和名:ネイティヴダイヴァー |
英名:Native Diver |
1959年生 |
騙 |
黒鹿 |
父:インブロス |
母:フリートダイヴァー |
母父:デヴィルダイヴァー |
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陣営の酷使に耐えながら米国西海岸で長年走り続け、ハリウッド金杯の3連覇など米国最多記録ステークス競走34勝を挙げた薄幸の名馬 |
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競走成績:2~8歳時に米で走り通算成績81戦37勝2着7回3着12回 |
米国西海岸を拠点として走ったため、米国三冠競走等には縁が無かったが、7年間に渡って黙々とレースに出走し続け、ステークス競走34勝(エクスターミネーターと並ぶ北米最多記録)という成績を残した、1960年代の米国西海岸の星。
誕生からデビュー前まで
米国カリフォルニア州でルイス・K・シャピロ夫妻というオーナーブリーダーによって生産・所有された。1歳時に背中を負傷してしまい、背骨への負担を緩和するために首をとても高くして走るのが特徴だった。カリフォルニア州で厩舎を構えていたミカエル・ミラリック調教師に預けられた。ミラリック師は、若い頃にトーマス・スミス調教師(シービスケットの管理調教師として有名)の元で学び、後の2010年に米国競馬の殿堂入りを果たした人物だが、本馬がいなければ殿堂入り出来なかったと思われる程度の一流半の調教師だった。
競走生活(2・3歳時)
2歳9月にベイメドウズ競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦で、主戦となるR・ネヴェス騎手を鞍上に初戦を迎えた。そしていきなり7馬身半差の圧勝で鮮烈なデビューを飾った。11月に出走したタンフォラン競馬場ダート6ハロンの一般競走も10馬身差で圧勝。それから18日後に同コースで行われたエルカミノH(D6F)でも不良馬場をものともせずに、2着ツラリーに6馬身1/4差をつけて逃げ切り圧勝。どこまで強くなるのか大きく注目されたが、快進撃はこの3戦でひとまず終了。12月のサンブルーノH(D8.5F)では、勝ち馬インディアンブラッドから6馬身1/4差、2着馬ポーランドチャイナから3馬身3/4差をつけられた3着に終わった。次走のカリフォルニアブリーダーズチャンピオンS(D8.5F)は分割競走となったが、勝ち馬ナジンから9馬身3/4差をつけられた4着に敗れ去った。2歳時は5戦3勝の成績だった。
気性の激しさと首が高い走法が、不安定なレースぶりの原因になっていると判断した陣営は本馬を去勢して騙馬にした。そのため3歳時は5月のハリウッドパーク競馬場開催からレースに復帰した。しかし去勢の効果は薄かったようで、それほど気性面は改善されずに脚質も逃げのままだったし、首を高くする走法も変わらなかった。前述のとおり、首が高い走法は1歳時に負った背中の怪我をかばうためだったと言われており、去勢で治る類のものではなかったのである。
復帰戦のデボネアS(D6F)は、2着プリンスオブプレンティに鼻差で勝利した。しかし次走の分割競走ウィルロジャーズS(D8F)では、サンタアニタダービー馬ロイヤルアタックを2着に抑えて勝ったプリンスオブプレンティから、14馬身も離された6着に惨敗。翌6月にはハリウッドパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走に出て4馬身半差で勝利した。しかし翌7月に出走したハリウッドパーク競馬場ダート6ハロンの一般競走は、勝ったクレイジーキッドから3馬身1/4差の5着完敗と、不安定なレースぶりは変わらなかった。陣営も意地になって本馬をレースに出し続け、同月にはレイクス&フラワーズH(D6F)に出走。しかし分割競走ウィルロジャーズSのもう一方の勝ち馬だったウォレットリフターの4馬身3/4差3着に敗退。デルマー競馬場に場所を移して同月末に出走したオーシャンサイドH(D6F)も、サンフェリペS・カリフォルニアダービー・アーゴノートSの勝ち馬ドックジョコイの3馬身3/4差4着に敗れた。次走は翌8月にデルマー競馬場で行われたダート5.5ハロンのハンデ競走であり、斤量も114ポンドとたいした事は無かったのだが、勝ったアンリジャンから7馬身半差の5着と、過去4戦で最も悪い結果となった。そのため仕方なく陣営は本馬を3か月間休養させた。
11月にベイメドウズ競馬場において復帰すると、それまでの不安定ぶりが嘘のような走りを披露するようになった。復帰初戦のヒルズデールH(D6F)では2着ボールドコーポラルに5馬身半差をつけて、1分08秒4のコースレコード勝ちを演じた。1週間後のサリナスH(D6F)では、クラークH・オマハH・セントルイスダービーなどの勝ち馬エアロフリントを5馬身差の2着に、ベイメドウズHを勝っていた同厩馬ミスターラグを3着に破って圧勝。翌12月に出走したサンホセH(D8.5F)では、サンフランシスコHの勝ち馬ライコを2馬身差の2着に、ロイヤルアタックを3着に破って勝利した。サンタアニタパーク競馬場に移動して出た年末のマリブS(D7F)では、2着となったベンジャミンフランクリンH・クイーンズカウンティHの勝ち馬グリッドアイアンヒーローを6馬身1/4差も引き離して圧勝。3歳時は11戦6勝の成績だった。
競走生活(4歳時)
4歳になっても休む間も無く、マリブSの翌週にはサンカルロスH(D7F)に出走。しかし本馬も疲れていたようで、ハイビスカスS・ダービートライアルS・アケダクトH・パロスヴェルデスHの勝ち馬でケンタッキーダービー・フロリダダービー・ホイットニーS2着・プリークネスS3着のクロジール、ハギンS・マリブS・サンアントニオH・サンフアンカピストラーノ招待Hの勝ち馬でサンタアニタH2着のオールデンタイムズという2頭の強豪馬に屈して、勝ったクロジールから1馬身1/4差の3着に敗退。
3週連続出走となったサンフェルナンドS(D9F)では、前走サンカルロスHで4着だったラファイエットS・ガーデンステートS・ピムリコフューチュリティ・レオナルドリチャーズS・クラークHの勝ち馬で一昨年の米最優秀2歳牡馬クリムゾンサタンの首差2着に敗れた。さらにサンパスカルH(D8.5F)でも、オールデンタイムズの2馬身3/4差2着に敗退。結局この後3か月間の休養を余儀なくされ、地元最大のレースだったサンタアニタHには出走できない結果となった。なお、本馬不在のサンタアニタHはクロジールがクリムゾンサタンを2着に破って勝利している。
5月に復帰したが、半年前に見せていた安定した強さは影を潜め、3歳時同様の不安定なレースぶりに逆戻りしていた。復帰初戦のプレミエールH(D6F)は、ベイメドウズH・ロサンゼルスHなども勝っていた前年の同競走の勝ち馬ウィンオンリーの6馬身差6着に敗退。翌月に出走したコロナドH(D6F)は、同厩馬ウインディシーの3馬身3/4差2着に敗退。そうかと思えば、イングルウッドH(D8.5F)では2着パイレーツコーブに4馬身1/4差で圧勝したりもした。
翌7月に出走したアメリカンH(D9F)では、ウッドメモリアルS・ルイジアナダービー・カーターHなどを勝ちベルモントS・サンタアニタダービー・ハリウッドダービーで2着していたアドミラルズヴォヤージとの対戦となった。しかし結果は伏兵ドクターケイシーが勝利を収め、アドミラルズヴォヤージが2着で、本馬はドクターケイシーから5馬身1/4差の7着に敗れた。同月に出走したハリウッド金杯(D10F)も、前年のカリフォルニアンSを勝っていたカディスの5馬身1/4差4着に敗れた。翌8月のサンディエゴH(D8.5F)は、モンテビデオ市大賞などを勝って米国に移籍してきた亜国産馬ロブロイを1馬身半差の2着に抑えて勝利した。しかし2週間後のビングクロスビーH(D6F)では、勝ったスレッジから7馬身3/4差をつけられた7着最下位。翌9月に出走したデルマーH(D9F)も何の見せ場も無く、一昨年のカリフォルニアダービー馬ミスターコンシステンシーの7馬身3/4差7着に終わった。
翌10月に出走したウェストレイクH(D8.5F)では、ジェリー・ランバート騎手と初コンビを組んだ。そしてサンタアニタダービー・ウィルロジャーズS・シネマH・ハリウッドダービー・サンカルロスH・サンフェルナンドS・サンタアニタマチュリティS・サンバーナーディノHなどを勝ちサンタアニタHで3着していた西海岸の強豪フォーアンドトゥエンティを12馬身差の2着に葬り去り、1分41秒6という素晴らしいコースレコードタイムで圧勝した。それから3週間後のタンフォランH(D8.5F)では激走の反動が出たのか、ミルズタークの5馬身1/2差6着に終わった。
12月のサンフランシスコマイルH(D8F)では、同年のサンフェルナンドSで1度だけ騎乗していた名手ウィリアム・シューメーカー騎手と2度目コンビを組み、マリブS・サンフランシスコH・アルバニーHなどの勝ち馬モアメガトンを4馬身半差の2着に、エアロフリントを3着に下して完勝。次走のゴールデンゲートH(D8.5F)でもシューメーカー騎手とコンビを組んだ。ここでは130ポンドという、本馬にとって過去最高斤量となったが、2着フレンドリーフレッドに1馬身3/4差で勝利した。しかしシューメーカー騎手が本馬に騎乗したのはこれが最後で、この後はしばらく鞍上が固定されない状態が続くことになる。4歳時はゴールデンゲートHが最後のレースであり、15戦5勝で締めくくった。
競走生活(5歳時)
少し間隔を空けながら走らせれば本馬は好走できる事はもう分かっていたはずだが、本馬の陣営は愚かにも5歳になった本馬を1月最初の週からどんどん走らせた。結果は書くまでも無いかもしれないが、本馬の頑張りに敬意を表して記述する。サンカルロスH(D7F)は、勝ったアドミラルズヴォヤージから2馬身3/4差、2着となった前年のメトロポリタンH・ブルックリンH・パロスヴェルデスHの勝ち馬シラノから3/4馬身差の3着。サンパスカルH(D8.5F)は、オールデンタイムズ、ドックジョコイ、シャンペンSの勝ち馬ドーナツキングなどに屈して、勝ったオールデンタイムズから5馬身半差の6着。サンアントニオH(D9F)は、サンフェルナンドS・チャールズHストラブSを連勝してきた新星ガンボウが2着シラノに4馬身差で圧勝を収め、本馬はガンボウから13馬身差の6着に大敗。
結局1か月の休養を挟む羽目になり、この年もサンタアニタHには出走できなかった。本馬不在のサンタアニタHはミスターコンシステンシーが、ドックジョコイ、シラノ、ガンボウ達を破って勝っている。もう本馬の陣営は愚かを通り越して馬鹿である(あまり違わないか)。
3月に復帰した本馬は、アルバニーH(D6F)においてランバート騎手を正式な主戦に迎えた。しかしこのレースはダブルリーの3馬身3/4差4着に敗れた。2週間後のサンフランシスコマイルH(D8F)では、ガヴァナーズH・ベイメドウズHの勝ち馬マスタードプラスター、アッパーハーフとの接戦に後れを取り、勝ったマスタードプラスターから半馬身差の3着。翌4月に出走したサクラメントH(D6F)でも、マスタードプラスターとダブルリーの2頭に敗れて、マスタードプラスターの1馬身差3着だった。しかし2週間後のウィリアムGギルモアH(D8.5F)では、2着アッパーハーフに首差で勝利した。5月に出走したオークランドH(D9F)も2着エスカダルに首差で勝利した。
翌6月に出走したカリフォルニアンS(D8.5F)では、ジョッキークラブ金杯4回・メトロポリタンH・サバーバンH2回・ブルックリンH・ホイットニーH2回・ウッドワードS3回・ジェロームH・ディスカヴァリーH・ローレンスリアライゼーションS・ホーソーン金杯・ガルフストリームパークH・ジョンBキャンベルH・ナッソーカウンティS・アケダクトSを勝つなど当時東海岸で猛威を振るっていたケルソが西海岸に遠征してきて、米国競馬史上を代表する騙馬2頭の最初で最後の対戦となった。しかし結果は斤量111ポンドのマスタードプラスターが勝ち、サンタアニタH勝利後にサンフアンカピストラーノ招待Hも勝っていた123ポンドのミスターコンシステンシーが2着、南アフリカでダーバンジュライHなどを勝った後に米国に移籍してきた123ポンドのコロラドキングが3着で、127ポンドのケルソはミスターコンシステンシーから8馬身差の6着、114ポンドの本馬はケルソから3馬身差の8着と、名勝負にはならなかった。
それでも次走イングルウッドH(D8.5F)では、マスタードプラスターを3/4馬身差の2着に、ミスターコンシステンシーを3着に、コロラドキングを4着に破って勝利を収め、同競走の2連覇を達成した。しかし次走のアメリカンH(D9F)では、コロラドキングが世界レコードタイとなる1分46秒4のコースレコードを計時して2着マスタードプラスターに8馬身差の圧勝を収め、ウィルロジャーズS・デルマーHなどの勝ち馬ヴァイキングスピリットが3着に入り、本馬はコロラドキングから13馬身差の5着に完敗してしまった。2度目の出走となったハリウッド金杯(D10F)も、コロラドキングとマスタードプラスターの2頭に屈して、勝ったコロラドキングから2馬身差の3着に敗れた。次走サンディエゴH(D8.5F)で13ポンドのハンデを与えた2着ファイナルコマンドに4馬身差をつけて2連覇を果たしたところで、本馬には珍しく3か月間の休養が与えられた。
11月に復帰すると、レッドウッドシティH(D6F)に出走して、ラホヤマイルHの勝ち馬テスタムを5馬身差の2着に破って完勝。次走のパロスヴェルデスH(D6F)では、2着ヴァイキングスピリットに2馬身半差で勝利。5歳時の成績は15戦6勝となった。
競走生活(6歳時)
5歳までの時点で46戦20勝、うちステークス競走17勝と既に十分な活躍を示した本馬だが、種牡馬になれない騙馬の宿命で翌年以降も走り続け、しかもさらにパワーアップした。6歳時は1月のサンカルロスH(D7F)から始動。ここではプリークネスS・アーリントンワシントンフューチュリティ・フロリダダービー・サンタアニタダービー・ジャージーダービー・アーリントンクラシックS・アメリカンダービーなどを勝っていたキャンディスポット、トレモントS・ダービートライアルS・ガヴァナーズ金杯H・ローズベンHの勝ち馬でウッドメモリアルS2着のボンジュールという強敵が出現したが、キャンディスポットを3馬身半差の2着に、ボンジュールを3着に下して勝利した。
しかしその後は体調を崩して、またもサンタアニタHには参戦できなかった。この年のサンタアニタHは、前年のケンタッキーダービーでノーザンダンサーと死闘を演じた事で知られるサンタアニタダービー馬ヒルライズが、キャンディスポットを2着に、ガンボウを4着に破って勝っている。
3月に復帰すると、アルバニーH(D6F)で129ポンドを背負いながらも、2着ウォーヘルメットに頭差で勝利した。その後はサンフランシスコマイルH(D8F)でヴァイキングスピリットの2馬身半差2着。5月のプレミエールH(D6F)では、ヴァイキングスピリット、デルマーフューチュリティの勝ち馬ペリスの2頭に敗れて、ヴァイキングスピリットの4馬身差3着と、続けて負けてしまった。しかし前走から10日後に出走したロサンゼルスH(D7F)では、ヴァイキングスピリットとの激戦を首差で制して、1955年にエルドラッグが計時した1分20秒0の世界レコードと同タイムで勝利した。さらに過去2年はいずれも着外だったアメリカンH(D9F)に出走。前走ロサンゼルスHで3着だった亜国産馬トロナドを2馬身差の2着に、ヒルライズを3着に破って勝利を収めた。
そしてこれも3度目の正直を目指してハリウッド金杯(D10F)に出走。ヒルライズ、ヴァイキングスピリット、サンフアンカピストラーノ招待Hと加国際CSSを共に2連覇するジョージロイヤルといった強豪馬勢が対戦相手となった。本馬はスタートから単騎逃げに持ち込むと、直線で後続を引き離し、2着バビントンに5馬身差をつけて、3度目の挑戦で同競走初勝利を挙げた。
次走のサンディエゴH(D8.5F)では131ポンドを課されたが、カリフォルニアブリーダーズチャンピオンS・エルカミノSの勝ち馬ネアルコブルーを3馬身半差の2着に破り、1分40秒0のコースレコードタイで3連覇を達成。その後はシカゴのアーリントンパーク競馬場に遠征してワシントンパークH(D8F)に出走したが、単勝オッズ76倍の伏兵テイクオーバーの2馬身半差6着に敗退。本馬陣営にも学習能力はあったようで、即座に本馬を西海岸に戻して休養入りさせた。
そして12月末に復帰して、パロスヴェルデスH(D6F)に出走。129ポンドを課されたが、2着アイルオブグリースに首差で勝利を収めて2連覇を達成。6歳時の成績は10戦7勝で、酷使され続けた過去3年と比べると明らかに安定していた。
競走生活(7歳時)
しかし7歳になると、さすがの本馬にもやや衰えが見え始めた。1月に出走した初戦のサンカルロスH(D7F)では132ポンドの斤量の影響もあっただろうが、前年のハリウッド金杯で本馬の3着に敗れた後にマンノウォーSなどを勝っていたヒルライズを2着に抑えて勝ったカーターH2着馬キューピッドから9馬身半差をつけられた10着と惨敗したのである。次走サンパスカルH(D8.5F)では斤量が128ポンドまで減ったこともあり、2着キューピッドに鼻差で勝った。次走のサンアントニオH(D9F)では、ヒルライズ、デルマーフューチュリティ・ウィルロジャーズS・ハリウッドダービー・サンセットH・デルマーH・ローマーH・マリブSを勝っていたテリーズシークレット、ジェロームH・ホーソーンダービー・ベンジャミンフランクリンHの勝ち馬ボールドビダーの3頭に屈して、勝ったヒルライズから5馬身差の4着に敗退。
次走はようやく初出走となるサンタアニタH(D10F)となった。しかし前年のケンタッキーダービー・サンヴィンセントS・サンタアニタダービー・ブルーグラスSを勝っていたラッキーデボネア、キューピッドの2頭に屈して、勝ったラッキーデボネアから2馬身差の3着に敗れた。
その後はしばらく休養を取り、5月のサンバーナーディノH(D8.5F)で復帰。130ポンドを背負いながらも、ハリウッドダービー・カリフォルニアダービー・ゴールデンゲートHなども勝っていた前年の勝ち馬リアルグッドディールを2馬身半差の2着に破り、1分40秒6のコースレコードタイで勝利した。
ところが陣営はまた愚行に走る。僅か2日後に本馬をプレミエールH(D6F)に出走させたのである。斤量はやはり130ポンドで、結果は一昨年の同競走の勝ち馬スレッジの4馬身1/4差7着に終わった。これが尾を引いたのか、それから10日後に出走したロサンゼルスH(D7F)では128ポンドの斤量で、ナシャルコの1馬身半差4着に敗退。それから2週間後に出走したカリフォルニアンS(D8.5F)では、単勝オッズ27倍の人気薄を覆して勝ったトラベルオーブから15馬身差をつけられた14着最下位と、競馬にならなかった。
それでも陣営は気に掛けずに本馬をさらに出走させ続け、前走から2週間後にはイングルウッドH(D8.5F)に参戦。しかし本馬はここで驚異的な頑張りを見せ、2着スレッジに6馬身差をつけて、同競走3勝目を挙げた。それから16日後に出走したアメリカンH(D9F)では、トラベルオーブの3/4馬身差2着に惜敗したが、3着リアルグッドディールには先着した。さらに12日後に出走したハリウッド金杯(D10F)では、スタートから一気に後続を引き離して大逃げを打ち、そのまま2着オハラに4馬身3/4差をつけて、同競走史上初の2連覇を達成した。
しかし本馬の頑張りもここまでで、ハリウッド金杯の9日後に出走したサンセットH(D13F)では130ポンドを課されたあげく、前走で負かしたオハラから19馬身差もつけられて6着に敗退。しかも13ハロンという長い距離を走った影響もあってか、故障を発生して長期休養に追い込まれた。もっとも、これは本馬にとってはむしろ幸いだったかもしれない。7歳時は7か月間しか走っていないにも関わらず12戦を消化し、勝ち星は4勝だった。
競走生活(8歳時)
8歳1月にレースに復帰。初戦のサンカルロスH(D7F)では、128ポンドを背負いながらも本馬らしい走りを披露して、2着ホイストバーに4馬身差で快勝。しかしこのレースで3着に入ったプリテンスがこの年の本馬の好敵手として立ちはだかる事になる。本馬より4歳年下のプリテンスは、前年のシェリダンH・パロスヴェルデスHを勝った4歳牡馬だった。
19日後のサンパスカルH(D8.5F)では、プリテンスが勝利を収め、132ポンドを課せられた本馬は、亜国から移籍してきたアウレリウスにも後れを取り、4馬身差の3着だった。翌2月のサンアントニオH(D9F)では128ポンドまで斤量が減った本馬だが、勝ったプリテンスに今度は5馬身1/4差をつけられて、前年のデルマーダービー・シネマHの勝ち馬でハリウッドダービー2着のドリンにも後れを取って3着に敗れた。続くサンタアニタH(D10F)でも、勝ったプリテンスから3馬身差の2着に終わり、遂に本馬はサンタアニタHを勝つことは出来なかった。
陣営はこの結果に不満を抱いたらしく、さらに本馬をレースに出走させる。サンタアニタHから2週間後のアルバニーH(D6F)では130ポンドを背負いながら、2着トリプルタックスに1馬身半差で勝利。その1週間後に出たサンフランシスコマイルH(D8F)では133ポンドを課せられたが、2着ペリスに頭差で勝利を収め、同競走を4年ぶりに勝利した。
その後は申し訳程度の短い休養を経て、5月のプレミエールH(D6F)に出走。しかし131ポンドを課せられてしまい、フリートディスカヴァリーの3馬身3/4差3着に敗れた。それから10日後にはロサンゼルスH(D7F)に出走。ここでは128ポンドを背負いながらも、2着シェバソンに1馬身半差で勝利した。それから2週間後に出走したカリフォルニアンS(D8.5F)では、127ポンドの斤量だった。しかし勝ったのは112ポンドのベイメドウズH・サンガブリエルHの勝ち馬ビッグスで、同じく112ポンドだった亜国産馬メイクマネーが2着、130ポンドのプリテンスが3着で、本馬はビッグスから17馬身差をつけられて14頭立ての13着と大惨敗を喫した。2週間後に出た分割競走イングルウッドH(T8.5F)では、ビッグスを2着に抑えて勝ったプリテンスから17馬身差をつけられた7着最下位に終わった。次走のアメリカンH(D9F)では、3着ビッグスには先着したが、勝ったプリテンスに4馬身1/4差をつけられて2着に敗退した。
次走のハリウッド金杯(D10F)では、プリテンス、ビッグス、前年の同競走2着馬オハラ、イングルウッドHの勝ち馬で後にサンルイレイS・デルマーH・マンハッタンH・ジョッキークラブ金杯・サンタアニタH・サンフアンカピストラーノ招待Hなどを勝ちまくるクイックンツリーの計4頭が本馬の3連覇を阻むべく立ち塞がってきた。しかし幸いにも、プリテンスの131ポンドに対して、本馬は123ポンドと、斤量面ではかなり有利だった。スタートが切られた瞬間にオハラ鞍上のミロ・ヴァレンズエラ騎手が落馬。空馬となったオハラを含む5頭が走り出したが、先頭に立ったのはもちろん本馬だった。最初のコーナーに入るところで既に2番手のオハラに5馬身差、3番手のプリテンスにはさらに2馬身差ほどの差をつけるという大逃げとなった。しかし向こう正面でプリテンスがオハラと共にどんどん差を詰めてきて、四角では本馬に並びかけてきた。しかし直線に入ると重い斤量を背負っていたプリテンスは失速し、本馬とオハラの叩き合いとなった。そして本馬を競り落としたオハラが1馬身差をつけて先頭でゴールしたが、騎手が乗っていないオハラは当然競走中止扱いであり、本馬が2着プリテンスに5馬身差をつけて圧勝するという結果となった。同競走3連覇は、もちろん史上初の快挙だった(2005~2007年に3連覇したラヴァマンが史上2頭目。なお、それまでは2連覇した馬さえも本馬以外にいなかった)のだが、このレースは空馬が騎手顔負けの巧みなレースぶりを見せてトップゴールした珍レースとしても語り継がれる事にもなった。
次走のデルマーH(D9F)では130ポンドを背負いながらも、2着シャープディクラインに3馬身半差をつけ、前走で4着だったクイックンツリーを3着に破り、1分46秒6のコースレコードタイで勝利を収めた本馬だが、その後に本馬を待ち受けていた運命は残酷だった。デルマーHから8日後、ベイメドウズ競馬場において疝痛を発症した本馬はカリフォルニア大学病院に搬送されたが、回復することなく翌日に他界してしまった。死因は腸内毒素血症(英語名エンテロトキセミア。悪性ウェルシュ菌が産生する毒素により、腸粘膜の壊死と出血性炎症を起こす)であるとされている。皮肉な事に、現役中の死という残酷な運命によって、ようやく長く苦しい競走馬生活にピリオドを打つ事になったのである。本馬が他界した報は西海岸のみならず全米中の新聞で取り上げられたという。
競走馬としての人気と評価
獲得賞金総額は102万6500ドルで、カリフォルニア州産馬としては史上初の100万ドルホースとなった(米国全体では7頭目)。本馬の地元におけるファン人気は大変なもので、“The Diver(ザ・ダイヴァー)”“The California Comet(カリフォルニアの彗星)”“The Black Horse(黒馬)”など多くの愛称で親しまれ、敗戦が続いた状態でも大半のレースで1番人気に支持されていた。筆者は、陣営の本馬に対する酷使ぶりを散々にこき下ろしてきたが、多くのファンが本馬のレース出走を待ち望んでいた一面もあったのは確かであることは一応付け加えておく。
本馬はカリフォルニア州にある6つの競馬場(サンタアニタパーク競馬場、ハリウッドパーク競馬場、デルマー競馬場、ゴールデンゲートフィールズ競馬場、ベイメドウズ競馬場、タンフォラン競馬場)でステークス競走を勝っているが、これは史上2頭目の快挙であるらしい(最初の1頭がどの馬なのかは不明。ゴールデンゲートフィールズ競馬場はシービスケット引退の翌年に開業しているから、シービスケットではない)。
距離10ハロンのハリウッド金杯を3連覇した事が最も有名な業績であるのだが、当時における本馬の評価は実は短距離馬だったようである。スタートからその快速を活かして先頭に立ち、そのまま押し切ってしまうレースぶりを得意としていた。しかし、本馬の現役時代はケルソやバックパサーといった馬が東海岸で派手に活躍しており、西海岸で黙々と走っていた本馬は、米年度代表馬にも米最優秀ハンデ牡馬騙馬にも一度も選ばれる事はなかった(ただし、10戦7勝の成績を残した1965年に米最優秀ハンデ牡馬騙馬に選ばれたとする資料もある。一般的な資料では、この年の米最優秀ハンデ牡馬は米年度代表馬にも選ばれたウッドワードS・ジョッキークラブ金杯の勝ち馬ローマンブラザーとなっている)。しかし、後年の米国競馬関係者は本馬の競走実績を評価し、1978年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第60位。
なお、本馬の遺体はハリウッドパーク競馬場内に埋葬され、記念碑が建立されたが、後の2013年12月をもってハリウッドパーク競馬場が経営難により閉鎖される事が決定したため、本馬や、やはり同競馬場内に埋葬されていた1982年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬ランダルース、1988年のBCターフ勝ち馬グレートコミュニケーターなどの行く末が懸念される事態となってしまった。しかし南カリフォルニア大学の考古学者リン・スワーツ・ドッド氏やトム・ギャリソン氏が学生達を率いて結成した遺跡発掘チームによって、各馬の遺骨等は各馬に縁がある場所に移されることになった。現在、本馬の遺骨や記念碑はデルマー競馬場に移動されている。なお、本馬が3連覇したハリウッド金杯も、2014年からサンタアニタパーク競馬場に場所を移して、サンタアニタ金杯Sの名称で施行されている。
血統
Imbros | Polynesian | Unbreakable | Sickle | Phalaris |
Selene | ||||
Blue Glass | Prince Palatine | |||
Hour Glass | ||||
Black Polly | Polymelian | Polymelus | ||
Pasquita | ||||
Black Queen | Pompey | |||
Black Maria | ||||
Fire Falls | Bull Dog | Teddy | Ajax | |
Rondeau | ||||
Plucky Liege | Spearmint | |||
Concertina | ||||
Stricken | Pennant | Peter Pan | ||
Royal Rose | ||||
Moody Mary | Cudgel | |||
Mary Belle | ||||
Fleet Diver | Devil Diver | St. Germans | Swynford | John o'Gaunt |
Canterbury Pilgrim | ||||
Hamoaze | Torpoint | |||
Maid of the Mist | ||||
Dabchick | Royal Minstrel | Tetratema | ||
Harpsichord | ||||
Ruddy Duck | Touch Me Not | |||
Briony | ||||
Our Fleet | Count Fleet | Reigh Count | Sunreigh | |
Contessina | ||||
Quickly | Haste | |||
Stephanie | ||||
Duchess Anita | Count Gallahad | Sir Gallahad | ||
Anita Peabody | ||||
French Duchess | Epinard | |||
Grey Duchess |
父インボイスは、ネイティヴダンサーの父として知られるポリネシアンの産駒で、現役成績は36戦15勝。デボネアS・ウィルロジャーズS・エルドラドH・サンノゼH・ウェスターナーS・シネマH・カリフォルニアンS・ウィリアムPカインH・マリブシーケットS・リンカーンズバースデイH・ガヴァナーグッドウィンJナイトH・パロスヴェルデスH・パシフィックHに勝ち、サンタアニタHで2着している。日本では天皇賞馬ハクズイコウの父としても知られている。
母フリートダイヴァーは現役成績26戦2勝だが、そのうち1勝は米国の名手ジョニー・ロングデン騎手の記念すべき4000勝目であった。4歳時に3500ドルという格安価格でシャピロ夫妻により購入され、繁殖入りしていた。しかし非常に子出しが悪い馬で、9歳時に本馬を産んだ後は不受胎が相次ぎ、20歳時に久々に子を産むのが精一杯であり、殆ど産駒を残す事はできなかった。フリートダイヴァーの母アワフリートはフリゼットSの勝ち馬で、アワフリートの半弟にはコールオーヴァー【サルヴェイターマイルH・トレントンH】がいるが、全体的に近親の活躍馬には乏しい。→牝系:F2号族③
母父デヴィルダイヴァーは当馬の項を参照。