ウォロー
和名:ウォロー |
英名:Wollow |
1973年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ウォルヴァーホロー |
母:ウィチュレイアナ |
母父:ワードン |
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英2000ギニーなどGⅠ競走を5勝して、英国の名伯楽ヘンリー・セシル調教師が手掛けた最初の大物競走馬となるも、種牡馬としては不振に終わる |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績11戦9勝 |
誕生からデビュー前まで
愛国タリホースタッドにおいて誕生した。タリホースタッドは元々クリーボーイスタッドという名称で、かつて凱旋門賞馬ヴェイグリーノーブルが誕生した場所だった。牧場所有者のライオネル・B・ホリデー少佐が死去した後に売りに出され、アーサー・ボイド・ロックフォート氏の手に渡っていた。このロックフォート氏は、英王室のお抱え調教師として英国平地首位調教師に5回輝いたセシル・ボイド・ロックフォート調教師の父だった。
本馬は1歳時に7千ギニーで取引されて、伊国の一流弁護士を務める傍ら、英国で積極的に馬主活動も行っていたカルロ・D・アレッシオ氏の所有馬となった。アレッシオ氏から本馬を預けられたのは、ロックフォート師の義理の息子ヘンリー・セシル調教師だった。セシル師の父は彼が物心つく前に第二次世界大戦で戦死しており、遺された母はロックフォート師と再婚していた。成長した彼は義父ロックフォート師の手伝いをしながら勉強をして、26歳時の1969年に調教師として開業していた。そしてこの年に管理馬ウォルヴァーホロー(本馬の父である)でエクリプスSを勝利して一躍注目されていた。セシル師はアレッシオ氏から既に本馬より1歳年上のボルコンスキーを任されており、ボルコンスキーで英2000ギニーを制覇して最初の英国クラシックを獲得していた。後にここに挙げ切れないほど数々の名馬を手掛けることになるセシル師にとっては、本馬が最初に手掛けた大物競走馬となる。所有者が伊国の人だったためか、主戦騎手は、ボルコンスキーの主戦でもあった伊国出身のジャンフランコ・デットーリ騎手(ランフランコ・デットーリ騎手の父)が務めた。
競走生活(2歳時)
2歳時にニューマーケット競馬場で行われた距離7ハロンの未勝利ステークスでデビューして、2着となった後のチェスターフィールドCの勝ち馬フルーエレンに2馬身差をつけて勝ち上がった。引き続きニューマーケット競馬場で出走したフィッツロイハウスS(T6F)も2馬身差で勝利。その後は英シャンペンS(GⅡ・T7F)に駒を進め、2着ソリタリーヘイルに1馬身半差、後にアベイドロンシャン賞2回・ジュライC・コーク&オラリーS・ダイアデムSを勝つ3着ジョンティオンブルにはさらに3/4馬身差をつけて勝利した。
そしてニューマーケット競馬場に戻ってデューハーストS(GⅠ・T7F)に単勝オッズ2.5倍の評価で出走。フライングチルダースS・ミドルパークSを勝ってきたヒッタイトグローリー、愛国最強2歳馬と言われていたマリノウスキーなどが対戦相手となったが、2着マリノウスキーに1馬身半差をつけ、1分25秒83のコースレコードで完勝。2歳時は4戦全勝の成績を残し、英国2歳フリーハンデでは2位の馬に5ポンド差の133ポンドというトップの評価を得た。
競走生活(3歳時)
3歳時は4月のグリーナムSから英2000ギニーを目指すという王道路線を進んだ。まずはグリーナムS(GⅢ・T7F)に出走して、ジュライSの勝ち馬スーパーキャバリエを1馬身半差の2着に、ジョンティオンブルをさらに1馬身差の3着に破って勝利。
そして5戦全勝で迎えた英2000ギニー(GⅠ・T8F)では、単勝オッズ34倍の人気薄だった前年のボルコンスキーとは異なり、単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。レースではロベールパパン賞・モルニ賞の勝ち馬でサラマンドル賞2着の仏国調教馬ヴィティージとの対決となった。デットーリ騎手は本馬に道中は中団を進ませ、残り2ハロン地点で仕掛けると、先に外側から抜け出しを図ったヴィティージを一気に差し切り、そのままヴィティージを1馬身半差の2着に下して優勝した。勝ちタイムの1分38秒09は、確実な記録が残る1952年以降では英2000ギニー最速だった。また、アレッシオ氏は、1881・82年にペレグリンとショットオーヴァーで連覇した初代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナー卿以来久方ぶりに英2000ギニー連覇馬主となった。
次走の英ダービー(GⅠ・T12F)では血統面から距離不安が囁かれていながらも、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。これは英2000ギニーより僅かに高いオッズだったが、2番人気の仏国調教馬エンペリー、ブルーリバンドトライアルSを勝ってきたオートの2頭が単勝オッズ11倍だったから、断然の1番人気と言っても良い評価だった。エンペリーの所有者だった米国の富豪ネルソン・バンカー・ハント氏は、テキサス州ダラスの自宅で実施された自身の銀婚式の出席を優先しており、エプソム競馬場には姿を見せていなかった。しかしレースはそのエンペリーが直線入り口4番手から抜け出して勝利を収め、馬群の中団を進んだ本馬はタッテナムコーナーで進路を失って位置取りを上げられず、直線の追い上げ及ばずに5馬身差の5着に敗れた。
エンペリーはリュパン賞でユースの3着などの実績はあったが、過去に6戦して勝ち星はデビュー戦のみという成績ながら2番人気に推されていた。この事から、この年の英国3歳馬のレベルはあまり高くないとみなされていた事が伺え、本馬がその実力を証明するには古馬を相手に活躍する必要があった。それに加えて距離不安があったせいもあるのだろう、次走は愛ダービーではなく古馬相手のエクリプスS(GⅠ・T10F)となった。プリンスオブウェールズS・ニエル賞・ブリガディアジェラードSを勝っていたアンズプリテンダー、英ダービーで着外に敗れた後にセントジェームズパレスSを勝ってきたラデツキー、ラクープドメゾンラフィットを勝っていた仏国調教の4歳馬トレパンといった辺りが主な対戦相手だった。レースでは馬群の中団を進み、先行して残り2ハロン地点で抜け出したトレパンを外側から追い上げたが、2馬身届かずに2位入線。しかしトレパンが薬物検査で引っ掛かって失格になったために繰り上がって勝利という結末だった。3位入線(2着に繰り上がり)のラデツキーには4馬身差をつけてはいたが、あまり素直に喜べる内容ではなかった。
その後はさらに距離を縮めて、サセックスS(GⅠ・T8F)に出走。ここでは単勝オッズ1.91倍の1番人気に支持されると、2着フリーステートに1馬身差をつけて勝利を収めた。
このままマイル路線を進むかと思われたが、陣営は次走としてベンソン&ヘッジズ金杯(GⅠ・T10F110Y)を選択。ユジェーヌアダム賞の勝ち馬で後に英セントレジャー・コロネーションCを勝つ仏国調教馬クロウ、リングフィールドダービートライアルS・グレートヴォルティジュールSの勝ち馬で仏ダービー2着のパッチ、トレパンなどが対戦相手となった。本馬は単勝オッズ3.25倍の評価であり、絶対的な本命では無かったが、好位から直線で早めに抜け出して、2着クロウに1馬身差をつけて勝利を収め、10ハロン前後の距離でも一流馬である事を今度こそ証明した。
秋は英チャンピオンS(GⅠ・T10F)に出走。ところが英2000ギニーで2着に負かしたヴィティージ、クイーンエリザベスⅡ世Sを勝ってきたローズボウル、愛2000ギニー馬ノーザントレジャーといった同世代馬達に完膚なきまでに叩きのめされ、ヴィティージの13着と惨敗。このレースを最後に、3歳時7戦5勝の成績で競走馬を引退した。10ハロン戦でも活躍をしているが、能力的にはやはりマイラーだったようである。余談だが、本馬の名前「Wollow」は上から読んでも下から読んでも同じ回文馬名である。
血統
Wolver Hollow | Sovereign Path | Grey Sovereign | Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | ||||
Kong | Baytown | |||
Clang | ||||
Mountain Path | Bobsleigh | Gainsborough | ||
Toboggan | ||||
Path of Peace | Winalot | |||
Grand Peace | ||||
Cygnet | Caracalla | Tourbillon | Ksar | |
Durban | ||||
Astronomie | Asterus | |||
Likka | ||||
Mrs. Swan Song | Sir Walter Raleigh | Prince Galahad | ||
Smoke Lass | ||||
Donati's Comet | Flying Orb | |||
Sunshot | ||||
Wichuraiana | Worden | Wild Risk | Rialto | Rabelais |
La Grelee | ||||
Wild Violet | Blandford | |||
Wood Violet | ||||
Sans Tares | Sind | Solario | ||
Mirawala | ||||
Tara | Teddy | |||
Jean Gow | ||||
Excelsa | Owen Tudor | Hyperion | Gainsborough | |
Selene | ||||
Mary Tudor | Pharos | |||
Anna Bolena | ||||
Infra Red | Ethnarch | The Tetrarch | ||
Karenza | ||||
Black Ray | Black Jester | |||
Lady Brilliant |
父ウォルヴァーホローは現役成績20戦4勝。4歳時までは勝ち切れないレースが目立ったが、5歳時に開業間もないセシル師の管理馬となると頭角を現し、エクリプスSを勝利した。他には、ニューS・クイーンエリザベスⅡ世S・プリンスオブウェールズSなどで2着している。種牡馬としても一定の成功を収めており、1976年には本馬の活躍により英愛首位種牡馬を獲得した。ウォルヴァーホローの父ソヴリンパスはグレイソヴリン産駒で、現役成績25戦8勝。ロッキンジS・テトラークS・クイーンエリザベスⅡ世Sを勝ったマイラーだった。種牡馬としてもグレイソヴリンの系統らしく仕上がり早い快速馬を多く出した。日本に輸入されてアローエクスプレスを出したスパニッシュイクスプレスの父でもある。
母ウィチュレイアナは未勝利馬だが、イタリア大賞・ミラノ大賞・グッドウッドC・ドンカスターCを勝ち、後に種牡馬として日本に輸入されたエクサー(父アークティックプリンス)の半妹に当たる。本馬の1歳年上の半姉パールリアナ(父ポールモール)も日本に繁殖牝馬として輸入され、孫にグリンモリー【新潟三歳S(GⅢ)】とマチカネワラウカド【東海ウインターS(GⅡ)・東海菊花賞(GⅡ)・白山大賞典(GⅢ)】兄弟が出ている。ウィチュレイアナの半姉アピール(父コートマーシャル)の曾孫には、スイートエマ【愛フェニックスS(愛GⅠ)】、ヴァレーヴィクトリー【CCAオークス(米GⅠ)】がいる。
ウィチュレイアナの祖母インフラレッドはかなり優秀な牝系を構築しており、ウィチュレイアナの母エクセルサの半姉ライディングレイズの曾孫にグラニューズ【伊ジョッキークラブ大賞】、玄孫世代以降にゴールドリヴァー【凱旋門賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・カドラン賞(仏GⅠ)】、ゴールドスプラッシュ【マルセルブサック賞(仏GⅠ)・コロネーションS(英GⅠ)】、ゴルディコヴァ【BCマイル(米GⅠ)3回・ロートシルト賞(仏GⅠ)4回・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・ファルマスS(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)2回・クイーンアンS(英GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】、ロイヤルレベル【アスコット金杯(英GⅠ)2回】、ゲッタウェイ【ドイツ賞(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】、アレクサンダーゴールドラン【オペラ賞(仏GⅠ)・香港C(香GⅠ)・プリティポリーS(愛GⅠ)2回・ナッソーS(英GⅠ)】、グリーンムーン【メルボルンC(豪GⅠ)・ターンブルS(豪GⅠ)】、日本で走ったダイナコスモス【皐月賞(GⅠ)】、シャドウゲイト【シンガポール航空国際C(星GⅠ)】などが、エクセルサの全姉レッドブライアーの子にパイプオブピース【ミドルパークS】、曾孫にレッドアンカー【コックスプレート(豪GⅠ)・豪シャンペンS(豪GⅠ)・コーフィールドギニー(豪GⅠ)・ヴィクトリアダービー(豪GⅠ)】、玄孫世代以降に、フィンシャルベオ【英1000ギニー(英GⅠ)・愛1000ギニー(愛GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)】などが、エクセルサの半姉レッドレイの孫にバークレイスプリングス【チェヴァリーパークS】、曾孫にミルリーフ【英ダービー(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・凱旋門賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・デューハーストS】、玄孫世代以降に日本で走ったフジキセキ【朝日杯三歳S(GⅠ)】、ニホンピロアワーズ【ジャパンCダート(GⅠ)】などがいる。インフラレッドの全姉エクレアの玄孫にはブラッシンググルーム【仏2000ギニー(仏GⅠ)・ロベールパパン賞(仏GⅠ)・モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)】もいる。→牝系:F22号族①
母父ワードンはワイルドリスクの代表産駒の一頭で、ワシントンDC国際S・ローマ賞・コンセイユミュニシパル賞・プランスドランジュ賞を勝つなど21戦6勝。種牡馬としても仏国種牡馬ランキングで上位に入る活躍を見せた。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は120万ポンドのシンジケートが組まれて、英国バンステッドマナースタッドで種牡馬入りした。しかし種牡馬成績は不振を極めた。1981年に日本中央競馬会により購入され、翌年から日本軽種馬協会下総種馬場で供用開始された。初年度は67頭、2年目は62頭の繁殖牝馬を集めたが、3年目は34頭、那須種馬場に移動した4年目の1985年は6頭に減少。その後は交配数確保のために日本軽種馬協会が所有する各地の牧場を回った。静内種馬場に移動した5年目は40頭、6年目は31頭、7年目は28頭、九州種馬場に移動した8年目は30頭、9年目は44頭、10年目は37頭、七戸種馬場に移動した11年目は7頭、12年目は4頭、静内種馬場に戻った13年目の1994年は19頭の交配数だった。1995年以降は交配数が0頭であり、1997年4月をもって正式に種牡馬を引退。おそらく同年に他界したと思われる。日本でもあまり成功することは出来ず、全日本種牡馬ランキングは1987年の55位が最高だった。繁殖牝馬の父としてはザグレブを出している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1983 |
ウォロービジョン |
新春グランプリ(名古屋) |
1983 |
ナスノノボル |
宇都宮記念(宇都宮)・とちぎ大賞(宇都宮) |
1984 |
マロングラッセ |
金鯱賞(GⅢ) |
1989 |
ナラシノブルボン |
織姫賞(足利) |