和名:カリフォルニアクローム |
英名:California Chrome |
2011年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:ラッキープルピット |
母:ラヴザチェイス |
母父:ノットフォーラヴ |
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2人の個人馬産家が共同生産した地味なカリフォルニア州産馬ながら、同州産馬として史上初めてケンタッキーダービー・プリークネスSの2競走を制覇 |
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競走成績:2016年開始時点で現役競走馬。2~4歳時に米首で走り通算成績18戦9勝2着3回3着1回 |
米国馬産の中心地ケンタッキー州から遠く離れたカリフォルニア州で生を受け、2014年の米国競馬界の主役を演じた事から、地元カリフォルニア州では大変な人気を博した。
誕生からデビュー前まで
かつてティズナウが幼少期を過ごした場所でもあるカリフォルニア州ハリスファームにおいて、カリフォルニア州北部の都市ユバシティ在住の馬産家ペリー・マーティン氏と、隣接するネバダ州にあるトパーズ湖のほとりに在住するスティーヴ・コバーン氏の、DAPレーシングという共同馬産団体により生産・所有された。持ち分はマーティン氏が70%で、コバーン氏が30%だったが、マーティン氏はあまり表に出ようとしない物静かな人物だったため、後に本馬が活躍してマスコミが殺到するようになると、雄弁なコバーン氏が専ら対応に当たった。
DAPレーシングは、所有する繁殖牝馬が本馬の母ラヴザチェイスくらいしかおらず、構成員もマーティン氏とコバーン氏しかいなかった(実際には彼等の夫人も構成員になっていたようだが)ため、共同馬産団体と言えるほどの体裁は成していなかった。「DAP」とは“Dumb Ass Partners”の略称である。“Dumb Ass”は直訳すると「馬鹿な連中」という意味で、競走馬としては振るわなかったラヴザチェイスを買ったマーティン氏とコバーン氏に対して他者が言い放った言葉そのままらしい。
マーティン氏とコバーン氏はラヴザチェイスの血統構成に期待を寄せて、2人でお金を出し合ってラヴザチェイスを購入したのだった。本馬はラヴザチェイスの初子であり、両名にとっては初めて自分達で生産した馬だったため、両名から大変に溺愛されていた。本馬はラヴザチェイスの胎内にいるときは大きな子でり、ラヴザチェイスが初産だった事もあって、本馬の出産は相当な難産だったそうである。しかし本馬は成長すると体高は16ハンドで、体格的には普通となった。
生誕直後から周囲の人間に溺愛されて過ごしたためか、とても人懐っこい馬だった。好奇心が強く、非常に知的な馬であると評され、カメラを向けると自分でポーズを取ってくれたというシアトルスルーやシンボリルドルフと同じ逸話が伝えられている。
親バカのマーティン氏は、本馬はケンタッキーダービーに出走できるほどの器であると思っていた。そのために各方面に当たって、本馬に相応しい調教師を探した。その結果、本馬を預かったのは、アート・シャーマン氏とアラン・シャーマン氏の親子調教師となった。シャーマン親子の厩舎は小さかったが、その分だけ1頭ずつの馬を念入りに世話していたのが、マーティン氏のお気に召したそうである。さらに父のアート・シャーマン師は、若き日にカリフォルニア州チノランチ牧場の所有者レックス・C・エルスワース氏の元で働いていた時期があり、エルスワース氏の最高傑作であるケンタッキーダービー馬スワップスの調教助手をしていたのだった。スワップスが競走馬を引退すると正式に騎手に転身(そのために、スワップスの項に記載したチノランチ牧場の馬達が揃って餓死した事件には関わっていない)して、1979年に42歳で調教師に転身したのだった。
他の多くのカリフォルニア州の調教師はサンタアニタパーク競馬場に厩舎を構えていたのだが、シャーマン親子が厩舎を構えていたのはハリウッドパーク競馬場だった。
性格的に本馬の調教は容易だった。2歳時の本馬は枠順の関係でゲート入り前に長時間待たされることがあり、その場合は少し焦れ込む傾向があったという。しかしシャーマン親子が教え込んだために、2歳末の時点では既にそれは解消されたという。
競走生活(2歳時)
2歳4月にハリウッドパーク競馬場で行われたオールウェザー4.5ハロンの未勝利戦で、アルベルト・デルガド騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ7.9倍で9頭立ての5番人気という評価だった。距離が距離だけにスタートから控えるなどという戦術を採る馬はおらず、本馬もスタートから全力で走り始め、道中は5番手辺りにいた。そして直線に入るとスタミナが切れた馬達を抜いて順位を上げていったが、逃げた単勝オッズ7倍の4番人気馬タイムフォーアハグだけに届かずに、1馬身差の2着に敗れた。
次走は翌5月に前走と同コースで行われた未勝利戦だった。今回もデルガド騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ2.2倍で9頭立ての1番人気に支持された。前走と同じく全馬がスタートから全力で走り始めたが、本馬の位置取りは前走より前で、ほぼ先頭といってよい場所だった。そのままの態勢で直線に入ると、少しずつ確実に後続との差を広げていき、直線の追い込みで2着に入った単勝オッズ6.6倍の3番人気馬カリスマコードに2馬身3/4差をつけて勝利した。
次走は翌6月に同じハリウッドパーク競馬場で行われたウィラードLプロクター記念S(AW5.5F)だった。このレースがデビュー戦だったコーベズバックという馬が115ポンドの最軽量を評価されて単勝オッズ2.8倍の1番人気に支持され、勝ち上がっていた分だけ120ポンドの斤量だった本馬は単勝オッズ6.1倍の2番人気だった。デルガド騎手が負傷していたために今回はコーリー・ナカタニ騎手とコンビを組んだ本馬は、やはりスタートから先頭を目掛けて走り出し、先手を取ることに成功した。一方、1番人気のコーベズバックは他馬から5馬身も離された単独最後方をてくてくと走っていた。三角までは本馬の勝利とコーベズバックの惨敗という結末になりそうな雰囲気だったが、直線入り口では本馬は馬群に飲み込まれており、そして本馬の直後までコーベズバックが上がってきていた。そして直線で突き抜けたコーベズバックが3馬身1/4差で完勝し、本馬はコーベズバックから7馬身1/4差の5着に敗れ去った。
次走は翌7月にデルマー競馬場で行われたグラデュエーションS(AW5.5F)だった。本馬の鞍上はデルガド騎手に戻っていた。前走の内容から本馬の評価は下落しており、ここでは単勝オッズ7.2倍で7頭立ての5番人気だった。前走の内容を知っていたデルガド騎手は、強引に先頭を狙わずに、3~4番手の好位につける作戦に出た。そして四角に入ってから仕掛けて直線入り口で先頭に立って押し切るという正攻法の競馬で、2着となった単勝オッズ5.8倍の4番人気馬ムービングデザートに2馬身3/4差をつけて快勝した。
その後は5週間後のデルマーフューチュリティ(米GⅠ・AW7F)に向かった。前走ベストパルSを勝ってきた2戦2勝のアルバーツホープが単勝オッズ4.5倍の1番人気、未勝利戦を勝ち上がってきたばかりのダンスウィズフェイトが単勝オッズ5.8倍の2番人気、デルガド騎手とコンビを組んだ本馬が単勝オッズ6.7倍の3番人気、これまた未勝利戦を勝ち上がってきたばかりのキャンザマンが単勝オッズ6.9倍の4番人気、やはり未勝利戦を勝ち上がってきたばかりのインデキシカルが単勝オッズ8倍の5番人気となった。このレースは別定重量戦であり、アルバーツホープや本馬の122ポンドに対して、未勝利戦を勝っただけの馬は基本的に118ポンドだったから、それも考慮に入れられての人気順だったようである。ハリウッドジュヴェナイルCSSを勝っていたアルピンラックも出走していたが、前走ベストパルSの大敗と122ポンドが嫌われて単勝オッズ32.2倍の10番人気と全く評価されていなかった。
スタートが切られるとインデキシカルが先頭に立ち、キャンザマンなどがそれを追って先行。本馬はあまりスタートが良くなかった事もあってか、無理に行かずに後方に控えた。そして少し順位を上げて5番手で直線に入ってきたが、進路を失ってしまった上に他馬の騎手の鞭が本馬の顔に当たるというアクシデントもあって、突き抜けることが出来なかった。レースは本馬より後方を追走していた単勝オッズ8.9倍の7番人気馬タマランド(この馬も未勝利戦を勝ってきたばかりで斤量118ポンドだった)が直線で差し切りを決めて勝利を収め、本馬はタマランドから僅か2馬身差の6着に終わった。
その後は2か月ほど間隔を空けて、11月初めにサンタアニタパーク競馬場で行われたゴールデンステートジュヴェナイルS(D8F)に向かった。過去のレースが全てオールウェザーだった本馬にとっては初のダート競走となった。鞍上は今回もデルガド騎手だった。対戦相手は、デルマーフューチュリティ勝利後に出走したフロントランナーSでは3着だったタマランド、チャーリーパルマーフューチュリティなど3戦無敗のライフイズアジョイなど8頭だった。デルマーフューチュリティと異なり定量戦で全馬同斤量だったため、未勝利戦を勝ってきたばかりの馬は軽量を活かす余地は無く、タマランドが単勝オッズ2.4倍の1番人気、ライフイズアジョイが単勝オッズ3.6倍の2番人気、本馬が単勝オッズ4.2倍の3番人気、未勝利戦を勝ってきたばかりのシンマーズダンスが単勝オッズ11.9倍の4番人気と、実績上位3頭による勝負とみなされていた。
スタートが切られると、グラデュエーションSで本馬の4着に終わるなど8戦1勝の成績だった単勝オッズ48倍の8番人気馬ベターベットが先頭に立ち、本馬は馬群の中団、タマランドとライフイズアジョイが2頭揃って最後方を追走する展開となった。そしてほぼそのままの位置取りで直線に入ってきたのだが、どうやら有力馬3頭の騎手達は逃げていたベターベットを甘く見ていたようである。直線入り口で後続に3馬身ほどの差をつけていたベターベットがそのまま粘り切って勝ってしまい、タマランドは3着、ライフイズアジョイは5着、本馬はベターベットから3馬身差の6着と、3頭揃って末脚不発に終わってしまった。
この時期の本馬は、前述したレース前の焦れ込み癖がまだ完全には治っておらず、それも敗因の1つに挙げられている。また、本馬は以前から蹄鉄を釘で固定されるのを嫌がる傾向があったため、陣営は本馬が嫌がらないように、釘を使用しないで済む特注の蹄鉄を用意した。
次走は12月末にハリウッドパーク競馬場で行われたキンググローリアスS(AW7F)となった。デルガド騎手が騎手から調教助手に転身したため、このレースからビクター・エスピノーザ騎手が本馬の主戦を務めることになった。対戦相手は、ジェネラスS2着馬でBCジュヴェナイルにも参戦(7着)していたアオテアロア、未勝利戦を5馬身1/4差で勝ち上がってきたばかりのプレイハード、ゴールデンステートジュヴェナイルS5着後に出走したリアルクワイエットSではタマランドの5着に終わっていたライフイズアジョイ、ゴールデンステートジュヴェナイルS勝利後に出走したリアルクワイエットSでは8着最下位に終わっていたベターベット、デルマーフューチュリティ8着後も敗戦が続いたアルピンラックなど9頭だった。本馬が単勝オッズ3.2倍の1番人気、アオテアロアが単勝オッズ3.6倍の2番人気、プレイハードが単勝オッズ3.9倍の3番人気、ライフイズアジョイが単勝オッズ5.9倍の4番人気、ベターベットが単勝オッズ21.7倍の5番人気であり、上位人気4頭の戦いと見られていた。
スタートが切られるとプレイハードが先頭に立ち、本馬は4番手の好位を追走した。そして三角で加速して四角で先頭に立ち、直線入り口では既に後続に2~3馬身ほどの差をつけていた。直線ではさらにその差を広げ、2着ライフイズアジョイに6馬身1/4差をつけて完勝した。
2歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は7戦3勝だった。
なお、この年限りでハリウッドパーク競馬場が閉鎖された(本馬が勝ったキンググローリアスSが同競馬場最後のステークス競走だった)ため、同競馬場に厩舎を構えていたシャーマン親子は引っ越しを余儀なくされた。行き先はサンタアニタパーク競馬場ではなく、ロスアラミトス競馬場だった。ロスアラミトス競馬場は元々サラブレッドではなくクォーターホースの競馬を施行しており、クォーターホース競馬界ではトップクラスの競馬場だった。ハリウッドパーク競馬場の閉鎖が決定した際に、その代替地として名乗りを挙げたのがロスアラミトス競馬場だった。設備等の環境はサンタアニタパーク競馬場より良かったため、シャーマン親子もそちらを新天地として選択したのだった。
競走生活(3歳初期)
3歳時は1月下旬にサンタアニタパーク競馬場で行われたカリフォルニアカップダービー(D8.5F)から始動した。このレースは、1876年に創設されて2015年現在も一応は続いている伝統競走カリフォルニアダービーと名前は似ているが全くの別競走である。対戦相手は、ゴールデンステートジュヴェナイルS3着後にリアルクワイエットSを勝ちキャッシュコールフューチュリティで3着していたタマランド、本馬と同じくキンググローリアスSから直行してきたライフイズアジョイ、同4着から直行してきたベターベット、同6着から直行してきたアオテアロア、前走の未勝利戦を豪快な追い込みで勝ってきたオーサムリターンなどだった。124ポンドのタマランドが単勝オッズ2.8倍の1番人気、同じく124ポンドの本馬が単勝オッズ3.5倍の2番人気、117ポンドのオーサムリターンが単勝オッズ9.9倍の3番人気、119ポンドのライフイズアジョイが単勝オッズ11.6倍の4番人気であり、トップハンデ2頭の一騎打ちムードだった。
スタートが切られると単勝オッズ37.7倍の最低人気まで評価を落としていたベターベットが先頭に立ち、その1~2馬身ほど後方の2~3番手にライフイズアジョイとスタートでやや後手を踏んだ本馬が並び、タマランドは相も変わらずの最後方待機策だった。三角に入ったところで本馬が仕掛けて先頭に立ち、そのまま後続を引き離していった。直線入り口では既に後続に5馬身ほどの差をつけていた。後方からはタマランドが必死に追ってきたが、本馬との差は殆ど縮まらなかった。最後は本馬が2着タマランドに5馬身半差をつけて圧勝。
これで本馬がタマランドに代わってカリフォルニア州産の同世代最強馬の座に就いた。なぜ「カリフォルニア州産の同世代最強馬」という表現を用いたかというと、本馬が今まで出走してきたステークス競走のうち、デルマーフューチュリティ以外はどれもカリフォルニア州産馬限定競走だったからである。
次走は3月初めのサンフェリペS(米GⅡ・D8.5F)となった。このレースはカリフォルニア州産馬限定競走ではなかった。対戦相手は、シャムSの勝ち馬でロバートBルイスS3着のミッドナイトホーク、シャムSで2着してきたクリスト、前年8月のデビュー戦を勝利したもののその後は1戦もしていなかった素質馬スクールオブハードロックスなど6頭だった。本馬が単勝オッズ2.4倍の1番人気、ミッドナイトホークが単勝オッズ3.1倍の2番人気、クリストが単勝オッズ4.8倍の3番人気、スクールオブハードロックスが単勝オッズ5.5倍の4番人気で、他の出走馬3頭は全て単勝オッズ36倍以上の人気薄だった。
レースは好スタートを切った本馬がそのまま先頭を走り、ミッドナイトホークが直後の2番手を追いかけてくる展開となった。3番手のスクールオブハードロックス以降は徐々に前2頭から離されていき、2頭のマッチレースのような様相を呈した。しかしそれは三角までで、ここから本馬がミッドナイトホークをどんどん引き離していった。直線ではさらに差が広がり、本馬が2着ミッドナイトホークに7馬身1/4差、3着クリストにはさらに6馬身1/4差をつけて圧勝した。
4週間後のサンタアニタダービー(米GⅠ・D9F)では、ロバートBルイスSの勝ち馬でキャッシュコールフューチュリティ2着のキャンディボーイ、前走レベルSを勝ってきたホッパチュニティ、前走4着のスクールオブハードロックス、サンヴィンセントS3着馬だがこの段階では未勝利馬だったアールプリティーボーイフロイドなど7頭が対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気、キャンディボーイが単勝オッズ3.6倍の2番人気、ホッパチュニティが単勝オッズ5.4倍の3番人気、スクールオブハードロックスが単勝オッズ17.8倍の4番人気となった。
スタートが切られると単勝オッズ34.5倍の6番人気馬ダブリンアップが先頭に立ち、本馬はその直後の2番手を追走した。三角に入ったところで本馬がダブリンアップをかわして先頭に立ち、そのまま後続を引き離していった。直線入り口では既に後続との差は2馬身程度あり、その差をさらに広げると、ゴール前では流してゴールイン。2着ホッパチュニティに5馬身1/4差、3着キャンディボーイにはさらに3馬身半差をつけて圧勝し、GⅠ競走初勝利を挙げた。
ここに至って本馬は「カリフォルニア州産の同世代最強馬」から「カリフォルニア州調教の同世代最強馬」にランクアップした。
この頃にマーティン氏とコバーン氏に対して本馬の所有権の過半数を600万ドルで売ってほしいという申し出があり、さらには1000万ドルで売ってほしいという申し出まであったらしいが、両名は「お金ではなく夢を取ります」としてそれらの申し出を断った。
ケンタッキーダービー
そして迎えたケンタッキーダービー(米GⅠ・D10F)では、前走ウッドメモリアルSを3馬身半差で完勝してきたウィックドストロング、前走アーカンソーダービーを4馬身3/4差で完勝してきたダンツァ、本馬と同じくサンタアニタダービーから直行してきたキャンディボーイ、リズンスターSの勝ち馬で前走ルイジアナダービー2着のインテンスホリデー、デルマーフューチュリティ2着後にフロントランナーSでも2着して前走ブルーグラスSを勝ってきたダンスウィズフェイト、ウィザーズS・ゴーサムSの勝ち馬で前走ウッドメモリアルS2着のサムラート、アーカンソーダービー2着・シェンペンS3着のライドオンカーリン、ファウンテンオブユースS・ハッチソンSの勝ち馬でフロリダダービー2着のワイルドキャットレッド、ルイジアナダービー・ルコントSの勝ち馬ヴィカーズイントラブル、サンランドダービーの勝ち馬でロバートBルイスS2着のチテュ、トランシルバニアSの勝ち馬でブルーグラスS2着のメダルカウント、ブリーダーズフューチュリティS・スパイラルSの勝ち馬ウィーミスアーティー、ファウンテンオブユースS2着・フロリダダービー3着のジェネラルアロッド、ウィザーズS・ゴーサムS2着のアンクルサイ、ケンタッキージョッキークラブS・サウスウエストSの勝ち馬でレベルS2着のタピチャー、ルイジアナダービー3着馬コマンディングカーブ、スパイラルS2着馬ハリーズホリデー、サムFデーヴィスSの勝ち馬でタンパベイダービー2着のヴィンセレモスの計18頭が対戦相手となった。
5番枠と絶好の枠を引いた本馬が単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持され、19番枠を引いてしまったウィックドストロングが単勝オッズ7.5倍の2番人気、4番枠のダンツァが単勝オッズ9.7倍の3番人気、17番枠のキャンディボーイが単勝オッズ10.4倍の4番人気、15番枠のインテンスホリデーが単勝オッズ15.1倍の5番人気と続いた。
レース前には、カリフォルニア州産馬である本馬を軽視する予想家が多かった。それは何故かというと、カリフォルニア州調教馬がケンタッキーダービーを勝った例は別に珍しくなかったが、カリフォルニア州産馬となると、1922年のモーヴィック、1954年のディターミン、1955年のスワップス、1962年のディサイデッドリーの4頭しかおらず、実に52年間も出ていなかったからである。しかし本馬とダンツァ以外の有力馬は全体的に外枠を引いたため、地元カリフォルニア州ではレース前から本馬の勝利は決まったも同然のような雰囲気だった。アート・シャーマン師はレース前にケンタッキーダービー博物館に赴いて、スワップスの霊前で優勝祈願をした。
スタートが切られると、単勝オッズ26.5倍の11番人気馬チテュが先頭を伺ったが、3番枠から飛び出した単勝オッズ31.8倍の15番人気馬アンクルサイが先頭を奪った。チテュが2番手で、本馬はその直後3番手をロスなく追走。ウィックドストロングやダンツァといった対抗馬勢が馬群の中団後方からレースを進めた。最初の2ハロン通過は23秒04、半マイル通過が47秒37であり、ケンタッキーダービーとしては比較的穏やかなペースだった。エスピノーザ騎手は三角に入ったところで本馬を加速させ、四角途中では既に先頭だった。直線入り口では後続との差は1馬身程度だったが、その差を徐々に広げていき、残り半ハロン地点では4馬身程度の差をつけた。ここで後方馬群の中から非常に脚色が良い馬が1頭飛び出してきて、本馬との差をどんどん縮めてきた。道中は19頭立ての18番手を進んで脚を溜め、直線入り口10番手からの追い込みに賭けた単勝オッズ38.8倍の17番人気馬コマンディングカーブだった。しかし本馬が押し切って、2着コマンディングカーブに1馬身3/4差、3着ダンツァにはさらに1馬身1/4差をつけて優勝した。アート・シャーマン師はこのとき77歳であり、76歳時にサンデーサイレンスで勝ったチャールズ・ウィッティンガム調教師の記録を更新し、史上最年長のケンタッキーダービー調教師となった。
レース前に本馬を軽視していた予想家達は大恥をかく羽目になり、そのうちの1人だったデール・ロマンス調教師は「紛れもなくスーパーホースと名調教師の組み合わせでした。私は完全に間違っていました」と素直に謝罪した。しかしこのケンタッキーダービーにおける勝ちタイムは2分03秒66と遅く、本馬のベイヤー指数が97しか無かった(100が一般競走又は下級グレード競走の勝ち負け級らしい)ため、相変わらず本馬を軽視し続ける予想家は少なくなかったようである。
プリークネスS
次走のプリークネスS(米GⅠ・D9.5F)では、ケンタッキーダービーで敗れた馬の大半が姿を消し、引き続き本馬の対戦相手となったのは、前走7着のライドオンカーリン、同11着のジェネラルアロッドのみだった。他の出走馬は、ウッドメモリアルS3着馬ソーシャルインクルージョン、プライヴェートタームズS・フェデリコテシオSを連勝してきたキッドクルツ、ダービートライアルS2着・アーカンソーダービー3着のバイエルン、BCジュヴェナイルフィリーズの勝ち馬でサンタアニタオークス2着の牝馬リアアントニア、前走イリノイダービーを勝ってきたダイナミックインパクト、タンパベイダービーの勝ち馬でコールダーダービー2着のリングウィークエンド、ブルーグラスS3着馬パブロデルモンテの7頭であり、対戦相手は計9頭となった。
本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気、3戦2勝のソーシャルインクルージョンが単勝オッズ6.3倍の2番人気、ライドオンカーリンが単勝オッズ11.3倍の3番人気、キッドクルツが単勝オッズ13.3倍の4番人気、バイエルンが単勝オッズ13.9倍の5番人気であり、今回も本馬が勝って当然という雰囲気が流れていた。
スタートが切られると、単勝オッズ35.3倍の最低人気馬パブロデルモンテが先頭に立ち、リアアントニアが直後の2番手で、本馬はさらに2馬身ほど後方の3番手を追走した。最初の2ハロン通過が23秒56、半マイル通過は46秒85であり、今回もそれほど速い流れにはならなかった。エスピノーザ騎手は今回も三角に入ってから本馬を加速させた。そして四角で先頭に立ち、後続に2馬身ほどの差をつけて直線に入ってきた。直線では、後方待機策から四角でまくって直線入り口で2番手まで押し上げていたライドオンカーリンが追い上げてきた。しかし先頭を快走する本馬との差は縮まらなかった。本馬が2着ライドオンカーリンに1馬身半差、3着ソーシャルインクルージョンにはさらに6馬身半差をつけて勝利を収めた。
勝ちタイムは1分54秒84と優秀であり、スピード指数などがいかに当てにならないかを如実に示す結果となった。
過去に登場していた4頭のカリフォルニア州産のケンタッキーダービー馬はプリークネスSを勝っていなかったため、本馬はケンタッキーダービーとプリークネスSを両方勝った史上初のカリフォルニア州産馬となった。なお、プリークネスSをカリフォルニア州産馬が勝ったのは、1986年のスノーチーフ以来28年ぶりだった。
この後は当然、1978年のアファームド以来36年ぶり史上12頭目の米国三冠馬の座を懸けて、ベルモントSに向かうと思われたのだが、コバーン氏がプリークネスSの翌日にそれを否定するような発言をしたためにちょっとした騒動になった。コバーン氏は、鼻出血する傾向があった本馬が使用していたネーザルストリップ(鼻腔の上に貼り付けて気道を拡大することにより空気抵抗の軽減をはかるテープ。日本の中央競馬では競走中の使用は禁止されている)が、ベルモントパーク競馬場があるニューヨーク州で使用を認められていない事をその理由として挙げた。慌てたニューヨーク州競馬協会が急遽ネーザルストリップの使用を解禁したために、本馬はベルモントSに出走する事になったが、一馬主の脅しにより競馬協会が規則を変えたわけであるから、それを快く思わない人は少なくなく、アンチ・カリフォルニアクロームという立場の人を増やす結果となった。
ベルモントS
そして迎えたベルモントS(米GⅠ・D12F)。対戦相手は、ライドオンカーリン、前走4着のジェネラルアロッド、ケンタッキーダービー2着から直行してきたコマンディングカーブ、同4着から直行してきたウィックドストロング、同5着から直行してきたサムラート、同8着から直行してきたメダルカウント、ピーターパンSを勝ってきたトゥーナリスト、ピーターパンSで2着してきたコミッショネア、同4着してきたマッターホルン、フェデリコテシオSで2着してきたマツザクの計10頭だった。
本馬が単勝オッズ1.85倍の1番人気、ウィックドストロングが単勝オッズ6.3倍の2番人気、ライドオンカーリンが単勝オッズ9.3倍の3番人気、コマンディングカーブが単勝オッズ9.9倍の4番人気、トゥーナリストが単勝オッズ10.2倍の5番人気となった。米国三冠馬誕生が大きく期待されていたため、1970年代に登場した3頭の米国三冠馬の関係者達は挙ってベルモントパーク競馬場に来場していた。
そんな中でスタートが切られると、単勝オッズ29倍の8番人気馬コミッショネアが先頭に立ち、本馬はその直後の2番手につけた。しかし最初のコーナーを回ったところで本馬の直後にいたジェネラルアロッドとさらにその後方にいたトゥーナリストが上がってきて2~3番手となり、本馬は少し下がって4番手となった。そのままの態勢で三角に入ると、エスピノーザ騎手は本馬を加速させた。しかし前3頭も本馬とほぼ同じ脚色で加速したために、結局直線入り口でも本馬の順位は4番手のままだった。直線ではジェネラルアロッドをかわしたが、他2頭を捕らえることが出来なかった上に、本馬のすぐ直後で直線に入ってきた単勝オッズ25.75倍の7番人気馬メダルカウントに差されてしまい、勝ったトゥーナリストから1馬身3/4差の4着に敗退。これで1979年のスペクタキュラービッド以降、ケンタッキーダービー・プリークネスSを制しながらベルモントSで敗れた馬は総計12頭に達した。
本馬の敗因はレース後にすぐに判明した。スタートした直後に隣枠発走のマッターホルンに右脚を踏まれて出血していたのである(マッターホルンは本馬より後方の8着だったために着順に変更は無し)。それさえ無ければ米国三冠を達成できていたのにと悔しがる声が多く聞かれた。
競走生活(3歳後半)
負傷を癒すためにしばらく休養を取り、次走は9月のペンシルヴァニアダービー(米GⅡ・D9F)となった。対戦相手は、プリークネスS9着後にハスケル招待S・ウッディスティーヴンスSを勝利するも前走トラヴァーズSでは10着最下位に沈んでいたバイエルン、ケンタッキーダービー13着後にロスアラミトスダービー・ウエストヴァージニアダービーとGⅡ競走を連続2着していたキャンディボーイ、ケンタッキーダービー15着後にウエストヴァージニアダービー・マットウィンSと2戦していずれも勝っていたタピチャー、同月1日に今回と同じパークスレーシング競馬場で施行されたGⅢ競走スマーティジョーンズSを勝ってきたプロトニコ、ジェロームSの勝ち馬ノーブルムーンなど7頭だった。本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気、バイエルンが単勝オッズ4.5倍の2番人気、キャンディボーイが単勝オッズ6.8倍の3番人気、タピチャーが単勝オッズ7.8倍の4番人気、プロトニコが単勝オッズ9.1倍の5番人気となった。
レースは好スタートを切ったバイエルンがそのまま先頭に立ち、本馬は2馬身ほど離された2~3番手を追走した。そして三角に入るとエスピノーザ騎手は本馬に内を突かせて位置取りを上げようとしたのだが、本馬の反応は非常に悪かった。結局3番手のままで直線に入ってきた本馬は、後方から来た馬達にも次々と差され、2着タピチャーに5馬身3/4差をつけて鮮やかに逃げ切ったバイエルンから7馬身1/4差の6着と大敗した。
この敗戦にも関わらず、次走はBCクラシック(米GⅠ・D10F)となった。この年のブリーダーズカップは本馬の地元カリフォルニア州のサンタアニタパーク競馬場で施行されたから、本馬にとっては有利だった。対戦相手は、バイエルン、前走3着のキャンディボーイ、右前脚の故障で米国三冠競走を全休していたキャッシュコールフューチュリティ・パシフィッククラシックS・オーサムアゲインS・ロスアラミトスダービー・ハリウッドプレビューSなど7戦無敗の前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬シェアードビリーフ、ベルモントSで本馬を破った後にジムダンディS2着・トラヴァーズS3着と堅実に走り前走ジョッキークラブ金杯を勝ってきたトゥーナリスト、サバーバンHの勝ち馬で前走ジョッキークラブ金杯2着のジーヴォ、近走5戦で4勝2着1回だったスキップアウェイSの勝ち馬シガーストリート、UAEダービーの勝ち馬で前走パシフィッククラシックS2着のトーストオブニューヨーク、4連勝でトラヴァーズSを勝っていたヴィーイーデイ、ホイットニーH・ドワイヤーSの勝ち馬でトラヴァーズS・ウッドワードS2着のモレノ、サンタアニタ金杯・東京シティカップSの勝ち馬マジェスティックハーバー、ウエストヴァージニアダービー・スーパーダービー・アイオワダービー・コーンハスカーHの勝ち馬でウッドワードS3着のプレイヤーフォーリリーフ、チャールズタウンクラシックSの勝ち馬でサンタアニタ金杯・パシフィッククラシックS3着のインペラティヴ、オーサムアゲインSで3着してきたフットブリッジの計13頭だった。シェアードビリーフが単勝オッズ3.5倍の1番人気、本馬とトゥーナリストが並んで単勝オッズ5.4倍の2番人気、バイエルンが単勝オッズ7.1倍の4番人気、ジーヴォが単勝オッズ12.4倍の5番人気であり、3歳馬4頭が上位人気を占めた。
スタートが切られるとバイエルンが先頭に立ち、単勝オッズ19.4倍の7番人気馬トーストオブニューヨークが1~2馬身ほど後方の2番手。本馬はさらに1~2馬身ほど後方の3番手につけ、ゲートを出た際に斜行したバイエルンに体当たりをされたシェアードビリーフは本馬からさらに1~2馬身ほど後方の5~6番手だった。三角に入ってから各馬のペースが一斉に上がったが、脚色が良かったのは後方の馬達ではなく、前の3頭、バイエルン、トーストオブニューヨーク、本馬であり、4番手以降は徐々に離されていった。そして上記の順番で直線に入り、三つ巴の叩き合いが始まった。3頭の中では最も後方にいた本馬が有利と思われたのだが、三角と四角を回る際に大きく外側に膨らんでいた上に、前2頭が粘りに粘ったために本馬は付き抜けられなかった。結局はバイエルンが勝利を収め、トーストオブニューヨークが鼻差の2着で、本馬はさらに首差の3着、シェアードビリーフはさらに3馬身半差の4着だった(バイエルンはシェアードビリーフに対する進路妨害で降着になっても全くおかしくなかったのだが)。本馬の敗因としては、外側を回らされたために、バイエルンより約13mは長い距離を走らされた事が挙げられている。
本馬はこのレース後に日本のチャンピオンズC(旧称ジャパンCダート)に出走する計画があった。しかし前述のとおり本馬が使用していたネーザルストリップは中央競馬では使用できず(書き忘れていたが、本馬はラシックスも使用しており、これまた日本では使用禁止だった)、本馬陣営からの照会にも日本中央競馬会は首を縦に振らなかったため、本馬の来日話は流れた。
そこで本馬はBCクラシックから4週間後のハリウッドダービー(米GⅠ・T9F)に向かった。本馬はオールウェザーなら何度も走った経験があったが、芝競走を走るのはこれが初めてだった。対戦相手は、加国最大の競走クイーンズプレートの勝ち馬で米国でも前走オータムミスSを勝っていた同年のソヴリン賞年度代表馬・最優秀3歳牝馬・最優秀芝牝馬を受賞する事になる加国の名牝レキシールー、デルマーダービー・トワイライトダービーとGⅡ競走を連続2着してきたソーヤーズヒル、日本で走ったペールギュントの息子であるベルモントダービー3着馬フランボワイヤン、デルマーダービー3着馬タルコなど5頭だった。焦点は対戦相手よりも、本馬が芝をこなせるか否かだった。本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気、レキシールーが単勝オッズ3.8倍の2番人気、ソーヤーズヒルが単勝オッズ6.6倍の3番人気、フランボワイヤンが単勝オッズ12倍の4番人気となった。
スタートが切られると本馬が先頭に立とうとしたが、ソーヤーズヒルが本馬を一気にかわして先頭に立ち、そのまま大逃げを打った。4~5馬身ほど離された2番手が本馬で、さらに4~5馬身ほど離された3番手がレキシールーだった。ソーヤーズヒルの大逃げは三角手前で終わり、本馬が三角に入ったところで先頭を奪取。後方からはレキシールーも差を詰めてきて、本馬が2番手のレキシールーに2馬身ほどの差をつけた状態で直線に入ってきた。レキシールーも粘ったが本馬には届かず、本馬が2着レキシールーに2馬身差をつけて勝利を収めた。この年に米国でダートと芝の両方でGⅠ競走を勝ったのは本馬のみだった。
3歳時はこれが最後のレースで、この年9戦6勝、GⅠ競走4勝の成績で、エクリプス賞年度代表馬及び最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得した。また、ファンを最も興奮させた馬に贈られる「セクレタリアト民衆の声賞」も受賞した。全米サラブレッド競馬協会選定による“Moment of the year”には、本馬のケンタッキーダービー勝利が選ばれた。地元カリフォルニア州ではカリフォルニアクローム・フィーヴァーが起こっており、カリフォルニア州議会は全会一致で本馬を表彰する事を決めた。当然、カリフォルニア州年度代表馬及び最優秀3歳牡馬にも選ばれたし、カリフォルニア州最優秀芝馬にも選ばれた(いずれもカリフォルニア州産馬のみが対象である)。
競走生活(4歳時)
4歳時も現役を続け、まずは2月のサンアントニオ招待S(米GⅡ・D9F)に出走した。対戦相手は、前年のBCクラシックで4着に敗れて無敗記録が止まるも暮れのマリブSを勝っていたシェアードビリーフ、前年のサンタアニタダービーで本馬の2着に敗れた後に米国三冠競走には出ずに休養入りして復帰後にクラークH・サンパスカルSを連勝していたホッパチュニティ、前年11月に未勝利を脱出して前走一般競走を圧勝していたアルファバード、チリのGⅠ競走チリ競馬場大賞を勝って米国に移籍してきたブロンゾ、プエルトリコのGⅠ競走クラシコアグスティンメルカドレヴェロンSを勝って米国に移籍してオクラホマダービーを勝っていたトニートエム、前年のBCクラシック9着後に日本のチャンピオンズCに参戦するもホッコータルマエの15着に終わっていたインペラティヴ、カリフォルニアンS2回の勝ち馬でサンタアニタH・サンタアニタ金杯2着のクラブハウスライド、一昨年のパシフィッククラシックS3着馬ユーノウアイノウの計8頭だった。シェアードビリーフが単勝オッズ2倍の1番人気、本馬が単勝オッズ2.4倍の2番人気、ホッパチュニティが単勝オッズ6.7倍の3番人気、この3頭より5ポンド軽い118ポンドの斤量が買われたアルファバードが単勝オッズ20.1倍の4番人気であり、ほぼ3強対決だった。
スタートが切られるとアルファバードが軽量を活かすべく先頭に立ち、本馬が1~2馬身ほど後方の2番手、シェアードビリーフがさらに1~2馬身ほど後方の3番手、ホッパチュニティがさらに1~2馬身ほど後方の4番手を追走した。アルファバードの逃げは三角手前で終わり、本馬が先頭に立ち、シェアードビリーフが追撃。ホッパチュニティは前2頭に置き去りにされてしまい、直線に入ると本馬とシェアードビリーフの一騎打ちとなった。しかしシェアードビリーフが徐々に前に出て勝利を収め、本馬は3着ホッパチュニティには6馬身半差をつけたものの、シェアードビリーフから1馬身半差の2着に敗退した。
その後は招待を受けたために、ドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)に出走した。ドンH・ハルズホープS2回の勝ち馬で前走ドンH2着のリー、前年のドバイワールドCを筆頭に前走のマクトゥームチャレンジR3・ゴドルフィンマイル・バージナハール2回を勝っていたアフリカンストーリー、前走マクトゥームチャレンジR3で2着してきたマクトゥームチャレンジR3・コンセイユドパリ賞・マクトゥームチャレンジR2・プランスドランジュ賞・セプテンバーS2回の勝ち馬プリンスビショップ、前年のBCクラシック6着以来の実戦となるキャンディボーイ、マッキノンS・ソヴリンS・ダイオメドSの勝ち馬でクイーンアンS・アーリントンミリオンS2回・ユナイテッドネーションズS・コーフィールドS3着のサイドグランス、前年のジョッキークラブ金杯3着馬ロングリヴァー、日本から参戦してきた菊花賞・ジャパンC・神戸新聞杯・ラジオNIKKEI杯2歳Sの勝ち馬で皐月賞・東京優駿2着のエピファネイア、かしわ記念・帝王賞・JBCクラシック・東京大賞典2回・川崎記念2回・チャンピオンズC・レパードS・佐賀記念・名古屋大賞典・アンタレスSの勝ち馬でマイルCS南部杯・フェブラリーS2着のホッコータルマエの計8頭が対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.25倍の1番人気、リーが単勝オッズ5倍の2番人気、エピファネイアが単勝オッズ7.5倍の3番人気、ホッコータルマエとアフリカンストーリーが並んで単勝オッズ9倍の4番人気となった。
スタートが切られると、西浦勝一騎手が騎乗するホッコータルマエが先頭に立ち、本馬やアフリカンストーリーなどもそれを追って先行。スタートが悪かったエピファネイアは後方からの競馬となっていた。そのままの態勢で直線に入ってもしばらくはホッコータルマエが先頭で粘っていたが、残り300m地点で本馬がかわして先頭に立とうとした。しかしそこへ道中は後方でじっと我慢していた単勝オッズ15倍の6番人気馬プリンスビショップが追い込んできて、並ぶ間もなく本馬とホッコータルマエを同時に抜き去っていった。そのままプリンスビショップが勝利を収め、本馬は2馬身3/4差の2着に敗退。本馬から1馬身1/4差の3着にリーが入り、残り200m地点で失速したホッコータルマエは5着、エピファネイアは終始後方のまま何の見せ場も無く9着最下位に終わってしまった。
本馬はこのレース後に今度は英国に向かった。ロッキンジSを経てプリンスオブウェールズSに参加するためだった。コバーン氏はこの遠征に乗り気ではなかったのだが、本馬の所有権の過半数を有するマーティン氏が積極的であり、シャーマン親子もマーティン氏に同意したために、遠征決行となったようである。
ロッキンジSには結局出走しなかったが、最大の目標はプリンスオブウェールズSであり、鞍上にはドバイワールドCで勝ったプリンスビショップに騎乗していたウィリアム・ビュイック騎手が予定されていた。ところが、レース前日に蹄を負傷して膿が出たために回避した。
次走に予定されていたエクリプスSも間に合いそうになかったために回避となった。
X線検査では当初異常が見られなかったために、米国に戻ってアーリントンミリオンSに出走する計画に切り替えられた。しかし米国に戻ってきた本馬が検疫を受けた際に改めてX線検査を実施したところ、砲骨にひびが入っていることが判明。全治3か月と診断されたために、アーリントンミリオンSに出走するどころか、年内全休となってしまい、4歳時の成績は2戦未勝利となった。
4歳7月にコバーン氏が所有していた30%の持ち分がケンタッキー州テイラーメイドファームにより購入されており、当初は4歳限りで競走馬を引退する予定だったのだが、予定を変更して5歳時もドバイワールドCを目指して現役を続行する事になった。
本馬がレースに出ない間に、1歳年下のアメリカンファラオが、本馬が果たせなかった米国三冠を達成し、暮れのBCクラシックも勝って引退していった。そのために2015年の米国競馬はアメリカンファラオの話題で持ちきりとなり、前年に大フィーヴァーを起こした本馬はすっかり影が薄くなってしまった。このまま終わっては種牡馬としての評価にも悪影響を及ぼす事が必至だったために、復活させてから種牡馬入りさせたいという考えだと思われる。ファンの立場としてはアメリカンファラオのようにさっさと引退されると面白くないため、本馬の現役続行は歓迎なのだが、本馬にとってそれが吉と出るか凶と出るかは現時点では何とも言えない。
※追記:2016年、サンパスカルS(米GⅡ・D8.5F)・メイダン競馬場ダート2000mのハンデ競走と2連勝して臨んだドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)で、先行抜け出しの優等生的な競馬を見せて3馬身3/4差で完勝。現役続行は吉と出たようである。※さらに追記:7月のサンディエゴH(米GⅡ・D8.5F)を勝つと、8月のパシフィッククラシックS(米GⅡ・D10F)では2着となった名牝ビホルダーを5馬身ちぎって完勝。完全に現役米国最強馬としての地位を取り戻した。
血統
Lucky Pulpit | Pulpit | A. P. Indy | Seattle Slew | Bold Reasoning |
My Charmer | ||||
Weekend Surprise | Secretariat | |||
Lassie Dear | ||||
Preach | Mr. Prospector | Raise a Native | ||
Gold Digger | ||||
Narrate | Honest Pleasure | |||
State | ||||
Lucky Soph | Cozzene | Caro | フォルティノ | |
Chambord | ||||
Ride the Trails | Prince John | |||
Wildwook | ||||
Lucky Spell | Lucky Mel | Olympia | ||
Royal Mink | ||||
Incantation | Prince Blessed | |||
Magic Spell | ||||
Love the Chase | Not for Love | Mr. Prospector | Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | ||||
Gold Digger | Nashua | |||
Sequence | ||||
Dance Number | Northern Dancer | Nearctic | ||
Natalma | ||||
Numbered Account | Buckpasser | |||
Intriguing | ||||
Chase It Down | Polish Numbers | Danzig | Northern Dancer | |
Pas de Nom | ||||
Numbered Account | Buckpasser | |||
Intriguing | ||||
Chase the Dream | Sir Ivor | Sir Gaylord | ||
Attica | ||||
La Belle Fleur | Vaguely Noble | |||
Princess Ribot |
父ラッキープルピットは現役成績22戦3勝。スマイルSを勝ち、サンタカタリナS(米GⅡ)で2着しているが、生涯唯一出走したGⅠ競走であるサンタアニタダービー(米GⅠ)で7着に終わるなど、全体的に今ひとつの競走生活だった。それはラッキープルピットの競走能力が低かったというよりも、呼吸器疾患を患っていたために、スタミナが長く続かなかったためであるらしい。競走馬引退後はハリスファームで種牡馬入りした。初年度の種付け料は2千ドルという安値だった。本馬の登場で一躍脚光を浴びたが、現時点でグレード競走の勝ち馬は本馬のみであり、種牡馬として成功しているとはさすがに言い難い。
ラッキープルピットの父プルピットは、エーピーインディとフリゼットSの勝ち馬プリーチの間に産まれた良血馬で、現役成績は6戦4勝。ファウンテンオブユースS(米GⅡ)・ブルーグラスS(米GⅡ)を勝ちフロリダダービー(米GⅠ)で2着など5戦4勝の成績を引っ提げてケンタッキーダービー(米GⅠ)に参戦したが、シルバーチャームの4着に敗れ、故障のためこのレースを最後に引退。種牡馬としてはエーピーインディの後継の1頭としてかなりの活躍を見せたが、2012年12月に18歳で父エーピーインディより先に他界している。
母ラヴザチェイスは、元々ブリンカーズオンレーシングステーブルという馬主団体の所有馬だった。本馬の生産者マーティン氏とコバーン氏もブリンカーズオンレーシングステーブルの一員であり、それぞれが5%の持ち分を有していた。ラヴザチェイスは気性にかなり問題があったらしく、レース前に騎手を背中に乗せるのを非常に嫌がり、スタート前に既に消耗する事が頻繁にあったという。4戦目でなんとか初勝利を挙げた後に、その血統背景を評価したマーティン氏とコバーン氏の両名により所有権の残り全てを8千ドルで購入され、その後2戦だけして引退した。ラヴザチェイスが競走馬として振るわなかった理由は気性難だけでなく、喉頭蓋エントラップメント(喉頭蓋包埋)を患っていた事もあったようで、繁殖入り前に手術が行われて快癒している。本馬が初子で、その後に産んだ子もラッキープルピットとの間の子ばかりである。本馬の活躍を受けて、ラヴザチェイスを210万ドルで売ってほしいという申し出があったそうだが、マーティン氏とコバーン氏はそれを断り、本馬の妹や弟達に期待を寄せているそうである。
ラヴザチェイスの曾祖母ラベルフルールの半姉カスカペディア【ヴァニティH(米GⅠ)】の孫にはビッグジャグ【ドバイゴールデンシャヒーン】、リパブリックラス【AJCオークス(豪GⅠ)・ランヴェットS(豪GⅠ)】、エイシーデューシー【プライオレスS(米GⅠ)】が、ラベルフルールの半妹ブランドオブエレガンスの孫にはイグゾティックウッド【ゴーフォーワンドH(米GⅠ)・サンタモニカH(米GⅠ)サンタマリアH(米GⅠ)】が、ラベルフルールの半妹キャプティヴェイティングギャルの子にはキャプティヴミス【クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ)】がいる。
牝系は所謂アメリカンファミリーの中では最も繁栄している4号族(実際にはファミリーナンバー21号族に属する模様)で、スワップス、グリーンデザート、バイエルン、ヤマニンパラダイス、ノーリーズン、トランセンド、ワンアンドオンリーなどは近親とは言えないにしても遠縁には当たる。ちなみに遠すぎて本馬の5代血統表には出てこないが、本馬の血を遡るとスワップスの血が2本入っており、それも本馬がカリフォルニア州で人気を博した理由の一端とされているようである(スワップスの宿敵ナシュアの血も2本入っているのだが)。→牝系:F21号族②
母父ノットフォーラヴは、ミスタープロスペクターとベルデイムSの勝ち馬ダンスナンバーの間に生まれた馬で、1989年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬リズムの全弟、名牝ナンバードアカウントの孫に当たる良血馬。しかし競走馬としては29戦6勝、ステークス競走の勝ちは無しという結果に終わった。種牡馬としてはメリーランド州で供用され、GⅠ競走の勝ち馬こそ出さなかったが多くのグレード競走の勝ち馬を出し、2003年から2012年まで10年連続メリーランド州の首位種牡馬に輝く成功を収めた。2015年に種牡馬を引退したそうである。