ユース
和名:ユース |
英名:Youth |
1973年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:アクアク |
母:ガザラ |
母父:ダークスター |
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仏ダービーを勝つなど仏国で活躍していたが3歳暮れに北米に遠征して加国際S・ワシントンDC国際Sをいずれも圧勝して世界的名声を獲る |
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競走成績:2・3歳時に仏英加米で走り通算成績11戦8勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
米国テキサス州に住んでいた石油業者ネルソン・バンカー・ハント氏により米国メリーランド州において生産・所有された。ハント氏は凱旋門賞馬ヴェイグリーノーブルやその娘であるキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2連覇の女傑ダリアを所有していた馬主でもあり、本馬が誕生した頃には世界最大規模の馬産活動を行っていた。本馬を預かったのはハント氏の専属調教師だった仏国モーリス・ジルベール師であり、当時まだ現役競走馬だったダリアは同厩馬だった。
競走生活(3歳前半まで)
2歳9月にロンシャン競馬場で行われたフォンテノイ賞(T1600m)でデビューして、1馬身半差で勝利した。翌10月にはサンロマン賞(仏GⅢ・T1800m)に出走。しかしここでは、ノーザンダンサーの息子でニジンスキーの甥という良血馬ファーノースの2馬身半差2着に敗退。2歳時の成績は2戦1勝となった。
本馬が2歳シーズンを終えるのと時を同じくして米国に転厩したダリアはジルベール厩舎を去ったが、それでもジルベール厩舎には、トーマブリョン賞2着馬エンペリー、コンデ賞3着馬エクセラーといった、本馬と同世代の将来性が豊かな馬達が多くおり、ジルベール師は大忙しだった。本馬、エンペリー、エクセラーはいずれもハント氏の所有馬であり、陣営は3頭を使い分けることにした。エンペリーは仏2000ギニーに、エクセラーは裏路線からパリ大賞に向かい、本馬は仏ダービーを目標とする事になった。
まずは4月のグレフュール賞(仏GⅡ・T2100m)から始動した。仏グランクリテリウム2着馬コメラムなどが対戦相手となったが、主戦となるフレッド・ヘッド騎手を鞍上に、2着ヴェリーノに1馬身半差、3着ユールロッグにもさらに1馬身半差をつけて勝利。その2週間後に出走したダリュー賞(仏GⅡ・T2100m)も、先行抜け出しの優等生的な競馬で、2着ダネスティックに4馬身差、3着フレンチスキャンダルにさらに1馬身半差をつけて完勝した。ダリュー賞の1か月後にはリュパン賞(仏GⅠ・T2100m)に出走。ここには、仏2000ギニーで4着に負けてしまったエンペリーも参戦してきた。もう1頭の強敵は、仏国競馬史上最強馬シーバードの息子であるトーマブリョン賞・フォンテーヌブロー賞の勝ち馬アークティックターンだった。しかし本馬が2着アークティックターンに3/4馬身差、3着エンペリーにはさらに1馬身差をつけて勝利した。
次走は仏ダービー(仏GⅠ・T2400m)となった。この仏ダービーの4日前に行われた英ダービーでエンペリーが英2000ギニー馬ウォロー以下に完勝したため、本馬の評判はうなぎのぼりとなり、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。レースでも先行抜け出しの完璧な競馬で、ノアイユ賞の勝ち馬ツイッグモス、フォルス賞の勝ち馬マラケート、アークティックターンなどを一蹴。2着ツイッグモスに3馬身差、3着マラケートにはさらに3/4馬身差をつけて完勝。所有者のハント氏に、1950年のマルセル・ブサック氏以来26年ぶりとなる同一馬主による英ダービー・仏ダービー同一年ダブル制覇をプレゼントした。
その後の愛ダービーはエンペリーに譲り、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ・T12F)に直行した。主な対戦相手は、愛ダービーでエンペリーを2馬身半差の2着に破って勝ってきたマラケート、英オークス・仏オークス・ペネロープ賞・クレオパトル賞など5連勝中の仏国調教3歳牝馬ポーニーズ、ヨークシャーCを勝ちハードウィックSで2着してきた前年の英セントレジャー馬ブルーニ、ジョッキークラブS・ハードウィックSを勝ってきた前年の伊ダービー馬オレンジベイ、前年のコロネーションCで名馬バスティノの2着だったドーヴィル大賞・ジャンドショードネイ賞の勝ち馬でサンクルー大賞2年連続2着のアシュモア、前年のプリンスオブウェールズS・ゴントービロン賞の勝ち馬で伊共和国大統領賞2着のレコードランなどだった。スタートが切られると紅一点のポーニーズが先頭に立ち、本馬は馬群の中団好位を進んだ。そのままの態勢で三角を回って四角に入ってきたのだが、ここで本馬は外側に大きく膨らみ、直線入り口で体勢を崩してしまった。その後は逆にどんどん内側によれていき、全く前との差を詰められないままで、逃げ切って勝ったポーニーズから11馬身差の9着と惨敗してしまった。
競走生活(3歳後半)
その後は凱旋門賞を目指して、9月のニエル賞(仏GⅢ・T2200m)に向かった。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの内容が影響したのか、ヘッド騎手は本馬の鞍上を去っており、ここで本馬に騎乗したのはエンペリーを英ダービー馬に導いたレスター・ピゴット騎手だった。アークティックターンやマラケートが対戦相手となったが、後続にそれほど差をつけずに余力を残して勝つピゴット騎手流の勝ち方で、2着アークティックターンに3/4馬身差、3着マラケートにはさらに2馬身半差で勝利した。
そして迎えた凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)では、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞を連勝してきたエクセラーと最初で最後の対戦となった。なお、エンペリーはマンノウォーSを目指して米国に遠征したが輸送中に体調を崩してそのまま引退していた。他の対戦相手は、ポーニーズ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2着後にカンバーランドロッジSを勝っていたブルーニ、英セントレジャー・ユジェーヌアダム賞を勝ってきたベンソン&ヘッジズ金杯2着馬クロウ、ヴェルメイユ賞でポーニーズを圧倒してきた愛オークス馬ラギュネット、サンクルー大賞を古馬牡馬相手に勝っていたこの年の仏1000ギニー・サンタラリ賞・グロット賞の勝ち馬で仏オークス2着のリヴァークイーン、プランスドランジュ賞を勝ってきた前年の仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞・ノネット賞の勝ち馬でイスパーン賞2着のイヴァンジカ、前年の凱旋門賞2着馬オンマイウェイ、ドラール賞・コートノルマンディ賞・プランスドランジュ賞・フォワ賞の勝ち馬でガネー賞2着のカスティール、ノルウェーセントレジャーなどを勝っていたノルウェー最強馬ノーブルダンサー、アークティックターン、ツイッグモスなどだった。ピゴット騎手がクロウに騎乗したため、本馬にはW・パイアーズ騎手が騎乗した。
本馬とエクセラーのカップリングが単勝オッズ3倍の1番人気に支持され、ブルーニが単勝オッズ3.5倍の2番人気、ポーニーズとクロウのカップリングが単勝オッズ6.25倍の3番人気、リヴァークイーンとイヴァンジカのカップリングが単勝オッズ8.1倍の4番人気となった。スタートが切られるとポーニーズが先頭に立ったが、それにカスティールが絡んで2頭が後続を大きく引き離した。本馬はクロウやブルーニといった他の有力馬勢と共に3番手集団の前目につけた。直線に入ってしばらくしたところでポーニーズは失速し、本馬はクロウやブルーニなどと共に進出していった。しかし本馬よりもクロウのほうが脚色は良く、本馬は徐々に引き離されていった。そして次の瞬間、大外から追い込んできたイヴァンジカがクロウや本馬を一気に抜き去り、2着クロウに2馬身差で勝利。本馬はクロウからさらに3馬身差の3着、エクセラーは19着に敗退した。勝ったイヴァンジカの鞍上にいたのは、実に皮肉なことにヘッド騎手だった。
凱旋門賞の20日後、本馬の姿は加国ウッドバイン競馬場にあった。加国際S(加GⅠ・T13F)に出走するためだった。米国に住んでいたハント氏は、欧州で走らせた所有馬を北米に遠征させる事が多く、この競走も2年前にダリアで既に勝利していた。このレースには、エンペリーが出走できなかったマンノウォーSでダリアを破って勝っていたエファヴェシングの姿もあったのだが、この年のダリアに騎乗した経験もあったサンディ・ホウリー騎手騎乗の本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に応えて、2着となったパンアメリカンSの勝ち馬でユナイテッドネーションズH2着のインプロヴァイザーに4馬身差、3着エファヴェシングにはさらに7馬身差をつけて圧勝した。
続いてワシントンDC国際S(米GⅠ・T12F)に出走した。対戦相手は、ヘッド騎手と共に遠征してきたイヴァンジカ、凱旋門賞で本馬から短首差の4着だったノーブルダンサー、凱旋門賞で9着だったオンマイウェイ、英チャンピオンS・クイーンエリザベスⅡ世S2回・ネルグウィンSの勝ち馬でサセックスS・英チャンピオンS2着のローズボウル、オイロパ賞2回・ベルリン大賞・ウニオンレネン・独セントレジャーの勝ち馬ウインドワーフ、ブラジルのGⅠ競走ブラジル大賞の勝ち馬ヤヌス、日本から参戦してきた天皇賞秋・宝塚記念・高松宮杯・東京新聞杯・ダイヤモンドSの勝ち馬で有馬記念2着のフジノパーシアの計7頭だった。しかしレースは単勝オッズ2.8倍の1番人気に支持された本馬の強さだけが目立つ結果となり、2着オンマイウェイに同競走史上最大となる10馬身差をつけて大圧勝。さらに鼻差の3着に敗れたイヴァンジカに凱旋門賞の借りを返した。ワシントンDC国際Sはこれで3年前のダリア、一昨年のアドメタス、前年のノビリアリーに続いて4年連続で仏国調教馬が勝利した事になった。本馬は既に600万ドルの種牡馬シンジケートが組まれていたため、このレースを最後に3歳時9戦7勝の成績で引退した。この年のエクリプス賞最優秀芝馬に選出されている。
血統
Ack Ack | Battle Joined | Armageddon | Alsab | Good Goods |
Winds Chant | ||||
Fighting Lady | Sir Gallahad | |||
Lady Nicotine | ||||
Ethel Walker | Revoked | Blue Larkspur | ||
Gala Belle | ||||
Ethel Terry | Reaping Reward | |||
Mary Terry | ||||
Fast Turn | Turn-to | Royal Charger | Nearco | |
Sun Princess | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | |||
Lavendula | ||||
Cherokee Rose | Princequillo | Prince Rose | ||
Cosquilla | ||||
The Squaw | Sickle | |||
Minnewaska | ||||
Gazala | Dark Star | Royal Gem | Dhoti | Dastur |
Tricky Aunt | ||||
French Gem | Beau Fils | |||
Fission | ||||
Isolde | Bull Dog | Teddy | ||
Plucky Liege | ||||
Fiji | Bostonian | |||
O Girl | ||||
Belle Angevine | L'Amiral | Admiral Drake | Craig an Eran | |
Plucky Liege | ||||
Hurrylor | Vatellor | |||
Hurry Off | ||||
Bella | Canot | Nino | ||
Canalette | ||||
Bayan Kara | Dark Legend | |||
Black Domino |
父アクアクは当馬の項を参照。
母ガザラも本馬と同じくハント氏の生産・所有馬だが、生国は米国ではなく仏国である。競走成績・繁殖成績いずれも一級品だった。競走馬としては、クリテリウムドメゾンラフィット・グロット賞・仏1000ギニー・仏オークスに勝利し、1967年の仏最優秀3歳牝馬に選出。繁殖牝馬としては、本馬の半兄ミシシッピアン(父ヴェイグリーノーブル)【仏グランクシテリウム(仏GⅠ)・ニエル賞(仏GⅢ)】、半弟ゴンザレス(父ヴェイグリーノーブル)【愛セントレジャー(愛GⅠ)・ガリニュールS(愛GⅡ)・ブランドフォードS(愛GⅡ)】、半弟シルキーベイビー(父ワットアプレジャー)【ギシュ賞(仏GⅢ)】などを産み、1976年の仏最優秀繁殖牝馬に選出された。本馬の半妹エクスペディエンシー(父ヴェイグリーノーブル)の子にビンシャッダード【シュプレティレネン(独GⅢ)・ゲルゼンキルヒェン経済大賞(独GⅢ)・バーデナーマイレ(独GⅢ)】、オーソーリスキー【グラディアトゥール賞(仏GⅢ)】、孫にハードバック【リネアヂパウラマシャド大賞(伯GⅠ)・ガルフストリームパークBCターフS(米GⅠ)】がいる。
ガザラの母ベルアンジェヴァインの半兄には、ブルゴス【サンクルー大賞】、ベルホップ【ボーリンググリーンH】がいる。ベルアンジェヴァインの祖母バヤンカラの半兄にはバルネヴェル【クリテリウムドサンクルー・パリ大賞・仏共和国大統領賞】がいる。→牝系:F8号族①
母父ダークスターは現役成績13戦6勝。ハイアリアジュヴェナイルS・ダービートライアルSを制して挑んだケンタッキーダービーを勝利し、ここで頭差の2着に敗れたネイティヴダンサーに生涯最初で最後の黒星を付けた馬として世界的に有名である。その後のプリークネスSのレース中に故障してネイティヴダンサーの5着に敗れて引退した。種牡馬としては最初に米国、後に仏国で供用され、26頭のステークスウイナーを出し、本馬が産まれる前年に他界している。ダークスターの父ロイヤルジェムは豪州産馬で、アスコットヴェイルS・コーフィールドギニー・カンタラS・グッドウッドH・コーフィールドC・トゥーラックH・ニューマーケットH・豪フューチュリティS・アンダーウッドSに勝つなど51戦23勝の成績を残した豪州の名馬。競走馬引退後は豪州ではなく米国で供用された。さらに遡るとチェシャムSの勝ち馬ドーティ、愛ダービー・コロネーションC・英チャンピオンS・キングエドワードⅦ世S・サセックスSの勝ち馬ダスターを経て、ソラリオへと続く。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州ゲインズウェイファームで種牡馬入りした。種牡馬としても名馬ティーノソを始めとする複数の活躍馬を輩出したが、1987年にブラジルに輸出された。ブラジルでも複数のGⅠ競走勝ち馬を輩出したが、没年は資料に記載が無く不明である(1995年産馬が最終世代なので、1994年までは生きていたはずである)。
代表産駒のティーノソが種牡馬として不成功に終わったこともあり、直系は伸びず、現在は母系のみでその名を見ることが出来る。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1978 |
Rattling Wind |
レニャーノ賞(伊GⅢ) |
1979 |
Buchanette |
フロール賞(仏GⅢ)・カリフォルニアジョッキークラブH(米GⅢ) |
1980 |
Sharaya |
ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ノネット賞(仏GⅢ) |
1980 |
英ダービー(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・リングフィールドダービートライアルS(英GⅢ)・オーモンドS(英GⅢ) |
|
1981 |
Seismic Wave |
オーモンドS(英GⅢ) |
1986 |
Young Mother |
ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・マルレ賞(仏GⅡ) |
1989 |
Palemon |
イピランガ大賞(伯GⅠ)・ダービーパウリスタ大賞(伯GⅠ) |
1990 |
Luzette |
ゼリアゴンザガペイショデカストロ大賞(伯GⅠ)・南米サラブレッド奨励機構大賞(伯GⅠ) |