ブラックロック

和名:ブラックロック

英名:Blacklock

1814年生

鹿毛

父:ホワイトロック

母:コリアンダーメア

母父:コリアンダー

騎乗ミスで英セントレジャーを逃したが種牡馬として直系を伸ばし、後世にガロピンとセントサイモン父子を登場させる

競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績23戦17勝2着4回3着1回

誕生からデビュー前まで

英国ヨーク近辺で繁殖牝馬を募って移動種牡馬をしていた父ホワイトロックと母コリアンダーメアの間に誕生した。頭が半月のように不格好で膝の形も悪いという見栄えがしない馬体の持ち主だったそうだが、父ホワイトロックに似て強い腰と強靭な筋肉の持ち主でもあった。気性はかなり激しかったようで、後に本馬の4×4×5のインブリードを有するガロピンが、「気性難で知られたブラックロックの多重クロスを敬遠されて」当初は種牡馬としての人気が出なかった原因となったほどだった。

本馬の生産者フランシス・モス氏は競走馬ディーラーのトマス・カービー氏に本馬を40ポンドで売却した。デビュー当初の本馬には正式な名前が付いておらず、「カービー氏が所有する、ホワイトロックを父に、コリアンダーの娘を母に持つ鹿毛の牡馬」と呼ばれていた。

競走生活(2・3歳時)

2歳8月にヨーク競馬場で行われた参加賞金20ギニーのスウィープS(T5.5F)でデビュー。単勝オッズ4倍の人気に応えて、5頭の対戦相手を蹴散らして勝利を収め、120ギニーの賞金を手にした。あまりにも後続馬に大差をつけたため、「このレースの2着馬はいない」と裁定された。翌9月にポンテフラクトで出走した参加賞金20ギニーのスウィープS(T8F)では単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持され、2着シャイコック、3着アンジェリカなどの対戦相手3頭を破って勝ち、80ギニーの賞金を手にした。このレース後に本馬はリチャード・ワット氏に購入された。ワット氏の所有馬となった本馬は、トミー・サイクス調教師の管理馬となった。同月にドンカスター競馬場で出走した賞金200ギニーのスウィープS(T8F)では、ジョン・ジャクソン騎手を鞍上に単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持され、カメレオンやアンジェリカといった強敵を撃破して、2着ヤングウッドペッカーコルト以下に勝利した。2歳時の成績は3戦3勝だった。

3歳シーズン前半には全くレースに出ず、この年の初戦は秋の英セントレジャー(T14F193Y)となった。このレースに出走するに際して輸送時に何らかのトラブルがあったのか、本馬がドンカスター競馬場に到着したのはレース2日前の事だった。元々気性が激しかった本馬は、この強行軍に不機嫌さを隠せなかった。そのために到着直後の評価は低かったが、到着した日の午後に走った調教で抜群の動きを見せたために評価はすぐに回復し、前評判が高かったスタインボローという馬が病気になって回避したこともあり、最終的には単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。

このレースに先立ってサイクス師は、本馬に騎乗するジャクソン騎手に対して「この馬の走る気のままに走らせれば良い」と指示を出していた。ジャクソン騎手はレース序盤には指示どおりに実践し、本馬は道中で3馬身のリードを保ちながら先頭を走っていた。ところが、ジャクソン騎手は同レースに出走していたイボアという馬に騎乗していたボブ・ジョンソン騎手から「自分の方法で騎乗したらどうか」という言葉を投げかけられた。それを真に受けたジャクソン騎手は、本馬を自分の意のように走らせようとした。その結果として折り合いを欠いた本馬は、ゴール前でイボアに差されて頭差(首差とする資料もある)の2着に敗れた。

これに関しては異説もあり、残り1ハロン地点で先頭だった本馬をジャクソン騎手が油断して追うのを止めたところにイボアが強襲してきて、慌てたジャクソン騎手が本馬に再加速を促すも時既に遅くゴール直前でイボアに差されたというのである。

いずれにしてもジャクソン騎手の騎乗ミスが敗因だったのは間違いなかったようである。当然サイクス師は激怒し、ワット氏はジャクソン騎手を解雇した。しかしレース後の検査で本馬の後脚に裂蹄が発見されたという話もあり、これらの複合要因による敗戦だったようでもある。

その3日後には英セントレジャーと同コースで行われたガスコインS(T14F193Y)に出走。対戦相手はセントヘレナという牝馬1頭だけであり、単勝オッズ1.62倍の1番人気に応えた本馬が勝利を収めた。翌日には同じくドンカスター競馬場でドンカスタークラブS(T16F)に出走した。対戦相手は前年の英セントレジャー勝ち馬ザダッチェスのみだったが、斤量は古馬であるザダッチェスより本馬のほうが重く、それが影響したのか敗れてしまった。10月にはリッチモンド競馬場で同日に賞金180ギニーのスウィープSとダンダスSの2競走に出走して、いずれも勝利を収めた。3歳時の成績は5戦3勝だった。実はこの段階に至っても本馬には正式な名前が付けられておらず、ブラックロックという名前で走ったのは4歳初戦からだった。

競走生活(4・5歳時)

4歳時は5月にヨーク競馬場で行われた賞金160ギニーのスウィープS(T16F)に出走して、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持されたが、ここではセントヘレナの3着に敗れてしまった。その2日後には同じヨーク競馬場でコンスティチューションS(T10F)に出走。ここでは単勝オッズ1.67倍の1番人気に応えて、後にドンカスターCを勝つ単勝オッズ3倍の2番人気馬ラスピングを2着に破って勝利した。

その後はしばらくレースに出ず、8月にヨーク競馬場で行われた4歳馬限定戦グレートグレートサブスクリプションパース(T32F)に出走。単勝オッズ2倍の1番人気に支持された本馬は圧倒的な走りを見せ、2着アガサや3着セントヘレナといった他の対戦相手3頭に100ヤード以上の差をつけて勝利を収めた。このレースにより本馬は「現代のエクリプス」の異名を頂戴した。これは勿論、あの有名な“Eclipse first and the rest nowhere(エクリプスが1着、そして残りの馬はどこにもいない)”のレースを彷彿とさせたからである。その翌日にはヨーク競馬場で行われた4・5歳馬限定戦グレートグレートサブスクリプションパース(T32F)にも出走して、単勝オッズ1.18倍の1番人気に応えて、唯一の対戦相手レヌスを破って勝利した。同じ日にはヨーク競馬場で賞金250ギニーのスウィープS(T16F)に出走。単勝オッズ1.5倍の1番人気に応えて、2着ラスピング以下に勝利した。時代が違うとはいえ、2日間で3戦3勝という今日では考えられない結果を残したしたわけであるが、もっと凄いのはこの先の9月に待っていた。

ドンカスター競馬場で出走したドンカスターS(T32F)では、単勝オッズ1.5倍の1番人気に応えて、唯一の対戦相手ザダッチェスを一蹴して勝利した。同日には賞金120ギニーのスウィープS(T14F193Y)に出走したが、対戦相手が現れなかったために単走で勝利した。翌日には賞金100ギニーのスウィープS(T32F)に出走。ここではドンカスターCを勝ってきたラスピングが唯一の対戦相手として挑んできたが、本馬があっさりと勝利した。そして同日にはドンカスタークラブS(T16F)に出走。単勝オッズ1.125倍の1番人気に応えて、唯一の対戦相手ザダッチェスを破って勝利を収め、前年の同競走でザダッチェスに敗れた借りを完全に返した。これで本馬は2日間で4戦4勝(うち1戦は単走だが)をした事になる。誰かが2回1着になるまで決着がつかないヒート競走を別にすれば、2日間で4戦4勝した馬など筆者の知識の中には本馬以外に存在しない。

10月にはリッチモンド競馬場でダンダスSに出走して勝利。そして同日にはリッチモンド金杯(T32F)に出走した。ここでは当時の英国競馬界を牛耳っていた3歳年上のドクターシンタックスとの、現役最強馬の座を賭けた戦いとなった。スタート直後はドクターシンタックスが先頭に立ったが、200ヤードほど走ったところで本馬が先頭を奪った。そのまま本馬が先頭を維持してレース終盤に差し掛かったが、ここから本馬は失速。ドクターシンタックスだけでなく他の出走馬2頭にも差されて、ドクターシンタックスの4着最下位に終わり、生涯唯一の着外を喫した。敗因は本馬の体調不良に求める意見が多く、レース中に本馬はしきりと咳をしていたという。4歳時はこれが唯一の敗北で、この年の成績は11戦10勝だった。

5歳時も現役を続け、5月にヨーク競馬場で行われた賞金120ギニーのスウィープS(T16F)から始動した。単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持されたが、ザマーシャルの2着に敗れてしまった。翌日に出走したヨーク金杯(T16F)では単勝オッズ2倍とやや評価を落としたが、2着ポーロウィッツ以下に勝利を収めた。その後はしばらくレースに出ず、8月にヨーク競馬場で行われた5歳以上馬限定戦グレートグレートサブスクリプションパース(T32F)に出走。ここでは同世代馬マジストレートと大激闘を演じた末に、本馬が短頭差で勝利した。相当な激戦だったようで、マジストレートはこのレースを最後に競馬場を去っていった。本馬も燃え尽きていたのか、その2日後に出走した賞金250ギニーのスウィープS(T16F)で、セントヘレナの2着に敗退。このレース後に故障が判明したため、5歳時4戦2勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Whitelock Hambletonian King Fergus Eclipse Marske
Spilletta
Creeping Polly Portmore's Othello
Fanny
Grey Highflyer Highflyer Herod
Rachel
Monimia Matchem
Alcides Mare
Rosalind Phoenomenon Herod Tartar
Cypron
Frenzy Eclipse
Engineer Mare 
Atalanta Matchem Cade
Partner Mare
Young Lass of the Mill Oroonoko
Sister to Lass of the Mill
Coriander Mare Coriander Pot-8-o's Eclipse Marske
Spilletta
Sportsmistress Sportsman
Golden Locks
Lavender  Herod Tartar
Cypron
Snap Mare Snap
Miss Roan
Wildgoose Highflyer Herod Tartar
Cypron
Rachel Blank
Regulus Mare
Co-Heiress Pot-8-o's Eclipse
Sportsmistress
Manilla Goldfinder
Old England Mare

父ホワイトロックはハンブルトニアン産駒。ホワイトロックの母ロザリンドや、祖母アタランタはその牝系子孫から多くの活躍馬を送り出し、名牝系の祖となる馬だった(特にアタランタの牝系子孫の発展ぶりは凄まじい。とてもここには書ききれないので国内外で1頭ずつ代表馬を挙げるとすれば、海外ではノーザンダンサー、日本ではディープインパクトだろうか。あと、本馬の血を後世に伝えたヴォルティジュールもアタランタの牝系子孫出身である)。

ホワイトロックは名前を名付けられないまま現役時代の大半を過ごした。デビュー戦は着外、2戦目は3着に敗れ、その後タットン・サイクス卿に売却された。サイクス卿は距離4マイルのハンターSで自らホワイトロックに騎乗して勝利し、続くレースにも勝利した。さらに距離3マイルのマカロニSに出走して重斤量を克服して勝利した。その後2戦して1勝2着1回となり、翌年1810年にサイクス卿の兄マーク・サイクス卿の所有馬となった際に、ようやく身体の一部に白い毛が混じっていた事からホワイトロックと命名された。その後に出走したレースでは1着同着となり決勝戦で敗れている。翌日のレースを勝って引退したが、種牡馬としてはあまり評価されずタットン・サイクス卿所有のスレッドメアスタッドには置いてもらえなかったため、300ギニーでシルヴェスター・リード氏に売却されて各地を転々として繁殖牝馬を募る移動種牡馬となっていた。

母コリアンダーメアは「コリアンダーの娘」という意味で、本当は無名馬である。本馬の生産者モス氏により僅か3ポンドの価格で購入されて繁殖入りしていた。しかし繁殖牝馬としては優秀で、本馬の5歳下の半弟セオドア(父ウォーフル)は兄が勝てなかった英セントレジャーを勝っている。しかしコリアンダーメアの牝系子孫は発展せず、近親にもそれほど多くの活躍馬がいるわけではない。コリアンダーメアの祖母コヘアレスの半弟アンビデクスター【英セントレジャー】が、セオドアを除けば最も近い一流馬である。コヘアレスの半姉ミスジュディの子にはラウンジャー【英セントレジャー】、玄孫にはテディントン【英ダービー・アスコット金杯】、牝系子孫には凱旋門賞などを勝った名馬バリモスなどがいる他、コヘアレスの半妹ホーネットの玄孫には根幹種牡馬の1頭サーヘラクレスがいるが、それでもずば抜けて優秀な牝系とは言い難い。→牝系:F2号族④

母父コリアンダーはポテイトウズ産駒であるが、競走馬としてのキャリアは不明である。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はワット氏所有のビショップバートンスタッドで種牡馬入りしたが、本馬の前脚の弱さに疑問を抱いたワット氏は、本馬をトマス・カービー氏に1年につき100ポンドの契約でリースした。その後もワット氏は本馬を各地にリースし続け、当初15ギニーに設定されていた種付け料はせいぜい20ギニーまでにしかならなかった(途中で10ギニーを割り込んだ事もある)。本馬がビショップバートンスタッドに戻ってきたのは14歳の時だった。この時期には本馬の産駒は活躍を見せており、種付け料は25ギニーという高額に設定された。翌1829年には英首位種牡馬を獲得。1831年2月に本馬は種付け中に血管破裂を起こして17歳で他界し、遺体はビショップバートンスタッドに埋葬された。本馬の産駒は70頭が勝ち馬となり、442レースで勝ち星を挙げ、当時の種牡馬としてはかなり優秀な成績を収めた。直子のヴォルテアーがヴォルティジュールの父となり、さらにヴェデット、ガロピンを経由してセントサイモンが出現し、本馬の血を後世に広めた。また、本馬の血を引く馬は障害競走で活躍する馬も多く、直系6世代以内に11頭の英グランドナショナル優勝馬が登場している。母系に本馬の血が入っている馬も含めればその頭数はさらに増える。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1824

Laurel

ドンカスターC

1825

Velocipede

1826

Voltaire

ドンカスターC

1827

Moss Rose

ディーS

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