コートマーシャル
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 和名:コートマーシャル  | 
 英名:Court Martial  | 
 1942年生  | 
 牡  | 
 栗毛  | 
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 父:フェアトライアル  | 
 母:インスタンティニアス  | 
 母父:ハリーオン  | 
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 第二次世界大戦終戦年の英2000ギニー優勝馬は種牡馬としても仕上がり早い快速馬をだして成功  | 
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 競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績8戦6勝2着1回3着1回  | 
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誕生からデビュー前まで
1919年に英国史上初の女性下院議員となったナンシー・アスター女史の夫で、自身も上院議員を務めた第2代アスター子爵ウォルドルフ・アスター卿により、英国クリーブデンスタッドにおいて生産・所有された。アスター卿は妻の活躍のために政治家としては影が薄くなってしまい、晩年は慈善活動や馬産活動など他の分野に興味を向けていたようである。本馬は英国ジョゼフ・ローソン調教師に預けられた。季刊誌「ブリティッシュ・レースホース」の編集長ジョン・L・ヒスロップ氏(後にブリガディアジェラードの生産・所有者となる事で有名)は本馬を「たいへん優れた品質の美しい馬です。身体は健康で、とても優れた胴体を保持しています。しかし脚の形からすると、持久力よりも速度に長けた馬だと思います」と評している。
競走生活
第二次世界大戦最中の1944年、アスコット競馬場で行われたバーグフィールドS(T6F)でデビューし、半馬身差で勝ち上がった。次走も同じアスコット競馬場で行われたシンフィールドS(T6F)となり、2馬身差で勝利。2歳時はこの2戦のみだったが、2歳馬フリーハンデではコヴェントリーS・ミドルパークSなど6戦全勝のダンテより1ポンド低いだけの132ポンドで2位にランクされた。
3歳時はソールスベリー競馬場で行われたトライアルS(T7F)から始動したが、ミドルパークS2着馬サンストームの首差2着に敗れた。しかし次走のブリッジウォーターSでは4馬身差で完勝。
そして勇躍英2000ギニー(T8F)に出走した。この英2000ギニーでは7戦無敗のダンテが単勝オッズ2倍の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ7.5倍の2番人気だった。しかしレースでは先に抜け出した本馬がそのまま押し切り、2着ダンテに首差、3着ロイヤルチャージャーにはさらに2馬身差をつけて優勝した。もっとも、ダンテはレース2日前に目を負傷しており、完璧な状態ではなかった事が後に判明している。このレース直後の5月8日に、独国の降伏により第二次世界大戦は欧州では終結した。
それから1か月後の6月9日に戦後初の英ダービー(T12F)がニューマーケット競馬場で開催され、戦争終結に胸を撫で下ろした3万人の大観衆がニューマーケット競馬場に詰め掛けた。戦時中は最少13頭まで落ち込んだ出走馬も、この年は27頭と戦争開始直前の英ダービーと同等まで回復していた。レースは本馬とダンテの2強ムードで始まったが、今度は中団から先に抜け出したダンテが優勝。本馬はニューマーケットSを勝ってきたミダスにも頭差遅れて、ダンテから2馬身差の3着に敗れた。
その後はニューマーケット競馬場に留まってウェプステッドS(T8F)に出走し、コヴェントリーS2着馬フォーダムを5馬身差の2着に破って圧勝した。その後、ダンテは目の負傷が癒えずに競走馬を引退したため、本馬には3歳馬のエース格としての期待が掛けられた。しかし距離不安のためか、英セントレジャーには出走せず、代わりに英チャンピオンS(T10F)に出走した。仏グランクリテリウム・ジャックルマロワ賞・アルクール賞・イスパーン賞を勝ちサンクルー大賞で2着していた仏国調教馬プライアムが強敵だったが、プライアムを短頭差の2着に抑えて勝利。このレースを最後に3歳時6戦4勝の成績で競走馬を引退した。馬名は英語で「軍法会議」の意味である。
血統
| Fair Trial | Fairway | Phalaris | Polymelus | Cyllene | 
| Maid Marian | ||||
| Bromus | Sainfoin | |||
| Cheery | ||||
| Scapa Flow | Chaucer | St. Simon | ||
| Canterbury Pilgrim | ||||
| Anchora | Love Wisely | |||
| Eryholme | ||||
| Lady Juror | Son-in-Law | Dark Ronald | Bay Ronald | |
| Darkie | ||||
| Mother in Law | Matchmaker | |||
| Be Cannie | ||||
| Lady Josephine | Sundridge | Amphion | ||
| Sierra | ||||
| Americus Girl | Americus | |||
| Palotta | ||||
| Instantaneous | Hurry On | Marcovil | Marco | Barcaldine | 
| Novitiate | ||||
| Lady Villikins | Hagioscope | |||
| Dinah | ||||
| Tout Suite | Sainfoin | Springfield | ||
| Sanda | ||||
| Star | Thurio | |||
| Meteor | ||||
| Picture | Gainsborough | Bayardo | Bay Ronald | |
| Galicia | ||||
| Rosedrop | St. Frusquin | |||
| Rosaline | ||||
| Plymstock | Polymelus | Cyllene | ||
| Maid Marian | ||||
| Winkipop | William the Third | |||
| Conjure | 
父フェアトライアルは当馬の項を参照。
母インスタンティニアスは現役成績8戦2勝。ハーバーヒルS・レスターシャーオークスを勝ち、英オークスでは3着だった。繁殖牝馬としては大成功とまでは行かず、本馬が唯一のステークス競走の勝ち馬だった。本馬の半妹アットワンス(父ウミッドウォー)の牝系は南米で発展し、マグナムオプス【リネアヂパウラマシャド大賞(伯GⅠ)・リオデジャネイロ州大賞(伯GⅠ)】などの活躍馬が出ている。また、本馬の半妹インファナルヘイスト(父ダンテ)の玄孫には日本で走ったダイタクジーニアス【東京プリンセス賞・キヨフジ記念・浦和記念・報知オールスターC】がいる。
インスタンティニアスの全弟にはフラッシュバイ【ゴールドヴァーズ】、半妹にはスカルプチャー(父サンソヴィーノ)【ヨークシャーオークス】がいる他、インスタンティニアスの半妹シーナリー(父ビリビ)の子にはマノティック【ガゼルH・レディーズH・モリーピッチャーH】が、インスタンティニアスの半妹キャンバスシュー(父ウインザースリッパー)の孫にはパヴェー【愛2000ギニー・サセックスS】がいる。
インスタンティニアスの母ピクチャーの母プリムストックは優れた繁殖牝馬であり、ピクチャーの半兄プリムソール【サセックスS】、半妹ペニカムクイック【英オークス】、サニーデヴォン【コロネーションS】、ペニークロス【チャイルドS】、半弟コーパック【サセックスS】と活躍馬を続出させた。ペニカムクイックの牝系子孫からは、ペンシヴ【ケンタッキーダービー・プリークネスS】、本邦輸入種牡馬デュラブ、チルッキ【デルマーデビュータントS(米GⅠ)・オークリーフS(米GⅠ)】などが、ペニークロスの曾孫には日本で走ったゴウカイ【東京大賞典】が、ピクチャーの半妹アルペンストックの子にはルーエ【アーカンソーダービー・ブルーグラスS】がいる。プリムストックの母ウインキーポップは英1000ギニー・コロネーションS・サセックスS・ナッソーS・ヨークシャーオークスを勝った名牝。→牝系:F1号族③
母父ハリーオンは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は英国チャイルドウィックベリースタッドで種牡馬入りした。本馬は仕上がり早い快速馬を多く出し、1956・57年の英愛首位種牡馬に輝いた他、6度の英愛2歳首位種牡馬になっている。後に米国に移動し、1974年に老衰のため32歳という高齢で他界した(1966年没とする資料もある。確かに1967年産まれを最後に産駒はいないため、どちらが正しいのか分からない)。後継種牡馬は欧州、豪州、南米、日本など世界各国で一定の成功を収めた(例えば、イーグルは日本に輸入されて東京優駿の勝ち馬ダイシンボルガードを出した)が、その後直系はあまり繁栄せず、一応21世紀までは細々と続いていたが、現在ではほぼ絶滅状態である。しかし、本馬は母父としてリファールを出した事で後世に大きな影響を与えている。
主な産駒一覧
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 生年  | 
 産駒名  | 
 勝ち鞍  | 
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 1948  | 
 Marteline  | 
 チェリーヒントンS  | 
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 1949  | 
 King's Bench  | 
 ミドルパークS・セントジェームズパレスS・コヴェントリーS  | 
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 1949  | 
 Tip the Bottle  | 
 ハンガーフォードS  | 
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 1951  | 
 Epaulette  | 
 スチュワーズC  | 
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 1951  | 
 High Treason  | 
 ナンソープS  | 
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 1952  | 
 Counsel  | 
 グリーナムS  | 
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 1952  | 
 Grass Court  | 
 コーク&オラリーS  | 
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 1952  | 
 Retrial  | 
 ケンブリッジシャーH・ロイヤルハントC  | 
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 1953  | 
 La Fresnes  | 
 ロウザーS  | 
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 1953  | 
 Ratification  | 
 コヴェントリーS・リッチモンドS・グリーナムS  | 
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 1953  | 
 Sees  | 
 ミネルヴ賞  | 
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 1954  | 
 Colonel's Lady  | 
 チェリーヒントンS  | 
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 1954  | 
 Earl Marshal  | 
 ジュライS  | 
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 1954  | 
 L'Astrologue  | 
 ロベールパパン賞  | 
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 1954  | 
 Picture Light  | 
 ハンガーフォードS  | 
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 1954  | 
 Tempest  | 
 サンパスカルH  | 
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 1955  | 
 Major Portion  | 
 ミドルパークS・セントジェームズパレスS・サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世S  | 
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 1955  | 
 Pheidippides  | 
 ジムクラックS  | 
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 1955  | 
 Promulgation  | 
 リッチモンドS  | 
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 1956  | 
 Above Suspicion  | 
 セントジェームズパレスS・ゴードンS  | 
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 1956  | 
 Agile  | 
 ハンガーフォードS  | 
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 1956  | 
 Rosalba  | 
 コロネーションS・クイーンエリザベスⅡ世S・コーンウォリスS・フレッドダーリンS  | 
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 1957  | 
 Soldier's Song  | 
 フレッドダーリンS  | 
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 1957  | 
 Timandra  | 
 仏1000ギニー・仏オークス・ペネロープ賞  | 
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 1958  | 
 Crisper  | 
 パレスハウスS  | 
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 1958  | 
 Eagle  | 
 ハンガーフォードS  | 
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 1958  | 
 Marsolve  | 
 ジュライC  | 
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 1959  | 
 Commander in Chief  | 
 ケンブリッジシャーH  | 
| 
 1959  | 
 Court Sentence  | 
 セントジェームズパレスS  | 
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 1960  | 
 Fashion Verdict  | 
 アディロンダックS  | 
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 1960  | 
 Goofed  | 
 レディーズH  | 
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 1961  | 
 Face the Facts  | 
 サンタイネスS・ガゼルH・サンタモニカH  | 
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 1963  | 
 Impressive  | 
 サラトガスペシャルS・フォールハイウェイトH  | 
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 1964  | 
 Desert Law  | 
 ミレイディH・ヴァニティH  | 
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 1967  | 
 Army Court  | 
 トーマブリョン賞  |