和名:ビッグブラウン |
英名:Big Brown |
2005年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:バウンダリー |
母:ミアン |
母父:ヌレイエフ |
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圧勝に次ぐ圧勝でケンタッキーダービー・プリークネスSを無敗で制して米国三冠馬に王手をかけたが、最終戦のベルモントSで不可解な惨敗を喫する |
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競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績8戦7勝 |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州モンティキュールファームにおいて、同牧場の所有者ゲイリー・B・ナップ博士により生産された。2歳時のキーンランドトレーニングセールに出品され、トラック運送会社の経営者ポール・ポンパ・ジュニア氏によって19万ドルで購入され、米国パトリック・レイノルズ調教師に預けられた。
競走生活(3歳初期まで)
2歳9月にサラトガ競馬場で行われた芝8.5ハロンの未勝利戦で、ジェレミー・ローズ騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ15.7倍で10頭立ての7番人気という低評価だった。しかしスタートから単騎の逃げに持ち込むと、三角からどんどん後続を引き離していき、最後は2着となった単勝オッズ5.2倍の3番人気馬ドクターカルに11馬身1/4差をつける大圧勝で鮮烈なデビューを飾った。
このレース後にポンパ・ジュニア氏は本馬の所有権を国際競走馬獲得ホールディングス社に売却し、本馬は南フロリダを本拠地とするリチャード・E・ダトロー・ジュニア厩舎に転厩することになった。
この時期に左前脚の裂蹄を発症した事もあり、2歳時は1戦のみで終え、3歳時は3月にガルフストリームパーク競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走から始動。このレースから主戦にケント・デザーモ騎手を迎えた。このレースでは、未勝利戦を8馬身半差で圧勝していたクリムゾンコミックと人気を二分し、本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気、クリムゾンコミックが単勝オッズ2.5倍の2番人気となった。スタートが切られると本馬が先頭を伺ったが、単勝オッズ5.6倍の4番人気馬ヘッジファンドインヴェスターがハナを叩いて先頭を奪取。さらにクリムゾンコミックも絡んできて、この3頭が後続を引き離して先頭争いを演じた。しかしヘッジファンドインヴェスターとクリムゾンコミックの2頭は四角から脱落していき、そのまま単独で先頭を走り続けた本馬が、2着に突っ込んできた単勝オッズ46.2倍の最低人気馬ヘヴンズオーサムに12馬身3/4差をつけて、2戦連続の大圧勝劇を演じた。
次走のフロリダダービー(GⅠ・D9F)では、ファウンテンオブユースSで2着してきたエリシウムフィールズ、サムFデーヴィスSなど3連勝中のフィアスウインド、一般競走を2戦連続で大圧勝してきたヘイバーン、ペルーのGⅠ競走ダービーナシオナル・リカルドオルテスデセバーリョス賞を勝って米国に移籍してきたトムシト、ホープフルSの勝ち馬マジェスティックウォリアー、一般競走を4馬身差で勝ってきたフェイスザキャット、ハッチソンSの勝ち馬スムーズエアなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気、エリシウムフィールズが単勝オッズ3.8倍の2番人気、フィアスウインドが単勝オッズ8.4倍の3番人気、ヘイバーンが単勝オッズ11.1倍の4番人気で、本馬とエリシウムフィールズの2頭が人気を二分した。
今回はスタートから先頭に立った本馬に無理矢理競りかけてくる馬はおらず、着々と自分のペースで逃げを刻んだ。対抗馬のエリシウムフィールズは4番手前後の好位を追走してきたが、三角に入ったところで失速。一方の本馬は四角で後続を引き離すと、直線に入っても危なげなく先頭を走り続け、そのまま2着となった単勝オッズ17.5倍の8番人気馬スムーズエアに5馬身差、3着となった単勝オッズ13.6倍の5番人気馬トムシトにはさらに7馬身半差をつけて逃げ切り圧勝した。
フロリダダービーの翌週に行われたウッドメモリアルSで、2歳時にBCジュヴェナイル・シャンペンSなど4戦全て楽勝してエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれていたウォーパスが故障を起こして引退した事もあり、本馬がケンタッキーダービーの最有力候補に躍り出た。
ケンタッキーダービー
そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、サンタアニタダービー・シャムSの勝ち馬でキャッシュコールフューチュリティ2着のカーネルジョン、ルイジアナダービー・リズンスターSの勝ち馬でBCジュヴェナイル・シャンペンSでは共にウォーパスの2着だったパイロ、ハニービーS・ファンタジーSなど4連勝中の牝馬エイトベルズ、イロコイS・レムセンSの勝ち馬でウッドメモリアルS3着のコートヴィジョン、アーカンソーダービーの勝ち馬でサンフェリペS2着のガイエーゴ、ルコントSの勝ち馬でアーカンソーダービー・リズンスターS2着のジーフォーチュン、ゴーサムSの勝ち馬ヴィジョネア、サウスウエストSの勝ち馬デニスオブコーク、タンパベイダービーを勝ってきたビッグトラック、レーンズエンドSを勝ってきたアドリアーノ、カリフォルニアブリーダーズチャンピオンS・サンシャインミリオンズダッシュSの勝ち馬でサンタアニタダービー2着のボブブラックジャック、ブルーグラスSを勝ってきたモンバ、ウッドメモリアルS・ベルモントフューチュリティSの勝ち馬でサンフォードS2着のテイルオブエカティ、トロピカルパークダービーの勝ち馬でブルーグラスS2着のカウボーイキャル、スムーズエア、ファウンテンオブユースSの勝ち馬クールコールマン、イリノイダービーを勝ってきたリキャプチャーザグローリー、ケンタッキージョッキークラブSの勝ち馬アナクナカル、デルタジャックポットSの勝ち馬でシャンペンS3着のゼットユーモアの計19頭が対戦相手となった。
本馬が単勝オッズ3.4倍の1番人気、カーネルジョンが単勝オッズ5.7倍の2番人気、パイロが単勝オッズ6.7倍の3番人気、エイトベルズが単勝オッズ14.1倍の4番人気、コートヴィジョンが単勝オッズ18.7倍の5番人気となった。本来であればもっと本馬に人気が集中してもおかしくなかったのだが、20頭立ての20番枠を引いてしまったために、上記の数字に収まった。
スタートが切られると、単勝オッズ30.4倍の12番人気馬ボブブラックジャックが先頭に立ち、大外枠発走の本馬は無理にハナを奪わず4~6番手の好位につけた。道中はずっと大外を走らされていたが、三角に入ったところで外側から仕掛けると抜群の手応えで進出し、四角で先頭に立った。そのまま直線に入ると、本馬と一緒に好位から上がってきたエイトベルズを直線半ばで引き離し、2着エイトベルズに4馬身3/4差、3着デニスオブコークにはさらに3馬身半差をつけて完勝。2006年のバーバロ以来2年ぶり史上7頭目の無敗のケンタッキーダービー馬となった。また、大外枠発走でケンタッキーダービーを勝ったのは1929年のクライドバンデューセン以来79年ぶりだった。
しかしこのレースで2着に健闘したエイトベルズがゴール直後に両前脚を骨折してその場で安楽死となる悲劇が起こったため、本馬の勝利は少々ほろ苦いものとなった。
ケンタッキーダービーの12日後には、米国ケンタッキー州スリーチムニーズファームが中心となって、総額5千万ドル(当時の為替レートで約51億円)もの巨額の種牡馬シンジケートが組まれた。
プリークネスS
次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、ケンタッキーダービー出走馬のうち本馬とガイエーゴの2頭以外の姿は無く、ブルーグラスS3着馬ケンタッキーベア、フェデリコテシオSを勝ってきたイカバドクレイン、カリフォルニアダービーの勝ち馬でルイジアナダービー3着・サンタアニタダービー4着のヤンキーブラボー、ケンタッキージョッキークラブS3着馬レースカーラプソディー、フロリダダービー4着後にホーリーブルSを勝ってきたヘイバーン、アーリントンワシントンフューチュリティ2着・レキシントンS3着のリレイタッカー、カウントフリートSの勝ち馬ジャイアントムーン、ダービートライアルSの勝ち馬マッチョアゲイン、ブルーグラスS4着馬ステヴィル、アーカンソーダービー3着馬トレスボラコスといったケンタッキーダービー不参戦組が対戦相手の大半を占めていた。
本馬が単勝オッズ1.2倍という同競走史上稀に見る断然の1番人気に支持された。ちなみに20世紀以降のプリークネスSでこれより低かったのは、1948年のサイテーションと1979年のスペクタキュラービッドの単勝オッズ1.1倍と、1943年のカウントフリートの単勝オッズ1.15倍の3例のみ。1920年のマンノウォーは単勝オッズ1.8倍、1953年のネイティヴダンサーは単勝オッズ1.2倍、1973年のセクレタリアトは単勝オッズ1.3倍、1977年のシアトルスルーは単勝オッズ1.4倍だった。そしてケンタッキーダービーで17着と惨敗していたガイエーゴが単勝オッズ10.2倍の2番人気、ケンタッキーベアが単勝オッズ14.9倍の3番人気、イカバドクレインが単勝オッズ23.2倍の4番人気となった。ケンタッキーダービー不参戦組よりもケンタッキーダービーで大惨敗したガイエーゴのほうが評価は上というところに、ケンタッキーダービーに参戦する事自体の困難さが良く表れている。
今回の本馬は真ん中の6番枠発走だったが、前走同様に無理にハナは奪わず3~4番手の好位につけた。レースはガイエーゴが先頭に立ち、2番手にリレイタッカーがつけていたが、両馬共に四角に入る頃には失速。代わりに楽な手応えで先頭に立った本馬が、そのまま直線を独走して、2着となった単勝オッズ40.9倍の10番人気馬マッチョアゲインに5馬身1/4差をつけて圧勝した。
デビューから5戦連続の圧勝ぶりに、1978年のアファームド以来30年ぶり史上12頭目の米国三冠馬誕生、さらには1977年のシアトルスルー以来31年ぶり史上2頭目の無敗の米国三冠馬誕生への期待は限りなく高まった。
ところで、このプリークネスSの1週間前に、ベルモントSが施行されるベルモントパーク競馬場で行われたGⅡ競走ピーターパンSを、デザーモ騎手騎乗のカジノドライヴが5馬身3/4差で圧勝していた。一昨年のベルモントSの勝ち馬ジャジルと、前年のベルモントSの勝ち馬ラグストゥリッチズの半弟である米国産馬カジノドライヴは、競走馬として日本に輸入されて藤沢和雄厩舎に入厩し、2月に京都競馬場で行われた新馬戦を勝った後に渡米していたもので、兄姉に続く3年連続ベルモントS制覇が期待されており、日本でもカジノドライヴと本馬の対決は大きな話題となっていた。
ベルモントS
本番のベルモントS(GⅠ・D12F)で、デザーモ騎手が本馬とカジノドライヴのどちらに乗るのか注目されたが、デザーモ騎手は当然に本馬を選択した。しかし本馬には不安材料もあった。プリークネスSの直後に、前年秋に発症した左前脚の裂蹄が再発していたのである。ダトロー・ジュニア師は“just a little hiccup(たいした問題ではありません)”として、裂蹄部分を鋼鉄製の糸で縫い合わせて、裂蹄再発から4日後には調教を再開した。そしてベルモントSの直前には、ニュージャージー州の名装蹄師イアン・マッキンリー氏を呼び寄せて、鋼鉄製の糸で患部を改めて縫い合わせた上で、アクリルとガラス繊維製の粘着パッチを添付した。
これらの準備のためにレース前調教は少々不十分なものとなったが、対抗馬と目されていたカジノドライヴが挫石により直前で出走取消となってしまったため、本馬以外の出走馬は、ケンタッキーダービー3着から直行してきたデニスオブコーク、同4着から直行してきたテイルオブエカティ、同7着から直行してきたアナクナカル、マッチョアゲイン、プリークネスSでマッチョアゲインから半馬身差の3着だったイカバドクレイン、ピーターパンSで3着してきたレディーズエコー、5戦未勝利の身で出走してきたガダルカナル、7戦1勝馬ダタラの計8頭となった。どれもこれも本馬には敵いそうにない馬ばかりであり、本馬が単勝オッズ1.3倍という圧倒的な1番人気に支持され、デニスオブコークが単勝オッズ8.2倍の2番人気、テイルオブエカティが単勝オッズ15.5倍の3番人気、イカバドクレインが単勝オッズ18倍の4番人気、マッチョアゲインが単勝オッズ18.4倍の5番人気となった。
レースが始まると、単勝オッズ39.5倍の最低人気馬ダタラが抜群のスタートから逃げを打ち、2番手にテイルオブエカティ、その直後3番手に絶好の1番枠を引き当てた本馬がつけたのだが、最初のコーナーを回る際に外側に膨らんでしまい、前方のテイルオブエカティと外側のアナクナカルに馬体をぶつける場面が見られた。レースはそのままダタラが馬群を先導し、テイルオブエカティ、本馬、アナクナカルが一団となってそれを追いかける展開となった。そしてそのままの態勢で三角に入り、本馬鞍上のデザーモ騎手が満を持して仕掛けた。ところが本馬はデザーモ騎手の合図に全く反応せず、先頭のダタラとの差が徐々に開き始めた。そして四角に入ったところで大きく失速して、そのままずるずると後退。デザーモ騎手は異常を感じたらしく、本馬を大外へ持ち出して馬群の邪魔にならないようにし、そのまま歩くようにして最下位でゴールインした。記録上は競走中止扱いになっている。本馬の予想外のレースぶりに他の有力馬も仕掛け所を誤ったのか、四角で後続を大きく引き離したダタラが2着デニスオブコークに5馬身1/4差をつけてまんまと逃げ切ってしまった。このダタラはかつてフロリダダービーで本馬から23馬身半も後方の9着に敗れ去っており、このベルモントSがようやく2勝目だった。
ベルモントパーク競馬場に詰め掛けた観衆達の反応は様々で、呆然とする人から、野次を飛ばす人までいた。レース後にデザーモ騎手は「彼は空っぽでした。彼は何も持っていませんでした」と語った。
レース終了後すぐに、獣医師のグレッグ・ベネット博士により本馬の健康診断が行われたが、特に何の異常も見つからなかった。あまりにも不可解な本馬の走りについては、様々な説が取り沙汰されている。一番有力なのは、やはりプリークネスS後に再発した裂蹄であり、それが原因で調教が軽すぎた上に、レース本番の走りにも何らかの影響を及ぼしたのではないかと言われている。
また、かつてシアトルスルーを管理したウィリアム・“ビル”・ターナー・ジュニア元調教師は「デザーモ騎手が抑えすぎて、馬が走る気をなくしたのではないでしょうか。私が調教を行っていた時代に、騎手があんなに馬を抑えたら、その騎手は敗戦行為を指摘されて、もう競馬場に戻って来られなくなるでしょう」と述べている。また、馬が走る気をなくした理由として、最初のコーナーで他馬に衝突してしまった事も影響しているかもしれない。
さらに、レース当日のベルモントパーク競馬場はうだるような暑さであり、それが本馬の走る気に影響したと考える人もいるようである。他にも、ベルモントSの2週間後になって、本馬の右後脚の蹄鉄が実はレース中に外れかけていた事も公表されており、それも本馬の走りに悪影響を及ぼしたのではないかと言われている。
そしてもう1つ無視できない事実がある。レース直後に、本馬を管理していたダトロー・ジュニア師が、毎月15日にスタノゾロールという薬物を定期的に本馬に投与していた事を認めた。本馬の敗因は、その副作用が出た、又は毎月欠かしていなかった投与を前月には実施しなかった事の影響が出たのではないかと言うのである。このスタノゾロール(商品名ウィンストロール)は筋肉増強剤の1種であり、かつて1988年のソウルオリンピック男子100m走の決勝において、当時の「世界新記録」で走破して一旦は優勝を果たしたベン・ジョンソンが、その後のドーピング検査で引っ掛かって金メダルを剥奪されたまさにその薬物だった。
ベン・ジョンソンの一件以来、スポーツ界ではドーピング対策が課題となっていたが、米国競馬界では明らかに対策が遅れており、米国三冠競走が実施される3つの州を含む米国の多くの州では当時スタノゾロールの投与は違反ではなく(既に禁止されていたのは10州のみ)、本馬のケンタッキーダービー・プリークネスS制覇が取り消される事も無かった。しかし当然のようにその後は規制する州も出てきており、この年のブリーダーズカップが行われる事になっていたサンタアニタパーク競馬場があるカリフォルニア州も、スタノゾロールの使用を急遽規制した。また、本馬の種牡馬シンジケートは、本馬に薬物投与する事をその後一切禁じた(スタノゾロールの副作用としては生殖能力の低下もあり、種牡馬能力に悪影響を及ぼす恐れが高かったため)。ちなみに、ダトロー師は懲りずにその後も禁止薬物の使用を続けたため、2011年にニューヨーク州競馬委員会から10年間の資格停止処分を受け、事実上競馬界から追放されている。
なお、米国競馬界では本馬以外にも薬物投与疑惑が持たれた馬は数多いが、そもそも人間のアスリートの場合と異なり馬には一切の罪がない事には留意されたい。
競走生活(3歳後半)
ベルモントS後の本馬は、トラヴァーズSに出走する予定だったが回避し、8月のハスケル招待S(GⅠ・D9F)に出走した。ケンタッキーダービー15着後にスペンドアバックSを勝っていたクールコールマン、レムセンS・タンパベイダービー・スペンドアバックS・ロングブランチSでいずれも2着のアトンド、バーバロSを勝ってきたマジカルフォレスト、コロニアルターフカップS2着馬ニスルズクランチなどが対戦相手となった。前走の大敗、その後に噴出した薬物問題、他馬勢より4ポンド重いトップハンデと良からぬ条件が揃っていたが、それでも本馬が単勝オッズ1.2倍の圧倒的1番人気に支持され、クールコールマンが単勝オッズ7.5倍の2番人気、アトンドが単勝オッズ9.4倍の3番人気となった。
レースでは単勝オッズ21.2倍の6番人気馬コールプレイを前に行かせて、直後の2番手を追走した。人気薄のコールプレイだったが、このレースでの手応えは抜群に良く、四角を回って直線に入っても先頭を死守していた。直線半ばでもコールプレイと本馬の差は3馬身ほどあり、またしても人気薄の逃げ切りかと思われたが、ここから本馬が切れ味抜群の末脚を繰り出し、ゴール直前で一瞬にしてコールプレイを差し切り、1馬身3/4差で勝利した。着差こそ過去の勝利と比べると小さかったが、誰が見ても敗色濃厚だったあの状態から差し切るという、それまでとは違う強さを見せたレースだった。
なお、ベルモントSから2か月が経過していたこのレースでは、当然スタノゾロールの投与はされておらず、以前に投与されていたスタノゾロールの効果も切れていたはず(スタノゾロールの効果持続期間は1か月程度)だから、この勝利は薬物ではなく本馬の実力による勝利のはずである。
翌9月に出走した次走は、何故かデビュー戦以来の芝競走となるモンマスS(T9F)だった。ここでは、ベイメドウズダービー・マーヴィンHムニスジュニア記念Hの勝ち馬でサイテーションH3着のプラウディンスキー、バーナードバルークH2回の勝ち馬でマンハッタンH・シャドウェルターフマイルS3着のシェイキス、バーナードバルークH・フォースターデイヴH・トロピカルターフH・アップルトンH・フォートマーシーH・オーシャンポートSの勝ち馬でシャドウェルターフマイルS3着のシルヴァーツリー、ドンH3着馬キスザキッドなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.6倍の1番人気、プラウディンスキーが単勝オッズ3.7倍の2番人気、シェイキスが単勝オッズ7倍の3番人気、シルヴァーツリーが単勝オッズ10.4倍の4番人気となった。本馬はこのレースではハナを奪い、そのまま単騎逃げに持ち込んだ。そのまま直線に入ってきたが、プラウディンスキーやシェイキスがここから本馬に迫ってきた。最後は2着プラウディンスキーになんとか首差で逃げ切り、1分47秒41のコースレコードを樹立して勝利したが、他馬との斤量差も殆ど無く(全馬119~121ポンド。本馬は120ポンドだった)、内容的には今ひとつだった。
もしかしたらこのレースの結果次第では芝路線に向かう事も考えていたのかもしれない(既に種牡馬シンジケートは組まれていたため、芝競走で結果が出なくても種牡馬としての価値にそれほど影響は無い)が、芝のGⅠ競走未勝利馬相手にこの内容では芝の一線級相手では厳しく、改めてBCクラシックを目標に据える事になった。
その後はサンタアニタパーク競馬場で実施されるBCクラシックを目標に調整されていたが、同厩馬キップデヴィル(本馬より2歳年上で、既にBCマイルなどGⅠ競走3勝を挙げていた)との併せ馬調教中に、キップデヴィルと接触した右前脚と右後脚に裂傷を負ってしまった。全治2か月と診断され、3歳中の復帰は絶望となってしまった。既に高額の種牡馬シンジケートが組まれていたため、本番12日前に現役引退が発表された。3歳時の成績は7戦6勝で、この年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選出された。
馬名に関して
馬名は、トラック運送会社の経営者だった最初の馬主ポンパ・ジュニア氏が、世界最大級の物流・宅配サービス会社であるユナイテッド・パーセル・サービス(通称UPS)に敬意を表して命名したものである。UPSは、会社のロゴ、トラック、貨物機、制服などを茶色で統一していることから、ブラウンという愛称で呼ばれている会社であったためである。
血統
Boundary | Danzig | Northern Dancer | Nearctic | Nearco |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | Crafty Admiral | ||
Olympia Lou | ||||
Petitioner | Petition | |||
Steady Aim | ||||
Edge | Damascus | Sword Dancer | Sunglow | |
Highland Fling | ||||
Kerala | My Babu | |||
Blade of Time | ||||
Ponte Vecchio | Round Table | Princequillo | ||
Knight's Daughter | ||||
Terentia | Bold Ruler | |||
Romanita | ||||
Mien | Nureyev | Northern Dancer | Nearctic | Nearco |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
Special | Forli | Aristophanes | ||
Trevisa | ||||
Thong | Nantallah | |||
Rough Shod | ||||
Miasma | Lear Fan | Roberto | Hail to Reason | |
Bramalea | ||||
Wac | Lt. Stevens | |||
Belthazar | ||||
Syrian Circle | Damascus | Sword Dancer | ||
Kerala | ||||
Friendly Circle | Round Table | |||
Really Trying |
父バウンダリーはダンチヒ産駒で、現役成績8戦6勝。3歳4月と遅いデビューで、ローズベンH(米GⅢ)・アフェノメノンH(米GⅢ)を勝ったが、GⅠ競走には出ることなく引退した中級競走馬だった。引退後は米国ケンタッキー州クレイボーンファームで種牡馬入りし、2005年に受精率低下で種牡馬を引退するまでに複数のGⅠ競走勝ち馬を出してまずまずの成功を収めた。
母ミアンは現役時代3戦1勝。近親にはそれほど一流馬は多くはなく、ミアンの祖母シリアンサークルの半妹であるヒドゥンレイク【ヘンプステッドH(米GⅠ)・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)・ラブレアS(米GⅡ)・シュヴィーH(米GⅡ)】が一番目立つ活躍馬である。シリアンサークルの5代母カーペットスリッパーの半妹ダルマリーの娘には世界的名牝系の祖ラフショッド(ヌレイエフ、サドラーズウェルズ、エルコンドルパサーの牝系先祖)がおり、この辺りまで遡れば活躍馬が続々出てくるのだが、もはや本馬の近親とは言い難いだろう。→牝系:F5号族①
母父ヌレイエフは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、スリーチムニーズファームで種牡馬入りした。初年度の種付け料は6万5千ドルと高額であり、しかも薬物問題など色々あったにも関わらず、初年度は100頭以上の繁殖牝馬を集めた。そのうち71頭の牝馬がステークス競走の勝ち馬、又はステークス競走の勝ち馬の母であったから、量だけでなく質も高かった。また豪州ヴィネリースタッドにもシャトルされた。
初年度産駒は2012年にデビューした。初年度産駒からは12頭のステークスウイナーが出たが、繁殖牝馬の質量からすると期待を大きく下回る成績だった。2015年にはニューヨーク州ダッチェスビューファームに移動して、この年の種付け料は8500ドルまで下落した。しかし同年にようやく登場した大物産駒ドルトムントがサンタアニタダービーを勝って挑んだケンタッキーダービーで3着と健闘した事により、2016年からはケンタッキー州に戻ることになった。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
2010 |
Big Wildcat |
バルガス大統領大賞(伯GⅢ) |
2010 |
Darwin |
ミンストレスS(愛GⅢ) |
2011 |
Coach Inge |
ブルックリン招待S(米GⅡ) |
2012 |
Dawnie Perfect |
イーサリアルS(豪GⅢ) |
2012 |
Dortmund |
ロスアラミトスフューチュリティ(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)・サンフェリペS(米GⅡ)・ロバートBルイスS(米GⅢ)・ネイティヴダイヴァーS(米GⅢ) |