和名:ザグレブ |
英名:Zagreb |
1993年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:シアトリカル |
母:ソフォニスブ |
母父:ウォロー |
||
デビュー3戦目の愛ダービーを圧勝した実力馬は日本で種牡馬入りするも活躍馬を出せずに去ったがその後にコスモサンビームやコスモバルクが登場する |
||||
競走成績:3歳時に愛仏で走り通算成績4戦2勝2着1回 |
誕生からデビュー前まで
アラジやシガーの所有者としても知られる米国の名物馬主アレン・ポールソン氏が生産・所有した米国産馬で、愛国の名伯楽ダーモット・K・ウェルド調教師に預けられた。
競走生活
3歳4月にカラー競馬場で行われた芝10ハロンの未勝利戦で、マイケル・キネーン騎手を鞍上にデビュー。27頭立てという多頭数だったが、本馬が他26頭を抑えて、単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。そして人気に応えて、2着シャラザンに4馬身半差をつける完勝で勝ち上がった。
次走は、6月にレパーズタウン競馬場で行われたクオリティビーフS(T12F)となった。ここでもキネーン騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ1.57倍で8頭立ての1番人気に支持された。しかし単勝オッズ8倍の4番人気馬ダマンシェールに脚を掬われて、頭差の2着に敗退した。なお、このレースには後に香港のトップホースとして活躍し、ジャパンCで2着するインディジェナスも出走していたが、単勝オッズ10倍の5番人気で6着に敗れている。
次走は愛ダービー(愛GⅠ・T12F)となった。英ダービー馬シャーミットや仏ダービー馬ラグマールの姿が無かったこのレースの主な対戦相手は、英ダービーとダンテSで2着していたダシャンター、英ダービーの前売りオッズで人気を集めていたが怪我のため回避していた2戦2勝馬ドクターマッシーニ、前年にデューハーストS・シャンペンSなど5戦全勝の成績でカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選ばれるも3歳時は英2000ギニー4着・英ダービー5着など3戦全敗だったアルハース、クリテリウムドサンクルー・リッチモンドSの勝ち馬で前走の仏ダービー2着のポラリスフライト、未勝利ステークスを6馬身差で勝ち上がってきたばかりのシャラフカビール、キングエドワードⅦ世Sを勝ってきたアムフォルタス、仏ダービー4着馬ドンミケレットなどだった。お世辞にも層が厚いメンバー構成とは言い難かったが、それでも2戦して未勝利戦の1勝のみという本馬は評価が低く、単勝オッズ21倍の7番人気だった。ウォーニングやコマンダーインチーフの半弟でもある良血馬ダシャンターが単勝オッズ2.25倍の1番人気、ドクターマッシーニが単勝オッズ3.25倍の2番人気、アルハースが単勝オッズ7.5倍の3番人気、ポラリスフライトが単勝オッズ8倍の4番人気と続いていた。
キネーン騎手がドクターマッシーニに騎乗したため、本馬にはテン乗りのパット・シャナハン騎手が騎乗した。スタートが切られると、単勝オッズ67倍の12番人気馬プライベートソングが先頭に立ち、ダシャンターなどがそれを追って先行。ポラリスフライトは好位、本馬、ドクターマッシーニ、アルハースなどは後方待機策を採った。シャナハン騎手が残り4ハロン地点で仕掛けると、ぐいぐいと位置取りを上げていき、直線には3番手で入ってきた。そして残り2ハロン地点で先頭に立つと、一気に後続馬を突き放し、2着ポラリスフライトに6馬身差をつけて圧勝した。1番人気のダシャンターは4着、2番人気のドクターマッシーニは7着、3番人気のアルハースは9着に敗れた。
その後は夏場を休養に充て、秋はぶっつけ本番で凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に挑んだ。対戦相手は、リュパン賞・サンクルー大賞・ノアイユ賞・ニエル賞を勝ってきたエリシオ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・愛チャンピオンS・キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールSの勝ち馬ペンタイア、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで3着だった英ダービー馬シャーミット、コロネーションC・ドーヴィル大賞・フォワ賞を勝ってきたスウェイン、英セントレジャー・アスコット金杯・ヨークシャーCの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のクラシッククリシェ、バーデン大賞・ロイヤルホイップS・ブリガディアジェラードSを勝ってきたピルサドスキー、愛セントレジャー・ハードウィックSを勝ってきたオスカーシンドラー、ポラリスフライト、サンタラリ賞の勝ち馬ルナウェルズ、前年の英ダービーでラムタラの2着だったタムレなどで、紛れも無くこの年における欧州トップクラスの馬達が集結していた。エリシオが単勝オッズ2.8倍の1番人気、スウェイン、クラシッククリシェ、タムレの3頭カップリングが単勝オッズ3.5倍の2番人気、再びキネーン騎手を鞍上に迎えた本馬は単勝オッズ7.6倍の3番人気となった。
スタートが切られると、エリシオが果敢に先頭に立ち、ピルサドスキーが2番手につけた。キネーン騎手は本馬を後方に下げようとしたらしいが、彼の意に反して本馬は先行して3番手を走ることになった。それでも内枠発走からインコースをロス無く進んだが、直線で全く伸びずに、勝ったエリシオから14馬身差をつけられた13着と大敗してしまった。その後に脚部不安を発症したため結局このまま引退となった。
馬名のザグレブは、クロアチア共和国の首都の名前であるが、航空機メーカーであるガルフストリーム・エアロスペース社のオーナーも務め、自身パイロットでもあったポールソン氏は、自身の所有馬に航空チェックポイントの名前を付ける事が多かったから、このザグレブもその辺りから取られている可能性が高いだろう。
血統
Theatrical | Nureyev | Northern Dancer | Nearctic | Nearco |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
Special | Forli | Aristophanes | ||
Trevisa | ||||
Thong | Nantallah | |||
Rough Shod | ||||
ツリーオブノレッジ | Sassafras | Sheshoon | Precipitation | |
Noorani | ||||
Ruta | ラティフィケイション | |||
Dame d'Atour | ||||
Sensibility | Hail to Reason | Turn-to | ||
Nothirdchance | ||||
Pange | キングスベンチ | |||
York Gala | ||||
Sophonisbe | ウォロー | Wolver Hollow | Sovereign Path | Grey Sovereign |
Mountain Path | ||||
Cygnet | Caracalla | |||
Mrs. Swan Song | ||||
Wichuraiana | Worden | Wild Risk | ||
Sans Tares | ||||
Excelsa | Owen Tudor | |||
Infra Red | ||||
Southern Seas | ジムフレンチ | Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | ||||
Dinner Partner | Tom Fool | |||
Bluehaze | ||||
Schönbrunn | Pantheon | Borealis | ||
Palazzo | ||||
Scheherezade | Ticino | |||
Schwarzblaurot |
父シアトリカルは当馬の項を参照。
母ソフォニスベは競走馬としては仏国で8戦して1勝を挙げた程度だったが、血統的には通称Sライン(Sの頭文字で始まる馬が代々続いているため)と言われる独国土着の名門牝系出身であり、かなり優秀な母系である。ソフォニスベの半弟にはスーラ(父クリムゾンボウ)【ジャンドショードネイ賞(仏GⅡ)】、1989年のエクリプス賞最優秀芝牡馬ステインレン(父ハビタット)【BCマイル(米GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)・バーナードバルークH(米GⅠ)・イングルウッドH(米GⅡ)2回・エルリンコンH(米GⅡ)・シーザーズ国際H(米GⅡ)・プレミアH(米GⅢ)・サラトガバドワイザーBCH(米GⅢ)・ダリルズジョイS(米GⅢ)・キーンランドBCH(米GⅢ)】がいる他、ソフォニスベの半姉シーシンフォニー(父ファラウェイサン)の曾孫には2011年のエクリプス賞最優秀芝牝馬スタセリタ【サンタラリ賞(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ジャンロマネ賞(仏GⅠ)・ビヴァリーDS(米GⅠ)・フラワーボウル招待S(米GⅠ)】、ソフォニスベの半妹スーパーガール(父ウッドマン)の子にはスーパーセレブル【ノアイユ賞(仏GⅡ)】がおり、近親にはソフォニスベの従兄弟であるサガス【凱旋門賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)】や、スリップアンカー【英ダービー(英GⅠ)】、日本で走ったビワハイジ【阪神三歳牝馬S(GⅠ)】、マンハッタンカフェ【菊花賞(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)】、ブエナビスタ【阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)・桜花賞(GⅠ)・優駿牝馬(GⅠ)・ヴィクトリアマイル(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)・ジャパンC(GⅠ)】、ジョワドヴィーヴル【阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)】などがいる。→牝系:F16号族①
母父ウォローは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、サラブレットクラブ・ラフィアンの代表者岡田繁幸氏の主導により日本に輸入され、日高軽種馬農業協同組合門別種牡馬場で種牡馬入りした。初年度である1997年に集まった繁殖牝馬は80頭、2年目は84頭、3年目は106頭、4年目は114頭と右肩上がりに交配数が増えており、かなりの期待を集めていたようである。ところが初年度産駒・2年目産駒と活躍馬が出なかったため、5年目の交配数は3頭、6年目の2002年は5頭と激減。2002年8月に愛国ビーチブルックスタッドに再輸出された。
しかし、その後の2003年にデビューした4年目産駒の中から中央競馬最優秀2歳牡馬コスモサンビーム、北海道営競馬の星コスモバルクが登場して一躍注目を集めた。そのため、早々に本馬に見切りをつけた事を非難する論調も出てきた。ゲーム評論家の成沢大輔氏は著書「ダービースタリオン04全書」における本馬の項の中で「血統背景を考えれば日本で成功して当然といえるわけで、拙速を重んじるサラブレッドビジネスの皮肉さを象徴しているかのようだ」と記している。しかし、本邦輸入種牡馬の中には初年度産駒がデビューする前から繁殖牝馬が集まらなくなる馬も多い中で、4年目まで順調に交配数が増え続けた本馬は状況に恵まれていたと言えるわけで、その中で初年度産駒も2年目産駒も走らなければ見切りをつけられるのはある意味当然とも言える。サラブレッドビジネスが拙速を重んじる点に関しては筆者も同感だが、生活が懸かっている馬産家達の立場からすれば止むを得ない一面もあるし、ダンシングブレーヴやウインドインハーヘアの日本輸入のように、サラブレッドビジネスが拙速を重んじたからこそ日本が利益を手にした事例もあるから一概にそれが悪いとは言えない。また、成沢氏は日本で成功して当然の血統と言っているが、日本競馬にいかにも適合しそうな血統でも失敗に終わった種牡馬は枚挙に暇が無いほどであるし、4世代の中から最終的に上記2頭しか活躍馬が出なかった本馬が日本で種牡馬生活を続けていても成功したかどうかは微妙なところであろう。ちなみに筆者はゲーム「ダービースタリオン04」を遊んだことは無く、「ダービースタリオン04全書」を所有しているのは資料としての価値を見出したからである(見解を否定しておいて何だが、筆者は成沢氏と趣味が近く、彼の著作は結構保有している)。
なお、本馬は愛国では狩猟用馬生産用の種牡馬として供用されていると血統評論家の水上学氏が言っていたが、実際には障害競走用種牡馬としても供用されており、2008年頃までは毎年二桁の産駒が血統登録されていた。しかしこの数年は血統登録された馬が殆どおらず、競走馬の生産用種牡馬としての活動はほぼ終えているようである。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
2001 |
コスモサンビーム |
朝日杯フューチュリティS(GⅠ)・京王杯2歳S(GⅡ)・スワンS(GⅡ) |
2001 |
コスモバルク |
シンガポール航空国際C(星GⅠ)・弥生賞(GⅡ)・セントライト記念(GⅡ)・ラジオたんぱ杯2歳S(GⅢ)・北海優駿(H1)・OROカップ(盛岡)2回 |