フェアトライアル
和名:フェアトライアル |
英名:Fair Trial |
1932年生 |
牡 |
栗毛 |
父:フェアウェイ |
母:レディジュラー |
母父:サンインロー |
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競走馬としては故障に泣かされて消化不良に終わったが種牡馬として成功を収めて父フェアウェイの直系を後世に伝えた未完の大器 |
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競走成績:3・4歳時に英で走り通算成績9戦7勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
世界最大のスコッチ・ウイスキーのブランドであるデュワーズを世間に広めた功労者として知られる初代デューワー男爵トーマス・デューワー卿の甥で、生涯独身だった叔父から所有馬を受け継いでいた英国の馬産家兼馬主のジョン・アーサー・デューワー氏により、英国サセックス州イーストグリンステッド近郊にあるホームストールスタッドにおいて生産・所有された。デューワー氏は後に本馬の甥でもある名馬テューダーミンストレルを生産・所有する人物であり、本馬の管理調教師も後にテューダーミンストレルを手掛けるフレッド・ダーリン師で、全競走に騎乗することになる主戦騎手もテューダーミンストレルと同じくゴードン・リチャーズ騎手だった。
1月の早生まれだった本馬だが、その割には発育が遅い馬で、しかも脚の湾曲、膝の故障、全力で走るとすぐに欠けてしまう脆い蹄など重度の脚部不安を抱えており、2歳になっても満足に調教を行う事が出来なかった。
競走生活
ようやくデビューしたのは、既に英2000ギニーが終了した後の、3歳5月下旬にソールスベリー競馬場で行われたロングリートS(T8F)だった。名伯楽ダーリン師が満を持して競馬場に送り出しただけあって素質の違いは歴然であり、3馬身差で快勝した。
次走は、1840年に創設された英国伝統のマイル競走クイーンアンS(T8F)となった(ただ、この年に限って同競走は1マイルではなく7ハロン155ヤードと通常より65ヤード短い距離で施行されたとされている海外の資料も存在する。理由は調べても分からなかった)。デビュー2戦目で勝ち負けできるような生易しいレースではないはずなのだが、2着ソレリナに3馬身差をつけて快勝してしまった。なお、このレースには、4年前のケンタッキーダービー・ベルモントS・ウッドメモリアルS・ドワイヤーS・トラヴァーズS・ジョッキークラブ金杯などの勝ち馬で受精率の低さから種牡馬失格の烙印を押されたために無理矢理に現役復帰させられていたトゥエンティグランドも米国から参戦していたが7着に敗れている。
3戦目のエクリプスS(T10F)では、前年の英ダービー・英セントレジャー・クリテリオンS・ニューマーケットS・チェスターヴァーズとこの年のコロネーションC・ロウス記念Sを勝っていた前年3着馬ウインザーラッド、ジャージーSの勝ち馬で英2000ギニー2着の同世代馬セフトとの対決となった。レースはウインザーラッドと本馬が先行して、セフトが後方を進む展開となった。本馬は四角先頭から粘り込みを図ったが、ウインザーラッドとセフトに差され、勝ったウインザーラッドから1馬身半差、2着セフトからは1馬身差の3着に敗れた。キャリア僅か3戦目だった事を考えると、その実力は示したとも言えるが、レース中に故障して失速しながら走ったウインザーラッド(このレースを最後に引退して種牡馬入り)との比較においては、見劣りすると言わざるを得なかった。
それでも、当時の英国最強馬ウインザーラッド相手に健闘した事から、同世代の英2000ギニー・英ダービー馬バーラムとの、英セントレジャーにおける対戦が期待された。しかしこの年に英国で流行した悪性喘息に感染したために回避となった。本馬が不在の英セントレジャーはバーラムが勝ち、無敗のまま英国三冠を達成。バーラムはその後に早々と引退していったため、本馬との対戦機会は無かった。
英セントレジャーに出走できなかった本馬は、代わりに10月にニューマーケット競馬場で行われたセレクトS(T8F)に出走して6馬身差で圧勝した。さらにその後のオーモンドプレート(T8F)を5馬身差で圧勝して、5戦4勝で3歳シーズンを終えた。
4歳時は4月のニューマーケットスプリングプレート(T9F)から始動した。このレースには、本馬の父フェアウェイの生産・所有者だった第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリー卿の所有馬であるリッチモンドSの勝ち馬ボブスレー(父が英国三冠馬ゲインズボロー、母が英オークス馬トボガンという良血馬)も出走していたが、本馬がボブスレーを2馬身差の2着に破って快勝した。しかし距離が伸びた次走のマーチS(T12F)は、ボブスレーと同じく第17代ダービー伯爵の所有馬だったジョッキークラブCの勝ち馬プラッシー(翌6月にコロネーションCを勝っている)の2馬身差2着に敗れてしまった。距離が短くなったロウス記念S(T7F155Y)では、2着ジュビーに1馬身差で勝利した。7月に出走したリングフィールドパークプレート(T8F)は僅か2頭立てのレースとなったが、唯一の対戦相手は後に英セントレジャーやエクリプスSを優勝する1歳年下のボスウェルだった。レースでは本馬がボスウェルに6馬身差をつけて圧勝したが、本馬はこのレースで後脚の腱を負傷したためにそのまま4歳時4戦3勝の成績で引退に追い込まれてしまった。
血統
Fairway | Phalaris | Polymelus | Cyllene | Bona Vista |
Arcadia | ||||
Maid Marian | Hampton | |||
Quiver | ||||
Bromus | Sainfoin | Springfield | ||
Sanda | ||||
Cheery | St. Simon | |||
Sunrise | ||||
Scapa Flow | Chaucer | St. Simon | Galopin | |
St. Angela | ||||
Canterbury Pilgrim | Tristan | |||
Pilgrimage | ||||
Anchora | Love Wisely | Wisdom | ||
Lovelorn | ||||
Eryholme | Hazlehatch | |||
Ayrsmoss | ||||
Lady Juror | Son-in-Law | Dark Ronald | Bay Ronald | Hampton |
Black Duchess | ||||
Darkie | Thurio | |||
Insignia | ||||
Mother in Law | Matchmaker | Donovan | ||
Match Girl | ||||
Be Cannie | Jock of Oran | |||
Reticence | ||||
Lady Josephine | Sundridge | Amphion | Rosebery | |
Suicide | ||||
Sierra | Springfield | |||
Sanda | ||||
Americus Girl | Americus | Emperor of Norfolk | ||
Clara D. | ||||
Palotta | Gallinule | |||
Maid of Kilcreene |
父フェアウェイは当馬の項を参照。本馬は父の初年度産駒に当たる。フェアウェイは自身の競走実績等から、その産駒は晩成の長距離馬になると推測されていたが、産駒は仕上がり早いスピード馬が多かった。本馬も完全にマイラーであり、仮に無事に英国クラシック競走に参戦していても英2000ギニー以外で勝ち負けに絡むのは難しかっただろうと推測される。重度の脚部不安を抱える馬が長距離戦を走るのは危険が伴うため、英セントレジャーには出走できなくてむしろ幸運だったかもしれない。
母レディジュラーもデューワー卿から甥のデューワー氏に継承された馬で、ジョッキークラブS・レッドローズS・エンパイアSの3勝を挙げた。第17代ダービー伯爵の所有馬が勝ったステークス競走で4度の2着があるそうである。レディジュラーは繁殖牝馬としても活躍し、本馬の半姉ジュリスディクション(父アボッツトレース)【2着英1000ギニー】、半兄ザブラックアボット(父アボッツトレース)【ジムクラックS】、半兄ザレコーダー(父キャプテンカトル)【クイーンアンS・プリンセスオブウェールズS】、半姉ライオット(父コロラド)【ジュライS】なども産み、本馬も含めて8頭のステークスウイナーの母となった。
レディジュラーの母は名牝レディジョセフィン【コヴェントリーS】であり、レディジュラーの2歳年下の半妹は快速牝馬ムムタズマハル(父ザテトラーク)【ナンソープS・クイーンメアリーS・ナショナルブリーダーズプロデュースS・モールコームS・英シャンペンS・キングジョージS】である。
ムムタズマハルは20世紀有数の名牝系の始祖であり、その牝系子孫から登場した活躍馬をここに全て列挙するのは無理があるから、それらはムムタズマハルの項に譲るとして、レディジュラーの牝系子孫から登場した主な活躍馬をここに載せる事にする。その筆頭格は本馬の1歳年下の半妹サンソネット(父サンソヴァーノ)の子である前出のテューダーミンストレル【英2000ギニー・コヴェントリーS・セントジェームズパレスS】である。テューダーミンストレルの半姉にはネオライト【チェヴァリーパークS・コロネーションS】がおり、その牝系子孫には、シーユーゼン【英チャンピオンハードル3回】、インディアンクイーン【ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・アスコット金杯(英GⅠ)】、ヘイルシャム【伊ダービー(伊GⅠ)】、サイエダティ【英1000ギニー(英GⅠ)・モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)】、ゴールデンスネイク【ジャンプラ賞(仏GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】などがいる。
本馬の半姉ジュリスディクションの曾孫にはカシミール【英2000ギニー・ロベールパパン賞】、玄孫にはエリモホーク【アスコット金杯(英GⅠ)】が、本馬の半姉ライオットの子にはコモーション【英オークス・チャイルドS】、孫にはコンバット【サセックスS】、フォウティラージュ【セントジェームズパレスS】、亜国の歴史的名馬フォルリの父となったアリストファネス、アジテイター【サセックスS】、曾孫世代以降には、フューチャー【豪フューチュリティS・CFオーアS・アンダーウッドS2回・コーフィールドS】、日本で走ったカネケヤキ【桜花賞・優駿牝馬】、カネヒムロ【優駿牝馬】、カネミノブ【有馬記念】、ミホシンザン【皐月賞(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)】などが、本馬の半妹ディッセンター(父カメロニアン)の子にはスコット【ロワイヤルオーク賞・カドラン賞・ドーヴィル大賞】がいる。他にも活躍馬はいるが、テューダーミンストレルの項に書いているので、そちらを参照されたい。→牝系:F9号族③
母父サンインローは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のホームストールスタッドで種牡馬入りした。交尾欲が弱く受精率も低かったために産駒数は多くなかったが、初年度産駒デビュー直後から英愛種牡馬ランキング上位の常連となり、1940年に英愛2歳首位種牡馬、1950年には英愛首位種牡馬、1951年には英愛母父首位首位種牡馬を獲得した。産駒は自身や父フェアウェイと同様に仕上がり早いスピードを武器にしたマイラーが多かった。しかし晩年は交尾欲と受精率の低さが嫌われて種付け数が急落し、種牡馬成績も降下の一途を辿った。1958年に26歳で他界した。
後継種牡馬としては、1956・57年の英愛首位種牡馬となったコートマーシャル、1959年の英愛首位種牡馬となったペティション、他にも1964年の愛2歳首位種牡馬となったパレスタインなどが活躍して、本馬の血を後世に伝えた。また、英国以外に活躍の場を広げた後継種牡馬も多く、1953/54・56/57・58/59・59/60・61/62シーズンの南アフリカ首位種牡馬となったフェアソーン、プリンスモルヴィとマーテロタワーズの2頭のAJCダービー馬を出して豪州の名種牡馬として活躍したゲークウォーズプライド、1954/55・58/59シーズンと2度の新首位種牡馬に輝いたフェアズフェア、1963/64・66/67シーズンと2度の亜母父首位種牡馬に輝いたアドヴォケイトなどが、南半球の各国でそれぞれ名種牡馬として名を馳せ、フェアウェイ直系の血を後世に広げる原動力となった。しかし現在は北半球と南半球のいずれも衰退しており、ペティションの系統から出たブリガディアジェラード、エラマナムー、トロイなどの直系が何とか頑張っている程度である。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1938 |
Lambert Simnel |
英2000ギニー |
1939 |
Fairaris |
ピーターパンS |
1942 |
Combined Operations |
ダイアデムS・チャレンジS |
1942 |
英2000ギニー・英チャンピオンS |
|
1943 |
Daily Double |
チャレンジS |
1943 |
Fairey Fulmar |
ケンブリッジシャーH |
1944 |
Falls of Clyde |
ジュライC |
1944 |
Greek Justice |
キングズスタンドプレート |
1944 |
Petition |
エクリプスS・ニューS・リッチモンドS・ジムクラックS・英シャンペンS |
1945 |
Dramatic |
スチュワーズC |
1946 |
Fair Edwine |
レイルウェイS |
1947 |
Palestine |
英2000ギニー・コヴェントリーS・リッチモンドS・ジムクラックS・英シャンペンS・セントジェームズパレスS・サセックスS |
1949 |
Tikva |
チェリーヒントンS |
1950 |
Blood Test |
コーク&オラリーS |
1951 |
Festoon |
英1000ギニー・コロネーションS |
1951 |
King Bruce |
ダイアデムS・スチュワーズC |
1953 |
Drum Beat |
キングズスタンドS |
1956 |
Fortune's Darling |
ロウザーS |
1957 |
Fagus |
ハンガーフォードS |
1957 |
Fairey Gannet |
クインシー賞 |