ドバイミレニアム

和名:ドバイミレニアム

英名:Dubai Millennium

1996年生

鹿毛

父:シーキングザゴールド

母:コロラドダンサー

母父:シャリーフダンサー

その名前のとおりに千年紀(ミレニアム)のドバイワールドCを制覇した20世紀のフィナーレを飾る芝ダート不問の最強馬

競走成績:2~4歳時に英仏首で走り通算成績10戦9勝

名は体を表すという言葉があるが、競走馬の世界においても、そうした事例は時折見受けられる。その筆頭格が西暦2000年、千年紀(ミレニアム)のドバイワールドCを制覇した本馬であろう。その当時、筆者が友人に、今年のドバイワールドCの勝ち馬の名前はドバイミレニアムだった旨を伝えたところ、友人は「それは本当?」と半信半疑の様子であった。確かに出来すぎの話ではあるが、それだけの期待を背負っていた馬であり、その期待に応えるだけの素質を有していたからこそ達成できた芸当ではある。

しかし本馬は単に名前どおりの勝利を挙げたというだけの馬ではなく、20世紀の最終年を飾るのに相応しい名馬中の名馬であり、まさしく20世紀最後の世界最強馬と言えるだろう。

誕生からデビュー前まで

ドバイのシェイク・モハメド殿下が英国に所有するダルハムホールスタッドにおいて誕生した馬で、ゴドルフィンの所属馬として、英国のデヴィッド・R・ローダー調教師に預けられた。当初は“Yazeel(ヤゼール。アラビア語で「白いガゼル」という意味。なお、資料によっては“Yazaar”又は“Yareek”と記載されているらしい)”という名前だったが、仏国のエヴリ調教場においてデビュー前調教を施されている本馬の様子を見たモハメド殿下が、ミレニアムのドバイワールドCを勝つのはこの馬だと確信してドバイミレニアムという名前に変えたという逸話は非常に有名である。

競走生活(3歳前半まで)

2歳10月にヤーマウス競馬場で行われた芝8ハロン3ヤードの未勝利ステークスで、主戦となるランフランコ・デットーリ騎手を鞍上にデビュー。既にこの段階で本馬の素質はかなりの評判になっており、単勝オッズ1.44倍で18頭立ての1番人気に支持された。レースでもその前評判に違わない走りを見せ、スタートから馬なりのまま先行して、残り2ハロン地点で申し訳程度に加速するとそのまま突き抜けて、2着となった単勝オッズ34倍の5番人気馬タバレーフに5馬身差をつけて勝利した。このレースには、後にムーランドロンシャン賞・フォレ賞・サンダウンマイル・アールオブセフトンSに勝利するインディアンロッジも出走していたのだが、本馬にはまったく歯が立たずに、12馬身後方の6着に敗れ去っている。

2歳時はこの1戦のみで終え、3歳時はローダー厩舎からドバイのサイード・ビン・スルール厩舎に転厩して、ドバイで冬を越した。この越冬時には既に英ダービーの有力候補として認知されていた。

3歳時は5月にドンカスター競馬場で行われたスポンサーシップクラブ条件S(T8F)から始動した。ここでも単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持された。今回はスタートから先頭に立ち、残り2ハロン地点から後続馬を一気に引き離して、2着となった単勝オッズ3.25倍の2番人気馬エトリックに9馬身差をつけて圧勝した。

それから15日後にグッドウッド競馬場で出走した英ダービーの前哨戦であるリステッド競走プレドミネートS(T10F)では、コヴェントリーSの勝ち馬で仏グランクリテリウム2着のレッドシー、リュパン賞の勝ち馬ヨハンクアッツや仏ダービー・リュパン賞の勝ち馬エルナンドの半弟に当たる期待馬アドナーン、伊グランクリテリウム2着馬で後にグループ競走を4勝するジンダバッドなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.36倍の1番人気、レッドシーが単勝オッズ8.5倍の2番人気、アドナーンが単勝オッズ9倍の3番人気、ジンダバッドが単勝オッズ13倍の4番人気という本馬の1強独裁ムードだった。スタートが切られるとジンダバッドが先頭に立ち、本馬鞍上のデットーリ騎手は後の事を考慮してか、控える競馬を試みた。そして残り2ハロン地点で進出していき、途中で右側によれながらも、2着レッドシーに3馬身半差をつけて完勝した。

そして18日後の英ダービー(英GⅠ・T12F10Y)に駒を進めた。対戦相手は、前哨戦のディーSを5馬身差で圧勝してきたオース、リングフィールドダービートライアルSを勝ってきたルシード、ニューマーケットSを勝ってきたビートオール、愛2000ギニーを3馬身差で勝ってきたサフロンウォルデン、ブルーリバンドトライアルSの勝ち馬でリングフィールドダービートライアルS2着のダリアプール、チェスターヴァーズで1位入線も4着に降着となっていたレーシングポストトロフィー3着馬ハウスマスター、ダンテSを勝ってきたソルフォードエクスプレス、ギシュ賞など3戦無敗で臨んできた後のBCマイル優勝馬ヴァルロワイヤル、クレイヴンSの勝ち馬で次走のエクリプスSを勝つコンプトンアドミラルなどだった。本馬に関しては距離不安が囁かれていたが、本馬陣営は「心配していない」として自信満々だった。グループ競走不出走馬で、しかも距離不安を言われながらも、その素質と調教の動きが評価された本馬が単勝オッズ6倍の1番人気に支持され、オースとルシードが並んで単勝オッズ7.5倍の2番人気、ビートオールが単勝オッズ8倍の4番人気、サフロンウォルデンが単勝オッズ9倍の5番人気と続いた。

スタートが切られると単勝オッズ34倍の14番人気馬オールザウェイが先頭に立った。本馬鞍上のデットーリ騎手は距離を保たせるために、前走同様に本馬を抑えようとした。しかし本馬は鞍上の指示に逆らって前方に進出し、結局は先行することになった。そしてタッテナムコーナーでは早くも失速して9番手で直線に入り、そのまま伸びずに、勝ったオースから9馬身1/4差をつけられた9着に大敗してしまった。

競走生活(3歳後半)

その後は7月に仏国メゾンラフィット競馬場で行われたユジューヌアダム賞(仏GⅡ・T2000m)に向かった。対戦相手は、後にターフクラシックS・マンハッタンHとGⅠ競走を2勝するマンダー、前走のパリ大賞で3着してきたサルドカール、英ダービー14着からの巻き返しを狙うソルフォードエクスプレス、ノアイユ賞・オカール賞でいずれも2着してきたステートシントウの4頭だった。本馬とは異なり仏国アンドレ・ファーブル厩舎所属ながらもやはりモハメド殿下の所有馬だったステートシントウと本馬のカップリングが単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持され、マンダーが単勝オッズ4倍の2番人気、サルドカールが単勝オッズ4.2倍の3番人気、ソルフォードエクスプレスが単勝オッズ6.6倍の最低人気となった。もう抑える競馬を諦めたデットーリ騎手は、スタートから本馬を行く気のままに先行させた。直線入り口ではソルフォードエクスプレスが並びかけてきたが、残り400m地点で本馬がスパートすると、ソルフォードエクスプレスは瞬く間に後方に消えていった。その後も快調に脚を伸ばした本馬が、後方から追ってきた2着ステートシントウに3馬身差をつけて快勝した。

その後は英国際Sに向かうという話もあったが、マイル路線に向かうことになり、次走はジャックルマロワ賞(仏GⅠ・T1600m)となった。対戦相手は僅か4頭だったが、メシドール賞の勝ち馬で仏2000ギニー2着のダンシリ、パリ大賞・ノアイユ賞・ロシェット賞の勝ち馬スリックリー、仏グランクリテリウムの勝ち馬ウェイオブライト、グロット賞の勝ち馬ヴェニズが対戦相手となり、それなりに質は高かった。中でもダンシリは本馬に匹敵するほど素質を高く評価されており、本馬とダンシリが並んで単勝オッズ2.4倍の1番人気に支持され、スリックリーが単勝オッズ3.5倍の3番人気、ウェイオブライトが単勝オッズ7.9倍の4番人気となった。不良馬場で行われたレースでは、やはり本馬がスタートから先頭に立ち、ダンシリが本馬を追って先行してきた。しかし残り200m地点で満を持してスパートした本馬がダンシリを引き離し、最後は3番手から上がってきた2着スリックリーに2馬身半差をつけて勝利した。レース後にデットーリ騎手は「これこそ真の王者」と本馬を讃えた。

次走はクイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ・T8F)となった。このレースは例年であれば英国のマイル王者決定戦として有力馬が集結するのだが、この年は本馬を恐れたのか対戦相手は僅か3頭だった。サンダウンマイル・パークSの勝ち馬でサセックスS2着・ロッキンジS・サセックスS3着のアルムシュタラク、コロネーションSを単勝オッズ17倍の人気薄で勝ちファルマスSで2着していたバリサダ、セントジェームズパレスS3着馬ゴールドアカデミーが相手となったが、本馬を脅かせそうな馬はいなかった。そこで本馬が単勝オッズ1.44倍という断然の1番人気に支持され、アルムシュタラクが単勝オッズ6倍の2番人気、バリサダが単勝オッズ7.5倍の3番人気、ゴールドアカデミーが単勝オッズ15倍の最低人気となった。今回も不良馬場となったレースでは、ゴールドアカデミーが本馬のハナを叩いて逃げ、本馬は2番手を追走した。そして残り2ハロン地点で悠々とゴールドアカデミーをかわして先頭に立つと、後は後続を引き離すだけで、最後は馬なりのまま走り、2着アルムシュタラクに6馬身差をつけて圧勝した。

レース後にモハメド殿下は「彼はゴドルフィンが所有した過去最高の馬であり、翌年のドバイワールドCに向かわせます」と明言した。3歳時はこれを最後に休養に入り、この年の成績は6戦5勝となった。

競走生活(4歳時)

翌4歳時の目標はもちろん、ミレニアムのドバイワールドCだった。まずは本番3週間前に、本番と同コースで行われたリステッド競走マクトゥームチャレンジR3(D2000m)に出走した。対戦相手は、プリンスオブウェールズS・ダイオメドS・セレクトSの勝ち馬で香港C3着のリアスピアー、レムセンSの勝ち馬カモンマムなど5頭だった。初ダートに戸惑ったのかどうかは定かではないが、このレースで本馬は3番手を先行した。しかし直線に入って残り400m地点で先頭に立つと、そのまま後続を引き離し、2着リアスピアーに4馬身半差をつけて圧勝した。勝ちタイム1分59秒6は、過去4度行われたドバイワールドC全ての勝ちタイムより速い(アルムタワケルが勝った前年の2分00秒65が最速)コースレコードであり、これで本番に向けての目処が立った。

そしていよいよ本番のドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)に挑んだ。対戦相手の筆頭格は、ガルフストリームパークH2回・オークローンH・ドワイヤーS・ペガサスH・マサチューセッツH・サバーバンHの勝ち馬でトラヴァーズS・ドンH・ホイットニーH・ジョッキークラブ金杯2着の米国調教馬ベーレンズだった。他にも、スーパーダービー・ジムダンディSの勝ち馬エクトンパーク、モーリスドニュイユ賞・ジャンドショードネイ賞・ラクープ・サンマルコスH・カールトンFバークHの勝ち馬でハリウッドターフカップS2着のパブリックパース、ブルックリンH・サラトガBCH・ゴントービロン賞の勝ち馬で香港C2着・ウッドワードS3着のランニングスタッグ、サンフェルナンドSの勝ち馬セインツオナー、デルマーフューチュリティ・ベストパルSの勝ち馬ワールドリーマナー、リュパン賞の勝ち馬グラシオーソ、リアスピアー、日本から参戦してきた加藤和宏騎手が騎乗する東京大賞典の勝ち馬ワールドクリーク、亜国のGⅠ競走サンマルティン将軍大賞の勝ち馬でナシオナル大賞・エストレージャス大賞スプリントとGⅠ競走2着2回のストルーデルフィッツ、ブラジルのGⅠ競走ダービーパウリスタ大賞の勝ち馬プエルトマデロ、前年のジャパンC2着で名を馳せた香港国際ヴァーズ・香港チャンピオンズ&チャターC2回・香港金杯2回の勝ち馬インディジェナスが参戦していた。しかし英国の大手ブックメーカーであるウィリアムヒル社は本馬を単勝オッズ1.61倍の1番人気として評価した。

レースが始まると本馬は好スタートからすぐに先頭を奪い、気持ちよく馬なりで逃げ続けた。そのままの態勢で直線に入ると、本馬を追って先行した馬達が揃って失速するのを尻目に独走状態となった。最後は中団から2着に追い上げてきた2着ベーレンズに6馬身差をつけて、前走で自身が樹立したコースレコードを更新する1分59秒5の好タイムで優勝(ワールドクリークは6着だった)。その名前のとおりにミレニアムのドバイワールドCを見事に制覇してみせた。2015年現在、2分を切るタイムでドバイワールドCを勝ったのは本馬と、2007年のインヴァソール(1分59秒97)だけである。ベーレンズも3着パブリックパースには5馬身半差をつけており、その能力は十分に発揮したと言えるのだが、本馬にはまったく歯が立たなかった。モハメド殿下も、ゴール前で既にガッツポーズをする余裕を見せた鞍上のデットーリ騎手も口を揃えて「これまで関わってきた中で最高の馬です」と賞賛した。

その後は欧州に渡り、プリンスオブウェールズS(英GⅠ・T10F)に出走した。このレースで本馬の前に立ち塞がったのは、本馬とは初対戦となる同世代のセンダワールだった。アガ・カーンⅣ世殿下所有のセンダワールは、前年にマイル路線を進み、仏2000ギニー・セントジェームズパレスS・ムーランドロンシャン賞を勝っていた。本馬が勝ったジャックルマロワ賞にも参戦予定だったが、馬場状態の悪化を理由に回避していた。そして年が明けた後も好調を維持しており、イスパーン賞を完勝してGⅠ競走4連勝としていた。他の出走馬は、前年の英ダービーで本馬に先着する3着だったビートオール、本馬がドバイワールドCを勝った同日にドバイデューティーフリーを勝ったリズムバンド、独2000ギニーの勝ち馬でドイツ賞2着のスミタスなどだった。

同じ芝競走であるイスパーン賞からの臨戦という点が評価されたセンダワールが単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。そしてダート競走であるドバイワールドCからの臨戦だった本馬は単勝オッズ2.25倍で、生涯最初で最後の2番人気だった。

しかし本馬の評価が下がった理由は臨戦過程だけではなかった。デビュー以来一貫して本馬の鞍上にいたデットーリ騎手がこのレースには不参戦だったのである。その理由は、このレースの3週間前にデットーリ騎手が飛行機事故に遭遇して足を骨折する怪我を負ったからだった。この事故は、彼の自宅がある英国ニューマーケットにおいて、移動のために小型ジェット機に搭乗したところ、その小型ジェット機が離陸した直後に墜落炎上したものだった。デットーリ騎手と同乗していたレイ・コクレーン騎手の2名は救助されたが、パイロットは死亡した。デットーリ騎手はその直後の安田記念でディクタットに騎乗する予定だったが乗る事は出来ず、このプリンスオブウェールズSの時点でもレースに参加する事は無理だった。そこで本馬陣営は米国の名手ジェリー・ベイリー騎手に本馬の鞍上を委ねた。

レースは、スタートから本馬が先頭に立って逃げ、それをセンダワールが追いかけて先行する展開となった。残り4ハロン地点から本馬が徐々に加速していくと、センダワールも加速して付いてきた。しかし本馬の快速に付いてきたセンダワールは残り3ハロン地点から脚色が衰え始め、残り1ハロン地点で完全にスタミナが切れて失速。一方の本馬は最後までスタミナが切れる気配も見せず、3番手追走から直線で粘った単勝オッズ67倍の最低人気馬馬スミタスに8馬身差をつけて圧勝した(センダワールはスミタスから3馬身差の4着だった)。

ベイリー騎手はレース後に、かつて自身が主戦を務めたシガーと本馬を比べてどうかと尋ねられ、「2頭とも非常に印象的な馬でした。シガーは確かに最高の馬でしたが、忘れてはならないのは、ドバイミレニアムはダートでも芝でも圧倒的な強さを発揮したという事です。この点においてドバイミレニアムに匹敵する馬はいないでしょう」と応えた。また、モハメド殿下は「彼は真の王者です。過去20年間において、こんな馬は見たことも所有したこともありません。調教における走り方も見た目も極めて顕著です」と本馬を讃えた。

次の目標は、当時欧州最強馬として君臨していたモンジューの撃破(モンジューの所有者マイケル・テイバー氏に対して、モハメド殿下は600万ドルを賭けたマッチレースを申し込んでいたという)、そして秋のブリーダーズカップ参戦だった。しかしそれに向けての調教中に右後脚大腿骨の骨折が判明。脚にボルトを3本入れる大手術が無事に終わった後の8月5日に競走馬引退が発表された。

競走馬としての評価

国際クラシフィケーションでは134ポンドの評価を受け、これはキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを勝ったモンジュー(130ポンド)や凱旋門賞馬シンダー(132ポンド)を上回る、この年の世界第1位だった。しかし本馬こそが真の最強馬であると考える一部の人々からは、それでも評価が低い(前年のモンジューは135ポンドだった)として不満の声が漏れたという。

一方、英タイムフォーム社のレーティングでは140ポンドが与えられ、これは1986年に同じ140ポンドの評価を受けたダンシングブレーヴ以来14年ぶり史上11頭目の140ポンド台となった。他の9頭は、テューダーミンストレルアバーナントウインディシティリボーシーバードヴェイグリーノーブルブリガディアジェラードミルリーフシャーガーであり(本馬以降にはシーザスターズハービンジャーフランケルの3頭)、本馬はこの錚々たるメンバーの仲間入りを果たした事になる。

また、レーシングポスト紙は1987年頃から独自に競走馬のレーティング評価を開始しており、それまでの最高は前年のデイラミに与えられた138ポンド(1989年のジルザル、1991年のジェネラス、1997年のパントレセレブルの3頭がいずれも137ポンド。前年のモンジューは136ポンド)だったのだが、本馬に対してはそれを上回る139ポンドが与えられた。2009年のシーザスターズは138ポンド、2010年のハービンジャーは135ポンド止まりで本馬を抜くことは出来ず、2012年にフランケルが142ポンドを獲得するまで12年間に渡って単独1位の座に君臨し続けた。

血統

Seeking the Gold Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Gold Digger Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
Con Game Buckpasser Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
Broadway Hasty Road Roman
Traffic Court
Flitabout Challedon
Bird Flower
Colorado Dancer Shareef Dancer Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Sweet Alliance Sir Ivor Sir Gaylord
Attica
Mrs. Peterkin Tom Fool
Legendra
Fall Aspen Pretense Endeavour British Empire
Himalaya
Imitation Hyperion
Flattery
Change Water Swaps Khaled
Iron Reward
Portage War Admiral
Carillon

シーキングザゴールドは当馬の項を参照。

母コロラドダンサーは現役成績10戦3勝、ポモーヌ賞(仏GⅡ)・ミネルヴ賞(仏GⅢ)に勝ち、ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・イエローリボン招待S(米GⅠ)で3着に入った活躍馬。コロラドダンサーの母フォールアスペンはメイトロンS(米GⅠ)・アスタリタS(米GⅢ)の勝ち馬で、コロラドダンサーの他にも、コロラドダンサーの半姉ノーザンアスペン(父ノーザンダンサー)【ゲイムリーH(米GⅠ)・アスタルテ賞(仏GⅢ)】、半姉エレソウレ(父エクスクルシヴネイティヴ)【アスタリテ賞(仏GⅡ)】、半兄マッツカノ(父アレッジド)【グッドウッドC(英GⅢ)】、半弟ハマス(父ダンチヒ)【ジュライC(英GⅠ)・デュークオブヨークS(英GⅢ)】、半弟フォートウッド(父サドラーズウェルズ)【パリ大賞(仏GⅠ)・ノアイユ賞(仏GⅡ)】、半弟ティンバーカントリー(父ウッドマン)【プリークネスS(米GⅠ)・BCジュヴェナイル(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・バルボアS(米GⅢ)】、半弟ビアンコニ(父ダンチヒ)【ダイアデムS(英GⅡ)】とGⅠ競走勝ち馬4頭を含むグレード及びグループ競走の勝ち馬8頭を産んだスーパー繁殖牝馬である。

フォールアスペンの産駒や近親に関しては、ティンバーカントリーの項で詳述しているので、そちらを参照してほしい。なお、本馬の大活躍により、競走馬としては1戦未勝利だった本馬の全弟ダージーは日本に種牡馬として輸入されたが、成功はしなかった。また、1戦1勝の本馬の半弟ドバイエクセレンス(父ハイエストオナー)も豪州で種牡馬入りしている。なお、この際に手違いでドバイエクセレンスはウクライナに送られ、豪州にはケープクロスの半弟サムードが送られるというアクシデントがあったが、両馬の特徴の違いから手違いが判明し、両馬とも無事に予定どおりの場所に戻っている。→牝系:F4号族③

母父シャリーフダンサーは、加国の名馬産家エドワード・P・テイラー氏の生産馬。父が大種牡馬ノーザンダンサー、母スイートアライアンスはケンタッキーオークス馬という超良血馬で、1歳時のキーンランドセールで330万ドルという記録的高値でモハメド殿下により購買された期待馬だった。デビュー4戦目のキングエドワードⅦ世S(英GⅡ)を勝つと、続く愛ダービー(愛GⅠ)では英ダービー馬ティーノソ、仏ダービー馬カーリアンを蹴散らして優勝した。その後4千万ドルという当時世界最高額の種牡馬シンジケートが組まれたために5戦3勝の成績で引退、種牡馬入りしたが、それに見合うだけの活躍は出来ないまま1999年に19歳で他界した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国ダルハムホールスタッドで種牡馬入りした。本馬は種牡馬としても大人気で、種付け料10万ポンド(15万ポンドとする資料もある)は当時の欧州繋養種牡馬の中ではサドラーズウェルズに次ぐ高額設定ながら、世界各国から一流の繁殖牝馬ばかり82頭が集まった。

しかし初年度の繁殖シーズン終了直後に、急性グラスシックネス(牧草に付着していた細菌の感染により、神経系が破壊され、消化器が麻痺する病気。餌から感染したとみられる)による馬自律神経症、及び何度も疝痛を起こしたことによる小腸閉塞を併発してしまった。3度に渡って手術が行われたがその甲斐なく、4月29日に5歳の若さで安楽死の措置が執られた。

残された56頭の産駒から登場したステークスウイナーは僅か5頭に過ぎなかったが、その中にGⅠ競走を3勝したドバウィがいる。そしてドバウィは種牡馬としても大きな成功を収めており、どうやら貴重な本馬の血脈を後世に伝えることが出来そうである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2002

Belenus

ソヴリンS(英GⅢ)

2002

Dubawi

愛ナショナルS(愛GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・スーパーレイティヴS(英GⅢ)

2002

Echo of Light

ダニエルウィルデンシュタイン賞(仏GⅡ)・サマーマイルS(英GⅢ)・ストレンソールS(英GⅢ)2回・ゴントービロン賞(仏GⅢ)

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