した。成長後の体高は16ハンドに達し、大柄で力強い馬体の持ち主だった。1歳時に150ギニーでエレイン・ゴールドソン夫人により購入され、英国ノースヨークシャー州に厩舎を構えていたウィリアム・パーカー・“ビル”・ダットン調教師に預けられた。ダットン師は元々アマチュアの騎手で、1928年の英グランドナショナルでは単勝オッズ101倍のティペラリーティムに騎乗して勝利を収めていた。そして30歳になってから調教師となり、第二次世界大戦に従軍して復員した後に本格的な調教師活動を開始していた。彼は安値で買われた馬で大競走を勝つ事で有名だったが、その手掛けた最高傑作が本馬である。主戦はハリー・カー騎手が務めた。
競走生活
2歳時に競走馬としてデビュー。デビュー当初は地元ノースヨークシャー州の下級競走を走っており、地元では4戦して3勝の成績を挙げた。8月にグッドウッド競馬場で出走したラヴァントS(T4F)では2着。10月にニューマーケット競馬場で出走したムールトンS(T5F)では、後のゴードンSの勝ち馬マナティ以下に勝利を収めた。同月にヨーク競馬場で出走したマルトンS(T7F)では3着に敗れ、2歳時の成績は7戦4勝となった。
3歳時は4月に愛国カラー競馬場で行われたテトラークS(T7F)から始動した。このレースには、前年のジュライCの勝ち馬ヴィルモレイ、ウッドコートS・ホーリスヒルSの勝ち馬でデューハーストS3着の同世代馬ロイヤルパームが参戦してきた。しかし本馬がヴィルモレイを2馬身差の2着に、ロイヤルパームを3着に破って勝利を収めた。その後は英国に戻り、5月初めにチェスター競馬場で行われたプリンスオブウェールズH(T5F)に出走。他馬より13~27ポンドも重い132ポンドのトップハンデが課せられていたが、他の出走馬13頭を蹴散らして、2着インテントに3馬身差をつけて完勝した。その3週間後にはエプソム競馬場で行われたスチュワーズS(T5F)に出走。133ポンドの斤量を背負いながら55秒4の好タイムで6馬身差の圧勝を果たした。その翌週にはバーミンガム競馬場で出走したフェスティバルSを3馬身差で勝利。6月下旬にはニューカッスル競馬場で行われたゴスフォースパークCに出走して、133ポンドを背負いながら他の出走馬10頭を3馬身差で難なく退けた。
その僅か5日後にはニューマーケット競馬場に移動してジュライC(T6F)に出走。本馬に恐れをなしたのか他の出走馬は僅か2頭だった。しかしその2頭とは、ヴィルモレイとロイヤルパームだった。連覇を目指すヴィルモレイは最高の仕上がりでここに臨んできていたし、ロイヤルパームも本馬を脅かすのではないかと言われるほど最高の仕上がりで臨んできていた。しかし結果は単勝オッズ1.17倍という圧倒的な1番人気に支持された本馬が、馬なりのまま走り、2着ヴィルモレイに2馬身差で勝利を収め、これで名実ともに英国短距離界の頂点に君臨した。
翌7月にはアスコット競馬場でキングズスタンドS(T5F)に出走した。このレースにはキングジョージSを勝っていた同世代の牡馬デモクラティックも出走していた。126ポンドのトップハンデを課せられた本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気となったが、それより14ポンドも軽い112ポンドで出走できたデモクラティックも単勝オッズ4.5倍の2番人気と対抗馬としての評価を受けていた。しかし結果は本馬がデモクラティックを2馬身差の2着に破って勝利した。
その後はナンソープSを目標としていたが、この年にノースヨークシャー州で流行した呼吸器疾患に罹患してしまい回避となった。なお、本馬不在のナンソープSは、ロイヤルパームがデモクラティックを2着に破って勝利している。
病気が癒えた本馬の復帰戦は10月にアスコット競馬場で行われたダイアデムS(T6F)だった。本馬が競馬場に戻ってくるという報は英国の競馬ファンやマスコミには「良い知らせ」として迎えられたが、他馬陣営にとっては甚だしく悪い知らせだったらしく、地元英国の馬達は揃いも揃ってダイアデムSを回避。そのために、対戦相手はコーク&オラリーSを勝ち愛2000ギニーで3着していた同世代の仏国調教馬トルヴィルのみとなった。病み上がりである本馬に対しては体調不良を懸念する意見も多かったようで、本馬の単勝オッズは4.5倍もついていた。しかし結果は本馬が6馬身差で勝利を収め、実力の違いを見せつけた。このレースを最後に競走生活に別れを告げた。
競走馬としての評価
3歳時に8戦全勝の成績を残した本馬に対して、英タイムフォーム社はこの年の全世代を通じて単独最高となる139ポンドのレーティングを与えた。この数値は短距離馬としては1950年に142ポンドの評価を受けたアバーナントに次ぐ歴代2位(第3位が1959年のライトボーイと1990年のデイジュールの137ポンド、第5位が1983年のハビブティと2011・2013年のブラックキャビアの136ポンド)であり、同じ1955年に133ポンドの評価を受けた同世代の凱旋門賞馬リボーを大きく上回るものだった。そのために英国におけるリボーの評価が低いと感じたリボー陣営は、翌年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSにリボーを参戦させて圧勝することになるのだった。いずれにしても本馬は20世紀英国屈指の名短距離馬として極めて高く評価されている。
血統
Pappageno | Prince Rose | Rose Prince | Prince Palatine | Persimmon |
Lady Lightfoot | ||||
Eglantine | Perth | |||
Rose de Mai | ||||
Indolence | Gay Crusader | Bayardo | ||
Gay Laura | ||||
Barrier | Grey Leg | |||
Bar the Way | ||||
Kassala | Cylgad | Cyllene | Bona Vista | |
Arcadia | ||||
Gadfly | Hampton | |||
Merry Duchess | ||||
Farizade | Sardanapale | Prestige | ||
Gemma | ||||
Diavolezza | Le Sagittaire | |||
Saint Astra | ||||
Oola Hills | Denturius | Gold Bridge | Golden Boss | The Boss |
Golden Hen | ||||
Flying Diadem | Diadumenos | |||
Flying Bridge | ||||
La Solfatara | Lemberg | Cyllene | ||
Galicia | ||||
Ayesha | Ayrshire | |||
Lily Roseberry | ||||
Chikoo | Firdaussi | Pharos | Phalaris | |
Scapa Flow | ||||
Brownhylda | Stedfast | |||
Valkyrie | ||||
Chor Bazar | Gainsborough | Bayardo | ||
Rosedrop | ||||
Voleuse | Volta | |||
Sun Worship |
父パパジェノはプリンスローズ産駒の仏国産馬で、現役成績は21戦7勝。ライムキルンS・マンチェスターノーベンバーHを勝ち、グレートジュビリーHで2着している。種牡馬としては障害競走や狩猟用で活躍する馬を輩出しており、どちらかと言えば長距離傾向が強かったようである。
母オーラヒルズの競走馬としての経歴は不明。本馬の半妹ネリーパーク(父アークティックプリンス)の子にパークトップ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・コロネーションC・リブルスデールS・ハードウィックS・フォワ賞・ラクープ・カンバーランドロッジS】、パークローン【レイルウェイS(愛GⅢ)】が、本馬の半妹ペギーウエスト(父プレモニーション)の曾孫に2歳でナンソープSを勝って1992年のカルティエ賞最優秀2歳牝馬に選ばれたリリックファンタジー【ナンソープS(英GⅠ)】、ロイヤルアプローズ【ミドルパークS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、インコマンド【デューハーストS(英GⅠ)】の3姉弟がいる。
オーラヒルズの祖母コールバザールの半弟には日本で幻の馬トキノミノルなどを出して種牡馬として大成功したセフトがいる。コールバザールの母ヴォールーズの半弟にはソラリオ【英セントレジャー・コロネーションC・アスコット金杯】がおり、元から短距離専門の牝系だったわけではない。本馬が短距離馬となったのは血統論的には母父の短距離血統が非常に強く出たとしか言いようがない。→牝系:F26号族
母父デンテュリアスは現役時代8勝を挙げているがステークス競走ではコヴェントリーSの3着がある程度だった。遡ると、キングズスタンドS2回・ナンソープS勝ちのゴールドブリッジ、やはりキングズスタンドS2回・ナンソープS勝ちのゴールデンボス、ザボス、オービーへと行きつく超短距離血統。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は米国に輸出されて種牡馬入りした。20頭のステークスウイナーを出したが、期待どおりの成績とはいかなかったようで、1970年に墨国に輸出され、1978年に26歳で他界した。本馬の直系は残っていないが、牝駒を通じてケンタッキーダービー馬ストライクザゴールド、本邦輸入種牡馬アレミロード、BCスプリント2着馬ソビエトプロブレム、日本で走ったケイアイガードやアクシオンなどに血が受け継がれている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1958 |
Pappa's All |
ハリウッドジュヴェナイルCSS |
1959 |
Weldy |
デルマーフューチュリティ |
1961 |
Gim Mah |
ハネムーンH・デルマーオークス |
1961 |
Pop's Harmony |
デルマーダービー |