アレッジド

和名:アレッジド

英名:Alleged

1974年生

鹿毛

父:ホイストザフラッグ

母:プリンセスパウト

母父:プリンスジョン

豊富なスタミナに裏打ちされた逃げ先行策で曾祖父リボー以来22年ぶり史上5頭目、20世紀では最後となる凱旋門賞2連覇を達成し種牡馬としても活躍する

競走成績:2~4歳時に愛英仏で走り通算成績10戦9勝2着1回

自身の曽祖父であるリボー以来22年ぶりに凱旋門賞の2連覇を達成した馬であり、2014年にトレヴが2連覇を達成するまで36年間の長きにわたり「凱旋門賞を2連覇した最後の馬」の地位に君臨していた。

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州において、ジューン・H・マックナイト夫人により生産された。幼少期の本馬は痩せて見栄えがしない馬だった。1歳時のキーンランドセールに出品されたが、3万5千ドルで主取りとなってしまった。しかしセリが終わった直後にカリフォルニア州のピンフッカー(当歳馬や1歳馬をセリで購入し、育成により馬の価値を高めてから転売する業者)であるモンティ・ロバーツ氏の申し出により、3万4千ドルで購買された。

ロバーツ氏は「馬の言葉が理解できる男」と言われるほど優れたピンフッカーであり、この前年に7500ドルで購入したアンアクトという馬を育てて10万ドルで転売したことで知られていた(アンアクトは後にサンタアニタダービーに勝利した)。彼の著作“The Man Who Listens to Horses”は「馬と話す男」の邦題で日本においても出版されており、筆者も一読した事がある。この本の中には本馬に関しても僅かに触れられており(日本語版では「アレジド」と記載されていた)、それによると本馬は痩せてはいたがその骨格は過去に見たことが無いほど素晴らしい完璧なものだったという。しかしロバーツ氏の眼力を疑ったらしいロバーツ夫人により「疑わしい」という意味のアレッジドと命名された本馬は、ロバーツ氏の下で7か月間育成された。この間に本馬は著しく成長し、体重も649ポンド(約295kg)から1000ポンド(約455kg)以上まで増えた。

ロバーツ氏は2歳になった本馬をハリウッドパークセールに出品し、本馬は名馬主ロバート・サングスター氏の代理人ビリー・マクドナルド氏により17万5千ドルで購入され、サングスター氏、ボブ・フルオル氏、シャーリー・テイラー氏、本馬の生産者ジューン・H・マックナイト夫人、愛国の調教師ヴィンセント・オブライエン師の5名による共同所有馬となった。

サングスター氏は当初カリフォルニア州で本馬をデビューさせる予定だったが、本馬は前脚に不安を抱えていたため米国式のハードな訓練に耐えられないと判断し、本馬を共同所有者の一人であるオブライエン師に預けることとした。この時期、オブライエン師と彼の娘婿ジョン・マグナー氏がサングスター氏と共に設立した愛国のバリードイル厩舎には、有力馬が綺羅星のようにいた。その中でもノーザンダンサー産駒でニジンスキーの甥に当たるザミンストレルは期待馬であり、厩舎の一番手と評価されていた。そのため、本馬に対する注目度はあまり高くなかった。

競走生活(3歳中期まで)

2歳11月にカラー競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利戦で、T・マーフィー騎手を鞍上にデビュー。1番人気に応えて8馬身差で圧勝した。しかし陣営はデューハーストSを勝ったザミンストレルを英国や愛国のクラシック路線に進めることにしたため、本馬はそのまま休養入りし、この段階で翌年のクラシック路線には不参戦となることが事実上決定した。

3歳時は4月にレパーズタウン競馬場で行われたバリードイルS(T10F)から始動して2馬身差で快勝した。しかし対戦相手が弱かったため、本馬の評価はあまり上がらなかった。そのため、パエダー・マシュース騎手鞍上で出走した5月のロイヤルホイップS(愛GⅢ・T12F)では、単勝オッズ34倍の7番人気だった。単勝オッズ2.25倍の1番人気に推されていたのはレスター・ピゴット騎手が騎乗した同厩馬ヴァリンスキー(後のパリ大賞2着馬)であり、他にも愛セントレジャー・ガリニュールS・ニジンスキーSの勝ち馬メネヴァル、後のブランドフォードS勝ち馬パナミントなどの姿もあった。しかし蓋を開けてみれば、本馬がヴァリンスキーを1馬身差の2着に、パナミントを3着に下して勝利を収めていた。

2週間後のガリニュールS(愛GⅡ・T12F)では、ピゴット騎手を鞍上に迎え、ベレスフォードS・ニジンスキーSを勝ちウィリアムヒルフューチュリティSで3着だったオーケストラ(後の愛セントレジャー2着馬)を1馬身差の2着に、後の愛セントレジャー馬トランスワールドを着外に破って勝利した。ピゴット騎手は本馬の主戦となり、以降の本馬の全レースに騎乗する事になる。

その後はしばらく休養し、8月にグレートヴォルティジュールS(英GⅡ・T12F)に出走。英ダービーでザミンストレルの首差2着だったチェスターヴァーズ勝ち馬ホットグローブ、愛ダービーでザミンストレルの1馬身半差2着だったダンテS勝ち馬ラッキーソブリン、キングエドワードⅦ世S勝ち馬クラシックイグザンプルなどが相手となり、単勝オッズ3.5倍の2番人気での出走となった。しかし本馬が2着クラシックイグザンプルに7馬身差、3着ラッキーソブリンにはさらに3馬身差、4着ホットグローブにはさらに短頭差をつけて圧勝した。この頃、英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを勝っていたザミンストレルが種牡馬入りを優先して早々に引退したため、本馬はようやくバリードイル厩舎の一番手と評価されるようになった。

次走の英セントレジャー(英GⅠ・T14F127Y)では、単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された。スタートが切られると、グレガリアスという馬が先頭に立ち、本馬はそれを追って先行。残り4ハロン地点で先頭に立ってそのままドンカスター競馬場の長い直線を押し切ろうとした。しかしそこへ本馬に並びかけてきた馬がいた。英国女王エリザベスⅡ世の所有馬である英オークス馬ダンファームリンだった。同厩馬グレガリアスに本馬の前を走らせて、自身は後方で様子を伺っていたダンファームリンに残り2ハロン地点で並ばれた本馬は、残り1ハロン地点で競り負けて、1馬身半差の2着に敗れた(3着馬クラシックイグザンプルは本馬から10馬身後方だった)。この結果に失望したフルオル氏は自身が所有していた本馬の権利を売ってしまった。

凱旋門賞(3歳時)

それでも、続いて出走した凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)では、ダンファームリン、仏ダービー・ニエル賞の勝ち馬でリュパン賞2着のクリスタルパレス、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでザミンストレルの短頭差2着していた伊ダービー・ハードウィックS勝ち馬オレンジベイ、前年に英セントレジャー・ユジェーヌアダム賞を勝ち凱旋門賞でもイヴァンジカの2着していたクロウ、愛ダービー・ジョーマクグラス記念S・フォワ賞の勝ち馬マラケート、仏オークスとヴェルメイユ賞でいずれも3着だったファビュルージェーン、クリテリウムデプーリッシュ(現マルセルブサック賞)・ヴェルメイユ賞の勝ち馬カミシア、一昨年の凱旋門賞でスターアピールの2着・前年のワシントンDC国際Sでユースの2着していたコンセイユドパリ賞勝ち馬オンマイウェイ、ダリュー賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬カーホワイト、12年前の凱旋門賞を圧勝したシーバードの息子でガネー賞などを勝っていたアークティックターン、ガネー賞・伊ジョッキークラブ大賞の勝ち馬インフラグリーン、愛1000ギニー・ヨークシャーオークスの勝ち馬でヴェルメイユ賞2着のサラシドンズ、仏グランクリテリウムでブラッシンググルームの2着だったアミュントール、ムーランドロンシャン賞2着馬モンシニョール、ヴィシー大賞の勝ち馬ガダニーニ、7年前の凱旋門賞でニジンスキーを破ったササフラの息子であるドーヴィル大賞勝ち馬ドムアラリック、オカール賞勝ち馬モンコントゥール、ロイヤルホイップSで本馬の3着だったパナミント、ニュージーランドから遠征してきてセレクトSを勝っていた新2000ギニー・新ダービー勝ち馬バルメリノ、米国から来たアーリントンH勝ち馬カニングトリック、アルゼンチンから遠征してきた亜1000ギニー・セレクシオン大賞勝ち馬ミアといった欧州内外から集結した有力馬達を抑えて1番人気に支持された。

スタートから先頭に立った本馬は後続を引きつけながら逃げてスローペースに持ち込んだ。そのままの状態で直線に入ると、残り400m地点で二の脚を使って後続を引き離しにかかった。ゴール前ではバルメリノが猛然と追ってきたが、バルメリノを1馬身半差の2着に抑えて優勝した。バルメリノから2馬身差の3着にクリスタルパレスが入り、前走で本馬を破ったダンファームリンはさらに短首差の4着だった。鞍上のピゴット騎手は「大半の騎手や調教師や馬主は、自分の馬が早い段階で先頭に立つのを好まないものですが、正しく乗ればレースを支配する事が出来るため楽に勝てます。その意味において、この馬は一番乗りやすい馬です」と語った。

3歳時の成績は6戦5勝で、この年から始まった国際クラシフィケーション(現ワールドサラブレッドランキング)では138ポンドという、全世代を通じてこの年最高の評価を得た(2位はザミンストレルとブラッシンググルームの135ポンド)。

この時期、高額のシンジケートが組まれて米国で種牡馬入りしたザミンストレルのおかげでサングスター氏の財政状況が良好であった事や、ザミンストレルの早期引退の理由ともなった米国における欧州馬の渡米禁止措置(欧州で馬伝染性子宮炎という細菌感染症が流行したため)が継続していた事などもあり、本馬の種牡馬入りを急ぐ必要が無いと判断したサングスター氏は翌年も本馬を現役続行させることにした。

競走生活(4歳時):凱旋門賞2連覇

4歳時は5月のロイヤルホイップS(愛GⅢ・T12F)から始動。前年は人気薄だったが、この年は当然1番人気に支持され、2着アイリッシュリドルに2馬身半差をつけて快勝した。しかしこの後、この年の夏の堅い馬場状態が脚部不安を抱える本馬に合わないと判断されたために夏場の競走には出ずに休養入りした。さらに、ウイルス性の疾患に罹ったために復帰が遅れてしまった。

秋は凱旋門賞2週間前のプランスドランジュ賞(仏GⅢ・T2000m)で復帰し、2着ルクソールに2馬身半差をつけて2分2秒3のコースレコードで勝利。2度目の凱旋門賞に何とか間に合わせることが出来た。

そして迎えた凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)では、仏ダービー・リュパン賞の勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSでは2位入線するも失格となっていたアカマス、仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞の勝ち馬で英オークス2着のダンシングメイド、ユジェーヌアダム賞の勝ち馬ゲイメセン、オカール賞勝ち馬で仏ダービー2着のフレールバジル、ガネー賞・ドラール賞・フォワ賞などの勝ち馬で仏オークス・ロワイヤルオーク賞・イスパーン賞・サンクルー大賞2着のトリリオン、英セントレジャーを勝ってきたジュリオマリナー、バリモスS勝ち馬で愛ダービー2着のエクスダイレクトリー、前年の凱旋門賞では10着だったサンクルー大賞・ジャンドショードネイ賞勝ち馬ガダニーニ、前年の凱旋門賞では19着だったハードウィックS勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS3着のモンコントゥール、仏ダービーとリュパン賞でいずれも3着だったターヴィル、前年の凱旋門賞では6着だったコンセイユドパリ賞・アルクール賞勝ち馬モンシニョール、パリ大賞の勝ち馬ガリアニなどを抑えて1番人気に支持された。

レースは前年と異なり重馬場で行われたが、本馬にとっては堅い馬場よりもこのくらいの馬場のほうが良いとピゴット騎手は思っていたという。スタートが切られると本馬は3番手につけた。これはピゴット騎手が無理に先頭に立つ必要も無いと考えたからだという。直線に入って先頭に立ったところでダンシングメイドが接近してきたが、本馬にあっさり振り切られた。その代わりにトリリオンが上がってきたが、これまた本馬に迫ったところまでだった。本馬が2着トリリオンに2馬身差、3着ダンシングメイドにはさらに2馬身差をつけて完勝し、1956年のリボー以来22年ぶり史上5頭目となる凱旋門賞2連覇を達成した。最初に書いたようにリボーは本馬の曽祖父であり、本馬の凱旋門賞2連覇について語られる際にはそのことがしばしば引き合いに出される。本馬以降、凱旋門賞2連覇に挑戦した馬は11頭いるが、2014年にトレヴが史上6頭目の快挙を果たすまでの間は、1985年に1位入線するも進路妨害により2着に降着となったサガスが最高成績だった。

レース後にピゴット騎手は凱旋門賞3連覇を狙ってみたらどうかとサングスター氏に提案したらしいが、当時史上最高額の1600万ドルで種牡馬シンジケートが組まれていたため、結局その提案は受け入れられる事は無く、このまま4歳時3戦全勝の成績で現役引退となった。

競走馬としての評価

この年の国際クラシフィケーションでは前年を上回る140ポンドの評価が与えられた。なお、2013年にワールドサラブレッドランキングは過去のレーティングの見直しを行い、1991年以前の評価について、1977年は全馬一律7ポンド減、1978年は全馬一律6ポンド減、というように年によって1~7ポンドの引き下げを行った。これにより、本馬の3歳時は131ポンド、4歳時は134ポンドという事になっている。確かに見直し前の数値を1991年以前と1992年以降とで比較すると、130ポンド以上の馬の平均頭数は前者が7.07頭、後者が2.24頭だった(1995年以降は米国調教馬も評価対象に含まれているため、頭数が増えた分だけ後者の方が多くなって然るべきであるはずなのだが)。特に1977年は18頭、1978年は12頭もおり、当時と近年とで評価基準に食い違いがあったのは確かであろう。しかし全馬を一律に下げるというのはやや乱暴すぎるような気はする。なお、英タイムフォーム社の本馬に対する評価は、3歳時が137ポンド、4歳時が138ポンドとなっている。

後にオブライエン師は本馬を、自身が調教した最高の馬の1頭であると評価した。また、ピゴット騎手も、2度の凱旋門賞はいずれも楽勝であり、自身が騎乗した最高の馬の1頭であると評している。

血統

Hoist the Flag Tom Rolfe Ribot Tenerani Bellini
Tofanella
Romanella El Greco
Barbara Burrini
Pocahontas Roman Sir Gallahad
Buckup
How Princequillo
The Squaw
Wavy Navy War Admiral Man o'War Fair Play
Mahubah
Brushup Sweep
Annette K.
Triomphe Tourbillon Ksar
Durban
Melibee Firdaussi
Metairie
Princess Pout Prince John Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Not Afraid Count Fleet Reigh Count
Quickly
Banish Fear Blue Larkspur
Herodiade
Determined Lady Determine Alibhai Hyperion
Teresina
Koubis Mahmoud
Brown Biscuit
Tumbling War Admiral Man o'War
Brushup
Up the Hill Jacopo
Gentle Tryst

父ホイストザフラッグはリボー直子の名馬トムロルフ産駒で、現役成績は6戦5勝。2歳時にカウディンS勝ちなど4戦3勝の成績(シャンペンSでは1位入線したが失格)を挙げて1970年の米最優秀2歳牡馬に選ばれた。3歳時もベイショアSなど2連勝したが、ケンタッキーダービー目前の5月に調教中の故障のため引退した。種牡馬としても成功し、1981年に北米2歳首位種牡馬に輝いた他、1987年の北米母父首位種牡馬にも輝いているのだが、それより前の1980年に12歳で早世している。

母プリンセスパウトは競走馬としては米国で走り31戦13勝、シープスヘッドベイH2回・ベンジャミンFリンドハイマーH・ニューヨークHに勝っている。本馬の半妹アレッジドリー(父サーアイヴァー)の孫にテイキングリスクズ【フィリップHアイズリンH(米GⅠ)】がいる。プリンセスパウトの母ディターミンドレディの半妹アヴァランチリリーの子には第1回ジャパンCを制したメアジードーツがいる。母系はセクレタリアト、ニシノフラワー、ロードカナロアと同じだが、いずれも本馬の近親というには遠すぎる。→牝系:F2号族④

母父プリンスジョンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、米国ケンタッキー州ウォルマック国際ファームで種牡馬入りした。本馬が種牡馬生活を送ったのはノーザンダンサーの系統が隆盛を極めた時代だったが、ノーザンダンサーどころかその祖父ネアルコの血も持たない本馬は、ノーザンダンサーの血を有する繁殖牝馬に交配しやすかったために人気種牡馬となった。そして98頭のステークスウイナーを出して成功を収めた。繁殖牝馬の父としても優秀で、85頭以上のステークスウイナーを出している。1997年に種牡馬を引退。2000年に老衰のため26歳で他界し、遺体はウォルマック国際ファームに埋葬された。後継種牡馬にはあまり恵まれていないが、母系に本馬の血を有する活躍馬は少なくない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1980

Sylph

プリンセスロイヤルS(英GⅢ)

1981

Montelimar

ガリニュールS(愛GⅡ)

1981

Surely Georgie's

テンプテッドS(米GⅢ)

1982

April Again

クイーンシャーロットH(米GⅡ)

1982

Kazaroun

ゴードンS(英GⅢ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)

1982

Law Society

愛ダービー(愛GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅡ)・アングルシーS(愛GⅢ)・チェスターヴァーズ(英GⅢ)

1982

Leading Counsel

愛セントレジャー(愛GⅠ)・アーディノードスタッドS(愛GⅢ)

1982

Nemain

ブランドフォードS(愛GⅡ)2回

1983

Jurado

エミリオトゥラティ賞(伊GⅡ)・ヴィットリオディカプア賞(伊GⅡ)

1983

Midway Lady

英1000ギニー(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・メイヒルS(英GⅢ)

1983

Nomrood

チェスターヴァーズ(英GⅢ)

1983

Sharaniya

エヴリ大賞(仏GⅡ)・ミネルヴ賞(仏GⅢ)・ロワイヤリュー賞(仏GⅢ)

1983

Wise Counsellor

デズモンドS(愛GⅢ)

1984

Fair Judgment

愛国際S(愛GⅡ)・サイテーションH(米GⅡ)・スプリームS(英GⅢ)

1984

Fiesta Gal

マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)

1984

Jalaajel

キングエドワード金杯(加GⅢ)

1984

Laluche

メイヒルS(英GⅢ)

1984

Lawyer Talk

ガーデニアH(米GⅢ)

1984

Milesius

マンハッタンH(米GⅠ)2回・レキシントンS(米GⅡ)・ニュージャージーターフクラシックS(米GⅢ)・バドワイザーターフクラシックS(米GⅢ)

1984

Sir Harry Lewis

愛ダービー(愛GⅠ)・ディーS(英GⅢ)

1985

Animatrice

マルレ賞(仏GⅡ)・ノネット賞(仏GⅢ)

1985

Hours After

仏ダービー(仏GⅠ)

1985

Mazzacano

グッドウッドC(英GⅢ)

1986

Brush Aside

ジョンポーターS(英GⅢ)

1986

Husyan

ブリガディアジェラードS(英GⅢ)・スコティッシュクラシック(英GⅢ)

1986

Legal Case

英チャンピオンS(英GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)・セレクトS(英GⅢ)

1986

Slender Style

メルドS(愛GⅢ)

1987

Miss Alleged

BCターフ(米GⅠ)・ハリウッドターフCS(米GⅠ)・マルレ賞(仏GⅡ)・ロワイヨモン賞(仏GⅢ)

1988

Always Earnest

カドラン賞(仏GⅠ)

1988

Sportsworld

ガリニュールS(愛GⅡ)

1989

Andros Bay

ブランドフォードS(愛GⅡ)

1989

Berceau

ロワイヨモン賞(仏GⅢ)

1989

Beyton

キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)

1989

Contested Bid

ホイストザフラッグS(米GⅢ)

1989

Jape

グイドベラルデリ賞(伊GⅡ)・伊セントレジャー(伊GⅢ)

1989

Muhtarram

愛チャンピオンS(愛GⅠ)・伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅡ)2回

1989

Non Partisan

独セントレジャー(独GⅡ)・フュルシュテンベルクレネン(独GⅢ)

1989

Party Cited

イエルバブエナH(米GⅢ)

1989

Silvernesian

伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)

1990

Molesnes

カドラン賞(仏GⅠ)・ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)

1991

Always Aloof

アンダーウッドS(豪GⅠ)・グラディアトゥール賞(仏GⅢ)

1991

Shahmiad

伊オークス(伊GⅠ)

1991

Strategic Choice

愛セントレジャー(愛GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・ジョンポーターS(英GⅢ)

1992

Beyrouth

オールアロングS(米GⅡ)

1992

Eva Luna

パークヒルS(英GⅢ)

1992

Flemensfirth

リュパン賞(仏GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)・ドラール賞(仏GⅡ)2回

1992

Kassani

ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)

1993

Flat Top

米グランドナショナル(米GⅠ)2回

1993

Lakeshore Road

スターズ&ストライプスBCH(米GⅢ)

1993

Odyle

サンフェリペS(米GⅡ)・ヴォランテH(米GⅡ)

1993

Shantou

英セントレジャー(英GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)

1993

Tulipa

リブルスデールS(英GⅡ)・ロワイヤリュー賞(仏GⅡ)・ペネロープ賞(仏GⅢ)・レニャーノ賞(伊GⅢ)

1994

Astarabad

ガネー賞(仏GⅠ)・アルクール賞(仏GⅡ)・アンドレバボワン賞(仏GⅢ)

1995

Profit Option

WLマックナイトH(米GⅡ)

1995

Williams News

スターズ&ストライプスBCH(米GⅢ)・エルクホーンS(米GⅢ)

1997

Lermontov

ベレスフォードS(愛GⅢ)

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