モンズーン

和名:モンズーン

英名:Monsun

1990年生

黒鹿

父:ケーニヒスシュトゥール

母:モセラ

母父:ズルムー

後のジャパンC優勝馬ランドの好敵手として活躍した独年度代表馬は、独国繋養種牡馬として歴史上初の世界的大種牡馬に上り詰める

競走成績:2~5歳時に独英仏で走り通算成績23戦12勝2着5回

誕生からデビュー前まで

独国バイエルン州にあるイザールラント牧場の生産馬で、16万マルク(当時の為替レートで約1280万円)で取引されて、ゲオルグ・フォン・ウルマン男爵の所有馬となった。ウルマン男爵は、独国の個人牧場としては最も歴史が古いシュレンダーハン牧場の経営者一族で、後にシュレンダーハン牧場の経営を受け継ぐ事になる人物だった。本馬は、過去に独ダービーを6勝していた独国の名伯楽ハインツ・イエンチ調教師に預けられた。成長すると体高16.2ハンドほどに達した比較的大柄な馬で、その力強い走りが魅力的な馬だったそうである。

競走生活(2歳時)

2歳8月にケルン競馬場で行われたオスターマンレネン(T1600m)で、ホルスト・ホルヴァート騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ11.2倍の評価だったが、2着フィガロに1馬身1/4差をつけて勝ち上がった。翌9月に出たバールセン賞(T1600m)では単勝オッズ4倍と人気を集め、ペーター・シールゲン騎手を鞍上に2着ウィンズヴィジョンに2馬身差で勝利した。

しかしアンジェイ・テュリッヒ騎手とコンビを組んで出た次走のドルトムンダーアオクチオンズレネン(T1400m)では、ドラッカーノワール、トロピカルキング、イロケゼといった面々に敗れて、ドラッカーノワールの5馬身3/4差5着に敗退。やはりテュリッヒ騎手が騎乗したミュンヘナーアオクチオンズレネン(T1600m)でも、前走で名前を挙げた馬全てに屈して、トロピカルキングの6馬身3/4差5着に敗退。2歳時の成績は4戦2勝となった。

競走生活(3歳時)

3歳時はシールゲン騎手が主戦として固定される事になり、4月のシュタイゲンベルガーホテルズ大賞(独GⅢ・T2000m)から始動した。そして2着コムツール(後のダルマイヤー大賞2着馬)に鼻差で勝利を収めた。

次走のリステッド競走ユングハインリヒ賞(T2100m)では、マジカルリヴァーの首差2着だったが、3着コムツールには2馬身半差をつけていた。それから3週間後のヘルティー大賞(独GⅡ・T2200m)では、2着コムツールに首差、3着シュルードアイディアにさらに2馬身半差をつけて勝利。次走のリステッド競走コンスルバイエフレネン(T2200m)でも、2着ペトロに首差で勝利を収めた。

そして連勝の勢いで独ダービー(独GⅠ・T2400m)に参戦。前哨戦ウニオンレネンの上位3頭である独2000ギニー馬コルナド、シュテルンケーニッヒ、アルターアデル、それに独オークスを勝ってきたアルコナ、コムツールなどが参戦してきた。シュテルンケーニッヒが単勝オッズ4.6倍の2番人気、コルナドが単勝オッズ5.7倍の3番人気で、本馬は単勝オッズ9倍の5番人気だった。レースでは馬群の中団好位につけ、残り800m地点から徐々に加速して2番手に上がってきた状態で直線を向いた。そして残り400m地点で先頭に立ってそのまま勝利するかと思われたが、最後方からの追い込みに賭けた単勝オッズ24.5倍の12番人気馬ランドにゴール前で一気にかわされ、1馬身半差の2着に敗れた。

もっとも、勝ったランドの勝ちタイム2分28秒8は独ダービーのレースレコードを57年ぶりに更新する素晴らしいものであり、その中で2着した本馬の走りも評価された。ちなみにランドは本馬と同じイエンチ厩舎の所属だったが、所有者が異なっていた故か、この後も幾度かあいまみえることになる。

続いて古馬相手のアラルポカル(独GⅠ・T2400m)に出走。ここではマイケル・キネーン騎手とコンビを組んだ。そしてタタソールズ金杯・ロイヤルホイップSなどの勝ち馬ジョージアウグストゥス、シュルードアイディアとの大接戦を制して、2着ジョージアウグストゥスに首差で勝利した。

次走のイヤリングサウクティオン賞(T2400m)からは、本馬が2歳時に2度騎乗したことがあるテュリッヒ騎手が主戦となった。テュリッヒ騎手とのコンビでは2戦2敗だったがそれでも単勝オッズ1.1倍という断然の1番人気に支持されると、2着キャンプデーヴィッドに3馬身差で勝利した。

秋のオイロパ賞(独GⅠ・T2400m)では、独ダービーで8着に敗れるもその後にメルフィンク銀行賞を勝っていたコルナド、独ダービーで本馬から1馬身3/4差の3着だった後にフュルシュテンベルクレネンを勝っていたシュテルンケーニッヒとの再戦となった。しかし本馬が他2頭との実力差を見せつけ、2着コルナドに3馬身半差、3着シュテルンケーニッヒにはさらに4馬身差をつけて圧勝。

3歳時は8戦6勝2着2回の成績で、独ダービー・バーデン大賞を制したランドとはGⅠ競走勝利数では同じながら、6戦2勝2着1回のランドより実績上位となり、ランドを抑えて独年度代表馬に選出された。ちなみに本馬がこの年に勝ったGⅠ競走はいずれも馬場状態が湿っており、本馬は重馬場巧者だったと海外の資料でも評されている(対するランドは重馬場が不得手だった)。

競走生活(4歳時)

4歳時は5月のゲルリング賞(独GⅡ・T2400m)から始動した。前年の同競走勝ち馬プロテクトーアの姿もあったが、本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。本馬の得意な重馬場で行われたレースでは、スタートから果敢に先頭を飛ばすと、そのまま2着コンセプシオンに4馬身半差をつけて圧勝した。

続いて英国遠征を敢行し、コロネーションC(英GⅠ・T12F10Y)に参戦した。英オークス・サンタラリ賞・ヴェルメイユ賞を勝っていた前年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬イントレピディティ、前年の凱旋門賞馬アーバンシー、前年の伊ダービー馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・凱旋門賞2着のホワイトマズル、オイロパ賞・ターフクラシック招待Sを勝っていたアップルツリー、ヨークシャーオークス馬オンリーロワイヤルなど欧州トップクラスの馬達が集結しており、本馬は単勝オッズ10倍で5番人気の評価だった。ここでもスタートから果敢に先頭に立って逃げた本馬だが、起伏が激しいエプソム競馬場をそう易々と逃げ切れるものでもなく、馬場状態が乾燥していた事も手伝って、残り1ハロン地点で後続馬に捕まり、勝ったアップルツリーから4馬身半差の6着に敗れた。

地元に戻った本馬はメルフィンク銀行賞(独GⅠ・T2400m)に参戦。ここではランドと独ダービー以来1年ぶりの対戦となった。しかし単勝オッズ3.2倍の1番人気に推されたのは本馬でもランドでもなく、前走プリンセスオブウェールズSで2着してきたハードウィックS勝ち馬ボブザオだった。そして本馬が単勝オッズ3.4倍の2番人気で、ランドが単勝オッズ3.7倍の3番人気となった。レースで本馬は先行して残り400m地点で先頭に立った。しかしそこへ後方から追い込んできたのはボブザオでもランドでもなく、この年のウニオンレネン2着馬デュイトーアと、ハンザ賞でランドの2着してきたシュテルンケーニッヒの2頭だった。先にデュイトーアが本馬をかわして先頭に立ち、それをシュテルンケーニッヒが一気に差して優勝。本馬はシュテルンケーニッヒから2馬身1/4差の3着、ランドは本馬から1馬身半差の4着に敗れた。

次走のアラルポカル(独GⅠ・T2400m)でも本馬とランドは対戦。さらには英セントレジャー・ミラノ大賞・加国際S・ドーヴィル大賞2回を勝っていた英国調教馬スナージも参戦してきた。しかしここで勝ったのは3頭のいずれでもなく、英国のGⅢ競走スコティッシュクラシックを勝っていたリヴァーノース。本馬はリヴァーノースから2馬身半差の2着、スナージは本馬から6馬身差の3着、ランドはスナージから1馬身1/4差の5着と冴えなかった。

続くバーデン大賞(独GⅠ・T2400m)でも本馬とランドの対戦となった。また、この年にメルセデスベンツ大賞を勝っていたコルナドの姿もあり、同世代トップクラスの3頭が顔を揃えた。本馬が単勝オッズ2.4倍の1番人気で、ランドとコルナドが並んで単勝オッズ5.1倍の2番人気だった。レースは本馬が先行して、コルナドが中団、ランドが後方から進む展開となった。残り400m地点で本馬が先頭に立ってそのまま押し切ろうとしたが、後方から追い上げてきたランドが残り200m地点で本馬を抜き去って勝利を収め、本馬は2馬身差の2着に敗れた(コルナドは本馬から2馬身半差の3着だった)。

次走のオイロパ賞(独GⅠ・T2400m)では、凱旋門賞に向かったランドは不参戦であり、本馬がコルナド、リヴァーノース、コンセプシオン、プロテクトーアなどを抑えて単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持された。そして2着リヴァーノースに3馬身差をつけて快勝し、1976年のヴィントヴルフ以来18年ぶり史上3頭目となる同競走2連覇を果たした。

その後は仏国に向かい、ランドが8着に終わった凱旋門賞の2週間後に同コースで行われたコンセイユドパリ賞(仏GⅡ・T2400m)に出走した。ここではG・ギニャール騎手とコンビを組んだ。クリテリウムドサンクルーの勝ち馬サンシャックが単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ3.1倍の2番人気となった。レースでは道中3番手を進み、直線に入ってからスパートして残り400m地点で先頭に立ったが、後方から差してきたサンシャックにゴール前でかわされ、半馬身差の2着に敗れた(後に香港ヴァーズ・クイーンエリザベスⅡ世C・サンフアンカピストラーノ招待Hを勝つレッドビショップが本馬から首差の3着だった)。

4歳時の成績は7戦2勝2着3回(GⅠ競走1勝)で、コンセイユドパリ賞と同日の伊ジョッキークラブ大賞を勝って7戦3勝(GⅠ競走2勝)としたランドに、この年の独年度代表馬の座を譲る事になった。

競走生活(5歳時)

5歳時も現役を続け、前年と同じく5月のゲルリング賞(独GⅡ・T2400m)から始動。このレースから主戦は再びシールゲン騎手に戻っていた。ゲルゼンキルヒェン経済大賞勝ち馬ジャーマニーなどを抑えて単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された本馬はここでは馬群の中団好位の4番手を進み、残り800m地点からのロングスパートに出た。そして残り400m地点で先頭に立つと、ゴール前では馬なりのまま走り、2着プロテクトールに1馬身3/4差をつけて連覇を達成した。

次走のバーデン経済大賞(独GⅡ・T2200m)では、ランドと5度目にして最後の対戦となった。レースは重馬場で行われており、ランドより本馬のほうが有利なはずだった。しかし本馬は3番手を追走するも残り400m地点から大きく失速。レースは後方から追い上げたフリーダムクライ(4か月後の凱旋門賞でラムタラの2着した事で知られる)が勝利を収め、最後方から追い込んだランドが3着、中団から差したコルナドが5着で、本馬はフリーダムクライから13馬身差、ランドから11馬身3/4差、コルナドから9馬身差もつけられた6着と惨敗してしまった。

ランドとの対戦成績は本馬の2勝3敗だったが、本馬がランドと同じレースに出て1着になった事は一度も無かった。

次走のハンザ賞(独GⅡ・T2200m)では、コルナド、ジャーマニー、コンセプシオン、プロテクトーアなどが対戦相手となった。前走の大敗にも関わらず、ここでは単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。レースでは先行して直線で抜け出そうとしたが、後方から来たジャーマニーに残り200m地点でかわされ、3/4馬身差をつけられて2位入線。しかしジャーマニーが本馬を抜いた際に馬体をぶつけていたため、進路妨害の裁定が下り、ジャーマニーは2着に降着となって本馬が勝ちを拾った。ジャーマニーはこのレース後に本格化して、この年にダルマイヤー大賞・バーデン大賞とGⅠ競走を2勝する事になる。

一方の本馬は2年ぶりの制覇を目指してアラルポカル(独GⅠ・T2400m)に向かった。主な対戦相手は、コルナド、コンセプシオン、プロテクトーア、それに前年の英オークス2着馬ウインドインハーヘアだった。レースではやはり先行したが、いつもと様子が異なり、明らかに折り合いを欠いていた。そして直線に入ると残り400m地点で失速。勝ったウインドインハーヘアから6馬身1/4差の5着と完敗した。後に七冠馬ディープインパクトの母となるウインドインハーヘアは、(有名な話だが)このレースでは身重だった。本馬はこのレースを最後に本馬は5歳時4戦2勝の成績で引退した。

血統

Königsstuhl Dschingis Khan Tamerlane Persian Gulf Bahram
Double Life
Eastern Empress Nearco
Cheveley Lady
Donna Diana Neckar Ticino
Nixe
Donatella Allgau
Blaue Donau
Königskrönung Tiepoletto Tornado Tourbillon
Roseola
Scarlet Skies Blue Skies
Scarlet Quill
krönung Olymp Arjaman
Olympiade
Kaiserkrone Nebelwerfer
Kaiserwurde
Mosella Surumu Literat Birkhahn Alchimist
Bramouse
Lis Masetto
Liebeslied
Surama Reliance Tantieme
Relance
Suncourt Hyperion
Inquisition
Monasia Authi Aureole Hyperion
Angelola
Virtuous Above Suspicion
Rose of India
Monacensia Kaiseradler Nebelwerfer
Kaiserwurde
Motette Burgeff
Morchel

ケーニヒスシュトゥールは当馬の項を参照。

母モセラは現役成績5戦1勝だが、その1勝が独オークスのトライアル競走シュレンデレラレネンだった。本馬の全妹モーニングクイーンの孫には、牝馬でありながら距離4000mのカドラン賞(仏GⅠ)を勝ったモリーマローンがいる。母系は独国の名門牝系の1つであり、モセラの従姉妹にはマジョリタート【独1000ギニー(独GⅡ)・独オークス(独GⅡ)】がおり、マジョリタートの子にはマリナス【ウニオンレネン(独GⅡ)】、孫にはミスティックリップス【独オークス(独GⅠ)】とムーンレディ【独セントレジャー(独GⅡ)・ロングアイランドH(米GⅡ)】がいる。そして日本に繁殖牝馬として輸入されたムーンレディの息子が御存知エイシンフラッシュ【東京優駿(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)】である。→牝系:F8号族①

母父ズルムーはアカテナンゴの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、独国シュレンダーハン牧場で種牡馬入りした。初年度産駒がデビューした1999年に独国の新種牡馬ランキング1位になり、翌年にはザムムが独ダービー制覇を果たすなど、順調な種牡馬成績を挙げ、2000・02・04・06年と4度に渡って独首位種牡馬を獲得した(日本では2002・04・06年の3度とされる場合が多いようだが、海外の資料はどれも2000年を含めて4度となっている)。

競走馬時代に好敵手だったランドも決して種牡馬として失敗したわけではないのだが、本馬の成績と比べると明らかに見劣りしており、種牡馬としては本馬の圧勝となった。本馬が繋養されていたシュレンダーハン牧場は過去に15頭もの独ダービー優勝馬を出した名門牧場だったが、本馬が種牡馬入りした頃は20年以上独ダービー馬を出しておらず、斜陽の状況にあった。しかし本馬の種牡馬としての成功と共に息を吹き返し、現在では再び活躍馬を多く送り出し、アードラーフルーク、ヴィーナーヴァルツァーと2頭の独ダービー馬(いずれも本馬の産駒ではないが)を輩出するなど復活を遂げており、本馬はシュレンダーハン牧場の救世主的存在になった。

そして本馬の見事なところは、産駒が独国外でも大活躍している事である。独国産馬として史上初めて米国のブリーダーズカップを制覇した2005年のBCターフ馬シロッコ、仏国の名伯楽アンドレ・ファーブル調教師をして「かつて私が手掛けた最高の馬」とまで言わしめた2007年の世界最高レーティング獲得馬マンデュロ、2011年のエクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれた仏オークス馬スタセリタ、2013年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを優勝したノヴェリスト、英国女王エリザベスⅡ世殿下に英国王として史上初のアスコット金杯制覇をプレゼントしたエスティメイトなどに加えて、2013・14年には豪州最大の競走メルボルンCを産駒のフィオレンテとプロテクショニストで2連覇するなど、とにかくワールドワイドに活躍馬を輩出した。日本ではあまり産駒を見かけないが、2011年の優駿牝馬で2着したピュアブリーゼという活躍馬がいる。

どちらかと言えば独国繋養種牡馬は独国内のローカル種牡馬という印象が強かったが、本馬のところには独国外からも優秀な繁殖牝馬が次々にやって来た。そしてその中からさらに活躍馬を出した本馬は見事に世界的名種牡馬になってみせた(本馬は2007年以降に独首位種牡馬を獲得していないが、それは独国外で走る産駒が増えたからである)。当初は1万マルク(当時の為替レートで約70万円)だった種付け料は上昇の一途を辿り、2007年には12万ユーロ(当時の為替レートで約2000万円)、2008年には15万ユーロ(当時の為替レートで約2300万円)に達した。これは独国繋養種牡馬としては前例の無い金額であり、当時欧州で繋養されていた種牡馬全体でもトップ4に入る高額だった。産駒のステークスウイナーは108頭以上で、ステークスウイナー率は15.1%に達した。

産駒は距離12ハロン以上のレースにおける活躍が非常に目立っており、明らかに長距離向きの種牡馬である(短距離戦が多い2歳戦を含めても産駒の平均勝ち距離は11.4ハロン)が、スピードも内包しており、マイルの大競走で活躍する産駒もいる。2歳戦で勝ち上がる産駒は少なく、多くは3歳以降に本格化する晩成型である。

本馬は晩年に目を患って全盲となってしまい、2012年9月に繋養先のシュレンダーハン牧場において急性の神経性疾患により22歳で安楽死の措置が執られた。しかし世界的に少数派となり、滅亡寸前と思われていたブランドフォードの直系を再び世界の表舞台に引き上げた本馬の功績は非常に大きい。本馬の訃報を報じた米ブラッドホース誌の見出しは“The Sun Has Set(太陽が沈みました)”だった(同記事では本馬は3歳デビューですと間違った内容も記載されていたが)。自前の血統を大切に存続させる独国競馬界を、日本競馬界も少しは見習ってほしいものである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1997

Network

ウニオンレネン(独GⅡ)

1997

Samum

独ダービー(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)・ミュラーブロート大賞(独GⅡ)・ヴィーゼンホフ牧場賞(独GⅢ)

1997

Speedmaster

ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)

1997

Subiaco

ゲルリング賞(独GⅡ)・ワルターJヤコブスレネン(独GⅢ)・オーリアンダーレネン(独GⅢ)

1998

Foreman

愛チャンピオンハードル(愛GⅠ)

1998

Noroit

オイロパ選手権(独GⅡ)

1998

Simoun

メルセデスベンツ大賞(独GⅡ)・ハンザ賞(独GⅡ)

1999

Guadalupe

伊オークス(伊GⅠ)

1999

Salve Regina

独オークス(独GⅠ)

2000

Aubonne

ラクープ(仏GⅢ)

2000

Royal Fantasy

独セントレジャー(独GⅡ)

2001

Amarette

独オークス(独GⅠ)・独1000ギニー(独GⅢ)

2001

Assiun

ドクトルブッシュ記念(独GⅢ)

2001

Give Me Five

フランクフルト牝馬賞(独GⅢ)

2001

Le Miracle

カドラン賞(仏GⅠ)・グラディアトゥール賞(仏GⅢ)

2001

Noble Stella

ニューヨークBCH(米GⅡ)・ダンススマートリーH(加GⅢ)・ビウィッチS(米GⅢ)・グレンズフォールズH(米GⅢ)

2001

Shirocco

BCターフ(米GⅠ)・独ダービー(独GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・ジョッキークラブS(英GⅡ)・フォワ賞(仏GⅡ)

2001

Vallera

フェールホファー牝馬賞(独GⅢ)・ブレーメン牝馬大賞(独GⅢ)

2002

Anna Monda

ヴィットリオディカプア賞(伊GⅠ)・ヘンケルレネン(独GⅡ)・オイロパマイレ(独GⅡ)

2002

Arcadio

メルセデスベンツ大賞(独GⅡ)・アウディツェントルムスハノーファー大賞(独GⅡ)・バーヴァリアンクラシック(独GⅢ)

2002

Floriot

リディアテシオ賞(伊GⅠ)

2002

Manduro

イスパーン賞(仏GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・アルクール賞(仏GⅡ)・フォワ賞(仏GⅡ)・ヴィンターファヴォリテン賞(独GⅢ)・アールオブセフトンS(英GⅢ)

2002

Manduro

ドイツ統一賞(独GⅢ)

2002

Royal Highness

ビヴァリーDS(米GⅠ)・マルレ賞(仏GⅡ)・ザベリワンH(米GⅢ)

2002

Sorrent

ヴィンターケーニヒン賞(独GⅢ)

2003

Caprice

ロバートGディック記念H(米GⅢ)

2003

Gentlewave

伊ダービー(伊GⅠ)・ノアイユ賞(仏GⅡ)

2003

Getaway

ドイツ賞(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)・ジョッキークラブS(英GⅡ)・ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・リューテス賞(仏GⅢ)

2003

Imonso

バーヴァリアンクラシック(独GⅢ)

2003

Karavel

ドイツ統一賞(独GⅢ)

2003

La Boum

フロール賞(仏GⅢ)・フィユドレール賞(仏GⅢ)

2003

Lauro

スカイクラシックS(加GⅡ)

2003

Quelle Amore

独1000ギニー(独GⅡ)

2003

Schiaparelli

独ダービー(独GⅠ)・ドイツ賞(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)2回・ハンザ賞(独GⅡ)・グッドウッドC(英GⅡ)・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)・独セントレジャー(独GⅢ)

2003

Tertullus

ストックホルムストラ賞(蘇GⅢ)2回

2004

Axxos

ウニオンレネン(独GⅡ)・アンブロシアノ賞(伊GⅢ)

2004

Mimetico

パオロメザノッテ賞(伊GⅢ)

2004

Persian Storm

バーヴァリアンクラシック(独GⅢ)・フュルシュテンベルクレネン(独GⅢ)

2006

Kalla

ミネルヴ賞(仏GⅢ)

2006

Miss Europa

独オークストライアル(独GⅡ)

2006

Stacelita

サンタラリ賞(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ジャンロマネ賞(仏GⅠ)・ビヴァリーDS(米GⅠ)・フラワーボウル招待S(米GⅠ)・ラクープ(仏GⅢ)

2007

La Luna de Miel

オーキッドS(米GⅢ)

2008

Atempo

ゲルリング賞(独GⅡ)

2008

February Sun

バーデン牝馬賞(独GⅢ)

2008

Fiorente

メルボルンC(豪GⅠ)・オーストラリアンC(豪GⅠ)・プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)・ダトタンチンナムS(豪GⅡ)・ピーターヤングS(豪GⅡ)

2008

Maxios

イスパーン賞(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・アルクール賞(仏GⅡ)・トーマブリョン賞(仏GⅢ)・ラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ)

2008

Pirika

エドヴィル賞(仏GⅢ)

2008

Selkis

独オークストライアル(独GⅡ)

2009

Energizer

ターセンテナリーS(英GⅢ)

2009

Estimate

アスコット金杯(英GⅠ)・ドンカスターC(英GⅡ)・クイーンズヴァーズ(英GⅢ)・サガロS(英GⅢ)

2009

Masterstroke

ドーヴィル大賞(仏GⅡ)

2009

Novellist

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)・ウニオンレネン(独GⅡ)・バーデン企業大賞(独GⅡ)・春季3歳賞(独GⅢ)

2009

Waldlerche

ペネロープ賞(仏GⅢ)

2009

Yellow and Green

マルレ賞(仏GⅡ)

2010

Almandin

バーデン企業大賞(独GⅡ)

2010

Arab Spring

ジョンポーターS(英GⅢ)

2010

Bathyrhon

ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)・グラディアトゥール賞(仏GⅢ)

2010

Excess Knowledge

ドンカスタープレリュード(豪GⅢ)・レクサスS(豪GⅢ)

2010

Ocovango

グレフュール賞(仏GⅡ)

2010

Protectionist

メルボルンC(豪GⅠ)・ハンザ賞(独GⅡ)・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)

2010

Silasol

マルセルブサック賞(仏GⅠ)・サンタラリ賞(仏GⅠ)

2010

Triple Threat

ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)・モンマスS(米GⅡ)・フォルス賞(仏GⅢ)

2011

Longina

独オークストライアル(独GⅡ)

2011

Manatee

コンセイユドパリ賞(仏GⅡ)・シャンティ大賞(仏GⅡ)

2011

Vadamos

エッティンゲンレネン(独GⅡ)

2012

Shimrano

ウニオンレネン(独GⅡ)

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